掲  示  版
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2003/4/22 ◆4期◆ T Ogata
e-mail:ogata@ogata-c.com

三宅島噴火から何年たったでしょうかね?
そのころ卒業して忘れていた秋川高校の名をテレビで聞きました。
その後、数年前秋川高校へ行ってみました。
4期生である私にとって、高校の周りの状況は驚くほど変わっていました。
現在は、博多駅前でクリニックを開業をしております。
4期生の皆様で博多においでの節はご連絡ください。

2002/2/21 ◆5期◆ 奥田 和秀
e-mail:okone@mtf.biglobe.ne.jp

秋川には だれしも 複雑な 一言ではいえない感慨を持つのではないか。
私も、秋川には 経済的に 深い恩恵を受けた。
家族とはなれ ひとり帰国した 私にとり 食事と 風呂と 住空間を 安く 提供してくれた秋川がなければ、下宿とまかないに 大変な金がかかったであろうし 一人下宿で寝起きする生活に耐え難さを感じたかもしれない。
以下の文章は その感謝の念を前提としつつあえて記述するものである。諸兄の ご理解を賜りたい。


廃校に際して出版された記念誌 「全寮制秋川高校の36年」 という 冊子には廃校時および元教員によって、執筆された長文の文章が 掲載されている。
歴史を追って、秋川の問題点が客観的に冷静に指摘・分析されている。
私の経験とも」基本的に 符合し、よく ここまで  正鵠をえて 記述されたと 感銘する。

またこれが内部検閲をうけることなく 発表されたことに敬意と感謝の念を表したい。
価格も 装丁からは 想像できない 破格の安い値段で頒布されたことにも 感謝したいと思う。
  全国の主要な図書館等 に 寄贈されてしかるべき内容を持つと思う。

この全寮制という 試みが どのように なされ玉砕したか、は戦後の公立高校の歴史にとどめておかれるべき 大変な内容を含むものであり この文章が書かれたということで、それが 記録にとどめられた、という 重要な意味を持つ。


それを読むと 全寮制高校を 運営するのがどれほど大変なことか また あの高校時代の 三年間が あらゆる人間の人生にとって いかに貴重な時間かの現実を踏まえた愛情のある深い認識が 運営者には 欠落していた ことがよくわかる。
そもそも 合議制機関に 感情を期待することが間違っているのではあるが。
つまり 自然人としての人間が 責任を持ち創設し、運営しなければならないのである。

教育以前に いかに持続可能な形で全寮制を運営するか、これこそ 最も 重要なことであり、秋川が究極的に失敗したことではないか。
いかなる経験も 有用である との 言明は われわれ卒業生にとっては 当然の 積極的言明であるが(この言葉にこめられた 言葉では表現できない 万感の思いを 卒業生たる われわれは 共有するはずだ)運営者にとっては、責任を回避する 言明にもなりうるのである。

では、運営者とはだれか。
実質的には、 明確に責任を負う 権限と 意思のある主体がなく 入学者激減と財政難により 単に廃校を決定すること つまり 事務的に 官僚的に 運営を放棄することしかできなかったのではないか。

甘い認識で 犠牲者を多数出した 小説 八甲田山 死の彷徨 に描かれた あの 陸軍青森第五連隊 雪中行軍訓練 の 立案者 関係者 が 想起されるのである。


2001/1/8 ◆27期◆ 櫻井 崇暁
e-mail:sa_fumie@db4.so-net.ne.jp

自分の兄も秋川を卒業し、思いで深い学校が廃校になるなんて、悲しいと思う。今の自分があるのは、剣道部の伊東先生のおかげだと思う。伊東先生は、熱血溢れる先生で、生徒たちを熱くしかってくれました。 今は、仕事が忙しく学校には、行けないけど、心の中には、あの秋川を思い出します。
同じ部屋の不真面目な生徒会長の伊藤くん、今は海上自衛隊テニス部のガッチョ(小川君)みんな元気かな?


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