潮沢信号場駅跡地

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最近の様子

篠ノ井線
潮沢信号場跡地

2011年5月4日撮影
潮沢信号場跡地(遊歩道)の案内看板です。

2011年5月4日潮沢信号場跡地へ行って来ました。現地は一時期荒れ放題となった事もあったようですが、立派に遊歩道として整備されていました。
ここでは「潮沢信号場」のページとも写真が重なったりしますが、当時の様子を織り交ぜながら紹介したいと思います。
なお安曇野市観光協会でも紹介されており、観光案内図(PDF)などがダウンロード出来ます。
安曇野市観光協会のページです。http://www.azumino-e-tabi.net/co0+index.id+2.htm

 2011年5月4日 30年ぶりに訪ねてみました。
旧白坂第二トンネルの写真です。 2011年5月4日、潮沢信号場跡地に行って来ました。約30年振りの訪問でした。一部埋め立てられている箇所があったり、随分と変っている所も有りましたが、当時の遺構が結構残っていました。
写真は旧白坂第二トンネルです。現在はキノコ栽培に使われているようです。
白坂第二トンネルを出てきたEF-64牽引のお座敷列車。 写真は旧白坂第二トンネルを出てきたお座敷列車。1981年8月6日撮影です。
現在この場所は埋め立てられ、観光用の駐車場になっています。(冒頭の案内板の近くです。)
信号場へと続く廃線跡 駐車場を出て信号場跡地へ向かって坂を下って行きます。線路はありませんがバラストはそのままです。
潮沢信号場の場内中継信号機のあたりを走るお座敷列車。 ほぼ同じ場所で、先程のお座敷列車の写真です。
朽ち果てたハシゴ 朽ち果てたハシゴ。年月を感じさせます。
篠ノ井方引上げ線の終端あたりです。 篠ノ井方引上げ線の終端あたり。架線の張力を調整するおもりが残っていました。
篠ノ井方引上げ線の中継信号機の柱です。 場所から言って篠ノ井方引上げ線の中継信号機の柱ですね。
画面左が篠ノ井方からの本線、右下が引上げ線の路盤です。 信号場跡地へ向かう途中にて。左が篠ノ井からの本線、右下が篠ノ井方引上げ線です。引上げ線は大部分埋め立てられていました。
信号場のシーサスクロス(ポイント)の直前にあった引上げ線進入の際の制限標識。 信号場手前の制限標識。これは松本方の引上げ線に入線する時の制限速度です。
篠ノ井方引上げ線の出発信号機の柱です。 篠ノ井方引上げ線の出発信号機の跡です。
信号場の電力をまかなう変圧器があった場所です。 信号場本屋真向かいにあった変圧器支柱、この台の上に変圧器が乗っかっていました。
信号場本屋の跡地です。 信号場本屋跡地。立て看板などは無いため、見過ごされてしまうかも。
信号場を発車しようとしている2825列車です。松本方の引上げ線に入った後、長野に向けて発車します。 信号場本屋が写った写真です。
信号場松本方にあった擁壁、路盤が大分埋め立てられています。 信号場松本方の引上げ線の擁壁。路盤は大分埋め立てられていました。
昔の様子はI love Switch Backに紹介されています。(非電化時代の写真が見られます)
松本方寄りの本線です。 松本へ向かう本線跡です。左側が松本方の引上げ線の跡です。
上の写真と同じ場所の現役時代です。 上とほぼ同じ場所での写真です。
潮沢信号場を通過する836列車です。 最後は潮沢信号場を通過する836列車です。
この列車は、上越新幹線開業に伴う165系の大量余剰で電車化されました。その後荷物列車として残ったのですが、郵便車廃止で4両編成に。その後荷物輸送廃止で消滅しました。
 特記以外の昔の写真は1980年10月10日撮影 OM−2N KR64

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