偶然、アド街ック天国(あきるの編)を見て、母校が廃校になる事を知りショックを受ました。その詳細は、ホームページを見れば分かると飯島君(12期寮長)に教えてもらい、早速、会社にてアクセスし(我が家のパソコンはインターネットができない)、プリントアウトして家で読まさせてもらいました。
読んで驚いたことは、生徒数がこんなにも減少していたなんて思いもよりませんでした。(時代のニーズに合わないのかなぁ)
最近は、同級生とも疎通になっているけれど、今でも秋川を卒業したことを誇りに思っています。
夜行軍には参加できないかも知れませんが、影ながら成功を祈っています。
追伸
あのころよく食べたタッパラーメンって、まだ寮で食っている奴いるのかなぁ。ラーメンで思い出したが、ワンゲル部にハンゴウ借りて、平井川で川の水を沸かして、ラーメンを作って食べた事もあったなぁ。(後で分かったが上流には、洗剤の泡が浮いていた)
17期でメール出してるのは木村のとッつぁんだけかよ。
これはみんなにインケツをしてやらんといかんな。
新し物好きの寺田あたりのっけてるかと思ったのに。
秋川にも行こう行こうと思いながら、なかなか行く機会がなくて
何年か前に、同窓会バーベキューの話があったんだけど行けなくて
残念でした。何とか廃校前に実現したいんだけど。
アベシンとか長沢とか呼んでさ、、、、
長沢先生には個人的にけっこう世話になりまして..
誰か消息を知ってる人がいたらメールください。
それ以外でも気軽にメール下さい。
30年前に玉成寮で、すみやのうどんを食べてました。でも、早く行かないとすぐ売り切れるので、食料持ちこみ禁止の時代でしたので、インスタントラーメンをタッパウエアーで作って舎監に見つからないように食べるのが1年の頃でした。
現在、都立高校の教員をしています。母校に勤務する機会を得られず、廃校決定の現在まできてしまいました。秋川出身の都立高校の教員は何人いるのでしょうか。かなり多いと思います。知っている人、教えてください。廃校決定の下で、ぜひとも秋川(5万坪)高等学校の歴史を検証してみたいと考えています。
1999/8/9秋川高校の廃校を反対する有志の会代表松原伸行。わたしたち廃校を反対する父母たちは、下記のような手紙を曙会のみなさんに送りました。全文を読みたい方は松原までご連絡ください。H9の11月に秋川高校の廃校が学校側より突然通達されました。その後私たち父母にその理由を問う機会は、ほとんど与えられませんでした。残念なことに曙会の一部の代表たちは、石野校長側に迎合し廃校に賛成しました。わたしたちは、納得できません。ここに、「反対する有志の会」を設立します。熱き連帯を乞う。
風の便りで聞いてはおりましたが、今日、11期の自称もつ焼きの神様...
以下文字化けのため表示出来ませんでしたm(_ _)m
16期では毎年同期会を開いており、ここ数年は廃校の話題でもちきりです。
先生方にも出席していただき、今年は浜中先生、綿田先生、白石先生、森本先生、富田先生、水谷先生、2次会より永田先生がいらっしゃいました。 昔話や独自の教育理論等で盛り上がりました。
秋川高校はなくなっても16期同期会はなくなりそうもありません。
昨日(99/7/10),同期の笹本君に声をかけられ,同窓会幹事会に飛び入り参加しました。ここのページは昨日そこで教えてもらいました。
閉校については個人的感想ではあるが,確かに設立当初の役目は済んでしまった学校であることは拒まない.が,しかし現実的に母校が露と消えてしまうのは非常に残念と感じます.
何とか残せないかと思っても都にこれ以上の負担をかけることも許されなくなったことも現実であろう。
さて,
OB同送会としては学校が消えても秋川の歴史は絶ってはならない!
ということで新規名簿作成を始めることで話がまとまりました.
とは言っても,92年発行名簿以降,信頼のおけそうなDATAはINPUTされていないのが現実で,OB各自が協力しあって秋川の歴史を残して行こうではないかということになりました。
つまりまずは各期で再度個人情報をまとめて行き,事務局で編集する方法でやろうということになりました.
(同窓会は全卒業生が全員死ぬまで続くという極論まで出ました.)
つきましては各期でリーダシップのとれる(とれそうな)人
→幹事だけをアテにするよりこっちのほうが結果が出そう?
を中心に現状DATAを収集したく,皆さんのご協力をお願いしたいとの
ことです。(まずは99/9/30目安に)
尚,以下のことも話が出ています。
1.正式名簿(製本)は最終34期が卒業後に発行したい。
2.当然ながら軍資金がない。→何らしかの寄付金依頼はあるでしょう.
3.各期で代表者がDATAをまとめて保管し,メンテする.
4.DATAはEXCELワークシート形式で収集/保管する.
5.パラメータは氏名,住所(連絡先),TEL,勤務先のほかに個人E-MAIL のある方は載せてほしいとのことです。
^^^^^
6.セキュリティの問題もありますが,DATAが集まらないと何も始まらな いので,ご協力をとのことです。
7.同窓会を続けていくには波半端な心構えでは自然淘汰されてしまうだ ろう.それには何しろ皆さん(各OB一人一人)のご協力が必要です!
何か会社組織のスローガンみたいになってしまいましたが,秋川のOBであることを誇りに思う皆さんは協力してあげて下さいね.
それと閉校の事実も知らない人も結構いらっしゃるようです。
これらを含めてOBとしての責任をとりましょう!(報告ハ⇒蹈相談等)
因みに2001/3に最後の卒業生を送り出した後,皆で記念式典をやろうという計画も発表されました.(卒業式とは別日程で)
せめて有志が集まってわが母校を葬ってやるくらいのことは考えても
いいんじゃないのかな??と思いますが...
皆さんはどう思いますか?
以上簡単ですが...
PS.同窓会幹事会及び2次会に参加された方へ
こんな内容でしたよね?(^_^;)
久しぶりに東京勤務に戻ってきて、秋川高校の廃校の話を聞きびっくりしました。 募集定員が減っているとは聞いていましたが、まさか廃校とは・・。 全国でひとつぐらい秋川のような高校があっても良いのではないかと思いますが・・・、時代の流れでしょうか?
1999年2月13日水道橋で牛丼を食べに入ったら、どこかで見た顔だったので、思い切って声をかけました。柔道部の西田さんだった。
彼から統廃合の話を聞いて、これもまた驚きでした。
懐かしい名前が彼の口から聞けて嬉しかったです。卒業後は波乱もありましたが、小生は今、牧師になっております。
新嶋洋さん、林光太郎さん、佃さんは関西で10年ほど前にあったことがあります。みんなどうしているでしょうね。会いたいですね。
6期生の方はよかったら連絡ください。
久しぶりに訪問しました。OB掲示板の岩崎さんの書き込みを見て嬉しく思いました。
しかしこの掲示板の無記名の人の書き込みは悲しい物が有ります。
人それぞれ違った意見を持っているのは当然でしょうが
せめて記名して堂々と発言するべきだと思います。
多分、こういう人達が秋川をダメにしていったのでしょう。
ちょっと情けない。
このHPを作ってくれた中村竹志さんに心から感謝。
久しく同期とも連絡をとっていなかったが、13期の皆元気でしょうか?
OBとして何か協力できないかと考えています。
(綿田先生、教頭になられてたんですね。)
当然の結果だ。
驚きと残念さ、そして懐かしさでHPを見さしてもらいました。秋川の現状を見る としょうがないかなと感じますが、思い出、人生の一部が形の上でもなくなってしまうことはさびしい事です。このHPを開いてくれて感謝。秋川OBの心を結ぶHPとして育てて下さい。
ラグビー部の前田です。今日はじめてホームページの存在を知りました。早速ですが、来年の2月にラグビー部のOB会を開催する予定です。数名の連絡先はわかるのですが、わからない人がかなりいます。知っている方がいれば教えて下さい。よろしくおねがいします。
15歳で特殊な環境に自分の身を置き、全日制普通科高校の学生が経験しなくていいような体験を3年間もしてきたということは、このめまぐるしく変化して何も頼るものがない時代においては、根本的な、男が生きていく方法を経験できた3年間ではなかっただろうか?1年ごとに世の中が変化していくような状況では、耐性こそが、自分の人生を切り開く必要条件ではないのか?逞しく生き抜くことはいくつになっても必要だろう。15期の友人はタフガイが多いような気がする。
なくなれ〜〜〜〜ざまあみろ〜〜
心配していたことが・・・
だんだん生徒数が減っているのは聞いていたが、まさか本当に廃校になるなんて!
最近、同じ職場に20期がいて、ひさしぶりに懐かしく思い出していたのに、本当に残念です。
近々行ってみます。
本hpには心から感謝します。
秋川がなくなるって!!!
びっくりです。卒業してから関西人になってしまって秋川のことはぜんぜん知りませんでした。色々な人のメッセージを呼んでいると私の在学中とだいぶ変わった学校になっていったようですね。それにしても残念です。在学中写真部だったから卒業アルバムを作ったのがいい思い出でした。先日、卒業記念のレコードを久しぶりに聴いたばかりで、懐かしく思っていたところでした。
創立当時は期待された学校であったのも確かでしたね。校門の秋川高等学校という文字は当時の都知事の書であったと思います。
残念で仕方ありませんが時代の流れなんでしょうか。
まずはこのぺージに感謝します。これがなければ秋川の廃校についても知ることはなかったでしょうから。
廃校については残念におもいますしいろいろな形での存続も可能だったとも思います。しかし私が在校していたときの状態やそれからの時のながれ(17年!)を考えるとやむえをえないのかなとも思います。 正直あまり愛校心があるほうではありませんが廃校と聞くとなにか自分が根無し草になってしまったような気がします。
このようなページがあるのは本当にありがたい。
現在都立高校の教員をしているが、母校には赴任しなかった裏切り者である。
秋川高校の廃校は卒業生の一人としてはきわめて残念に思っていることは、このページを見ている全員と気持ちは同じだ。
しかし、教員の立場としてはとてもじゃないが赴任したくない。
遅刻指導、服装指導、教室掃除などなどなどなど、現代の高校生はきわめて自分勝手で、生活習慣が確立していない。これらのことがすべて教員の仕事になっていく。髪の毛を染めてきたら立場上指導しなければならない。だいたい、教室の机に50分すわらしておくことが困難であろう。よく例に出すことだが、我々も掃除はよくサボった。しかしもともとゴミを教室には持ち込まなかった。今はそうは行かない。生徒はコンビニの弁当・缶ジュース・ペットボトルなど大量のゴミを持ち込む。掃除をしなければ教室はあっというまにゴミだらけ、そしてその掃除をするのは担任教師となる。
事件が起きれば長々と「職員会議」。底辺高では「会議」ばかりやっている。秋川も例外ではないだろう。
ようするに面倒が見切れないわけだ。それが24時間つきあわされる。普通の学校でもまいってしまっているのに、とてもじゃないが体も神経ももたない。
秋川高校が廃校になることは本当に残念に思っている。
しかし教師の立場からでは「やむを得ない」と納得している。
みんなの意見を聞きたい。
今日、ホームページを初めて見てかなりショックです。 前々から、秋川が廃校になるとの噂は、耳にしていましたが、今日、こ のホームページを見て『本当に廃校になるのか!』と実感しました。 秋川高校の良さは、たぶん入学してみないとわからないと思う。秋川の 良さは、勉強・スポーツ等の在り来りの教育で学ぶものではなく、社会 での礼儀(縦社会のあり方,言葉使い等)や人間関係を学ぶ場であったと 社会人になって身に沁みて判った様な気がします。 15期の中村さんも書いていましたが、友達つきあいは他の高校にないも のであり、同僚等に聞いても、他の高校では上っ面な付き合いがあるだ けで、秋川の様な友人関係は聞いた事が無いです。 とにかく、廃校はかなり残念です。子供ができたら入学させる予定だっ たのに。。。
ものすごく残念です。自分の卒業した学校がなくなると思うとやりきれない気持ちです。今日は仕事もうわの空になりそうです。
昨夜、来年度の都立高校の募集要項を見ていたら
秋川高校が載って無いではないか。
まさかと思いながら、WWWで秋川高校を検索したら、
廃校との情報が入ってきた。
びっくりしたよ。残念だよ。
ショックです。 他に言い表わせません。
曙友会事務局宛て手紙より・・・
秋川高校は全寮制と云う普通の学校にはない特色を持っていることから、勉強はもとより人間関係や寮規則違反の罰則、自分の体力・気力・精神力の限界など様々な事を先生から学ぶのはもちろんの事ですが、同期や先輩からも沢山学びました。
私の場合、秋川高校に行ってから、体力・気力・精神力が自分でも驚くほど付き、社会人になったいまでも秋川高校で学んだ事は多いに役立っています。
また、3年間同じ屋根の下で過ごした友人達は卒業後16年の歳月にもかかわらずいまだに「親友」であり、仕事や私生活でも家族同様に接することができる素晴らしい「親友達」にめぐり会えました。
無関心な親や友人達を持ったため「精神が病んでいる可哀想な子供」が多い中、先生・先輩・同期による24時間教育は今だから必要だと思います。卒業生全員にとっても「都立秋川高校」は3年間を過ごした第2の故郷であり、なくなって欲しくはありません。
曙友会事務局宛て手紙より・・・
昨今、人と人とのつきあい方を学ぶことがいかに重要であるかということが語られていますが、そのような体験を積むことができる場が非常に少ないこともまた明らかです。企業や役所に入ってくる非常に幼い大学卒業生を見るにつけ、「人間性」を磨く場が必要であることを強く感じさせられます。大学に入ってくる新入生を見てもしかりです。秋川高校は、東京を一時離れる保護者の子息のための教育という当初の目的とは若干離れるかもしれませんが、「寄宿舎」であるという利点を生かし、特色ある全人的な教育を続けるべきではないでしょうか。秋川高校はある意味では大いなる実験であり、全寮制の運営に必要とされる労苦を惜しまない教師が今後徐々に少なくなることも予想されますが、教育になにができるかを問われている今、あえて秋川高校を存続させ、その意義を世に問うことが重要なのではないでしょうか。
とにかく驚きました。日本を離れて8年の月日が流れ、海外生活では短く感じた年月も、日本では大きな波として流れていたのですね。私は19期生として入学しました。当時は、この19期より一般学生(寮希望)の入学が許可され、多くの話題を集め、又、生徒も集めました。私が日本にいる間は、多くの学生が入学していたと憶えていますが、今の時代では集団、規律生活を嫌う若者が多いのか、親が子供を手放したくないのか?私には解りません。 私には故郷が二つあります。一つはこの広大な大地アメリカ。もう一つは、もちろん秋川高校です。心と精神を育ててくれたこの秋川高校、たった三年の年月の中で、どれだけの事を私達は教科書以外から学び取ったのでしょうか。先生、親父舎監、悪友?鬼?(失礼!!!)酒?女禁?、に囲まれ、あの一つ屋根の下で過ごしたあの日々は、今でも私の心の中に生き続けています。次に日本に帰る機会があれば、必ず立ち寄ります。いや、私は故郷秋川に帰ります。 私には娘が一人います。息子だったら本気で秋川高校に入れるつもりだった....
ニューヨークに住んでいるのですが、昨日、親に連絡したところ秋川高校が廃校処分がほぼ決定とのこと‥‥年々、生徒の数が減り廃校の噂は24期生の間でもちらほらと流れていたのですが‥‥実に残念でなりません。
秋川高校の廃校決定はとても残念です。そう言えば2年前に秋川高校に行った時のこと、東京都マーク(銀杏の葉)を胸に付けた人達が数人いましたが、今考えてみると調査に来ていたのでしょう。廃校の調査だと知っていれば、あの時にからかわなければ良かった...と反省しています。しかしながら、現秋川卒業生の進学は目を疑うほど悪く(ほとんどが専門学校)、とても募集パンフレットには載せられるものではないと思います。最近の秋川卒業生がもっと頑張ってくれていれば廃校は避けられたのではないでしょうか?
その後12期生の感想ですが、4、5人に電話連絡をしてみたところ、皆、驚いていました。廃校については、「都が決定してしまったのではもう何をやっても無駄だろう」という意見でした。なかには都議会に陳情とか知事に抗議とかOBが受験するとか、少数意見もありましたが・・・
12期生の間でも大変ショックをうけています。 ナイフでひとを平気で刺すような少年が多い現在、しつけや道徳を24時間体制で 学べることができる場所が本当に必要なのに・・・ もっと世間に秋川のことを認知されれば希望者も増えると思うのですが・・・・・ 本当に残念です。
最近、職場が多摩のほうへ移りましたが、聞いてまわっても秋川高校を知っている人のほうが少ないくらいですね。ということは、生徒が入る入らないはそれぞれの中学校の進路指導の先生の気持ち一つで、「ここには入れんぞ」と思われたら最後、生徒が入ってこなくなるし、入ってこなくなるとまた・・・・・という悪循環に落ちてしまいますね。方向を上手く変えて、上手く宣伝すればもうすこしはいけたかもしれないという気もしますが・・・・ 口では多様性などと言っていますが、本音ではみんな、人と違うことをするのはいやなのでしょう。
新聞記事見ました。 初代校長の話の中に「当初は質のいい生徒が集まり・・・・・」が全てを物語っていると思う。質のいい=有名大学に入り、おまけにスポーツもでき、先生を困らせない生徒、質の悪い=学力も低く喧嘩や喫煙を繰り返し、問題ばかり起こす生徒。結局はこういう物差しでしか「良いー悪い」を判断できない教育庁の人間が廃校を決めたと思うと腹立たしい限りだ(もちろん生徒数の減少も大きな原因だろうけれど)。今後、都立高校の統廃合は増えていくのではないかという気がする。 跡地に福祉、体育系の高校を新設するというが秋川を存続させ、普通科以外に福祉コース、体育コースを併設という形態でも十分やっていけると思うのだけれど(いまさら遅いか・・・・・・)。(父母会、OB会が反対しているらしいけどOB会なんてあったんだ!??) あらためて寂しい話だよな・・・・。OBである我々が今後頑張らねば・・・。