愚行連鎖 Martin Style18一寸研究

GB楽器博物館

Martin OM18V(2002)

Style18 Histry

Martinカタログ2003にある略年表を元に、収集したデータを補填してStyle18の変遷をまとめていきたいと思う。
よって、このページは、予告無しに更新されることもあるのでご留意いただきたい。
つまり、常時工事中のページとなるわけである。
骨子となるMartin ギターの流れとその後補填した情報とは色分けなどの手段を使って判りやすくしていきたいと思っている。

現代Style18の標準的な仕様を再度まとめると
等が挙げられる。
> 材質について:銘木図鑑


新情報入手・確定時に随時加筆修正を行うので、更新ページには履歴を掲載しない。
最終加筆:2003.9.21.(シリアルナンバー5000毎突破年)

Martin Style18 Histry

黒字:Matin The Catarog For ACOUSTIC GUITARS(2003)
緑字:Martin Official Site Histryより
紺字:Vintage Guitars Vol.4 丸ごと一冊000/OM(000/OMの軌跡)及び
Vintage Guitars Vol.1 丸ごと一冊マーティンD-28(D-28の軌跡)より
茶字:協力者の皆様及びGBによる調査(一部未確認情報有り)
情報提供者のイニシャルを入れています。
(Y):おやじの応援団名古屋、“教授”Yoshidaさん
(L):The Cat's Eyes Guitars World Webmaster levante40さん
1796
初代Christian Friedrich(後にFrederick) Martin、ヴァイ オリンのケースや出荷箱などを製作する仕事に携わっていたJohann Georg Martinの息子として1月31日、ドイツにのザクソン郡マークノイキルヘンに生まれる。

Johann Georg Martinは家具職人であり、Christian Frederick Martinも幼くして木工技術を学んだ。
当時ドイツでは家具職人達はバイオリン職人の組合(ギルド)とギターの製作を巡って対立していた。
バイオリン職人達にはギターは「ジプシーなどが道端で演奏する下賤な楽器であり、自分たちの創作物である高尚な楽器、バイオリンとは違う低俗な物」という意識があったが、ギターが普及し、家具職人達がそれを作り始めると今度は「楽器作りはバイオリン職人にだけ与えられた権利で家具屋如きが楽器という芸術品を作れるわけはないし、許されるはずもない」と訴訟を起こしたりしていた。

1812
C.F.Martinは幼くして家業を継ぎ、15歳の頃ウィーンに出向き、当時ヨーロッパで名を馳せていたギター製作家Johann Stauffer(ヨハン・シュタウファー)の徒弟となった。
1825
C.F.Martin Jr.10月2日ウィーンで生まれる。
1826
C.F.Martin、修行を終えて故郷へ戻り、父Johann Georgと共に本格的にギター製造を開始する。
1832
ドイツ裁判所、バイオリン職人ギルドのギター製造権独占の訴えを退ける。
1833
偏見と嫉妬と訴訟に疲れ果てた多くのギター職人達がアメリカへ渡る。
親友だったHeinrich Schatzを追って
C.F.Martinもアメリカへ移住。
Heinrich(後Henryに改名)の助けで9月、ニューヨークに楽器店を開く。

紙ラベルに「Christian Frederick Martin」あるいは「C.F. Martin」
ペグヘッド後部、あるいはネックヒールに「C.F. Martin, New York」型押し。
1934
シュタウファー・スタイルギターの製造を開始。
シュタウファー・ギター
渦を巻いたペグヘッドの片側に全てのペグを集め、指板はサウンドホール近くまでボディ表板の上に連続して(現在のギターと同じ形)おり、ボディの上下の膨らみがほぼ同一のスタイル。
1836
希に紙ラベル「Martin & Schatz」も存在する。
1939
C.F.Martin 一家治安が悪く喧噪の町であったニューヨークを捨てHenry Schatzも移住していたペンシルベニアのナザレスへ引っ越し、商いを始める。

このころ、Martinギターからシュタウファースタイルが姿を消しスクエア・ヘッドでボディ上の膨らみが下より小さいMartin独特のスタイルが確立された。
1840年代
紙ラベル「Martin & Coupa」あり。
1850
Xブレイシングの開発。
0モデル製作
1853
(ドイツ裁判所ドイツ家具職人達にギター職人としての組合を組織することを許可。)
1857
Style18の指板にはポジションマーク・インレイなし(Y)
1867-1897
ペグヘッド、センターバックストリップ及びネックブロックに型押し「C.F. Martin, New York」
1866
C.F.Martin Jr.の息子Frank Henry Martin 生まれる。
1873
C.F.Martin死去。C.F.Martin Jr.が事業を引き継ぐ。
1888
C.F.Martin Jr.死去。Frank Henry Martinが事業を引き継ぐ。
Frank Henry Martin、方針の相違を理由に代理店契約を解除、ナザレス工場からの直接販売に踏み切る。
1894
C.F.Martin III誕生。
1895
Herbert Keller Martin誕生
1898
Style28の基本的デザインの確立。0-28登場。
シリアルナンバーの焼印開始。 (8,000番から:ラスト8348)
ペグヘッド裏、センターバックストリップ型押し「C.F. Martin & Co, Narareth Pa」
1900年代
マンドリン製造本格化。オリジナル弦の製造を開始。
(弦の製造は第一次世界大戦による物資不足で1918年に一時打ち切られた)
1902
Frank Henry Martin、当時最大のギター000サイズ及び最初のStyle45を製作。
1905
シリアルナンバー10,000突破(ラスト10120)
1907
Style18の指板のドットインレイは後に言うショートタイプ
    5フレット大/7フレット中/9フレット小(Y)
塗装にはフレンチ・ポリッシュ技法が使われていた。
1906
000-18(Maple Body)1台製作
1913
000-18 12Strings 1台製作
1916
楽器商オリバー・ディットソン支配人ハリー・L・ハントの注文でオリジナルギターを試作
後のドレッドノート(Dサイズ)の原型となる。
1930年、ディットソンが売却されるまでOEM供給する。
現在のMartinのボディ・サイズ・バリエーションはこのころ、ほぼ確立する。
ネックを2ピースのセダー材から1ピースのマホガニー材に変更
Style28以上にダイヤモンドボリュートが付く
アイボロイドボタンのウォームギア付きのチューナーが使われていた。
1917
Style18の側板・裏板をローズウッドからマホガニーに変更
1919
セミグロスフィニッシュ採用(シェラック塗装をサンディングした物)
1920
シリアルナンバー15,000突破(ラスト15848)
このころ空前のウクレレ・ブームが起る。
ウクレレ・メーカーとして、Martinブランドが世界的に知られるようになる。
ペグヘッド裏側に型押しで銘が入れられる。ペグヘッド表には現在のようなデカールは付けられていなかった。
1922
スチール弦ギターの製造ラインを導入
1923
サテン・フィニッシュ採用(塗料はシェラック)
1924
シリアルナンバー20,000突破(ラスト22008)
000サイズのスケールを24.9'(632.5mm)から25.4'(645.2mm)に変更
1926
ニトロ・セルロース・ラッカー使用開始
シリアルナンバー25,000突破(ラスト28689)
1927
シリアルナンバー30,000突破(ラスト34435)
1928
シリアルナンバー35,000突破(ラスト37568)
殆どのモデルがスティール弦に移行する
1929
バンジョー奏者ペリィ・ベクテルのアイディアから14フレット・ジョイント・ロングネック・モデルの開発。OM-28登場
シリアルナンバー40,000突破(ラスト40843)
ほとんどのモデルがニトロセルロース・ラッカー仕上げに移行。
OMモデルに限り、グローバー・バンジョー・チューナーが使われていた。
Style21以上で長方形のブリッジからテール側が膨らんだベリィ・ブリッジへの変更開始。
Style17以下では旧型の長方形ブリッジを継続
1930
シリアルナンバー45,000突破(ラスト45317)
OM-18,OM-42,OM-45,OM-45Deluxe等が作られる
初めてピックガードが標準仕様となる。OMモデル、鼈甲模様
ネックブロックにモデル名の焼き印が押され始める。
OMモデルに限り、グローバー・バンジョー・チューナーが使われていた。
Style18以上も長方形のブリッジからテール側が膨らんだベリィ・ブリッジへの変更開始。
1931
ディットソンの消滅により、自社ブランドでDサイズギター製造を開始。
D-1(現在のD-18)、D-2(現在のD-28)の原型(当時は12フレット・ジョイント)
ヘッドロゴを入れ始める。
OMサイズのチューニングマシンをバンジョー・ペグから普通のタイプに変更
グローバー製のスキャロップ・ボタン(詳細不明:語意からするとツマミ部分が窪んだノブを指すのか?)のオープンギアチューナー採用
OMサイズのピックガードを大型に変更
ペグヘッド正面にシルクスクリーンで「CF Martin & Co, Est. 1833」。文字のまわりに黒い縁有り。
1932
000サイズのネック幅を少し狭くする。
12フレット部分で2 3/8'(30.3mm)から2 5/16'(58.7mm)
Style18のバインディングをローズウッドから黒プラスティックに変更
Style18の指板のドットインレイをショートタイプからロングタイプに変更
1932年まで
    5フレット大/7フレット中/9フレット小 サイズ不明(Y)
    ↓
1932年途中から
    5F SIZE.25",7F SIZE.20",9F SIZE.15",12F SIZE.15"×2,15F SIZE.15"(Y)
ペグヘッド正面に「CF Martin & Co, Est. 1833」デカール。
シリアルナンバー50,000突破(ラスト51590)

Style18 ポジションマークの変遷
Style18 ポジションマークの変遷
左より00-18'31、00-18'44、00-18'56、D-18'83、000-18'90

1933
OMのモデル名使用を中止。000に統合する。
000サイズのスケールに25.4'(645.2mm)と24.9'(632.5mm)が混在する。
シリアルナンバー55,000突破(ラスト55084)
1934
000サイズのスケールを25.4'(645.2mm)から24.9'(632.5mm)に戻す
鼈甲模様ピックガードが標準化する
バーフレットをTフレットに変更
ネック補強剤をエボニーから金属Tバーに変更
OMの成功とカントリー・ミュージックの流行で、大型ボディが人気を博し、ドレッドノートにも14フレット・ジョイントを採用。
C.F. Martin IIIの息子Frank Herbert Martin誕生
1935
ヘッド裏のブランドスタンプ廃止
Style18の指板・ブリッジをエボニーからローズに変更開始
「C.F. Martin & Co, Narareth Pa」の押し印廃止
ペグはオープンバック・グローバー・ヘビーメタル・ボタン(ボタンに段差がない物と思われる)採用。
シリアルナンバー60,000突破(ラスト61947)
1936
Style18のバインディングを黒から鼈甲模様セルロイドに変更
000サイズにおいて、Xブレーシングがサウンドホールから遠ざかる。
シリアルナンバー65,000突破(ラスト65176)
1938
シリアルナンバー70,000突破(ラスト71866)
1939
Style28以上にシールドバック・グローバー・ヘビーメタル・ボタン(現在バター・ビーンと呼んでいる物)採用。
ナット部分の幅を11/16インチ(42.9mm)12フレット部分の幅を21/8インチ(54.0mm)と細くする。これに伴い、サドル部分の幅を21/8インチ(54mm)とする。
Dサイズにおいて  Xブレーシングがサウンドホールから遠ざかる
↑D-28がこの年なので推定です(Y)
1940
シリアルナンバー75,000突破(ラスト76734)
Style18のの指板・ブリッジをエボニーからローズに変更完了
1941
シリアルナンバー80,000突破(ラスト80013)
1942
第二次世界大戦による物資不足によりD-45,000-45の製造を中止
併せて戦時体制の金属不足によりロッド材をエボニーに変更。
オープンバック・クルーソン(ブッシュ無し、プラスチック・ボタン)が使われた。
第二次世界大戦末期の頃のモデルは戦時体制、金属欠乏でロッドがスチールからエボニーに、ペグボタンもメタルからアイボロイドに、その上、ペグ・ブッシュまで省略されている。
ペグ・ボタンやブッシュなどの殆どゴミのような金属すら使うことを許さなくしてしまう戦争…
やっぱり、戦争なんかするモンじゃないよなぁと。

D-28Meetingで、いみじくも染村さんが仰った。
「でも、そんな戦時下でもこれだけの物を作っていたのだから…」
そうなのだ。
ギターを作ることはおろか、それを演奏して楽しむことすら、この国では民から奪っていた。
何よりも音楽を楽しむ余裕どころか日本では食い物すらなかったのだ。
良い戦争などあり得ないが、先の大戦はまさにギター等というつまらない物から見ても無謀としか言いようがなかったのだと思う。
これから先も「正義の戦争」などは決してないのだと…思う。(GB)
1943
シリアルナンバー85,000突破(ラスト86724)
1944
スキャロップド・Xブレーシング廃止。
シリアルナンバー90,000突破(ラスト90149)
1946
トップ材をアディロンダック・スプルースからシトカ・スプルースに変更
ロッドをエボニーからスティールTバーに戻す
1946年途中から
    5F SIZE.30",7F SIZE.25",9F SIZE.20",12F SIZE.20"×2,15F SIZE.20"(Y)
シリアルナンバー95,000突破(ラスト98158)
1947
ペグをクルーソン・デラックスに変更
クルーソン・デラックスはDサイズ及びStyle28以上の採用。
0,00,000及びStyle21以下はオープンバック・グローバー
シリアルナンバー100,000突破(ラスト103468)
1948
Frank Henry Martin死去
シリアルナンバー105,000突破(ラスト108269)
1949
ペグをクルーソン・シールドバックに変更
シリアルナンバー110,000突破(ラスト112961)
1950
Dモデルにフェンダー・スタイルのクルーソン・シールドバック採用。
シリアルナンバー115,000突破(ラスト117961)
1951
シリアルナンバー120,000突破(ラスト122799)
1952
シリアルナンバー125,000突破(ラスト128436)
1953
トップ材にイングルマン・スプルースも使用
シリアルナンバー130,000突破(ラスト134501)
1954
シリアルナンバー140,000突破(ラスト141345)
1955
ピックガードの形が少し角張る
シリアルナンバー145,000突破(ラスト147328)
7月8日Frank Herbert Martinの息子C.F. “Chris” Martin IV生まれる
1956
シリアルナンバー150,000突破(ラスト152775)
1957
シリアルナンバー155,000突破(ラスト159061) グローバー・ロトマチック
1958
ペグをグローバー・ロトマチックに変更(D-28)
シリアルナンバー165,000突破(ラスト165576)
1959
D-28E,D-18E登場
シリアルナンバー170,000突破(ラスト717047)
1960
ピックガードが元の形に戻る
シリアルナンバー175,000突破(ラスト175689)
1961
シリアルナンバー180,000突破(ラスト181297)
1962
ボディ内センターバックのブランドスタンプに“MADE IN U.S.A”を追加。
このころからペグヘッドの角が丸みを帯びる。
Sycamore Street.に工場の建設を始める。
シリアルナンバー185,000突破(ラスト187389)
1963
シリアルナンバー190,000突破(ラスト193327)
1964
シリアルナンバー195,000突破(ラスト199626)
1965
シリアルナンバー205,000突破(ラスト207030)
サドルをロングサドルから現在のショートサドルに変更。
ブラジル政府の原木輸出制限:D-35登場
Dサイズにグローバー・ロトマチック採用。
1966
Style18のバインディングを鼈甲模様から黒に変更
ペグヘッドデカール(ロゴ)の字体変更
ピックガードを黒アセテートに変更(Martin カタログの記述とズレがある)
ペグヘッドの形がまた角張る(磨り減ったジグを交換したとのこと)
シリアルナンバー215,000突破(ラスト217215)
1967
ロッド形状をT-バーから四角いスクエア・バーに変更。
この年の中期、ピックガードを鼈甲柄から黒アセテートに変更
ネックブロックのシリアルとモデルナンバーのスタンプを機械式に変更
Style18にクルーソンK342採用
000-サイズにグローバーV100採用
全てのモデルにグローバー・ロトマチック採用。
シリアルナンバー230,000突破(ラスト230095)
1968
D-45製造再開
ブリッジプレートがローズウッドに変更される。
ナット材をIvory:象牙に戻す
シリアルナンバー240,000突破(ラスト241925)
1969
ブラジル政府のローズウッド輸出制限によりローズウッドモデルの材をイースト・インディアンに変更
シリアルナンバー255,000突破(ラスト256003)
シャラー、グローバー、シュパーゼルなどのチューナーが混在している。
1970
シリアルナンバー270,000突破(ラスト271633)
1971
シリアルナンバー290,000突破(ラスト294270)
Sycamore Street.の工場に移転。
(ブラジリアン・ローズウッドからインディアン・ローズウッドに切替)
(Style18でもバインディングやヘッド突き板にはブラジリアン・ローズウッドが使われていた)
1972
東海楽器、Martin社と技術提携、輸入開始(2月)(L)
シリアルナンバー310,000突破(ラスト313302)
1973
ワシントン条約(CITES)採択(1973.3.3.)
シリアルナンバー330,000突破(ラスト333873)
ナット材をプラスティック(材質不明)に変更
1974
シリアルナンバー350,000突破(ラスト353387)
1975
サドル材をプラスティック(材質不明)に変更
ナット/サドル材をミカルタに変更
側板の補強テープを布からローズウッドに変更
総輸入元:TOKAI U.S.A、総発売元:東海楽器と東海楽器製マーティンカタログにあり。(L)
シリアルナンバー370,000突破(ラスト371828)
1976
全てのスキャロップド・ブレーシングのモデルに“USE MEDIUM GAUGE OR LIGHTER, STRINGS ONLY”のスタンプを押すようになる。
シリアルナンバー385,000突破(ラスト388800)
1977
鼈甲模様ピックガードが再度使用可能となる
(この記述は何度読んでも意図する意味が良く分からない…)
シリアルナンバー395,000突破(ラスト399625)
1978
シリアルナンバー405,000突破(ラスト407800)
1979
ペグをシャラーに変更
ソリッド・ボディ・エレキギター、E-18,EM-18登場。
79〜80年のマーティンカタログ(東海楽器版)にはマーティンの日本事務所(79)、CFマーティンの日本事務所と記載あり。(L)
シリアルナンバー415,000突破(ラスト419900)
1980
シリアルナンバー430,000突破(ラスト430300)
1981
シリアルナンバー435,000突破(ラスト436474)
1982
シャラー製ペグデザイン変更。Martinロゴ付きになる。
1983
シリアルナンバー445,000突破(ラスト446101)
1984
ピックガードを塗装後貼付ける方法に変更
それに伴い鼈甲模様ピックガードの材質をアセテートからナイトレイトに変更
(Martin社の記述と食い違い有り)
“Limited Edition”、“Special Edition”、“Guitars of the Month”開始
Guitar of The Month 開始:00-18V発売(L)
シリアルナンバー450,000突破(ラスト453300)
1985
ピックガードを塗装後貼付ける方法に変更
それに伴い鼈甲模様ピックガードの材質をアセテートからナイトレイトに変更
アジャスタブル・トラス・ロッド採用
Guitar of The Month:D-18V発売(L)
シリアルナンバー460,000突破(ラスト460575)
C.F. Martin III死去
1986
側板内側の補強剤布テープ廃止。
シリアルナンバー465,000突破(ラスト468175)
1987
Guitar of The Month:HD-18LE発売(L)
シリアルナンバー475,000突破(ラスト476216)
1988
ブリッジプレートをメープルに戻す
Style18のサウンドホールリングを白黒5-9-5に変更
1988年途中からStyle18の指板のドットインレイ
    5F SIZE.30",7F SIZE.25"×2,9F SIZE.25",12F SIZE.20"×2,15F SIZE.20",17FSIZE.20"
但し、変更された年代は未確認(Y)
(私なりの結論としては指板インレイの変更時期はサウンドホールリングと同時
つまり1988年と判断したいと思います。)(Y)
シリアルナンバー480,000突破(ラスト483952)
1989
黒澤楽器店、Martin社と総代理店契約締結(1月24日)。(L)
Guitar of The Month:D-18GOM発売(L)
シリアルナンバー490,000突破(ラスト493279)
1990
ナットの材質をミカルタからコリアンに変更(サドルはミカルタのまま)
ブリッジ・ピン・ホールの弦ガイド溝をなくす
Guitar of The Month:D-18MB発売(L)
シリアルナンバー500,000突破(ラスト503379)
1991
“USE MEDIUM GAGE OR LIGHTER,STRINGS ONLY”のスタンプをすべてのモデルに押す。(Y)
Guitar of The Month:D3-18(L)
(↑これはStyle18でしょうか?マホガニー3ピースバックのモデルですが、物は良く分かりません。)(L)
シリアルナンバー510,000突破(ラスト512487)
1992
クロスリンク・フィニッシュをネックに採用。
ペグをゴトーに変更
Guitar of The Month:D-18VINTAGE発売(L)
シリアルナンバー520,000突破(ラスト522655)
1993
“USE MEDIUM GAUGE OR LIGHTER, STRINGS ONLY”の“LIGHTER”と“STRINGS”の間の“,”がなくなる
アジャスタブルロッドのネック仕込み角変更
アジャスタブルロッド・モデルのナット形状変更
シリアルナンバー535,000突破(ラスト535223)
Frank Herbert Martin死去
1994
AJモデルのネックセット角度変更。
AJモデルのナット形状変更。(GEモデルは変更無し)
ペグヘッドロゴが金箔ロゴに変更される。
↑ビンテージ、カスタムモデル等を除く(Y)
シリアルナンバー550,000突破(ラスト551696)
1995
D-18GE、Golden Eraシリーズ発表
Guitar of The Month:D-18GOLDEN ERA発売(L)
シリアルナンバー570,000突破(ラスト570434)
1996
ネックブロック形状変更(ネックの起きあがり防止)
ネックブロックへの焼印をレーザー彫刻に変更。Martinの筆記体ロゴも付加される。
(D-28の軌跡では1997.4.と記述される)
シリアルナンバー590,000突破(ラスト592930)
1997
Guitar of The Month:0-18T発売(L)
Kingston Trio、KTRIO(custom 0-18T Tenor guitar)・シグネチャ・モデル発表 製造数不明
(↑D-28、Vegaバンジョーのセット)
シリアルナンバー620,000突破(ラスト624799)
1998
ピッチを正確にするために弦長補正サドルに変更
Guitar of The Month:HD-18JB発売(L)
HD-18JB、Jimmy Buffett ジミー・バフエット・シグネチャ・モデル発表 製造数不明
シリアルナンバー665,000突破(ラスト668796)
1999
OM-18、Vintage Series、OM-18Vとして復活。
000-18WG、Woody Guthrie ウディ・ガスリー・シグネチャ・モデル発表
00-18SH、Steve Howe スティーヴ・ハウ・シグネチャ・モデル発表 製造数不明
シリアルナンバー720,000突破(ラスト724077)
2000
D-18GL、Gordon Lightfoot ゴードン・ライトフット・シグネチャ・モデル発表 製造数61
シリアルナンバー780,000突破(ラスト780500)
2001
日本初のシグネチャ・モデル登場
00-18DBCY吉川忠英モデル
000-42C 1310中川イサトモデル。
00-18CTN、Elizabeth Cotten エリザベス・コットン・シグネチャ・モデル発表 製造数76
D-18CW、Clarence White クラレンス・ホワイト・シグネチャ・モデル発表 製造数292
シリアルナンバー845,000突破(ラスト845644)
2002
OMC-18VLJ、Laurence Juber ローレンス・ジュバー・シグネチャ・モデル発表 製造数 133
D-18DC、David Crosby デビッド・クロスビー・シグネチャ・モデル発表 製造数 250
シリアルナンバー915,000突破(ラスト916759)
2003
“USE MEDIUM GAUGE OR LIGHTER, STRINGS ONLY”のスタンプがなくなる。
000-18MC、Martin Carthy マーティン・カーシー・シグネチャ・モデル発表 製造数 84
D-18 Andy Griffithアンディ・グリフィス・シグネチャ・モデル発表
OM-18VGE、発表


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