2001.2.3 埋蔵文化財行政研究会参加記 3.

デジタル化をめぐる論議について

埋蔵文化財行政研究会『調査資料の取扱いと発掘調査報告のあり方』シンポジウムから

 埋蔵文化財行政研究会 () は、いわゆる関東ブロックの関係者が中心となって始められた研究会活動である(既に全国から参加者が...)。2001年2月3日に開かれたシンポジウム『調査資料の取扱いと発掘調査報告のあり方』では、1)遺物・現場記録などの膨大な発掘資料の取扱い、2)報告書の多様な現状の認識や活用の必要性、3)調査の手法的デジタル化とデジタル版報告書、という3部構成で行なわれた(テーマ表現は本サイト独自のもの)。

 発表の項目は以下の通り(括弧内はパネラーの所属…略記)。1は記念講演、2は問題提起、3〜7は発表要旨である。1は筆者流に言えばモード1とモード2の分化の学史を叙述されていたようである。2〜7はテーマに対する各者各様の認識や見解が述べられていた。埋文関係者にとって他人事でない問題ばかりである。タイトルの多くはシンポジウムテーマと同じで紛らわしいが、何と言うか温度差は様々である。デジタル化については(会場の反応を含め)必然論と懐疑論が錯綜し、噛み合わない印象を受けた。議論を尽くす以前の知識や認識の問題である。

  1. 埋蔵文化財をめぐる大学と行政の相克(明治大名誉教授)
  2. 調査資料の取扱いと発掘調査報告のあり方(千葉県教育庁)
  3. 調査資料の取扱いと発掘調査報告のあり方(山梨県教育庁)
  4. 調査資料の取扱いと発掘調査報告のあり方(安中市教委)
  5. 大学の発掘調査体制ならびに近世史料の取扱いについて(東大埋文調査室)
  6. 調査資料の取扱いと発掘調査報告のあり方(山武考古学研究所)
  7. 調査資料の取扱いと発掘調査報告のあり方(埼玉県博)

1.「調査資料の取扱い」から

 テン箱やスライド等の多く(殆ど)が、惨めな環境で収蔵されている。質量膨大は埋文資料の特殊性ではあるが、それにしても再び資料を見る時に快適であるために、もっと快適で、有り余るような倉庫は望めないものだろうか(そんなに遠くなく、地価の安いところなら、どこでもよい)。

 資料の整理収納という点では、民間の方が対応しやすく、レベルを高く保てるようである(私見であるが、収蔵も民間委託したらよい)。

 スライドの退色を防止するのは低温が決め手であり、それは博物館レベルの保存環境でなければ望めないし、低温でも退色を遅らせることしかできない。通常の環境では数年以内に退色が始まるのを避けられない。デジタル化以外に解決策はない(気付くのが早い程よい)。また、脱フィルム化→デジタルカメラの本格的採用も、歴史的必然である(現時点では本体30万円程の一眼レフ)。4×5クラスの解像度を求める場合は、ちと苦しいが(そのクラスのデジカメは、あまりにも高価)、そもそも4×5クラスの写真は通常はオーバースペックである(4×5フィルムのスキャンも技術的に無理はない)。いずれにせよ、大量のフィルムを処理するコストと収納スペースを考えると、撮影時点からの脱フィルム化が望ましい。4×5の重要性よりも、色管理と保存に配慮したデジタル対応のシステムを整備することに努力を傾注すべきである。

 図面もそうだが、初めからアナログ媒体が無ければ、その保管が問題になることもない(単なるデータのプリントアウトも不要である…それよりもデジタルデータのアーカイブを考えた方がよい…これもデータセンターなど民間委託が望ましい)。

2.「発掘調査報告書のあり方」から

 発表3では、研究者にとっての報告書はダウンロードで対応できるのではないかと達観されている。まさにしかり。ただその具体的態様について、充分な経験を積み、安定した媒体となるための条件を討議するべきだった。技術的な話は、この研究会にはそぐわないのかもしれないが、制度的な問題なら討議可能だろう。報告書は電子版でも構わないことを、いずれ全国的に明示的に示すべきである。

 発表4では、報告者の見解が報告書で示されていないと、後の活用段階で解釈や点検に苦労することが指摘された。報告書は展示のシナリオとなる。つまり、当該遺跡をどう捉えるかという意味での考古学的分析は、実は記録保存の意味でも不可欠なものだということである。無論、この事と、均質な基礎資料/データ提示としての報告書の有り様とは、両立しうるものである(理想論かもしれないが)。デジタルメディアの活用が、その理想論の実現を早めてくれるに違いない。

[参考資料]考古資料取扱倫理規定考

3.「調査資料のデジタル化」から

 道具としてのデジタル化は、汎用機の性能とコストが向上することによって、現実味を帯びてくる。(一般に)専用システムを用意するのは、大変なことである。これは、コンピュータのソフトウェア一般でも、いえることである(このテーゼに関して筆者は過去20年一貫していた)。

 なぜか、三次元への興味が高まっていたが、筆者には不思議でしょうがない。その種の道具技術と、出版メディアとしてのデジタル化は無関係である。報告情報の高度化は魅力的だし、実際取組むべき課題だが、コストが見合うかどうか分らない(いずれ見合うようになるかもしれない)。なぜ卑近なメディアとしての電子化が重視されないのだろう。

 印刷経費とCD-ROMプレス代の単純比較、印刷とCD-ROMへの二重投資、電子化委託コストなど、コストが問題視されていたが、これらに関して筆者は楽観的である。電子化といっても、現時点でコスト的に見合うのはPDFである。PDFの制作費は、DTPの制作費が既に見込まれていれば、それ以上考える必要はない(あっても入札価格の偏差・誤差の範囲)。印刷とCD-ROMを同時に実現することは二重投資に見えるかもしれないが、印刷頁の内、退屈な部分を電子的形態のみに限り、印刷頁数を節約することで、全体の経費を削減している。表の場合、元データの他、テキスト(カンマ区切り、タブ区切り)に加え、そのままPDF化したものを収録できる。手間という程のものではない(強いていえば、元データの校正の手間←それは本文でも同じこと)。全面的な印刷廃止の前に、オンデマンド印刷を数部〜十数部制作することを考慮してもよい。オンデマンド印刷は注文に応じて印刷できる(CDなら無料だが、冊子体は有償とする手もある)。

 オフセット印刷の経費は頁数に依存する(数百部の範囲では部数と相関しない…紙代の差は誤差の範囲)。印刷経費と電子版経費を比較すると、(制作経費を内部吸収できれば)数十頁程度でとんとん、(制作経費込みでも)200頁なら電子化の方が有利になる(100頁程度だと、やり方次第なので、どちらとも言い難い)。普通は、数十頁を節約すれば、印刷経費の総枠を見直さずにCD-ROMの添付が可能になる。

 無論、筆者は全面的な電子化を奨める。当面はCD-ROMとWebの両対応がよい。報告書が印刷本である必要性は、社会的コストとしても、風前の灯である。市民向けのパンフレットは、印刷とWebの両対応でよい。

結論

 要するに、アーカイブという認識(あるいは実践)が、埋文に欠けているのである(言葉すら知らないかもしれないが)。アーカイブがデジタル化すること、それが新時代の本質である。これまでは「報告書」が全てだった。印刷さえできればいい、というのは出版一般にもいえる傾向である(データの再利用性は、あまり考慮されなかった)。次に「利用・活用」が話題になっている。しかし、その前にアーカイブを重視すべきである。資料収蔵に関するアーカイバルな認識と研究(研修?)が、不可欠である。アーカイブの強調は、別に、新たな就職先の提案ではない。

 会場の反応も合せて考えると、全体にデジタル化の技術への無理解、無知が目立つ(素直に理解されている例もある)。これは単純に実践の不足によっている。実践の不足は躊躇に由来し、躊躇は無理解に由来する。やはり、今必要なのは理解だし、実践(の試み)である。そして、正しいオリエンテーションであろう。

 IT化は、IP化といってもよい。もはや、デジタル化とか、コンピュータの活用というキーワードでは、とても捉えきれない。IP化の時代では、コストや仕事のパラダイムが、劇的に変化していく。例えば、電話代が最近値下げの傾向にあるが、実はIP化はコストを限り無くゼロに近付けていく。国際通話すら無料も珍しくないし、市外通話一律3分20円という例もある。

 端的にいって、研究会活動は、なぜインターネット化していかないのだろう。なぜ発表要旨は紙で有償なのだろう。なぜホームページを作らないのだろう。実践により、Webの性質や情報提供としてのWebの役割、デザインのあり方など、経験や学習を積むべき課題は多い。そうしたコースが、なぜ(モード1の)大学にないのだろう。

 埋文に限った話ではないが、ある種の経済原則が、世の中では貫徹するのかもしれない。


※同研究会の、これまでの経緯については考古学ジャーナルに詳しい(1999年8月号以降)。
●前々回の研究会:「調査資料の取扱いと発掘調査報告のあり方」(2000/9/9) について
●前回の研究会:「埋蔵文化財調査資格制度」シンポジウム」(2000/11/25) について


<WebSiteTop  改定01.2.4