司法書士試験に役立つレジメ等を載せていきたいと思います。

<レジメ>

・所有権更正登記(まとめ)kousei2.htm(改正前分)

・商号の仮登記の変更と抹消のまとめ shougoukari.htm(新会社法成立前分−役に立ちませんm(__)m

<雑談>

・司法書士の補助者経験は司法書士試験に役立つか? hojyosha.htm

ブログより(司法書士試験合格の秘訣、学習方法) buroguyori.htm

TOPindex.htm

受験歴等

NO.1

私は、平成6年度の合格ですが、受験歴は長く、最初に司法書士試験を受けたのが確か平成元年だと思います。その時は、ひやかし受験でした。

そして、本気で合格しようと思い、合格できるだろうという気持ちで受験したのが平成5年と平成6年のときです。ちょうど結婚したのが平成5年でしたので、それも気持ちの上でプレッシャーとなり、かなり真剣に勉強したと思います。平成5年の受験は精神的にも肉体的にもしんどかったという印象があります。時間的な余裕があまりなく、知識のつめこみを無理してやったためだと思います。そして、不合格。

平成6年の受験のときは、しんどいというより勉強するのがおもしろく、楽に取組めたという印象です。

しかし、いざ受験となるとやはり緊張するもので、とくに書式については、商業登記で考え込んでしまい、後で考えるとなんでもない基本的な事柄だったのですが、変に気にしてしまい、択一の問題を解く時間が少なくなってしまいました(私は、2次試験は書式から解くようにしました)。その年、択一試験の問題は基本的なものが多かったため、なんとか時間内に解けましたが、もし平成3年とか5年のような問題であったら、時間が足らなかったと思います。

そして、試験終了直前、なんと不動産登記の書式で、抵当権設定の債務者を書くのを忘れているのに気づきました。気づいた時点で、終了の合図があり、回収中、何度か書いてしまおうかと思いましたが、不正を指摘されると今までの苦労が水の泡になってしまうのでそれはできませんでした。

抵当権設定で債務者を忘れるというミスをしてしまい。今年もだめかなという気持ちが強かったのですが、なんとか合格。

択一がある程度できていれば、書式で多少ミスをしていても合格できるようです。択一が重要

この試験は、記憶しておかなければならない範囲が広く、試験は1日で行われるため、体力的にも精神的にも厳しい試験ではあると思います。しかし、「むずかしい」とか「厳しくてしんどい」とか思ってしまうと続かなくなる。

私は、平成元年から毎年受験していたわけではなく、受験しなかった年もあり、挫折というか、「もういいか」という時期がありました。

合格できるかどうかわからないという不安定な状態が一番つらいので、むりやりでもいいから、自分で「合格する」「合格できる」のが当然の前提と決めてしまうような心構えができれば強いと思います(それも短期の計画で)。

(つづく)

NO.2

・合格後、受験に関して重要だと思ったこと

合格後、振り返ってみると、やはり「過去問は重要」とつくづく思いました。

試験前3ヶ月ぐらいは、択一に関しては、ひたすら過去問を繰り返して解くというのに専念しました。書式は、市販の問題集を使い、1日不動産1問、商業1問を解くというペースでした。

平成6年度の択一問題は、基本的事項を問う問題が多く、過去問の繰り返しでかなり対応できたと思います。

それと、本試験と同じ形式でなされる答案練習会などで、試験慣れしておくことも重要だと思いました。

(当たり前のことを言っているような・・・)

ある程度、勉強が進んだら、過去問中心の勉強に切りかえる。不動産登記書式は、実体の権利変動と登記簿の記載がどうなるかをイメージしながら、作成にとりかかる。捨ての科目はつくらない。民法はじっくり、商法は条文にあたり、自分で表などをつくり、まとめておき、刑法はおもしろい科目だけれど、ほどほどに、不動産登記法は、細かいところまで、商業登記法は、商法といっしょに、民訴関係供託は、条文アンド過去問中心、司法書士法も捨てることなく、書式は答案練習を繰り返す。

(つづく)

NO.3

司法書士試験というと細かい手続的なところが問われる試験でもあるため、「おもしろくない」と思う時がしばしばありました。そして、法律の面白さを実感したく、司法試験用の講義テープ(受験校のもの・初心者用)をよく聞いていた時期がありました。科目は、憲法・民法・刑法・民事訴訟法ですが、刑法が特におもしろかったという印象があります。初心者用なので、細かい知識やつっこんだ学説の講義ではなく、法律の全体像や考え方、またわかりやすい事例(判例)を基にしての講義で、気分転換というか、あらためて法律が好きになり、司法書士試験の勉強にもどれました。これにより、法的なものの考え方(見方)が身についたように思います。司法書士試験にどれほど役に立ったかは不明ですが、開業後は、非常に役に立っていると思います。

NO.4

司法書士試験科目は、法律科目にすると数が多く、例えば、民法をし、不動産登記法を勉強し、その後、商法・商業登記法を勉強し、その後、民訴、と順にやっていくと確実に最初やったものは忘れてしまいます(民法なんかは、一通り勉強すること自体大変ですが)。忘れないためには、1日すこしでもいいから、全科目に触れる(例えば、過去問1問でもいいから解く など)ことが必要だと思います。

また、捨ての科目をつくらないというのも重要だと思います。

受験当初は、主要4科目(民法、不動産登記法、商法、商業登記法)に勉強をしぼり、その他の民訴等の科目には手がまわりませんでした。また「主要4科目をやっておけば、うまくいけば合格するかも」という甘い考えもありました。しかし、よく考えてみると、主要4科目は当然どの受験生も相当勉強しており、差がつくのは、他の科目だということに気づきました。そして、主要4科目はもちろん、他の科目も1日すこしでもいいから勉強するようにしました。これは良い結果が出たと思います。

最近は、憲法も受験科目に加わり、「そんなんできるかー」という感じですが、記憶を維持するため、すこしでも良いから触れておくということです。

(つづく)

NO.5

試験当日から合格に至るまでのイメージづくりは、他の人に言うと「ばかじゃない」と思われるぐらい、何度も何度も思い描きました(イメージトレーニング)。試験当日は、良くでき満足している自分(実際は異なることになりましたが)、そして、合格して、ばんざいしている自分を何度も思い描きました。

受験日前には、イメージづくりのため、試験会場を下見に行き、受験当日は、朝腹八分目、昼飯はバナナのみと、臨戦体制。試験が終わり、合格発表までの期間が長く、この間がつらい。

合否発表の日は、仕事をしていた関係で、見に行くことはできず、合格は、後日知ることになりました。比較的冷静な自分ですが、さすがに合格を知ったときは、「天にものぼる…」いう心境になりました。合格後は、開業の予定はまったくなく(開業資金がなく、司法書士補助者経験3年より、開業の困難さを知っていたため)、そのまま仕事(サラリーマン)を続けましたので、書士会の開催する合格証書授与式(確かこのようなものがあったと思う)や研修には、一切参加できませんでした。ですから、合格同期会結成など、同期合格者と知りあうということや、青年会(青年司法書士会)からの入会勧誘を受けるというようなことはありませんでした。平成6年合格で、平成7年の阪神淡路大震災後の、司法書士の活躍等に関しても、かやの外で3年間すごし、開業資金、当面の生活費がある程度貯まり、不況真っ只中、平成10年開業に至ります(書士会の研修は平成10年に受けました)。

NO.6

受験予備校について。私は、受験予備校に通学した経験はなく(働いていたので、通学するほどの時間がなかった)、受験予備校は、つまみ食いみたいにして利用していました(^_^;)。例えば、日本司法学院であれば、基本書等が充実しているということで、基本書を購入し(字は大きいが非常に分厚い本)、それで、じっくり勉強したり、LECでは、表とか図とかを多用し、まとめが充実しているということで、勉強がすすんだ段階で、その手の本(LEC)を購入し、頭の整理に利用したり、早稲田では、名物講師(たしか竹下先生)がいるということで、その人の講演している無料テープを聞き、テンションを高めたりしていました。六法(できれば判例付きのもの)、過去問は必需品で、ぼろぼろになるまで、繰返し使用利用しました。受験予備校に通ったり、通信受講できるのであれば、もちろん利用した方が良いと思います。受験予備校については、その人なりの向き不向きがあると思いますので、じっくり比較検討し選んだ方が良いと思います。ただ、費用とか時間の面で、むずかしいのであれば、利用できる範囲で利用するというのも手だと思います。(つづく)

NO.7

司法書士試験合格までにはどれ程(時間面)、学習しないといけないか。人それぞれといってしまえばそれまでですが、やはり、人それぞれの基礎能力は大事で、択一試験は、記憶力と文章の読解力(読解力は重要だと思う)は必要となり、その力によってかなり異なってくると思います。

私は、読書は好きで、読解力には自信があったが、記憶力がなかった(すぐ忘れる)。そのため、繰返し繰返し学習しないと頭に定着しない。司法書士試験を受験する前、行政書士試験や宅建試験を受験していたため、択一試験に対し「慣れ」はあったが、司法書士試験の択一はやはりレベルが相当高く(肢自体の文章が長い、また単純な1つを選ぶのではなく、組み合わせ問題という、誤っている肢は何個あるかとか、正しい肢の組み合わせはどれかとかいう、いじわるな問題も含まれている)、あやふやな知識では太刀打ちできないものであり、また覚えなければならないことは山のようにあり、合格までそれなりの時間がかかってしまった。一般的に言っても、最低1年、仕事をしながらであれば、2年〜3年の計画にはなると思う。

勉強時間は、試験前3ヶ月〜6ヶ月ぐらいは、生活に必要なこと(食事、睡眠、仕事での拘束時間)以外の時間は、ほとんど試験勉強に充てるという状態になっていました(平成5年・平成6年)。そのため、人とのつきあいとかは制限することになり、不自然な社会生活を送ることになっていました(頭は試験一色)。試験勉強を始めた頃は、そんなにできなかったのが(当たり前か)、ある程度学習が進み、「どうしても合格する」という気持ちになってくると、自然と勉強時間は増えていくものです。

(長男が誕生する際、受験勉強真っ只中で、出産時、病院にまで、受験本をもってきていたのは、いまだに妻に「出産より受験の方が大事だったんやろ(-_-)」と言われます。(^_^;)

(つづく)

NO.8

なぜ、司法書士か? 大学は文学部で法律とは関係ありませんでした。当初、法を学習するというのは、法律の条文を覚えること、「こういう場合は法律ではこうだ」という決まり決まったものを覚えるというイメージがありました。「法学なんて飯のタネの学問で、本当の学問じゃない」と極端な誤解をしていました。しかし、大学の一般教養で講義を受けた法学と憲法でそのイメージが一変しました。「法ができた歴史」「法は伸び縮みする定規」「法解釈とは」「裁判所の役割」「人権」「司法権」などを学習し、いままで、法学に対して恐ろしく誤解をしていたことに気づき、目からうろこでショックを受けました。それから法学に興味をもち、自分で「憲法」や「民法」の本を読むようになりました。大学で、法学部の学生のふりをして、こっそり法律の講義を受けたこともありました。

就職を考える時期となります。漠然と法律に関係するような職につきたいと思い、最初、裁判所職員(公務員)の試験を受けました。その試験勉強では、文学部出身のため、法律の本格的な連続した講義を受けたことがなかったため、受験予備校の司法試験用の講義テープを購入し聴いていました。この裁判所職員の試験は面接で不合格となりました(文学部なのになぜ裁判所職員?というのはうまく説明できませんでしたし、緊張する体質で印象が悪かったのだと思います)。

当時、就職情報誌のビーングなどを見ると、司法書士事務所の補助者募集がたくさんありました。「司法」という言葉に惹かれ、調べると、司法書士は登記など法律に関わる仕事をするということがわかりました(登記といっても当時よくわかっていませんでしたが)。そういうことで興味がわき、司法書士事務所にも就職活動をしましたので、結局、司法書士事務所の補助者として就職することになりました。これが司法書士をめざすきっかけとなりました。

しかし、試験勉強はできませんでした(hojyosha.htm)。就職した司法書士事務所は銀行メインの不動産登記が主たる仕事になっていました(裁判業務はしていませんでした)。司法書士の補助者の仕事は体力が必要で(毎日毎日、法務局、役所、銀行など駆けずり回っていました)、「補助者は常に走っていなければならない」なんて言われていました。家に帰ると「バタンキュー」で司法書士試験の勉強をしようなんて体力はまったく残っていませんでした。体力が必要。細かい神経が必要(書類のチェック、チェック、さらにチェック)。スピードも必要。当初は失敗の連続で事務所に迷惑をかけていました。一時、自分は司法書士には到底なれないと思いました。

それでも、1年、2年と経過し、段々仕事を覚え慣れていきました。そんな中、銀行へ日参し営業しなければならない、謄本・図面取りでバタバタと昼間がつぶれる、比較的定型である、銀行中心の不動産登記というものがおもしろくなく(今考えると複雑な登記案件は担当させてもらえなかったのだろう。ただ、相続登記は好きでした)、もし、自分が司法書士になった場合、今やっている登記業務よりも「裁判業務」をする司法書士になれたらと思うようになり、試験勉強もすこしずつですがするようになりました。司法書士試験の勉強ですが、当初は、日本司法学院の書籍と六法を購入し、その書籍と条文の読み込みをしていました。

いろいろ迷惑をかけ、また、非常にお世話になった司法書士事務所でした(銀行中心の不動産登記の仕事は嫌になりつつありましたが、司法書士自体が嫌にならなかったのは、この事務所の先生の人柄がよかったからだと思います)が、平成2年頃、バブルがはじけ、一時、不動産登記の仕事が激減し、事務所が暇になりましたので、退職し、転職しました。そして、仕事をしながら、平成6年、やっと合格できました。(NO.1へ)

(つづく)