阪神電車の風景

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阪神各駅風景3

阪神電車駅周辺で拾った風景です。

2002.5.12,8.25  NAKA-MA


6.香櫨園駅

地上時代の香櫨園駅を紹介します。

お見せする写真は1991年12月21日に撮影したものです。

かつての香櫨園駅は明治時代を彷彿させる駅舎でした。このデザインは今の高架駅のテラス部分に受け継がれました。

駅名の表示が右書きで旧漢字(当時正式駅名は香枦園と表記)なのが歴史を感じさせます。

で、いまの正式駅名はこの旧漢字の香櫨園です。

打出方向をのぞむ。

この時すでに梅田行きホームの後に仮駅を作る工事が始まっており、北側の駅舎が無くなっていたのが残念ですが、駅上屋とその下の広告看板がかつての阪神電車の駅のイメージを残しています。

香櫨園駅の下には夙川が流れており、芦屋などのように駅が周囲より高いところにあります。急勾配を登ってくる梅田行き普通。

なお夙川は小さな川ながら美しい松並木の続く遊歩道が両岸に整備されている美しい川です。

西宮へのカーブをゆくジェットカー。この逆の、香櫨園へのカーブを駆け上がる構図でよく写真が撮られており、それを狙いたかったが、写真正面の道路は工事のため閉鎖されておりかないませんでした。

鉄骨二段架線柱が懐かしい。

香櫨園駅から西、打出方向の勾配を下りきった辺りの踏切。

ちょうど小学生の下校時間でにぎやかでした。

もう10年以上ですが、高架化工事が始まっていました。いまではすっかり変わっているのでしょう、また訪れたいところです。

7.三宮駅

阪神三宮駅は開業時には地上の、路面駅であった。1911(大正元)年神戸市電と接続する滝道(今の花時計辺り)が終点になった。当時は今の三宮の位置に省線の駅はなかったので不便だったためという。(阪神三宮の位置は今の駅の地上にあった)1933(昭和8)年6月17日、神戸市内の道路併用区間が岩屋から地下線になり三宮が地下ターミナル駅として開業した。しかし、1936(昭和11)年3月18日に阪神が元町駅まで伸延し、三宮駅は再び途中駅になった。なお同じ頃国鉄が高架化、阪急が上筒井から三宮まで高架線で伸延して今の三宮の形になっている。

今では名実共に神戸の中心駅である三宮だが、意外にも阪神の終点駅であった期間は短いのである。

筆者の親の実家が三宮の近くにあるため、幼い頃から馴染みのある駅です。が、魚崎ほど気に入っていないのは、阪神電車が地下で見えないためと、昭和40年代当時は、駅周辺の治安も悪く、道路に寝ている人がいても気にしないで歩くような所だったためでしょう。「戦後」がずっと残っていました。

(2000年5月撮影)

神戸そごうの地下に阪神三宮駅があります。震災で損傷しましたがきれいに修理されました。

このビルは三宮阪神ビルで、1933年開業時からそごうが入っている歴史のある老舗です。さんちか地下街も同時に出来たようです。これも古い。

 

 

1981.3.24

なお、そごうの外装は22年程前までは戦前のままの重厚な(日本橋高島屋のような)ビルでした。

写真は外壁改装工事の始まった1981年3月、ポートピアが開催されたころのものです。

(2002年8月撮影)

JR三宮ガード下にあるさんちか入り口は、阪神三宮、神戸地下鉄の入り口でもあります。

今でこそきれいなエスカレータの付いた入り口ですが、1980年頃までは、丸い形状の、よく言えば劇場型の、階段でした。その頃の方が込み合っていたように思うのですが、ともかく人が多い印象でした。

ちなみに最近朝日新聞に出ていた、1938年神戸大水害の時の三宮駅の写真は、ガード下に激流が流れていました。当然阪神は不通でした。この入り口が写っていましたが、「地下鉄」の表示がありました。神戸地下鉄は1980年頃の開通なので当時は地下鉄といえば阪神だったのでしょう。

 

(2002年8月撮影)

このエスカレーターを降りると阪神三宮駅の改札です。

こちら側の改札が出来たのは、エスカレーターが出来てからで、それまではわざわざそごう側の切符販売機で買って、さんちか側の改札から入る、いささか不便な構造でした。(そごうの客にとっては好都合)

 

(2000年5月撮影)

1番線、大阪梅田行きホーム。柱が多いのは戦前の作りだからです。入線してくる2000系が見えるのは元町方向へ向かう2番線です。

さらに奥には3番線がありますがこちらは終点になっています。昔は西九条行き西大阪特急(N特)が発着していましたが、近年は快速急行や普通が発着します。5両分しかホームがないので、急行はドアカットします。

地下線は架線の高さが低く、パンタグラフを低くまで下げて入線しますが、今の下方交差タイプでなく昔の大型パンタグラフは、ほとんど下げきったような形でしたから違和感がありました。

(2002年8月撮影)

0番線は梅田行きの降車ホームです。1番線が上の写真のように柱があって狭いので、工夫されたものですがすぐに乗車側の扉も開くので完全に乗降分離はされていません。さらに上り電車のホームからはエスカレーターがないので狭い階段を昇らなくてはなりません。

しかし、昔は隣駅の元町が始発だったので、降車する人は少なかったはずなので、三宮の開業時からさらに西への伸延計画があったことがうかがえます。ちなみに湊川まで伸延する特許は出ていたようですが、神戸高速鉄道の建設によってなくなっています。

 

 

ところで、余談になりますが子供の頃(1970年頃まで)はヘッドライトと識別灯の他に、特急ヘッドマークのVマーク?中央にもライトが入っていて、三宮入線時は5個のライトが光って区別できました。

貫通扉正面に付けられたヘッドマークは昨年まで使われていましたが、ライトはなかったのです。あれはどこへ行ったのだろう?

昭和30年代の特急の写真を見ると運転席下にヘッドマークが付いており、Vマーク?の色は濃い青、特急の文字は小豆色(3011形の色!)でしたが、何故か記憶にありません。Vマークの黄色いヘッドマークは行き先表示板の必要になった神戸高速乗り入れ時に統一されたらしいのですが、このライト入りヘッドマークはそれ以前、「夜間特急」用だったようです。さすがにこの当時の写真はないのが残念ですが。

(写真は行き先表示器の無い頃の7001形)

それにしても、壁のタイルといい、柱の多さといい、戦前の地下駅の面影を留めていますが、阪神の神戸中心駅としてはこのままではいけないのではないでしょうか。改札も西側に二カ所しかなく、東側(新聞会館側)に作ることもかつて聞いたことはあるのですが、実現しません。ホーム有効長も6両ぎりぎりで、最近の高架駅が10両編成対応なのに、矛盾します。西大阪線が難波に伸延すると、近鉄との相互乗り入れが始まりますが、このときに三宮まで乗り入れることが決まっています。車両長の長い近鉄電車ではなおさら手狭なので、いよいよ三宮駅の大改造が始まるようです。

そうなったらそうなったで、少し寂しくはなりますが、阪神の発展のためには是非とも最新構造の駅に変身して欲しいものです。

続き

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