SHORT STORY ROOM
ショートストーリーの部屋 第七回 「水の深み」

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水の深み
・・・・・・

●イメージ

一枚の写真が闇のなかから浮かんでくる。その写真にはひとりの美しい女性が微笑んでいる。
そして、静かにまた、闇の中へ、水の底へと吸い込まれるかのように消えていく。

●中沢家・アトリエ

イーゼル上のカンバスに油絵の具が、長い筆で運ばれている。
そのカンバスに描かれているのは、先ほどの写真の女性の絵である。
描いている中沢の至福感すらあるような顔。
開け放れた窓の外にある庭には、眩しい午後の陽光が木々を青々と輝かせている。

●走る電車のなか

まばらな乗客・・。
車両のなかほどのシートに、崎山と娘の有香が座っている。

「あ、パパ、見えてきたわ、海」
有香の指差す車窓の向こうには、きらきらと光を反射した青い水平線がある。

「うん、見えてきたね、そろそろ着くよ」
「まだ、泳いでいる人、いるのかな」
「どうだろう、今日あたりは天気もいいし、いるかもしれないね」
「じゃあ、やっぱり泳ぐ服、持ってくればよかったのよ」
「そいつは、だめだよ。今頃はもう波が高いんだ、有香なんか、ひと呑みだよ」
「そうかなぁ」
と、ふくれてみせながらも、聞き分けがよい。
「それに、クラゲもぷかぷか浮いてるしね」
「うぇ、あたし、クラゲきらい」


崎山と有香、海の方を遠く見る。

●海辺・砂浜

ぽつりと、数える程の人がいるだけの、夏の終わったさみしさのある砂浜。
波打ち際で、素足の有香が波にあわせて行きつ戻りつし、はしゃいでいる。
少し離れた砂の上に座り、それを眩しそうに見ている崎山。


「あまり、波の方へ行っちゃ、だめだよ」
「パパも来てよぉ」
手を振りながら誘う。

微笑みながら頷く崎山。
立ち上がろうとした崎山の視線の右手のほうから白い日傘をさした和服姿の婦人が、
砂の上を歩きずらそうに歩いてくるのが見える。
婦人の顔は眩しい日傘の陰に隠れ、見えない。
何故か、執拗に目を懲らし見つめる崎山。
近付く婦人の傘に隠れていた顔がふと見えたように思われる。
その顔は中沢が描いていた写真の女性である。・・が、それは幻覚である。
白い日傘が近付いてくるだけである。
崎山の近くまで来たその日傘の婦人は、顔を上げ崎山の視線の強さに驚いたように立ち止まる。
やや、不審な表情で通り過ぎるのをためらう。
・・はっと、気づいたかのように、申し訳無さそうに頭を下げ婦人に会釈する崎山。
波打ち際の有香に目を移す。
婦人も有香を見て、安心したように崎山に微笑んで会釈し、また歩き出し、立ち去る。
「なんだ、どうしたんだ、俺は」

立ち上がり、さかんに呼ぶ有香のほうに歩いていく。

●中沢家・アトリエ

カンバス上の油絵が形を整えつつある。
絵に描かれた女性は、白いパラソルをさして遠い目をしている。
窓際で煙草を吸っている中沢、片手にその女性の写真を持ち、永く眺めたままである。

●フルーツパーラーのなか

チョコパフェを食べている有香に、

「有香、ほら、口の回りずいぶんついてるよ(自分の口に指で円を描いてみせる)」
「いいの、まじめに食べてるんだから、拭くのはあと」
「じゃあ、どうぞごゆっくりだ、パパは、ちょっと電話してくるから」
「どうぞ、ごゆっくり(口真似する)」


笑って立ち上がると電話のある方に行く崎山。

●中沢のアトリエ

再び絵に向かっている中沢。
ドアがノックされる。


「(ドアの外から)先生、お仕事中ですか」
「ああ、藤井君、電話、僕かい、ベル聞こえたけど・・、今行くよ」


「はい」、と応え、立ち去る足音。

●フルーツパーラーのなか

電話の前の崎山、


「ああ、崎山です。どうも、暫く。うん、いや、実は今近くに来ていてね、そっちがよければ、
ちよっと寄らしてもらおうかと思ってね、急で申し訳ないと思ったんだが、忙しいだろう・・」


●中沢家・廊下

受話器を手にした中沢、
「何言ってる。忙しいもんか、ずいぶんごぶさたじゃないか、ぜひ、寄ってくれ、
そう、場所はおぼえてるな、・・そうか、じやあ、待ってる」


●中沢のアトリエ

戻ってくると、イーゼル上のカンバスを暫く見つめ、迷うような表情。
・・やがて収納用の家具の扉を開け、カンバスを奥にしまい込む中沢。

●木立のなかの道を行くタクシー

●タクシーのなか


崎山と有香・・


「パパ、今度はどこ行くの」
「パパの友だちのとこさ、・・・・そう、ママの友だちでもあったんだよ」
「ふーん、有香は知らない人?」
「そうだね、小さかったからね、今よりも、もっと・・覚えてないだろうね」


●木立のなかを行くタクシー

●中沢家・応接間


ソファに対座している中沢と崎山。
窓の外の庭では、有香と、その相手をしている藤井が見える。


「すまないな、彼にあんなことまでさせちゃって」
「なに、いいんだよ、彼、無邪気なたちでね、助手としちゃ、ちょっと頼り無いんだが明るいのがいい、
・・ぼくにとっちや、貴重な助っ人だよ」


崎山、テーブルから紅茶のカップをとり飲む。

「あ、アルコールにするかい」
「いや、いいんだ、娘連れだし、長居もできないんだ、それにやっとこの頃、控えてるところだしな」
「そうか、そりゃよかった。そういゃぁ、ずいぶん暴れられたからな、あのころは・・」
「いや、まったくだ、めんどうかけたな」
「懐かしいさ、今となっちゃぁな・・海、どうだった、有香ちゃん喜んだろ」
「ああ、夏の間、田舎のおふくろに預けっぱなしだったからな、少しは罪滅ぼしのつもりなんだが・・」
「そうか、少しは仕事の方もゆっくりできるようになったんだな」
「まあ、ずいぶん減らしちゃったよ、もう、あくせくするのも飽きてな・・」


窓の外の庭で、藤井に肩車されて、はしゃいでいる有香を見て

「いくつになったのかな、有香ちゃん」
「ああ、そうだな、そう・・七つか」
「そうか・・、子供の歳は解らんな、俺には・・。結婚してすぐの子だっけな」
「(話題を変えるように、改まった表情で)ところで、君のところへ寄ったのは、これを渡しておきたくて・・」

崎山、ポケットから封筒と写真を取り出す。
テーブルに置かれたその写真に写っているのはパリでの中沢である。
中沢、自分の出した手紙と写真と気づき手にとる。

「香奈子も死んで1年だ。君と話しておきたいこともあったんだが・・」
「これは彼女が・・?・・」
「いやね大事に仕舞ってあったよ。・・・中沢・・君がパリに行っちまって寂しそうだった香奈子を、
この時とばかり追い掛け回して結婚しちまったのは俺だ。
・・・しかし、やはり君を待っていさせるべきだった・・すまん・・」
「なに言ってる。そんなこと今更、恨んじゃいないよ。それに結婚したのは、君を好きになったからじゃないか、
・・幸せそうだったじゃないか」
「そう思いたかったさ、俺も。しかし、大事に仕舞い込んでいたその手紙がなによりの証さ」
「馬鹿言え、彼女だって、そう待っちゃいられんさ、いいんだよ、それで」
「そう思うか・・それでいいのか・・いや、香奈子も待つべきだった・・俺もどうかしてた、
君たちの仲を羨んでいたことは事実だ・・俺は意識的に壊したんだ・・」
「どうしたんだ、崎山・・おかしいぞ」
「・・・中沢、お前、何故結婚しないんだ」
「ああ、その気にならないだけさ、それにこの生活も快適だしな」
「嘘だ! 香奈子を忘れていないからだ、結婚できるわけがない・・忘れられんからだ」
「おい、崎山、いいかげんにしろよ」
「(苦し気に)俺も死んだあいつが忘れられんのだ。俺は仕事の他には取り柄のない男と思っていたが、
もう、・・それも色褪せてしまった・・香奈子を忘れられんのは、君も同じはずだ」
その言葉が胸に刺さるかのように、息を飲む中沢。

二人に沈黙が来る。
庭では藤井と有香が楽しそうである。

●中沢家・玄関-夜-

玄関の前にタクシーが止まる。
車に乗り込もうとしている崎山、中沢に向き直り、

「今日は済まなかった、迷惑かけた。・・また、来てもいいかな」
「もちろんだ、いつでも来てくれ」

表情を緩めてうなづく崎山。
「(玄関のほうへ)有香、早くおいで」

有香、藤井から貰ったおみやげの袋を抱えて小走りに駆けてくる。
玄関に戻りかけた中沢とぶつかりそうになる。その有香に思い付いたように、

「有香ちゃん、今、何年生だい」
「二年生よ、八つ」
「(やはりという表情)また、おいで」


車に乗った有香が窓から手を振る。そのむこうで軽く会釈する崎山。
走り去る車。見送る中沢と藤井。

●中沢のアトリエ-夜-

収納家具からカンバスを取り出し再びイーゼルにのせて、窓際に凭れ、眺める中沢。
その絵がクローズアップされ、中沢の声だけが重なる。

「俺だって、やはり忘れられんさ。しかしな崎山、お前が香奈子を奪わなかったとしても、
香奈子は一人でいられなかっただろう。
香奈子が壱年だって待てない女だってことは俺がよく知っている。・・香奈子は不思議な女だ。
待てないのは男が常に惹き付けられてしまうからでもあるんだ。
・・俺は賭けただけなんだ、負けることを判っていながら。
・・崎山、お前もそうなんだ、・・俺たちはどこか、滑稽だ。
知っていても知らない振りをして香奈子のために巧くやっていこうとした、
死んでも、まだそうなんだ、同じことをやってる。
・・お前が有香ちゃんを自分の娘にできたようにさ・・」

●香奈子の絵が暗い水の底へと吸い込まれていく。

 --完-- (^_^;)

1999.6.3
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