GBのアームチェアCinema見ist:メアリと魔女の花

メアリと魔女の花

メアリと魔女の花

監督 米林宏昌
脚本 米林宏昌/坂口理子
出演 杉咲花/神木隆之介/天海祐希/満島ひかり/小日向文世/佐藤二朗/遠藤憲一/渡辺えり/大竹しのぶ
音楽 村松崇継
主題歌 SEKAI NO OWARI「RAIN」
原作 メアリー・スチュアート『The Little Broomstick』
製作年 2017


スタジオ・ジブリ解散後、その主要メンバーが集結したという作品。

本作はジブリではない。元ジブリのスタッフたちによって立ち上げられた「スタジオポノック」制作作品。

ジブリと言うよりも宮崎ファンである私は、実は本作を見るべきかどうかかなり迷っていた。
もはや創作活動を終了している(多分)宮崎駿は、既に伝説となり、その伝説は「ジブリ作品」と言う名の博物館に展示しておけば良いのではないだろうか、と。

宮崎の志を継ぐのか、はたまたその呪縛から逃れられないのか…

アニメ制作会社スタジオポノックは、スタジオジブリの製作部門が解体した後に設立された会社で、代表を務めるのは、西村義明。

西村は、以前はスタジオジブリに所属して、『ハウルの動く城』や『ゲド戦記』、『崖の上のポニョ』で宣伝を経験した後、『かぐや姫の物語』、『思い出のマーニー』ではプロデューサーを担当していた重要人物。

彼が本作『メアリと魔女の花』でプロデューサーを担当し、今回監督を務めることになったのがジブリで『マーニー』や『アリエッティ』の監督を務めた米林宏昌である。

米林宏昌は1996年にスタジオジブリに入社し、翌年公開された『もののけ姫』からアニメーションに参加、続いて『ホーホケキョとなりの山田くん』('99)にアニメーションとして参加した後、『千と千尋の神隠し』('01)から原画を担当。

彼が原画を担当した作品は他に『ハウルの動く城』('04)、『ゲド戦記』('06)、『崖の上のポニョ』('08)、『コクリコ坂から』('11)、『風立ちぬ』('13)がある。

米林監督の原画の特徴として挙げられるのは、その“動き”。『崖の上のポニョ』では、ポニョの妹である稚魚が群をなして海面に向かって泳ぎあがっていく壮大なシーンを担当したと言われており、この時の彼のアニメーションは宮崎駿を唸らせたと言う。

その後米林はスタジオ・ジブリで『借りぐらしのアリエッティ』、『思い出のマーニー』を監督している。
『アリエッティ』はともかく、第88回アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされた『マーニー』を私は評価しない。作劇がどうのと言うよりも、なぜ、こんな原作を選んだのか、何故こんな作りにしたのかという疑問しか持っていない、言ってみれば“キモチワルイ”作品だった。

さて、本作。

キャッチコピーは「魔女、ふたたび。」。

いや、それはないだろう?
と言うか、大ヒット作『魔女の宅急便』に真っ向から立ち向かうつもりか?
それとも話題作りの戦略か?

原作『メアリと魔女の花』は、魔法使いの本家である英国では非常に著名な作家、メアリー・スチュアートによる児童小説『The litle broomstick』。1971年に発行された今作は、日本でも翻訳されている。

“箒に乗って飛ぶ魔女”は、完全に固定概念だし、年少者を対象とするなら、主人公は歴史上本来のおどろおどろしい“魔女”ではなく、親しみやすい少女になるのも当然の流れ。
原作は読んでいないが、『魔女の宅急便』の場合、あの酷い原作が優れたエンタテイメントに昇華しているので、元はどうでもアレンジャーの腕次第。

冒頭からハンマーダルシマーをフューチャーした音楽がかなり心地よい。
『アリエッティ』でケルト系の歌い手を起用した監督らしく、この辺りのセンスはなかなかの物であろう。

被写界深度が極端に浅いシーンが幾つかあり、あれ?写真使っているのか?手抜きだな…
と思い、よく見たら、全てが手書き美術であった。
その辺りのクオリティは無駄に高い。
スタッフを見れば、殆どがジブリ出身者なので、当然と言えば当然。
専業の声優を使わず一般の俳優を起用しているのもジブリスタイル。

なのだが…
その優秀なスタッフに頼る所が大きく、しからば映像表現もジブリそのものになってしまうのはこれは仕方がないことなのだろう。

ストーリーが単調で観ていてつまらない。

と言う感想を目にする。

確かに映像は既視感に満ちている。
しかし、じゃぁ、宮崎作品全てが複雑な思想に溢れた物なのか?と言えば、それは違う。
原作は児童文学であり、そもそもが白人文化圏なので、物事は明確に白黒決している物である。(多分)
単純明快であるのは当然。

宮崎が後継者と望んだ人物が監督したのだから、それは師匠に似てしまうのは仕方ないし、そこで学んできたことが生かさなければ師匠に対しても失礼という物であろう。
(逆に師匠のからを突き破って欲しいという希望もあるのだが…)

宮崎の理屈と久石の音楽があってこそのジブリ作品。そしてそれはもやは博物収蔵品となってしまった。
本作はあくまでもジブリ亡き後のポノックの名刺代わりの作品であろう。

エンドロールで「感謝」の文字とともに宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫の名前が流れた。

ジブリの遺伝子を受け継いだ作品なのでオマージュと言うよりもリスペクトが満載である。

これはそう言う作品である。
(うがった見方をすると、米林の目は観客ではなく師匠達の方を向いている)

評価は次の作品にかかっている。




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