実篤コレクション名品展


 武者小路 穣(みのる)氏(記念館顧問・和光大学名誉教授)の解説を聞きながら見学した。10月10日(祝)午後1時半から展示室で解説があった(参加費は無料で、入場料のみ。希望者は時間に展示室に集まるだけで事前予約などはなし)。穣氏は実篤の三女辰子さんの夫で、実篤の貴重なお話をいろいろと聞くことができた。
 参加者は30人ほど。年齢は高い方が多かったが、30代20代のカップルも見えた。全体では女性の方が多かった。穣氏はやや小柄で、タイプとしては柳宗悦に似ているかもしれないが、温和な方で美術の話だけではなく、実篤の生い立ちから晩年の様子まで、とてもやさしく説明してくださった。

 展示されていているのは、実篤が欧州旅行中に入手したもの、古美術商などから購入した東洋美術品、実篤自身の作品や美術論などの3種類。実篤や白樺派の面々は自分が好きなもの、自分の気持ちに来るものを大事にした。そして当時まだ評価されていなかった後期印象派などを『白樺』で取り上げていった。ムンクやホドラーなどはまったく評価されていなかったが、その中で実篤が注目していた例として、「エドヴァード・ムンヒ」という『白樺』明治45年4月号の文章が展示されていた(ムンクは当時ムンヒなどと呼ばれていたようだ)。
 解説によれば、実篤は美術品は常に鑑賞して、それからエネルギーを得るものと考えていたようで、気に入ったものは見えるところに置いてあったそうだ。たとえばピカソの「ミノトール」も応接間のソファーに立てかけておいて(絵の下辺は床に直に置いてあった!)、自分も客も見えるようにしておいたとのこと。愛蔵品と言われるが「蔵」=しまっておくものではなかったと、強調されていた。
 東洋の美術品はいきおい鑑定に関係した話題が多くなったが、その真贋よりもそれを自分がいい画と思うかどうかが実篤の関心だった。専門家の眼から見るといろいろ意見はあるようだが、作者が誰であれ作品としてはすぐれたものであり、それを実篤が愛したことも事実である。

 お話では、画を手放したことにもよく触れられた。晩年知らない間に振り出された実篤名義の約束手形のために、多くの名品を手放さざるをえないことがあったそうだ。また作品が出入りの人間に勝手に持ち出されたことも一度ならずあったらしく、かまわない人柄とは言ってもいろいろご苦労があったのだなと思った。生い立ちの中でも貧乏華族だったというお話があり、作品を読んでいるとつい忘れがちなそういう側面は忘れてはいけないと思った。
 実篤自身の画のコーナーでは、彼は色紙だけ持ってこられても実物が目の前にないと描けなかったというエピソードが紹介された。何回も描いているのだからだいたいで描けそうなものだが、それができない。そもそも馬鈴薯など1つ1つ違うのがおもしろくて描いていたのだから、実物がなければ描けないのだそうだ。また、紙の大きさがあれば実物大に限りなく近くなっていったらしい。
 実篤は自分の生命力をかきたてるために画を描き文章を書いていた。そして見る人がそれから何かを得てくれればなお良し。描かないときが死ぬときであり、そのあたりが志賀直哉と違うところだというお話は、若い頃から変わらないのだなと思った。彼はみずからを泉や鶏にたとえて、その旺盛な創作意欲を詩に書いていたが、それは亡くなるまで続いたのだった。

 解説は1時間少しで終わった。その後希望者を連れて旧邸を案内してくださるとのことだったので、その列に加わった。この日は旧邸公開日にあたっており、天気も上々だった。
 玄関を入ってすぐのロビーには日本の画家の作品が掛けられていて、実篤を訪ねる人の待合室にもなっていたそうだ。原稿と日本画は左手の仕事部屋で、油絵は右手の応接間で描かれていて、今でも応接間の椅子には絵の具の跡がある。仕事部屋は足の踏み場がないくらい掛け軸やいろいろなものが広げられていて、茶室も物置のように使われていたそうだ。

 とてもよい解説で行って良かったと思った。また私の好みからすると文芸に関する展示の方が美術品の展示よりも好きなのだが、いっしょに解説を聞いていた方々の反応を見ていると、名品展示というのも興味深いもののようだ。たまにしか来ないという方には逆にこういう展示の方がいいのかもしれない。
 今回の解説を聞けなかった人のために、実篤がどういう態度でこれらの美術品に向かったかの説明がもう少しあったら、もっと良かったかもしれない。美術論集の解説や個々の作品の説明にはそういうものもこめられてはいるのだが、別に全体としての説明文(よく展覧会の入口に掛けられてある「ごあいさつ」から社交辞令を取り去ったもの)で方向性を示してもらったら、もっとよくわかるのではないだろうか。私は美術に暗いこともあり、今回の解説、特にいかに実篤が名品と対話して自分の力にしていったかを聞いて作品と展示の意味がよりよく理解できたので、蛇足ながら付け加える。


(1998年10月10日見学)
(1998年10月11日:記)
去年の「美術遍歴 〜実篤コレクションより〜」展のレポートを見る

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