少年はゆっくりと生きていたので、今の街の中に少年の居場所がなくなってしまいました。 それでとうとう、少年はある午後ひとり街を背にして出かけました。 ゆるやかな坂道をのぼり、やがて川のある森の入り口にさしかかりました。 緑の木々と流れる川を見るのは気持ちのよいものでした。 流れる水の音は、時間の終りのない世界を思わせました。 それから少年は朝にわかれたばかりの母親のことをすこしだけ思い出しました。 父親のことは、ながくすっかり蓋をしたままで過ごしていたので、母親に関連してだけの想い出がいくつか浮かびはしましたが、それは少年にとってなつかしいほどの記憶というものではありませんでした。 森の入り口には立て札があって、少年はいちおう読んでみたのですが、あまり意味のあるふうには感じられませんでした。 入り口の先の森の奥は、うっそうとはして見えても、なにかこころが落ちつくような気のする空間に感じられました。 それでまったく躊躇することなく少年は森の中へ足をふみいれたのです。 少年は先へことさら急ぐこともなく、時間をたくさん持っている気分がしてほがらかな顔をしていました。 森では動物たちにたくさん出逢いましたが、人にはひとりも出逢いませんでした。 奥深い森は静かでした。 その森は静かすぎるとうわさする人も街にはいましたが、少年にはちょうどいいと思われました。 まだ太陽は高く、木立の間から差す木漏れ日は道案内のように少年の頼りになりました。 街にはたくさんの色と物がありましたが、ここには木と草とこぼれてくる太陽の光しかありませんでした。 でも時おり鳥や動物に出逢いましたので、少年には足りないものはないと感じられました。 一時間も歩くと、木漏れ日の下で昼寝もしてみたいと思いました。 べつに先を急ぐ必要がないのでそうしようかと思いましたが、やはり昼寝はやめておきました。 少年にとって森の中を歩くのは感じることがたくさんありましたので、とても楽しかったのです。 帰り道を覚えておく必要はありません。 なぜなら、森の道はどこかにつながって必ず出口があるからです。 時間がたくさんあるので、たどりつく出口までゆっくり歩けばいいのです。 歩いていれば少年は安心でした。 お昼ごはんも夕ごはんも今は忘れていました。 日の暮れるまでまだまだたっぷりと間があると感じました。 それでもふしぎに内心では街にもどれるという保証はないということは肝に命じていました。 理由はないのですが、そうすべきなのだろうと少年は思ったからです。 学校のことは人に聞かれないかぎり少年の頭にのぼったことはありませんでしたので、歩いているこの最中もまた、学校のことはすっかり忘れていました。 それでも、森の中では、たくさんからだとこころで感じて学んでいるような気がするところがありましたから、少年はこの森で長く旅することになっても、りっぱに成長できるような気がしました。 でも、ともだちのことを忘れたわけではありません。 どのともだちも、少年のようにゆっくりとはしていられないので、少年と一緒に出かけることはできないのでした。 数年前まではそんなことはなかったのですが気がつけば今はそうなのです。 少年はそれをさみしいとは思いましたが、ともだちを責めたいような気持ちはありませんでした。 街では大人に近づくにつれて時間の進み方がどんどんと違っていったのです。 どう時間を使うかは、やがてだれもがきびしい選択を迫られていたからです。 少年は、ほかのどのともだちのようにも、速さを増していく時間の進み方にあわせてじぶんの居場所を移し変えていくことができなかったのです。 少年の父親は、要領のわるい子だなあ、と顔をしかめて小言をいうことがありました。 少年は、街で居場所をなくしたのも仕方のないことだと思いました。 ともだちとおなじようにできていたら、少年も街での居場所を見つけられたかも知れないとは思いましたので、ともだちを責めたりするような気持ちがおきたことがありませんでした。 森の中では感じることと考えることがどれも別れていませんでした。 街では感じている暇がなくて、たずねられれば考えた答えを早く口にしなくてはなりませんでした。 それで、少年は家に帰るとひどく疲れていることがありました。 少年を見て、ただ母親は悲しそうな顔をしていました。 でも、その理由も森の中を歩いていてわかったことでした。 ながいこと街の中で、早足で追いこしたり、追いこされたりしていると、だれもなにかをしっかり感じることができないようになってしまい、頭のなかの中心がぐるぐると焦りだすのです。 たくさん口にできる答えをあらかじめいくつも持っている人の方が、たくさん街で居場所を見つけられたのです。 森で少年は木の上にいる鳥や動物を見ました。 草のすき間にいる虫も見ました。たまに撫でさせてくれるものもいました。 学校でした実験は役にたたなかったのです。 本の中でおぼえることも、ここでは感じるだけで言葉を通りこしてわかりました。 感じると、どうすればいいか自然にわかる気がしました。 少年はいちどもまよわずに歩いていました。 太陽はまだまだ頭上の木々よりもはるかに上にありました。 森の出口はかならずあるのですが、少年には森を出るまでに最後の扉がひつような気がしました。 その扉にははり紙があるでしょうか。きっとないのだと思いました。 両手で開けるだけでいい扉が森の出口にはあるでしょう。 たくさん感じることで、たくさんの智恵を身につけ、いつか少年は森を抜けるきまった時間がくるだろうと思いました。 けれどそれは頭にためこまなくていい智恵で、忘れていいものでしたから少年はくつろいでいられました。 森を出るとき、もう日は暮れているだろうか、夕ごはんには間にあうだろうか、と少年は思いました。 それでも少年は歩幅を変えずに、ゆっくりと森の中を歩いていきました。 |
シューマン「森の情景・第一曲_森の入り口」
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