トレイルブレイザーズ・テンピース・ブラス
in アメリカ (2)

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●2000年 6月 8日
フェネル氏に「実に素晴しいバンドだね」とホメられて、感激!
6月8日、ほぼ定時にレキシントン空港に着く。道中は快適! シカゴ乗り換えの航空会社線を使ったが、その理由は、アメリカに入国してからの国内便の飛行機の大きさ。黒沢は以前「とにかく安いところで」という会社の選び方をしたら、国内便が18人乗りくらいの『蚊』みたいなプロペラ機で、貨物室に入れられた楽器がハチャメチャになったことがある。楽器を持って海外へ行く時は、国内便の飛行機の大きさは要チェック!

ダンヴィルの景色は、北海道の広大な牧草地帯を思わせる(でも日差しはめちゃ強い)。とにかく、真っ平ら! 人口より馬や牛の数のほうが多いらしい。地質が粘板岩なので、タバコと牧草くらいしか栽培できないため土地代が安く、広大な牧場を持っている地元民は多い。牛はお肉用だけど、サラブレッドたちはペットだそうな…。それからこの町は、アルコールの売買が禁止されている(自分の家の中で飲むのは構わないんだって)! 「え〜〜っっ!?」というメンバーの叫びを聞いているのか、この看板はっ!?

4日間宿泊する学生寮に到着。2人部屋だけど、なかなか広くて清潔。シャワールームも白いタイル張りでキレイ。ダンヴィルは、ケンタッキー州のほかの地域より、100倍くらい治安が良い、とのこと。そのせいか、そこそこのセキュリティーなので、かえって息苦しくなくてイイ感じ。

このフェスティバルの実行委員長のジョージ・フォアマン氏。センター・カレッジの芸術学部のManaging Director(大学にどんなゲストを招くかとか、大学主催でどんなイベントを開催するか、とかを一手にマネジメントする、かなり重要なポスト)が本業。今日会うまで、メールでのやりとりしかしていなかったのに、彼と、彼の秘書も、黒沢を見るなりまるで旧知の仲間のように話し始める。彼等2人だけではなく、スタッフたちもみなサザン・ホスピタリティ(アメリカ南部特有の友愛精神)に溢れていて、私たちが到着する前から「日本のバンドの代表はヒロミだって」とファースト・ネームで認識していてくれたらしい。彼の奥さんは、日本式のおじぎを習ってあって、後日のパーティでは深々と頭を下げて礼をしてくれた。しかし、当のフォアマン氏が知っていた日本語は、我々の想像を絶する単語ただひとつだけだった。「私は日本語は話せませんが、ひとつだけ美しい思い出を伴った、口にするのも愛しく響きも甘やかな、心和む単語を知っています」とにこやかに微笑む氏の口からソレが披露された時、我々はその超弩級戦艦並みの破壊力に撃沈してしまったのである。その単語とは、、、『スイカ!』、、、余りのショックに一同、一瞬ブラックアウトし、そのあと涙が枯れるまで笑いこけたのは言うまでもない。

ダンヴィル近郊の窯元(ってアメリカでも言うのだろうか?)特製の大皿(直径33cm)。今回の海外からのゲストバンドすべてにプレゼントされた。そのバンドの名前が焼き付けられていて、かなりカッコいい・

9日、センター・カレッジで開かれる『バンドの歴史』についてのカンファレンス(Conference on Band History)に、フレデリック・フェネル氏が招かれていた(講演のタイトルは<International Connections>)。なんだか懐かしいヒトにお会いしたような気分のワンショット(でも、考えてみればフェネルさんはアメリカ人なのよね)。氏には会期中、私たちの演奏も聴いてもらうことができて、「実に素晴しいバンドだね。応援するヨ」とお励ましいただいた。*
(* この記事は2000年秋に書いたものです。フェネル氏の御逝去から1年余が経ちましたが、氏の冥府での御幸福を、いついつまでも祈っております。2006年1月)

黒沢のアメリカのおじいちゃんとのツーショット。この方は、アール・ラウダーさんという、ユーフォニアム・アーティスト。キース・ブライオンのスーザ・バンドのメンバーでもあり、日本にも度々いらしている。このフェスティバルの中核となっているThe Advocate Brass Band のメンバーでもあるのだが、今年は指揮をしている他のバンドの演奏旅行と重なってしまったため参加できず、レキシントン空港まで2時間も車を運転して、わざわざ黒沢に会いにきてくれた。「ヒロミのことはgranddaughterだと思っているから、私のことはgrandpaと呼びなさい」というお言葉に甘えて、心から『アメリカのおじいちゃん』と慕わせていただいてます。


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