潮沢信号場

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篠ノ井線
潮沢信号場

1980年10月10日撮影
潮沢信号場の本線から発車する上り804M(きそ4号)

潮沢信号場の線路配線図です。典型的なシーサスクロスでした。 潮沢信号場は塩尻駅起点33.6Km(1980年10月1日における)に位置し、スイッチバック式の信号場で、下り本線(有効長350m)と上り本線(有効長350m)がありました。
線路配置は典型的なシーサスクロス使用のシンプルなものでした。見通しが悪く私も数回しか訪問していないため、図は概念としてお考え下さい。なお2825列車と836列車では「坂を登る」2825列車が待避です。(ダイヤ上も)
昭和55年10月改正の列車ダイヤでは、この信号場で交換もしくは通過のための待避をおこなう回数は19回(設定臨を含む)設定されていました。この内下り列車が待避するもの「12回(臨時2本含む)」上り列車が待避するもの「7回(臨時1本)」となっており、必ずしも「坂を登る列車(下り列車)」が優先されていたわけでは無いようです。441Mもここで待避、交換を行うダイヤでした。当時のダイヤで可哀想なのは2081D(下り赤倉)です。この信号場で対向する1008M(しなの8号)をやりすごし、次の西条駅では後続の4049M(しなの9号)に抜かれ、さらに対向する2802D(上り赤倉)を待っての発車です。潮沢信号場での停車時間は3分、西条駅での停車時間は10分。下り「しなの」なら松本〜篠ノ井間42分(ノンストップのスジで)の所、78分かかっています。ちなみに2802D(上り赤倉)は同区間を62分かけて走破していました。当時の「赤倉」は普通車は非冷房でしたので、夏場は乗客も大変だったと思います。(当時441Mなど三鷹区の115系は冷房車(300番代の8両編成)でしたし、165系は全車冷房化が終わっていました。)
*ちなみに441Mは松本〜篠ノ井間、各駅停車で所要80分でした。

歴史
1961年(昭和36年)9月27日 輸送力増強のため開設されました。(桑ノ原信号場も同日開業)
1972年(昭和47年)2月1日  篠ノ井線全線にてCTC化。
1973年(昭和48年)3月28日 松本−篠ノ井間電化。同年7月10日381系しなの運転開始。
1988年(昭和63年)9月10日 (新)白坂トンネル開通によるルート変更により廃止。

現在廃線跡は遊歩道として一部整備されているようです。
*Wikipediaの記述を参考にしました。

最近の潮沢信号場跡地の様子を紹介するページを作成しました。写真をクリックすると、ジャンプします。 潮沢信号場跡地を紹介したページへジャンプします。

 2825列車と836列車の交換風景 1980年(昭和55年)10月10日撮影
松本方からEF6442に牽かれた2825列車がやってきました。 松本方から2825列車がやってきました。牽引機はEF6442です。
編成中のパレット貨車はワキ8963でした。 本線へ入っていく列車です。先頭から(篠ノ井方)6輛目はワキ8963との表記があります。番台からするとワキ10000からの改造車のようですが、今となっては詳細はわかりません。
編成最後はオユ10−2566でした。 編成最後はオユ10-2566でした。
836列車が通過していきます。先頭はEF6410です。 836列車が篠ノ井方からやってきました。先頭はEF6410です。
なぜか電暖表示灯が点灯しています。本当は消灯しているハズ。 836列車が通過していきます。
なぜか電気暖房表示灯が点灯したままでした。
2825列車がバックして引き上げ線へと動き始めました。 2825列車がバックをはじめました。
バックしている所です。 引き上げ線に入線する2825列車です。
もうすぐ止まります。 もうすぐ停車します。
出発信号機が青に変りました。 出発信号機が青に変りました。
発車しました。 篠ノ井方に向かって走り出しました。写真ではお伝え出来ませんが、発車する際連結器の遊間が開く時の音が、山々にこだましてものすごい音でした。
(貨物列車が発車する時と同じ音です)
ゆっくりと引き上げ線を出ていきます。 信号場を出ると、そこは連続25パーミルの上り勾配です。
最後部のオユ10が見えてきました。 最後部のオユ10が見えてきました。
列車が走り去っていきます。 EF64独特のブロアー音とともに列車が去っていきました。
余談ですがこのブロアー音のおかげで、遠くから列車が来るのが判りました。

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