GBのアームチェアCinema見ist:ゴースト・イン・ザ・シェル

ゴースト・イン・ザ・シェル

ゴースト・イン・ザ・シェル(原題:Ghost in the Shell)

監督 ルパート・サンダース
脚本 ジェイミー・モス/ウィリアム・ウィーラー/アーレン・クルーガー
出演 スカーレット・ヨハンソン/ピルー・アスベック/ビートたけし/ジュリエット・ビノシュ/マイケル・ピット/チン・ハン/ダヌーシャ・サマル/ラザルス・ラトゥーエル/ 泉原豊/タワンダ・マニーモ/桃井かおり
音楽 クリント・マンセル/ローン・バルフェ
原作 士郎正宗『攻殻機動隊』
製作年 2017/米


攻殻機動隊…と言われたら、取り敢えず観とけのファンである。
大分前から大々的に宣伝されていて、期待と不安がない交ぜだったが、観てきた。

なんだかとても人気があるようで、金曜日の夜中にネット予約を見たら、土曜日の劇場、殆ど埋まっていた。
昼過ぎまで仕事だったので、予約を取るのも躊躇われ、それでも拘束時間きっちりで仕事場を脱出し、劇場窓口直行、当日売りを手に入れた。

ちっちゃい箱がほぼ満席。取れた席はスクリーン見上げる三列目のはじっこ。

で、観てきたが…
前半殆ど睡魔の襲来で断片的に墜ちていて、良く覚えていない。

気付くと隣のオニーサンも結構カックンカックン墜ちていたし、周囲からも軽いいびきが幾つか聞こえた。

なんだか、退屈なんだよな。

攻殻大好きだが、「過度の期待は禁物」そのもの。
マニアならニヤリとするシーンがてんこ盛り、と言うよりも、過去の攻殻の美味しそうなシーンを再現、それらを無理矢理繋げたダイジェスト映像の感、なきにしもあらず。
まぁ、金は掛かっているのでそれはそれで悪くはないのだが…
大感動する程凄い物ではない。
そもそも全体的な世界観が、未だにブレードランナーの呪縛から逃れられていないというのは少々悲しい。
司郎正宗の攻殻機動隊の世界観は決してブレードランナーのそれを辿った物ではないはずである。

士郎正宗の原作漫画『攻殻機動隊』の連載が始まったのは、ヴァーチャルリアリティが生まれた1989年。はっきり言って前世紀なのだが。

そもそも、ミラ・キリアンと名乗る主人公のキャラクター設定が、私の持っている草薙素子のそれと余りに違いすぎる。
ミラって誰だよ!
これはアナザーストーリーなのか?

と…

結末を見れば、それは正しい攻殻への道なのだというのが解るのだが…
あぁ、このネタバレだけは出来ない。

『攻殻機動隊ARISE』のシリーズ構成と脚本、2015年の『攻殻機動隊 新劇場版』では脚本を担当した作家の冲方丁は語る。

『(草薙素子の描かれ方を見ると)日本と欧米におけるアニミズムのとらえ方が明らかに違っていましたね。たとえば、押井版では「わたしが存在しているのかどうかわからない」という、日本人が理解しやすい魂の感覚に寄り添っています。

スカーレット・ヨハンソンの場合は、「魂に疑いをもってしまうと誰ともつながれない」という文脈で描かれている。おそらく監督や脚本家は、イタリアやフランス的な個人主義の思想が好みなのでしょう。』

ううむ…何か解ったような解らん様な。

まぁ、原作、押井版、SAC、ARISE、とこれまで世に出た攻殻もそれぞれが違った設定、違った物語、キャラクタービジュアルも異なるので、これはこれで良いのか?

だが、たけしは勘弁だ。
予備知識がなかったので、ハリウッドとは思えないウエットな場面での桃井かおりの登場にはかなり驚いた。

最初誰だ、こいつ、と思った“目がある”バトーはなかなか良いんじゃないか?
スカーレット・ヨハンソンのビジュアルは悪くない。キャラクターが私のイメージと余りに違うのと光学迷彩スーツが殆どお相撲さんの肉襦袢的だったのがかなり残念だが…
(もう一寸スタイルが良かったらねぇ…)

エンドロールで川井憲次の“あれ”が使われていたのは、果たして良かったのか悪かったのか。

SFアニメーションの金字塔となった押井守版『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(ゴースト イン ザ シェル / こうかくきどうたい)は、1995年11月18日に公開されている。

攻殻機動隊(GHOST IN THE SHELL)

イノセンス

攻殻機動隊 新劇場版 GHOST IN THE SHELL


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