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意識の目覚め


最近はブログでもいろいろな文章を書いています。「心の癒しと意識の目覚めのために」もご覧下さい。

私たちはなぜこの身体を持って生まれてきて、一見とても困難なものに感じるこの人生を生きているのでしょうか。つまり、人はなぜ生きているのでしょうか。スピリチュアルな視点からすると、この問題にははっきりとした答えがあります。それは「目覚めるため」です。

さまざまな伝統や考え方の中で、この答えは多くの異なる表現で表されています。たとえば、次のようなものです。

  悟りをひらく
  人生の真実を知る
  ありのままの自分を愛する
  ありのままの世界を愛する
  幸せになる
  自由になる
  今ここに生きる
  世界の本質を知る
  ゆだねる
  仏を知る
  神を知る

これらの表現すべてが実は同じことを指しているといるというのは、意外に思う方もいるかもしれません。真実は言葉では直接表現できないので、それを知った多くの人が自分なりの表現で表してるために、一見矛盾するようなさまざまな表現があるのですが、実はすべて同じことを伝えようとしているのです。それは、自分自身の目覚めが深まってくると、自然とわかってきます。

そして、こんな表現を見ると、なんだかとても難しいことのように感じるかもしれませんが、実はものすごくシンプルで、すべての人がもともと知っていることなのです。わかってしまえば、それを忘れていたことが信じられないような感じがしてきます。この真実をもう少し説明的な言葉であらわすと、次のような感じでしょうか。

「私」というのは通常あなたが自分だと思っているその身体と心や、「私は〜である」という言葉で定義付けられているすべての制限を超えた、存在全体、宇宙全体のことなのです。そう「あなたが世界」なのです。

このことが、知的な理解を超えて自分の存在の深い部分に浸透してくると、今この瞬間に自然とくつろいでいられるようになります。生きることが本当に楽になるのです。いや、私が生きているという感覚自体がなくなってくる、と言ったほうが近いかもしれません。「生かされている」あるいは「生がここにある」というような感覚が深まってきます。自分がこの宇宙全体、世界全体と一つであることが感じられるようになってくると、多くの方が多かれ少なかれ感じている孤独感や絶望感が癒されてきます。

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人間は、というよりも宇宙全体は、少しずつ目覚めていくようにプログラムされているように感じます。今、多くの人が意識の目覚めと、それにともなう自分という感覚の深い変化を体験し始めています。

それは、人生の中で体験する大きな苦痛を通して否応なしに目覚めへと引きずりだされるような激しい体験である場合もありますし、一方で、本人もほとんど意識しないうちに、微妙だけれども根本的な意識のシフトが起こることもあるようです。

たとえば、あなたはこんな不思議な感覚を感じたことはないでしょうか。

  自分の身体がどんどん拡大して宇宙まで拡がっていくような感覚
  自分がとまっていて周りの世界が動いているような感覚
  まわりの人々がみんな自分のように感じる感覚

日常生活の中でこんな感覚を感じたとしても、普通はちょっと気分がわるくなっただけだと思ったり、なんか変な感じがしたな、と思うだけかもしれません。でもこの感覚は、あなたがどこかおかしくなってしまったわけではなくて、あなたのもっとも深い部分にある真実からきているのです。

不思議な感覚というのはあなたの中で何か新しい扉が開きつつあるときに感じる感覚です。ですから、不思議な感覚を感じたときには、その感覚を大切にして、よく味わってみてほしいのです。

一方で、はっきりと理由のわからない苦しさやつらさ、不安を感じたり、底なしの深淵に落ちていくような感覚を感じることもあるかもしれません。それらの感覚もあなたを目覚めへと導いていく大切なものです。

目覚めとは、これまで自分が自分だと思っていたのものが、実はそうではなかったのだ、と気づくプロセスでもありますから、これまで基盤としていた何かが崩れていくような感覚を感じることがあるのです。(この感覚は、子供時代に辛い体験をした人ほど大きくなる傾向があるようです。)

自分が本当はからっぽで、同時に世界全体でもある、ということが実感として理解され、人生に統合されてきたときに、自分がなぜ生きているのかということがわかり、今この瞬間に安心していられるようになるのです。この理解を統合していくには、閉じ込められた感情を浄化し、自分を制限している否定的な思い込みを手放していく必要があります。さまざまな心理的な技法やセラピーなどの必要性があるのは、主にこの部分でしょう。

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目覚めのプロセスは、それを意識的に求めて修行などをすることで起こることがありますし、生きていることの苦しさをなんとかしようとして、セラピーを受けたり、自分でできるエクササイズなどをすることで起こることもあります。また上に書いたように、多くの人が目覚め始めた今では、それを求める意識的な努力を何もしなくても、あるとき突然目覚めのプロセスが始まることもあります。あるいは、始まっているのに、そのことを意識していない場合もあるようです。

目覚めのプロセスは、一旦始まると、それ自体の力で自然と展開していきます。ただ、自分自身や周囲の人たちにそのプロセスへの理解がほとんど、あるいはまったくなかったり、起こっていることへの怖れや不安が大きくてそれに抵抗してしまうと、困難な体験が増えてきます。

ある意味では、人生の中で体験する問題や苦しみはすべて目覚めのプロセスの一部であり、そのプロセスへの抵抗が大きいほど、問題や苦しみが大きくなるのです。

では、いったいどうしたらいいのか。

そのまま(ありのまま)でいいのです。

こんな言葉は、このメールマガジンを読んで下さっている方の多くは、もう耳にタコができるくらい聞いているかもしれませんね。

意識的に目覚めを求めていく道というのは、本当はそのまま、ありのままでいいのだ、とわかっていながら、それを実感するために何かをしなければいけない、という、もともと矛盾に満ちたプロセスなのです。

あなたはいつでも、そのまま、ありのままでこの世界に存在していていいし、それで完璧なのです。このことを実感することをサポートできるような文章を、これからもぼちぼち書いていきたいと思っています。

【まほろば通信】vol.134掲載2009/10/02)


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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2009/10/02