新宿発長野行き 441M

本文へジャンプ
飯田線の80系電車。タブレット交換中です。
新宿発長野行
夜行普通列車
441M
列車ダイヤからその役割を検証します。
東塩尻信号場駅に停車している115系441M、1979年(昭和54年)11月18日撮影。オリンパスOM−2N、135mmF2.8 コダクローム64
昭和42年10月1日改正の列車ダイヤです。当時の425列車の運転時刻が判ります。

写真は姨捨駅を発車する434M新宿行き(14:15)
1980年4月8日撮影

姨捨駅を発車する434M新宿行き。当時は日中でも「新宿行き」がありました。1980年4月8日撮影

松本〜長野間
     着   発    交換列車
松本   8:02 8:17
平瀬(信)    8:21
田沢   8:25 8:26
明科   8:33 8:35  1002Mしなの2号と交換
潮沢(信)8:42 8:45  502M天竜2号と交換
西条   8:53 8:53  1222Mと交換
坂北   8:57 8:58  回1220Mと交換
聖高原  9:02 9:03  690レと交換
冠着   9:07 9:08  1430Mと交換
羽尾(信)9:12 9:16  1004Mしなの4号と交換
姨捨   9:21 9:22  7812Mちくま2号と交換
桑ノ原      9:28  通過
稲荷山  9:32 9:33
篠ノ井  9:37 9:38
川中島  9:43 9:43
長野   9:49      2番線到着 

松本では信濃大町行き227M(8:06発)に接続します。ただ観光目的ならば先着のアルプスが殆ど大糸線に直通していますので、この接続はあくまで地元の方への利便性だと思われます。
441はここから「県都長野」へ向かう列車となります。被接続状況に如実に表れています。
まず大糸線、糸魚川を4:51に発車する120D。北小谷から長野県に入ります。信濃大町6:59着。そこで228M7:07発に接続します。松本到着は8:04です。前記しましたが中央西線上松からの821Mは7:51松本着です。
小淵沢からの中央東線、伊那大島からの飯田線、上松からの中央西線、北小谷からの大糸線。すべて始発列車に接続して、長野に向かうわけです。接続状況だけを見てもこの列車の重要性がわかります。松本駅で多少停車時間がありますが、大糸線方面からの接続時間に対する「余裕時分」と考えれば納得できます。

松本〜長野間の列車ダイヤ 昭和55年10月1日改正(抜粋)

上諏訪〜松本間
上諏訪を発車した列車は一路辰野へそこでは伊那大島を5:08に発車した飯田線の始発列車(辰野7:03着223M)と接続します。辰野〜塩尻間はこの区間の始発列車。各駅に丁寧に止まって行きます。「昔この列車に乗って松本市内の高校に通っていた」というメールも頂きました。塩尻では7:56発の中津川行き828Mに接続です。なお中央西線下り始発列車821M(上松発松本行き)は7:31先に塩尻駅を発車しています。

上諏訪〜松本間
       着  発  列車交換
上諏訪   5:57 6:46
下諏訪   6:51 6:52
岡谷    6:57 6:58
川岸    7:02 7:03
平出(信)     7:06
辰野    7:09 7:12 462列車
信濃川島  7:17 7:18 426M
小野    7:22 7:23
東塩尻(信)7:30 7:33 1404M
塩尻    7:39 7:43
広岡    7:49 7:49
村井    7:52 7:53
南松本   7:57 7:58
松本    8:02 8:17

東塩尻信号場駅を発車する441M。1981年2月14日撮影

余談ですが232Mは豊橋機関区のA42仕業、中部天竜で644Mとなり終着は豊橋(14:48)です。豊橋機関区の80系電車が使用されていました(当時)
右の写真は1983年頃羽場駅で撮影したものです。
また辰野駅で接続する223Mは少し複雑です。
まず伊那大島5:08、A71仕業(前)A85仕業(後)で発車し途中辰野でA86仕業(後)を増結し合計6輛で茅野へ向かいます。

上諏訪〜松本間の列車ダイヤ 昭和55年10月1日改正(抜粋)

小淵沢では小海線の始発列車に接続します
(227D小諸行き5:45発)
441Mの人気の理由のひとつです。先発の急行列車群で小淵沢に向かっても結局小海線はこの227Dまで列車がありません。一時期「ペンションブーム」や清里へ向かう列車として結構人気がありました。
小淵沢を発車した列車はこの先上諏訪までの始発列車となります。

上諏訪までの運転時刻です。
     着   発  接続
小淵沢 5:01 5:14 227D(小諸行き)
信濃境 5:18 5:19
富士見 5:25 5:28
青柳  5:33 5:35
茅野  5:41 5:50
普門寺(信)  5:53
上諏訪 5:57 6:46 501M、232M
501Mは「天竜1号」長野着は8:09です。
232Mは飯田線直通列車です。辰野までは先着します。ただし辰野発車は7:11です。

写真は小淵沢駅を発車して清里方面へ向かう列車。
1986年1月20日撮影

小淵沢〜上諏訪間の列車ダイヤ 昭和55年10月1日改正(抜粋)

小淵沢〜上諏訪間の列車ダイヤ 昭和55年10月1日改正(抜粋)
小淵沢駅を発車したキハ58系の小海線列車

441M列車は走行する区間で役割が異なっていました。
1 高尾〜大月(甲府)間までの最終列車
2 小淵沢で小海線始発に接続するための時間調整の区間
3 小淵沢〜上諏訪までの始発列車
4 辰野〜塩尻までの始発列車
5 松本〜長野間 県都長野への接続列車

この項目を書くために色々調べていたところ、昭和42年10月1日改正の列車ダイヤが出てきました(上の写真)ちょうど前年から181系あずさが走り始めたころです。不鮮明で申し訳ないのですが425列車をご覧下さい。この頃はまだ旅客用のEF64は登場していませんでしたので、おそらくEF13の牽引と思われます。また冬期には「暖房車」も連結されたことでしょう。441Mの列車ダイヤと見比べると、甲府や小淵沢の発車時間は大差無いのがわかります。韮崎、穴山、長坂はスイッチバックを表す(S)の記号がついています。(昭和41年、日野春〜小淵沢間の複線化が完了。したがって長坂駅は複線上のスイッチバック駅)正確な各駅の時間は判りませんが、通常スイッチバック駅に停車すると3〜5分はかかりますからこの運転時分は致し方無いでしょう。なお先行する夜行列車群は時間の早いほうから「409M第7アルプス」「411列車上高地」「1405M穂高」「3411列車白樺」です。茅野で交換している列車は「402M」かいじです。

写真は東塩尻信号場駅を発車する441M
1981年2月14日撮影

写真は小淵沢駅を発車した441M
1979年6月17日撮影

続いて甲府〜小淵沢までの区間です。ここから長野鉄道管理局の管内です。列車ダイヤをもとに見ていきましょう。
    着   発
甲府  2:51 3:16  441M、442Mの印刷用のページはこちら(PDFファイル 8.8KB)
竜王  3:21 3:23
塩崎  3:27 3:28
韮崎  3:32 3:35
新府  3:38 3:38通過
穴山  3:43 3:44
日野春 3:50 4:45 
長時間停車となります。8401列車「臨時アルプス」の運転時はここで追い越されます
長坂  4:51 4:52
小淵沢 5:01 5:14

甲府と日野春での長時間停車の理由ですが、「小淵沢以遠の運転時刻が動かせない」からと思われます。列車の時刻は人々の生活に密着してかかわっています。例えば学校の始業時間であったり、会社や役所に通うための大切な足だったりするわけです。441Mも小淵沢以遠は各線の始発列車に接続しています。ここからは各線との接続状況も解説していきます。
 最近このページを書くにあたり「国鉄時代Vol18」や昔の書籍などを読み返していると「甲府〜小淵沢間」は客車時代(425列車)からあまり運転時刻が変っていないのじゃないか?という疑問が湧いてきました。新宿〜甲府間は電車化でスピードアップが達成出来たでしょうが、小淵沢以遠の始発列車の時刻はそう極端には変更出来ません。
 蒸気機関車が牽引していた時代、甲府までは電化されていたため機関車の付け替えが有ったでしょうし、日野春では「連続急勾配」のため水の補給や荒れた火床の整理が必要だった筈です。小淵沢や上諏訪での間延びした停車時間も、そう考えると納得がいきます。前途の「国鉄時代」にも「甲府〜上諏訪間が電化された時(昭和39年、上諏訪〜辰野間の電化は一足早い昭和37年)当初は蒸気時代のダイヤのままで電気機関車による運行を開始したが、しばしば早着気味となった。」との記述があります。昼間の列車ならスピードアップは歓迎されるでしょうが、この列車の場合「この先各線の始発列車に接続する事」が最優先されたと思われます。

新宿発23時55分長野行、列車番号441M 山岳夜行として中央東線の名物列車でしたが、実は時間帯ごとに役割を変える「多目的列車」でした。最近ネット上でこの列車のことを「ただ時間が掛かるだけの国鉄時代の遺物」みたいな書き込みがあり心を痛めていました。ここでは昭和55年10月1日改正の列車ダイヤをもとに、蒸気牽引時代の客車列車から続く「鉄道と地域の人たちとの関わり」について解き明かして行きたいと思います。
*このページはIE8.0でしか確認しておりません。何か問題があればお手数ですがご連絡下さい。

長野までは電車化された恩恵が一番あるように感じます。客車時代とは比較にならないスピードで、各駅停車ながら「ひたすら走っている」状況がダイヤ上からも見てとれます。時間帯故に交換列車が多いのは致し方ありませんが、各駅の停車時間も短く「後続列車」に抜かれることもありません。
余談ですが先程の昭和42年の頃の425列車、松本駅の発車時刻はほぼ同じだったようです。篠ノ井線内は非電化でした。DD-51が配備されたのが昭和45年ですから、この頃はまだ蒸気機関車が牽引していたことになりますね。(電車化は昭和50年3月)
長野終着は9時49分 県庁や関連役所、仕事関係で長野に向かう方にとっては使い勝手の良い時間では無いでしょうか。勿論長野から先も「接続」があるわけですが、また別の機会に紹介したいと思います。
*ここで新たな疑問が出てきました。昭和41年に笹子駅は複線化に伴いスイッチバックを廃止とあちこちに書かれているのですが、昭和42年、425列車ほか客車列車はすべて笹子駅を通過になったのでしょうか?もしご存じの方いらっしゃいましたらお知らせ下さい。
*この列車の歴史に関してはWikipediaに詳細が記述があります。「ムーライト信州」の項目をどうぞ。

松本〜長野間の列車ダイヤ 昭和55年10月1日改正(抜粋)
(飯田線は豊橋を発車する列車が下り列車となるため、中央線内では新宿方面が奇数の列車番号となります。)
各仕業とも伊那松島機関区の旧型国電2輛編成(Mc、Tc)です。
帰りは茅野を8:03、238Mとなって発車し辰野へ8:45着 そこで先程のA86仕業(前)を切り落とします。
8:54辰野を4輛編成となって発車し、伊那松島へ9:09着、今度は後ろのA71仕業を切り離し単独で平岡へ
A85仕業のみの2輛編成です。国鉄時代は今では考えられないようなきめ細かい運用がされていました。
上諏訪から松本間の列車ダイヤ 昭和55年10月1日改正(抜粋)
小淵沢駅を発車した441M、この頃はまだ単線でした。1979年5月17日撮影

それでは順を追って見ていきましょう。まずは新宿〜甲府間です。この区間は一般時刻表程度の時刻しか判らないので主な駅の発車時刻を掲載します。
新宿 23:55 5番線発車です。
5番線、6番線は下り中央快速線のホームで、発車間際には帰宅途中のサラリーマンも利用するため、週末などはかなり混雑する列車でした。
立川 0:32 八王子 0:47 高尾 0:54 相模湖 1:07 藤野 1:12 上野原 1:18 四方津 1:24 梁川1:29 
鳥沢1:34 猿橋 1:41 大月 1:51
大月あたりまでは、近年東京地区のベッドタウンとして開発が進み「四方津」や「猿橋」などに大規模分譲地が出来ました。
初鹿野(現甲斐大和駅)2:12 塩山 2:25 山梨市 2:32 石和 2:39 酒折 2:45 甲府 2:51着
列車ダイヤが無いため停車時間は判りませんが、特に長時間停車もなく概ね順当に走っていたようです。

Home | 中央線トップへ | 篠ノ井線トップへ | このページのトップへ

 Copyright (c) 2010 mikeneko All Rights Reserved