もっと昔の実篤公園(縄文時代編)


 実篤は庭から縄文土器が出ると話していたそうだが、それをきちんと調べた報告書がある。「調布市埋蔵文化財調査報告3 調布市実篤公園遺跡確認調査」(発行:昭和53年3月30日、発行:調布市教育委員会、調布市遺跡調査会)がそれで、図書館で見つけたので読んでみた。
 同報告によると、実篤公園を公開するために調布市が整備を行っていたところ、土器片等が出土した(昭和52年3月29日)ため作業を一時停止し、遺跡の存在を確認する調査が行われたとのことである。場所は実篤公園の上の方、仙川駅側の出入口のある現在の管理棟付近で、調査期間は昭和52(1977)年7月18日から10日間。全体を掘り返すのではなく数カ所を選んで調べている。その結果、集石遺構を確認し、約1200片の資料が出土した。その内訳は、土器約950、土偶1、打製石斧12、磨製石器3などである。土器は縄文時代中期中葉から後期前半のもので、実篤のことばを裏付けることになった。調布市内ではこの時期の遺跡が数多くあり、実篤公園よりも北(仙川駅よりも北側)と南(成城方面)にも遺跡が点在している。
 この調査は遺構・遺物の存否を確認し、確認された場合は保存することを前提にしたものだった。遺跡にはそれまでに掘り返されたり埋められたりした跡(撹乱・盛土)が目立ち、遺構にまで及ぶものがあるなど、良好な形で残った遺跡とは言えないと報告されている。なお調査後遺跡は埋め戻され、整備作業は遺跡の保護を第一条件として計画が練り直された。公園管理棟については、基礎工事の変更や土盛によって遺構および遺物包含層を確実に保護できるよう計画されたため、現在の管理棟辺りが少し小高くなっているようだ。そして翌昭和53(1978)年に実篤公園が開園した。遺跡であることを示すものは立ってはいないが、そう思うと少しは公園の森も神秘的に見えるかもしれない。

(2001年7月1日:記)




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