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おめでたき日々

(2001年7月)



2001年7月29日

●現在ホームページの見栄えを少しずつ変更中です。徐々にスタイルシートを使い始めましたが、表示がおかしいところがあるかもしれません。変だなと思う箇所がありましたら、お教えいただけると助かります。表示を確認しながら作業を進めていますが、確認漏れがあるかもしれません。

2001年7月28日

●ちょっと富本憲吉のことを調べてみようと図書館で検索してみたが、あまり見つからない。しかたがないので『私の履歴書』(日本経済新聞社)を借りてみた(昭和37年2月連載)。全国紙上で自らの一生を振り返るという時点でなにがしかのフィルターがかかっていると思うが、概観するのには使えるのではないかと思い目を通した。
●なかなかおもしろかったが当然食い足りないので、いずれもう少しボリュームのあるものを読みたいと思う。中で注目したのは、民藝派からの離脱のくだり。
●昭和21年5月(60歳)に芸術院と美術学校(今の芸大)教授を辞して東京を離れ、故郷の大和へ引き上げた。「20年間の東京生活の間に、船腹の貝殻のようにまといついたすべての社会的羈絆(きはん)や生活のしみを、敗戦を契機に一挙に洗い落としてしまいたかったのである」とあるが、同時に「国画会と訣別、長い間もやもやしていた”民芸派”とのつながりをハッキリ断った」とあった。その理由は、「彼らの主張に根本的に私と相いれぬものがあるのを発見したから。民藝的でない工芸はすべて抹殺さるべきだというような狭量な解釈はどうにもがまんならなかったのだった。」と書いている。
●柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、バーナード・リーチは民藝運動を支えた主要メンバーだが、その中の富本がこのような考えを持って離脱したとは、本人の文章ではっきり読んだだけにややショックを受けた。

●図書館で本をパラパラ見ていて、偶然河井寛次郎について触れた白州正子の文章を見つけた。河井寛次郎宅で青山二郎(ジィちゃん)らと待合わせをしていたときのことである。

 河井さんの作品を私は若い頃のものしか知らなかったが、それは気持のいいものであった。ところが今度来てみると、異様な木工の彫刻が部屋いっぱいに並んでいる。一メートル以上もある手とか、二つ首のある人形とか、天をさしている指とか、抽象彫刻というにはあまりにも泥臭く、御神体にしては病的にすぎる。ジィちゃんにいわせると、「民芸の理論が凝って、夢に夢みる様な自己撞着の抽象と化してゐる」というのだが、もはや民芸とは縁もゆかりもない頭脳の所産にすぎぬ。柳さんの唱えた「用の美」はどこへ消え失せたのか、なまじ初期の美しい作品を知っているだけに、河井さんの堕落ぶりが私には悲しかった。だが、本人は意気軒昂たるもので、「自分がたのしければ人がどう思おうと構わない」と呵々大笑される。まさにその言葉が河井さんのすべてを語っていたが、ジィちゃんが早くに民芸作家と袂を分ったのは、彼らの堕ち行く先まで見通していたのだろうか。
(2ページ後)
なまじ精神とか内容にこだわると、河井寛次郎になってしまう。それにつけても「自分だけがたのしければいい」というのは素人の言い草で、民芸作家の欠陥はそこにあるのだと私は思っている。
(『いまなぜ青山次郎なのか』新潮社、1991.7.20。第10章、p.117〜)

●これは明日まで千葉市美術館で開いている「河井寛次郎と植木茂 ふたりの木彫」展に出品されている、河井の木彫作品を指しての批判だろう。たしかにホームページを見ても趣味はあまり良さそうではない。7月24日付け日経新聞の同展評でも「奇抜な造型が目を引く」とあるが、円空・木喰と並べてその類似性をさぐるという展示もされているようだ。たしかに木喰を思わせるところもあるが、さらに知が勝ったものではないかと思う。

●前掲『私の履歴書』は「文化人6」という巻だったが、「文化人1」には里見とん^、実篤、正宗白鳥、佐藤春夫らが、「5」には尾崎一雄、「7」には熊谷守一、濱田庄司、棟方志功、「8」には中川一政が収録されている。
●同じ「文化人6」の富本憲吉の前には、画家の東郷青児があったのでちょっと読んでみた(昭和35年8月連載)。安田火災東郷青児美術館の「東郷青児と日本の作家たち」展(7月28日〜8月31日)に、有島生馬の名前があったので気になったからだ。
●それによると、東郷は作曲家の山田耕筰の援助で大正5年の春に初めての個展を日比谷画廊で開いたが、それをたまたま通りがかった有島武郎が見た。武郎は弟の生馬に非常に風変わりなので(東郷本人曰く、「奇怪きわまる作品」。象徴がかった絵だったようだ)、ぜひ一見するようすすめた。生馬も絵を見て東郷に二科展に出品するようすすめ、第3回二科展に「パラソルの女」を出品。これが二科賞を取り、またそれが売れて大金が入ったとあった。その後も有島生馬との交流は続き、二科会をささえていくことになる。
●会期が近くなったので上記展観のホームページを見たが、有島生馬は「黒衣の女」(1909)だけのようなので、チェックからはずした。ただ、そういった交流を知るきっかけになったのは良かったと思う。
●ちなみに二科展には古くは石坂浩二や増位山、近くは工藤静香なども入選している。

●簡単なサイトマップをつくってみたので、適宜ご利用ください。今後とも改善の予定です。

2001年7月21日

「石碑で見る武者小路実篤」を追加した。インターネットと書籍が中心になるが、できるだけ自分でも歩いてみたい。また、こんなところで見たよという情報があれば、ぜひお寄せください。

日本民藝館が主宰している「ネットワーク民藝の会」からニュースレターが届いた。それによると、特別展の案内などにまじって休館のお知らせがあり、本館・西館の改修工事のため今年12月17日(月)〜来年4月8日(月)まで休館するとあった。かなり長期のメンテナンスになるが、リニューアルを楽しみにしたい。

●実篤記念館も7月17日(火)〜23日(月)まで、整備のため全館休館している。休館期間中でも、公園は利用可能。

●書店でNHKテキストを見ていたら、「NHKカルチャーアワー 文学と風土 東京文学探訪〜明治を見る、歩く(下)」(講師:井上謙氏)というのがあった。目次を見ると、第25回は「『白樺』の誕生」で実篤の生家付近が出て来る。井上氏によると、馬込文士村などのようにまだ整備はされていないが「麹町文士村(仮称)」とでも呼ぶべき旧跡がこの一帯にはあるそうだ。藤村、鏡花、与謝野鉄幹・晶子、独歩の旧居などがあるとのこと。
●同誌によると、実篤の生家は現在の全国農業会館付近で、そこで30歳まで暮らしている(略年譜参照)。「お目出たき人」の「鶴」が通っていた学校は、三輪田学園がモデルだそうだ。その後、近所の旧有島邸(後に、菊池寛が住み、文芸春秋社を置いた)近くに引越し、さらに我孫子へ引越している。
●放送はNHKラジオ第二放送で土曜21:30〜22:00。再放送は翌週月曜11:00〜11:30。テキストは7月〜9月用で、上記の回は終わりの方なので9月になってからだと思うが、番組編成の都合で日程が変わることがあるとかで放送日は書いていない。可能であればなんとかエアチェックしてみたい。なお、巻末には地図もついている。
●インターネットで調べてみると、こんなページこんなページがある。

2001年7月17日

●前回の記事に若干の補足。
●「外環」とだけ書いたが、正しくは「東京外かく環状道路」。通称「外環」と呼ばれていて、国土交通省作成のホームページがある。千葉県から埼玉県、東京都、神奈川県とぐるりと回りながら、常磐道、関越道、中央道、東名高速道路などをつなぐことを計画している。一部開通済み。「東京外環自動車道マップ」(J-SaPa(財)道路サービス機構)からも情報を得られる。
●各地に反対運動もあり、たとえば千葉県市川市の人々が「外環のない町を考える会」という活動を行っている。

●「ラジオ深夜便」(NHKラジオ第一放送)は私のお気に入りのラジオ番組のひとつで、「ラジオセンター・オンライン」で番組表が確認できる。ファンの方がつくったホームページ(「ラジオ深夜便聴取者の会」貴堂さん作成)もある。

●現在「ゲストブック」では、実篤の作品「友情」をめぐって話題が進行中。ご一読の上、メッセージをいただければ幸いです。

2001年7月15日

●先週の「新日曜美術館」中川一政特集は、案内役としてお孫さん(!)の中川安奈さんが出演していた。どうも頭の中で映画「敦煌」と彼女がつながらなくてインターネットで調べてみたが、どうやら本当らしい。
●調べて行く中でいろいろなページが見つかった。
所属事務所(サンオフィス)のプロフィール紹介
「徹子の部屋」(1998年9月11日(金)出演)
「中川安奈さんのページ」(かんちゃん作成)
ANNA−PROJECT(HIROさん作成)
●有島武郎の長男も森雅之という俳優になったし(その娘も俳優)、作家と俳優というのは創造者という面で近いようだ。

●7月9日のNHKラジオ深夜便を聞いていたら、宮崎県椎葉村の方から小丸川源流の“すがお”地区で7月22日(日)に祭りが行われるという話があった。小丸川といえば、日向の新しき村をとりまいて流れる川である。そこで耳をそばだてて聞いていたが、“すがお”地区には現在61人が住んでいて平均年齢は67歳、しかしその祭りには1,000人近く集まるそうだ。いろいろな催しが行われる中でも、太鼓の音に感動したと話されていた。
●調べてみると小丸川は一級河川で、国土交通省河川局のホームページにもちゃんと記載がある(川のシンボルマークまである)。川の名前の由来や歴史なども学べるので、興味のある方はご一読を。「百科事典/日本の川」から参照可能。

●「調布市公園白書」(平成13年3月、調布市環境部緑と公園課)を借りてきて読んだ。実篤公園もれっきとした調布市の公園だから載っている。それによると、面積は5,002.16平方メートル、昭和53年5月12日の開園で、昭和63年と平成11年に改修されたとある。
●いろいろと読んでいくうちに、ショッキングな地図を見つけた。「調布市における公園分布図」がそれだが、本題の公園の分布がショックなのではない。地図に記入されたひときわ太い「都市計画道路」(=「外環」だ!)が実篤公園のすぐそばを通っているのだ。さすがに実篤公園の上を通ってはいないが、そのすぐ西を南北に縦断している。公園の近くの家々で「がいかんはんたい」というステッカーをよく見るが、こういうことだったのか。近くに住んでいながらまったく迂闊であった。外環は2、3度しか通ったことはないが、首都高速道路等に接続する自動車専用道路で、そんなものが通ったら(それが地下であったとしても)環境は大きく破壊されてしまう。開発再開の動きがあるが、断固として反対していく。

●「文藝春秋」8月号(文藝春秋社)の特集「達人が選んだ『もう一度読みたい』一冊」の冒頭に、長与善郎の「竹澤先生と云ふ人」が挙げられていた(推薦者は吉村昭氏)。短い文章なのでこれを読んだだけで作品の特徴がわかるというものではないが、20歳のとき本につけた印と同じところで今も共感するというようなことが書かれていた。

●小泉人気に便乗して発売された新潮文庫「米百俵」(bk1/Amazon)だが、巻末の既刊リストを見ると著者の山本有三に続いて有島武郎・武者小路実篤・志賀直哉・倉田百三とある。このあたりが同じグループとみなされているのがよくわかる。「米百俵」を買って、これらの作者の作品も読もうと思う人がどれぐらい出てくれるだろうか。

2001年7月7日

●暑くなると書店では文庫のフェアが始まる。今年もそんな季節になった。
 見てみると新潮文庫、角川文庫ともに白樺関係は壊滅状態だ。かろうじて角川文庫で高村光太郎「智恵子抄」がとられているが、これも白樺的な味わいは薄いだろう。以前は「友情」や有島武郎・志賀直哉の作品が入っていたように思うが、時代の趨勢というものだろうか。
●新潮文庫の100冊の作品の変遷を記録したすごいWebページがある。「海鹹河淡」というサイトの中の「新潮文庫ベスト100 新潮文庫の100冊(+50) 採用作品の変遷」がそれだが、1961年から2000年までの全リスト全作品を整理してある。これを見ると「友情」は去年(2000年)で31年連続採用の記録に終止符が打たれ、また昔は「愛と死」も採られていたことがあるというのがわかる。

●先日仙川駅前の古本屋「朝日書林」で、1977年6月に東京都美術館で開かれた「『白樺』と大正期の美術」展のカタログを買った。副題に「武者小路実篤氏コレクション寄贈を記念して」とあるように、実篤没後その美術品を都に寄贈したのを記念して開かれた展覧会である。ちょうど今実篤記念館で開かれている特別展と呼応するかのようなカタログだったので、迷わず購入した。
 モノクロのカタログだが、見慣れた作品、また今回の特別展で見たばかりの作品が並んでいる。見て驚いたのは所有作品の少なさである。もっとたくさん持っていたかと思ったが、水墨画等を除いた(調布市に寄贈されている)とはいえ見開き2ページにリストが収まっていたのは意外だった。実篤邸は茶室が物置になっていたと聞いていたが、それらは主に水墨画や書の掛け軸で、洋画や彫刻などはあまり手元に残さなかった晩年だったのだろう。
 寄贈作品以外にも白樺ゆかりの作品が展示されていたようで、それらの作者と作品も興味深かった。実篤が亡くなった翌年の展示のため、作者紹介でもまだ存命な人が多い。バーナード・リーチ、梅原龍三郎、中川一政らがまだ没年を記載されずに一覧にあった。関係年表や『白樺』挿図作家別総索引もあり、資料も充実している。
●朝日書林は仙川店となっていたので、他はどこにあるのだろうかとインターネットで検索してみたが、神田神保町に近代文学専門の本店があるようだ。
●調布の古本屋については、「古書店ガイド/東京23区以外の古書店」が有用だ。もともとはミステリ好きの人のページだが、ここに朝日書林やつつじヶ丘駅前の古書店の情報が載っている。私はそれらの店の他に、仙川商店街の「ツヅキ堂書店」をときどきチェックしている。

●こっそりと「これから先の展覧会」というページをつくっているが、新しく「没後30年・志賀直哉展」(世田谷文学館)を追加した。会期は10月6日(土)から11月11日(日)まで。世田谷文学館は京王線で仙川駅から2つ新宿よりに行った芦花公園駅で下車+徒歩。近くには蘆花公園もあるので、秋の散歩には最適だろう。世田谷は志賀の地元だったため展示にも力が入ると思うが、志賀個人の展示というのは初めてなので楽しみにしている。
●もうひとつ「これから先」のお楽しみは、永青文庫(東京都文京区)の「細川護立と白樺派の人々」展だ。7月17日(火)から始まるが、白樺の活動の良き理解者であり支援者であった細川護立(細川元首相の祖父)についていろいろ知りたいと思う。

2001年7月1日

●実篤公園の昔の姿(大正・昭和編縄文時代編)を追加しました。けっこうすごいところに実篤は住んでいたのかもしれません。本人は気にしていなかったでしょうが。

●『近代日本の海外留学史』(石附実著、中公文庫)(bk1/Amazon)という本を見つけたので立ち読み。幕末から明治初期の海外留学について書かれた本のようだ。巻末に留学者リストがあったので実篤の父・実世を探してみる。留学先が「露→独」とあったが、ロシアのままだったら実篤にまた違った影響を与えただろうかとふと思った。

●これも立ち読み。講談社現代新書の『丸山真男をどう読むか』(長谷川宏著、今年5月刊)(bk1/Amazon)は、近代知識人の鑑とされる丸山真男を現世から遊離した知識世界の人としているようだった(超ななめ読みなので不正確かもしれないが)。こういう二分法の評価は「白樺」の時代からよく行われていたものだが、戦後もまだ有効なのだろう。軍隊(従軍体験)に対する態度を切り口とするなど、実篤や志賀も同じ視点で並べることができるかもしれないと思った。最後に内村鑑三の「人類主義」を丸山にあてはめて批判するなど、(逆に)「白樺」の問題はまだ今日的ではないだろうかと感じた。

●これはこんな本があったよという情報のみ。『弟徳冨蘆花』(徳冨蘇峰著、中公文庫)(bk1/Amazon)。5月刊のため、平台で発見。蘆花についても目配りはしておいた方がよいと思い、備忘まで。


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