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セピア


渡船尾道-それから


▼ぼくの父親は昔、外国航路の船に乗っていて、パーサーという職についていた。意味は良く解らないが、子供ごころにはその横文字の響きが、かっこよく思えたものだった。

 その頃、その父の外国での記念写真などを引っぱり出して来て、よく眺めていたことがある。 なぜかというと、その頃は外国へ行くというのは、まだぼくのなかでは夢のような事であったということと、そしてなにより、その写真に写っていた父親とその仲間の南国の果実を手にした一枚に、ひどく見入って飽きることがなかったせいである。

 その南国の果実は、今で言えば、どこのスーパーでも手に入るパイナップルやバナナなどなのだが・・、その写真に写っていたそれは、その地で取れた荒々しい自然のままにもぎ取られた、ずっしりと、生き生きとした姿をしていて、写真に見入るぼくの南国への憧れと、その果実への渇望をかき立ててやまなかったのである。 そんな経験は子供時代特有の想像力が助けてくれる甘美な時間なのだろうか。

 そういえばスペインのビクトル・エリセという監督の映画に「エル・スール」という映画があって、その映画を観たときに、主人公の少女が時々取り出して見る南スペインの観光写真・イラストのハガキに見入る彼女の視線と、大映しにされた、そのアンティークなハガキの映像に、そのころの同じ感情を呼び覚まされたことがあった。

 そういう感情に親しむということは幸福なことかどうかは別にして、多くの子供には、さまざまな現実の外との関係から生じる即物的な、 性急な反応を和らげて、表面には捉えられないものごとの内部への洞察を養うことにも、どこかで繋がっているような気がした。  そういった映画を観ると、あまりに既成のイマジネーションの具現化された映像になじみ、どこかで自然発生的、 自発的な想像力が衰退してはいないのだろうかと、今、まわりを見てふと感じるときがある。


坂道 ▼話は戻るけれど、その頃、その船がドックインといって各地の港に還ってのお休みがあるのだが、そんな時は九州の長崎から鉄道を使って母親とその港のある地へ出かけて行くのが恒例だった。

 覚えているのは横浜や神戸、そしてなんといっても尾道なのだが、尾道には長く度々滞在したと記憶している。
 多分尾道の対岸にある向島の寮か旅館みたいなところだったのだろう。違う地で友だちもいないので、どうひとり遊びしていたかは覚えていないのだが、そのころの写真をみれば、同じ家族事情のお母さんや子供と一緒に写っているものもあるから、きっとそんな出会いも楽しかったのかもしれない。
 よく近所の駄菓子屋にも行って、住んでいる長崎の島原とは違うその品揃えなどにも、わくわくしていたような気もする。 ・・でも、これは尾道だったのかどうか・・。

 ではなぜ尾道がそんなに記憶にあるのかというと、やはりその風景のなかにある海と坂道に囲まれた環境と、空気そのものに含まれた強い潮の香りが、子供ごころには特別な情緒をともなった印象で深く刻まれたせいかもしれない。
 向島とを往来するフェリー(当地では渡船*尾道渡船の旅スライドショー*と呼ぶようだ)の、短い時間ながら子供のぼくにとっては楽しい至福の時間は、なにものにも代え難い静かな興奮とその日常のなかにある不思議な充実感を与えてくれていた。
 だから、小学校に上がって母親と一緒に出かけられなくなったことは、親戚の家に預けられることと同時に、いやそれよりも寂しく、なにか貴重なものを失ったような気持ちで、塞ぎがちにしていたこともあったようだ。
 しかし、誤解があるといけないので付け加えておくけど、親戚といっても家族同様の付き合いで、近くに住んで居た賑やかで人の出入りの多い楽しい従兄妹のいる家だったのだから幸運だったと思う。そこでも家では味わえない色々な体験をさせて貰ったのだから・・。


角▼尾道はその後、大林監督の映画を観てまた、ここ数年度々訪れている。
 先述したような理由からだろう、「転校生」の海を中心にした風景も、「時をかける少女」の坂道に迷子になるような風景も、「さびしんぼう」の渡船も連なるお寺のある順路も・・、そんな大林映画に映る風景に、ぼくは人一倍楽しんでしまっているような気がする。
 それはそしてまた、大林監督の感性、その語られる世界のやさしさとに対するぼくの愛情と共感とともに、大林映画はこれからもぼくの「初恋の故郷版」である尾道を舞台にして、いわば子供時代の眼差しで夢を紡いでいくような、そんな出会いになるのだろう。

 ▼そんな尾道の駅に降り立った時の不思議な懐かしさとその地での人々のやわらかさとを思うと、その基になっているものは、尾道の地にある豊かな情緒が育んだ「空気」の呼吸そのものにあるのかもしれない。
 もちろん、それは尾道に限らず、いろんな土地に存在して当然かもしれない。ぼくの育った長崎の島原だって尾道に似たそんな空気があったはずなのだ。 しかし、多くの旅人が訪れ、再度、再度と訪れるという場所というのは、やはりかなり珍しいのだろうと思う。

 誰もが故郷を出てしまうと秘かに望んでしまう「変わらないでいてほしい」という想いも、その地に住む人と、未来へ向かおうとする「時間」には無理なわがままにも聞こえるだろう。
 しかし、変わらないでいてほしいという、その「想い」とは・・、故郷を懐かしむ人の、その心の内部にある最もやさしく繊細な場所から出てくる、人として大切な何か、・・なのかもしれない。
 社会生活の日常の忙しさのなかで普段眠っている感情、旧友を、日々を、共に生きる友人を、ささやかに気遣うような、そんな暖かさと思いを、どこか、かたちを代えて言葉にしたものなのかもしれない。



god_cat▼インドなどの寺院ではその建築物、内装に100%の完全性を求めないそうである。 というより必ず間の抜けたとでも言うしかない空間を残すのだそうだ。
 完全というのは神のなかにある概念で、人間はどこか不完全である、ということの戒めとしての象徴を残すのだ、というような話を読んだことがある。
 後になって、それはすべてに重なる話にぼくには思えた。
 あまりに合理的に作られた空間、建物、街などには押し付けられた意図が感じられる。「ほっ」と、隠れる場所もなかったり、人や街との関係も堅く型にはまりがちな空気をつくるような気がする。

 尾道や島原にあった(他にもあるだろう)自然のかどっこや、建物の隙間に住んで居る猫や、隠れんぼのできる廃屋と草ぼうぼうの空き地や、昼はのんびりとしていながら夕刻には畏怖に身震いするお寺も、子供であるぼくたちの心をやわらかくする力があったのではないかと思う。 

 ▼漫才の「つっこみ」と「ぼけ」ではないが、お互いが居なくては成り立たないものがこの世界だろう。 男と女という相対はいつも目に見えて当たり前にしているのだが・・。
 人の関係も、様々なジャンルでみんなが一番になるのは無理なように、完全性というのも不完全というものがあって成立しているのだから、目くじらを立ててなんでもかんでも競争するというのも、どこか思慮を欠いているような気がする。
 しかし、そんなことを思う人もだんだん増えてきているのだろう。 尾道に、ついには住んでしまう、という人が現れるのも、どこか自分のなかで大切な、優先すべきものを、ふと思い出したりした人なのかも知れない。

 人は人に育まれるように、その土地の自然や町や空気によっても育てられているのだろうと思う。
・・そうだ、とりあえずはぼくも、住んで居る家のまわりにある春の空気の匂いを時には嗅いでみようと思う。
そういった、今いる場所からも、気持ちのやわらかさを錆び付かせないでおくこともできるということだろう。

 ・・・ということで、随分と話が流れて連想のようにいろいろ思って書いてしまった。
しかし、そういうことをも考えさせてくれる、ぼくのなかの尾道だったということで、話を終ろう。   1999.3.8
                 
                       (写真はすべて尾道で撮ったものを加工したものです)
★「尾道それから、それから」(2007.12.5、ブログ記事)
★尾道渡船の旅スライドショー



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