新・闘わないプログラマ No.343

古い「情報処理用語事典」を眺めてみる 〜その3〜


「矢田光治・荒川正人編『情報処理用語事典』(オーム社、1981年発行)という古文書(?)をあるところで発見しました」という書き出して始まったシリーズものの3回目です(「1回目」「2回目」)。
今回は「プログラム〜」で始まる用語をいろいろと調べてみようか、とページを繰っていたら、「プログラム調査簿」という用語を発見しました。何だそれ?

プログラム調査簿 (―ちょうさぼ) わが国の情報処理サービス会社, ソフトウェア会社および一般電子計算機ユーザが保有しているプログラムパッケージのうち, 他人に提供可能なものについて, その流通を円滑にするために通産省が情報処理振興協会に委託して作成したもので, 書面調査によって提供可能なプログラムパッケージを収録したものである.

「〜なものについて」「〜したもので」「〜したものである」という文章はいかがなものか、と思ったりするわけですが、それはそれとして問題の「プログラム調査簿」です。私は聞いたことがありませんでした。初耳です。
この用語集の文面を読むところによると、国が音頭を取って、ソフトウェアの流通促進を図るためにカタログを作成した、ということなのでしょうか。なぜそんなことを国がやらなければいけないのか不思議に思わないでもないのですが、今とは時代が違う、というのが最も安直な説明でしょうか。
さて、この「プログラム調査簿」、いったいどんなものなのか興味を持ったので、Googleで検索してみたところ……「情報処理の促進に関する法律」というのが見つかりました。これの第6条に、

(プログラム調査簿)
第6条 経済産業大臣は、円滑な流通を図る必要があると認められるプログラム(主として一の事業の分野における情報処理に用いられるものを除く。)について、その概要を記載したプログラム調査簿を作成し、これを利用しようとする者の閲覧に供しなければならない。

とありまして、今でも有効な条文のようです。さらにGoogleの検索を続けてみると、図書館の蔵書に「プログラム調査簿」というタイトルの付いた書籍が見つかりました。それによると、「ソフトウェア・プロダクト年鑑/プログラム調査簿」というのが刊行されていたようですが、各地の図書館の蔵書検索をしてみても1989年版あたりまでしか見つけることができませんでした。その後はどうなってしまったんでしょうか?

さらに検索を続けてみると、国会の議事録が見つかりました…それも昭和45年の。最近はこんな古い議事録も公開しているんですね、いいことです。さて、そのなかで「参議院会議議事録 第063回国会 商工委員会 第16号」の議事録を眺めてみます。ここでは「情報処理振興事業協会等に関する法律案」というのが議題になっています。そこで「国務大臣(宮澤喜一君)」(←議事録にそう書いてある、議事録の最初のほうを見ると当時は通商産業大臣だったようです)の発言に、

プログラムの円滑な流通をはかるため、プログラム調査簿を作成し、これを一般の閲覧に供することといたしております。

とありましてこの法案で「プログラム調査簿」なるものが登場したみたいです。これについては「政府委員(赤澤璋一君)」(通商産業省重工業局長)が詳しい説明を行っています。

次は、プログラム調査簿の規定であります。
プログラムの利用を促進するために、プログラムの流通をはかることが必要でありますが、プログラムは、個々のユーザー企業の内部で開発されることが多いため、いかなるプログラムがいかなる者によって保有されているのかが明らかでないことが流通をはかる上での隘路となっております。プログラム調査簿の制度は、このような実情に対処して、政府がプログラムの概要を記載した調査簿を作成し、一般の閲覧に供しようとするものであります。

ふーん、やっぱりそういうことなのね。それよりなにより政府委員の赤澤璋一君の肩書きが「通商産業省重工業局長」っつーのは…。当時は重工業だったのかいな? やっぱり「時代が違う」というのが一番適切な説明なのかも。
さてさて、この「プログラム調査簿」についての議事録や法律を見ていると、すぐその下に「情報処理技術者試験」なんて単語がありまして、これもそのときに出来上がった制度のようです。これについては、「衆議院会議議事録 第063回国会 商工委員会 第20号」というので、「堀委員」という人が、こんな質問をしています。

第六条に、「通商産業大臣は、情報処理に関する業務を行なう者の技術の向上に資するため、情報処理に関して必要な知識及び技能について情報処理技術者試験を行なう。」こうありますね。これはやはり通産大臣が試験を行なうのでありますから、一種の国家試験でありますね。いまの通商産業省の法律の中で規定されておる国家試験については、いろいろ、何らか特定の業務範囲についての権限というか、範囲を認めるとか、あるいはそれについての能力を規定するとか、試験というものを行なう以上、何らかのものがそこで相対的にきめられる。ところがこれは、私は国家試験というような考え方としましておかしいと思うのですが、通商産業省の所管法律の中に、表現はよろしくないけれども、そういう何らかの対価ですね、試験をしたということによって何らかのものが―ただ試験をしてそれでおしまいということなら試験なんて要らないのですから、試験を通った、通らないということの判定の結果、何らかのものが生ずるという規定のない法律があるかどうか。ちょっと法制局からお答えをいただきたい。

いま、あなたはことばの上で、この試験によって合格した者はそういう能力を持っているということを国家がオーソライズすると言ったが、オーソライズするなら、オーソライズするために何かを与えなければいけないのではないかと思うのです。いま医師が国家試験を受けて免許証を受け取っていますね。なぜ免許証というものが与えられているんですか。

そうすると、あなたが言われることは、この際は一定の公的な効果を持っていないのだと確認していいのですね。

国が試験をしてまで、情報処理の技能者がこれだけいますよということを知らせるサービス機関の必要はないと私は思います。やはり現在、国が試験をする以上は、一定の公的な効果を持つことをもって現在の国の試験制度というものは成り立っておると考えるわけです。だから私は、そういう公的な効果を持たないような試験を国がしておることは、おそらく各省庁を通じて例がないと思いますが、特に、広いのを全部調べるのはたいへんだから、通産省だけについてだけ調べてもらいたいと言っておるわけです。ですから、この問題についても、私は非常に不確定な問題になっておるのではないかと思います。

この人、結構いいところを衝いていると思うのすが、どんなもんでしょう。こういうやりとりがあって、ああいう制度が出来たんですね。ちなみにこの委員の堀昌雄氏、これも検索してみたら社会党の代議士だったようです。当時は社会党が野党第一党として全盛期だった頃のことでしょうか。今は見る影もありませんね……って、今は「社会民主党」か。

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