シュパンダウ【Spandau】は現在のベルリンの西にある古都である。 |
工程:2 シュパンダウ機銃
航空機が戦場に登場した当時は性能も未熟であったため、有効な兵器としては捉えられていなかった。
もっぱら、偵察や観測などに使われ、パイロットも優雅というか呑気というか極めて紳士的であり、飛行中に敵と遭遇してもお互いに敬意を表してすれ違ったりしていたようだ。
その後、航空機に拳銃やライフルを持ち込むようになり、空中でも戦闘が行われるようになる。
自ずと兵装も進化し、固定的に武器を積み込むようになり、より強力になってゆくのは当然の流れである。
戦闘機が敵機を追尾して攻撃するとき、最適な武器位置はパイロットの視線の先(機首)である。
しかし、通常、単発プロペラ機の機首にはプロペラが取り付けられているため、この位置に機銃を置くと自らの射撃によってプロペラを破壊してしまう。
航空戦初期にはプロペラに金属板を貼付け(もちろん、当時のプロペラは木製のソリッド)て、プロペラに当たっても兆弾するようにしたり(乱暴な話だ…)、苦肉の策として胴体後部にプロペラを配置した推進式の機体もあった。
そうした流れの中で、フォッカー社の技師、アントニー・フォッカーが開発したものが、エンジンのクランクシャフトにカムを取り付け、プロペラ位置が機銃の射線と重なる時は銃弾発射を制御するシステム、プロペラ同調機構である。
これによって、戦闘機の攻撃力は飛躍的に向上した。
同調装置を初めて搭載したのはフォッカーM5K(軍制式名E.I)単座高速偵察機、あるいはフォッカー E.III 単座戦闘機と言われている。
どちらも型番“E”のアインデッカー”Eindecker”:単葉機である。
物の本には『世界で初めてプロペラ同調機構を取りつけた機体は、機銃を発射しながら悠々と接近し、多くの連合軍機を撃墜するその姿は連合軍に大きな衝撃を与え、「フォッカーの懲罰」と連合軍側に怖れられた。』とある。 連合軍側では1916年後半にブリストル・スカウトが同調装置を積んだという。
年代的に、このDr.1の同調装置はそこそこに精度が上がってきた物であろう。
しかしながら、その後の航空機の性能向上はめざましかった。
同調装置を持ってしても避けきれない機銃暴発−プロペラ破壊の危険や、同調が追いつかないほどのエンジン馬力の向上(回転数増加)、搭載銃の大型化、弾薬量の増加要求などから、第二次世界大戦頃から航空機武器は主翼装備へ転換、この“画期的な装置”はメカニズムの表舞台から退場していった。
更に技術が進み、プロペラを持たないジェット機の時代になると、当然同調装置は全く無用の技術となってしまうのだ。
漫画映画「紅の豚」で主人公マルコ(ポルコ・ロッソ)が闇商人から購入する機銃も確かこのシュパンダウだったように記憶しているのだが…
あとでもう一度見直してみよう。
ありゃま、今回は模型の話が一行もない…
思ったよりもずっと作業がはかどってしまい、このままではコスト分以上の楽しみ(少なくとも半年はかけて楽しみたい)が難しくなりそうなので、ここ数日作業をお休みしている。
…と、いうわけで、以下、恐らく第3工程機体へ続く(…と、思う)