「漱石・『白樺』・近代俳句」展


 駒場公園の中にある近代文学博物館は、立派な洋館を改装した建物である。「漱石・『白樺』・近代俳句」と題された展示のうち、白樺派に関するものは2階の二室にある。

 初めに紅野敏郎氏の解説文を読んでしまったせいか(部屋の入口に掲示してあるのだから仕方ないのだが)、彼が一級資料と評した漱石から武者小路宛ての手紙(大正2年<推定>12月21日)に、どうしても目が行ってしまう。巻紙の手紙で、一度古書店に出たものを武者小路が買い戻したといういわく付きの逸品である。内容は武者小路からのハガキへの返事で、武者の正直な物の言い方を「心持ちがいい」と感じたとある。「あなたが正直なことを云はないでは居られない性質を持ってゐるのが私には愉快だったからです」と書き、何をするにも憂鬱な今、なぜ愉快に感じたという感想だけのためにこんな長い手紙を書いているのかわからないとも書いている。これ以外の漱石からの手紙は震災で焼けてしまったのが残念だが、武者小路を漱石が好意的にとらえていたことをうかがわせる資料だ。

 白樺同人の初版本など基礎的な資料が展示されており、珍しいところでは、

が展示されていた。第一室には『白樺』創刊前後の同人の資料、第二室には美術方面への活動の広がりが中心となっている。資料保護のため厚いカーテンが引かれていたが、やや薄暗くハガキなどは見づらかったのが残念だった。

 時間があまりなかったので、1階の漱石の展示をざっと見てから2階の白樺のコーナーを見たのだが、白樺の雑誌や本は装丁のイメージに統一感があって、ビジュアル面のプロデュースを強く意識しているという印象を受けた。いつも白樺の本しか見ていないから気づかなかったのだが、他の作家の本と並べて見てみると、その意匠面での工夫やこだわりが改めて感じられた。

 先の紅野氏の解説文によれば、武者小路の没後文学関係の資料はここ近代文学博物館へ、絵画関係は東京都美術館へ、新しき村関係の資料は東の新しき村へ寄贈された。しかし志賀直哉から武者小路宛の手紙は、『志賀直哉の手紙』として単行本化した後、原本は本の編集をした中川孝氏の手に残り、中川氏の死後、遺族から神奈川近代文学館へ寄贈されている。また志賀宛の武者小路の手紙は、志賀の遺族から武者小路家へ返却され、それは調布市の武者小路実篤記念館に保管されているなど、一部分散して保管されている。紅野氏の言をかりれば、分散方式は白樺派の個性の現われであり、一極集中を自ずと避け、然るべきところに保存されているとのこと。その中で、白樺資料の最初の拠点であることを誇りたいと文を結んでいる。
 分散保管はコストがかかるかもしれないが、リスクの分散でもあり、展示会などではそれぞれの所蔵元から持ちよって展示されるので、一般の見学者としてはあまり問題にはならない。実際しばしば調布の実篤記念館にも近代文学博物館や都美術館から資料が貸し出されて展示されており、我々は一個所でまとめて見ることができるのでありがたいことだと思う。

 実篤を知るには調布の記念館が一番だと思うが、調布まではなかなか足が伸ばせないという方は、まずは渋谷から井の頭線で2駅のこちらからご覧になってはいかがだろうか。

(1997年8月8日見学)

特別展「漱石・『白樺』・近代俳句」展
1997年4月26日〜1998年4月12日
東京都近代文学博物館

開館時間:9:00〜16:30
休館日:第1・第3月曜日(その日が休日のときはその翌日)、12月28日〜1月4日
入館料:無料
交通
 京王井の頭線「駒場東大駅」(西口)下車徒歩10分
 小田急線「東北沢駅」下車徒歩10分
 東急バス渋谷より幡ヶ谷行き「代々木上原」下車徒歩5分


 また会期中、次のような講座がありました。

文学講座「岸田劉生をめぐる美術と文学」
1998年3月21日14時から。講師は、酒井忠康 神奈川近代美術館館長。抽選で70人。



■おまけ■ 近隣のお散歩コース

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