●2000年 6月11日 フェスティバル最終日…この万雷の拍手を忘れまい…
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この日の出番は、午後1時からの1ステージだけ。昨日の3本番からウケたものをピックアップして、約1時間のプログラムを組む。スタンディング・オベイションは、もう最高〜っに気持ちがいい!(しかも見渡す限りのお客さんがみんな立っているんだからっ)! 最後の曲を終えたあと“One more 〜!”とアンコールを求める声が飛び交ったのも、実にうれしかった。大成功!!
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今日は、自分たちの出番の後、お客さんたちの様に芝生でくつろぎながら他の団体の演奏を楽しむ。現地の日本人の奥さま方が、たくさん手料理を作って持ってきてくださったのだが、海苔を巻いたオカカのおむすびやソース焼そば、野菜の煮物などの美味しかったこと!! メンバー一同「生き返る〜!」と感涙にむせびながら、夢中でほおばったのである。本当にごちそうさまでした! あと黒沢は、麦茶をいただけたことが、ひそかに涙が出るくらいありがたかった。なにしろ飲み物と言ったら、ミネラル・ウォーターとコーラ類しか近くにないのだ。おやつや飲み物がフリーの出演者用の休憩所があっても、あるのはコーラ類ばかり。普段そういったものを飲まない黒沢は、大げさな話ではなく、5年分くらいのコーラやソーダをこの3日間で飲んだと思う、ゲフ…。
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フェスティバルを締めくくるのは、ミレニアム・ブラスだった。真ん中のTuba奏者Martyは、黒沢と松下の旧知の間柄ということもあってか、会期中も終わってからも、トレイルブレイザーズの評判がいかに良かったかということを、こまめに知らせてきてくれた。知らない土地で知っている人に会えるということは、何より心強いし、うれしい。Martyはソロでチャルダッシュを演奏したが、これがまた心に溢れる素晴しいソロで、フェスティバルのトリにふさわしいステージだった。Bravo !!
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片付けの始まった会場を背にして、記念撮影。真ん中に立っている紺のTシャツの方がDenyoの斉藤さん。斉藤さんには、渡米前からスケジュールの調整や確認、入国のためのホスト役、そして空港への出迎えから打楽器の運搬の手続き、配置の確認、夜の部屋飲みのための買い出しやステージ移動のための車の運転、食事の配慮…本当に何から何まで、すべてにわたってお世話になりました。斉藤さんの助けがなければ、帰ってこられないメンバーも出たかもしれない!? いや、冗談はさて置き、とにかく筆舌に尽くし切れないほど感謝しております。ありがとうございました!!
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フォアマン氏の自宅の庭でのフェアウェル・パーティーに集まったゲスト達。池に噴水、ダンスホールまである広〜い庭で、キチンとアルコールもふんだんに用意もされ(これがなかったら、ドイツ軍団は暴動を起こすわなぁ)夜10時過ぎまで盛り上がった。ところで、フェスティバル中のアルコールの供給については、実はひとつ粋なはからいがあった。我々ゲストの宿泊している寮の駐車場で、実行委員主催のサッカーの試合が毎晩8時過ぎから企画されていて、ドイツ軍団とイギリス隊はこれで多いに盛り上がっていた。さすがに日本軍はそんなに余力がなく、サッカーに参加する者はいなかったが、ひやかしに出かけてみると、駐車場の片隅に大きなアイスボックスがあるではないか。そう、あからさまにできないので、サッカーの試合という名目を使ってプライベートスペースでゲストにビールをふるまうという、実行委員の計画だったのである。確かにそうでもしなかったら、ドイツもデンマークもイギリスも、黙っちゃいなかったよね。めでたし、めでたし。
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家の中の氏の書斎や庭の隅には、ダブルベル・ユーフォニアムや古いE♭バリトンなどが、何コも転がっていた。1コ欲しい〜!(スーツケースに余裕があれば…コソッと詰めて帰ってきたのに…?)
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多分みんな見たことないだろうと思って『観るお土産』のつもりで浴衣を持っていった。着替えてパーティに出てみたら、とても喜んでもらえて、ツーショットのひっぱりだこになってしまった。写真を撮られているうちは良かったのだが…。
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ドイツ軍団に強引にひきずられ、ダンスをするハメになってしまった(汗)。浴衣で下駄で、両腕をひっつかまれて、そんな踊れんッて!
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ドイツ軍団は、良く歌うし踊るし楽器も吹く。彼等の楽器を借りて、トレイルブレイザーズの面々も混ざって吹き始める。カメラ目線の古田が手にしているのはホルンでなくてトランペット。ホントこの人は、なんでも吹いちゃうのデス。
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