人間はなぜか死にたくなるときがあるようです。私自身は強く死にたいと思ったことはないのですが、一番苦しかったころ「どうしようもなく辛くなっても、死ねば楽になるのだから」と考えることで、その苦しさが少し楽になったように感じた記憶があります。また、自分が突然自殺してしまうのではないかと感じて、そのことが怖かったこともありました。
その後さまざまな体験をしていく中で、人生と世界の真実が少しずつ見えてきて、生きることが楽になってきました。そのプロセスの途中で、ときどき「死にそうな気分」になることがあったのです。これは「もう死んでしまいたい」といった思考(頭の中の考え)ではなくて、身体全体で感じる違和感、不快感、なんだかどうしようもないような落ち着きのなさ、といったような感覚でした。
最初のうちは、その感覚がやってくるとテレビを見たり、ギターを弾いたり、外に出かけてみたり、つまり何かをすることでその感覚をまぎらわそうとしていました。
そのうち、自分の内側で起こることをそのまま感じることが癒しと目覚めのプロセスではとても大切なのだ、ということがわかり始めた頃、「そうだ、この『死にそうな気分』をよく味わってみよう」と気づいたのです。
それはとても不思議な感覚でした。
苦しさがすぐに消えてしまうわけではないのですが、苦しさがあるのと同時に、心の奥に何か安心できるような、ほっとするような感覚が生まれてくるのです。そのことを実感できた後でも、同じような辛さがやってきたときには、しばらくの間はそれを感じればいいのだ、ということは忘れてしまっていて、苦しみにほんろうされるのですが、どこかの地点で「そうだ、感じればいいのだ」ということを思い出すことができて、安心感を感じられる場所に少しずつ早く戻れるようになってきました。
このとき、いったい何が起こっているのでしょうか。ひとつは、自分の本当の感覚をありのまま感じられたときに、自分の深い部分とつながり、自分をありのまま許すことが出来ているのです。いいかえれば、自分を愛することが出来ているのです。また別の表現をすれば、古い自分が死んで、新しい自分が生まれてきている、とも言えるでしょう。というよりも、もとからあった本来の自分が姿を見せてきた、と言ったほうが近いかもしれません。いわゆる「死と再生」のプロセスが進行しているのです。
私たちは自分で自分を制限して苦しんでいます。「自分とはこんなもの」という強固な思考は、自分の内側にあらゆる可能性があるということをほとんど忘れさせてしまいます。そして、自分で自分を苦しめたあげくに「もうどうしようもない、何の可能性も残されていない」と考えて、自分の身体を終わりにしてしまう以外の選択肢があることすら見えなくなってしまうのです。
でも、身体を終わりにしなくても、心を終わりにする、つまり、それまでの制限された自分を手放して新しい自分に生まれ変わる、ということが可能なのです。
死にそうに辛くなったときには、このことを考えてみてほしいのです。あなたの中にはあなたが考えたことすらない大きな可能性があって、身体の死ではなく、心の死を通過することで、今まで意識したこともない新しい世界へ生まれ変わることができるということを。
これは、特別な人に与えられた超能力のようなものではなく、人間が本来持っている自然な力なのだ、ということを。
そのことに気づくための第一歩は、あなたがあなた自身としっかりつながること。あなたの寂しさや怒りとしっかりつながること。すると、あなたの中にある大いなる喜びとつながる道が開けてきます。
毎日さまざまな体験をし、喜んだり苦しんだりすること、つまり、この身体を持って一人の人間として生まれてきたということは、この身体と心を超えたところにある本当の自分の可能性に気づくためなのです(【まほろば通信】vol.138掲載2010/06/17)
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