トレイルブレイザーズ・テンピース・ブラス
in アメリカ (7)

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●2000年 6月12日 日本へ帰る…

レキシントン空港に朝6時にチェックインしなければならなかったので、カレッジの寮を5時に出発した。昨日遅くまで片付けに追われていたというのに、フォアマン氏の秘書のデビーと彼女の部下の学生クン、そして斉藤さんが、私たちを車で送ってくれた。デビーは、この大がかりなフェスティバルをすべて掌握し、切り回していた、とにかくスゴ腕の秘書さんだった。そんなキレモノなのに、ココロは気さくで大らかでフレンドリーで(時々、すごいジョークを飛ばしていたが)、本当に、始めて会った人という気がしなかった。彼女の溢れんばかりの“サザン・ホスピタリティ”は、一生忘れられない思い出の一つとなるだろう。

このフェスティバルに参加したことは、私達に、とても大きな“何か”を残したと思う。このチャンスを与えてくれたジョージ・フォアマン氏、デビーを始めとする現地スタッフの皆さん、忙しい本業の合間を縫って親身に面倒をみてくださった日系企業の皆さんと応援してくださったご家族の方々、そして何よりも、私達の演奏を連日、万雷の拍手とスタンディングオベイションで大喝采してくださった沢山のお客様達、、、本当にありがとうございました!! 皆さんのことを思い出すたびに、いつでも私は、このバンドを“続けて行く”ことの意味を考え、“続ける”意思を奮い立たせることだろう。そして、いつかまた皆さんと再会できることを祈りつつ、この旅行記を閉じようと思う。

Thank you ! thank you very much, all kentuckians I met in danville !!
I will never forget every kindness you gave us.
Maybe one day we'll see you both over here !

Hiromi


* 2006年1月 追記:
実は、フレデリック・フェネル氏に我々は、11日の最終ステージの後、「大成功おめでとう!しかし困難なのはこれからだよ。活動を止めてしまってはいけない。大切なのは、続けることだ!」というお言葉を頂戴している。その時、ギュッと手を握ってくださった、その力強さを、この言葉の重みとともに、私は決して忘れない。


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