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遺跡要覧と情報源

周辺の地形
遺跡の時空間
調査区全体図
大形加工材
多様な木製品
漆と朱
律令の祭祀空間

◆下宅部遺跡の位置と周辺の地形
遺跡の位置 狭山丘陵付近の北川・前川流域には、数多くの遺跡が密集しています。図では下宅部遺跡周辺の重要な遺跡しか示しておりません。詳しい調査例は少ないので、下宅部以外にも豊富な資料が埋蔵されている可能性があります。鍛冶谷ツ遺跡は縄文後期と平安時代、日向北遺跡は縄文後晩期と古墳〜奈良平安時代の遺跡です。中の割遺跡は日向遺跡や廻田遺跡(都指定旧跡)を包含して拡張された縄文中期主体の遺跡です。
▲昭和15年測図の地形図をベースとしました。丘陵の麓線は、便宜的に、北川の北では80m、南では90mの等高線にしておきました。

■狭山丘陵
狭山丘陵は、多摩2面相当の古い段丘地形です。基盤は狭山層とよばれる海成層で、海退期になると整合で芋窪礫層に移行します(離水後は火山灰起源のレス=多摩ロームが厚く堆積しています)。海成層にしては標高が高いような気もしますが、これはテクトニックな動きで関東平野の周辺部が上昇しているためです(しかも荒川断層と立川断層に挟まれて傾いています)。ちなみに北川谷のような名残川は、表流水や地下水を集めて水流が維持されますが、古多摩川の離水後数十万年の間、レス(風成層)は氾濫原にはあまり堆積できず、谷の両側に積もって丘となりました。狭山丘陵の周囲は、多摩面以降の下位段丘=下末吉面・武蔵野面・立川面に囲まれていますが、北川谷にもそれらの時期に相当する段丘面が形成されているようです。


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