山本有三、江戸川乱歩、そして武者小路実篤。この三人の共通項はおわかりになるだろうか。これは朝日新聞に小説を連載した順番なのである。
山本有三は、大正15(1926)年9月から「生きとし生けるもの」を東京と大阪の「朝日新聞」に連載していたが、病気のためやむをえず中止。その後は実篤と決まっていたが、約束の時期まで間がある。そこで新進作家の江戸川乱歩に白羽の矢が立ち、急遽連載が決まったそうだ。
乱歩の回想によれば、当時はまだ作家専業になりたてで、創作探偵小説が新聞の朝刊に載るのも本邦初であり、筋がまとまらないのはわかりきっていたが、承諾したのだそうだ。12月から約3ヶ月連載した「一寸法師」は後に映画化もされたが、本人としては不本意な作品となり、これが原因でこのあと約1年休筆することになった。(「探偵小説三十年」、参照したのは『探偵小説四十年』1、講談社)
その乱歩の後に連載されたのが、実篤の「母と子」(昭和2年2月28日〜8月9日)である。乱歩は東西朝日新聞200万読者を強く意識したが、実篤はどうだったのだろうか。
有三と実篤は並べて考えることはあっても、乱歩とは考えたこともなかったので、このつながりをおもしろく思い、少し調べてみた。きっかけはインターネットでの検索だったが、天網恢恢と言うか、こういった小さなこともまさしく蜘蛛の巣(web)にひっかかることもあるのだなと思った。