横田<miskij>萬や 居合道


往馬大社(生駒市)

往馬大社(生駒市)

所属:無双直伝英信流(むそうじきでんえいしんりゅう)英信館 1999.Dec〜
清澄会(きよすみかい)1997.Nov.〜2000.Aug.20
千葉道場(山下道場) 2000.Aug.27〜

1998年 1999年
2000年 1〜6月 7〜12月  2001年 1〜6月 7〜12月  2002年 1〜6月 7〜12月
2003年 1〜6月 7〜12月  2004年 1〜6月 7〜12月  2005年 1〜12月  2006年 1〜12月 

Jan.1st(Mon)
7時くらいに起きて、着替えて、千葉の護国神社へ。
晴れ。午後から下り坂。
干支の亥をかたどった小さな土鈴と、新しい破魔矢を頂いてきました。

Jan.3rd(Wed)
奈良へ移動。年末の風邪が抜けきらず、頭痛がぶり返して少し心配かけたものの、翌朝にはすっかり回復。

Jan.4th(Thu)
清澄会と以和貴会の初抜奉納で生駒大社へ。比較的暖かい一日でした。
夕方はO会長の招待にあずかり、刀を少し見せていただきました。
渡す時は刃の向きにも気を配らないと・・・。
奈良の知人宅に戻る途中、2店でちょっと小腹を満たす。刀袋を携行してると関心を持たれるのも一興か。

Jan.6th(Sat)
千葉での初稽古。誰も来てなかったので見せる積もりで持ってきたデジカメのムービー機能で自己撮影。
振りかぶりの反動が首に来てるのが良く判るなあ、気をつけなくては。
また踏み込んだ時の振動が電話台に載せたカメラにまで伝わってるとは意外。

Jan.14th(Sun)
近畿地区初抜大会。
ちょっと業に欲を出したせいか、評価がいまひとつ(注:業そのものは良い)で賞外。
帰りは懇親会。東京から来てた先生と一緒に帰る時、デジカメで撮ってた剣士の演武を見ていたら、微妙な差異があるのに気づく。

Feb.11st(Sun)
2月中は見学。この日の宗家特別講習会も見学になってしまった。もっともラフな格好ではなく、ジャケット姿。

Feb.19th(Mon)
土曜の稽古の時、右手に力が入らないと話してたら近所の接骨院を紹介されたので出かけてみる。
駅に近く、中はもぐさの臭いが全く無い。(これは鍼灸院)
背中の肩まわりと首筋に鍼をさして電気を流した後、マッサージ。指先に力が戻ったようだ。
太腿の打撲痕も処方してくれる。これで数百円とは商売上手。

Mar.18(Sun)
近畿地区昇段審査を見学にクルマで16日からドライブ。
総距離1460kmほど。
土曜日の稽古は場所が変更になっていたものの、正確な地図を把握してなかったために、すぐ近くをぐるぐる回ったり、農作業道に入りこんだり。
到着したのは終了30分くらい前。トホホ。
でも私の業前の少し崩れたところを直していただけたのは有り難い。
日曜は電車で行こうと思ったけど、ついクルマで堺まで走らせる。
ゆっくりだったので総会が終わる所に到着。
今年も伯耆流の剣士が見えている。大学の居合道のよう。初段を貰った後は卒業してしまうのか、二段以降の審査が殆どないのが惜しいところ。
1月の大会で撮った写真を仲間たちにプレゼントして回る。
帰りは下道で堺から信貴山へ。途中渋滞が多くかなり時間が掛かってしまった。率直に高速を使ったほうが良かったのかな?
信貴山の入り口からいきなり道が狭くなるのにびっくりしながら駆け上がる。
山稜に上がったところで大阪と奈良の全景が見渡せる。
しかし風が冷たかったな。
場所を変えながら夜景も撮りつつ奈良へ戻る。
17日は昼過ぎに帰宅。遵法トラックの後ろを付いてたら29km/Lで、しかもあまり疲れにくいというおまけつき。

Apr.1st(Sun)
Kさんが転勤になり、T先生と1対1の稽古。
気迫の充実を重点に置くようにと。意識してみると終わる頃にはぐったり。
そうだったんだ、奈良のB剣士が言ってたのはこれだったのか。

May.2nd(Wed)
先生の京都の常宿に泊めていただけることになり、夕方には蹴上から散策して岡崎へ。

May.3rd(Thu)
日中は先生の演武を拝見。
山内派の一人の剣士宅へちょっとおじゃまにいく。
「野田宇太郎文学散歩・関西文学散歩」18巻(京都)では「通り抜け」について触れられており、ちょうど行きの新幹線の中で読んでいたところだったので、実際に「通り抜け」を楽しめた。
一部の角では条理が崩れて変な所に出てしまったりで、まさに「不条理」。

May.4th(Fri)
奉納演武。
夕方には帰宅。連休なのに新幹線はがら空きでした。

May.5th(Sat)
一人。

May.6st(Sun)
休み。

May.12nd(Sat)
お土産(黒ごま八つ橋)を持参。

May.13rd(Sun)
一人。後に気づいたのだけどこの日は関東の昇段審査だった。

May.19th(Sat)
先生と一対一。

May.20th(Sun)
休み。

May.26th(Sat)

May.27th(Sun)
一人。

一人での稽古は「貸切状態」なんだ。つまらないと言わず、大事にしよう。

Jun.23rd(Sat)
英信流大会で京都へ。行きの新幹線で東京の先生と遭遇。京都駅からタクシーでご一緒。
夕方からの懇親会で隣の席は浜松からで、5月の今日と大会では2日から来ていて観光してたそう。
東海で他派の演武を見ることはあるの?と聞いたら関口流が見えるという。
京都大会で2日に武徳殿で行われる演武会も見応えがあると聞かされる。間合いの取り方だったかな。
夜は英信館の先生数名とでちょっと二次会。先生の消息を少し教えていただく。

夜はちょっと暑苦しかった…京都議定書の地なんだけど。(しじら織りのシーツだったら良いのかも)

Jun.24th(Sun)
雨。バスで京都会館へ移動して演武会。
初めて宗家の演武を撮影。(今までは遠慮しなければいけないと思ってた)

Jly.14th(Sat)
大雨の中、稽古しに道場へ。
いつもよりクルマが多く止まってる。
剣道の講習会を2階か他の部屋でやってるんだ。

1階の道場は誰も来てない。あれ、先生は堺へ出かけたのかな。
自習してましょ、と稽古していると、何やら視線。
胴を着けたままの初老剣士が入り口で見学してる様子。
挨拶したら「どこの居合?」と聞かれる。
先生が留守なので、と説明したら先生と連絡したいという。
稽古の日程と流派を説明。
説明してる間にも剣士は汗がぽたぽたで少し気まずそう。手拭いを持ってこれば良かったか。

一人だからと気を抜かずにやってたとはいえ、今後も気を抜けないわな・・・

Jly.15th(Sun)
午前の稽古は土砂降りの中のドライブ。
なぜかパトカーが追い越していく。

今回はゆっくり間合いをいれて独習。
少し影武者の像がブレてきてる。

それにしても始めた頃は休憩も入れて3時間もやったのが信じられないなあ。

帰りも相変わらずの土砂降り。
高速道路の分岐では少し凹んでいる所が冠水しかかっていて、ハンドルを取られそうになる。

Jly.22nd(Sun)
千葉道場の昇段奉納演武会。K先生の9段昇段のお祝いに鬱金風呂敷を頂いていたので、お返しに「千葉の蕎麦73選」を贈呈。

Jly.28th(Sat)
刀を重めの稽古刀に切り替えてみる。
今度は左腕のむず痒い凝りも出ないで済んだようだ。でもなぜ左腕に?
大規模な団体の利用の後だったけど、群衆心理が働いたのかどうか、後片付けが出来てないのはいただけなかった。
利用団体を調べて、翌日連絡。

Jly.29th(Sun)
一人稽古。そういえば珍しく卓球の利用者が来てなかった。
総合武術のグループは中2階が使えないとかで私と同じ1階の一隅で稽古。

Aug.5th(Sat)
近畿地区夏期講習会。
8時半には会場に到着。稽古着に着替えて会長に挨拶に行くと「帯刀してこい」は、はい。
10月大会の地区団体戦で近畿地区の選手に指名された事もあり、9時までの間に数本。
ここ1年くらい会長の道場へ稽古に行ってなかったものだから終わる頃には汗びっしょり。

講習会は集中型へ切り替えたのかどうか刀法5本のみ、1時過ぎまで。
最後の切っ先返しで呼ばれて皆の前で演武するとは思わなかったにゃあ…後に奈良の先生から「関東流になってたなー」と冷やかされる。

バスで堺まで移動。途中、高速道路の海岸線を通る。
結構な高所だこと。夜は眺めが良さそうだけどバイクではちょっと怖いかな。

先日の大会で撮った各先生の写真を贈呈。アップ専門ではないけど、却って新鮮味があるのかな。

会食を頂きながら隣の剣士と少し談話。

いい気分で新大阪からの始発で帰宅。1車両に2人しか乗ってなかった:)
3時間半ほどで到着。

Aug.12nd(Sun)
久しぶりの1対1の稽古。
え〜?と思うような思いこみを修正されたりする。
一番の問題は手首に融通が利かないらしい点か。

Aug.18th(Sat)
午前から堺へ移動。
大阪駅の端っこで昼食。店員さんの愛想が素晴らしい。さらには昼ビールが200円なれど午後から稽古なので我慢。
最寄り駅からは日射病予防にかこつけてタクシー。運転手も愛想良くさっきも乗せたという。

大会に備えてのおさらい演武は少し上がり気味。
夏のせいか番外の型のみ。それでも基本動作を見て時折指導が入る。

Aug.19th(Sun)
なぜか組稽古をあまりしてない先生もおられるもので、組み相手だけでなく周りからもツッコミが入ったりする。
見てるだけなら簡単なようで、息が合ってないと難しいところも面白い。

午後の暑い中を新大阪始発の新幹線に滑り込んで一息、京都を出てこれから加速というところの車窓に立て続けの雷。程なくして停車し、豪雨が一帯を煙らす。
雷って落ちるときは続けて同じところに落ちるんだ…

1時間過ぎてやっと運転再開。米原で臨時停車していると後続車両が通過車線に滑り込んで、そこへこちらも発車。滅多にない瞬間並走。
羽島も同様に臨時停車・瞬間並走。通路にも人が並び、名古屋、品川と続く。
幸いにずっと座っていけたけど、後ろ(私が座ってたのは車両末端で、後ろに人が立てる空間がある)に人が入れるよう背中を少し起こして。

Aug.30th(Thu)
アジア初の国際SF大会で日本文化の紹介プログラムとして居合を紹介してくれと依頼が入ったのが7月末。
なんやかんやと連絡して30日夕方、mixiの知人と一緒に演武。

演武よりも、少ない言葉で伝えることの難しさを思い知らされた1ヶ月でした。
先生の承諾を貰うための準備資料作成の時点で、どんな風に勉強してたんだっけ、と自覚。
(今回はネット上の情報を意識して引用しないようにしていました)

関係者の皆様のご協力に感謝いたします。
当日は人が溢れるほどの見学者の中、良い演武と説明が行えました。

第65回世界SF(Science Fiction)大会/第46回日本SF大会
http://www.nippon2007.org/jpn/index.shtml

Sep.1st(Sat)
木更津への出稽古。1時間も掛からないところだけど合宿のつもりで参加。

13:40 昼食を済まし、稽古一式をクルマに載せて出発。
14:30 駅前に到着。舶来さん3人がたむろしており、一人はタクシーの運ちゃんと何やら話し込み中。SF大会で来日し、こちらにも足を伸ばしてきたのかな。
14:45 舶来さんは何やら諦めたのか、私の車の近くを通り、駅前のスーパーへ。会釈。
14:55 先生のクルマが到着。電車で来る弟子さんを拾う。
15:10 道場着。意外と駅に近い。徒歩10分もしない?
先生は舶来弟子さんを主に稽古。
:
18:00 終了。旅館へ移動。
18:30 昭和中期の体裁ながら、必要充分。むしろ、夜景が意外と良い。
アサリの酒蒸しは今までのアサリの味を覆すもの。チーズを食べているのかと思うくらいで、ピザに使ってみたくなるほど。
21:00 仲居さんの手間を省く意味か、布団を敷いた隣の部屋で就寝(こんな時間に寝るのは珍しい)。

Sep.2nd(Sun)
1:30 暑くて目が覚める。窓を少し開けて空気の通り道を確保して涼しくなる。冷房は付けていない。
7:30 起床
8:00 部屋を変えて朝食。あじの開き。納豆に刻み海苔は珍しい気がする。そういえば卵なし。
9:00 道場着。昨日とは別の地元の弟子さんが数名。
10:00 窓から近くの水田に白鷺がつったっているのが見える。時折、水田の野火焼きの匂い。
何かに気をとられたか、近くで先生が見てるのに型を間違える…^_^;
11:00 休憩時間にオニヤンマが室内へ遊びにくる。縁起がいい。
12:00 終了。昼食組に参加しクルマで移動。途中で交差した踏切で列車の通過を待っていると見慣れない車両。窓が少なめで一瞬「宇宙列車?」と見まがうもの。先日のSF大会から飛び出してきたんかい、と思えそうなオチ。 13:25 舶来弟子さんは駅前から横浜行きのバスで移動。
13:40 解散。水田地帯の中を横切る小径が川を渡る所で土手を上下するあたりは奈良のとそっくり。
14:20 帰宅。

Sep.18th(Tue)
GREEという携帯電話向きのSNSを通して「北海道から英信流の人が来るので、一緒に稽古しない?」と誘われてホイホイと浅草へ。
台東スポーツセンターまでどう行くか考えて馬喰町からバスで一本。昼食をどうするか考えて結局スポーツセンター内の食堂で済ます。

1時半からぼちぼち稽古。9月末の大会前の予行としても良い機会だったかしらん。

高知の英信流は動作が激しいと聞いていたので、一度は(高知へ行って)見てみたいと思っていたのが図らずも実現。

東京の英信流は一部で批判があるようだけど、解釈次第といえるのが良くわかる。
それよりもじかに接することの方が大事だと思うなあ。
自分の理合を説明する事も求められるし。

夕方からの懇親会はドイツ料理が出てくるビアバー。
どうもごちそうさま。

Sep.30th(Sun)
関東地区英信流大会。
開始の声のあと、抜き付けるタイミング取りにとちって一本目を床にしばいてしまう。
二本目から猛然と追い込んで三本目から本調子。も五本目で終了。
判定は完敗を免れる。
その後の対戦は常勝がのきなみ破れる波乱気味の結果。

Oct.13rd(Sat)
21日の難波大会を控えてかどうか、13・14日に稽古にいらっしゃい、との連絡。
講習会という文字が入ってたけど、予定表には載ってないみたい…この大会直前に?という疑問(各地の先生はそれぞれ指導されてるだろうから)も感じつつ、宿をとりあえず予約。
通常は宿もセットなので、念のため聞いたら宿はセットでないそう。いつもとは違うのかな。
2時までに到着するよう時刻表をチェック。いつもより早起きせにゃあかんのに、なぜか寝付けずうとうと。

8時半には家を出て、9時前の500系のぞみ号に乗車。そういえばこの尖った先端は日本刀の反りにも似たものがあるかな。

新大阪に着いて、カレー屋でハヤシライスを食し、すぐさま「はるか」で天王寺へ。(事前購入であれば乗り継ぎ割り引きで自由席300円)
線路のやり取りの事情で今回も「数分遅れ」。
天王寺で後続の快速を経て阪和線の上野芝には余裕を持って到着。

2時から大会の業を館長に見ていただいて、3時から通常の講習会。ぼちぼち集ったのは、中部の範士くらい(各道場には師範代がおられると解釈)。

この日は立膝の奥居合。少しずつ納得できてる。
5時に上がり、私は駅前のホテルまで送っていただく。

Oct.14th(Sun)
駅前のビジネスホテルの朝食はセルフながら、果物やヨーグルト、複数の種類のパン、おにぎりと内容は揃っているもの。
稽古着に着替えて8時半に先生に拾ってもらうと、後ろの席には館長。
昨日の御礼を述べて稽古場へ。

こちらも大会の団体戦出場者の二人で館長の前で演武し、いくつか指導をいただく。心なしか汗びっしょり。

その後、通常の講習会になる。午後を過ぎるとさすがに立膝の納刀で床に付く左膝が痛くなる…一部、離脱する先生も。

15時に上がり、新大阪駅で夕食の弁当を所望。
15:53発は500系と思ったらN700系。まあ、初めてなので物見に、と乗る。
各席窓側にコンセントがあるのはいいけど、ドライヤーを使う人が出たりしないかな、カーラーを髪に当てるおねーちゃんも見てしまったし。

新横浜で団体さんが乗り込んでくる。手荷物が全くない雰囲気からしてほぼ海外旅行ツアー客。でも新横浜−東京は本来の実力が出ないんだけど。

Oct.21st(Sun)
居合大会の個人の部では4回戦まで進んでベスト8でした。
3回戦の時はずっと前を見ていて相手が誰なのかすっかり慮外だったのだけど、それが良かったみたい。
3回戦が終わった後、相手の顔を見たら、関東での若手ライバルだったのに初めて気づいた次第。
じゃあ4回戦はというと全国大会でいつも当たる若手のライバル。
一度だけ勝ったことはあるけど

とはいえ準決勝、決勝はもっと厳しい相手だったなあ…
気持ちを切り替えてと。

Nov.1st(Thu)
クルマで近畿へ。今回は京都に宿を予約したので東名・名神コース。8時過ぎくらいに出発してアクアライン経由。
途中では車両運搬車に乗せられるインサイトと遭遇。牧ノ原で昼食を経て少し先でちょっと昼寝。
名神を通行するのは初めて。木曽川を渡る所では運よく新幹線の同時交差と遭遇。
途中には緩やかなアップダウン。今の規格だったら嵩上げして平坦にしてただろうな。1960年の雰囲気。
滋賀県内は山の中を通るので今ひとつ。京都東ICで抜けて路面電車がかつて通った山科の道路は少し幅広。
料理屋で京野菜料理をいくつかいただく。

Nov.2nd(Fri)
8時には出発し、南下。第二名神から北へ延びる高速道路の連絡高架がだいぶ出来てきてるけど、高さについてはちょっと遠慮がないのね。
前からある名神や最近立体化した近鉄は低くしてあるのに、この腰の低い名神と交差する所はこんな圧迫感のあるもの。
第二名神・京奈道路を経由し9時前に奈良に寄り道。JR奈良駅三条の踏切を渡る所で一時停止して進入しかけた所へ遮断棒が下りてきて大慌て。
バックすると遮断棒がボンネットを擦るので困ったと思ったら警備員が持ち上げてくれてセーフ。
そういえばナビの地図にはダイエーが残ってる。
本日の目的地は大台ヶ原。平日じゃないと道が混むからこのような旅程を組んだわけ。
もう1つが大台ヶ原を往復した時の燃費。Fit(1300cc)をレンタカーで借りて往復したら、30km/l以上と予想以上の小食だったので、インサイトではどうか、という興味。
途中、池原行きのバスの後に付いたり。そういや妙な所で妙なおじさんが座ってるなあ、と思ったら少し先で速度取締でした。
大台ヶ原に到着してみたらば、すっかり
登りの燃費は19km/l。昼食を済まして下山。
以前は11月にはもう雪が降り始めていたそうだけど、ぎりぎり紅葉に間に合ってしまった。
近鉄の車内広告で「神様の塗り絵」と称した山肌、それから落葉松はひときわ目立つ
下山して明日香の宿へ。岡寺のすぐ近く。
下りまで含めた燃費は25km/l。所々撮影のために駐車が多かったのが影響したのかな。

Nov.3rd(Sat)
朝食の前に岡寺を散歩。ひんやりした空気。でも霜まではおりてなかったなあ。
8時半に着いたら講堂隣の駐車場が使えない。インターハイの取材関係者だそう。インターハイの会場となりの駐車場を使ってもらったほうがマスコミさんには機材の運搬距離も短くて便利じゃないのかしらん?
そんなこんなで快晴の中、橿原神宮へ奉納。
構内の演武が判るように撮ると今度は窓の紅葉が白くなってしまうのが悩み所。
今年はよく落葉も舞ってました。
式が済んで、清澄会の夕食会へ移動。境内から抜けるのにかなり時間が掛かるようで、迷わずUターンして回れ道したらスイスイと先に到着。

途中の京奈和道路の高架道路は近代化のつもりなのだろうけど、どこぞの地方道路と一緒で、街路樹もないのでは殺伐したものでしかなく、金の無駄遣いでしかない。
3〜4階の集合住宅において、建材「製造」時も含めた炭酸ガス排出量は鉄筋コンクリが80t、木造が20tと国交省が試算したのなら、多量の橋脚を伴う高架道路を止め、地上道路にすれば良さそうなもの。

夕食を済まして郡山を出発したのは17時半。少し迷ったものの名阪国道をハイペース気味に抜けたのち、渋滞回避のため鈴鹿でいったん下りて四日市から入り直したあとはずっと走りっぱなし。
東京ICを抜けたのは23時半。道路脇には上品な電飾が並び、東京に入ることを意識させてくれるその先に広がる夜景にはえも言えぬものがあったなあ。たしかこの区間は地上道路のはず。
そのまま首都高を順調に通り抜けて帰宅したのは0時半。7時間といったところか。

Dec.23rd(Sun)
英信館納会。早い目に出発して大阪駅で昼食。上野芝駅に着いたらY先生と合流し、改札を出た所で館員が見える。後ろからはM先生。
図らずもクルマに乗せていただいちゃう。
今回の演武は前方で、前方にあまり余裕のない場所。居合わせる心づもりで歩幅などを調整しつつ演武。
忘年会の後、千葉のT先生の後に付いていったら、顔見知りのK先生に誘われて二次会へ。
K先生いわく「前方が詰まった所だったのに良く出来てたのは実力がある」のだそう。
程よく酔った所でホテルに戻り、先生の部屋での三次会を辞退してそそくさと先に就寝。

Dec.24th(Mon)
うん?ここは道場?外は快晴かどうか、外の青空が床に反射する。雰囲気からして武徳殿なのかな。
人の気配を感じる方向を見ると紋付き袴で立ち姿勢にて佇む先生。近寄ればニコニコ顔のY先生。秋に大往生していた・・・
わざわざ夢枕に挨拶に来てくださったのかなあ。(後で、訃報を報せてくださったK先生に聞いたら「三次会の後、前後不覚で朝まで全く夢も見てなかった」そう)
残された人をあまり悲しませないようにか、ニコニコ顔だったのが印象に残る。

講習会初参加のTさんと色々喋る。食堂が食券購入に変わったんだっけ。カレーは前よりはマシになったのかな?常連さんはそれでもまだまだだそうだけど。
午後に上がり、いつもの通り新幹線で帰宅。

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