感情の解放(1)の続きです。
今回は、どうしてあらためて感情の解放なんていうことをしないといけないのか、どうして感情を抑えてしまうのか、ということについて書いてみます。
人生の中で何かつらいことがあったとき、わたしたちは悲しみを感じたり怒りを感じたり、またそのきっかけを自分に与えたと思われる人を憎んでみたりします。それらの感情は自然な感情なので、特にいいも悪いもない、ニュートラルなものです。
ところがその人がまだ小さな子供だったらどうでしょう。そして、その怒りや憎しを感じた相手が、自分の生存のためにどうしても必要な大人だったらどうなるでしう。
その子は、自分が生きていくために自分自身の心の中に起こってきた自然な感情を否定します。自分はこんなことで起こったり憎しみを感じたりすることはない。そんな必要はない。そんなことを感じるはずはない、、、。
だって、その大人の庇護を失うと自分が生きていけないとしたら、その気持ちはなかったことにするしかないのです。生きていくために。
そんなことが繰り返しながら大人になっていくと、その人は自分が本当は何を感じいるのかがわからなくなってしまいます。怒りや憎しみを感じないようにしていと、喜びの感覚もわからなくなります。感情のエネルギーは一つの同じ源から来てますから、喜びだけを感じて怒りや憎しみを感じないようにすることはできないのす。
でも、自分で怒りや憎しみを否定している、ということはすっかり忘れていますから、なんだかわからない不安感やどんよりした感覚だけが、いつも自分を支配しているのです。
そんな方にとってまず必要なことは、自分の内側の怒りや憎しみ、そして悲しみが存在していることに気づくことです。
あなたは怒ったり、憎んだり、悲しんだりしてもいいのです。そうすることを自分自身に許してあげて下さい。
自分一人で気づいていくことが難しいとき、セラピーは大きな助け になります。
ただ、ここで大切なことは「怒りや憎しみや悲しみに気づくことは、その感情をあなたに感じさせた人にぶつけることとは違う」ということです。(【まほろば通信】vol.82掲載2002/01/17)
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