II 調査に至る経緯

 昭和60年代前半における多摩ニュータウン事業は、東地区では都市基盤整備公団(当時は住宅都市整備公団)を施行者とする稲城市域と、西地区では東京都多摩都市整備本部を施行者とする八王子市堀之内・柚木・鑓水・松木・別所地区の大きく東西に二分した進捗状況であった。東地区では古代の工房集落があきらかになったNo.5遺跡、縄文時代中期の環状集落のNo.471遺跡、そして西地区では中世前半の蓮生寺関連のNo.692遺跡、旧石器時代のNo.125遺跡などの調査があり、特に現在の都立大学が所在する上柚木地区は造成工事も最盛期の感を呈し、多くの切り土層の断面を観察することができる状況にあった。

 昭和61年4月26日(日)に石器文化談話会の鎌田氏・藤村氏の2名が東京都埋蔵文化財センターを来訪し、当センター職員の原川雄二と新井真博の両名が両氏と合同で市大沢地区(現在の都立大の西方)をはじめとして切り土工事によって露出していた幾つかの露頭を現地踏査した。

第2図 地形と発掘区(1/3,000)部分 また、昭和61年12月12日から14日にかけて鎌田氏・藤村氏と横山氏の3名が再度東京都埋蔵文化財センターを来訪し、当センター職員の原川雄二と新井真博の両名が三氏と合同で稲城地区の本遺跡周辺や稲城の大露頭(読売ランド駅と稲城駅の中間地点の崖)と武蔵野台地方面の現地踏査をしたが、両踏査とも成果は得られなかった。

 さらに、昭和62年5月2日(土)には鎌田氏・横山氏・梶原氏の3名が東京都埋蔵文化財センターを来訪し、当センター職員の原川・新井の両名と一緒に稲城地区に向かった。

 前年12月に踏査した場所のなかで十分に確認できずにいた場所、すなわち本遺跡か確認された地点に直行する。この地点の選定にあたっては、前年12月に踏査に参加していた藤村氏のサジェスチョンがあったことを、発見の後に鎌田氏から聞かされる。

 午前11時をまわり、東京パミスの上部に堆積している暗褐色土層でまず鎌田氏のジョレンに反応があり、最初の石器が掘り出された。その後、露頭に向かって横一列に並んで掘削し、横山氏が1点、梶原氏が1点発見し、都合3点となった。いずれも東京パミス層上部の暗褐色土層中であった。

 石器発見の報告を伝えに原川と梶原氏がセンターに急行する間に、さらに鎌田氏によって2点の石器が発見された。この2点も東京パミス層上部の暗褐色土層からの発見であった。

 報告を受けた舘野は直ちに現場に急行して、発見現場での事実関係を確認した。

 午後からは東京パミス下部の土層に焦点を絞って掘削したが、石器の出土はなかった。

 午後4時を過ぎてセンターに戻り、石器5点の発見を石井則孝調査研究部長と佐藤 攻係長に報告した(当時)。

 石器が発見された当時の周辺の景観は、幅約5mの未舗装の工事用の管理道路が遺跡の乗る痩せ尾根の先端部を横断し、切り通し面を形成しながら直ぐに方向を90°程曲げて、若干下りながらも尾根の東側の等高線に沿うように北上して谷の奥に向かって附設されていた。この道路面と石器が発見された露頭との標高差は約3〜4m、水平距離で約4mであった。そして、路面から露頭面までの問には、この尾根が削られた後に堆積した、断面由来の崩落土層が傾斜面を形成しており、路面の側端部から露頭面に向かう傾斜面の下端部には枯れたすすきが密生していて、ちょうどそれが路面確保の土留めの役割を果たしている状況が見てとれた。石器の発見された場所は、この枯れたすすきの株を左に見ながら崩落土斜面を登りきった場所で、東京パミス層の位置は大人の膝と腰の間の高さにあった。

 石器が発見された土層断面の高さは、約1〜1.5mで長さ7〜8mで連続し、切り通し面の上部から尾根にかけては、1.3m程度の高さで篠竹が密生していた。

 石器の発見は、数日を経ることなく東京都教育委員会文化課に報告されるとともに、まず調査研究部係長会でこれらの経過を報告し、今後の対応について討議した結果、発見された場所が住宅・都市整備公団の事業用地内であること、近日中に造成される計画があること、学問的に極めて重要な発見であることなどから、緊急な対応として事業者と発掘調査に着手する方向で調整が行なわれた。その結果、隣接して発掘調査の行なわれていたNo.471遺跡からの作業員を一部割き、体制を整えて、昭和62年5月28日から同年7月17日にかけて本調査を実施した。

 なお、発掘調査の現場を訪れた考古学関連の人たちは以下の方々です(敬称略)。

6月6日(土)石器文化談話会 鎌田俊昭、梶原 洋、藤村新一
 神奈川県教育委員会 砂田佳弘、御堂島 正、鈴木次郎、諏訪問 順、白石浩之
 東北福祉大学 芹沢長介
 早稲田大学 長崎潤一、木村有紀
 東海大学 織笠 昭
6月11日(木)国学院大学 小林達雄
6月12日(金)文化庁 岡村道雄
 立正大学 吉田格
6月13日(土)佐野市郷土博物館 矢島俊雄
6月15日(月)小平市教育委員会 戸田正勝
6月17日(水)東北大学 佐久間光平
 東京農工大学 坂上覧一
6月20日(土)石器文化談話会 鎌田俊昭、梶原 洋、藤村新一、柳沢和明
6月22日(月)神代高校 羽烏謙三
 日本大学 鈴木保彦
6月23日(火)法政大学 阿部朝衛
 東京農工大学 坂上覧一
 明治大学 矢島國雄
 東京都立大学 町田 洋
 東京都教育委員会 小田静夫
 上智大学 キーリ C.T.
 早稲田大学 長崎潤一
6月24日(水)早稲田大学 木村有紀
 東京大学 鈴木美保
6月26日(金)東北大学 佐久間光平、仙波伸久、河西健二
 早稲田大学 木村有紀
6月27日(土)早稲田大学 長崎潤一
 山梨県埋蔵文化財センター 保坂康夫
7月2日(木)沼津市歴史民俗博物館 瀬川裕市郎、高尾好之
 山梨学院大学 十菱駿武
 八王子工業高校 椚 国男
7月3日(金)東京大学 安斎正人、武藤康弘、鈴木美保
 早稲田大学 長崎潤一、木村有紀
 青森県教育委員会 三宅徹也
 明治大学 安蒜政雄、須藤隆司、小杉 康、小菅将夫


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