SHORT STORY ROOM
ショートストーリーの部屋 第五回 「姑・卒業旅行

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姑・卒業旅行
・・・女優 加藤治子さんに贈る・・・

 

●田川家の治子の部屋

リュックにスケッチブックや絵具を詰め込んでいる治子。
ふと、その手を止めて左胸に手を当ててみる。
その胸の鼓動を確かめるようにうなずくと、笑みを浮かべ再び画材をリュックに詰める。
仏壇には亡き夫の写真が線香の煙の向こうに、にこやかな顔で治子を見ている。

●庭

広くはないが、よく手入れをされた庭には明るい春の陽射しがまんべんなく射している。

●居間

庭に射している光りを眩しそうな目でみていた治子、テーブル越しに座っている佐知子に向き直り、
「ありがとう、ごめんなさい。とても気持ち、うれしいの」
「そんな、お母様、他人行儀な」
(決意を含んだようにやや、真剣なまなざしで)佐知子さん・・」
(その視線に少し戸惑い)はい?・・」
(再び笑みを浮かべて)あのね、変な意味じゃなくてね、私たち他人なのよ。
あなたが一生懸命この家の人になってくれようとするの、ありがたいと思ってるのよ・・」
佐知子は無言で治子の言葉の意味を探ろうと、じっと見つめる。
「おとうさんが死んじゃう前までは、わたし、お姑さんらしくしてようと思ってたわ、
死んで行く人の前ではそうやって安心してもらった方がいいんだろうなって思って」

●治子の部屋の仏壇の夫、修三の写真

●居間

治子、お茶をひとくち口に運び、佐知子に向き直ると、
「でもね、正直言って迷ったわ、このままあなたに甘えちゃおうかなって、思ったりして」
「甘えるなんて、そんな・・」
「そうじゃないの、あなたにっていうより、自分にね、
このまま自分を甘えさせてお姑さんとして怪物みたいになって、あなたをだんだん苛め出して・・」
「苛めるなんて、お母様がまさか」
「ううん、そうなるわ、このまま居れば。おとうさん死んじゃって、今度は良介を子供の頃みたいに、
また可愛がり出したりして、いくら気持ちしっかり持ってるつもりでも、一緒に暮らしてれば、
わたしも歳を重ねるごとに意地悪くなって、佐知子さんから良介取り戻そうなんて、
変なこと思いかねないわ、そんなのいやじゃない」
「お母様だったら大丈夫ですわ、わたしお母様尊敬してますし、それに自分の息子を可愛いと思うのは自然ですし・・」
「佐知子さんは、あんまり物わかり良すぎるの、
人って、しっかりしてるつもりでもお互い甘え出せばきりがなくなるものよ」
「でも・・。どうしてもお出かけになるんですか」
「ええ、決めたの。今がいちばんだと思うの」
「でもからだのほう、大丈夫ですか」
「だいじょうぶよ、じっと寝てたって良くはならないわ、残りの人生、大事に使いたいの、心配しないで」
佐知子、やや、重い口調で、
「あの・・、私のせいじゃないんですね」
「だから、そうじゃないの、私自身のためなの。誤解しないで、わかってちょうだい」
うつむきうなずく佐知子。

●佐知子と良介の寝室(夜)

寝間着に着替ながら良介、佐知子に、
「お袋の好きにさせよう。すぐに戻ってくるさ、九州ならおばさんもいるし、気候だってお袋のからだにはいいだろうし」
「だって、しばらくは一人でスケッチして旅行だって妙に張り切ってらっしゃるのよ。あなた心配じゃないの、
お母さん子だったくせに、そんなに簡単に離れられる」
「なに言ってる、よせよ、俺だって会社に行けば部下もいる身だぜ、みっともないこと言うなよ。
おやじももう居ないんだ、お袋も自由が欲しいんだろ」
「なんだか、私、自分のせいじゃないかって思うと気が重いわ」
「ばか言え、きみのせいじゃないさ、お袋、昔から言ってたよ、俺が嫁さんもらっておやじ居なくなったら、
また絵を描く旅するんだって、冗談だと思ってたけど、その気になったんだ、たいしたもんさ」
・・・・・・・

●九州・天草・フェリー

晴天の下、海を渡るフェリー。

●フェリー船上

観光客に混じって治子がいる。
海の向こうの島々を目を細めて見る治子。

●田川家・居間(夜)

夕食中の佐知子と良介。
(つけものを口に運びながら)あれ、これ、なんかいつもと味ちがうな」
「そおお、同じはずよ、教わった通りだものお母様に」
「いや、ちがうよ、お袋の作ったやつとはぜんぜんちがうぜ」
(むっとした顔で箸を置き)いいかげんにしてください。いちいちお母様と比較しないで、
お母様が出かけてから、あなた、なにかと言うと私をお母様と較べてばかりよ」

●九州・雲仙

硫黄の匂いと湯煙が立ちこめる中をリュックを担いだ治子が歩いてくる。

●九州・雲仙・旅館の部屋(夜)

浴衣姿の治子、リュックのなかからスケッチブックを取り出して開く。
鉛筆と水彩でうすく引かれた線の風景が未完のままである。そして次のページを開くが何も描かれていない。
治子のひとりごと「やっぱりだめね、にわか元気じゃ。かっこいいこと言って出てきちゃったけど、
若い時とは違うわ、情熱、消えちゃったのかな、お姑さんやってる間に・・」
その考えを否定するように治子、いやいやっと首を振ると元気をふり起こすように深呼吸して立ち上がる。
立ち上がったとたんに左胸を手で押さえてうずくまる治子。
ゆっくりと横になり苦痛の表情で痛みをこらえるように目を閉じる。
額に汗がにじんでくる。
・・・・・

●九州・長崎・山本家(夜)

治子と妹の明子が茶の間で話している。
「だめじゃない、こんな程度のことでいちいち知らせてたら、きりないわ、かっこつかないわよ」
「なに言ってんの、あたしにはすぐに来てくれって電話してびっくりさせといて。あんな近くまで来ておいて、
すぐに寄らないで一人でうろうろ旅してるからよ。年寄りの冷や水っていうの、バチあたったんだわ」
「だって、心ぼそくなっちゃったんだもん、あんたのほうが近かったから電話したのよ、もう気が済んだから、
また一人で旅続けよかな・・」
にこにことした笑みを明子に向ける治子。
「あきれた、わがままね、相変わらず。佐知子さんも大変だったでしょうね、頑固な兄さんと姉さんの相手してたんじゃ」
「なによ、なんにも知らないで、わたしだって思いきって旅、出て来たんだから。
あんたみたいに意地悪なお姑さんやって息子夫婦、別れさせちゃうのいやだから」
「失礼ね、勝手に別れたのよ、知ってるくせに。あたし最初から一緒に住むのいやだって言ってたのよ」
「どうだか・・、そいで健ちゃん今どうしてんの、次の見つかりそう?」
「知るもんですか、あたしだってもうお姑さんやるのまっぴらよ、一人が気楽でいいわ」
(窓の外に目を向け)田舎いいわね、ほっとするわ」
立ち上がって縁側に行き、広い庭を見る治子。
明子、お茶菓子をほうばり、治子の背中に、声を高くして、

「なによ、人の話ちゃんと聞いてない、心配して損した」
治子、窓の外の庭を見つめたままぽつりとした声で、
「聞いてるわ・・・」

●九州・長崎・海岸

治子と佐知子が浜辺から夕刻の赤い色に染まっていく海を見ている。

「ごめんなさい、妹、このくらいのことで電話しちゃって、びっくりしたでしょう。大丈夫この通り、ぴんぴんしてるわ」
「たいしたことなくて良かったですわ、良介さん青くなって、
やっぱり行かせるべきじゃなかったって泣きそうでしたの、連れて帰ろって言うんですよ」
「あの子、ひとりっこでちょっと甘やかしちゃったのね、
生まれてから長くは離れたことなかったから、あなたも苦労するわね」
「やっぱり帰っていただけませんか、離れてると良介さんなんだか落ち着かないみたいで、
このところそれに、よく急に怒りだすんです」
「そう・・、でもね、だからなの、あの子のためにもわたしがいつまでも近くに居るの良く無いの、
今帰ったら、あなたたちふたりが夫婦の絆つくるのさえ邪魔することになると思うの、
あの子を子供の時のまんまに甘えさせといたら、いつか三人ともおかしくなるわ。
だから今は、・・せっかく離れたんだもの」
佐知子、思いきって切り出すように、
「あの・・、もし子供がいたら良かったんじゃ・・」
「やめましょう、そんなことは解らないわ。でも、あなたはまだ若いんだし、
機会はこれからいくらもあるわ、それより今は三人に一番よい未来の事を考えましょう」
「いつか、戻ってくださいますね」
「そうね、その時がきたら・・。それまで、この田舎で妹と暮らしてみるわ。
東京だと歳とって外のスピードについていけなくなって、家の中こもって、口うるさいお婆さんになるかもしれないけど、
この田舎だとまわりに目を回すこともなさそうだし、絵に対しての情熱、取り戻すのにたっぷり時間使えるわ。
だから、心配しないで、会おうと思えばいつだって会えるんだし」
「はい、私も頑張ってみます。良介さんもきっと解ってくれると思いますわ」
治子、佐知子の手を両手で取り、うれしそうに、
「ね、これからはともだちみたいに文通し合いましょう、あ、そうそうパソコン買って電子メール覚えるわ、
良介を一人前の男に育て上げる作戦書いて話し合いましょ」
「そうですね、なんだか楽しみになってきました、良介さん聞いたら怒るでしょうけど」
「だめよ、甘やかしちゃ。あなたがわたしの変わりにお母さんやっちゃ駄目なんだから」
「はい、こころえました」
声を出して楽しそうに笑い合うふたり。

ふたりの目の前の海に夕焼けが深く色を染めて行く。

(おしまい)

※このシナリオは女優、加藤治子さんをイメージして、彼女の語り方を念頭に創りました。
当然、加藤治子さんの演技の深さと幅に敬意を表してですが、その会話を楽しんで頂ければ幸いです。



(第五回おわり)


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