岸田劉生の「切通し」を見に行く


 以前新聞に、岸田劉生の「切通之写生」のモデルとなった場所の写真と住所が出ていたが、あの絵のように太陽の照りつける季節にその坂へ行ってみたいと思っていた。そこで夏休みの自由研究よろしく、夏季休暇の一日「切通し」へと出かけてみた。
 前もって口絵に「切通之写生」のある岩波新書『岸田劉生』(富山秀男著)を図書館から借りてきて、参照用に持っていくことにした。手掛かりは2年前の新聞記事だが、残念ながら実物は資料の山に埋もれていて、それをもとに書いた「武者組」の記事しかない。その記事によると住所は「渋谷区代々木四丁目」で、最寄り駅は小田急線参宮橋駅とある。坂には標識も立っているということだが、これだけの情報で出かけることにした。

 参宮橋駅は明治神宮への入り口のひとつで、原宿・表参道の反対側になる。駅舎もそれを意識して柱を赤く塗ったりしている。駅員に岩波新書の口絵を示して、このモデルとなった場所を尋ねたが、わからないという。駅周辺の地図を見ると、代々木四丁目と言ってもかなり広い。手掛かりは「坂」と「標識」。それだけでこの一帯を歩いてみることにする。
 電柱の地番表示を見ながら坂を上がってみる。住宅街でたしかに坂が多い。しかしこれだけの情報で見つかるものだろうか。天気はくもりで歩くこと自体は問題ないが、とんでもないことを始めてしまったとちょっと後悔し始める。道を聞こうにも店が少なく、あっても平日の昼間、店の中に人がいない。わざわざ奥まで声を掛けて聞くほどのことではないし、そんなに有名ではないのかもしれないと、自力で探すべく坂を上がったり下がったりする。新聞記事にはカラー写真で出ていたのでそれを見ていればまだイメージがつかめたかもしれないが、それもないのでただ「坂」「標識」を求めて歩き回る。
 駅を起点に方角と町域をイメージしながら、ローラー作戦のように通りを行きつ戻りつする。たぶん傍から見るとずいぶんあやしい人物に見えただろう。これで雨でも降られたら泣きっ面に蜂だ。夢中で歩くうちに、偶然「切通し」に出くわした。劉生ではないが「神に感謝」したい気になった。絵と同じように小高くなった一画があり、その下に木製の標識が立っている。「岸田劉生が描いた切通しの坂」標識にはそう書かれていて、裏には由来の説明がある。

画家岸田劉生は、大正三年(一九一四)から五年(一九一六)にかけて代々木に住んでいたので、このあたりを描写した作品がたくさんあります。そのうちの一点に名作「切通しの写生」(重要文化財)があり、大正四年(一九一五)に発表しました。
平成八年度 渋谷区教育委員会
(原文は縦書き)

 この坂は抜け道にでもなっているらしく、自動車の通りが激しい。劉生のように絵を描くことなどとてもできない。自動車に注意してその景色をデジタルカメラに収める。少し下がって標識のあたりを写してみるが、絵のような構図にはならなかった。近所の人曰く、絵の左側の白い囲いはお屋敷だったそうだが、今はマンションになっている。右手の小高いところが石垣になっていて絵の描かれた頃をしのばせるが、あとは昔を思わせるところはない。すぐ近くのアパートが「ニューハイツ切り通し」と名乗っていることぐらいだ。陽射しも弱く、劉生の絵の迫力にはおよばなかったが、今回はこれで良しとすることにした。
 ふと見ると初台のオペラシティが間近に見える。帰りは京王新線の初台駅まで歩くことにした。気がつくとデイバッグの肩ひもが、びっしょり汗ばんでいた。

「岸田劉生が描いた切通しの坂」
東京都渋谷区代々木四丁目19
「マピオン」で地図を見てみる。

切通しの写真その1 切通しの写真その2
現在の切通し 縦長で撮ってみる
標識 標識のアップ
ここで描かれたことを示す標識 標識のアップ

※上記以外の写真も合わせて、Photo Highwayというサービスで公開している。前後の様子もわかるので、興味のある方はご参照のほどを(2001年8月に公開を一時停止)。

※「切通之写生(道路と土手と塀)」は、東京国立近代美術館のホームページで見ることができる。
(ホームページ下の方にあるインターネット版展覧会カタログ「岸田劉生 所蔵作品と資料の展示」カタログよりたどれる。)
「東京国立近代美術館」ホームページを見る。

【行き方】

(2000年8月18日:訪問)
(2000年8月25日:記)

補記(2000年11月19日):

 この記事を書いてから、インターネットでこの標識について調べてみたところ、次の2つの記事が出てきた。しかしそれらの住所がまちまちだったため、私の調べた結果とあわせて書いておきたい。

1.渋谷区役所「タウンガイド/文化人の碑」
 渋谷区役所のホームページの中にある「文化人の碑」というページに、区内にあるさまざまな記念碑の紹介があった。その中に「岸田劉生記念碑」という項目があったが、その所在地は「代々木3−45」となっていた。

2.大成建設「タワークレーン」
 大成建設は「週刊新潮」に「タワークレーン」というコラムを連載していて、1999年5月20日号に「岸田劉生草土社『切通之写生』」という記事を書いている。その中では「代々木4−23」と記されていた。

3.私が撮った写真
 証拠写真というわけではないが、私は標識とすぐ近くの住所表示を1枚におさめた写真を撮っている。その写真を見ると、たしかに「代々木4−19」である。

 それぞれの住所を、「駅前探検倶楽部」というサイトにある「ルートマップDD」というサービス(住所から検索が可能)で確認してみた。

 いずれにしても、自分が実際に見てきたものが最新かつ確実な情報なので、このページの情報を信頼してほしい。「論より証拠」である。

補記2(2002年6月23日):

 その後「代々木3−45」を探して再訪したが、どう見ても一般の住宅で記念碑も何も見つからない。渋谷区役所広報課にメールで問い合わせたところ、「代々木“2”−45」であることが判明した。Web登録時のミスではなく、参考にした元の印刷物じたいの誤りだったそうだ。ここには劉生生誕75周年の昭和40年に建てられた「畫人劉生ゆかりの碑」があるとのこと。もう一度訪ねてみたい。


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