潰瘍性大腸炎 内科・外科治療体験と生活習慣をアドバイス
発症〜内科治療(通院)
(病歴4〜5年目)
このあたりが一つの山だったのかもしれない。
職場で、たまたまだがお茶にむせて気を失うトラブルを出してしまい、このときをきっかけに、前々から受診したいと思っていた地元のB大学病院に通い始めた。
このときから、便が下痢様になることが頻発し、血も頻繁に混じり始めた。
CF検査、注腸検査も久々に実施した。
当初、サラゾピリン+整腸剤による治療がメインだったが、症状が緩解する気配はなく、より強力なステロネマ又はプレドニンへと移行したのもこの時期だった。
病歴5年目のときには、仕事の都合で海外に三ヶ月滞在することになったが、「命の保証はない」と当時の主治医に言われるほどだった。
ステロイド系(ステロネマ、プレドニン)は劇的に症状緩和に効いたため、これに気を良くして内服習慣も怠けがち、食生活も怠けたものになりがちとなってしまった。(緩和してもすぐまた悪化するのだが)
相変わらず、自分の体に対する自覚のなさはそのままだった。
この時期に、オペを決意していれば、今のようなストーマ生活にはならなかったと思う。
オペ後の予後の善し悪しを決するのは、病歴の長短、ステロイドの投与量、オペ前の健康状態等だと言われている。
オペ前病歴が短いほど予後良好なケースは臨床的に多く見受けられるし、ステロイドの投与量も(個人差はあるが)10,000mg以上の投与があると、切除した傷がくっつかない等のトラブルの可能性が高くなる。オペ直前の健康状態がいいにこしたことがないのは、オペの一般常識として容易に想像できる。
(病歴6〜7年目)
頻回の出血で貧血がひどくなり、ヘモグロビンの値であるHbで7.3という値を記録したこともある。
このころは、ほぼ8前後を推移し、10を上回ることはなかった。鉄剤注射で一時的によくなったような感覚があっても、数値的には大きな改善はなかった。
また、便意を我慢することが困難になりだしたのも7年目以降で、トイレに間に合わず下着、ズボンを汚損することが何度かあった。外出するにも、目的地までの経路と目的地のトイレのありかをあらかじめ調べておき、外出先に到着したらまずはトイレのありかを確認しておかないと安心できなくなった。
B大学病院から、S大学病院へと、通院先を変更したものの、治療メニューに大きな違いはなく、
・サラゾピリン(後にペンタサにリプレースされる)
・プレドニン
・ステロネマ
・その他、鉄剤、整腸剤
を中心とする投薬治療であった。
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