2005年1月更新 ©hirai tadashi/jmo



1906
『ケペニック大尉 Der Hauptmann von Köpenick』
カール・ブーデルス、カール・ゾンネマン監督。
【解説】刑務所帰りの浮浪者ヴィルヘルム・フォークトが大尉の軍服を着て一隊を指揮して、ケペニックの市庁舎で国外に出るための旅券を手に入れようとした事件は、帝政時代当時のドイツの世相の風刺として時好に投じ、映画のテーマにぴったりだったため、同じ年に再三映画化されたが、この作品はその一つ。

1909
1909.10
『不思議なマッチ箱 Die geheimnisvolle Streichholzdose』
グイド・ゼーバー監督、シナリオ:グイド・ゼーバー、撮影:グイド・ゼーバー。
【解説】第一次世界大戦前、まだ開花期を迎える以前のドイツの映画界は、僅かにスクラダノフスキー兄弟の「ビオスコープ」、オスカー・メスター、そしてパウル・ダーフィトゾンの「ウニオン」社などが、細々とのちの飛躍の準備をしていた。グイド・ゼーバーにとっても、この時期はさまざまな試みによって腕を磨く時期だった。彼は1879年、写真師クレメンス・ゼーバーの息子として生まれ、写真術の修行をしたのち、最初はフランクフルト・アム・マインの、映画用生フィルム工場の検査室長という、はなはだ実際的な仕事をしていた。だが1908年に彼は「ビオスコープ」社に入り、技術主任となった。そして1909年、カメラマンとして最初の映画を撮影した。こうしてフリッツ・アルノー・ヴァーグナー、カール・フロイント、カール・ホフマンと並ぶ、ドイツ・サイレント映画のもっとも重要なカメラマンの一人が誕生した。ウアバン・ガーズの『コメディアンたち』(1912)、ループー・ピックの『除夜の悲劇』(1923)、ブルーノ・ラーンの『街の悲劇』(1923)、G・W・パプストの『喜びなき街』(1925)、とりわけパウル・ヴェーゲナーの『プラーグの大学生』(1913)、『ゴーレム』(1914)のカメラマンとして、彼は並外れた技術的才能を発揮した。空間の遠近法と明暗のさまざまな度合いの濃淡を巧みに利用した彼のカメラワークは、ドイツ・サイレント映画のスタイルの確立に、重要な寄与をしたものだった。
 この『不思議なマッチ箱』という作品は、そうした名カメラマンとしてのグイド・ゼーバーの出発点をなす作品だった。映画としては何ということもないトリック撮影でしかない。しかしそれはゼーバーが、映画カメラマンとしての技量を磨くための苦心の努力を示すものであり、その意味で映画史的に貴重なドキュメントである。もちろん当時は、映画技術的に進んだ模範は、ドイツ外にあった。この作品も、フランスのゴーモン社でエミール・コールが作ったマッチのトリック映画に刺激され、それを自分でもやってみようとした試みである。『マッチのアーチスト』というタイトルでも上映されたこの映画は、シナリオも撮影も監督も、すべてグイド・ゼーバーただ一人でやってのけた、苦心の単独作品である。彼はマッチの動きのあらゆる局面をあらかじめ計算し、入念にスケッチして、見事に特撮に成功した。黎明期のドイツ・カメラ技術の証拠として、興味深い作品である。

1910
1910.11.28
『断崖 Abgrunde』
ウアバン・ガーヅ監督、アスタ・ニールゼン主演。
【解説】伝説的な映画女優ニールゼンを看板に、デンマーク出身のガーヅ監督がドイツで上映した最初の作品。

1911
『真珠は涙 Perlen bedeuten Tränen』
アドルフ・ゲルトナー監督、キャスト:フーゴ・フリンク、ヘニー・ポルテン。
【解説】「将校仲間のドラマ」という副題の付いたこの映画も、メスター映画がどんなものであったかを知らせてくれる作品だった。

1911.1.28
『目の見えない少女の幸福 Das Liebesglück der Blinden』
クルト・A・ヂュタルク監督(?)、シナリオ:ローザ・ポルテン、
【キャスト】ヘニー・ポルテン、フリードリヒ・ツェルニーク。
【解説】この短編映画は、ドイツ映画の原始時代をうかがわせる珍しい作品である。まだ満足なスタディオすらなく、映画俳優もまだ明確な存在ではなかった頃、「動く写真」に取り憑かれて、ひたすら映画を作っていた先駆者たちの作品である。原始時代を代表したのは、何と言ってもドイツ最初の映画スター、ヘニー・ポルテンを育て上げたオスカー・メスターのプロダクションだった。そのメスターがヘニー・ポルテンを発見したのは、偶然だった。彼は1896年、ベルリンのフリードリヒ街の貸間にスタディオを設けて、仕事を開始した。そしてパイオニアの熱意をもって実験をおこない、あらゆる新機軸を試みた。そして「サウンド・フィルム」の流行を助長した。この種の映画は1908-1909年頃、ドイツで栄えたもので、例えば盛装したテノール歌手が、描かれた書き割りの前に立って、実際に歌っているように見せかけ、他方で蓄音機を隠しておいて、自分の口の動きをその音に合わせるようにするトリック撮影だった。そうした目的のためにメスターは、歌手のフランツ・ポルテンを雇い入れたが、ポルテンには二人の娘がいた。姉のローザと妹のヘニーだった。二人は父親と一緒に短いオペラ風の作品に出演するようになったが、メスターはとりわけドイツ的な魅力を持った美しいヘニーに注目し、大いに彼女を売り出した。そしてセンチメンタルな悩める少女という、同じタイプの役柄を演じさせたが、それは成功し、彼女は第一次世界大戦前の、小屋掛けの「活動」という三文映画の大衆的アイドルとなった。無名の底辺の人々にとって、ヘニー・ポルテンの形姿は、もっとも身近な存在と感じられたからだった。
 意欲的なメスターは、そうした彼女はすぐれた資質に目をつけると、1910年に専属契約を結んで、『目の見えない少女の幸福』を製作した。それはメスターの思惑通り大ヒットし、ポルテンの人気は沸騰した。「スター」などという言葉を使うには、ドイツ映画はまだあまりに未成熟だったが、メスターはそれでも更に意欲的に彼女を売り出した。何しろまだ長さ10分そこそこの時代だっとので、同工異曲の彼の作品を、次々に量産したのだった。ヘニー・ポルテンは迫害される無垢の娘といった役柄で登場し、観客の涙を誘ったのだった。
【エピソード】ヘニー・ポルテンは自分が見た人の真似をする癖があった。ある日、彼女は姉のローザと一緒に、ベルリン近郊のシュテークリッツへ散歩に行った。そしてそこの視覚障害者の学校の三人の女子生徒に出会った。その中の一人が、特にヘニーの目を引いた。すばらしい青い目をした美しい少女だった。探し求めるような歩き方で、やっと人は彼女が目の見えない少女だと気づいた。ヘニーは姉に言った。「あの女の子を見た? ああいう役を私はいつかやってみたいわ……」。姉はうなずいた。夜遅く彼女は姉のベッドにやって来た。「私が映画のシナリオを書くわ! 目の見えない少女の映画を! 主役はあんたが演じなくてはならないわ!」「それで誰に映画を作らせるの?」「もちろんメスターよ。だってあの人はとてもたくさん映画を作ってるじゃないの」。
 姉のローザ・ポルテンはシナリオを書いた。それは目の見えない愛美しい少女の物語だった。腕はいいが醜い医師が、彼女の目の手術をしようとする。というのは彼は、彼女に光を与えてやることができると確信しているからである。治療中に彼は彼女に惚れ込み、彼女も彼を愛した。まだ彼女は、彼がどんなに醜いか、見ることができなかった。ある日、ついに彼女の眼帯がはずされた。彼女は再び見えるようになった。みんなが有頂天になった。医師だけが違った。彼はそこにいなかった。彼がどこにいるか、誰も知らなかった。視力を回復した少女だけが、彼がどこにいるかを予感した。夢見心地で彼女は、彼の仕事部屋に行った。最後の瞬間に! もう一秒遅れていたら、彼は自殺してしまっていただろう! 彼は彼女を愛していたので、彼女が自分の醜さを知ることを望まなかったのだった! しかし彼女は彼を心から愛していた。醜さなどは何でもなかった。愛が再び勝利した。
 シナリオを見たメスター映画社の社員たちは感動した。こういう映画は是非とも作らなくては! だが誰も目の見えない少女の役を演じさせるのか? ローザはきっぱりと言った。「私の妹がそれをやるでしょう」。最初の撮影日。ベルリンの有名な俳優フリードリヒ・ツェルニークが若い医者の役を演じた。彼は赤いあごひげを付け、背中にこぶを入れ、ひどく醜くく見えた。最初のシーンが撮影された。「ストップ!」と監督が叫んだ。しかし彼の声は奇妙に変わっていた。ヘニーは彼の目が赤いことに気づいた。ライトの光りのせいだろうか? 監督は大げさに鼻を拭いて、それから再びハンカチをポケットにしまった。「先に進めよう!」翌日映画は完成した。一週間後に映画は封切られた。それは約20分という、当時としては異例の長さだった。長すぎる映画だった。映画館主たちは懸念した。だが観客にとっては長すぎはしなかった。女のすすり泣きと男の鼻をかむ音が聞こえた。ドイツ全土で映画は熱狂的に歓迎された。映画館の支配人たちはメスターに電報を打った。「ブロンドの目の見えない少女の映画をもっと作れ!」。こうしてヘニー・ポルテンのブームが始まった。

1911.4.15
『危険な年齢 Das gefährliche Alter』
アドルフ・ゲルトナー監督、撮影:カール・フレーリヒ
【キャスト】エルゼ・ヴァルトマン、ポルディ・ミュラー。
【解説】伯爵夫人が娘を婚約者から引き裂く家庭劇で、ドイツ最初の45分の長尺映画。

1911.5.13
『夜の蝶 Nachtfalter』
ウアバン・ガーヅ監督、撮影:グイド・ゼーバー
【キャスト】アスタ・ニールゼン、ヘニー・フォン・ハンシュタイン、エーミール・アルベス。
【解説】二人の姉妹の悲運のドラマ。アスタは楽天的なダンサーで、いつも妹を不幸な目にあわせていたが、最後には犠牲的な死を遂げる。このリアルな性格劇は、ドイツで製作された最初のアスタ・ニールゼン映画だった。

1911.10.28
『ストライキの悲劇 Tragödie eines Streiks』
アドルフ・ゲルトナー監督、撮影:カール・フレーリヒ
【キャスト】ヘニー・ポルテン、ローベルト・ガリゾン、ロッテ・ミュラー(子役)。
【あらすじ】ストライキを指導してリーダーとなる息子に、ヘニー・ポルテン扮する母親は「光りとエネルギーは世の中にとって不可欠のものです」と反対する。しかしストライキは決行され、病院の電気が止められたために、手術中だったリーダーの子供は死ぬ。彼は航海してストを中止する。

1911.11.4
『粉屋と彼の子供 Der Müller und sein Kind』
アドルフ・ゲルトナー監督、原作:エルンスト・ラウバッハの同名の劇作
【キャスト】ヘニー・ポルテン、フリードリヒ・ツェルニーク、ローベルト・ガリゾン。
【解説】ヘニー・ポルテンを主役に、ラウバッハの際物劇を映画化したこの作品は、感動的なな農村悲劇だった。

1911.11.11
『珍鳥 シュプレーの森の愛の悲劇 Der frende Vogel』
ウアバン・ガーズ監督、シナリオ:ウアバン・ガーズ、撮影:グイード・ゼーバー
【キャスト】アスタ・ニールセン(ミス・メイ)、カール・クレーヴィング(マックス、シュプレーの森の船頭)、ハンス・ミーレンドルフ(サー・アーサー・ウオルトン)、ルーイ・ラルフ(ミスター・ハーバート・ブルース)、オイゲーニエ・ヴェルナー(ミス・ホッブズ)、カルステン嬢(グレーテ、マックスの婚約者)
【あらすじ】若い英国女性のミス・メイは父親とほやほやの求婚者と保養旅行をする。彼らは同国人の旅行の一行と一緒にシュプレーの森に着く。魚取りをしている漁師の若者マックスは、朝食の弁当籠を取りに家に行かされる。途中で彼は偶然ミス・メイに出会う。二人の間に恋が芽生える。メイは求婚者の若者にひじ鉄を食らわす。そしてマックスは彼の許嫁のグレーテのことを忘れてしまう。しかし両方の家族はこの恋のアヴァンチュールに反対である。マックスの母親がメイに息子の別れの挨拶の持って行く。しかしメイはマックスに宛てて手紙を書く。手紙:「マックス! 人は私たちを別れさせ、私を無理に出発させようとしています。しかし私はあなたにもう一度会って、あなたから永遠に別れを告げずには、あなたのところを去ることはできません。今晩10時にあなたの舟で私の窓の下に来て下さい。メイ」。そして彼女はどうしても婚約するようにと言われた時、漁師のマックスの小舟に乗って駆け落ちする。恋人の二人は追われる。生死を賭けた追跡。二人は森の奥深くに逃げ込む。しかしマックスと二人だけで彷徨ている中に、メイは苦境に陥る。マックスは助けを求めに行く。メイは夜の森の孤独に不安になって、水中に転落する。彼女は溺れて死ぬ。最後は埋葬。
【解説】1906年に設立されたデンマークの「ノルディスク」社は、第一次世界大戦の終結まで、当時のドイツ映画の低迷といった事情にも助けられて、華々しい活動を示し、大いに隆盛を誇った。今日でも知られる性の解放の先進国だったデンマークの映画は、当時すでに唇と唇を直接触れあう接吻シーンを、スクリーン上に描き出していた。今日ではわが国ですら当たり前のこうした描写が、当時はフランスにおいてすら扇情的と見なされ、大いに世のひんしゅくを買っていた。デンマーク映画はそういった点で、確かに因習を打ち破る新鮮な映像を提示していたのだった。そしてこの時期のデンマーク映画が作り出したもっとも重要な女性像が「妖婦」だった。ドイツやアメリカに引き継がれて、欧米映画史上の不動の「定型」となるほど確固たる地位を占めたこの女性像の故郷は、デンマークだったのである。そしてこのデンマーク型「ヴァンプ」を代表するのが、アスタ・ニールゼン(1881-1972)だった。彼女はノルディスク社が世に出した最大の映画女優であり、彼女によってノルディスク社の国際映画史上の地位が確立したと言っても過言ではない。
 しかしデンマークのような小国にとって、国際的名声は諸刃の刃だった。ウアバン・ガーヅ監督の『断崖』によってデビューした彼女は、そのパントマイムが与えた感銘によって、忽ち夫であるガーヅ監督もろとも、ドイツに引き抜かれてしまった。ドイツ映画が隆盛になったとき、ドイツの監督や俳優がやたらにハリウッドに引き抜かれたが、その前にドイツも北欧や東欧からの引き抜きをやっていたわけである。ドイツの映画会社「ウニオン」社のパウル・ダーフィトゾンは、この映画を見て、ニールゼンの天賦の才を確信し、法外な給料と条件を提示して勧誘した。彼女は同意してベルリンに移り、以後ガーヅ監督とニールゼンの夫妻コンビは、ドイツ映画の世界の人間として、活躍することになった。
 1911年11月11日に封切られたこの『珍鳥』は、こうした経緯でドイツに飛来した「珍鳥」が、まずはその妖婦振りを披露してみせた最初の作品の一つである。もちろん彼女は単に「ヴァンプ」とう型と接吻を持ち込んだ、いわゆる「スター女優」ではない。彼女は映画史上に残る独自の演技スタイルを作り出したのだった。サイレント映画に出演した舞台俳優たちは、言葉の欠如を補うために、極度に誇張した身振り演技をするのが常だった。しかしアスタ・ニールゼンは、映画においては劇場よりもっと抑制した演技が必要であることを理解し、映画固有の演技の仕方の創造に努力した。身振りを正確にマスターし、表現を厳密にコントロールすることによって、ねらった効果を達成しようとした。この節約された動作は、演技の簡明さと真実性を保証しただけでなく、彼女のクローズアップをまことに魅力的なものにした。そしてこの独自の演技術を通じて、彼女はさまざまな魅惑的な人物像を作り出していった。それによってこの並外れた女優はドイツ映画を多くの面で豊かにした。彼女の最初の伝記作者であるディーツは、彼女の家に積み重ねられた乱雑きわまるがらくたの山に驚いた――「そのコレクションには見かけだけエレガントな男性衣裳のあれこれの品、光学器具、ちっぽけな散策用ステッキ、ねじれた帽子や、奇妙きてれつな室内着などがあった。〈私は徹頭徹尾私の演じている人物になりきっています〉と、彼女は私に語った。〈そして私は自分の演じている人物について、その隅々まで知り尽くすくらいに詳しいイメージを作り出したいのです。そうした外面のイメージは、正確にこうしたあらゆるつまらないがらくたから生まれるのです。こうしたつまらない品物は、目立ちすぎる誇張よりも、ずっと明瞭に理解させてさせてくれます。私は本当に自分の人物像を作り上げるのです――そしてあなたがここに見ている品物は、そうした人物像の外面を構成している一番装飾的で、一番効果的な要素なのです〉。ドイツの映画世界は、サイレント時代にアスタ・ニールゼンが創造した人物像がなければ、はるかに貧しいものだったであろう」。
 実際この映画にしても、そのストーリーはまったく取るに足らない話でしかない。この映画はそれゆえ、ニールゼンという存在によって成り立っていると言っても過言ではない。もっともその際、ガーヅ監督の当時としては思い切った撮影の仕方が、彼女の情熱的な演技に生命を与える背景となっていた。彼は筋の運びを風景と一体化し、本当に納得のいく映像を構成していた。ロケーションと情感豊かな風景の交替は、当時としては驚異的な映像だった。映画などは貧弱なスタディオで、玩具のようにちゃちなセットで製作されたのが普通だった頃である。「ドイツ・サイレント映画カタログ」の編者ゲルハルト・ランプレビトは、この映画についてわざわざ、「ここにはスタディオ撮影は全くない。僅かな室内シーンのためのセットは、シュプレーの森に携帯され、そこに〈外光スタディオ〉として組み立てられた」と注記している。ガーヅの手法がいかに破天荒なものだったかがわかるであろう。ドイツ映画に初登場したガーヅ=ニールゼン夫妻の、大胆で新鮮な映像として、たいへん興味深い作品である。
【アスタ・ニールゼンについてのエルンスト・ブロッホの評価】「最初の偉大な映画女優アスタ・ニールゼンが、瞼の動き、肩の動きによって凡庸な詩人を百人あわせたより多くのことを表現できる技術を身につけることによって、沈黙はようやく愚かさの表現たることを免れた。……ほかならず映画で、身振り表現がこれほど豊富なものになることができたのは、瞠目に価する事実である。というのは、映画の初期における身振り表現は実に貧弱で安ピカで、俗悪の域をでないように思われたからである。跪いて求愛する男、胸を波うたせて聞く女、これが安手の映画のさわりだった。だが、ほどなく映画はある程度発展し、落ちぶれたパントマイムに映画のほうが驚くほども援助をすることとなった。
 総体としてみると、映画がトーキーでなく無声映画として始まったのは幸運であり、そのことによってひとつの独得の身振り表現の力、すなわちきわめて明快な身振り表現という従来未知の宝庫が発見されたのである。……だが、こうした画面に写る人生は、映画がまだサイレントだった時代に身振り表現を凝縮させ洗練性あるいは多面性の域にまで高めた特筆すべき俳優がいなかったら、存在しなかっただろう。この道はニュアンスの表現から始まった。つまり初期の、まだ半分しか芸術になっていないような映画にしてはびっくりするような気品のある表現から始まったのである。……アスタ・ニールゼンがまず最初に、室内劇の演技を導入し、そのため……落ちぶれていたパントマイムと映画との距離はぐっと開いたのだった。……映画は純粋に写しだされた願望夢のたえざる動き、換言すれば……時代が望むリアルな傾向の動きで充満しているが、それを映画という形で人間とその行動に近づけるためには、抑揚……を細部中心主義的に作りあげる必要があったのである。……この注目すべき新らしい身振り表現は、人間ばかりか事物の上にまで及び、本来無言の事物が監督の腕しだいで自然に反して雄弁に語るのである。エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』におけるオデッサ階段上にポツンと写しだされた、大きく、ごつく、何か踏みつぶしそうな長靴は、その例である。……だが映像ー事物、物となった映像が示すこうしたパントマイムも、まず映像ー人間のほうのパントマイムから学んだのである。もしアスタ・ニールゼンの睫毛の動きや、うち合わす手のクローズアップが寄与することがなかったら、カメラ芸術は決して事物の身振り表現に達しなかったであろう」(『希望の原理』第1巻、山下肇他訳、白水社、540ページ以下)。

1912
1912.3.2
『哀れなイエニ Die arme Jenny』
ウアバン・ガーヅ監督、シナリオ:ウアバン・ガーヅ、撮影:グイド・ゼーバー
【キャスト】アスタ・ニールゼン、レオ・ポイケルト、エーミール・アルベス。
【解説】素朴な娘がエレガントな誘惑者の魔手におちいり、悔い改めるドラマ

1912.8.31
『テオドール・ケルナー Theodor Körner』
フランツ・ポルテン、ゲルハルト・ダマン監督、シナリオ:フランツ・ポルテン、ゲルハルト・ダマン、撮影:ヴェルナー・ブランデス
【キャスト】フリードリヒ・フェーエル
【解説】愛国詩人の恋の物語

1912.9.3
『死の舞踏 Der Totentanz』
ウアバン・ガーヅ監督、シナリオ:ウアバン・ガーヅ、撮影:グイド・ゼーバー
【キャスト】アスタ・ニールゼン、オスカー・フックス、フリッツ・ヴァイデマン
【解説】技師と結婚した女性が作曲家の恋慕を受ける物語

1912.11.16
『立坑の底で In der Tiefe des Schachtes』
ジョー・マイ監督、シナリオ:ジョー・マイ、撮影:ヴィリー・ハーマイスター
【キャスト】ミア・マイ、オーツ・トレン

1912.11.29
『祖国なく乙女 Das Ma*dchen ohne Vaterland』
ウアバン・ガーヅ監督、シナリオ:ウアバン・ガーヅ、撮影:グイド・ゼーバー
【キャスト】アスタ・ニールゼン、マックス・ヴォグリッチュ、パウル・ネッフェルト、フレート・イムラー
【あらすじ】舞台は1912年の「バルカン戦争当時の、あるバルカン地方の山岳森林地帯。そこにある国境の砦は、小さいがしかし戦争の成り行きにとって重要な意味を持つ要塞である。そこで敵はここを制圧するために、まずスパイを送り込んで様子を探ろうとする。その役目を託されたのが、ロマ族の女チドラ(アスタ・ニールゼン)である。今を盛りのこの絶世美女は、そのエキゾチックな魅力を遺憾なく発揮して使命を果たすが、その代わり若い将校が犠牲となって非業の死を遂げる。
【解説】第一次世界大戦当時の伝説的な美人スパイ、マタハリを連想させるような、大時代なサスペンス・ドラマであるが、ドイツへやって来たウアバン・ガーヅ監督とニールゼンのコンビは、『夜の蛾』(1911)を皮切りとして、次々に彼女を売り物にした短編映画を提供した。この映画もその一つで、すべてスターとしてのニールゼンの魅力と演技に依存した作品である。彼女は第一次世界大戦後も中年の娼婦役などを見事に演じて、スターであり続けるが、まだぎりぎりの若い姿をスクリーン上に示していたのは、大戦前だった。

1912.12.7
『海の影 Der Schatten des Meeres』
クルト・A・シュタルク監督、撮影:カール・フレーリヒ
【キャスト】ヘニー・ポルテン、クルト・A・シュタルク

1913
『小鉢 Das Töpfchen』
エーミール・アルベス監督、撮影:カール・ハッセルマン
【キャスト】フーゴ・フリンク、ドリト・ヴァイクスラー、ルートヴィヒ・コラニ、
フランツ・シュヴァイガー、シュテファニー・ハンチュ

1913.1.31
『分身 Der Andere』
マックス・マック監督、シナリオ:パウル・リンダウ(彼の同名の戯曲による)、撮影:ヘルマン・ベットガー
【キャスト】アルベルト・バッサーマン(ハラース博士)、ハニー・ヴァイセ(女中、アマーリエ)、レオン・レーゼマン(悪漢、ディッケルト)、エメリヒ・ハーヌス(アルノルディ)、レリー・リドン(アグネス)、オットー・コロット、パウル・バサルゲ(秘書、クラインヒェン)、G・レングリング(ヴァイゲルト刑事)
【あらすじ】あるパーティで弁護士のアルノルディとその妹のアグネスが、イッポリート・テーヌのテーゼについて、激しいやりとりをしている。「転落や重い病気の結果、人間は健全な存在と病的な存在という二重の存在になることがある。一方は他方の存在のことを何も知らない。病的な存在の方は一種のもうろう状態で、健全な存在が予想もしないような行為を犯すことがある」。
 たいへん優越した態度の、いささか高慢な検事ハラース博士は、このテーゼを大ぼらだと嘲笑する。彼はある訴訟で、精神分裂病を酌量減刑すべき情状と主張する弁護側の提議を、厳しく拒否していたのだった。職務上の関心からハラース博士は、知人のヴァイゲルト刑事と一緒に、時折夜のベルリンを探訪して回っている。ある晩、二人は地下酒場「足なえのアヒル」に入っていく。そこは犯罪者たちの会合場所ではないかと疑っていたのだった。そしてそこには装身具を盗んだという嫌疑で主家から放り出されたアルノルディ家の女中アマーリエが、女給として雇われていた。
 さてある朝、遠乗りに出たハラース博士は、馬から転落する。間もなく外傷は治ったものの、それからは彼は疲労で人事不省の発作に襲われることが多くなり、心配でたまらない。彼はすっかり自信を喪失してしまい、混乱し、不安定になって、外から強制されたような行動をとるようになる。ある晩彼は、秘書のクラインヒェンの上着を着て、夜の街に忍び出る。そして「足なえのアヒル」へ行く。女給のアマーリエは、お偉いハラース博士が、思いがけぬ姿で現れたので、びっくりする。彼女は彼に色々と気遣いを示そうとするが、しかし彼には彼女だということがわからない。彼女は彼のポケットに、自分の写真を忍び込ませる。そうすればのちになって彼が彼女のことを思い出して、自分を助けてくれるだろうと、期待している。
 そこへディッケルトという名の悪者がやって来て、ハラース博士の側に坐り、これは願ってもない共犯者になる男だと思う。そして彼を連れだして、高級住宅地のとある家に押し入る。だがハラースはその家が、一階に他ならぬ自分自身が、上の階にアルノルディ一家が住んでいる建物だということに気づかない。彼は自分の住まいを襲ってしまう。警察がディッケルトとハラース博士を、現行犯で逮捕する。警察が現場でディッケルトを尋問している間に、待っていたハラース博士は、短い昏睡状態の眠りに陥る。目覚めたとき、彼は再び本来の検事ハラース博士に戻っている。そして自分の住まいでおこなわれたことに、すっかり驚いてしまう。状況証拠に基づいて、自分がディッケルトの共犯者だったことが明白になると、ただもう仰天してしまう。アマーリエも姿を見せ、優しく彼にどんな事態だったかを説明する。ハラースには何の記憶もない。彼はくず折れてしまう。今は彼としては、自分の人格分裂を寛大に扱ってもらうことに頼る他はない。
 彼は治癒する。そして上の階でいつもすばらしくピアノを弾いていたアグネス・アルノルディが、自分の将来の伴侶になってくれることに期待をかける。
【解説】この映画はドイツにおける作家映画あるいは文芸映画のはしりという、特別な位置を占めている。当時は映画は、低俗な娯楽以外の何物でもなかった。それを「芸術」の仲間入りさせようとする試みは、フランスで始まった。1908年の「フィルム・ダール」社の創設である。この映画はその影響下に、ドイツでもれっきとした作家にシナリオを買い手もらい、名のある舞台俳優に出演してもらって、既成の文壇、劇壇のお歴々に、「映画」も芸術であることを認めてもらおうというものだった。
 監督のマックス・マック(1884-1973)は最初は俳優だったが、1911年以来、俳優兼作者兼監督として、幾つかの映画を撮っていた。今や彼はフランスの模範にならって、文芸映画を作ろうと志した。1928年の『映画芸術家――われわれ自身について』の中で、彼はこう書いている。「当時繰り返し作られていた永遠の同じ安物映画は、私の頭に来ていたので、私は映画史上はじめて、有名なドイツの作家にスクリプトを書かせようと決意した。こうして私は、ドイツの作家映画をはじめて監督した。映画は『分身』といった。スクリプトはパウル・リンダウだった。当時劇壇は映画をいんちき芸術と見ていた。にもかかわらず私は、すぐれたドイツの俳優アルベルト・バッサーマンを、主役として獲得することに成功した。映画によって時代の希望や関心事を表現することを、私は映画の主たる課題だと思っている。教訓には私は価値をおいていない。力点は楽しみにおかなければならない」。
 こうしてスティーヴンソンの『ジエーキル博士とハイド氏』をドイツ風に焼き直した戯曲が、映画に変身した。クルト・リースはそれについて、こう書いている。「スタディオ撮影でも黒い山高帽をかぶっている、ずんぐりしたこの中背の男は、もちろん本当はマックなどという名前ではない。それは彼の芸名に過ぎない。本当の名前は誰も知らない。マックは俳優だったが、早くから映画には未来があることを理解していた。そこで彼は鞍替えして、たいていは「ビオスコープ」社のために、かなりひどい喜劇映画の作成に関与していた。彼は最大の成功は『青ネズミ』だった。それはベルリンの「マルモルハウス」映画館で、百回以上上映された。ドイツ最大の俳優アルベルト・バッサーマンを説き伏せて、映画に出演させたのは、マックの功績だった。ほとんどすべてのベルリンの劇評家が、この映画を見に来た。そしてバッサーマンが彼の芸術と自分自身の品位を下げた言って、非難した」。
 非難であっても、兎も角これによってドイツに、「映画批評」らしきものが始まることになった。イグナツ・ヴローベルことクルト・トゥホルスキーは、「シャウビューネ」誌に、こう書いた。「お金を払ってアミューズメントだけでなく、文化も得られる……。そしてみんながやって来る――劇作家までが……オーホー。映画がわれわれみんなを引きつける――バッ――サー――マンまでも」。
 一般観客はしかし、依然として「ドイツのヴィーナス」と称されたヘニー・ポルテン主演の、もっと気楽で肩のこらない映画のほうをひいきにしたが、しかしそれまでは映画という新らしい媒体の仇敵ど見なされていたバッサーマンが、カメラの前に立ったということは、画期的な事件だった。それが多くの批評家の関心を呼んで、この映画を見る気にしたのだった。
 この映画は1930年に、『カリガリ博士』の監督ローベルト・ヴィーネによって、フリッツ・コルトナーを主演俳優として、トーキーで再映画化された。

1913.2.28
『父たちの罪 Die Sünden der Väter』
ウアバン・ガーヅ監督、シナリオ:ウアバン・ガーヅ、撮影:グイド・ゼーバー
【キャスト】アスタ・ニールゼン、ヘルマン・ゼルデネック、フリッツ・ヴァイデマン、エーミール・アルベス
【解説】飲酒癖についてのドラマ。

1913.3.28
『牧師の娘 Des Pfarrers Töchterlein』
アドルフ・ゲルトナー監督、撮影:カール・フレーリヒ
【キャスト】ヘニー・ポルテン、ルドルフ・ビーブラハ、ロッテ・ミュラー、クルト・ボア
【解説】少女の運命劇。

1913.4.4
『コレッティは何処? Wo ist Coletti?』
マックス・マック監督、シナリオ:フランツ・フォン・シェーントハン、撮影:ヘルマン・ベットガー
【キャスト】ハンス・ユンカーマン、マトゲ・レッシング
【解説】探偵劇コメディー。

1913.5.23
『生きる権利 Das Recht aufs Dasein』
ヨーゼフ・デルモント監督
【キャスト】ヨーゼフ・デルモント、フレート・ザウアー
【解説】センセーショナルな追跡劇。

1913.5.31
『リヒャルト・ヴァーグナー Richard Wagner』
ウイリアム・ヴァウアー、カール・フレーリヒ監督、シナリオ:ウイリアム・ヴァウアー
【キャスト】ジューゼッペ・ベッツェ、オルガ・エンゲル、エルンスト・ライヒャー
【解説】作曲家ヴァーグナーの人生模様。

1913.8.22
『プラーグの大学生 Der Student von Prag』
監督:シュテラン・リュエ(Stellan Rye)、シナリオ:ハンス・ハインツ・エーヴァース(Hans Heinz Ewers)、撮影:グイード・ゼーバー(Guido Seeber)、装置:ローベルト・アー・ディートリヒ(Robert A. Dietrich)――クラウス・リヒター(Klaus Richter)の構想による、製作:ドイツ・ビオスコープ社(Deutsche Bioskop GmbH, Berlin)
【キャスト】パウル・ヴェーゲナー Paul Wegener(バルドゥイン Balduin、学生)、ロタール・ケルナー Lothar Ko*rner(シュヴァルツ)、グレーテ・ベルガー Grete Berger(伯爵令嬢、マルギット、彼の娘)、フリッツ・ヴァイデマン Fritz Weidemann(ツェンベルク伯爵))(ヴァルディス=シュヴァルツェンベルク男爵、彼女のいとこで婚約者)、ヨーン・ゴットウト John Gottowt(スカピネリ)、リューディア・ザルモノヴァ Lydia Salmonova(リュドゥシュカ、ジプシーの娘)
【あらすじ】プラーグの学生組合員たちは、毎日陽気な生活を送っている。その一人バルドゥインは、プラーグ第一の剣の使い手として賞賛されている。そして学生たちの集まる酒場に来るジプシー娘のリュドゥシュカは、彼に惚れ込んでいる。だが一文無しのバルドゥインは、幸運か金持ちの女相続人との結婚を夢見て、彼女をはねつける。そこへ学生たちに知られた老山師スカピネリがやって来る。彼はバルドゥインの機嫌を取り、彼の夢をかなえようと言う。この老人の魔力を知っているリュドゥシュカは、バルドゥインの身を案ずるが、彼はスカピネリと一緒に酒場を出て、森に姿を消す。
 他方、大貴族シュヴァルツェンベルク伯爵の館では、狩りの用意をしている。狩りに行く途中、伯爵令嬢マルギットと従兄のヴァルディス=シュヴァルツェンベルク男爵は道に迷ってしまう。それを機会に男爵はマルギットを口説くが、彼女は「私はあなたを愛していません」と言い、馬で走り去る。ところがうまが暴れだし、危うく湖に転落しそうになる。それを見てバルドゥインは駆けて行って、失神した彼女を救う。父のシュヴァルツェンベルク伯爵は、あなたは命の恩人だと礼を言う。
 その翌日、バルドゥインは伯爵の館を訪問し、令嬢の具合をたずねる。そして彼女にすっかり魅せられてしまうが、貧しい学生のわが身を考えて退出する。帰宅した彼を、再びスカピネリが訪れる。そして「何なりと望みの物を部屋から持ち出す権利」を条件として、彼に10万金グルデンの提供を申し出る。バルドゥインが署名して、「何でも探せ」と言うと、スカピネリは彼の「似姿」を求め、鏡をなでてバルドゥインの鏡像を消してしまう。バルドゥインは愕然とするが、「失ったものは失ったものだ」と居直る。そして彼にとって今や、新しい時代が始まる。彼は社交界の花形となり、国王代理に王宮に招待される。そこで彼はマルギットに愛を告白する。バルドゥインを追ってきたリュドゥシュカが、それをうかがっている。マルギットは一度は「いけません」とたしなめるが、再び彼女を訪れたバルドゥインに、「私の心はあなたのものです」と告白する。するとバルドゥインは、「明日の夜11時に町の一番静かな場所」へ来てくれと誘う。
 マルギットが逢い引きに出掛けようとすると、それをうかがっていたリュドゥシュカが警告する。それを振り切ってマルギットは人気のない墓地へ行き、バルドゥインと逢い引きしていると、彼の分身が姿をあらわす。一方リュドゥシュカは嫉妬のあまり、ヴァルディス=シュヴァルツェンベルク男爵を訪れて、マルギットのハンカチを示して中傷する。激怒した男爵は、マルギットの婚約者としての名誉に賭けて、バルドゥインに決闘を申し入れる。そして訪れたバルドゥインの介添人に、無謀にもプラーグ第一の剣の使い手バルドゥインに対して、剣の決闘を挑むと言う。そこで伯爵はバルドゥインを訪ねて、一族の名を継承する最後の一人である甥の命を助けてくれと懇願する。バルドゥインは承諾する。
 だがバルドゥインが決闘の場所へ着かないうちに、彼の分身が男爵を殺してしまう。悲嘆に暮れた伯爵は彼の弁明の訪問を拒絶する。絶望したバルドゥインはトランプとダンスに傷心をまぎらわそうとする。だが彼のカードはいつも「つく」ので、友人たちは嫌気がさして、次々に去ってしまう。最後に彼の分身が現れ、「われわれのうちの一人」を賭けて挑戦する。そしてバルドゥインは負ける。
 バルドゥインは「せめてもう一度彼女に会って釈明しなければならない」と思い、マルギットの部屋へ忍び込む。「私に罪はないのです」と救いを求める彼を、マルギットは許す。しかしそこへ彼の分身が姿をあらわし、彼女は彼には鏡像がないことに気づいて卒倒する。バルドゥインは彼の後をつけ回すデーモンから逃走する。「スカピネリ!お前の金を持って行ってくれ」と叫ぶが、分身は彼の部屋まで追いかけて来る。遂にバルドゥインは「俺はお前と決闘する」と叫び、分身をピストルで撃つ。だが倒れたのは彼自身である。
 すると音もなく戸が開いて、スカピネリが入って来る。彼は例の契約書を取り出して引きちぎる。ぱらぱらと紙片がバルドゥインの死体の上に降りかかり、スカピネリがお辞儀して立ち去る。
 最後に「ここにバルドゥイン眠る」と書かれた墓の上に、アルフレッ・ドゥ・ミュッセの詩の文句さながらに、分身が座っている。「汝の墓石の上に座る時来たるまで、我ひとときだに汝のかたえを離れざらん」。
【解説】この作品は、同じくパウル・ヴェーゲナーを主役とする1914年の映画『ゴーレム』と共に、ドイツ映画の特徴である「怪奇幻想映画」の出発点となった作品である。それはエー・テー・アー・ホフマンの『祭晩祭夜話』やシャーミッソーの『影を失った男(ペーター・シュレーミール)』の物語を換骨奪胎したシナリオに基づいており、「失われた鏡像」や「分身」を素材とする数多くの映画の、先駆的な位置を占める。それは作家ハンス・ハインツ・エーヴァースと幻想的なものに強い嗜好を示していた主役のパウル・ヴェーゲナーとの合作であった。当時は映画にまだ何の文化的価値も認められていなかった。そういった時期に一人の作家が、自ら意図的に映画のためのシナリオを書き、自分の映画を作ったのは画期的なことだった。エーヴァースはのちにこう書いている。
 「伝説的に遙か昔の映画の原始期に、ある日、芸術的な映画を作ろうという前代未聞の考えを抱いた一人の映画人が私を訪れた。彼はエーリヒ・ツァイスケと言った。当時は一流の作家や俳優はまだ誰一人映画と関わらなかったということを考えて欲しい。その固い氷が私とパウル・ヴェーゲナーによって、はじめて破られた。この映画は当時本当に一つの事件だった。それは一連の事柄をはじめて提供した。作家が映画のために自らシナリオを書き、スクリーンのために芸術作品を作ったのは、はじめてのことだった。一流の俳優であるパウル・ヴェーゲナーが、自分の技能を映画に役立てたのは、はじめてのことだった。カメラマンのグイード・ゼーバーが、同じ俳優を同じ映像の上で自分自身に対して演技させるという考えを実行に移したトリックも、はじめてのことだった。映画のために独自の音楽が作曲されたのも、はじめてのことだった」。何もかもはじめての試みだったのである。
 実際プラハの町の「物理的」に真正の映像を、もっとも「非現実的」な幻覚に転化させたことだけでも、一つの「事件」だった。スカピネリがバルドゥインの鏡像を鏡から誘い出して連れていくトリックも、当時としては画期的なものだった。だがもっと大きな文化的観点から見れば、それは『カリガリ博士』を典型とするドイツの「怪奇幻想映画」に共通する「無意識」の深い意味を、最初から示唆する作品だった。現代フランスの思想家ジャン・ボードリヤールは、この作品を「現代の疎外、または悪魔との契約の終わり」の表現ととらえて、こう書いている。
 「この映画の主人公の鏡に映った像は、われわれの行為の意味を象徴的に表現している。われわれは行為によって自分のまわりにわれわれの姿に似せた世界を作り上げる。個人と鏡に映った彼の忠実な像との関係は、世界とわれわれとの関係のこの透明性をなかなか巧妙に表している。この像を失うことは、世界が不透明になり、われわれの行為がわれわれから離れてしまうことを意味する。そうなれば、われわれは自分自身についての遠近法を失ってしまう。この遠近法がなければ、もはやいかなる自己証明も不可能だ――わたしはわたし自身にとってひとりの他者となる、つまり疎外される。これがプラハの学生の第一主題である。もっとも、この映画は一般的な寓意に満足せず、状況の意味をすぐさま具体的に表現する。学生の像は偶然失われたり破壊されたりするのではなく、売られるのだ。商品の領域に属するようになるといってもよいが、これこそ具体的な社会的疎外の意味そのものである。悪魔がこの像をひとつのモノとしてポケットにしまいこむという場面も、商品が物神化される現実的過程の幻想的描写となっている。われわれの労働と行為は、生産された瞬間にわれわれの手を離れて客体化し、文字通り悪魔の手に渡ってしまうのである。『プラハの学生』が寓意において他の悪魔との契約譚より優れているのは、金を、つまり商品との交換価値の論理を疎外の中心に据えているからである。自分の像を、つまり自分自身の一部を悪魔に売った直後から学生は実生活のなかで他ならぬこの像に追い回され。結局死んでしまう。ここには疎外過程の赤裸々な実相が表現されている。この物語がわれわれに示しているもっとも重要なことは、疎外された人間とは、衰弱して貧しくなったが本質までは犯されていない人間ではなく、自分自身に対する悪となり敵に変えられた人間だとうい事実である。別の視点から見れば、フロイトが描写した抑圧の過程、つまり抑圧の対象となったものが抑圧を生じさせる審級を通じて再び姿を現わす過程が疎外だ。疎外においては、存在から離れて客体化した諸力が、絶えず存在そのものを犠牲にして存在に成り変わり、存在を死に導く。疎外の克服は不可能なのだ。なぜなら疎外は悪魔との取引の構造そのもの、商品社会の構造そのものだからである」(今村・塚原訳『消費社会の神話と構造』、紀伊国屋書店、297ページ以下)。
 なおこの映画は1926年にヘンリック・ガレーンが、コンラート・ファイトのバルドゥイン、ヴェルナー・クラウスのスカピネリで再映画化し、1935年にもアルトゥーロ・ロビゾンがアドルフ・ヴォールブリュックとテオドール・ロースを使って再映画化した。それぞれ特徴を持っているが、初発の生命が宿しているのは1913年の最初の作品である。

1913.9.12
『女性参政権論者 Die Suffragette』
ウアバン・ガーヅ監督、シナリオ:ウアバン・ガーヅ
【キャスト】アスタ・ニールゼン、マックス・ランダ、マリー・シェラー
【解説】女性解放運動を背景とした恋愛ドラマ。

1913.9.17
『街道 Landstrasse』
パウル・フォン・ヴォリンゲン監督、シナリオ:パウル・リンダウ
【キャスト】カール・ゲッツ、ルドルフ・クライン=ローデン、パウル・ビルト
【解説】間違って殺人の嫌疑をかけられる浮浪者の物語。

1913.10.3
『至福の島 Die Insel der Seligen』
マックス・ラインハルト監督、シナリオ:アルトゥール・カハーネ、撮影:フリードリヒ・ヴァインマン
【キャスト】ヴィルヘルム・ディーゲルマン、ヴィリー・プラーガー、ゲルトルート・ヘッケルベルク、ローレ・ヴァーグナー、ヴェルナー・ロッツ、エルンスト・ホーフマン、フリードリヒ・キューネ、エルンスト・マトライ、マリー・ディートリヒ、エリカ・デ・プランケ、グレータ・シュレーダー、レオポルディーネ・コンスタンティン

1913.12.5
『映画のプリマドンナ Die Filmprimadonna』
ウアバン・ガーヅ監督、シナリオ:ウアバン・ガーヅ、撮影:アクセル・グラートカヤーエル、カール・フロイント
【キャスト】アスタ・ニールゼン、パウル・オットー、フリッツ・ヴァイデマン
【解説】映画界の裏話。映画のシナリオ作家とヒロインの恋愛物語の舞台裏

1914
1914.1.3
『天使ちゃん Engelein』
ウアバン・ガーヅ監督、シナリオ:ウアバン・ガーヅ、撮影:アクセル・グラートカヤーエル、カール・フロイント
【キャスト】アスタ・ニールゼン、マックス・ランダ

1914.1.23
『商会の結婚 Die Firma heiratet』
カール・ヴィルヘルム監督、シナリオ:ヴァルター・トゥルスチンスキー、ジャック・ブルク、撮影:フリードリヒ・ヴァインマン
【キャスト】エルンスト・ルビッチュ、レッセル・オルラ、ヴォクトル・アルノルト

1914.3.13
『謎の屋敷Die geheimnisvolle Villa』
ジョー・マイ監督、シナリオ:エルンスト・ライヒャー、撮影:マックス・ファスベンダー
【キャスト】エルンスト・ライヒャー、ザビーネ・インペコーフェン
【解説】大当たりしたジョー・ウエッブス探偵物シリーズの第一作

1914.4.16
『ヴェニスの一夜 Eine Venetianische Nacht』
マックス・ラインハルト監督、シナリオ:カール・フォルメラー、撮影:フリードリヒ・ヴァインマン
【キャスト】マリア・カルミ、ヨーゼフ・クライン、アルフレート・アーベル、エルンスト・マトライ、ゲオルク・ヘッツェル
【解説】カール・フォルメラーのパントマイム劇を映画化した、現代の「コメディア・デ・アルテ」映画。

1914.6.12
『バスカーヴィル家の犬 Der Hund von Baskerville』
ルドルフ・マイネルト監督、シナリオ:(コナン・ドイルの小説によって)リヒャルト・オズヴァルト、撮影:カール・フロイント
【キャスト】アルヴィン・ノイス、フリードリヒ・キューネ、ハニー・ヴァイセ
【解説】コナン・ドイルの有名な探偵小説の映画化。大成功で続編が続いた。

1914.7.30
『商会の誇り Der Stolz der Firma』
カール・ヴィルヘルム監督、シナリオ:ヴァルター・トゥルスチンスキー、ジャック・ブルク、撮影:フリードリヒ・ヴァインマン
【キャスト】エルンスト・ルビッチュ(ジークムント・ラッハマン)、マルタ・クリーヴィッツ(リリー・マース)、ヴィクトル・アルノルト、アルベルト・パウリヒ、フーゴ・デーブリーン、アルフレート・キューネ(店の主人:ホフマン氏)
【あらすじ】ジークムント・ラッハマンは、現在はポーランド領のポーゼン地方の、そのまた片田舎の見捨てられたような町ラヴィッチュの、ある商店の小僧である。そそっかしい彼は店の陳列品を配置換えしようとして、椅子を吹っ飛ばしてしまう。それがガラスを割って、商品全部がすっかり駄目になってしまう。かんかんに怒った店の主人のホフマン氏は、両親のところへ怒鳴り込み、不器用な少年が店をめちゃめちゃにしてしまった経緯を、多弁を弄してまくし立てる。そしてジークムントをクビにして、放り出してしまう。
 絶望したジークムントは自殺しようと決心するが、しかし死ぬ前にともかく何か食べたいと思う。そして両親と夕食を共にすると、忽ち気が変わり、死ぬよりもひとつ首都ベルリンに出て、運を試してみようと決心し、ひそかに両親の家を抜け出す。
 ベルリンで彼はJ・C・ユング氏のモード・サロンに月30マルクで雇われる。彼は「僕はベルリンにいます。そしてもうすばらしい職を得ました」と、でたらめな手紙を書く。不器用な田舎者で、いつもおずおずしているくせにがむしゃらな性質が、女性従業員たちの気にいる。とりわけ一人のブロンドのベルリン娘リリー・マースは、この無骨な田舎者をジェントルマンに仕立て上げようと、一生懸命になる。しかし彼らの仲はささやかな信頼関係以上に進展せず、二人は互いの関係を涙無しに終わらせる。
 それからジークムントは店の主人の娘イゾルデに、情熱を傾けて言い寄る。そして店の主人に、「私はあなたの娘さんに結婚を申し込みます」と告げる。すると主人はあっさり彼を放り出す。しかしジークムントは「ハンサムですばらしい身分の若者が、第一級の店に入り婿することを望んでいる」という広告を出す。すると何とユング氏から返事が来る。そして彼の目と彼の心の美しさに引かれた娘のイゾルデが、本当に彼に愛情を抱くようになる。それからいろいろともつれはしたものの、ジークムントは結局イゾルデで婚約して、ベルク商会の支配人となる。
 こうして成功者となったジークムントは、イゾルデと結婚式を挙げ、イタリアのベニスへ新婚旅行に出掛ける。ただし故郷の「ラヴィッチュ経由」にする。この異例のルートを通る汽車の旅で、イゾルデとジークムントは、まるでいじらしい子供のようにいちゃつき合う。やがて二人の間に男の子が産まれ、「商会の誇り」として、目出度し目出度しとなる。
【解説】ルビッチュは映画でのキャリアを、はじめは一連の短編喜劇映画のスターとして開始した。それらの映画は通例既製服店を舞台として、ドタバタ喜劇を展開するものだった。ルビッチュはすぐにそれだとわかるような、典型的な同じタイプを演じた。つまり元気のよい、滑稽なユダヤ人の売り子で、最後には主人の娘を手に入れて、店の半分を自分のものにするという型のコメディアンである。このシリーズの映画で彼は、フランスのマックス・ランデや、アメリカのハロルド・ロイドのように人気のある、ドイツでは抜きんでた映画のコメディアンとなった。『商会の誇り』は、いわばそのはしりの一つである。クルト・リースはルビッチュがコメディアンとなった経緯を、こう書いている。
 「まだゾフィー高等学校に通っていた若い頃に、このエルンスト・ルビッチュの心の中には、もうたくさんの夢想が渦巻いていた。父はベルリンのハウスホークタイ広場に、既製服の店を持っていて、繁盛していた。父は息子がいつか自分の協力者となり、結局は跡継ぎとなってくれることを当然視していた。だが若いエルンストはそれを全然当然視してはいなかった。彼は演劇を夢見ていた。16歳でエルンスト・ルビッチュは学校に別れを告げた。彼は父の店へと急いだ。そして彼は、〈僕は役者になりたいんです!〉と言った。父親のルビッチュは、〈お前は気でも狂ったのか! お前は芝居で何をするつもりなんだ?〉と言った。ルビッチュはこう返事した。〈だけと僕は芝居が好きなんだ。僕は舞台に立つときにしか、幸福にはなれいないよ……〉。
 そこで父親のルビッチュは、息子には大変つらいことを言う決心をした。〈お前がハンサムな奴だったら、わしは何も言わない。だがその顔でか?〉エルンストは黙ってしまう。〈お前は店に来るんだ。そこならお前のそのひどい顔でも、金が稼げる〉。エルンスト・ルビッチュは父の店に入った。一年後に彼は正式の店員となった。だが彼は、彼にどんなことができるか証明することになった。父親のルビッチュは言った。〈息子よ、お前は能なしだ!〉エルンストにもそれはわかっていた。しかし何をやっても失敗するとしたら、どうしたらよいのか? するとある知人が彼を、マックス・ラインハルトの俳優ヴィクトル・アルノルトの所へ連れて行ってくれた。アルノルトは彼を、長いこと試すようにじろじろと眺めた。〈ロミオをやるのは無理だよ、ルビッチュ君。何ができるかひとつ試してみようじゃないか〉。
 1913年に彼は、映画に出ないかと誘われた。映画? 彼にはそれが何だかまるでわからない。だが20マルク稼げると言われると、彼はすぐに承知した。映画はごく普通の悪ふざけ物の一つだった。だがルビッチュは何もかも馬鹿げすぎていると思った。彼にはアイデアがあった。〈既製服商売の話をやるんですよ〉。〈素晴らしいアイデアだ!〉と、監督が叫んだ。〈ほとんど何も身に着けていないマネキン・ガールたち……観客はいつもそういうのがお望みなんだ!〉ルビッチュは言った。〈僕はそこにいる若い店員の姿が目に浮かびます……〉。彼は続けた。〈そう、僕くらいの歳の。彼は店員です、わかりますか?彼はあっちこっちから手伝ってくれと声をかけられますが、何もかも間違えてしまうのです。服を吊すようにと言われると、半ダースもの他の服をハンガーから落としてしまう。そして結局自分自身がその上に倒れてしまうんです〉。〈素晴らしいアイデアだ!〉とスポンサーが言った。翌日、やがてあらゆる時代を通じて最高の映画監督になる男が、〈店員モーリッツ〉に扮して、彼の最初の映画シーンに出演する。『商会の結婚』、『商会の誇り』、『哀れなマリア』、『わなにはめる』、『砂糖と肉桂』、『僕の恋人はどこ?』といった作品が作られ、その全部の映画の仲で、ルビッチュは主役のモーロッツを演じた」。
 これが映画人としてのルビッチュの、長い経歴のはじまりだった。

1914.10.3
オスカー・メスター、週間ニュース映画開始

1914.12月
『クリスマスの鐘1914年 Weinachtsglocken 1914』
フランツ・ホーファー監督、シナリオ:フランツ・ホーファー
【キャスト】ドリス・ヴァイクスラー、オッツ・トレン、フェリックス・バッシュ、フリーダ・リヒャルト
【解説】戦争メロドラマ。のちに『帰郷』と改題。

1915
1915.1.15
『巨人ゴーレム Der Golem』
ヘンリック・ガレーン監督、シナリオ:パウル・ヴェーゲナー、ヘンリック・ガレーン、撮影:グイド・ゼーバー
【キャスト】パウル・ヴェーゲナー(ゴーレム)、リュダ・ザルモノヴァ(イエシカ)、カール・エーベルト(古物商)、ヘンリック・ガレーン(伯爵)、ルドルフ・ブリュームナー(学者)、ヤーコプ・ティートケ
【あらすじ】時は当時の現代。場所はドイツの古い小さな町。ユダヤ教のシナゴーグで、労働者たちが井戸を掘っていると、粘土で形作られた像に突き当たる。それをユダヤ人の商人が手に入れる。彼にはその像が、三十年戦争の混乱の中で行方知れずになったゴーレムの土偶だとわかる。その古物商はカバラの本から、かつて魔術的な護符「シェム」によってゴーレムの命を蘇らせたラビ・レーフのことを知った。彼はラビの処置に従って、ゴーレムに生命を吹き込むことに成功する。彼はゴーレムを召使いにし、娘のイェシカの監視役にする。というのは彼はイェシカがある伯爵とひそかに恋愛関係を結んでいるのではないかと疑っていたからだった。ところがゴーレムがイェシカに惚れ込んだ。そのため沈黙のロボットが次第に人間的な感情を持った存在に変わっていった。だがイェシカはゴーレムを怪物と思っていて、彼が自分に愛着するのを、驚愕してはねつけた。そのように拒否されたゴーレムは、耐え難い孤独感に襲われ、破壊的な妄想を抱く。ある晩イェシカは、夏祭りで伯爵に会えることを期待して、城へそっと忍んで行く。それに気づいたゴーレムが後を追う。彼が夏祭りに姿を現すと、お客たちはパニックに襲われる。銃が撃たれるが、弾丸は彼を傷つけはしない。短剣も彼の胸に空しく突き刺さったままである。刃向かって来る者たちをゴーレムは、超人的な力で払いのける。そしてイェシカと伯爵を城の塔上まで追いつめる。その時イエシカはゴーレムの胸から、護符を引きちぎることに成功する。するとゴーレムは生命を失って、元の土偶となって、塔の下に転落し、砕け散る。
【解説】プラハのユダヤ伝説で土塊から作られた巨人の物語

1915.3.12
『室内楽 Kammermusik』
フランツ・ホーファー監督、シナリオ:フランツ・ホーファー
【キャスト】アリス・ヘヒ、オッツ・トレン、アンドレーアス・フォン・ホルン
【解説】歌を挿入した映画。

1915.3.12
『表階段と裏階段 Vordertreppe und Hitertreppe』
ウアバン・ガーヅ監督、シナリオ:ウアバン・ガーヅ、撮影:アクセル・グラートカヤーエル、カール・フロイント
【キャスト】アスタ・ニールゼン、パウル・オットー
【解説】ニールゼン扮する裏階段の仕立屋の娘が富くじに当たる。それを聞いて表会談の軽騎兵少尉が彼女に関心を示す。というのは彼は借金をかかえていたからだった。そこで彼は彼女と婚約するが、二人の間には越えがたい身分上の違いがどたばた喜劇的葛藤を生む話。

1915.6.25
『シャボン玉嬢 Fräulein Seifenschaum』
エルンスト・ルビッチュ監督・出演。
【解説】ルビッチュ最初の監督作品。ある美容院で二人の女性が主導権を争っている。惚れやすいエルンストは葛藤に巻き込まれ、血が流れる。しかし最後は幸福な結末となる。

1916
1916.2.25
『ホフマン物語 Hoffmanns Erzählungen』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:フリッツ・フリードマン=フレデリヒ、リヒャルト・オズヴァルト
【キャスト】クルト・フォン・ヴォロフスキー、ヴェルナー・クラウス、ループー・ピック、レッセル・オルラ
【解説】エー・テー・アー・ホフマンとアントニア、ジュリエッタ、オリンピア、三人の女性との悲恋の物語。ヴェルナー・クラウスが映画にデビューした作品。オズヴァルトはまだ演劇の観点から映画を撮っているが、ただ幻想的な場面では、映画的トリックをも使っていた。

1916.6.9
『出世靴屋 Schuhpalast Pinkus』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:ハンス・クレーリ、エーリヒ・シェーンフェルダー、撮影:不明
【キャスト】グイード・ヘルツフェルト(マイヤーゾーン)、エルンスト・ルビッチュ(ザリ・ピンクス)、ハンス・クレーリ、オシー・オスヴァルダ(メリッタ・エルヴェ)
【あらすじ】ザリ・ピンクスは、怠け者ですれっからしの生徒である。もちろん勉強は大嫌いで、いたずらばかりやっている。宿題をするよりは女の子の尻を追っかけるほうが好きである。その結果とうとう進級できなくなって、学校を辞めざるを得なくなる。両親は大変嘆く。ザリは職探しに行き、ある靴屋の従業員となる。しかしまたもや女性に色目ばかり使い、主人の娘に言い寄ったため、店を追い出されてしまう。しかし彼は新聞にでかでかと求職広告を出し、前の店よりずっと大きな、マイヤーゾーン氏の靴サロンに就職する。ここでも彼は女性のお客や女性の同僚と、いつもふざけている。だがこの弱点がかえって幸いし、元来機知豊かなザリは、有名なダンサーのメリッタ・エルヴェに、すばらしい男だという印象を与える。そして彼に惚れ込んだエルヴェは、彼に3万マルクを貸したので、彼はすばらしい自前の店を開くことができる。着想豊かな彼は巧みな広告で宣伝し、モダンな長靴のショーを開き、ぼろ儲けする。そこでメリッタに借りたお金を返そうとするが、もっとすばらしいことを思いつく。どうして結婚してはいけないだろうか? メリッタは同意し、二人は目出度く一緒になる。店はもちろん大繁盛で、彼は金持ちになる。
【解説】これは『商会の結婚』、『商会の誇り』等で始まったルビッチュの「出世物」コメディーのヴァリエーションの一つではある。そしてルビッチュ自身が監督した作品としては、最大のヒット作となった。とは言っても彼は、ここではまだ監督としてよりも、俳優としてのほうが目立っていた。
 このザリ・ピンクスの成功物語は、厚かましさと自惚れのどぎつさのために、いささか洗練さに欠けるところもあった。そのため有名な映画批評家ロッテ・アイスナーは、「ユダヤ的なスラップスティックが多すぎる」と評した。にもかかわらず、大掛かりな「長靴ショー」での、広告のパロディーはまことにすばらしく、今日でも十分通用するようなシーンである。
 全体としてこの悪童映画は大変面白く、ルビッチュの機知あふれる着想によって、生命を与えられている。例えばあらゆるスポーツの道具をうまく使えない駄目生徒のザリが、どうしたことか校庭のクライミング・ポールには、するすると見事によじ登る。だがまぜ彼がそんなに急いで登ったのか、なぜ彼が全然降りて来ようしないのかは、次のアングルで示される。彼はポールの上から、隣の校庭で体操をしている少女たちを眺めているのである。あるいはダンサーのメリッタ・エルヴェが靴を買いに来たとき、ザリは女性の心理を洞察したすばらしいギャクで、のちに彼のパトロンとなる彼女の注目を受け、店主の愛顧を獲得する。
 それは彼の出世を確実にした思いつきだった。メリッタは店主のマイヤーゾーン氏が差し出す靴を、全部大きすぎると言って、はねつける。その理由を理解したのは、ザリだけだった。ダンサーは靴のサイズのナンバーが大き過ぎてはならないのである。ザリはこの難問を、元のナンバーをそっと消して、その代わりに低いナンバーをつけることで解決する。靴自体は小さくはならなかった。しかしメリッタは、自分にふさわしいと願っているサイズを表示した靴を、大喜びで買ったのである。
 既製服店であるにせよ靴店であるにせよ、ルビッチュの出世店員物の面白さは、当時のベルリンのユダヤ人の既製服商店街の環境を基盤とした、生き生きとしたウイットの卓抜さにある。

1916.8.18
『ホムンクルス(1)Homunculus』
オットー・リッペルト監督、シナリオ:ローベルト・ノイス、オットー・リッペルト、撮影:カール・ホフマン
【キャスト】オーラフ・フェンス、フリードリヒ・キューネ
【解説】レトルトから生まれた人造人間の物語。1917年までに6部のシリーズ公開。

1916.9.1
『さまよう光 Das wandernde Licht』
ローベルト・ヴィーネ監督、シナリオ:イレーネ・ダーラント(エルンスト・フォン・ヴィルデンブルッフの小説による)、撮影:不明
【キャスト】ヘニー・ポルテン、エーミール・ラモー、エルザ・ヴァーグナー、ブルーノ・デカルリ
【解説】結婚と狂気についてのドラマ。

1916.9.22
『不気味な家 Das unheimliche Haus』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:リヒャルト・オズヴァルト、撮影:マックス・ファスベンダー
【キャスト】ヴェルナー・クラウス、アルフレート・ブライダーホフ、ループー・ピック
【解説】呪われた家での若い秘書が体験する不気味な幽霊物語。ヴェルナー・クラウスが二役を演じて大成功を収めたので、すぐに二本の続編が製作された。

(日付無し)
『リーゼンゲビルゲ山の精、リューベツァールの結婚 Rühbezahls Hochzeit』
パウル・ヴェーゲナー、ローフス・グリーゼ監督、シナリオ:パウル・ヴェーゲナー、撮影:M・A・マートゼン
【キャスト】パウル・ヴェーゲナー、リュダ・ザルモノヴァ、ヘートヴィヒ・グートツァイト、エルンスト・ヴァルドフ
【解説】リーゼンゲビルゲを舞台に大いにトリックを使った恋愛物語。

1917
1917.2.2
『ルイーゼ・ロールバッハの結婚 Die Ehe der Luise Rohrbach』
ルドルフ・ビーブラッハ監督、シナリオ:ローベルト・ヴィーネ(エミー・エーラートの小説による)、撮影:カール・フロイント
【キャスト】ヘニー・ポルテン、エーミール・ヤニングス
【解説】自分の妻を陵辱し、嘘をつくように強制する嫉妬深い工場主の心理劇。

1917.3.2
『光あれ! Es werde Licht!
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:リヒャルト・オズヴァルト、ループー・ピック、撮影:マックス・ファスベンダー
【キャスト】ベルント・アルドール、フーゴ・フリンク、レオンティーネ・キューンベルク
【解説】「ドイツ性病撲滅協会」が後援し、梅毒をテーマとした最初の性啓蒙映画。

1917.4.27
『エキセントリック・クラブの結婚 DIE HOCHZEIT IM EXZENTRIK-CLUB』
ジョー・マイ監督
【解説】ジョー・ディーブス(DEEBS) のための9番目のケース。百万長者の相続人がテーマ。フリッツ・ラング最初のシナリオ

1917.8.31
『ヒルデ・ウオレンと死に神 Hilde Warren und der Tod』
ジョー・マイ監督、シナリオ:フリッツ・ラング、撮影:クルト・クラント
【キャスト】ミア・マイ、ハンス・ミーレンドルフ、ブルーノ・カストナー、エルンスト・マトライ
【解説】ある女優が殺人犯と結婚して男の子を産むが、その子ものちに殺人犯となる。

1917.11.4
『逸楽郷のハンス・トゥルッツ Hans Trutz im Schlaraffenland』
パウル・ヴェーゲナー監督、シナリオ:パウル・ヴェーゲナー、撮影:フレデリック・フーグルザング
【キャスト】パウル・ヴェーゲナー、リュダ・ザルモノヴァ、エルンスト・ルビッチュ、ヴィルヘルム・ディーゲルマン
【解説】悪魔によって伝説の逸楽郷へ誘われる貧しい農夫の幻想的な物語。

1917.11.30
『陽気な監獄 Das fidele Gefängnis』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:エルンスト・ルビッチュ、ハンス・クレーリ(オペレッタ『こうもり』のモティーフによる)、撮影:不明
【キャスト】ハリー・リートケ、キティ・デヴァル、アグダ・ニルソン、エーミール・ヤニングス
【解説】仮面舞踏会と監獄との間で展開されるコメディー。すべての場面が、およそ現実とは思えない装飾的セットとなっていた。

1917.12.18/21
『巨人のこぶし Die Faust des Riesen』
ルドルフ・ビーブラハ監督、シナリオ:E・A・デュポン、撮影:カール・フロイント
【キャスト】ヘニー・ポルテン、エードゥアルト・フォン・ヴィンターシュタイン、ヨハネス・リーマン
【解説】支配欲の強い農場主についての心理劇。

1917.12.20
『いばら姫 Dornröschen』
パウル・レーニ監督、シナリオと歌詞:ルドルフ・プレスバー(グリム兄弟のメルヘンによる)、撮影:アルフレート・ハンゼン
【キャスト】ハリー・リートケ、マーベル・カウル、ケーテ・ドルシュ、パウル・ヴィーンスフェルト、ヴィクトル・ヤンゼン
【解説】メルヘン映画。

1918
1918.1.21
『ドクター・ハルトの日記 Das Tagebuch des Dr.Hart』
パウル・レーニ監督、シナリオ:ハンス・ブレネルト、撮影:カール・ホフマン
【キャスト】ハインリヒ・シュロート、ケーテ・ハーク、ダグニー・ゼルヴェス
【解説】ドイツ人医師と看護婦、ポーランドの伯爵とその娘、ロシアの大使館参事官が平和時に互いに友人となっていたが、1914-16の戦争の間に、前線のさまざまな局面で戦争体験をする映画で、1917年に『軍医』というタイトルで製作され、驚くほど平和主義的トーンで貫かれていた。検閲ではじめは上映禁止になった。

1918.5.5
『淪落の女の日記 Das Tagebuch einer Verlorenen』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:リヒャルト・オズヴァルト(マルガレーテ・ベーメの小説による)、撮影:マックス・ファスベンダー
【キャスト】エルナ・モレナ、ヴェルナー・クラウス、ラインホルト・シュンツェル、コンラート・ファイト
【解説】誘惑され、勘当された薬剤師の娘のメロドラマ。

1918.10
『男になるのは真っ平 Ich mo*chte kein Mann sein』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:エルンスト・ルビッチュ、撮影:テオドール・シュパールクール
【キャスト】オシー・オスヴァルダ、クルト・ゲッツ、フェリー・ジークラ
【解説】まだ後見を受けている年齢だというのに、オシーはもうタバコを吸い、酒を飲み、賭けポーカーをするのが好きである。そこで男装して、自分の新らしい家庭教師を誘惑する。しかし最後には二人とも、オシーが女性だったことを喜ぶ。
 1910年代のドイツ映画ではボーイッシュな娘役とお転婆娘役が人気だった。オシーに扮したアスタ・ニールゼンとはそうした役を専門にしていた。

1918.10.3(日本封切り1921.2.18)
『呪の眼 Die Augen der Mumie MA』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:ハンス・クレーリ、エミール・ラモー、撮影:アルフレート・ハンゼン、装置:クルト・リヒター
【キャスト】ポーラ・ネグリ(マー)、エーミール・ヤニングス(ラドゥ)、ハリー・リートケ(ヴェントラント)、マックス・ローレンス(プリンス・ホーエンフェルス)、マルガレーテ・クッパー
【解説】ドイツ人画家とエジプトの神殿の踊り子との間の恋が、狂信的な神官によって妨げられる物語。
【あらすじ】学習旅行で画家のアルフレート・ヴェントラントは、エジプトの砂漠である女王の墓石を見る。その石室で彼は、魔術的に生きた眼を持ったミイラ、「マー」と対峙する。そして彼はそのミイラが神秘的な、災いに満ちた多くのことをささやくのを聞いた。実際にはそのミイラの背後に、若い、生きたエジプト女が隠れていたのだった。そして彼女は「マー」のミイラの眼のトリックを考案したラドゥに、奴隷女のように扱われていた。ヴェントラントはこのエキゾチックな乙女を誘いだして、自分の郷里に連れていった。そこで彼女は間もなくダンサーとしてスターになった。他方復讐の欲望に燃えているラドゥも、ヨーロッパへやって来て、奇矯な世界漫遊家のホーエンローエ伯爵に、召使いとして雇われた。ある日伯爵はラドゥを連れて劇場に行ったが、マーがダンサーとして登場した。彼女はエジプト人の姿を見つけると、気絶して倒れた。
 その後彼女はヴェントラントの妻になっていたが、ある日彼女はプリンス・ホーエンフェルスの館でラドゥに出会った。ショックで彼女は重い病気になり、回復するのには長い時間がかかった。そしてやっと治ったとき彼女は、ヴェントラントが彼女の肖像画を伯爵に売ったと聞かされた。彼女はラドゥが、その肖像画を彼女に魔術的な力を及ぼす手段として利用することを恐れたので、夫にそれを取り戻すように懇願した。だが画家が伯爵と交渉している間に、ラドゥはヴェントラントの家に忍び込んで、マーを殺害したしまった。

1918.11.8
『イエットヒェン・ゲーベルト Jettchen Gebert』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:(ゲオルク・ヘルマンの小説による)、撮影:マックス・ファスベンダー
【キャスト】メヒティルト・タイン(?)、コンラート・ファイト、フリッツ・リヒャルト
【解説】自然主義小説によるメロドラマ。

1918.12.12
『ディダ・イプセンの物語 Dida Ibsens Geschichte』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:リヒャルト・オズヴァルト(マルガレーテ・ベーメの小説による)、撮影:マックス・ファスベンダー
【キャスト】アニタ・ベルバー、コンラート・ファイト、ヴェルナー・クラウス
【解説】不幸な女性の放浪物語。

1918.12.20
『カルメン Carmen』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:ハンス・クレーリ(プロスペル・メリメの小説による)、撮影:アルフレート・ハンゼン
【キャスト】ポーラ・ネグリ、ハリー・リートケ、レオポルト・フォン・レーデブーア
【解説】『カルメン』物語の映画化。内戦の瀬戸際にある大戦末期のベルリンで撮影された。

1919

『朝の五時まで Bis fruh um Fünfe』
ハインリヒ・ボルテン=ベッカース監督
【キャスト】メリタ・ペトリ、レオ・ポイケルト、ヘルベルト・パウルミュラー、オットー・トレプトウ
【解説】帝政時代に大衆音楽作曲家として圧倒的な人気を博していたパウル・リンケ作曲のヒット曲をテーマに、作詞家のボルテン=ベッカースが作った作品。


『青い服の少年 Der Knabe in Blau(死のエメラルド Der Todessmargd)』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:エダ・オッタースハウゼン、撮影:カール・ホフマン
【キャスト】エルンスト・ホーフマン、マルギット・バルナイ、ゲオルク・ヨーン、ブランディーネ・エービンガー
【あらすじ】零落した古い貴族の家系の最後の末裔であるトーマス・フォン・ヴェールトは、年老いた召使いと一緒に、深い堀に取り囲まれている、ロマンチックに崩れかけた館に住んでいる。彼はしばしば先祖の「青い服の少年」の絵の前に立った。そして自分とその絵との間に奇妙なつながりがあると感じた。それどころか自分は顔立ちが自分と同じその青い服の少年の化身だと思った。そこで彼は、青い服の少年が胸につけていた有名な「死のエメラルド」を求めて、城の中をくまなく探し回った。その石を身につけた者はいつも不幸に見舞われたので、もう一人の先祖がそれをどこかに隠したからだった。トーマスはある夜、その絵の前で眠った。そして青い服の少年が絵の中から出てきて、彼を隠し場所に連れて行く夢を見た。目が覚めてから、その隠し場所を捜してみると、本当にエメラルドが見つかった。年老いた召使いは彼に、その不幸の石を投げ捨てるよう懇願したが、無駄だった。
 夜が明け、旅の曲芸師の一隊が城にやって来た。一隊の中には美しいジプシー女がいた。うぶで未経験のトーマスはすぐに彼女に惚れ込んでしまい、すっかり彼女に呪縛されてしまった。彼は所有しているものすべてを奪われ、城は火がかけられて炎上し、焼け落ちてしまった。その際あの絵もエメラルドも盗み去られた。身体的にも精神的にも長いこと患った後、トーマスは、美しし女優の献身的な愛によって回復し、平和な幸福を見出した。
【解説】ムルナウが最初に製作した映画であるが、作品は残っていない。

1919.1月
『アルコール Alkohol』
アルフレート・リント、エーヴァルト・アンドレ・デュポン監督、シナリオ:アルフレート・リント、撮影:カール・パウルス、カール・ハッセルマン
【キャスト】ジャン・モロー、ハニー・ヴァイセ、マリア・ツェレンカ、アントン・エルンスト・リュッケルト、トーニ・テツラフ、エミール・ビロン、フェリー・ジークラ、ヴィルヘルム・ディーゲルマン、アウグステ・ピュンケスディ、ゲオルク・H・シュネル
【解説】もう一度作り直し不運に見舞われたが、観客には歓迎された。

1919.1.17
『ベルリンのマイヤー Meyer aus Berlin』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:ハンス・クレーリ、エーリヒ・シェーンフェルダー、撮影:アルフレート・ハンゼン
【キャスト】エルンスト・ルビッチュ、エーテル・オルフ、ハインツ・ランツマン
【解説】アルプス山地を舞台にしたルビッチュ喜劇。

1919.2月
『阿片 Opium』
ローベルト・ライネルト監督、シナリオ:ローベルト・ライネルト、撮影:ヒャルマール・レルスキ
【キャスト】ヴェルナー・クラウス、コンラート・ファイト、ハナ・ラルフ、エードワルト・フォン・ヴィンターシュタイン
【解説】阿片の害を警告するための阿片窟テーマとした作品。

1919.3.6
『欲望のハイエナ Hyänen der Lust』
オットー・リッペルト監督
【キャスト】ケーテ・ハーク主演
【解説】戦後混乱期のセックス映画の一つ。

1919.3.7
『劫罰への道 Der Weg,der zur Verdammnis führt (欲望のハイエナ第2部 Hyänen der Lust)』
オットー・リッペルト監督、シナリオ:ユリウス・シュテルンハイム、撮影:ヴィリー・ハーマイスター
【キャスト】シャルロッテ・ベックリン、グレーテ・ヴァイクスラー、エミール・アルベス、クレメンティーネ・プレスナー、アルベルト・パウル、ケーテ・ハーク、マルガレーテ・フライ、マックス・ホーホシュテッター、イルゼ・ヴィルケ、ハインツ・ヴィリー・カイザー、グイド・ヘルツフェルト、マルガレーテ・クッパー、ロ^−ザ・ムルガー、エドゥワルト・アイゼンク、マリー・フォン・ビューロウ

1919.3.20
『80日間世界一周 Die Reise um die Erde in 80 Tagen』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:リヒャルト・オズヴァルト
【キャスト】コンラート・ファイト、ラインホルト・シュンツェル、アニタ・ベルバー、オイゲン・レックス、ケーテ・オズヴァルト、マックス・ギュルストルフ

1919.4月
『キャヴィア小ネズミ Das Kaviarmäuschen』
ゲルハルト・ダマン監督
【解説】フィルム・オペレッタ

1919.4.3
『混血 Halbblut』
フリッツ・ラング監督、シナリオ:フリッツ・ラング、撮影:カール・ホフマン
【キャスト】レッセル・オルラ、カール・デ・フォークト、パウル・モルガン、ギルダ・ランガー、カール・ゲープハルト=シュレーダー
【解説】愛、そしてその喪失の物語(フリッツ・ラング監督の処女作)。

1919.4.4(日本封切り1920.9.27)
『ヴェリタスV eritas vincit』(三部作映画)
ジョー・マイ監督、シナリオ:ルート・ゲッツ、リヒャルト・フッター(ミケランジエロ、ツオイス男爵、ジョー・マイのアイデアによる)、撮影:マックス・ルッツェ、装置:パウル・レーニ、ジークフリート・ヴロヴレヴスキー
【キャスト】第一部:ミア・マイ、ヨハネス・リーマン、マグヌス・シュティフター、エミール・アルベス、ヴィルヘルム・ディーゲルマン、フェリ・ジークラ、パウル・ビーンスフェルト、ゲオルク・ヨーン。
第二部:ミア・マイ、ヨハネス・リーマン、レオポルト・バウアー、リーナ・パウルゼン、フリードリヒ・キューネ。
第三部:ミア・マイ、ヨハネス・リーマン、ベルンハルト・ゲツケ、アドルフ・クライン、オルガ・エンゲル、ヨーゼフ・クライン、マックス・ギュルストルフ、マックス・ローレンス、アンデルス・ヴィークマン博士、ヘルマン・ピハ、エミー・ヴューダ、マリア・ポレスク。
【あらすじ】第一部は昔のローマで、第二部は1500年頃の小都市で、第三部は第一次世界大戦前の小さな領主の宮殿で、三つのエピソードで、愛、偽り、名誉の問題を扱う同じ物語が繰り返される。若い男女がひそかに愛し合うが、若者が生命の危険のある状態に陥る。少女が彼を救うことができるが、しかしそれは彼女が二人の愛の秘密を漏らし、名誉と自分自身の命を賭ける場合にだけできる。第一と第二のエピソードでは彼女は黙して語らない。そのため若者は死ぬ。第三のエピソードで彼女は真実を告白し、それによって二人は救われ、幸福となる。
【解説】「ドイツ映画にとって記念の日」と評され, 3時間半の作品は90万マルクの費用がかかった。ウーファにとっても記録的大作。

1919.4.17
『アラウネ Alraune』
シナリオ:ハンス・ハインツ・エーヴァースの小説による

1919.5.1
『売春 Die Prostitution』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:フリッツ・ベックマン、撮影:マックス・ファスベンダー
【キャスト】フリッツ・ベックマン、アニタ・ベルバー、グシー・ホル、コンラート・ファイト
【解説】売春の罪・無罪の論議。

1919.5.28
『他の者とは違っている Anders als die Andern』
リヒャルト・オズワルト監督、シナリオ:リヒャルト・オズワルト、マグヌス・ヒルシュフェルト博士、撮影:マックス・ファスベンダー
【キャスト】コンラート・ファイト、フリッツ・シュルツ、アニタ・ベルバー、ヘルガ・モランダー、フリッツ・シュルツ、ヴィルヘルム・ディーゲルマン、ラインホルト・シュンツェル、クレメンティーネ・プレスナー、レオ・コナルト。
【解説】映画は刑法第175条の問題を扱っていた。クラカウアーp14

1919.6.20
『牡蠣の王女 Die Austernprinzessin』
エルンスト・ルビッチュ(Ernst Lubitsch)監督、シナリオ:ハンス・クレーリ Hanns Kra*ly, 撮影:テオドール・シュパールクール
【キャスト】オシー・オスヴァルダ Ossi Oswalda(牡蠣の王女)、ハリー・リートケ Harry Liedtke(プリンス・ヌキ)、ヴィクトル・ヤンゼン Victor Janson(クエーカー氏、牡蠣の王)、ユリウス・ファルケンシュタイン Julius Falkenstein(ヨーゼフ)、マックス・クローネルト Max Kronert(セリグソン)、クルト・ボア Curt Bois(楽長)、アルベルト・パウリヒ Albert Paulig、ゲルハルト・リッターハント Gerhard Ritterband、ハンス・ユンカーマン Hans Junkermann
【解説】クルト・ボア出演の映画封切り。「牡蠣の王」と称されるアメリカの大富豪の娘と貧しいヨーロッパの王子とが、目出度く結婚にゴールインする喜劇、激しいフォックストロット熱が背景。ヨーロッパとアメリカの文化的繋がり扱った風刺的メルヘン。

1919.7月
『魂の買い手 Der Seelenkäufer』
ループー・ピック監督、シナリオ:ゲルハルト・ランプレヒト、撮影:イーヴァル・ペーターゼン、装置:ハンス・ナイラート
【キャスト】ベルント・アルドル、リア・イエンデ、ドーラ・フラッハ、フリードリヒ・キューネ、ハインリヒ・ペール

1919.7月
『奴らを磔にしろ! Kreuziget sie!』
ゲオルク・ヤコービ監督、シナリオ:パウル・オットー、撮影:テオドール・シュパールクール、装置:クルト・リヒター
【キャスト】ポーラ・ネグリ、ハリー・リートケ、アルベルト・パトリ、パウル・ハンゼン、ロッテ・ゲオルゲ、マグヌス・シュティフター、ヘルマン・ピハ、ヴィクトル・ヤンゼン、ヴィルヘルム・ディーゲルマン。

1919.8月
『生ける屍 Der lebende Tote』
ルドルフ・ビーブラッハ監督、シナリオ:ローベルト・ヴィーネ、撮影:ヴィリバルト・ゲーベル、音楽:ジュッゼッペ・ベッツェ、装置:ジャック・ウインター
【キャスト】ヘニー・ポルテン、パウル・ビルト、カール・エーベルト、エルンスト・デルンブルク、エルザ・ヴァーグナー

1919.8月
『生殺与奪の権を持つ神 Der Herr über Leben und Tod』
ループー・ピック監督、シナリオ:ゲルハルト・ランプレヒト、撮影:イーヴァル・ペーターゼン、装置:ハンス・ナイラート
【キャスト】ベルント・アルドル、キッサ・フォン・ジーファース、ヨーゼフ・クライン、ジビル・モレル、ハインリヒ・ペール、オットー・ヴェント

1919.8月
『忘我 Rausch』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:ハンス・クレーリ(ストリンドベリーのドラマによる)、撮影:カール・フロイント、装置:ローフス・グリーゼ
【キャスト】アスタ・ニールゼン、アルフレート・アーベル、カール・マインハルト、グレーテ・ディールクス、マルガ・ケーラー、フリーダ・リヒャルト、ゾフィー・パガイ、ルドルフ・クライン=ローデン、ハインツ・シュティーダ
【解説】成功して妻子を忘れてしまった作家を扱ったドラマ。

1919.9月
『東方からの死神 Der Tod aus dem Osten』
マルティン・ハルトヴェヒ監督
【キャスト】ハンス・アーダルベルト・シュレットウ、マルガレーテ・シェーン、アルトゥール・メンツェル、エーヴィト・モランダー、フレート・ゼルヴァ=ゲーベル

1919.9月
『愛と死の戯れ Das Spiel von Liebe und Tod』
ウアバン・ガーズ監督、シナリオ:ウアバン・ガーズ、音楽:ジューゼッペ・ベッツェ、
【キャスト】ヘラ・モーヤ、アルフ・ブリューテッヒャー、パウル・モルガン、ジュリエッテ・ブラント

1919.9.11.
ベルリンで「写真・映画急報 ILLUSTRIERTE FILM-KURIER」第1号発行
映画館の窓口で売られるプログラム。第一号は『ニコロ王 KO*NIG NICOLO』, 第2号は『パッション』。シリーズは1944/4/5 の冬の3379号(『コルベルク』)と3380(『オリエント急行 ORIENTEXPRESS』)で終わった。

1919.9.18(日本封切り1922.11.3.)
『パッション(マダム・デュバリー)Madame Dubarry』
エルンスト・ルビッチュ Ernst Lubitsch監督、シナリオ:フレッド・オルビング Fred Orbingことノルベルト・ファルク Nobert Falk、ハンス・クレーリ Hans Kra*ly、撮影:テオドール・シュパールクール
【キャスト】ポーラ・ネグリ PoLa Negri(ジャンヌ・ヴォベルニエ、のちにマダム・デュバリー)、エミール・ヤニングス Emil Jannings(ルイ十五世)、ハリー・リートケHarry Liedtke(アルマン・ド・フア)、ラインホルト・シュンツェル Reinhold Schunzel(大臣ショアゼール)、エードゥアルト・フォン・ヴィンターシュタインEduard von Winterstein(ジャン・デュバリー伯爵)、カール・プラーテン Karl Platen(ギョーム・デュバリー)、 パウル・ビーンスフェルトPaul Biensfeld(レベル)、マグヌス・シュティフター Magnus Stifter(ドン・ディエゴ)、ヴィリー・カイザー=ハイル Willi Kaiser-Heyl、エルザ・ベルナElsa Berna(グラモン伯爵夫人)、フレッド・イムラー Fed Immler(リシュリュー)、グスタフ・ツイメグ Gustav Czimeg(エギヨン)、アレクサンダー・エーケルトAlexander Ekert(パイエ)マクダ・ケーラー Marga Ko*hler(マダム・ラビーユ)、ベルンハルト・ゲッケ Bernhard Goetzke、ローベルト・ゾルチュ=プラ Robert Sortsch-Pla
【パッション・シナリオ】
・「私はドゥ ・ベルフォール侯爵様に、5時にお届けすると約束したんだよ。急いでおくれ、この怠け者!」
・最初の恋人に入れ揚げていたジャンヌは侯爵だってアルマンのためなら、届けるのを先延ばしにできると感じた。(アルマンに向かってジャンヌは言う。)
・「もう長居しすぎたわ。侯爵夫人が待ってるわ」。
・(ジャンヌがアルマンに)「じゃ日曜までね。時間を数えてるわ」
・(群集の一人が言う)「あれはスペイン人だ。ヴェルサイユ宮殿に行くんだ」
・フランス宮廷への秘密の使命を授けられたドン・ディエゴは、パリではよく知られた人物だった。
・(帽子の箱をドン・ディエゴの馬に踏みつぶされたジャンヌはドン・ディエゴに言う)「まあ、あなた! なんて事をなさったの。ラヴィユ夫人は私をぶち込むでしょう」
・(ドン・ディエゴがラヴィユ夫人に言う)「このマドモワゼルを咎めないでもらいたいというのが、私の希望です。責任は私にあります、マダム」
・(ドン・ディエゴがジャンヌに向かって)「マドモワゼル、こんな可愛らしい手は、もっとましな仕事をしなくては」
・アルマン--ドン・ディエゴ
【パッション大団円】
・群集「デュバリーをヤッツケロ」
・(ジャンヌ[デュバリー]がアルマンに)「どうしてあなたは私をそんな風に扱うことができるの。ルイ王の行いのために私が咎められなくてはならないの」
・(アルマンがデュバリーに)「まだ、チャンスはある。しかし気をつけたまえよ。君が君の行状を改めないとしたら」
・(デュバリーがアルマンに)「あんたの心の中に許しは見出されないの」
・(アルマン)「許すのは易しい。しかし忘れることはできない」
・翌日、共謀者たちは長い間アルマンを待っていた。
・(アルマンが仲間たちに)「私は彼女に会った、諸君、そして彼女はわれわれのためにルイに取りなしをする。待ったほうがいい」
・(共謀者たちがアルマンに)「何でわれわれが彼女約束などにかかずらうのか。あんたがわれわれを連れて行かないなら、われわれはあんたを置いて行く」
・(ヴェルサイユ宮殿の庭では)人民の集団に耳をかさず、王は目隠し鬼ごっこで遊んでいる。
・(人民の代表たちが宮殿に来て)「王に会いたい」
・(廷臣が代表者たちに)「陛下は大臣たちと会議をしておられる。邪魔することはできません」
・(庭で王と廷臣たちが)「鬼さん、こちら」
・「陛下が気絶した」
・(代表団の一人が)「神が示された。デュバリー、気をつけろ! 」
・(デュバリー)「彼を逮捕しなさい」
・恐怖のほうが死よりこわい。
・(集まった廷臣たちに)「大災難がわれわにふりかっかった。陛下が天然痘だ」
・(デュバリーが公爵に)「公爵様、あなたは自分の立場を忘れておられる」
・(公爵がデュバリーに)「とんでもありません、マダム。しかしあなたはあなたの立場を」
・アルマンにとってはパイエの逮捕は、ジャンヌの背信行為の中で一番暗黒なものと思えた。
・王「伯爵夫人はどこにいる。彼女は私と一緒にいるべきだ」
・王「気をつけろ、馬鹿め。私に逆らうとは。私は王なんだぞ」
・王「あー、ルベル。私は苦しい。私をよくできるのはジャンヌだけだ」
・しかし王が待っている間に、恐ろしい不吉な使者がやって来た。
・そして王は死の祈りを耳にした。
・(僧たちの祈り)「キリスト教徒の魂よ、汝を創った全能の神の名において、その息子、イエス・キリストの名において、この世から立ち去れ」
・王「があがあわめく不吉な者め! 祈りなど止めろ。私はそんなものはお前たちののどに押し込んでやる」
・(廷臣がデュバリーに)「王への道は開かれています」
・彼女の悲しみに、「蔵相」ショアズールの意向が続いた。
・国務大臣は素早く、無慈悲だった。
・国務会議
国王はデュバリー夫人に、パリ市を立ち去ることを命じた。そして彼女は国王が命令を下すまで、市から50マイル以内に留まらねばならない。
・パイエの小さな家族はひどい困窮の中にあった。
・火と燃える言葉、シャワーのように注ぐスパークのように、抑圧された欲望に火がついた。そして燃え上がったグループは騒然たるモッブになった。
・(暴民たち)「見ろ! あれは貴族だぞ! 奴を街灯に吊るせ」
・自己防衛に逆上して、彼らは一緒に最初のバリケードにとりかかった。
・パリのあらゆる裏通りから、彼らは積もり積もった仇を討つために集まって来た。
・「諸君、われわれはパイエを救わねばならない」
・「バスティーユへ! 」
・「進め、市民たち! バスティーユを倒せ! 」
・長い間閉じ込められていた下層民の激しい怒りを前にして、古い要塞は崩壊した。
・パリの街路をどよめかしながら、火焔は宮殿へ進んだ。そこには新しいルイと彼の妻マリー・アントアネットが茫然と待っていた。
・パリの狂気の日に続いて――暴民が支配している時、貴族の反対派に対して、血なまぐさい仇討ちが行われた。
・ある日裁判所へザモルが秘密を売りに来た。
・その日は市民ドゥ ・フォアが裁判をしていた。
・「フランスで一番悪い女。彼女は死なねばならぬ」
・(民衆)「デュバリーに死を」
・アルマン。「彼女は死刑」
・デュバリー。「慈悲を、アルマン! 彼らが私を殺すのを許さないで」
・アルマン。「酷すぎる。彼女を死なせことはできない」
・しかし砂時計はもう下がっていた。
・(牢獄からデュバリーを引き出そうとして)「私にデュバリー夫人を引き出させろ。彼女と私は以前会ったことがある」
・(デュバリーを救うため変装して牢獄に入っていたアルマンを発見して)「裏切り者! 」
・(死に行くアマン)「彼女を救うことができたとしたら、死も至福だったろうに」
・(断頭台に引きずられなら、デュバリー)「ああ、待って! 少し! 人生はとても甘美だ」
【解説】革命を逆手に取った娯楽映画で有名な舞台監督マックス・ラインハルトの大衆劇に学んだ群衆場面が印象的である。群集が集まるギロチンで、切られた首が転がるショッキングな幕切れは、カットされることが多い、ドイツ映画として第一次世界大戦後最初の世界的成功だった(年代記35)。〔cf. 有斐閣p101] 。ベルリンの代表的映画館「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り。

1919.9月半ば
『愛の主人 Der Herr der Liebe』
フリッツ・ラング監督、シナリオ:レオ・コフラー、撮影:エミール・シューネマン、装置:カール・ルートヴィヒ・キルムゼ
【キャスト】カール・デ・フォークト(ディゼスク)、ギルダ・ランガー(イヴェット)、エリカ・ウンルー、フリッツ・ラング

1919.9.24
『郭公王子Prinz Kuckuck』
パウル・レーニ監督
【キャスト】コンラート・ファイト主演
【解説】大財産相続をめぐるヴィルヘルム帝国時代の上流階級の生き様を描いたオットー・ユリウス・ビーアバウムの小説による、の映画、ベルリンの「マルモルハウス」で封切り。

1919.10月
『ある男の少女時代 Aus eines Mannes Ma*dchenjahren』
(N・O・Bodyの小説による)
【キャスト】エリカ・グレスナー、エルンスト・シュタール=ナーハバウアー。
【解説】同性愛映画。(クラカウアーp46)

1919.10月
『サビニ女の略奪 Der Raub der Sabinerinnen』
ハインリヒ・ボルテン=ベッカース監督、シナリオ:(フランツとパウル・フォン・シェーンタンのドラマによる)
【キャスト】リヒャルト・アレクサンダー他。

1919.10月
『どん底 Nachtasyl
ルドルフ・マイネルト監督、シナリオ:(マキシム・ゴーリキーのドラマによる)、撮影:A・O・ヴェイツェンベルク、音楽:ジューゼッペ・ベッツェ
【キャスト】ルドルフ・マイネルト、フリッツ・シュピラ、マリア・フォレスク

1919.10月
『スピオーネ Die Spione』
エーヴァルト・アンドレ・デュポン監督
【キャスト】マックス・ランダ、ハニー・ヴェイセ。

1919.10月
『舞踊家 Der Tänzer』
第一部・第二部:カール・フレーリヒ監督、シナリオ:カール・フレーリヒ、ゲオルク・タッツェルト(フェリックス・ホレンダーの小説による)、撮影:オットー・トーバー、装置:ハンス・ゾーンレ
【キャスト】ヴァルター・ヤンセン(舞踊家)、ゲルトルート・ヴェルカー、リル・ダーゴヴァー、イルムガルト・ベルン、テオドール・ブルガルト、マルガレーテ・クッパー、エンデルリ・レビウス、アドルフ・クライン、フーゴ・フレーリヒ、クライン=マインハルト

1919.10月
『マリオン・バッハの恋 Die Liebe der Marion Bach』
ハインリヒ・ボルテン=ベッカース監督、撮影:アルベルト・シャットマン
【キャスト】レオ・ポイケルト、マルガレーテ・ネフ、グスタフ・ルドルフ、リースル・ケーム、ハンス・シュトック

1919.10月
『狂気 Wahnsinn』
コンラート・ファイト監督、シナリオ:マルガレーテ・リンダウ=シュルツ、ヘルマン・フェルナー(クルト・ミュンツァーの小説のモティーフによる)、撮影:カール・ホフマン、装置:ヴィリー・A・ヘルマン
【キャスト】コンラート・ファイト、グシー・ホル、グリート・ヘゲザ、ラインホルト・シュンツェル

1919.10.3
『蜘蛛 Spinnen:第一部:黄金の湖 TEIL 1. Der Goldene See』
フリッツ・ラング監督、シナリオ:フリッツ・ラング、撮影:エーミール・シューネマン、装置と衣裳:ヘルマン・ヴァルム、オットー・フンテ、カール・ルートヴィヒ;キルムゼ、ハインリヒ・ウムラウフ、製作:デークラ・フィルム
【キャスト】カール・デ・フォークトCarl de Vogt(カイ・ホーク)、リル・ダーゴヴァー Lil Dagover(ナエラ:インカの太陽神の巫女)、レッセル・オルラ Ressel Orla(リオ・シャー)、ゲオルク・ヨーン Georg John(テルファス博士)、ルドルフ・レッティンガー Rudolf Letinger(テリー・ランドン:ダイヤモンド王)、パウル・モルガン Paul Morgan(専門家)、パウル・ビーンスフェルト Paul Bienfeldt、フリードリヒ・キューネ Friedrich Ku*hne、ハリー・フランク
【あらすじ】仏陀の頭のような形をした神秘的なダイヤモンドにまつわる物語。それは世界のどこかで見つかるという。そして何時の日かそのダイヤを持った女君主がアジアにやって来て、虐げられている民を解放するだろうという。インドの秘密情報機関が「蜘蛛」の結社に、そのダイヤを発見する任務を委託する。まずもってそのダイヤが手に入れれば、アジアを征服でき、次には全世界を征服することになるどろう。さてアメリカの冒険家カイ・ホークは太平洋の海岸で、通信文を入れた瓶を釣り上げる。それは古代インカの黄金の秘密を嗅ぎつけ、そのために命が危うくなったアメリカのハーヴァード大学の教授が、海の波に託したものだった。そして彼はその通信文入りの瓶を波に託した後、実際に彼はインカに殺されていた。
 その通信文に「黄金の湖」のことが書かれていたのを読んだカイ・ホークは、その湖を発見しようと決心する。ところが彼は軽率にも、「アメリカ・セーリング・クラブ」で、その企てをしゃべってしまう。そこで「蜘蛛」の結社のスパイのチーフ、リオ・シャーの登場となる。彼女は「黄金の湖」で黄金の他に伝説的なダイヤも見つけることができると思う。彼女の一味は夜、カイの住居に侵入し、問題の通信文をかすめ取る。一方カイ・ホークのほうは旅に出て、メキシコのキタンで、気象ステーションを運営していた古い友人のハリーに出会う。ハリーはカイ・ホークを気球に乗っての旅に招待する。カイは大喜びで応じる。というのは「黄金の湖」のある場所と推測しているチリーに、気球で行けると思ったからだった。ところがキタンで彼は、ライヴァルのリオ・シャーにぶつかった。彼女はそこで手下を募っていたのだった。そこでカイ・ホークは盗まれた通信文とその他のドキュメントを、彼女から奪い取った。そして結社の者たちの追跡を逃れて、ある家の倉庫に隠れ、屋根づたいに走って、ちょうどスタートする気球に辿り着いた。そして追ってくる「蜘蛛」の結社よりも、遙かに先行することができた。
 気球の操縦士が古いインカの町の廃墟を遠くから見つけると、カイ・ホークはパラシュートで飛び降り、「黄金の湖」を発見する。するとそこではインカの太陽神の巫女ナエラが、日の出を浴びる儀式の際に、巨大な蛇に脅かされいた。カイ・ホークは彼女を助けた。すると彼女は彼に、急いで安全な場所に逃げるようにと忠告した。というのは二日後に大がかりな夏至際が挙行されるが、その時にはインカの手に落ちた白人は誰でも、太陽神に犠牲として捧げられることになっているからだった。そして彼女は彼を秘密の洞穴に隠した。
 一方「蜘蛛」の結社の者たちも黄金の湖にたどり着いた。そしてリオ・シャーがインカの手に落ちた。彼女がもうすでに太陽神の犠牲にされようとしたとき、カイ・ホークが助けに来た。同時に「蜘蛛」の結社の者たちが神殿を襲撃し、インカたちの殺戮を始めた。彼らはまた黄金の宝を満たした地下の洞穴を発見した。そして彼らが洞穴の中に立っていた聖なるロウソクに火をつけた。だがそのロウソクが燃え尽きると、自動的に洞穴に水が溢れる仕掛けになっていた。「蜘蛛」の結社の者たちは生き残ろうとしてパニックに陥り、お互いに撃ち合って、ほとんどみんな命を落とした。カイ・ホークと太陽神の巫女とリオ・シャーだけが、生きて逃れることができた。
――数ヶ月後。サンフランシスコのカイ・ホークの家に、リオ・シャーがやって来て、愛を告白した。だがカイ・ホークがその間に太陽神の巫女と結婚していた。それを知ったリオ・シャーは絶望して怒り狂った。彼女はカイ・ホークに復讐を誓う。しかしカイ・ホークは笑い飛ばして、彼女を外へ放り出させた。少し経ってから不安な気持ちで町から帰宅したカイ・ホークは、太陽神の巫女が殺されているのを発見した――胸には一匹の蜘蛛がいた。
【解説】これは後世に残ったラングの最初の映画だった。(年代記36.)

1919.10.5
『ローゼ・ベルント Rose Bernd』
アルフレート・ハルム監督、シナリオ:アルフレート・ハルム(初期のゲルハルト・ハウプトマンのドラマによる)、撮影:ヴィリー・ゲーベル
【キャスト】ヘニー・ポルテン、ヴェルナー・クラウス, エミール・ヤニングス, パウル・ビルト
【解説】人間の一生を仮借無く描いた作品の映画化。「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り。

1919.10.23
『フローレンスのペスト Die Pest in Florenz』
オットー・リッペルト監督、シナリオ:フリッツ・ラング、撮影:ヴィリー・ハーマイスター、エミール・シューネマン、装置:ヘルマン・ヴァルム(スタディオ設営)、ヤッフェとヘルマン・ヴァルム(マルクト広場のロケーション)、ヴァルター・ライマンとヴァルター・レーリヒ(ペインティング)、音楽:ブルーノ・ゲレルト
【キャスト】テオドール・ベッカー、マルガ・キールスカ、エーリヒ・バルテルス、ジュリエット・ブラント、エルナー・ヒュプシュ、オットー・マンシュテット、アンデルス・ヴィークマン、カール・ベルンハルト、フランツ・クナーク、ハンス・ヴァルター、アウグステ・プラッシュ=グレーフェンベルク。

1919.11月
『悲嘆の底から De profundis (Aus der Tiefe)』
ゲオルク・ヤコービ監督、シナリオ:ヴィリー・ヴォルフ、ゲオルク・ヤコービ(サヴァージュの『私の公式の妻』による)
【キャスト】エレン・リヒター、ハンス・シュヴァイカルト、マグヌス・シュティフター、マルティン・ハルトヴェヒ、ミセス・ベッティヒャー、フーゴ・フリンク、エミール・ラモー、ポルディ・ミュラー、オルガ・エンゲル

1919.11.6
『不気味な物語 Unheimliche Geschichten』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:リヒャルト・オズワルト(ジョルジュ・マノレスクの小説による)、撮影:マックス・ルッツェ
【キャスト】コンラート・ファイト、エルナ・モレナ、リリー・ローナー
【解説】悪魔と娼婦と死神のファンタスチックな映画。

1919.12月
『もう殺すな! Tötet nicht mehr!』
ループー・ピック監督、シナリオ:ループー・ピック、ゲルハルト・ランプレヒト、撮影:イーヴァル・ペーターゼン、装置:ヴィリー・A・ヘルマン
【キャスト】ループー・ピック、エディット・ポスカ、ヨハネス・リーマン、アルベルト・パトリ、フリッツ・シュルツ、エドワルト・ロートハウアー、ベルンハルト・ゲツケ、ルドルフ・クライン=ローデン、エミーリエ・クルツ、パウル・ビーンスフェルト、パウル・ローコップ

1919.12.4(日本封切り21.11.9)
『花嫁人形 Die Puppe(玩具箱からの愉快な物語 Eine lustige Geschichte aus einer Spielzeugschachtel)』
エルンスト・ルビッチュ Ernst Lubitsch 監督、シナリオ:ハンス・クレーリ Hans Kraly、エルンスト・ルビッチュ(E・T・A・ホフマン作品のモティーフによる)、撮影:テオドール・シュパールクール
【キャスト】オシー・オスヴァルダ Ossi Oswalda(人形)、ヘルマン・ティミヒ Hermann Thimig(ランスロ)、ヴィクトル・ヤンゾン Victor Janson(ヒラリウス)、ヤーコプ・ティートケ Jacob Thiedtke(修道院長)、ゲルハルト・リッターバント Gerhard Ritterband(若い徒弟)、マルガ・ケーラー Marga Kohler(ヒラリウス夫人)、マックス・クローネルト Max Kronert(フォン・シャントレル男爵)、ヨゼフィーネ・ドーラ Josefine Dora(ランスロの子守女)、パウル・モルガン Paul Morgan、アルトゥール・ヴァインシェンク Arthur Weinschenk
【あらすじ】監督のルビッチュ自身が玩具箱から風景や人形を取り出して、きれいに並べると、人形が等身大になって動き始めるというプロローグに続いて、物語が始まる。
 金持ちのフォン・シャトトレル男爵は子供を失って、仕方なく甥のランスロを後継者にする。そして結婚相手を探すが、ひどく内気なランスロは女性を恐れている。結婚を後込みした彼は修道院に逃げ込む。だが彼の叔父が彼のために3万グルデンの持参金を出すことにしていることを知った修道院長は、ランスロを説得して、人形師のヒラリウスに、本当の人間そっくりの人形を作らせ、その人形と結婚し、持参金のほうは修道院に譲り渡すことを承知させる。
 ヒラリウスは自分の娘をモデルにして、生き写しの人形を作る。そこでランスロはこの人形を連れて行こうとする。ところがその時、若い徒弟の不注意で、腕が折れてしまう。ヒラリウスろ弟子は当惑する。それをかばうために娘のオシーが、人形の代役を買って出る。実は彼女は、ひそかに優雅なランスロに目をつけていたのだった。そして巧みに人形に成りすましたが、ネズミが出てくると、彼女は恐慌を来して慌てふためき、人形では無いことがばれてしまう。しかしランスロは彼女が気に入り、目出度く本当に結婚することになる。
【解説】映画『花嫁人形』は、完全に様式化されたおとぎ話である。ルビッチュ自身はこう述べている。「『花嫁人形』は『牡蠣の王女』とは全く違ったスタイルの映画であるが、しかしあらゆる点で大成功だった。この映画は純然たるファンタジ−である。装置はたいていボール紙の箱で作られていた。それどころか、幾つかは紙製だった。今日に至るまで私はこの映画を、自分の作った映画の中で、もっとも着想豊かなものの一つだと思っている」。そこで彼はこの映画に「玩具箱のコメディー」という副題をつけたのだった。
 確かにそれは幻想的なおとぎ話ではあるが、しかしそれだけではなかった。幻想はアイロニーの笑いに包まれている。例えば男爵が仮死状態になったときの相続人たちの争いや、修道院の日常生活の辛辣な風刺がそれである。でっぷり太って、放埒で、貪欲で、怠け者の修道僧たちの生活が、茶化される。そこで当時、「修道院生活を辱める描写」に激高した「カトリック婦人同盟」が、この映画に甲高い抗議の声を挙げた。野暮な話しである。むしろボール紙製の装置だけでなく、俳優たちの演技までが、現実離れした幻想性と滑稽なアイロニーに貫かれている演出の見事さを、鑑賞すべきであろう。例えば幸せなカップ理が、馬車で新婚旅行に出掛けるとき、馬車を引くのは、「馬の皮」の中に入った二人の人間なのである。
 全体としてはこの喜劇映画は、バーレスクのスタイルで製作されている。1919年の「キネマトグラフ」誌は、こう批評している。「愉しい着想と奇抜はトリックの充満は、まことにユーモラスなサブタイトルと相俟って、観客を爆笑させる。若い男が水に落ち、太陽に向かって、その光で彼を乾かしてくれと頼む。すると絵本の中のお話のように、脇の方へ滑って行く雲の背後から、太陽夫人が姿を現して、彼に熱い光りを送る。すると若い男から文字通り湯気が立つ。また別の場面では、彼の心臓がズボンの中へ落ちる(しょげ返るの意)。すると彼は自分の心臓を、長靴から再び取り出して、上着の右の場所に入れる(しっかりしているの意)。大きな、白い、無垢の心臓である。それを見ると人形師のヒラリウス親方の髪の毛が、驚愕のあまり逆立つ。そしてあっと言う間にその髪の毛が白くなる。それから突然再び黒くなる。彼は色ままざまな子供の風船の束に掴まって、空中を飛び、人家の屋根の上を夢見心地で越えて行く。こうした突飛な着想が、この映画にはまだたくさんある。

1919.12.5(日本封切り1922.4.14)
『世界に鳴る女 Die Herrin der Welt』
第一部『黄色い男の女友達 Die Freundin des gelben Mannes』
ジョー・マイ監督、シナリオ:ジョー・マイ、リヒャルト・フッター、ルート・ゲッツ、ヴィルヘルム・レーリングホフ(カール・フィグドルの小説による)、撮影:ヴェルナー・ブランデス、装置:マルティン・ヤコービ=ボーイ、オットー・フンテ、エーリヒ・ケッテルフート、カール・フォルブレヒト
【キャスト】ミア・マイ、ミヒャエル・ボーネン、ヘンリー・スゼ、ハンス・ミーレンドルフ、エドゥアルト・ロートハウザー、パウル・ハンゼン、エルンスト・ホーフマン、パウル・モルガン、ハンス・パガイ、ヘートヴィヒ・ブライプトロイ、ブルーノ・デカルリ、ヘンリー・ベンダー、ヘンリー・サール、ヘルマン・ピハ、ヴィルヘルム・ディーゲルマン、ヴィクトル・ヤンゾン、アレクサンダー・エーケルト、ニエン・ゼン・」リン。
【解説】ジョー・マイのシリーズ映画の第一作。8部構成でモード・グリーンガーズMAUD GREENGARDS(ミア・マイ)の物語りが語られる。シナ、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパを通る冒険的時代旅行。1月末まで毎金曜日に新しい部が映画館にかかった。

1919.12.18
『ハラキリ Harakiri
フリッツ・ラング監督、シナリオ:マックス・ユンク(ジョン・ルーサー・ロングとデイヴィド・ベラスコのドラマ『マダム・バタフライ』による)、撮影:マックス・ファスベンダー、装置:ハインリヒ・ウムラウフ、製作:デークラ映画
【キャスト】パウル・ビーンスフェルト(トクヤワ:大名)、リル・ダーゴヴァー(お竹さん:彼の娘)、ゲオルク・ヨーン(坊主)、マインハルト・マウル(プリンス・マタハリ)、ルドルフ・レッティンガー(カラン:寺院の使用人)、エルナー・ヒュプシュ(キンーベーアラキ:茶屋の所有者)、ケーテ・キュスター(花子:お竹さんの女中)、ニールス・プリーン(オーラフ・J・アンダーソン:海軍士官)、ヘルタ・ヘデーン(エーファ)、ハリー・フランク、ヨーゼフ・レーマー、ローニ・ネスト
【あらすじ】大名トクヤワはヨーロッパでの外交的使命を終えて日本へ帰り、娘のオタケさんにヨーロッパ土産を携えて行く。仏教寺院の坊主はトクヤワが、異国で仏陀への信仰を失ったと非難する。そしてオタケさんを聖なる森で巫女にせよと言う。トクヤワはの決定を娘自身にまかせる。オタケさんは自分は巫女になるのに相応しくないと、坊主に言明する。坊主は彼女を呪って、追い出す。
 三週間後「落葉の祭り」が開催される。坊主はその間にトクヤワのことをミカドに中傷する。使者が派遣され、トクヤワは24時間以内にハラキリによって自分の名誉を回復せよというミカドの命令を伝えて、短剣を授ける。オタケさんが客たちと共に祝っている間に、トクヤワはハラキリをする。坊主はオタケさんを聖なる森に連れて行き、巫女になることを強制しようとする。
 しばらくの間日本に滞在していた海軍士官のオーラフ・J・アンダーソンが、聖なる森でオタケさんと知り合う。別れる時彼は発見され、追跡される。オタケさんは岩穴に閉じ込められる。寺院のしもべのカランがオタケさんを解放し、彼女を長崎のヨシワラの茶屋主キン・ベ・アラキの手に渡す。
 たまたまアンダーソンが友人たちの一緒に茶屋を訪れ、ヨシワラの掟に従って、お金を払ってゲイシャのオタケさんと999日間結婚するという茶屋の主人の提案に同意する。しかし彼の帰国がすでに決まっているので、友人たちはこの結婚を承知しない。カランが二人が生活している家を発見し、それを坊主に告げる。坊主はオタケさんを呪詛し、アンダーソンに追い出される。アンダーソンは出発しなくてはならなくなり、オタケさんに、必ず帰って来ると約束する。
 ヨーロッパに帰ったアンダーソンは婚約者のエーファに、日本土産を見せる。その中には「ある小さいゲイシャ」の写真もある。
 オタケさんはその間に男の子を生む。アンダーソンが出発してから4年経ったので、坊主はヨシワラの掟に従って、オタケさんを再びそこへ連れ戻そうとする。アンダーソンは手紙で息子の誕生を知る。プリンス・マタハリがオタケさんの窮境を知り、侍女のハナケに身請けの金を渡す。 アンダーソンは再び日本へ行くことを求められ、妻となっていたエーファを連れて出発する。オタケさんはアンダーソンの帰りを待っているので、プンス・マタハリの身請けの提議を拒否する。
 アンダーソンの船が入港する。しかし彼はオタケさんを訪ねようとはせず、領事館に宿泊する。坊主がオタケさんから男の子を奪い、彼女をヨシワラに送り返そうとした時、ハナケは領事とアンダーソンに助けを求める。プリンス・マタハリが坊主をオタケさんの住まいから追い出すが、彼の求愛はまたも拒否される。
 ハナケがエーファと一緒に戻って来る。エーファは小さい男の子を引き取ろうとする。オタケさんはアンダーソンに息子を渡そうとする。アンダーソンが領事と一緒に到着して、自分の息子に会っている間に、オタケさんは彼女の父の短剣でハラキリをする。
【解説】ロング/ベラスコのドラマ『蝶々夫人』を翻案した際物映画。ベルリンの「マルモルハウス」で封切り。
 『マダム・バターフライ』とシドニー・ジョーンズのオペレッタ『ゲイシャ』、それに「ハラキリ」する「サムライ」のモチーフは、虚構のエキゾシズムのステロタイプとして、一人歩きするようになっていた。フリッツ・ラング自身大監督としての名声を得た後も、『スピオーネ』(1928)という映画の中で、女スパイの色香に迷って大事な秘密書類を盗まれたルーマニア人のループー・ピック扮する「マツモト」という名の日本の海軍将校に、「ハラキリ」をさせている。クラブントという詩人も同じ時期、鈴木春信の浮世絵に触発されて、「笠森おせん」の伝説を素材にした『ゲイシャ・おせん・日本のモチーフによる芸者の歌」(1918)という模倣詩を作っている。現実の日本と並んで、エキゾシズムの対象としての「ミカド」の国「ニッポン」イメージは、第一次大戦後も健在だった。
 当時のドイツは第一次世界大戦敗戦後の政治上・社会上の混乱の真っ直中だった。文化の次元でも、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』やシュペングラーの『西欧の没落』のような著作がドイツ人の心を捉えたが、他方際物的な雑誌やエロ・グロ映画が氾濫することにもなった。テレビの無い時代の大衆娯楽の王座を占めていたのは映画だったが、ここでは更に外界から隔離され、閉ざされたドイツ人の心に、安直な幻想の夢を与えるエキゾシズムも花盛りだった。そうした作品の一つが、フリッツ・ラングの際物映画『ハラキリ』である。ドイツ表現主義映画黄金時代を代表する大監督の一人ラングも、出発点では混沌とした時代状況の似姿のような作品を制作していたのだった。

1919.12.30
『アルコール Alkohol』
E・A・デュポン、アルフレート・リント監督、シナリオ:アルフレート・リント、E・A・デュポン、撮影:チャールズ・パウルス、カール・ハッセルマン
【キャスト】ハニー・ヴァイセ、ジャン・モロー、アントン・エルンスト・リュッケルト、マリア・ツェレンカ
【解説】アル中の物語。