2002.5.2 NAKA-MA
阪神梅田駅は大阪梅田地下にある駅です。
1939年(昭和14年)に完成した、当時東洋一の地下駅で、4線5ホームが並ぶ阪神電車のターミナルです。開業時は出入橋駅が起点でしたが、すぐに梅田 まで伸延しました。当時から大阪市内の急曲線は阪神カーブ式会社と揶揄されるくらい(この例え話は最近のようですが)阪神電車を苦しめてきました。線形を 改善した「急行線」を増設することを想定して、複々線に対応する巨大ターミナルを、地下に建設したのです。戦前のターミナル駅が今も使われている例は他に ないのではないでしょうか。ここにお見せする写真は2002年4月30日に撮影したものです。
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阪神梅田駅は阪神百貨店地下二階に直結している。
このビルは「大阪神ビル」。
2002年に外装を更新、新築同様?に。(2002.10) 地下鉄御堂筋線改札側から見た地下駅入り口。広大なホールだが柱が多い。1980年頃まではもっと薄暗く、床もコンクリート打ちっ 放しだった。この柱に新聞売りや靴磨きなどが多数店を出して、雑多な感じがした。戦後の雰囲気を色濃く残していた。
ここ地下一階から階段を下りて改札口へ。左右は阪神百貨店の食料品売り場である。買い物客には大変便利で、しかも、百貨店規模の割 には、食料品売り場は大変充実しており、賑わっている。
ちなみに6階にはタイガースショップがあり、タイガースの成績さえ良ければこちらも大変賑わっている。
階段を下りると自動改札が並ぶ。(2002.10) 最近は東側の北新地も改札が並ぶが、やはり正面口はここ。
4番線に到着した各駅停車。福島付近地下化以前は、1番線が各停用だったが、構内配線変更によると思われる番線変更になった。
車止め前方にはご覧のように彫刻が配されている。中央は水飲み場である。最近ではこのようなものを見ることもなくなったが、開業当 時の写真にもこの位置に水飲み場がある。
3番線の車止め前方は昔から新聞売り場である。改札前に二カ所も売店があるというのに。でも一番よく売れる場所なのかも知れない。
売店を正面から見ると、後に電車が見えて奇妙な光景。売れるのはやはり阪神勝利のスポーツ新聞か。ちなみに関西ではどのスポーツ紙 も大抵阪神タイガースが一面。
4番線に入線する普通電車。方向幕はすでに折り返し後の高速神戸になっています。
3番線に入線する急行。
地下駅なので構内配線はよく見えないが、阪神の頻発運転を実現する工夫されたものです。福島駅地下化の際、配線変更が行われている そうです。以前の戦前のすすけた地下隧道から最新シールド工法のトンネルに変わった。てっきりホームも長大編成に対応すると思われたが、変わっていませ ん。現状では6両編成が限度です。
阪神住吉駅はJR住吉駅とは離れており、JRの方が六甲ライナー開業と再開発により快速も止まる大きな駅に発展したのに、阪神は小さな駅のま まです。しかし、この駅は1929年(昭和4年)に阪神初の高架になった住吉、御影、石屋川の区間で、由緒のある駅です。明治開業期からこの区間が併用軌 道で、スピードアップのネックだったので、同じ時期に併用軌道から地下化された岩屋-三宮間の完成と共に阪神創業期からの念願かなった重要な高架線なので す。
一見して特徴のある架線柱と駅上屋。ホーム長さも、各停専用駅なので4両に対応しているだけ。
明治開業の阪神にとって、新しい駅だが、どんどん高架化工事が進む中、昔を偲ばせる建造物の一つである。
ホームへの階段。円い窓が当時の凝った意匠とその意気込みをうかがわせる。
改札口外側から見た。手前のこの道路上に昔は電車が走っていた。
上の写真と反対側にも同じ丸窓の意匠が施されている。
これは魚崎駅から住吉方向を見た写真。ちょっと分かりにくいが、この先で右に急カーブして住吉の高架にはいる。ここは松原曲線と呼 ばれているそうで、明治の写真では松林に覆われていた。名残の松が最近まであったが、それは「魚崎駅」のコーナーで紹介している。
現在は急勾配を改善する高架化工事が進む。
その工事中の下り線に残った小さなガーター橋には「昭和4年」の文字が。住吉-石屋川の高架に付随した区間であることが分かる。
ここも、もうじき無くなる。
筆者にはなじみのない駅ですが、となりの香枦園駅まで高架化され、となりの芦屋から魚崎駅までが次の高架化工事予定区間です。阪神標準タイプ の地平駅の一つです。
ついこの間まで、阪神の駅の標準であった、地下改札への入り口。
ホームは石積みの側壁。平日だったので学生の姿が市民の足としての阪神電車を感じさせ、なぜかほっとする筆者であった。
地下改札。手前には自動券売機と駅員詰め所、写真奥は売店。
昔の魚崎駅も同じ構造だったので、懐かしく感じた。
加速する阪神ジェットカー。
こういう景色が阪神電車ファンを生むのです。