「陽炎座」
--TAISHO 1926 TOKYO--
「三度びお会いして、四度目の逢瀬は恋になります。死なねばなりません。それでもお会いしたいと思うのです。」
製作:荒戸源次郎 企画:伊東謙二 原作:泉鏡花 脚本:田中陽造 撮影:永塚一栄 照明:大西美津男 美術:池谷仙克 音楽:河内紀
●出演:松田優作 大楠道代 加賀まりこ 楠田枝理子 大友柳太朗 原田芳雄 中村嘉津雄 他

続く年の1981年に上映された「陽炎座」。
渋谷まで期待に胸膨らませ観に行ったことを覚えている。 制作は同じシネマ・プラセットだったが配給は日本ヘラルドに変って、これは通常の映画館で上映された。
(当時の関係者の方からメールをいただきました。・・「陽炎座」は確かにヘラルドの配給でしたが、 シネマ・プラセットが新ドームにて2ヶ月間、新宿の三井ビルの下で先行ロードショーをしています、
そして、そのドームにて、名古屋、大阪、札幌、博多の4ヶ所で、有料試写会というイベントをしています。」ということです。 御指摘と情報を感謝いたしますと共に、間違いをおわびいたします。)
主演のひとりの松田優作というと、この映画と夏目漱石原作・森田芳光の「それから」には日本の男の色気を感じた人も多いかも知れない。
「それから」ともある意味共通するかも知れない・・。夢幻の登場人物たちに迷宮に翻弄されるような主人公の頼り無さも、 松田優作の独特の味になった。
絢爛たる豪華な色彩の着物と舞台セットが大楠道代の妖艶なる美しさを際立たせていた。
淀川さんは泉鏡花の世界の女ではないフランス美人的な大楠道代の、鏡花おんなにけんめいにいどんだ(心がけ)が出した芸の姿を誉めていた。
ともかくまずもって、ぼくにはこの大楠道代を観ているだけでも、とりわけ満足というところもあったほどなのだが・・。
「ツィゴイネルワイゼン」に続いて、この「陽炎座」もあの世からの引力を全編のトーンに充満させた怖い絵巻物でもあるのだが、もうその爛熟の果てに到達したかのようなその映像の、全編に息をもつかせぬ美しさが充満していて、あらためて日本文化の美術感覚と映画の様式美という言葉を思い出させた映画だ。
原作は泉鏡花。
ぼくはこの有名な作家のお話を映画でしか接したことがないのが、ちょっと未だに恥ずかしいのだが、淀川さんの話にも、よく登場する名前でもあり、映画では玉三郎の「外科室」や寺山修司の「草迷宮」などでも出会い、気になっていて、その美学になんとかもう少し接近してみたいものだとは思いつつ・・ついぞ、本を捜して開いてみるということを忘れている。
登場する人物がすべてどこか現世的でない空気を持っているのだが、ただひとり加賀まりこは生身の生命力をかもし出していたのは許されたものか意図されたか・・知るよしもないのだが、あれは加賀まりこというひとのつよい役者の性だったのだろうか。
逆にテレビでは司会などで元気な切れるテンポで押しまくるような楠田枝理子が、この映画では着物を着た静かな人形の風情で佇んでいる姿が怖い・・。
陽炎座の舞台小屋崩壊のスペクタルといい、そして、まるで映画の背景としての壁紙のように・・徐々に妖しく増殖していく殺戮地獄絵図が過剰なほどにめくるめく・・、男女のあの世へのみちゆきの舞台を、そんな大道具セットたちが華麗に演出している。
「清順流フイルム歌舞伎」とはよく表現した言葉で、贅沢な日本の美術文化に充分に浸された気分になる。
ほうずきのみごとな朱色を生かして、水中のマジックを魅せたシーンも特に印象的だ。
前作と違って、目に見えるモノにすべて映画芸術の魅力を投影させようとしたかのような、ある意味で余裕のようなものが感じられるのは、前作「ツィゴイネルワイゼン」の絶大な成功に支えられたものと言えるかも知れない。
それはその分、この「陽炎座」という映画は、誰にも感情移入を試みることができないというほどの美術仕掛けの映画・・ ともいえるだろうか。
(この特集に掲載されている写真はすべて当時のパンフレット・チラシから取り込んだものです)
映画監督 : 鈴木清順
大正12年東京生まれ。
1980年「ツィゴイネルワイゼン」で、キネマ旬報ベストワン。
他、国内の各賞多数受賞。ベルリン映画祭審査員特別賞。
1981年「陽炎座」でキネマ旬報第3位。
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