特別展「武者小路実篤の抽出しの中身〜東京都寄贈資料を中心に」 第一部


 実篤没後、その遺品は東京都、調布市、新しき村などに寄贈された。調布市と新しき村はそれぞれ武者小路実篤記念館をつくり、そこで保管、展示を行っているが、東京都は書簡などを東京都文学博物館へ、愛蔵の美術品や美術書を東京都美術館(のちに、東京都現代美術館)へ収めている。それらのうち、今回は東京都へ寄贈された資料を中心とした展示である。個々の資料が展示されることはこれまでもあったが、まとまった形で紹介するのは初めてのことだという。

 この特別展は第一部と第二部に分かれ、第一部は晩年の幅広い交流を中心にした展示だった。書簡が中心だが初見の資料が多く、その多彩さに目を奪われた。まさしく「綺羅星のごとく」といった感じだ。「白樺」同人とその周辺のよく名前を聞く人々を除いて、その差出人を列記してみる(順不同)。安部能成、天野貞祐、小泉信三、安田靫彦、入江相政、里見勝蔵、犬養道子、左卜全、徳岡神泉、村上華岳、谷崎潤一郎、北村西望、源氏鶏太、坪田譲治、熊谷守一、鳩山一郎、前田青邨、東山魁夷、福田平八郎、小林秀雄、三島由紀夫、向井潤吉、安井曽太郎、大内兵衛、水谷八重子、松方三郎、等々。私の浅学のせいではあるが、ちょっと見ただけではそのつながりがわかりないくらい、多くの分野方面にわたっている。その中には著書や書画を贈られたことへの礼状などもあり、ある種表面上のおつきあいの手紙もあるかもしれないが、機会をとらえて相手側の作品を読んだり見たりして、自分の中でその一つひとつのつながりをふくらませていきたい。

 中でもおもしろかったのは、熊谷守一の書と中川一政の手紙(字も内容も素敵だ)、それに里見とん^の手紙。とん^は実篤から『一人の男』を贈られて、「若い頃とちっとも変りなく/お仕事がお出来になること/驚き敬服云々」と書いているが、その変らぬ交流ぶりに心あたたまるものを感じた。

 実篤旧蔵の美術書726冊(洋書が多い)は、今は東京都現代美術館の図書室で一般に公開されているそうだ。本のラベルに「実」とあり、見返しに実篤の落款があるようなので、今度見に行くのもよいかもしれない。

 書簡以外にも、実篤が仙川の自宅で掛けていたという絵画が展示されている。梅原龍三郎「姑娘紅楼」河野通勢「竹林之七妍」村上華岳「風景」などは玄関ロビーに掛けていたそうだ。その様子がうかがえる写真も展示されていて、往時をしのぶことができる。玄関ロビーというのは旧邸公開日には入ることができる、靴を脱いであがってすぐ左の細長いスペースだ。ここで来客や編集者が待ったそうだが、そこに多くの絵画が掛けられていてちょっとしたギャラリーになっていたと聞いている。応接間の床に立て掛けて来客に見せたというピカソの「ミノトーロマシー」も展示されている。昭和11年の欧米旅行の際に直接本人から手渡されて献呈サインも書かれているものだ。この旅行のとき、トルストイの草稿も買ったという説明を読み、昔の熱い気持ちを忘れていなかったのかなと微笑ましく思った(一緒に買ったイプセンの書簡を展示)。

 第二部(6月16日〜)は「白樺」時代の書簡や美術品が中心になるようだ。次回も楽しみにしている。

 閲覧室の壁に近隣の文学館などの告知が貼られているが、その中に今回多くの資料を提供している都近代文学博物館が、平成13年度いっぱい(来年3月)で廃止の危機(!)というものがあった。平成12年11月東京都総務局「平成12年度行政評価制度の試行における評価結果報告」で「近代文学に限定された小規模な博物館を都として今後も所有し続ける意義は薄く、廃止が適当」とされたのだという。
 この話は以前新聞記事で読んだことがあり、東京都のホームページを探すとその「報告」が見つかった。評価の方法などもあわせて公開されているのでよく読んでみたい。アンケートのページもあるので、それを通して意見を出すこともできるようだ。
 近代文学博物館の展示を見に行ったレポートは以前武者組にも書いたが、なくしてはならない博物館だと思う。なんとかしなければ。展示の余韻も吹き飛び、何ができるかを考え始めた帰り道だった。

(2001年6月2日見学)

(2001年6月3日:記)


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