GBのアームチェアCinema見ist:コクリコ坂から

コクリコ坂から

コクリコ坂から:From Up On Poppy Hill

監 督 宮崎吾朗
出 演 長澤まさみ/岡田准一/竹下景子/石田ゆり子/柊瑠美/風吹ジュン/内藤剛志/香川照之
脚 本 宮崎駿/丹羽圭子
音 楽 武部聡志
主題歌 手嶌葵「さよならの夏 -コクリコ坂から-」
原 作 「コクリコ坂から」高橋千鶴/佐山哲郎(講談社)
製作年 2011



コクリコ坂から “あの”映画の原作…
まぁ…昔懐かしき少女漫画…
文庫になっていたので読んでみた。

ううむ…ちょっと、これは個人的には駄目かも…
30年程前?の少女漫画。
もう、典型的な絵に描いたような(いや、絵なんだけど…)ベタベタの少女漫画。
それも何とまぁアナクロまるだしの状況設定に絞りかすのようなメロドラマ。
何を今更こんなのを発掘したんだろう?と…

まぁ、映画もあの“バカ息子”だしなぁ…
多分、観に行ってしまうのだろうけど…

コクリコ坂から (角川文庫 み37-101)/高橋千鶴(著)


結局公開二日目に観に行ってしまった。
間借りなりにもジブリだし、日曜だし…相当な混雑を予想したが…
劇場は5〜6割の入り。
あぁ、やっぱり…

『コクリコ坂から』(コクリコざかから、英題:From Up On Poppy Hill)は、高橋千鶴(作画)・佐山哲郎(原作)による日本の漫画作品、およびそれを原作としたスタジオジブリ製作の劇場版アニメ作品である。

原作は『なかよし』(講談社)にて1980年1月号から同年8月号まで連載された。全8話。単行本は同社より全2巻が刊行された。また、2010年に角川書店より新装版、2011年に同社より文庫版が発売された。

タイトルの「コクリコ」はフランス語で「ひなげし」を意味する。

プロデューサーの鈴木敏夫によると、監督を息子の宮崎吾朗に決定したのは吾朗本人が自ら希望したためとのこと。『ゲド戦記』で吾朗が監督に起用されたことに反対していた駿は「1本作ったら、もう映画監督。どうしていくかは自分次第だ」と発言している。

---(Wikipediaより)

2011年7月16日より、全国東宝系にて公開。『ゲド戦記』に続く宮崎吾朗監督作品第2作。キャストは過去にもジブリ作品で声を当てたものが多く起用されている。

キャッチコピー 上を向いて歩こう。

先入観を出来るだけ生じないよう、事前に情報を仕入れずに劇場のスクリーンに向かう。
やはり、作画の荒さ…人物の動作が不自然だったり、顔のデッサンが時々狂っていたり…
ワンショットシーンでせいぜい30cmのフライパンから6人分のハムエッグが出現する等という無神経きわまりない状況や…

そんなことがかなり気になる。

“あの”ジブリ制作であるので、スタッフは多分世界一優秀なのだろう。
しかし、その部隊を制御するのはあくまでも指揮官。
もはや神格化された宮崎駿の既に人ならざる完全主義と偏執狂的なのめり込みが無ければ「本来のジブリ・クオリティ」は表出出来ないのかも知れない。

カリスマの少女も豚も出てこない。妖精もおばけも出てこない。
主人公達は自由自在に空を…飛ばない。

「食い尽くされたファンタジー」(宮崎駿)から人のドラマへ…
栄光のスタジオ・ジブリも世代交代だけではなく方向性の転換も求められているのかも知れない。

しかし、映画そのものは…
決して悪くはなかった。

が、これ、たかだか40そこそこの宮崎吾郎のセンスでは全くないだろう。
映画を観てからパンフを読んだ。

企画・脚本:宮崎駿。

そうだろう、監督の吾郎は1967年生まれ。本作の時代--1963年にはまだ影も形もなかった。
この「高度経済成長」に向かう時代はまさに宮崎駿・高畠勲、そして作中に登場する会社社長(間違いなくモデルはジブリの陰の黒幕、故徳間康快)達の時代。

何を今更こんなの(類型ベッタベタな少女マンガ)を発掘したんだろう?と…

そう前述した。
ンフレットにある宮崎駿の「企画のための覚え書き」で

“1980年頃『なかよし』に連載され不発に終わった作品である。”
“結果的に失敗作に終わった最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。”
“原作のエピソードを観ると、連載の初回と二回目位が一番生彩がある。その後の展開は、原作者にもマンガ家にも手に余ったようだ。”
“マンガ的に展開する必要はない。”

と書いている。
なんだ、巨匠、原作を評価していたわけではないんだ。
おかしいと思った。
あの程度の、悪いが平凡そのものな駄作少女マンガを何故?が大きな疑問だった。

原作マンガからはいくつかのプロットとエピソードを拾っただけなのだ。

コクリコ坂から もしかしたら、「旗旒信号を上げる少女」、ただ、これだけがやりたかったのかも知れない。
いや、多分そうなのだろう。

「航海の安全を祈る」

この旗旒信号が少女の手によって物語の冒頭とエンディングで掲揚される。
途中の「学園紛争モドキ」のエピソードや、原作にはない「戦争で死んだ父達」、「出生の秘密とそれに悩む少女」…それらは、まさに「上を向いて」掲揚する旗旒信号「航海の安全を祈る」へ集約するための手段に思える。

まさに宮崎駿コダワリのストーリーがそこにあった。

アラは目立つが、その神懸かりの天才で偉大な父に、何とかついていこうとする息子の必死さは今回の作品からは窺うことが出来た。


取り敢えず、ギリギリ合格点であろうか。
宮崎吾郎の次の新作があるなら期待しても良いかも知れない。
脚本によって拙い作画・演出が救われた…のだとしても。

一日も早く父親の掌から脱出することを願う。

父は後ろから刺し殺すモノではなく、堂々と追い越すモノなのだから。

さて、主題歌である。
とても素敵なメロディである。

初めて聴いた気がしない、懐かしさを感じた。

「さよならの夏 -コクリコ坂から-」
作詞 万里村ゆき子
作曲 坂田晃一
編曲 武部聡志
歌 手嶌葵

実は、オリジナルがあり、かつて1976年4月から6月に読売テレビ・日本テレビ系で放送された同名のタイトルのテレビドラマの主題歌で、森山良子が歌ったものだそうな。

記憶にないのだが、かなりヒットしたらしい。
倍賞千恵子によるものも売れたらしい。

うん…良い曲である。
音楽は映画畑ではない、武部聡志。これも鋭い人選であろう。


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