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アキ・カウリスマキ


Aki Kaurismki
No.3

-- ヘルシンキから「滅び行くもの」への連帯感 --
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by kitayajin

「撮影では必ず自分でフレーミングを決める。
ライティングなどは撮影監督のティモ・サルミネンに任せているけれど、
ぼくは映画の光よりも影にこだわりがあって、
ティモがライティングで影の落ち方を変えたりしたら、
黙って自分で直してしまうんだ(笑)」



制作: Aki Kaurismki / Villealfa Filmproductions. Klas Olofsson, Katinka Farag / Svenska filminstitutet
所要時間: 82 mins
監督: Aki Kaurismki
助監督: Pauli Pentti
脚本: Aki Kaurismki, Sakke Jrvenp, Mato Valtonen
撮影: Timo Salminen, Eastmancolor
録音: Jouko Lumme, Jyrki Hytti
編集: Raija Talvio
舞台装置: 音楽: Mauri Sumn Leningrad Cowboys
演奏曲 Cossack Song Skkijrven polkka Rock'N'Roll Is Here To Stay Tequila That's All Right Mama Ballad Of Leningrad Cowboys Kuka mit hh Born To Be Wild Chasing The Light Desconsolado

キャスト: Matti Pellonp (Vladimir, マネージャー) Kari Vnnen (Igor, 知恵遅れの若者) Sakke Jrvenp, Heikki Keskinen, Pimme Korhonen, Sakari Kuosmanen, Puka Oinonen, Silu Seppl, Mauri Sumn, Mato Valtonen, Pekka Virtanen (Leningrad Cowboys) Nicky Tesco (アメリカのいとこ) Jim Jarmusch (中古車ディーラー) Olli Tuominen (シベリアのスヴァンゲリ) Kari Laine (シベリアの運転手) Jatimatic Ohlstrm (カウボーイたちの父) Laika (シベリアの犬) Richard Boes (ロック・プロモーター) George M. Kunkle (バンジョー弾き) William W. Robertson (理容師) Mr. & Ms. Morris (バーテンダー) Jack (メンフィスの犬) Marty Olavarrieta (警官) Edward Howard Jr. (バーのオーナー) Albert Gonzales (刑務所の守衛) Duke Robillard (ナイトクラブのオーナー)
■1989  Leningrad Cowboys Go America
 「レニングラード・カーボーイズ ゴー アメリカ」


  かなりエキセントリックでフィンランド的オフビートなコメディーです。これだけ沢山の「ばかばかしさ」が投入されたら、見るほうは、まんまとアキの罠にかけられて微笑んでしまいます。
  ストーリーは世界一へたくそなロックバンドがハンバーガー国の裏通りを南へ、南へと旅してゆくなかで、バイク野郎たち、農夫たち、黒人たち、メキシコ人たちを相手に場末の酒場やレストランで演奏し、修行を重ね、成長して、自らのスタイルを確立してゆく教育的ロードムービーです。
  霊力を持つミュージシャンのスヴェンガリに「コマーシャルなポテンシャルは全くゼロ」と太鼓判を押されたのですから、普通のバンドなら諦めるところですが、彼の言った一言「アメリカに行くんだな。They will swallow any kind of shit」を信じてアメリカにのこのこ出かけていきます。 このあたりも教育映画としての価値が高いのでは? ニューヨークに着いた一行はさっそくオーデションを受け『サッキヤルベン・ポルカ』を披露しますが、プロモーターにあきれら れるだけです。何といってもNYの土地ではロックンロールとかいうものができなくては話にならないのです。

  ロックンロー ルを勉強しながら、アメリカの裏街道を南下してゆくレニングラード・カーボーイたち。彼らの「Down Mexico Way」の 旅は犯罪者の逃亡の旅ではありませんが、憂愁と零落感が漂うのは避けられません。独裁的で狼の毛皮を着るマネージャー、ウラジミル(マッティ・ペッロンパー。このレーニンの指導力とトロツキーの運命とスターリンの独裁性とツァーの冷 淡さを合わせて4で割ったような人物ウラジミルに搾取される、羊の毛皮を着たおとなしき若者達の群れ、レニグラ・カーボーイ。どこの酒場でも演奏後に「もう2度と来ないでくれ」と言われます。おまけに警官に意地悪されたり、ロシア的 (?)革命が成立したり、ロシア的(?)民主主義が戻ったり...でも人生の裏街道は生きた音楽の表街道です。
  ロ ックンロールのメンフィス、ジャズのニューオルリンズ、カントリーのテキサスと彼らの音楽経験は膨らむばかりです。最後に メキシコでウォッカにも比する美酒テキーラを知ったウラジミルはこの国に残るべくレニグラを離れてゆきます(このものすごい皮肉の意味をバドワイザーの愛飲家の皆さんお分かりでしょうか?)。
  そして、ここから始まるサクセスストーリーが この映画のエンディング・タイトルなのです。そして、この映画には訳のわからないものやパロディーが一杯詰まっていて、じっくりディテールを楽しむことに事欠きません。
  中古カーディーラーにジム・ジャームッシュ監督もcameo出演していま す。

 ●Tendernessのコメント
 「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」は、登場人物たちを乗せた飛行機が地上に降りて街並が見えてもぼくは疑っていた・・。
  カウリスマキがアメリカロケ??! て感じでしたが、それはもう呆気にとられるスラップスティックな設定、不条理なギャグに満ちているのですが、お笑いロック音楽と、こんな独特なロードムービー・コメディの登場に、公開当時はきっと驚いたんでしょうね。ぼくは初めて知りました。しかも、実在するバンドと知って、二度驚いた。
制作: Aki Kaurismki / Villealfa Filmproductions. Klas Olofsson, Katinka Farag / Svenska filminstitutet in association with Esselte Video Ab and Finnkino Oy
所要時間: 70 mins
監督: Aki Kaurismki
脚本: Aki Kaurismki
撮影: Timo Salminen
録音: Jouko Lumme
編集: Aki Kaurismki
舞台装置: Risto Karhula
音楽: Satumaa (Reijo Taipaleと楽団) Kolme kitaraa (The Strangers) Call Your Lawyer (Mauri Sumn) Wittgenstein (Mauri Sumn) Se jokin sinulla on (Badding Rockers) Herbstlaub (Nardis) Donoussa (Klaus Treuheit) Cadillac (The Renegades) I'm Gonna Get High (Melrose) Symphonie pathetique (Piotr Tchaikovsky) Kuinka saatoitkaan (Olavi Virta)

キャスト: Kati Outinen (Iiris) Elina Salo (母) Esko Nikkari (義理の父) Vesa Vierikko (Aarne) Reijo Taipale (歌手) Silu Seppl (兄) Outi Menp (職場の同僚) Marja Packalen (医師) Richard Reitinger (バーの客) Helga Viljanen (工場の事務員) Kurt Siilas (刑事) Ismo Keinnen (刑事) Klaus Heydemann (労働者)
■1990 Tulitikkutehtaan tytt (The Match Factory Girl )
 「マッチ工場の少女」 (La fiammiferaia)


 この『マッチ工場の少女』は「労働者三部作」の最後の作品です。
  とにかく出だしから暗いのです。まずでてくるテキストが: 「彼らはきっと、あの遠い森の中で、凍えて、飢えて、死んでしまったにちがいない....」 セルジュ・ゴロン 『はだしの女公爵―アンジェリク』 1959年からスタートした世界的なベストセラー『アンジェリク・シリーズ』はルイ14世時代のフランス、欧州、カナダな どを舞台にした、恋愛冒険小説だそうです(Kitayajinはどれも未読です。当時はちょっぴりポルノ感覚で読まれたと か)。
  小説だけではなく、映画にもなり、世界中の女性がはまってしまったそうです。 フィンランドのマッチ工場の娘イーリスもはまってしまいました。
 ある時は「天使」のように、ある時は「悪女」のように、そ して、誰もがあこがれる「完全な女」にイーリスもなれるのでしょうか?

  誕生日に母親からプレゼントでもらうのは決まってこの『アンジェリク・シリーズ』の古本一冊だけ。でも彼女はこの小説 を工場の休み時間にも読んでいます。夢見る少女なのです。夜一人で床に就くとき、イーリスの心は、アンジェリックになって異国に飛びます。けなげに仕事で家計を支え、家事もこなし、文句も言わない「天使」のような少女なのです。 そして、いつも窓から外を眺めている冷たい母親。きっと彼女も何か夢をみているのでしょうね? でも彼女がこの夢に訣別する時がきます。彼女を取り巻く冷たく無関心な人々、職場の同僚、義理の父親、実母。 そして決定的なのは、ただ一度だけ好意を持った男から捨てられ、むごい仕打ちを受けた時です。 両親の家を出る時、引越しを手伝いにきた兄が聞きます。「これで、全部かい?」 イーリスは「ええ」と答えますが、その横の本棚には母から、もらった沢山の『アンジェリク・シリーズ』の本がそのままに残されています。でも、イーリスの夢はかなえられるのです。アンジェリクの予言の言葉のように。ただ一部だけが...「悪女」のようになるところだけが...彼女は恐ろしい行為を終えたあとで、自分のやったことの意味を悟ります。
  「完全な女」にも「母」にもなれなかった自分のことを、そして同じように寒さに凍えて死んでゆくにしても、もうアンデルセンのおとぎ話にあるマッチ売りの少女のような「天使」ではなくなってしまった自分のことを。夜の植物園で 「無垢」のシンボルである「白い花」を見るに耐えなかったイーリス。二輪の花は彼女と生まれてくるはずであった娘でなければならなかったからです。

  この映画で、アキの映画つくりのうまさが出ている場面をあげてみました: テレビのニュースで天安門事件をやっている、戦車の前に一人立ちはだかる学生。でも誰も全く関心がない。イーリスはお化粧に専心。心はすでにダンス場にあるがごとく、レイヨ・タイパレの唄うタンゴの名曲『Satumaa』がかぶさるように流れると、場面はもうダンス場です。
 ♪ はてしなき海の向こうのどこかにあるという国 その幸せの岸辺に波が打ち寄せ... ♪
 だれもイーリスをダンスに誘ってくれません。ひとりベンチに残されるイーリス。その無表情に動かないイーリスの後ろの壁に、ダンスに興じる人々の影だけが揺れています。 ♪美しき花が咲き誇るとか 明日の憂いも忘れるというその地よ... ♪

 エリートビジネスマンのアールネとのはじめてのデートで傷ついて帰ってきたイーリスを迎えた母親。彼女がイーリスの手を取ってしたことは、娘を慰めることではなく、そーっと娘の薬指に婚約指輪がないかを確かめることでした。 アールネの愛を諦めたイーリス。そして身ごもったことを告げられるイーリス。それでも彼女はまだ子供を通して未来を築く夢を見ます。妊娠を告げ、できたら女の子が欲しいと書くイーリスの手紙への返事はアールネからの冷たい手紙です。そこには1万マルカの小切手とたった一行の残酷な言葉。「幼虫を処分しろ」。 むごい単語ですね。この「幼虫」という言葉。エリートならではの言葉です。

  エンディングです。両親をも毒殺したイーリスは凍ったように椅子に座りつづけます。そしてラジオのスイッチを入れた時チャイコフスキーの『悲愴』が流れます。大いそぎでチャンネルを切り替えるイーリス。彼女の気持ちはもう異国をさまようのを止めたのです。そして聞こえてくるフィンランド・タンゴのクラシックは、マッチ工場で刑事二人に連れ去られるイーリスの背中にも流れ続けます。
  ♪ああ、なんということを...わたしにしてくれたの....♪

  それからもっとマイナーなディテールでは: 映画が始まって12分後にはじめての台詞が一言。映画で12分間台詞がないというのはすごいことです。それはイーリスがパブに入っていう一言。「小ジョッキ」 その時出てくるのが大ジョッキです。(フィンランドではジョッキでなくてグラスですが) イーリスに酒場で言い寄って、行きずりに毒殺されてしまう可哀想な男はミカ・カウリスマキの脚本をいくつも担当しているRichard Reitingerです。
  ここでおかしく思う日本の方がいると思います。「見ず知らずの人が持ちこんだビンから注いだ酒を飲むかな?」もっともな疑問です。でもあなたもフィンランドに1ヶ月住んだら、この疑問はもうでないことでしょう。

 ●Tendernessのコメント
 ずいぶん前に日本で公開された時、「唖然とするほど不幸」 とでもいうような映画だと耳にしたことがあったような気がする。 いったいどんな映画なんだろうとは思っていたが、そのころ観る機会もなく、ましてカウリスマキの映画だなどということも念頭にはなかった。 そういうわけで、昨年「浮き雲」の次の次ぐらいに観ることができたこの作品。BSがありがたい。
  確かに「不幸」へまっしぐら・・、なんだけど、主人公の女性像、ちょっとユニークに見えるかもしれないけれど、実は「女性」という性のシンプルな姿、その「露さ」が胸にせまる。彼女の物語へ静かな感動の余韻が残るものだ。

制作: Villealfa Filmproductions/Svenska Filminstitutet 制作担当: Klaus Heydemann 所要時間: 1h. 20 min. 監督: Aki Kaurismki 助監督: Pauli Pentti, Robert Fabbri 脚本: Aki Kaurismki , Peter von Baghのオリジナルアイデアにもとずく。 アートダイレクター: Mark Lavis 撮影: Timo Salminen 録音: Timo Linnasalo 編集: Aki Kaurismki 舞台装置: John Ebden 服装: Simon Murray 音楽: Time on my hands, Body and soul (Billie Holiday) Burning Light (Joe Strummer) Afrocuban Be-bop (Joe Strummer and the Astrophysicians) キャスト: Jean-Pierre Leaud (Henri Boulanger) Margi Clarke (Margaret) Kenneth Colley (殺し屋) Serge Reggiani (Vic, ハンバーガー屋台のおやじ) Nicky Tesco (Pete) Charles Cork (Al) Michael O'Hagan (殺し屋のボス) Trevor Bowen (水道局のマネージャー) Clare Imogen (水道局の秘書) Angela Walsh (大家) Cyril Epstein (タクシー運転手) Joe Strummer (ギタリスト; 本名 Joe Mellos) Roberto Pla (ボンゴ・ドラマー) Tony Rohr (Frank) Peter Graves (宝石商) Tex Axile (バーテンダー) Walter Sparrow (ホテルのドアマン) Ette Elliot (殺し屋の娘) Aki Kaurismki (街頭サングラス売り) ■12.1990  I Hired a Contract Killer
 「コントラクト・キラー」 (Ho affittato un killer)


  この作品はルネ・クレマンの『しのび逢い』(『Monsieur Ripois』)が下敷きになっているのだそうです。  狂言自殺が事故死に繋がる原作を180度ひっくり返したように、自殺志願が新しい人生の始まり、愛の成就になる転倒ブラックコメディーとでもいう作品です。 原作の主人公ジェラルド・フィリップに代わって、この映画では60年代のジャン・リュック・ゴダール監督のお気に入りジャン・ピエール・レオーが主役のダメ男アンリー・ブーランジェーを演じています。

  名前の格式の高さに比べて、恐ろしく殺風景な職場「王立ロンドン水道局」をあっさり首になったアンリーは典型的小役人。無職になった彼は死のうと決心します。しかし、自殺は思いの他難しいもの。絶望か、強靭な決意か、不安定な精神状態を要求されるようです。結局自殺も「他力本願」。 プロの殺し屋に自分を殺してくれるように依頼するあたりから、アンリーの人生はへんてこな方向に転がってゆきます。思いがけず「生きたい」という意欲が戻ってきます。「出会い」です。
  「人生で最高の出会い」が最悪の時期に起こるというのも、カウリスマキ流のブラックユーモア。でもある真実をついていますよ。 失意の時の出会いにある隠れもない純粋さ。花売り娘マーガレットとの出会い、恋...と、このストーリーも進行します。
  ジャック・ベッケル監督の『肉体の冠』(『Casque D'or』)などでフランス映画のファンにはお馴染みのセルジュ・レジアニもハンバーガー屋のおやじでいい感じを出してます。それとキラーを演じるケネス・コーリー、渋くて、ペーソスがあって好演。キラーが最後にアンリーを殺さずに、自分を殺すのはハッピーエンドというべきでしょうか? カウリスマキ監督も街角のサングラス売りの役でcameo出演しています。鋭いファンなら見逃さないはず。 コメディーとしては結構面白い。

 ●Tendernessのコメント
 「コンタクト・キラー」には、トリュフォーの分身だったジャン・ピエール・レオーが思いっきりカウリスマキ映画顔で出ずっぱり。ときにカメラの使い方が確信犯的にヒッチコック・タッチなところが感じられるのは、ヒッチコックや「ピアニストを撃て」のフランソワ・トリュフォーへのオマージュなんだろうか。
 そういうわけで物語以外にも、映画通とかその筋の人は「にやにや」・・とできます。
 レオーもいつのまにか老けちゃったなぁ・・、しかしこの顔、カウリスマキ映画によく馴染んでいるなぁ、な〜んて思いながら観ていると、そのうちに話の進み具合に膝を打って感心しますよ。
制作: Aki Kaurismki/Sputnik Oy, Atte Blom/Megamania
所要時間: 5min.
監督: Aki Kaurismki
脚本: Aki Kaurismki
撮影: Timo Salminen
録音: 編集: Aki Kaurismki
舞台装置: 音楽: Timo Salminen

キャスト: Leninglad Cowboys Kirsi Tykkylinen
■10.1991  Those Were The Days  「悲しき天使」

  中年以上の人なら誰でもメリー・ホプキンズの唄う『悲しき天使』(『Those were the days』、ジーン・ラスキン作曲、ポール・マッカートニー制作)のメロディーを聴いたことがあると思います。 この短編はこのオールデイズをベースにした、レニグラのプロモーション・フィルムです。だけどオールデイズっていつもなぜか「悲しい」。レニグラが好んでレパートリーに加えるこの唄、もとはウクライナ系のユダヤ民謡『Davni Chasy』(ロシア民謡説もあり)なんだそうです。そういえばメランコリーな歌詞のわりに曲が快活で、アコーデオンとかバラライカで奏でるのに向いていますよね。

  イルミネーションに輝くエッフェル塔。それを見上げるトンガリ頭が重なるように映りだすイントロ部。 ロバを連れて一人寂しく、パリの場末を、悲しき街角を行くトンガリ頭(シル・セッパラ)。ある酒場に差し掛かります。きっと昔、若かりし頃、よく通い、楽しい思い出の一杯詰まった場所なのでしょう。
  ♪ Once upon a time there was a tavern Where we used to raise a glass or two  酒場にはエルビスそっくりのバーテンダー(マト・バルトネン)が居るではないですか。 トンガリ頭はロバに こう語りかけたんですよね。 「ほら、昔あの男に似たエルビスというすごい歌手がいて、俺達に素晴らしい唄を聞かせてくれたのさ」
  ♪  If by chance I'd see you in the tavern, We'd smile at one another and we'd say: ... Those were the days my friend... ティモ・サルミネンの映像が抜群に冴えています。レニグラメンバーのヨレ・マルヤランタやツイスト・ツイスト・エルキンハルユたちの演奏も、たむろしているペッロンパーたちのキャラクターも決まっていますね。
  放浪者は寒さに震えるマッチ売りの少女のようにマッチをすりつづけ、藁でロバと自分の食事を作ろうとします。(そう言えば「干草と藁のスパゲッティー」という名前の料理もあったナー)。 エルビス姿のマトも秀逸。そしてKitayajinの好きな場面は、この酒場の名物料理で精選材料ガリアの雄鶏(coq gaulois)を使ったTastes like chickenを運んできた「レニグラのママ」キルシ・テュッキュライネンの挿入歌です。
  ♪ Padam Padam Padam... と流れるように入り込んでくるシャンソン。そして最後にたたみかけるようにロシア民謡を唄い終えるとママは指から結婚指輪を外し、マト・エルビスに返してしまいます。
 そして旅人と手を取り合ってrun away... これで、『悲しき天使』はふるさとのウクライナの大地に戻っていくのです。なんといってもこの曲はウクライナのThe Wedding Presentというフォークポップのグループが1989年、ヨーロッパで再ヒットさせた歌ですから。30年前に取られた歌を、女を、ウクライナに取り返す。そんな遊びなのでしょうか?
  ♪ Those were the days my friend.... For we were young and sure to have our way. Lalala lah lala, lalala lah lala ♪
  それに....この短い映画は明らかに聖書を意識したパロディーにもなっています。まずロバを連れて旅する発想などはロック音楽のプロモーション・フィルムとしては破格です。一宿の場を確保する旅人。藁で作る食事。そういえばイントロのエッフェル塔まで「東方の星」に思えてくるから不思議です。旅人とママはきっと、更に旅を続けることでしょう、 ベツレヘムへ向けて? いやウクライナへ向けて? いやフィンランドへ向けて....新しい命の誕生を予感させます。新しい救世主の? いや、レニングラード・カーボーイの。

制作: Aki Kaurismki/Sputnik Oy 共同制作: Pyramide S.A, Films A2,Svenska Filminstitutetin、Pandora Film GmbH 制作代表: Klaus Heydemann
所要時間: 1 h.45 min.
監督: Aki Kaurismki
脚本: Aki Kaurismki
原作:Henri Murgerの小説 ” La vie de bohme”
撮影: Timo Salminen
録音: Jouko Lumme
編集: Veikko Aaltonen
舞台装置: John Ebden
服装: Simon Murray
音楽: 雪の降る街を (Toshitake Shinohara and a studio ensemble)

キャスト: Matti Pellonp (Rodolfo) Andre Wilms (Marcel Marx) Kari Vnnen (Schaunard) Evelyne Didi (Mimi) Christine Murillo (Musette) Jean-Pierre Laud (Blancheron) Laika-koira (Baudelaire、ワン君) Carlos Salgado (バーテンダー) Alexis Nitzer (Henri Bernard) Sylvie van den Elsen (マダム. Bernard) Gilles Charmant (Hugo) Samuel Fuller (Gassot, 出版王) Louis Malle, (ミミに言い寄る紳士) Dominique Marcas, Jean-Paul Wenzel, Daniel Dublet, Philippe Dormoy, Louis Delamotte, Kenneth Colley

■1992  Boheemielm 「ラ・ヴィ・ド・ボエーム」(La vie de bohme ) (Vita da bohme)

  この白黒の作品はアキ・カウリスマキの代表作です。イヤー映像が美しい。カウリスマキの作品には登場人物が窓から街並みを見下ろすシーンがよく出てきますが、この映画のが一番です。特にロドルフォ(マッティ・ペッロンパー)が窓から見下ろしている姿を、逆に下からアップで撮ったショットは一服の名画です。「窓から街並を見下ろす」シーンはカウリスマキ映画では「追憶」、「思慕」、「孤独」を意味します。言葉なきこれらの場面をカウリスマキは愛しているのでしょう。

  原作はフランスの作家アンリー・ミュルジェールの自伝的短編集『ボヘミアン生活の情景』だそうです。ただ、ひとつの小説としては纏まらず、あまり知られていない原作と有名なプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』のどちらがこの映画に大きく影響しているのでしょうか?
  パリの屋根の下で、ボヘミアンたちの生活は奇妙なやりくり算段と熱い友情を絡めて、淡々と流れていきます。ボヘミアンたちを愛しながら、結局彼らを捨てて、未来の安定を求めて田舎に帰ってゆく娘たち。カウリスマキのメッセージはbohmeたちへの賛歌であり、哀歌です。 そして、言葉少なき男達の愛の表現は「花束」です。ロドルフォのミミへの「花束」は2度とも届きませんでしたね。「花束」はアキ・カウリスマキ映画の愛の代名詞です。 この映画だけでなく、アキの映画で「花束」がどのように扱われるかにも注目してくださいね。

  作曲家シャウナルド(カリ・バーナネン)も個性的ですし、作家マルセル(アンドレ・ウィルムス、あの『白い花びら』の憎むべき男)も好演です。四人目のボヘミアン仲間はもちろん詩人でなければなりません。アキの設定では名犬ボードレール(本名ライカと言います)なのです。これはきっと、作家シャンフルーリの小説『海賊船:邪魔な犬』にもじった、ジョークでしょうか?
  別れていた主人とボードレールが再会する場面も泣かせます。男達の無言の表情とボードレールのなき声で再会を表現する場面は秀逸です。 往年のヌーベルバーグの旗手ルイ・マル監督とかってのハリウッドの鬼才サミュエル・フラー監督/脚本家がcameo出演しているのも映画ファンには嬉しいことです。 ルイ・マルはレストランで財布を盗まれたロドルフォの勘定を払ってくれる紳士役です。
  その後、主人公がアルバニアに強制送還され、不在中にミミと親しくなります。実際にルイ・マルは製糖会社を経営する金持ちの家庭に生まれたので有名ですが、映画の中では、ロドルフォの絵を収集するパトロン役のジャン・ピエール・レオーが製糖会社の社長の設定です。このような遊びもアキらしく面白いと思います。 一方、フラーは出版王ガソットの役で、下手なフランス語で頑張っていますが、最後に流暢な英語で罵言を投げつけて去ってゆきます。若い映画監督に向けられた老匠達の優しさを感じます。
  ペッロンパーはこの作品で92年の欧州ベスト男優のタイトルをもらいました。  ラストシーンはSさんの歌う、『雪の降る町を』です。決まっています。
  ♪ 想い出だけが通り過ぎてゆく... 寂しくうなだれて去ってゆくロドルフォ、それを追うデカダンのお邪魔犬ボードレール、そしてそれを追うのは? はたして彼らに、安らかな平穏の時が訪れるのでしょうか?

 ●Tendernessのコメント
 ひとこと・・、素晴しい映画。 まだまだ観ていないカウリスマキ作品もありますが、いまのところ、さまざまな理由で(笑)マイベストです。 敗者の誇りたかきスピリチュアルに貫徹された人生と、そして連帯感。それがじっくりと描かれています。 奇跡のようなやさしさのシーン、沈黙とともにこちらの網膜に焼きついて忘れられない。
 「雪の降る町を」がこんなに合ってしまったラストシーンとは・・。 抒情詩的映像、モノトーンのコントラストは「感情」の表現としても驚くほどの名ラストシーンだと感じられました。
制作: Aki Kaurismki/Sputnik Oy, Atte Blom/Megamania
所要時間: 5min.
監督: Aki Kaurismki
脚本: Aki Kaurismki
撮影: Timo Salminen
録音: 編集: Aki Kaurismki
舞台装置: 音楽: Leningrad Cowboys
キャスト: Leningrad Cowboys

■09.1992  These Boots  「おいらのペンギン・ブーツ

  これもレニグラのプロモーション・フィルムです。 ストーリーが面白いので、音楽の方が影に隠れてしまっています。ですからレニグラのプロモーション・フィルムとして鑑賞するより、レニグラの誕生物語として見ることにしましょう。
  題はナンシー・シナトラの代表ナンバー『These Boots Are Made for Walking』(『にくい貴方』)からとったものです。
  Unicorn hairdo(トンガリ頭)のママとunicorn beardo(トンガリ髭)のパパからトンガリ頭のペンギンブーツ が生まれるのです。フィンランド民族は森のなかで隔絶して生活していましたから、森の奥には奇妙な一族が棲息していても、ちっとも不思議ではありません。

  森に住む不思議な犯罪一族のお話で、ミカ・カウリスマキの映画『The Clan - Tale of the Frogs』(『蛙一族』、アキも脚本で一部参加しています)が典型的な例です。ごく最近までフィンランドの赤ん坊は白樺編みのゆりかごで育ったのです。赤ん坊はスクスク育ち、小学校を留年する頃にはコスケンコルバ(フィンランド・ウォッカ。愛称コッス)なしでは、生きられない立派なフィン男。コッスをボトルでぐい飲みするのが、典型的フィン男なのです。サウナに入っても、ボトルは手放せません。やっと、伴侶を見つけ、沢山のトンガリ頭のペンギンブーツが生まれますが、本人はあっけなくコッスでコロン。お葬式を終えた家族は、もうコスケンコルバのない国に移住するほかありません。行く先はもちろん霧のカレリアなぜって、そこにはコッスがないからです。
  何千頭の牛を追う、颯爽としたヤンキー・カーボーイ(♪ ローレン、ローレン、ローレン)と違って、一匹の乳牛を連れて、リヤカーに牛乳缶を乗せて徒歩で行くペンギンブーツこそ、レニグラ・カーボーイです。
  最後の場面はフィンランドのカレリア人集団疎開をそっくり再現したパロディーです。冬戦争でソ連にカレリア地方を取られたフィンランドは四十万人のカレリア人の難民を受け入れました。

  レニグラの前身であるロックの異端児Sleepy Sleepersは1977年に『カレリアを返せ』という曲を作ったのですが、当時は冷戦の真っ只中、フィンランドがソ連の機嫌を損ねるようなことは全くできないケッコネン大統領の時代でした。まずビビッたのがEMIです。レコード会社の強い要求で、Sleepersたちはその曲を『カレリアに行こう』に変更させられたのです。この事件に皮肉を込めて、『おいらのペンギンブーツ』のラストシーンでレニグラ・カーボーイ達を難民たちとは反対方向カレリアに向けて歩かせています。
  Sleepersたちは、当時続けて『Kaapataan lentokone Moskovaan』(モスクワへハイジャックしよう)を作りましたが、外務省を巻き込む外交問題に発展しかけました。ラジオ、テレビ放送禁止、演奏禁止となりましたが、若者達の支持が強く、ロックフェスティバルでリクエスト演奏。

(文・kitayajin - 河田舜二)

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