マイラレポート4/4

マイラレポート31
11時頃、ブリッジウォーター(Bridgewater)まで買い物に出かけた。最初に立ち寄ったのは窓口が四つくらいある銀行だった。私もトラベラーズチェックを現金に変えた。ジョーンが用事を済ますのを待ちながら、行内を見回しているとロビーの入口付近に飾った花柄のかわいいラグが目に入った。中央にピンクのバラを四つおき、その両翼にフジ、パンジー、カラーをあしらっている。何だろうと思い近寄ると、アーク(the Ark※1)設立40周年記念くじの賞品だった。この4x6フィートの楕円のラグは、ヴァイオラ・ホーキンス(Viola Hawkins)さんという方が刺しかけて亡くなった後、ノヴァ・スコシア・ラグフッカーズ・ギルド(The NS Rughookers Guild)に所属するライトハウス・ラグフッカーズ(Lighthouse Rughookers)の会員14人とアークの指導員2人が二年近くかけて完成させた作品だ。ジョーンもそのうちの一人で、材料のウールを染めたという。この市価3,000ドルのラグが当たるクジを売り、その収益をArkの活動資金にする仕組みになっている。クジは1枚5ドル、1000枚の限定販売。お手伝いがしたくなり、窓口でクジを求める私に「きれいなラグでしょう」と窓口の人。「ええ、アレは私に当たるのよ」と答えたら、すかさず「残念でした。私に当たることに決まったの」といういたずらっぽい声が返ってきた。抽選日は12月10日で、1/1000の高い当選確率だったが、ラグはとうとう届かなかった。

銀行のあと、大きなショッピングセンターの中にあるスーパーへまわった。ジョーンは店に入る前、それほど買うものはないと話していたのに、たちまちショッピングカートが一杯になった。一方、旅の疲れで戦意喪失の私は、珍しいモノを探して歩きまわるいつもの元気はなく、彼女に付いて歩いてまわるだけだった。買い物の後、小さな中華料理店でお昼をご馳走になった。お腹もいっぱいになっての帰り道、景色に誘われ海沿いの脇道を探検した。何本目かの道で車を降りてぶらぶら歩いていると、ロブスター漁を終えた漁師さん達がワナをトラックに載せていた。海は穏やかで広々としていて心地よかった。

家に戻るとすぐに持参したラグを広げることになった。イソップを見せていたとき、ちょっと待ってねとジョーンが地下の部屋に消えた。すぐに一枚のパターンを手に戻ってきて、これを完成させて欲しいと言う。数年前にある人から、その人はもう亡くなったが、もらったお土産だそうな。今まではどうしても刺せずにいたのだけれど、その犬を見て貴女なら出来ると思ったのよ、と付け加えた。そう言われて私は面食らった。何故できなかったのか良く飲み込めなかったが、私ならと見込まれたことなので、喜んでいただくことにした。その人は私にとっても大切な人なので、故人を偲びながら心を込めて刺そうと思っている。次の日そのパターン用の刺し布探しに近所のフレンチーズ(Frenchies※2)に出かけ、赤いスカートを二着買った。そのパターンをなるべく早く終え、期待に応えたいと思っている。

※ 1アークは“知的発達障害者のためのルーネンバーグ郡の協会”(Lunenburg County Association for the Specially Challenged)が運営する地元の知的障害を持った成人に働く場を提供しているNPO。活動内容はフックトラグなどのクラフトの製作と販売、植木や家具の修理、生涯学習と多岐にわたっている。

※ 2この地方でよく見かける古着屋さんで、ラグフッカーたちが宝探しをするお店。運が良ければ極上のウールが安く手に入る。

写真
上:アークのクジ
下:フレンチィズ

マイラレポート32
6月1日(火)、6時頃目が覚めた。台所の方から、八歳になるお孫さんのザッカレーに朝ご飯を食べさせているジョーンの声が聞こえる。会話の内容はよく聞き取れないのだが、「幸せ」な時間が流れているのが分かる。すぐに起きずに、しばらくはその空気を愉しむ事にした。そして、昨夕、起きた小さな事件を思い出した。

四時過ぎだったと思う。ザッカレーを預かってもらった家に迎えに行った帰り※1、今は長期滞在者に貸しているというジョーンのコテージを案内して貰った。海辺に建つその家からの眺望は素晴らしく、刻々変わる海を見ているだけで一日が過ごせそうだった。事件はそこで起きた。車を降りた私たちに、近所の犬が吠えながら近づいてきた。犬はすぐに引き上げたが、腹を立てたザッカレーが犬に向かって石を投げた。幸い石はそれて、少し先の灌木の茂みに消えた。よく見かけそうな一幕で、その場はそれで終った。コテージの見学が終わり、エンジンをかける直前、ジョーンが口を開いた。そして、もし茂みの向こうに人がいたらとても危険な行為だったこと、人に迷惑がかかることをしてはいけないことを孫に言い聞かせた。侵入者を撃退したと思っている彼は抵抗していたが、彼女の静かだが毅然とした声に事の大切さを感じ、やがて納得したようだった。私は黙って聞いていたのだが、孫ために寸時も惜しまない彼女の深い愛情を感じた。

部屋の窓から、スクールバスに乗り込むザッカレーを見届け、台所に顔を出すと、ジョーンは既に今日の集まりの支度を始めていた。何をすれば良いのとお手伝いを買ってでるが、朝ご飯を済ませてしまいましょう、と促された。朝食後、カップやお皿をカウンターに並べたり、お菓子を盛りつけ、サンドイッチを作ったりしているうちに10時になった。その時、玄関のベルが鳴った。出てみるとマービー(Marbie)とモーリー(Molly)が立っていた。思いがけない嬉しい再会だった。考えてみれば、誰が来るのか知らなかった。ジョーンは教えてくれたと思うのだが、疲れていた私の頭はその事を受け付けていなかったらしい。「30分も早く来て」と二人は謝っていたが、ちょっとでも早くという気持ちが嬉しかった。続いてブレンダ( Brenda)、レズリー(Lesley)が到着。彼女たちとは今回初めて。そして最後に、「私を覚えている?」と言いながらドリス(Doris)が現われた。もちろん。八年前、彼女の家で過ごした楽しいフックインは忘れるものですか。ラグ・フッキングは不思議な手芸だ。私は彼女たちとほんの一時を過ごしただけだ。その後も頻繁な手紙のやりとりがあったわけでもない。それなのに私をフッキング仲間としてこんなにも暖かく迎えてくれる。

5月のノヴァ・スコシア・フッキングギルド主宰の学校で紹介されたラグの写真をまわしながら会話がはずんだ。その写真はジョーンの生徒の一人が送ってくれたもので、50枚くらいあった。昨日届いたばかりで、何よりのプレゼントと言いながら見せてくれた。特別変わったラグではないのだが、見ていると気分が明るくなってくるのは何故だろう。たぶん作者が作りたいラグを作りたいようにフックしたためではないだろうか。「勉強のため」のラグは作らない方が良いのかもしれない。でも、「勉強」もしたい。難しい選択だと思う。

そのうち話題が変わり、四方山話に花が咲いた。海岸に続く道にフェンスを張った話にはみんなが憤慨した。その道は浜辺への近道として何年も使われていたらしいのだが、私有地を通っていた。最近代替わりをし、新しい持ち主がそこにフェンスを張ってふさいでしまったという。今までそんなことをした者はいなかったそうだ。“Young Generation!”と誰かが言い、みんな頷いていた。確かにジョーンのコテージにも囲いはなく、誰でも自由に庭を通って海岸に行けるようになっている。

お昼を食べて、パーティーはお開きになった。別れ際マービーは、じゃ夕方にね、と言い残して帰っていた。彼女とは、その夜ルーネンバーグで開かれるラグとキルトの合同展示会のオープニングパーティーに一緒に行くことになっていた。モーリーは明日のフックインの準備をしなければならないので出かけられないと残念がっていた。

※1 カナダの法律では12歳以下の子供を大人の監督なしで、一人にしておくことは許されない。この日、私達は彼が帰宅する前に家に戻れなかったので、このお宅に彼をお願いしていた。

マイラレポート33

その夜はラグフッカー、ディアン・フィツパトリック(Deanne Fitzpatrick)がキルト作家と共同開催する二人展のオープニングパーティーがあった。翌日から二週間の予定で開かれる展示会の前評判は上々で、パーティーは八時からルーネンバーグのアートギャラリーで行われることになっていた。

数年前、友人から届いた一通のグリーティングカードに載っていた写真が私と彼女の作品の最初の出会いだった。彼女の描く風景(人物も)には細部がない。それでいてラグは語りかけてくる。なんて独創的な作品だろうと思った。ほどなく、雑誌で彼女のストーリーラグを度々見かけるようになった。それらはマイラでエバが作っていたものとは違う。エバは自分の子供の頃の楽しかった想い出を慈しむように描いている。ディアンの作品には彼女だけでなく叔母さんたちの思い出まで登場する。そして彼らが生きてきた時代のメッセージが込められている。私はこの不思議な魅力にとりつかれ、いつか本物を見たいと願っていた。なんという幸運な巡り合わせだったろう。私は絶好のタイミングでこの地を訪れていた。

七時頃、ジョーンと私は、マービーと彼女の姉妹のグウェンを迎えに行き、まっすぐルーネンバーグに向かった。ギャラリーに着いたのは八時少し前、24畳くらいの会場はすでに人で一杯で、開会前の期待感で溢れていた。ここから少し記憶が怪しくなる。いつ、ジョーン達についてディアンに挨拶に行ったのか思い出せない。ディアンは思ったより若く、小柄な人だった。また、とても意志の強そうな人に見えた。次々と人が話しかけてくるこういう会場でゆっくりと話をすることなど不可能で、せっかくのチャンスなのに「こんばんは」程度で終わってしまった。その後、帰りまではめいめいが自分の時間を愉しむことになった。

私はまず入口に近い彼女の新作をみることにした。3×3m程の大作が二枚、テーマは秋。彼女の作品としては珍しく、家も人物もなかった。暖かな朱がかった赤が映える抽象画だった。青空が透けてみえるような赤だった。私は昔住んでいたアパラチアン山脈の中の小さな町、ブラックスバーグを思い出した。そこでは秋になると木々の葉は透き通った黄色や赤に輝く。この作品には他にも感銘したことがある。聞くところによるとディアンは主に古着を利用する。この大作を作るのに必要な量の布を集めるのは大変だっただろう。また、彼女は6ヶ月ぐらいでこれを完成させたという。ラグはプリミティブ・スタイルで幅広の刺し布を使うとはいえ、早い。エリザベス・ラフォートもそうだったが、どうして彼女たちはそんなに早くフックできるのだろうか。

そして、パーティはドリス・イートンのスピーチで始まった。それによると、十数年前ディアンがノヴァ・スコシア・ラグフッカーズ・ギルド主宰の学校でラグフッキングを正式に学ぶべきかどうか、ドリスに相談したことが、二人の交流のきっかけだったそうだ。彼女のラグを一目みたドリスは行かない方が良いとアドバイスした。この適切なアドバイスのお陰で今日のディアンがある。講習会で矯正されていたら、彼女は今のような個性的なラグは作れなかったかもしれない。

会もたけなわの頃、フェリーの時間があるからとジョーンが私を呼びに来た。私は奥で、ディアンのラグをみていた。もう少し見ていたかったが、時間となれば仕方がない。外に出ると雨が降り出していた。とうとう天気予報があたってしまった。最終便に乗船した時は土砂降りで車外の様子が分からない状態だった。五里霧中の中、フェリーは動いた気配もみせないまま、対岸に着いた。それから、マービー達を送り届けたジョーンと私は満ち足りた気分で家路についた。

写真:カードになったディアンのラグ

マイラレポート34

6月2日、七時半頃部屋を出た私は、学校へ行く支度をしていたザッカレーに声をかけ、お別れを告げた。表に行こうとする背中に「元気でね」と声をかけると、戻ってきてハグをしてくれた。この子は嬉しい時に「クール(Cool)」というのが口癖だが、その言い方が本当に嬉しそうで、こちらもつられて微笑んでしまう。それがもう聞けなくなるのはさみしい。

この日はB & Bの検査の日だった。ジェーンの家は何時もきれいに掃除が行き届いている。検査で引っかかるはずはないと思うのだが、彼女は落ち着かない様子で、免許が取り上げられたらどうしようと心配していた。八時半頃お手伝いの人も到着、ジョーンのお嬢さんと二人で最後の仕上げが始まった。私は邪魔にならないように台所の窓から外を見ていた。

九時頃、ドリス・イートン(※)のご主人ロンが迎えに来てくれた。ドリスに言わせるとロンと私はうまが合うらしい。それは八年前に交わした会話に始まる。ご夫妻がノヴァ・スコシア・フッキングギルド主催の学校に私を迎えに来てくれ、マホーンベイまで送ってくれようとしていた時の事だ。ドリスがちょっとみんなに挨拶をしてくると、ロンと私を車に残して会場に消えた。私達はおしゃべりをしながら彼女をのんびり待っていた。そのおり、ロンが女性に関してあるコメントをした。それは真実だったし、その言い方が面白かったので、私もいっしょに笑った。それ以来とても良くして頂いている。

ドリスの家は西へ10kmほどいった幹線道路沿いにある。そこから川までが敷地だそうだが、川の音は聞こえない。もと農家だったというその家は、入ってすぐが台所で、どの部屋へ行くにもそこを通る造りになっている。台所には大きな木製のテーブルが置かれ、心地よい暖かな雰囲気をかもし出している。そこで、ドリスとその友人のジョーンが話し込んでいた。ジョーンとは初対面で、そのあと、一緒にフックインに出かけることになっていた。私たちは短い挨拶を済ませ、すぐに出発した。30分ほどして、その日の会場、ケイトの家に着いた。奥の部屋では、すでにみんなが待っていた。

フックインの参加者は私を含め14人。会はショウ・アンド・テル(show & tell)で始まった。これは作者が自分の作品を紹介しながら、それにまつわるエピソードなどを話す催しだ。私がトップでイソップとランダムシェルの紹介をした。イソップに使った青(マイラレポート10、14)と、ジグゾー刺しにした地面に興味が集中した。私の刺し方は水平刺しを見慣れた彼女達には珍しかったらしい。そのあと順々に他のラグが紹介された。この催しで心温まる話を聞いた。参加者の一人が、お孫さんにあげるというラグの説明を終えた時、みんながFumikoにあの話をしてあげてと催促した。それは、その人がお孫さん全員にラグを一点ずつ作ってあげようと思い立つきっかけになったエピソードだ。昔、その人はまだ小さかったお孫さんのひとりに、「おばあちゃん、私に赤ちゃんが生まれたら、赤ちゃんにラグを作ってね」と頼まれた。「良いわよ」と答えると、その子は「でも、そのとき多分おばあちゃんは、もういないと思うの。だから、今作っておいてね。」と続けたという。ここで一同大笑い。そんなこと言うなんて、その子はおばあさんが大好きで、本当にラグが欲しかったに違いない。ラグが根づき、大切にされている暮らしを羨ましく思いながら、私も笑った。

家に戻ったのは四時頃だった。ロンは台所にいたが、私達の顔を見ると、悪戯そうな顔をして「ラグはすすんだ?」と訊いてきた。そして「フックインでラグ作りが、はかどったことがないものね。」とつけたした。どうやら今日のグループのフックインは、いつもおしゃべりの方が忙しいようだった。その後、鶏に餌をやるというロンについて鳥小屋に出かけた。彼の趣味は鶏を飼うことで、ドリスから来る手紙には殆ど必ずといってよいくらい彼らが登場する。ヒナの写真を送ってもらっていたので、様子を見に行ったのだが、すっかり大きくなっていた。彼女たちの卵は翌朝、味わった。ご馳走様でした。

※八年前、渡米する機会があり、ジョーン・モシュマーに古いフックト・ラグを所蔵しているノヴァ・スコシアの美術館を教えて欲しいと頼んだことがある。結局、ノヴァ・スコシアには昔の作品は殆ど残っていない事が分かったが、代わりに彼女の友人のドリスが現代のラグを見せてくれる事になった。それが、ドリスとの出会いだった。彼女は1979年に結成されたノバァ・スコシア・ラグフッキングギルド(Rug Hooking Guild of Nova Scotia)の創設者の一人で慈善活動などにも積極的だ。この地にラグフッキングが復興したのも彼女に負うところが多い。ドリスの作品は雑誌「Rug Hooking」やその特集号でもしばしば紹介されている。ところで、ギルドは創設と同時に講習会(school)も始めた。当初は年1回、5月の初めに開いていた会も、希望者が多く、今では年2回の開催になっている。

写真
上・中:フックイン
下:鯨の型のフック(皆さんからのプレゼント)

マイラレポート35

6月3日、目を開けると、空は白みかけていた。カーテンの掛かっていない開放的な部屋で、明けゆく空をベッドの中から眺めているのは清々しく心地よかった。この部屋でドリスは毎朝五時頃、目覚し時計に無理やり起こされることもなく、目を覚ます。そして階下に下り、そのまま二時間ほどフックする。窓の向こうには桜の木が見える。満開になれば寝たままお花見が出来そう。窓辺に寄ってよく見ると花がチラホラ咲き始めていた。木の下には一畳ほどの小さな池がある。ロンとドリスが話していた、つがいの鴨が遊びに来るという池らしい。彼らは私に鴨を見せてくれようとしてやきもきしているのだが、まだ姿をあらわさない。

部屋の前の洗面室に入いって驚いた。ここには洗面台とトイレがあるが、戸外に面した一面がそっくりガラス窓になっていた。芽吹きの木々を中心に爽やかな朝の景色が窓いっぱいに広がっていた。昨晩は外が真っ暗だったので気がつかず、壁だとばかり思っていた。もちろん、外から丸見えなはずだ。二階というだけでなく、広い敷地でプライバシーが完全に守られているからこそ出来る暮らしだった。これまで受けたカルチャーショックの中で、今回のパンチが一番強烈な気がする。家が建ち並ぶ都会生活からは、とても考えられない暮らしがあった。

この日の夕方は晩餐に招待されていたが、それまではたっぷり時間があった。ドリスの用意したスケジュールは、アーク(マイラレポート31)に出かけ、帰りにマホーンベイで買い物をするという軽いものだった。朝の会話で、これにボリバー(※)の見学が加わった。この会話でもうひとつ予想外の予定ができた。小学校の家庭科の実習以来という巻き寿司をつくるはめになったのだ。今日の招待者から貰ったというクリスマスプレゼントの海苔巻きセットでつくり、それをお土産にするのだそうだ。お米も炊飯器も用意してあった。人生、何が起こるかわからない。

朝一番にアーク一階のフッキング部門に顔を出す。もう数人が作業にかかっていたが、すぐに手を休め、次々とドリスに話しかけてくる。みんなドリスが大好きで、彼女に話を聞いてもらいたがっているようだった。友好ムードは私にもお裾分けがあり、ラグを見せてくれたり、それにまつわる話をしてくれた。いつまでも話は尽きそうになかったが、しばらくしてドリスは「またね」と言いながらそこを離れた。三階まである作業所を一通り見たあと、一階の売店でラグを買い、アークを後にした。

次にラヘブン河沿いの道をボリバー工房に向かった。母屋に顔をだすと、ボリバー夫人が迎えてくれた。繊細な陶器のお人形を思わせるような方だった。彼女もフッカーで、有名なボリバーカッターは元々彼女のために考案されたモノだった。お部屋は白を基調とした作品が床やテーブルを飾り上品な雰囲気を醸し出していて、コーディネートの勉強になった。お茶を勧められたが体調を崩しているという夫人に遠慮して、すぐに工房に案内していただいた。工房は元ガレージらしい建物で、丁度ご主人がカッターに刃を取り付けているところだった。組立て方を丁寧に説明して下さったのだが、機械に弱い私には猫に小判。折角の機会だったのに惜しいことをした。しばらくお話を伺ったが、ボリバーさんは75才でこの仕事を辞めるつもりらしい。今でも手に入りにくく、幻のカッターになりつつあるボリバーカッターがますます幻になってしまう。別れ際、私の大切なカッターが作られた工房をみせていただけてとても嬉しかったと、精一杯の感謝の気持ちを伝えた。

貴重な体験の後、マホーンベイのダウンタウンを再訪した。毛糸屋を始め、新しいお店が増え、街は八年前よりも賑やかになっていた。しかし、私が泊まったB & B は消え、何度か訪れた本屋が古本屋に変わっていた。大きくはないが子供の本が充実していて居心地の良い本屋さんだったのに。がっかりしたら、それ以上お店巡りをする気分になれず、その上、雨も降り出したので、早々にお昼を済ませ引き上げた。

ところで、海苔巻の一件は、頭の片隅に残っていた「海苔にご飯をのせすぎない」という注意を唯一の頼りに、おそるおそる挑戦したが、ドリスも私も上手に巻くことができ、その夜のパーティでの評判は上々だった。

※フッキング用カッターの工房。ボリバーカッターは三種の刃が機械に固定されるため、顧客の注文に合わせて手作りされている。そのため、注文してから手元に届くまでに2、3年かかるが、切れ味が良く、評価が高い。

写真:アークで買ったラグ

マイラレポート36

6月4日、最終日。あたりが明るくなりかけた頃、またスッキリ目が覚めた。桜の花が気になって窓から身を乗り出すと、二羽のマガモ(Mallard duck)が水浴びをしていた。余程そのスポットが気に入ったのだろう、マガモはいつまでも水浴びを続けていた。朝食の時、待ち人来たるの朗報をロンとドリスに報告する。マホーンベイを発つ朝に起きた幸運な出来事だった。

この日はハリファックスに戻り、1時に自然史博物館で学芸員スコット・ロブソン(Scott Robson)さんの講義を受けることになっていた。私の予定に合わせていただいた大事な講義だった。ロブソンさんはフォークアートとしてのラグに造形が深く、ノヴァ・スコシアに残るラグの収集をその仕事の一つにしている。大きな収穫を予感した。心配していた英語の方も、聞き取りが出来なくなるほど深刻な状況には陥っていなかった。

9時頃、私たち三人はハリファックスへ向けて出発した。道の途中で乗り込んだドリスのお嬢さんがロンと運転を交代する。ロンもお嬢さんもこの日の聴講者だ。この後、先日のフックインの参加者八名ほどとノヴァ・スコシア美術館のロビーで待ち合わせ、そこの片隅にある評判のレストランで会食をしてから、博物館に向かうことになっていた。町に入ると急に車が増えた。そこには八年前にはなかった活気が溢れていた。ダウンタウンに近づくにつれ、ますます走りにくくなり、美術館に到着した時はもう11時半近かった。その後、一足先に着いていたメンバーたちといっしょにレストランに入ったが、手違いで人数分の席が用意されていなかった。時間に余裕がない私達に出された提案はかなり変則的なものだった。それは店の外、つまりロビーで食事をすることだった。店の前のロビーには充分な広さがあり、そこに人数分のテーブルを用意してもらうことで話が落ち着いた。一度そう決まると初めからそのテーブルを予約していたかのように誰もが振る舞い、食事を楽しむことに専念した。

講義は期待したとおり有意義なものだった。ロブソンさんの英語は聴き取りやすく、また豊富な話題とスライドの組合せが最後まで次の展開への好奇心をかきたて、あっという間に3時間が過ぎた。これからの参考になるようないろいろな収穫があった。面白かったのはフォークアート風の市販パターンだ。ロブソンさんが「これ、どう思いますか」と指したスクリーンには、子供が描いたような猫のラグが映っていた、一見ホームメードのようだが、市販パターンを使っているという。古いラグの鑑定をする事などまずないが、覚えておこうと思っている。

講義が終わり、皆が引き上げるとまた私たち三人だけになった。どこか行きたいところはないかと尋ねるドリスに、「お土産屋さん」と答えると、ノヴァ・スコシアのアーティストの工芸品で有名なお店に連れて行ってくれた。しかし、気に入った品は陶器ばかり、持ち歩くのはちょっと無理だった。店を出たところで、「ホテルまで送って行くから、他のお店ものぞいて夕飯も一緒にしましょう」とドリスは勧めてくれたのだが、既に五時をまわっていた。この日の泊まりは、町から40km以上も離れた空港にあるホテルで、寄り道をしていたら彼女たちの帰宅は真夜中になってしまう。名残惜しかったが、まっすぐホテルに送ってもらうことにした。しかし、彼女はすぐには高速に乗らず、遠回りになる道を選んでくれた。「また、いらっしゃい」それが二人の別れ際の言葉だった。

しばらく部屋で休んでから空港へ探検に出かけた。前回の訪問では、まだ工事中だった空港もすっかり様変わりしていた。近代空港には見つけ難い、人と人との交わりがあった小さかった頃の空港を思い出し感慨に更ける。あの時は、目と鼻の先のタクシー降り場からチェックインカウンターまでポーターが快く荷物を運んでくれた。笑顔でおはようといいながら、頼んだコーヒーを渡してくれるお店もあった。新しく変わった空港のお店の応対はどれも丁寧だったが、かっての暖かさを失っていた。

ターミナルビルの外に出ると駐車場の向こうが、何か大きなものが燃えているように、赤く輝いていた。一瞬何だか分からなかったが、目を凝らしてみると沈んでいく太陽だということに気づいた。夕陽がこんなに力強く見えたのは初めてだ。ノヴァ・スコシアからの最後の贈り物だと思った。実りある旅の終わりにふさわしい満ち足りた気持ちで、降り出した雨の中を、ホテルの迎えが来るバス停に急いだ。(完)

写真:博物館で買ったラグの絵葉書
上:フックト・ラグ
下:ヤーンソーンラグ(見かけはフックト・ラグにそっくり)

マイラレポート あとがき

長い間、マイラレポートをお読みいただき有り難うございました。

マイラ・リバー・ラグフッキングスクールでの出来事を書くつもりでこのレポートを始めましたが、書き進めていくうちに、旅の続きも書いてはどうですかとの励ましのメールをいただきました。そして私自身もフッキングに関わる出来事は小さなことでも書き残しておいた方が良いと思うようになりました。また、最近、日本でもフッキングを紹介する本が増えてきましたが、残念ながら、それがどのような環境でどういう人たちによって、作られ、愉しまれているかを伝える機会は中々ないのが現状です。それで、何故フッキングがこんなにも人びとに愛されているのかを知っていただくためにも、残りの旅の様子もお話しすることにいたしました。その結果、いつのまにかレポートが旅日記に姿を変えてしまいました。いまはタイトルを「マイラ日記」とでもしておけば良かったと思っております。

私にとって今回の旅のいちばんの収穫は自分の目ざしてきたものにどれだけ近づくことができたかを確かめたられことです。フッキングを始めて間もない頃から「ペインティング ウィズ ウール」(Painting with wool,ウールで描く)を実現することが目標であり、課題でした。今回の旅で出会ったフッカー達との会話を通じ、その目標はほぼ達成できたのではないかと思えるようになりました。まだ、「磨きを掛ける」仕事は残っていますが、これからは新しい課題に挑戦していきたいと考えています。

旅の中での様々な人との出会いも忘れることはできません。25年前に全くの偶然から始めたラグフッキングですが、この手芸を通して多くのことを学ぶ中で、沢山の人との出会いと交流がありました。それは幸せなことで、この幸運がいつまでも続いていくようにと願っています。

振り返ってみますと、私のフッキングの旅は、いつも思いがけないことから始まりました。次は何が起こるのかを楽しみにしながら、ラグ作りを続けていくつもりです。

Happy Hooking!

山本芙美子

謝辞
マイラ・リバー・ラグフッキングスクールを紹介して下さったM.Y.さん、機会を与えて下さったNorma Ferguson Silverstein、友人のDoris & Ron Eaton, Carol Harvey Clark, Joan Pattersonをはじめとして沢山の方々にお世話になりました。充実した日々を過ごせましたことを改めて御礼申し上げます。有り難うございました。

参考文献
1. The History of Cheticamp Hooked Rugs and their Artisans, edited by Father Anselme Chiasson, Researched by Annie-Rose Deveau, translated by Marcel LeBlanc, Lescarbot Publications, 1988.
2. Catherine Poirier's Going Home Song, by Dorothy Harley Eber, Nimbus Publishing Limited, 1994.
3. Garretts and The Bluenose Rugs of Nova Scotia, by Nanette Ryan and Doreen Wright, 1990.
4. Hook Me a Story, by Deanne Fitzpatrick, Nimbus Publishing Limited, 1999.
5. The ARK, April 7, 2004.

写真:ランダムシェルズ

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