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記載日

記事

ジャケット写真

2007.7.16
MON
破局あゆは映画に意欲、長瀬より女優

 長瀬智也(28)と破局した浜崎あゆみ(28)が、女優業にも強い意欲を持っていることが14日、分かった。歌手としての本格的なアジア進出に向けて準備を水面下で進める一方、映画などに主演するプランも浮上している。ファッションなど若者文化をリードしてきた歌姫は、結婚よりも仕事を選択。結婚秒読みともいわれた7年間に及ぶ親密交際に自らピリオドを打つことで、さらなるステップアップと強い仕事への意欲をアピールした。
 破局報告から一夜明けたこの日、浜崎は自分の会員制サイトのメッセージを更新した。関係者によると、浜崎を気遣うファンから届けられた声に対する返信として「私たちは恋人同士という枠を取っ払ったことによって、以前にも増して、深いきずなでつながれている関係になれたの」と補足説明した。さらに「愛にはいろんな形がある。1つとして同じものはない。私たちの愛の形はこれなんだよね。とても前向きな決断だと受け取ってもらえるとうれしいよ」とつづった。
 浜崎が発展的な交際解消を強調した裏には、仕事に対する強い意欲があるという。破局の引き金となった原因について、複数の関係者は新恋人の存在を否定。仕事に専念する環境づくりのための前向きな決断ととらえているという。浜崎は「アジア最強の創造力」を目指すエイベックスのアジア戦略の大黒柱として期待されているからだ。
 浜崎は3〜6月、台湾、香港、上海を回る初アジアツアーを敢行した。約17万人を集めて興行的にも成功。反響も大きく、浜崎も「たくさん勉強させてもらいました」と刺激を受けた。早ければ09年にも規模を拡大したアジアツアーを再演する計画を進めている。
 さらに、来春10周年を迎える音楽活動に加え、女優業に本格的に取り組む決意も固めている。映画関係者によると、来年公開の映画に主演することが内定。今夏から撮影に入るという。モデルとして芸能界入りした浜崎は、長瀬と共演した93年のドラマ「ツインズ教師」で女優デビュー。98年の歌手デビューまで、演技中心にキャリアを磨いてきた。
 02年には短編音楽フィルム「月に沈む」に主演。行定勲監督から「女優としての可能性をたくさん感じた」と絶賛されている。18日発売の新曲「glitter」のPRビデオ(短編映画仕立て)にも主演。香港で撮影したキスシーンを初披露するなど、新たな魅力を見せた。破局を惜しむ声も多いが、浜崎は仕事に打ち込むというメッセージを打ち出したと言えそうだ。

2007年7月15日  日刊スポーツ

あゆ「私達の愛の形はこれ」

 「TOKIO」のボーカル・長瀬智也(28)との破局が明らかになった歌手の浜崎あゆみ(28)が14日、会員制サイトにファンに向けてのメッセージを発表した。前日13日の破局報告に続き、2日続けてのメッセージで「恋人同士という枠を取り払ったことによって、以前にも増して深い絆でつながれている関係になれたの」と改めて長瀬との関係を説明。「愛には色んな形がある。ひとつとして同じものはない。私達の愛の形はこれなんだよね」とつづると、「とても前向きな決断だと受け取ってもらえるとうれしいよ。だから、どうか悲しまないでね」と呼びかけている。

 また、あゆの「メル友」の歌手・和田アキ子(57)はニッポン放送「アッコのいいかげんに1000回」(土曜・前11時)で2人の破局に言及。「前からもうだめかなと思ってた。あゆのわがままのような気がする。あゆには当分彼氏はできないと思う。付き合っていてほしかったから残念ですね」と語っていた。

2007年7月15日  スポーツ報知

あゆ「私たちの愛の形はこれなんだ」

 TOKIOの長瀬智也(28)との7年間の交際にピリオドを打ったことを13日夜、明らかにした歌手の浜崎あゆみ(28)が公表から一夜あけた14日、自身のホームページ(会員制)で「とても前向きな決断だと受け取ってもらえると嬉しいよ。」と改めてファンにメッセージを寄せた。
 「皆にものすごく心配かけちゃってるみたいなので」と破局報道の“事態の収拾”を図るため、再びHPに書き込んだあゆ。「あのね、私たちは恋人同士という枠を取っ払った事によって、以前にも増して、深い絆で繋がれている関係になれたの。愛には色んな形がある。ひとつとして同じものはない。私達の愛の形はこれなんだよね。」とつづり、「だから、どうか悲しまないでね」と結んでいる。
 出会いから14年。交際から7年。あゆがCM発表会見で左手薬指につけた指輪を「彼にもらった」と告白後に2人が交際宣言してから6年。今回は互いの所属事務所が破局を認めた。2人は昨年から都内のマンションで同棲を始めていたという情報について、長瀬に近い関係者は「同棲ではなく、互いにかぎを持って通っていた形に近いのでは」と説明している。

2007年7月15日  デイリースポーツ

浜崎&長瀬 同居が距離生んだ?

 歌手の浜崎あゆみ(28)がTOKIOの長瀬智也(28)との破局を明らかにしてから一夜明けた14日、2人が同居していた都内のマンションは、ひっそりとしていた。ここから浜崎が引っ越したのは今月初め。長瀬はその後1週間、浜崎の翻意を待ったが、話し合いの結果、別れを決断。長瀬もこの日までに家を出た。

 2人の愛の巣だった東京・港区にあるメゾネット型(複数階仕様の間取り)のマンションは14日、人の出入りがなく、降りしきる雨音以外、静まり返っていた。

 今月上旬に浜崎が引っ越してから1週間。本紙の取材では、このマンションで浜崎の母親と長瀬の2人が、別々の階で“同居”している状態が続いていたが、ついに長瀬もここを引き払った。

 近所の住民によると、引っ越しの動きがあったのは13日午後。浜崎が告白文の中で「7年間もの月日を共に歩んできた同志。いきなり、他人なんてなるわけもなく、今までと変わらず連絡も取り合う」と明かした通り、2人で歩調を合わせて、破局発表の段取りを決めていたようだ。

 関係者によると、浜崎が家を出た後も、2人は話し合う機会を設けた。多忙なトップスター同士の7年間の交際は、決して順風満帆ではなく、何度か破局の危機があった。そのたびに乗り越えてきたが、今回だけは浜崎が翻意することはなかった。告白文の最後で「生きるってのは常に自分の手で選択をし続ける事」と記していることからも、別れの決断に浜崎の強い意向があったことは間違いない。

 14日は浜崎も長瀬も仕事はオフ。関係者は、破局の原因について「男女問題とかはない」と強調。昨年からの同居生活で「初めて見えた部分が互いにあったようだ。より身近になるはずが、逆に2人の距離を生むことになってしまった」(知人)との指摘もある。

2007年7月15日  スポーツニッポン

 
2007.6.16
SAT
AM1:00
宮崎あおい電撃入籍

 女優の宮崎あおい(21)と俳優の高岡蒼甫(25)が大安吉日の15日に電撃入籍したことが分かった。この日夜、双方の所属事務所が発表した。2人は連名で「新たな気持ちで仕事に取り組み、幸せな家庭を築いて参りますので、よろしくお願い申し上げます」とのコメントを出した。2人の交際は昨年7月に写真誌「フライデー」の報道で発覚したが、約7年の交際を実らせての入籍だ。
 5月に行われた主演映画「初雪の恋 ヴァージン・スノー」の舞台あいさつでも、宮崎は左手薬指に指輪を輝かせ、ゴールイン秒読みであることをうかがわせていた。

  宮崎は、昨年のNHK連続テレビ小説「純情きらり」に主演、来年の大河ドラマ「篤姫」の主演にも決定している。高岡は映画「パッチギ!」に出演するなど、テレビや舞台などで活躍している。

2007年6月15日20時54分  スポーツ報知


宮崎あおい(写真:スポーツ報知)
2007.5.29
MON

謎?謎?謎? ZARD急死の真相、飛び交う憶測

 27日に脳挫傷で急逝した人気音楽ユニット「ZARD」のボーカル、坂井泉水さん(享年40、本名・蒲池幸子)の死因にさまざまな憶測が飛び交っている。ある音楽関係者は「身辺整理をしていなかった。詞を書くなど、復帰に前向きだった」と自殺説を完全否定するが、入院先の病院関係者は「自殺しかあり得ない。病院側の管理責任が問われる」と明かす。滅多に表舞台へ姿を見せず、謎の多かった孤高のシンガーの最期は深い闇に包まれている。

 自殺と事故の両面で調べを進める警視庁によると、坂井さんは26日午前5時40分ごろ、東京・信濃町の慶応大学病院の駐車場で、頭から血を流してあおむけで倒れているところを通行人に発見された。坂井さんは病棟脇にある非常用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられている。

 慶大病院の関係者は次のように明かす。

 「患者があれほどの早朝に、非常通路に出入りすることはない。しかも、雨が降る早朝に散歩することも不自然だ。自らの意思で乗り越えたとしか思えない。状況から考えて自殺ではないのか。病院関係者の多くがそうみている」

 坂井さんは現場となったスロープのある病棟の4階に入院していたが、病棟からスロープへは施錠してあるため、直接出入りはできないという。

 この関係者は続けて、「患者に自殺を許してしまった病院側に管理責任問題が問われる可能性もある」とも話す。

 警視庁の発表によれば、坂井さんが手すりを乗り越えた痕跡が見つかっており、「足を滑らせた」と発表した事務所側のコメントと大きく矛盾している。

 一方、音楽関係者は「遺書もなかったし、病室が整理された様子もまったくない。病室では詞を書き留めたり、秋ごろをめどに、ツアーやアルバム製作を予定するなど、復帰にはとても意欲的でした」と真っ向から自殺説を否定する。

 坂井さんは発見時、私服で病室のベッドにはパジャマが脱ぎ捨てられていた。さらに、坂井さんはファンクラブの最新の会報にも「体調は思わしくないが、頑張っている」と前向きなメッセージを寄せていたといい、生前、自殺の兆候がなかったことを物語る。

 乗り越えたとされる手すりは1階部分で、警視庁では「自殺で3メートルの高さは低すぎる」と漏らす捜査関係者もいる。坂井さんが手すりに腰掛け、誤って転落した可能性も含めて調べているが、目撃者もなく、死因の断定には時間がかかりそうだ。

 ◇

 坂井さんの通夜は29日、告別式は30日に近親者のみで営まれる。ファンや関係者に向けた「音楽葬」が、来月27日、青山葬儀所(港区南青山)で執り行われることが決まった。

(フジ夕刊 5月29日17時0分配信)

「ZARD」坂井泉水さん転落死…事故と自殺両面捜査

 「負けないで」など多くのヒット曲を出した人気ポップスグループ「ZARD」のボーカル坂井泉水(さかい・いずみ、本名・蒲池幸子)さんが東京・信濃町の慶応大病院の避難用スロープから転落し、27日午後3時10分に外傷性頭蓋(ずがい)内損傷(脳挫傷)で死去した。40歳だった。所属事務所が28日、発表した。坂井さんは昨年6月に子宮頸(けい)がんの摘出手術を受けたが、今年3月に肺への転移が見つかり、4月に再入院していた。警視庁四谷署では事故と自殺の両面で調べている。

 四谷署によると、26日早朝、通行人があおむけで倒れている坂井さんを発見し、同午前5時42分、病院内の防災センターに通報した。発見当時はまだ息があり、同病院内の集中治療室に運ばれたが、翌27日午後3時10分に両親や親族にみとられながら、静かに息を引き取った。

 調べでは、坂井さんの足跡や手すりに触った痕跡などから、自身の病室のあった1号棟の屋外にある避難用スロープの1階から2階へ上がる途中の手すり(高さ約3メートル)から転落したとみられる。その際、後頭部を強打したことが致命傷となったが、どのような体勢で転落したのかは現在調査中。事件性がないため解剖は行わず、遺体は都内の自宅に運ばれた。

 同署では事故と自殺の両面で調べているが、遺書は見つかっていない。さらに、靴を履いたままだったこと、カジュアルな外出着だったことから、警察関係者は「自殺ではない要因がいくつかある。本当に死ぬ気だったら、もっと高い所から飛び降りているはず」と話している。所属事務所「リレーションズ」では「体力回復のためにも早朝に敷地内を散歩するのが日課だった。前日の雨により足を滑らせて転落したようだ」と説明している。

 坂井さんは昨年6月に子宮頸がんが見つかり、摘出手術を受けた。退院後はジャケット撮影を行うなど復帰に向けて準備をしていたが、今年3月の検査でリンパからの転移とみられる肺がんが見つかった。4月に再入院し、放射線と抗がん剤の治療を受けていた。

 病気を苦にしての自殺の可能性も考えられるが、事務所によると、今秋にはアルバムの発売や全国ツアーも予定しており、病室でもスタッフと仕事の打ち合わせを行ったり、作詞を行うなどしていた。また肺がんは初期のもので「治療の効果がみられた矢先のことだった」(事務所関係者)。別の関係者は「抗がん剤の影響で髪が抜けることもなく、見た目もほとんど変化がなかった。『病気に打ち勝つ』が口癖だった」と話している。

 坂井さんは91年にデビューし、シングル(42枚)、アルバム(17枚)の総売り上げは歴代8位の約3621万枚に上るトップアーティスト。初のミリオンヒットとなった「負けないで」はセンバツ高校野球の行進曲に使用されたほか、93年には当時の巨人軍・長嶋茂雄監督と共演したシングル「果てしない夢を」も話題となった。表舞台に一切出ないスタイルを貫きながら、90年代を代表するグループの1つとして一世を風靡(ふうび)した。

 29、30日に都内で近親者だけの通夜、告別式が営まれ、後日ファンに向けたお別れ会を行う。

 ◆子宮頸がん 婦人科のがんで最も一般的な子宮がんの一種。罹患(りかん)率は、40歳前後が多く、その後は横ばいで、70代後半以降再び増加。近年、罹患率、死亡率ともに若年層で増加傾向にある。非常にゆっくり増殖し、通常、初期段階ではまったく症状がないが、出血などの症状が多い。外科療法、放射線療法、抗がん剤による化学療法の3つの治療法がある。

 ◆坂井 泉水(さかい・いずみ)1967年2月6日、神奈川・秦野市生まれ。タレントなどを経て、91年にZARDのボーカルとして「Good‐bye My Loneliness」でデビュー。ZARDは当初グループだったが、次第に坂井のソロプロジェクトとなる。シングルトップ10入りの40作という記録は女性歌手で1位。デビュー以来、表舞台に登場しなかったが、04年に初の全国ツアーを行った。

(2007年5月29日06時01分  スポーツ報知)

ベールに包まれた坂井さんの生涯…素顔はシャイで気配りの人

 ロックユニット、ZARDの坂井泉水さん(本名・蒲池幸子)が27日午後3時10分、脳挫傷のため、都内の病院で死去した。40歳だった。
 素顔をさらさない“覆面歌手”は、最後まで謎を残して天国へと旅だった。
 坂井さんは平成3年にロックバンド、ZARDの一員としてデビュー。ただ、作詞とボーカルを務める彼女以外のメンバーは楽曲のたびにかわり、実態はZARDが坂井さんそのものだった。
 5年にテレビ朝日系「ミュージックステーション」に出演したのを最後に表舞台に出ることはなく、プロモーションで流れる彼女の姿が“動く坂井泉水”のすべてとなった。謎は謎を呼び「歌手とは別に写真で顔を出すモデルがいる」と影武者説まで飛び交った。
 ZARDをはじめ、大黒摩季(37)らビーイング系アーティストはそんなイメージ戦略と、さわやかで口ずさみやすいメロディーで、1990年代に音楽業界に一大旋風を巻き起こした。
 特にZARDの歌は、バブル崩壊後の日本を励ました。初ミリオンとなった5年の「負けないで」は翌年センバツ高校野球の入場行進曲となり、球児たちを鼓舞。また「揺れる想い」「きっと忘れない」など恋愛をテーマにした楽曲は、前向きな歌詞と明るい曲調で恋に悩む女性に希望を与えた。
 歌手デビューする前は本名の蒲池幸子でレースクイーンとして活動。岡本夏生(41)とともに日清カップヌードルレーシングチームに所属し、写真集を出すほどの人気者になった。しかし、歌手の夢を捨てきれず、ビーイングの門戸をたたき、総帥の長戸大幸氏(59)を認めさせた努力家でもあった。
 シングルトップ10獲得数(40作)で女性ボーカル部門1位など数々の金字塔を打ち立て、90年代最高の女性シンガーとうたわれた。が、素顔はシャイで気配りの人だったという。ジャケット写真に横顔が多かったのも、ポーズを取るのが苦手だったからだ。
 関係者によると、3年前に初ライブツアーを行った際、スタッフ一人ひとりに声を掛ける気遣いを見せ、後輩の倉木麻衣(24)や愛内里菜(26)が会場へ訪れた際には、わざわざ会って優しく話しかけたという。その人柄は、澄み切った歌声とともに人々の胸に刻まれている。

(サンケイスポーツ 5月29日8時1分配信)

ZARDの坂井さん、手すり乗り越えて転落か

 がんの闘病生活を続けているさなか、入院先の病院で死亡していることが明らかになった人気ポップスグループ「ZARD(ザード)」のボーカリスト、坂井泉水(いずみ)(本名・蒲池幸子)さん(40)は、病棟の避難用スロープの手すりを乗り越える形で、約3メートル下の地面に転落した可能性が高いことが、警視庁四谷署の調べでわかった。

 所属事務所によると、坂井さんは、最近は早朝の散歩を日課にしていたという。同署では、事故と自殺の両面から、転落に至る詳しい経緯を調べている。

 同署によると、検視の結果、坂井さんの死因は、後頭部を強打したことによる外傷性頭蓋(ずがい)内損傷とみられる。また、避難用スロープには転落を防ぐため、高さ約1・2メートルの手すりが設置されている。発見時、坂井さんは私服姿で、スロープ脇の地面にあおむけで倒れていた。

(読売新聞 5月28日22時34分配信)

「負けないで」など名曲残し、ZARD坂井泉水さんが急死

 人気ポップスグループ「ZARD(ザード)」のボーカリスト坂井泉水(いずみ)(本名・蒲池幸子)さん(40)が、入院先の東京都内の病院で死亡していたことが、28日明らかになった。
 警視庁四谷署によると、26日午前5時40分ごろ、坂井さんが慶応大病院(新宿区)の病棟脇の地面にあおむけに倒れているのを通りがかった人が発見した。
 坂井さんは、後頭部を強く打っており、同病院で手当てを受けていたが、27日午後、死亡した。
 同署によると、坂井さんは避難用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられ、事故死と自殺の両面で調べている。争った形跡はなく遺書もなかった。

(読売新聞 5月28日14時20分配信)

<ZARD>坂井泉水さん死去 病院のスロープから転落

 「負けないで」などのヒット曲で知られる人気歌手、ZARD(ザード)の坂井泉水(さかい・いずみ、本名・蒲池幸子=かまち・さちこ)=さん(40)が27日、入院していた東京都新宿区の慶応大病院で脳挫傷のため死去した。病院のスロープから転落したとされ、警視庁四谷署は詳しい状況などを調べている。
 同署によると、26日午前5時40分ごろ、同病院の外に取り付けられたらせん状スロープ下のコンクリート地面に、坂井さんが倒れているのを通行人が見つけた。靴ははいており、ジーンズにTシャツ姿で、27日に死亡が確認された。所属事務所「リレーションズ」によると、日課にしている散歩から病室に戻る途中で、前日の雨でぬれていたため足を滑らせ約3メートル転落し、後頭部を強打したという。
 事務所によると、坂井さんは昨年6月に子宮けいがんのため摘出手術を受け、入退院を繰り返したが、肺への転移が見つかったため、今年4月に同病院に入院。抗がん治療はうまくいっていたという。秋にアルバムの発売を予定し、3年ぶりのライブツアーも計画中で、病室でスタッフと打ち合わせをしたり、詞を書きためるなど再起を目指していた。
 坂井さんは神奈川県出身で、東京都町田市在住。レースクイーンを経て、91年にZARDのボーカルとして「Good―byeMyLoneliness」でデビュー。93年の「負けないで」が大ヒットし、94年のセンバツ入場行進曲にも選ばれた。97年のベストアルバム「ZARD BLEND」は累計250万枚を記録。00年の「Get U’re Dream」はNHKシドニー五輪テーマ曲になった。
 99年には高額納税者の長者番付の「歌手」部門で5位にランクイン。「揺れる想い」「君がいない」「Don’t you see」などミリオンセラーを連発し、テレビやラジオなどにほとんど出演しないことでも知られていた。
 事務所は「坂井泉水が数々のヒット曲とともに、いつまでも皆様の心の中に生き続けることを願ってやまない」とコメント。葬儀は密葬で行い、ファン向けの「お別れの会」を予定している。

(毎日新聞 5月28日11時53分配信)


ZARDの坂井泉水さんが死亡し、所属事務所には祭壇と遺影が設けられた(東京・港区六本木で)

 

 

 


坂井さん死去の知らせに報道陣が集まった慶応大病院前

 

 


坂井さんの転落現場。この白い手すりを乗り越え、3メートル下のコンクリート部分に落ちた=東京・慶応大病院

2007.4.27
FRI
狩人解散へ 今後はそれぞれに挑戦

 「あずさ2号」や「コスモス街道」などで知られる兄弟デュオ、狩人が26日、都内で会見し、年内で解散することを発表した。今後は、兄・加藤久仁彦(50)はソロ歌手、俳優を続けながら、ボクシングに挑戦。弟・高道(47)は歌手活動を続けながら、歌手の派遣事業も始める意向を示した。
 解散理由については「あえて厳しい環境に身を置き、もまれてみようと思った」(久仁彦)、「もともとソロでやりたかった2人だし、この10年の間に挑戦してみようとなった」(高道)と説明。
 今後、ボクシングの道を目指す久仁彦は「プロは年齢でできないので、アマチュアの大会があれば」とし、人材派遣会社に歌手として登録して活動をするという高道は「芸能プロでは歌う場所が限られるので」とした。

(4月27日デイリースポーツ)

 
2007.2.6
TUE

松崎さん、仕事自粛へ=免許無効「知らなかった」

効力のない米国発行の国際運転免許証で人身事故を起こし、道交法違反(無免許運転)と業務上過失傷害の疑いで書類送検された歌手の松崎しげる(本名茂幸)さん(57)が6日、札幌市内のホテルで記者会見し、「芸能人として、お騒がせしたことをおわびしたい」と述べ、当面、仕事を自粛する考えを明らかにした。
 一方で、2002年の改正道交法施行により、海外滞在が3カ月未満の場合は、同免許証では日本国内での運転ができない規定が盛り込まれた点については「全く知らなかった。自分に通達もなかった」と説明。「うっかり、ちゃっかり乗っていたわけでなく、合法だと思っていた。個人としては無免許と言われることに、まだ疑問符が残っている」と話した。

(2月6日時事通信)

ススキノ人気NO1ジンギスカン店、1億7000万円脱税逮捕

 札幌地検は5日、約1億7000万円を脱税したとして、所得税法違反などの疑いで、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)北海道本部の元幹部で、ススキノの有名ジンギスカン店「だるま」経営者の金和秀容疑者(66)ら3人を逮捕した。
 捜査のメスが入ったのは、あの名店だった。「だるま」は、同種の店が数十店もしのぎを削るススキノで最も有名な店。1954年創業の老舗で、ジンギスカンブームの草分け的存在だった。雑誌などで頻繁に紹介され、U字形のカウンター約20席は、夕方の開店直後から客で埋まり、夜遅くまで行列が途絶えない。
 この売り上げが脱税され、総連を通じて北朝鮮本国に流れていた可能性が浮上した。調べによると、金容疑者らはススキノにある2店舗の売り上げを少なく見せかけ、所得税約1億7000万円を脱税した疑い。
 札幌国税局の通報を受け、同地検が調べていた。
 ほかに逮捕されたのは金容疑者の妻・徐延淑(61)と、義理の娘・李正愛(34)。また、道警は無資格で税理士業務をしたとして税理士法違反容疑で、総連系の在日本朝鮮北海道札幌商工会幹部・河栄学容疑者(34)も逮捕した。
 地検や道警はこの日、中央区の総連道本部、商工会など10か所を捜索。静まりかえった朝のススキノでは、路地裏にある小さな「だるま」本店内を、捜査員らが捜索した。店はこの日も通常通り、夕方から営業を続けた。 

(2月6日スポーツ報知)

漫才の宮川大助さん、脳出血で入院

 夫婦漫才「宮川大助・花子」の大助さん(56)が、脳出血で大阪市内の病院に入院したことが6日、分かった。

 所属する吉本興業によると、大助さんは5日夜、左手足のしびれを訴え、1か月の入院と約2か月の通院が必要と診断された。意識などははっきりしているという。

(2月6日読売新聞)

 
2007.1.4
THU

NHKお粗末釈明「知りませんでした」

 12月31日に行われた「第57回NHK紅白歌合戦」の平均視聴率が2日、ビデオリサーチから発表され、関東地区で第1部が30.6%と90年と並ぶ過去最低で、関西地区で28.5%と過去最低タイ、午後9時30分からの第2部が関東地区で39.8%と04年の39.3%に次ぐワースト2位、関西では04年の38.6%を下回る史上最低だった。また、裸に見えるボディースーツの女性を従えたDJ OZMAの過激なステージへの抗議は、1日午後11時までに750件に上った。NHKは公式HPで「放送まで知りませんでした」と釈明。抗議殺到に加え、数字の低調と年明けから“踏んだり蹴ったり”となった。
 低調な数字がNHKのショックに輪をかけた。OZMAのステージへの抗議殺到に続き、視聴率は東西で厳しい現実を突きつけられた。“みの効果”で巻き返しに成功した05年に続き、さらなるアップを狙ったが…。ふたを開けてみれば歴代ワースト2位となる39・8%と04年に続く40%割れ。関西に至っては史上最低を記録してしまった。
 05年は、みのもんた(62)が白組司会で42・9%をマーク。低落傾向に歯止めをかけた。今回は8年ぶりにSMAPの中居正広(34)を起用し、紅組の仲間由紀恵(27)とフレッシュコンビを結成。出演者もリハーサルから暴走発言を繰り返したOZMAに加え、森進一(59)・森昌子(48)元夫婦が離婚後初共演するなど、話題は少なくなかった。
 期待のOZMAが“地雷”となった。バックダンサーの女性が衣装を脱いで下着姿に。そして、最後は“おっぱい丸出し”で踊る過激な演出(実際はボディースーツ)となったことで、放送直後から苦情が殺到。番組中に総合司会の三宅民夫アナウンサー(54)が前代未聞の生謝罪をした。
 NHK側はこの日までに、HP上で「このような姿になるということは放送まで知りませんでした」と釈明。OZMAの所属レコード会社も「(演出は)知らなかった」とし、実際にリハーサルは“下着まで”だったという情報も。確信犯?のOZMAに怒りをぶつけるように「今回の紅白のテーマにふさわしくないパフォーマンスだったと考えています。一部の視聴者の皆さまに不快な思いをおかけしたことを改めておわび申し上げます」と謝罪した。OZMAのコメントはないものの、“うり二つ”の氣志團・綾小路翔は元日に更新したブログで「昨年はありがとう。今年もよろしくな!おまえらにとって素敵な1年になりますように」と記したのみ。
 裏番組のTBS・MBS系「K-1プレミアム2006格闘技史上最大の祭典Dynamite!!」が平均19・9%をマークするなど、民放の追い上げは年々増している。苦しい立場に追い込まれた“国民的番組”が、首位の座から陥落する日は近いかもしれない。

(1月3日 デイリースポーツ)

紅白リハ中に倒れたNHK職員が死亡

 昨年12月31日午後に行われたNHK紅白歌合戦の直前リハーサル中に意識を失って倒れた同局制作局の男性職員(56)が、翌1日午後に死亡していたことが2日、分かった。職員は31日午後1時35分ごろ、本番のゲスト荒川静香の代役として、司会の仲間由紀恵らと会話する場面の練習を行っていたが、突然ろれつが回らなくなり、後方にあおむけに倒れた。卒倒した後はいびきをかき始め、うめき声も上げていた。約10分後に救急車が到着したが、既に呼吸停止状態。東京・渋谷のNHKホールから都内病院に搬送されたが、翌日息を引き取った。死因等は遺族の希望で公表されていない。
 職員は制作局でエンターテインメント番組を担当する管理職。当日はリハーサルに合わせて正午ごろ出社したという。NHKは事故当時「本人の持病や体調不良、睡眠不足などは聞いていない」と説明していた。

(1月1日 日刊スポーツ)

紅白“乳出し”苦情殺到

 NHK史上初のヌードに紅白が揺れた。第57回NHK紅白歌合戦が12月31日、東京・渋谷のNHKホールで行われた。DJ OZMAの歌唱場面にトップレスの女性ダンサーが複数登場。実は裸を描いたボディースーツを着た演出だったが、同局には「ふざけすぎ」などの苦情が252件寄せられ、急きょ放送中にアナウンサーが謝罪して対応した。歌合戦は白組の勝利で通算29勝28敗と白星が先行した。
 客席も画面を通しても目を疑った。女性ダンサーがトップレスで踊っている。「脱ぐしかねえ。ガチンコでチ○コ」などと宣言して注目されたOZMAのステージだった。「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」の間奏で円筒の布に隠れた後、瞬間移動したOZMAはブリーフ1枚の半裸状態で宙を舞った。見事に成功させたが、視聴者が驚いたのはバックダンサーの姿だった。
 男女51人のダンサーが下腹部をキノコ1本だけで隠す演出だった。ヌードに見えたのはボディースーツに精密に裸を描いた偽物だったが、同局には「子供の見ている時間にふさわしくない」などの苦情が、番組終了までに252件寄せられた。
 生放送中に総合司会の三宅アナウンサーが「実はダンサーはボディースーツを着用していて裸ではありません。誤解を招いて申し訳ありません」と謝罪した。偽物とはいえ同局史上初めてヌードを放送の事態に同局広報は放送中の取材には「演出の一部として認めた」と説明。しかし、番組終了後に「裸と見間違えかねない姿になることは演出側は知りませんでした。最終のカメラチェック(前日)とは衣装が違う。今回の紅白のテーマにふさわしくないと考えてます」と、見解を一転させた。同局幹部によると、リハーサルでは女性ダンサーはビキニ姿だった。
 出演後、苦情が寄せられたことにOZMAは「リアルに作りすぎたかなあ」とポツリ。それでも「見てくれなきゃ意味がない。だから(今回の)演出を考えました」と説明。紅白のために一肌脱いだが、肝心のNHKはアーティストを守るコメントがなかった。

(1月1日 日刊スポーツ)

DJ OZMA怪チン開チチ…第57回NHK紅白歌合戦

 第57回NHK紅白歌合戦 大みそかに東京・渋谷のNHKホールで行われた第57回NHK紅白歌合戦は大荒れになった。「開チン宣言」していたDJ OZMAは本物こそ出さなかったが、“偽チン”に“開乳ダンサー”を引き連れるパフォーマンスでお茶の間を仰天させた。同局には放送中から抗議が殺到し、本番中に謝罪する一幕もあった。

 NHKが、目玉と考えていたOZMAのステージで、世間から“大目玉”を食らった。リハーサル初日から“開チン”を期待させ、ステージ上では2度の生着替え。仰天パフォーマンスは、女性ダンサー50人の“おっぱいモロ出し”だった。

 ダンサー全員が、リアルな裸のボディースーツを着て、さらには股(こ)間にキノコ。裸スーツは一見、本物と見間違えるほど。OZMA本人は股間に白い“モノ”の模型を装着して、公約を守った。

 だが、直後から「ふざけすぎ」「子供の見ている時間にふさわしくない」という抗議が殺到。約30分後、総合司会の三宅民夫アナが「(衣装で)誤解を与える結果になり誠に申し訳ありませんでした」と、異例の謝罪を述べる事態に発展。抗議は約1時間超で252件に上った。

 OZMA本人は、終了後に説明を求める報道陣から一度、逃走。番組終了後に「リアルに作りすぎちゃったかな。見てもらいたいという一心だった」と猛反省した。石原真プロデューサーは「本番まで(衣装を)知らなかった」と釈明。リハでは“裸スーツ”ではなくビキニを着ていた。OZMA独断の“暴挙”だったようだ。

 度を過ぎたリップサービスには北島三郎(70)も「張り倒すよ!」と激怒したが、最後はイリュージョンでOZMAにすり替わって登場するなど、2人の遺恨すら茶番とも言える。期待外れどころか、「歌重視」のコンセプトをも無視したもので、大きな波紋を呼ぶことになりそうだ。

 北島三郎「DJ OZMAに抗議が殺到? おれは下にもぐってたから、分からねえんだよ。リハーサルも別々にやったから、どんな演出かも知らなかった。彼(OZMA)のこともよく知らないしな」

(1月1日 スポーツ報知)

紅白、細川たかし「歌詞忘れた〜」

 細川たかし(56)は歌詞が飛んだ! 「浪花節だよ人生は」の終盤で歌詞を忘れ、マイクを通じて「歌詞を忘れちゃったぁ〜」。実は84年の35回紅白でも、同曲を歌って歌詞を忘れている。「(横峯)さくらちゃんに応援よろしくって言ったら、分からなくなっちゃった」と反省。

(1月1日 日刊スポーツ)

紅白、美川憲一、手作り演出に満足

 美川憲一(60)が1000本のクジャクの羽根をつけて「さそり座の女」を熱唱した。ドレスの中に隠れていた10人以上のダンサーがすそを広げると、布は舞台一面を埋め尽くした。「今までは機械仕掛けに頼っていたけど、今回の早変わりとか全部、人の手なのよ」。紅白のテーマ「絆(きずな)」にふさわしい手作り演出。振付師真島茂樹が最後に登場し花を添えた。

(1月1日 日刊スポーツ)

氷川きよし 悲願「レコ大」に男泣き

 栄冠はきよしに輝く-。「第48回輝く日本レコード大賞」の授賞式(主催・社団法人日本作曲家協会など)の最終審査委員会が30日、東京・初台の新国立劇場で行われ、氷川きよし(29)が「一剣」で初の大賞を獲得した。演歌歌手の大賞受賞は「無言坂」の香西かおり以来13年ぶりの快挙。氷川はデビュー7年、10作目での受賞に感激に浸っていた。「夢のうた」でV2を狙った倖田來未(24)が最優秀歌唱賞に輝き、最優秀新人賞は「三日月」を歌った絢香(19)が獲得した。
 名前を呼ばれた瞬間、氷川は何かを思い出すように目を閉じた。立ち上がって同じ事務所の水森かおり(33)とガッチリ握手。さらに倖田、コブクロからも祝福されて手を握り合った。ゆっくりとステージに歩を進めると、自然とその目に涙が浮かんだ。「ファンのみなさま、お一人お一人に心から感謝でいっぱいです」。念願の受賞に興奮しながらもしっかりと思いを伝えた。
 00年にデビューして7年、区切りとなる10枚目のシングルでの栄冠だった。「20代最後で素晴らしい賞を頂いて、本当に忘れられない1日になりました」と感謝。司会の堺正章(60)に「天国のおじいちゃんに一言」と促されると「ありがとう!!」と声を張り上げ、感無量の表情で「一剣」を熱唱した。
 受賞の際、真っ先に脳裏に浮かんだのは“東京の母”の顔だった。10月に68歳で亡くなった所属事務所の会長夫人・神林公恵さん。デビュー以来公私にわたって面倒を見てくれたが、晴れ姿を見せることはできなかった。年々演歌への逆風が強まる中、6年連続で金賞を獲得していた氷川は、まるで公恵さんに導かれるかのように栄冠を獲得した。
 V4を狙った「日本有線大賞」は倖田にさらわれたが、逆に2年連続でのレコード大賞にはストップをかけた。レコ大は69年から大みそかに定着していた。しかし、下降線をたどる視聴率にTBSと主催者サイドが協議し、放送日を30日に繰り上げた。“改革元年”を飾ったのは氷川の演歌復興ののろしだった。

(12月31日 デイリースポーツ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本レコード大賞に輝き、関係者の祝福に大泣きする氷川きよし(左)=東京・新国立劇場

2006.12.31
SUN
日本レコード大賞に氷川きよし「一剣」 最優秀新人賞は絢香

 第48回日本レコード大賞の最終審査が30日、東京都渋谷区の新国立劇場であり、大賞は氷川きよし「一剣」に決まった。最優秀歌唱賞には倖田來未、最優秀新人賞には絢香が選ばれた。

 同賞は’69年の第11回以来大みそかに開催してきたが、今年は30日に繰り上げた。

(2006年12月30日 朝日新聞)

スキマ、大塚愛ら金賞…「レコード大賞」候補10組発表

「第48回日本レコード大賞」の金賞・新人賞の審査会が30日、東京・赤坂のTBS局内で行われ、同日に日本作曲家協会から各賞が発表された。

 金賞には2人組ユニットのスキマスイッチや、大塚愛(24)、氷川きよし(29)ら10組(受賞作品は別掲)が受賞した。新人賞には「三日月」がヒット中の絢香(18)、3人組ユニットのSunSet Swish、山本あき(28)、2人組ユニットのWaTの4組が選出された。

 表彰式は30日に東京・新国立劇場で行われ、金賞10作品の中から、日本レコード大賞と最優秀歌唱賞、新人賞4組から最優秀新人賞が選ばれる。この模様は30日午後6時半から全国TBS系で生中継される。

 また、特別賞には倖田來未(24)とEXILEがカバーした「WON’T BE LONG」、「たらこ・たらこ・たらこ」をうたったキグルミ、ジャズピアニストの秋吉敏子(76)ら5組が選ばれた。なお、主な賞は次の通り。

  ◆レコード大賞金賞受賞者 ▼w−inds「ブギウギ66」▼大塚愛「恋愛写真」▼倖田來未「夢のうた」▼コブクロ「君という名の翼」▼スキマスイッチ「ボクノート」▼中ノ森BAND「Fly High」▼氷川きよし「一剣」▼BoA「Winter Love」▼水森かおり「熊野古道」▼mihimaru GT「気分上々↑↑」
  ◆作詞賞 ▼中島みゆき「宙船(そらふね)」
  ◆作曲賞 ▼五木ひろし「高瀬舟」
  ◆編曲賞 ▼小林武史「指きり」

(2006年12月1日06時00分  スポーツ報知)

 
2006.12.17
SUN
倖田來未が日本有線大賞 涙の15冠目!!

 「第39回 日本有線大賞」の発表が16日、東京・赤坂のTBSで行われ、倖田來未(24)が大賞と最多リクエスト歌手賞、氷川きよし(29)の「一剣」が最多リクエスト曲賞、絢香(18)が最優秀新人賞を受賞した。
 倖田は昨年“エロカッコイイ”で大ブレークし、今年も勢いは止まらず。有線では倖田の曲に18万2734回のリクエストがあり、最多リクエスト歌手となった。
 大賞発表の瞬間は顔をおおって感激。涙をぬぐいながらステージに登場し「今年1年、自分で勝負をかけた。来年もみなさんに感動を与えたい」とあいさつ。いつもより露出度控えめのドレスで、バラード「夢のうた」を熱唱した。
 これで「ネイルクイーン」「着メロランキング」など15冠となり、金賞にノミネートされている大みそかの「日本レコード大賞」に弾みをつけた。
 絢香は「もらえるなんて思わなかった」と目を潤ませながら「三日月」を熱唱。氷川の「一剣」には9万5134回のリクエストがあった。

(中日スポーツ)

日本有線大賞 倖田が氷川のV4阻止

エロかっこよく連覇止め-。有線放送リクエストのデータを基に大賞を決定する「第39回日本有線大賞」の授賞式が16日、都内で行われ、歌手・倖田來未(24)が大賞を受賞した。史上初の4連覇を目指した演歌歌手・氷川きよし(29)は「一剣」で最多リクエスト曲賞を獲得したが、勢いに乗る倖田の前に野望は打ち砕かれた。

 受賞の瞬間、倖田を真っ先に祝福したのは隣に座っていた氷川だった。涙を浮かべてステージに立った倖田は「きよしくんが頑張っていたのを聞いていた」と氷川にエール。「来年もみんなに愛を聴かせられるよう頑張ります」と「夢のうた」を披露した。

 また、最優秀新人賞は絢香(18)が、特別賞はWaTが受賞した。

(デイリースポーツ)

 
2006.9.30
SAT
相武紗季のスッチー姿機体にも

タレント相武紗季(21)が27日、東京・羽田空港内でJAL先得ジェット就航発表会に参加し、自分の姿がプリントされた機体を前に客室乗務員姿を披露した。脚本家三谷幸喜氏と共演のCMは、今月前期CM好感度1位になるなど好評。相武が「セーラー服を脱がさないで」のリズムに乗って歌うCM曲「先得割引を逃さないで〜♪」も話題だ。この日も会場で流されたが、相武は「へたっぴですいません。笑って許してください」と赤面していた。

(日刊スポーツ) - 9月28日

作曲家市川昭介さん死去、73歳肝不全

 「アンコ椿は恋の花」などのヒット曲で知られる作曲家の市川昭介さん(いちかわ・しょうすけ)が26日午前5時、肝不全のため東京都渋谷区の病院で死去した。73歳だった。市川さんは、歌手都はるみ(58)を育てたことでも知られる。福島県出身。通夜、葬儀は親族だけで行う。
 市川さんは病室でもはるみのために作曲していた。はるみの所属事務所、中村一好代表(59)によると、亡くなる約10日前に中村代表が持ち込んだ2コーラスの詞に、小さなキーボードで曲をつけ、はるみを病室に呼び歌わせていた。
 その時、市川さんは「(鍵盤が)小さくてやりにくい。もっと、もっと曲を書きたい」と話し、最後まで創作意欲を失っていなかった。家族らにみとられた市川さんだったが、はるみは悲報を受けすぐに駆け付け、約4時間、遺体に付き添い2人だけの時間を過ごした。コメントできないほど落ち込んでおり、代わって中村代表は「曲の残りを完成させてCD発売するかもしれない」と、胸中を代弁した。
 市川さんは02年秋に体調を崩し入院。胃がんで「余命3カ月」と医師に宣告されたが東洋医学を取り入れ、一時は克服。しかし今夏、腹水がたまり、今月に入り再入院していた。
 市川さんの闘病を支えたのは、はるみの存在だった。師弟コンビで「アンコ−」のほか「涙の連絡船」「好きになった人」「大阪しぐれ」など、ヒットを連発。固いきずなで結ばれていた。
 64年、関西から上京し、弟子入り志願したはるみを、市川さんはお好み焼き店に招き、緊張をほぐそうとした。駆け出し時代のはるみを「ネコ」と呼ぶなど、気さくな人柄で歌手からも親しまれていた。
 はるみが一時、引退した時には、発表の前に相談を受けた。周囲に反対する声が強い中、敢然と弟子の決意を支持。当時、市川さんは「怠けて歌い続けてきていたならともかく、一生懸命に歌い続けてきた彼女なので、あえて引き留めなかった」と話した。
 引退前の最後の舞台、84年大みそかの紅白歌合戦の数日前には、1時間以上、歌唱レッスンに付き合い、激励。当時は公演先で感涙することが多かったはるみを「お前は歌手なんだから、泣くな。思いっきり歌え」と叱咤(しった)し続けた。
 絶妙の師弟コンビのほかにも、市川さんは多数の名曲を生み出した。歌手の個性を生かした曲作りを得意とした。手掛けた曲は3000曲を超す。

(日刊スポーツ) - 9月27日

広瀬香美カーリング歌う…来春公開映画の主題歌

 シンガー・ソングライターの広瀬香美(40)が、来春公開の映画「素敵な夜、ボクにください」(中原俊監督)の主題歌を歌うことが25日、分かった。女優・吹石一恵(23)と韓国俳優キム・スンウ(37)が主演するカーリングを題材にした話題作。曲はタイトル「サプライズ未来」で、来年3月に青森で開催される世界女子カーリング選手権大会の大会テーマ曲にも決定した。

 「ゲレンデがとけるほど恋したい」「真冬の帰り道」など冬をテーマにしたヒット曲で「冬の女王」の異名をとる広瀬が、トリノ五輪で人気スポーツになったカーリングを盛り上げる。

 「素敵な夜−」は、韓国ドラマ「ホテリアー」などで人気のキム・スンウと吹石が共演する話題作。恋と名声をつかむためにカーリングで五輪を目指すヒロイン(吹石)と、カーリング元韓国代表だった男(スンウ)の恋をコミカルに描く。

 製作サイドでは、冬を舞台にしたラブストーリーの主題歌を「冬の女王」広瀬に歌ってほしいと依頼。広瀬は、吹石のデビュー映画「ときめきメモリアル」(97年)の音楽と、吹石の歌手デビュー曲「セピア色の夏のフォトグラフ」をプロデュースした縁もあり快諾した。

 映画を見て書き下ろした「サプライズ−」は、2年ぶりのアルバム「GIFT+」(11月22日発売)に収録。広瀬は「前向きに生きる女性像に共感し、曲を作りました。吹石さんとも久しぶりにご一緒できてうれしい。この映画を見てこの曲を聴いたらポジティブになれること間違いなし!」と話している。

 さらに、同曲は世界女子カーリング選手権大会の(来年3月17〜25日・青森県営スケート場)の公式テーマ曲にも決定。同映画を見た大会組織委員会が曲を気に入り、「一緒に盛り上げてほしい」とオファーした。

 会場などで流れる予定で、五輪入賞を果たした「チーム青森」も大喜び。「マリリン」こと本橋麻里(20)は「アップテンポで前向きで、すごくリズムよく聴けた」。新メンバーの山浦麻葉(22)も「試合前に音楽を聴いてモチベーションを高めたりするのですが、そのときにピッタリ」とお気に入り。日本代表の活躍とともに、広瀬の歌声にもスポットライトが当たりそうだ。

(スポーツ報知) - 9月26日


JAL先得ジェット就航記念記者会見でポーズを取る相武紗季(撮影・小沢裕)
2006.7.2
SUN
M・シャラポワ、趣味は「切手収集」

[ロンドン 29日 ロイター] ロシア出身のテニス選手、マリア・シャラポワさんに切手集めという意外な趣味があることが分かった。
 この趣味を告白して以来、切手収集の専門雑誌からインタビューの依頼が殺到。試合後の記者会見でも切手に関する質問攻めにあい、趣味を明かしたことを後悔している様子だった。

(ロイター) - 6月30日

米米CLUB11年ぶりドラマ主題歌…新曲「君を離さない」

9年ぶりに活動を再開させた米米CLUBが、11年ぶりにドラマの主題歌を歌うことが28日、分かった。7〜9月まで日テレ系2時間枠「ドラマコンプレックス」(火曜・後9時)で、新曲「君を離さない」(8月30日発売)が使われる。

 米米がドラマの主題歌を歌うのは、95年のTBS系「新婚なり!」の「すべてはホントでウソかもね」以来。92年にはフジテレビ系「素顔のままで」の「君がいるだけで」がドラマ主題歌として歴代NO1の298万枚を記録した。

 新曲の中には「−例えば、君がいるだけで」と「君が−」の歌い出しと同じフレーズが入る憎らしい“演出”も。カールスモーキー石井は「ドラマチックでメロディアスな歌詞とメロディーが、主題歌としてより感動的に皆さんに聴いてもらえるのが楽しみ」と相乗効果に期待した。

 主題歌のほかにも、7〜9月には初の試みとして、CD+DVDのパッケージ3部作を連続リリース。9月28日からは、マリンメッセ福岡を手始めに11年ぶりの全国ツアー「再会感激祭」(5か所10公演)もスタート。

 活動は4月1日から7か月という期間限定。当初はシングル、アルバムをともに1枚ずつの発売と発表されていたが、空白の9年間を埋めるような凝縮された活動で、音楽シーンを大いに盛り上げてくれそうだ。
(スポーツ報知) - 6月29日

 


6月29日、テニスのマリア・シャラポワさんの趣味は「切手収集」。28日撮影(2006年 ロイター/Kevin Lamarque)
2006.2.28
SUN
倖田“ミラクル”!12週連続リリースすべてトップ10入り

歌手、倖田來未(23)が昨年12月から挑戦していた音楽史上初の12週連続発売の最終曲「Someday/Boys(ハートマーク)Girls」が、3月6日付オリコンシングルチャートで3位にランクインし、全12作品がすべてトップ10入りする快挙を成し遂げた。所属するエイベックスではギネス申請の準備を進めている。合計出荷枚数も12作で100万枚となった。
〔写真:日本音楽史に残る快挙を達成した倖田來未。新曲用のアーティスト写真では、インドの民族衣装風のコスチュームで“らしさ”を表現〕

 また、幻の新曲「Get It On」を3月1日から同社音楽配信サイト「ミュウモ」で独占発売することも決まった。同曲は、同8日発売のアルバム「Best〜second session〜」に収録するイントロ曲(約30秒)だったが、デキが良く、倖田の「なんとか1つの楽曲としてファンに届けれないか」との思いを受けて、新たにレコーディングし直し、約3分半の楽曲に仕上げた。12週連続シングルのイントロ曲ということから“0週目”と位置づけている。

 倖田は「思ったより早かったという気持ちと、やっとギネスに申請できるという安心感があります。企画に終わらないよう、いつも以上のクオリティーを目指して1曲1曲作ったので、次のベストアルバムも期間は短かったですが、中身の濃いものになったと思います。これからもいい意味で驚いてもらうようなことをやっていきたい」と話している。
(サンケイスポーツ) - 2月28日

 
2006.2.5
SUN
一青窈 “萌え系”に変身

歌手・一青窈(29)が4日、千葉県市原市市民会館で5日から始まる全国ツアー(全29公演)の公開リハーサルを行った。
 フリルのついたシャツ、フリフリのミニスカートという流行のメード風衣装で登場。“萌え系”に変身し、ヒット曲「かざぐるま」などを熱唱した一青は、「今回の内容は特に背伸びはしていない。ただ、いつも私の中では新しい思いが芽生えている」と抱負。2年ぶりのツアーには、打ち合わせ段階から参加するなど気合は十分。定評ある歌唱力もさることながら、衣装でも新たな一面を披露してくれそうだ。

(デイリースポーツ) - 2月5日
 

 

私の部屋にどうぞ、一青窈全国ツアー

歌手の一青窈(29)が原点に帰った。4日に千葉・市原市民会館で2年ぶりの全国ツアーの公開リハーサルを行った。「私の部屋にいるような気持ちになってもらえたら」とステージにソファを置くなど、リラックスした雰囲気。歌声と演奏にじっくりと耳を傾けてもらう狙いから「背伸びをせず、奇をてらった演出もありません」。リハーサルに1カ月半を費やすなど準備にはこれまで以上に力を注いだ。ツアーは今日5日の千葉・市原公演を皮切りに、全国29公演。初の沖縄公演で締めくくる。(日刊スポーツ) - 2月5日

 

 

 

目指せ!イケメン俳優「ボウケンジャー」

スーパー戦隊シリーズ30周年記念番組、テレビ朝日・ABC系「轟轟(ゴーゴー)戦隊ボウケンジャー」(19日スタート毎週日曜、前7・30〜)の制作発表会見が4日、都内で行われ、出演者5人が初お披露目された。
 5人は、過去最高の応募総数3000人を超す中から選ばれた。リーダーのボウケンレッド・明石暁役には、ラグビーで鍛えたスポーツマン・高橋光臣(23)。また、ピンクの西堀さくら役には、モデル経験もある末永遥(19)が選出されるなどイケメン3人&美女2人で構成されている。すでに映画化(8月公開)も決定し、高橋は「とにかく1年間ガムシャラに頑張っていきたい」と意気込みを口にした。
 同シリーズは現在、俳優として活躍するケイン・コスギや永井大、玉山鉄二ら輩出。若手俳優の登竜門的な存在で日笠淳プロデューサーも、「彼らもこれをステップに大きく羽ばたいて欲しい」と今後の活躍に期待を寄せていた。
 また、今後は日本プロ野球選手会(東京ヤクルト宮本慎也会長)とのコラボレーション企画として、キャッチボール普及活動を行うという。(デイリースポーツ) - 2月5日


萌え系に変身した一青窈=千葉県・市原市市民会館


ステージで座り込んで熱唱する一青窈(撮影・松田秀彦)


歴代のレッドをバックにポーズを決める轟轟戦隊ボウケンジャー(左から)ブラック・齋藤ヤスカ、イエロー・中村知世、レッド・高橋光臣、ピンク・末永遥、ブルー・三上真史=東京ドームシティ プリズムホール

2006.1.26
THU
倖田来未の妹misonoがソロ転向

 昨年8月に活動休止した3人組ユニットday after tomorrowのボーカルmisono(21)がソロ転向し、25日、都内で意気込みを語った。昨年ブレークした倖田来未(23)の妹で、休止後は京都の実家で楽曲制作に取り組んでいたといい「構成も手掛けたので見せるのが楽しみ」と話した。エロかっこいいセクシー路線の姉との差別化を聞かれると「お姉は見せてナンボ(笑い)。性格も正反対だし、私はセクシーさもないんで、ボーイッシュな『永遠の妹』で勝負します」。
 姉より約2年遅れてデビューしたが、ユニット活動で先に人気が出た。しかし、休止中に姉がブレークして状況が逆転。「ホンマうれしい。活躍を見てて、昔のお姉の気持ちが分かったし、同じラインに立てた。お姉とは『いつか2人で組もうな』と言ってるし、期待してください」と喜んだ。この日は、都内でライブに出演し、3月29日発売の「VS(ヴァーサス)」を初披露した。

(日刊スポーツ) - 1月26日
倖田妹・misono 胸は隠します

 歌手・倖田來未(23)の妹、misonoが25日、都内で行われたレコード会社のライブイベントに参加。約5カ月ぶりにステージに立ったmisonoは3月26日に発売するソロデビュー曲「VS(ヴァーサス)」などを披露し、新たなスタートを切った。
 misonoがボーカルを務めていたグループ「day after tomorrow」は昨年5月にホームページで活動休止を発表。misono自身「day―」の一員として参加した昨年8月以来のステージに「ワクワクしてます。リセットして“初めまして”ですね」と度胸満点で臨んだ。
 姉と比較されることにも「お姉ちゃんはうちにはないものを持ってはるし、路線も全然違う」とマイペースでわが道を行く。“エロかっこいい”に対抗する気もないようで「女性として勝っている部分はないと思う。(胸を指しながら)お姉ちゃんが武器にしている部分はうちはできるだけ隠したいんです」と苦笑い。普段の会話も「お姉ちゃんの恋愛話を聞かされてばっかり」だそうで、女らしさの部分ではすっかり白旗?
 デビューは倖田が先だが、ブレークしたのは妹の方が先。misonoが休んでいる間に姉が大ブレークし「逆の立場になって、やっとお姉ちゃんの気持ちが分かりました」と複雑な心境も告白。
 しかし「(倖田の)ファーストツアーのステージを見ながら、最初から最後まで泣いてました」と姉妹愛はたっぷり。「“2人で組みたい”っていうのはずっと言ってるんです」と“エロかわいい”ユニット構想も明かした。
(デイリースポーツ) - 1月26日

河村隆一が結婚 02年ミス日本佐野公美さんと23日入籍

元ロックバンド「LUNA SEA」のボーカルで、昨年6月に新ユニット「Tourbillon(トゥールビヨン)」を結成した歌手の河村隆一(35)が23日、2002年ミス日本グランプリで元タレントの佐野公美さん(26)と結婚したことがスポーツ報知の取材で分かった。公美さんとは昨春知り合い、秋ごろから交際がスタート。この日、都内の区役所に婚姻届を提出した。河村は「家庭的な人で、すてきなパートナー」と関係者には話している。挙式・披露宴の予定はない。

 関係者によると、2人は大安の23日、日付が変わる午前零時前に代理人を通じて都内の区役所に婚姻届を提出した。すでに新婚生活を始めているが、挙式・披露宴の予定はないという。

 佐野さんは静岡県出身で、聖心女子大在学中の02年にミス日本グランプリに選ばれた身長166センチのスレンダー美人。テレビのリポーターなどタレントとして活躍していたが、現在では芸能活動を休止している。自宅で手料理を作るなど家庭的な性格で、休日には2人で映画を見に行ったり、河村の趣味のレースの応援のため、サーキット場で過ごしたりしているという。

 2人は昨春、共通の友人を通じて知り合い、秋ごろから本格的に交際を始めた。河村は昨年6月に元LUNA SEAのINORAN、元D―LOOPの葉山拓亮とのユニット「Tourbillon」を結成。ソロ、ユニットの両方の活動で多忙を極めていたが、公美さんはライブ会場に足を運ぶなど、公私ともに支えとなっていたようだ。

 関係者は「精神的にも肉体的にもハードな日々を送っていた時期に体調を気遣い、献身的に尽くすなど、陰ながら河村の支えになり、今回の入籍になったのでは」と話している。

 96年にLUNA SEAの活動休止後、97年からソロ活動を開始。アルバム「Love」が約320万枚を売り上げるなど、抜群の歌唱力と甘いマスクでカリスマ的な人気を集める一方、“恋多き男”として数多くの浮名を流してきた。女優の松雪泰子(33)や元タレントの宝積(ほうしゃく)有香(30)との熱愛が報じられたほか、01年春から交際していたモデルの松田樹里(28)とは結婚間近とも伝えられた。公美さんとは交際開始から短期間でのスピード婚となったが「今までとは違うものを感じていたようだ」(関係者)という。

 河村は4月14日から28日まで、Tourbillonのライブ「TOKYO 5 NIGHT」を開催。東京・新宿厚生年金会館など3か所で5公演を行う。心強い最愛のパートナーを得て、心機一転のステージとなりそうだ。

◆河村 隆一(かわむら・りゅういち) 1970年5月20日、神奈川県生まれ。35歳。89年にLUNA SEAを結成。10万人野外ライブを成功させるなど絶大な人気を誇ったが、96年の一時活動休止を経て、00年に正式に活動を終了した。97年からソロ活動を開始し、アルバム「Love」は320万枚の大ヒットを記録。俳優としても映画、ドラマなどで活躍している。

訃報 加藤芳郎さん80歳=「まっぴら君」などの漫画家

47年間で1万3615回という新聞連載漫画の最長不倒記録を作った本紙の「まっぴら君」の作者で、NHK「連想ゲーム」などテレビでも親しまれた漫画家、加藤芳郎(かとう・よしろう)さんが、6日午後10時36分、呼吸不全のため死去していたことが16日分かった。80歳だった。葬儀は近親者のみで済ませた。自宅は非公表。喪主は妻敏江(としえ)さん。
 1925年、東京・渋谷生まれ。働きながら府立六中(現新宿高校)夜間部を卒業。小学生のころから漫画を描き、中学生で投稿を始める。「アサヒグラフ」や近藤日出造が主宰する雑誌「漫画」などで軒並み入選。戦争のため東京都防衛局に勤めながら、夜は川端画学校に通った。陸軍2等兵として従軍。戦後は東京都公園緑地課に勤務する傍ら漫画を描き、47年独立した。
 51年、サン写真新聞連載の「キャラメル一家」が出世作。54年、毎日新聞夕刊で「まっぴら君」が始まる。ニュースを素材に社会評論を漫画で表現した。同年サンデー毎日に連載した「オンボロ人生」は、底辺に生きる人々の姿をユーモアとペーソス豊かに描いて大ヒット。この2作で人気漫画家の地位を確立する。ほかに「オレはオバケだぞ」(59年・週刊現代)、「千匹の忍者」(64年・サンデー毎日)、「ベンベン物語」(65年・週刊漫画サンデー)など。ナンセンス漫画一筋で、ユーモアに包みながらひょうひょうとした味わいのある社会風刺を描き続けた。81〜92年、日本漫画家協会理事長を務めた。
 57年第3回文芸春秋漫画賞、88年菊池寛賞、99年「まっぴら君」で日本漫画家協会賞文部大臣賞、2000年に東京都文化賞受賞。

体調を崩し、01年6月23日(一部地区は24日)に掲載された「まっぴら君」を最後に療養を続けていた。昨年1月から胃がんで入退院を繰り返し、昨年末、風邪をひいて呼吸不全となり入院した。(毎日新聞) - 1月17日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


連載1万3000回を迎え意気軒高な加藤芳郎さん=東京・中野の自宅で、松田嘉徳写す

2006.01.01
SUN
倖田がレコ大! 「エロかっこいい」で頂点

 第47回日本レコード大賞(日本作曲家協会主催)が31日、東京・新国立劇場で発表され、歌手倖田来未(23)の「Butterfly」が大賞に輝いた。Fカップの胸を強調した金色ドレス姿で、横乳の揺れを大胆にアピール。尻を突き出して挑発しながら「Butterfly」を熱唱し「めちゃくちゃうれしい…」と号泣した。
 掛け持ちで初出場した紅白歌合戦ではやや刺激の少ないドレスだったが、スカートを脱がされ、太モモを見せる演出を盛り込んだ。紅白後のテレビ出演も合わせ、衣装7変化で「倖田の年」を存分にアピールした大みそかだった。
 セックスを連想させるダンスと激しい露出で「エロかっこいい」と人気だが、伝統音楽の血が流れている。京都の実家は祖父が尺八、母が琴を教える名家。幼少期を和楽器の音色と過ごした。一方で3歳から日本舞踊を学び、全身で美を表現する術を学んだ。歌手の道は、自然な流れだった。高校在学中にモーニング娘。のオーディションなどを受け、3年の時にデビューしたが、人気は出なかった。地方営業で3人の客の前で歌ったこともある。
 倖田は「嫌いな努力をしなければ、上に行けないって痛感した」とベストアルバムを150万枚売っても下積み時代を忘れない。セクシー路線を心配する親族も少なくないが「受賞は両親に報告します。まじめに頑張っていることを証明したかったんです」と胸を張った。

(日刊スポーツ) - 1月1日

デビュー5年で頂点極めた!倖田來未、初のレコ大“エロ戴冠”

 第47回日本レコード大賞(主催・日本作曲家協会)の最終審査が12月31日、東京・渋谷区の新国立劇場で開かれ、初出場のセクシー歌手、倖田來未(23)が「Butterfly」で大賞に輝いた。セクシー衣装に妖艶なダンスでブレークし、若い女性らから「エロかっこいい」と支持された。セクシー歌手の大賞受賞は初めて。日本でなかなか根付かなかった分野を開拓しての“エロ戴冠”に「めちゃめちゃうれしい」と涙を流して喜んだ。
 〔写真:“エロ戴冠”に感極まりながら熱唱する倖田來未〕

 両手で顔を押さえた倖田の瞳からポロポロ涙がこぼれ落ちる。デビュー5周年で掴んだ頂点に、「胸がいっぱいで…。めちゃめちゃうれしい」とこみ上げる喜びを、素直に表現した。

 倖田は自身がデザインしたハミ乳を強調した金のドレスで登場。体のラインをきれいに見せるため“ノーブラ主義”を貫くだけあって、胸からは乳首のシルエットがうっすら。全開の背中からはお尻の“谷間”もチラリのぞき、「勝負のときに出す」という腰骨も見せながら腰をフリ、妖艶なダンスを繰り広げた。蝶のようにセクシーに舞う姿に、中継したTBSもいきなりバストのドアップから。倖田は途中、こぼれそうになった右乳をひと揉みし、最後はお尻を突き出してしめた。歌声とともに、1メートル54と小柄ながら大きく映える妖しいパフォーマンスで勝ち取った“エロ戴冠”に、盛大な拍手が送られた。

 同曲は本人作詞のダンサブルな曲で、ブレークのきっかけとなった。6月に発売し、初の単独公演で過激ダンスを交えて披露し、脚光を浴びた。同曲を収録した初ベスト盤が150万枚を突破。若い世代から「エロかっこいい」と支持されたほか、オジサン方の“目の保養”にも大きく貢献し、音楽週刊誌のセクシーアーティスト女性部門で1位に。セクシー歌手としての地位を固めた。

 小3から歌手のオーディションを受け、高2で合格。平成12年12月にデビューし、客がまばらな深夜のクラブで地道にライブを重ねた。当初はパッとしなかったが、「耳だけでなく目でも楽しめるライブを」とパフォーマンスを意識。“サナギの時代”を経て羽ばたく時を迎えた。

 セクシー歌手が大賞を受賞するのは47回を迎えたレコ大史上初。海外では、マドンナ、ジャネット・ジャクソンらが活躍するが、これまで和製セクシー歌手は根付かなかった。プレゼンターの小池百合子環境相から「和製マドンナみたいですね」と言われてニッコリ。「露出が目立ちましたが、来年はもっと音楽性も伝えていきたい」と抱負も。日本の音楽史に妖艶に輝く新たな1ページを刻んだ。
(サンケイスポーツ) - 1月1日

AAA、デビュー3カ月でレコ大新人賞

<日本レコード大賞>
 最優秀新人賞は9月に「BLOOD on FIRE」でデビューしたばかりの8人組ダンスボーカルユニットAAA(トリプル・エー)がスピード受賞した。02〜04年のオーディションで選ばれた8人が浜崎あゆみのバックダンサーなどで経験を積み、ユニットを結成。デビュー直前の8月に練習で左腕を骨折したメーンボーカル西島隆弘(19)は「お世話になった方、父さん、母さんに感謝します」と涙を流して喜んだ。
(日刊スポーツ) - 1月1日
 
演歌の水森がレコ大歌唱賞

<日本レコード大賞>
 最優秀歌唱賞には演歌の水森かおり(32)が輝いた。「東尋坊」(02年)「鳥取砂丘」(03年)「釧路湿原」(04年)に続く、ご当地ソング第4弾として発売した「五能線」がヒットし、デビュー10周年の節目を笑顔で締めくくった。94年に出場した「山川豊 妹分コンテスト」をきっかけにスカウトされ、95年に「おしろい花」でデビュー。ご当地ソング4作で売り上げ計150万枚を突破した。

(日刊スポーツ) - 1月1日

平原綾香、6・13に初武道館決定!紅白では親子共演も

 歌手、平原綾香(21)が6月13日に東京・日本武道館公演を行うことが31日、分かった。3月29日にスタートする2度目の全国ツアー(20公演)の最終公演で実現する。この日紅白で「明日」をしっとりと聴かせた平原は「武道館での初ライブがツアー・ファイナルとして決まったことを本当に光栄に感じています」と感激のコメントを寄せ、「武道館では未来の平原綾香を感じていただけるよう精一杯頑張りたい」と誓った。

 力強い言葉の裏には、昨年4カ月にわたる初ツアーを成功させたことが大きな自信となっている。今年の目標を「戌年ですが、私のテーマは猪突猛進。『平原綾香だって走るんだ』というところをツアーで見ていただきたい」と宣言した。

 また、紅白では前川清(57)の「夜霧よ今夜も有難う」でサックス奏者の父、平原まこと(53)がサックスを吹き、親子共演が実現。「思わず袖から『パパ』って言っちゃいました。森山(良子・直太朗)親子に負けないように頑張っていきます」と話していた。

(サンケイスポーツ) - 1月1日

 


レコード大賞で胸の開いたセクシーな衣装で熱唱する倖田来未(撮影・蔦林史峰)