2005年2月更新 ©hirai tadashi/jmo



1920
1920
『スキーの驚異 Wunder des Schneeschuhs』
アルノルト・ファンク監督

1920
『マリア・マグダレーナ Maria Magdalena』
ラインホルト・シュンツェル監督、シナリオ:(フリードリヒ・ヘッベルのドラマによる)
【キャスト】ラインホルト・シュンツェル、ルシー・ヘーフリヒ、パウル・ハルトマン

1920(日本封切り1921.11.9)
『カラマゾフの兄弟 Die Brüder Karamasoff』
カール・フレーリヒ監督、シナリオ:カール・フレーリヒ(ドストエフスキーの小説による)、撮影:オットー・トーバー、装置:ハンス・ゾーンレ
【キャスト】フリッツ・コルトナー(老カラマゾフ)、ベルンハルト・ゲツケ(イワン)、エミール・ヤニングス(ディミトリ)、ヘルマン・ティミヒ(アレクセイ)、ヴェルナー・クラウス(スメルジャコフ)、フーゴ・フレーリヒ(グレゴリー)、グリュフィッツ・ミレヴスカ(グルシェンカ)、ハナ・ラルフ(カタリーナ)、ルドルフ・レッティンガー、パウル・カウフマン、ヨゼフィーネ・ドーラ、イルムガルト・ベルン、ドリー・アイヒェルベルク、カール・ツィックナー、フランツ・コルネリウス、ハンス・ゼーニウス、ルドルフ・ゼーニウス、フェルディナント・ローベルト
【解説】ロシアの老地主とその三人の息子、ディミトリ、イワン、アレクセイの悲劇的物語。

1920(日本封切り1922.10.6)
『影を失へる男 Der verlorene Schatten』
ローフス・グリーゼ監督、シナリオ:パウル・ヴェーゲナー、撮影:カール・フロイント、装置:クルト・リヒター
【キャスト】パウル・ヴェーゲナー(セバルダス:音楽家)、リュダ・ザルモノヴァ(バーバラ:彼の愛人)、ヴェルナー・ショット、グレタ・シュレーダー、ヴィルヘルム・ベンドウ、アデーレ・ザントロック、ヘートヴィヒ・グートツァイト、レオンハルト・ハスケル、ハンネス・シュトゥルム
【解説】音楽家セバルダスはヴァイオリンの名器が欲しいばかりに、影絵芝居の魔法遣いの口車に乗って、名器を自分の影を交換する。彼の愛人バーバラは、月の光に照らし出された彼の姿に影がないのを見て、気を失うというのが発端。ドイツ・ロマン派作家アーダルベルト・フォン・シャーミッソーの有名な『ペーター・シュレーミールの不思議な話』を翻案した作品。

1920.2月
『黄色の死 Der gelbe Tod』
第一部:カール・ヴィルヘルム監督、撮影:アクセル・グラートクヤーエル
【キャスト】グスタフ・アドルフ・ゼムラー、ローザ・ヴァレッティ、グイド・ヘルツフェルト、ルドルフ・クライン=ローデン、ハンネ・ブリンクマン

1920.2.3
『闘う心(「その女をめぐる四人」)』
フリッツ・ラング監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ
【キャスト】カローラ・トエレ、ルートヴィヒ・ハルタン、ヘルマン・ベットヒャー、アントン・エトホーファー、ルドルフ・クライン=ロッゲ、ローベルト・フォルスター=ラリナガ
【解説】ベルリンの「マルモルハウス」で封切り。

1920.2.6
『蜘蛛(Die Spinnen)』第二部『ダイヤの船 (Das Brillantenschiff)』
フリッツ・ラング監督、シナリオ:フリッツ・ラング、撮影:カール・フロイント、装置:ヘルマン・ヴァルム、オットー・フンテ、ルートヴィヒ・クリムゼ、ハインリヒ・ウムラウフ、製作:デークラ・フィルム
【キャスト】カール・デ・フォークト(カイ・ホーク)、レッセル・オルラ(リオ・シャー)、ゲオルク・ヨーン(蜘蛛の結社の首領)、ルドルフ・レッティンガー(ジョン・テリー:ダイヤモンド王)、テア・ツァンダーThea Zander(エレン:彼の娘)、ライナー・シュタイナー Reiner-Steiner(ダイヤの船の船長)、フリードリヒ・キューネ(アル=ハブ=マー:ヨガ行者)、エドガー・パウリ Edgar Pauly(四本指のジョン)、マインハルト・マウアー Meinhard Maur(中国人)、パウル・モルガン(ユダヤ人)、K・A・レーマー、ギルダ・ランガー。
【あらすじ】「蜘蛛」の結社の者たちは依然として、神秘的なダイヤを探している。アジアで彼らは一人のヨガ行者に出会う。すると彼は結社の者たちに、問題のダイヤはロンドンのダイヤモンド王、ジョン・テリーが持っていると説明する。その間カイ・ホークのほうは、最愛の妻を殺害した「蜘蛛」の結社の者たちを追い続ける。そして彼は警察に、リオ・シャーの住居を手入れさせる。リオ・シャーはうまく逃走する。しかしカイ・ホーク手ぶらで出て来るようなことはなかった。彼はある記録を見つけたが、それはチャイナ・タウンの下にある地下都市への道案内であることがわかった。そこで彼はその地下都市に忍び込み、リオ・シャーが彼女の加担者たちと開いていた会議を盗み聞きする。そして四本指のジョンとやらいう男にダイヤモンド王の屋敷を探らせようとしていることを聞き知る。その上彼は狡知と偶然のおかげで、仕掛けられた罠から逃れる。
 「蜘蛛」の結社の者たちはダイヤモンド王の娘、エレン・テリーを誘拐する。そしてダイヤモンド王に、ダイヤモンドを渡せばエレンを無事に解放するという提案をする。テリーはカイ・ホークに助けを求める。カイ・ホークは船長だったテリーの先祖の残した書類から、ダイヤモンドの隠し場所についての秘密を読み取る。それは大西洋のフォークランド諸島にある。テリーの屋敷を監視していた四本指のジョーも、その秘密を知り、伝書鳩の通信でそれをリオ・シャーに伝達する。その結果フォークランド諸島で、カイ・ホークとリオ・シャーが最後の遭遇をする。まず最初にカイ・ホークがダイヤモンドのある洞穴に到達する。しかし彼は「蜘蛛」の結社の者たちに取り押さえられる。だが夜に火山のクレーターから有毒の蒸気が流れ出て、眠り込んでいた「蜘蛛」の結社の者たちが死んでしまう。くびきにつながれて夜も眼を覚ましていたカイ・ホークだけは、脱出することができた。
 サンフランシスコに戻ったカイ・ホークは、とうとう「マイスター」と称する「蜘蛛」の結社の未知の首領に出会う。その結社にダイヤ探索を委託していたインドの秘密情報機関が、今や彼に不信の念を抱き、彼を監視させる。彼は逃げようとするが、インドの秘密情報機関に殺される。インド人はさらにエレン・テリーも殺そうとする。しかしカイ・ホークと彼女の父親が、最後の瞬間に彼女を救うことができる。

1920.2.26(日本封切り1921.5.13)
『カリガリ博士 Das Kabinett des Dr.Caligari』
ローベルト・ヴィーネ Robert Wiene監督、シナリオ:カール・マイヤー、ハンス・ヤノヴィッツ、装置: ヘルマン・ヴァルム、ヴァルター・ライマン、ヴァルター・レーリヒ、撮影:ヴィリー・ハーマイスター
【キャスト】ヴェルナー・クラウス Werner Kraus(カリガリ博士)、コンラート・ファイト Conrad Veidt(チェーザレ)、リル・ダーゴヴァー Lil Dagover(ジェーン)、フリードリヒ・フェーアー Friedrich Feher(フランシス)、 ハンス・ハインリヒ・フォン・トヴァルドフスキー Hans Heinrich von Twardowski(アラン)、ルードルフ・レッティンガー Rudolf Lettinger(衛生功労医オルファース)、ルートヴィヒ・レックス Ludwig Rex、エルザ・ヴァーグナー Elsa Wagner、ヘンリー・ペータース Henri Peters、アルノルツ Arnolds、ハンス・ランザー=ルドルフ Hans Lanser-Ludolff。
【あらすじ】精神病院の患者のフランシスが、病気仲間と一緒に施設の庭のベンチに座っている。神秘的な体験についての彼の物語に耳を傾けている。白い衣装の女性ジェーンが放心したように彼らの側を通りすぎた時、彼は「あれが私の妻です。私が彼女と一緒に体験したことが、あなたが体験したことより遙に奇妙なことです」と言った。そして彼は彼の物語を話しはじめる。ある日ホルステンヴァルに歳の市がやって来る。たくさんの興行師がやって来たが、その中にはカリガリ博士と自称している奇妙な男もいた。彼は歳の市に自分の場所も割り当ててもらうために、役所の事務室にやって来たが、長いこと待たされ、すっかり怒ってしまう。やっと彼の名が呼ばれた。彼は役所の書記の事務室に飛び込んで行ったが、書記は彼をひどく乱暴に扱い、それから文字通り放り出す。次の夜に役所の書記は殺される。フランシスと彼の友達のアランは、同じ娘ジエーンを愛している。しかし二人はどんな張り合いも断念して、一緒に熱愛している彼女に選択の自由をゆだねることを誓っている。歳の市が開かれると、二人はカリガリ博士の小屋を訪れる。彼はチェーザレという名の夢遊病者を吹聴し、生まれて以来、23年も眠っていて、未来を予言できると言う。フランシスとアランがチェーザレを見ている。そしてフランシスが警告したにもかかわらあず、アランは夢遊病者に、「僕はどれくらい生きられるか」と質問する。チェーザレが口を開き、「明日の朝まで」と答える。朝になってフランシスは、アランが昨晩刺し殺されたと聞き知る。フランシスはカリガリ博士に疑いをかける。しかし警察は何の証拠も発見できない。そして第3の殺人が起き、今度は犯人がすぐ捕まって、罪が証明されると、事件はもう解決したと思う。そして自分は二人の殺人に罪はないというその男の誓いを、信用しようとしない。しかしフランシスはカリガリの箱馬車から、もう目を離さない。彼は車の中をうかがう。チェーザレは棺桶もような容器の中に身じろぎもせずに横たわっている。だが箱の中にチェーザレの人形が横たわっている間に、本物のチェーザレは娘のジェ ーンの寝室の侵入している。ジェ ーンが目を覚ます。彼女は見知らぬ男の姿を見て、叫び始める。奇妙な同情心に妨げられて、チェーザレは彼女を殺そうとしない。そして彼は彼女をベッドから引きずり出して、彼女と一緒に走り去る。父親と近所の人々が彼を追う。フランシスも今は追跡者の仲間になっている。チェーザレは少女を落として、さらに逃げ、畑に出て倒れる。フランシスはカリガリの箱馬車に急いで行く。今度は警察も彼に同行する。警察官が箱を開いて人形を見つける。カリガリ博士はその間に逃げる。フランシスは彼の跡を追い、ある精神病院に着く。フランシスはベルを鳴らす。数人の医師が彼を院長のところへ連れて行く。そして驚いたことに、彼は院長とカリガル博士が同一人物だということを発見する。カリガリの居ないところで、フランシスは助手の医師たちを説得して、彼と一緒にカリガリの秘密の書類を徹底的に調べることができる。彼らは院長がカリガリという名の魔術師の物語に取り組んでいたことを発見する。カリガリは18世紀に夢遊病を媒介にして、たくさんの殺人を犯していたのだった。チェーザレが病院に引き渡された時、院長は彼を殺人の媒体にしようと決意した。この発見と死んだチェーザレを突きつけると、院長は倒れてしまい、拘束衣を着せられる。フランシスは彼の物語を終えた。チェーザレも居住している施設の生活が、そのまま進行する。忍耐強い院長が巡回をしている時、フランシスが彼に襲いかかって、彼を狂った殺人者だと咎め、彼を絞め殺そうとする。「あんたたちはみんな、僕が狂っていると思っている。そうじゃない院長が狂っているのだ!!彼はカリガリだ、カリガリだ、カリガリだ!」彼は押さえ込まれ、独居室に引きずられて行く。院長が彼を診察し、それから助手たちに説明する。「とうとう私は彼の妄想を把握した。彼は私をあの神秘的なカリガリだと思っている! そして今や私は彼を治す方法がわかった」。
【解説】ベルリンの「マルモルハウス」で封切り。「表現主義映画」として特異なセットが戦後の心情を映像化して、ドイツ映画の黄金時代を開いた画期的作品。ジーフリート・クラカウアーが後に主役の形姿に模範例的暴君を認識し、彼の映画史研究に『カリガリからヒトラーへ』(1947)というタイトルを与えた。(年代記39)
【映画評】◇「キネマトグラフ」(1920)第686号――「……ベルリンはもう一つ新らしいキャッチフレーズを持った。「君はカリガリにならねばならぬ」というのである。数週間前から、このいわくありげな定言的命令が、あらゆる広告柱から、人にわめき立て、あらゆる日刊新聞の欄から飛び出す。消息通たちは「あなたはもうカリガリですか?」と、たずねる。以前「あなたは多分マノーリ[注:タバコの商標]とたずねたのと、ほぼ同じように。そして「映画になった表現主義」とか「狂気」とかが、うわさの種となった。さて今やそれが、この最初の表現主義映画が上映されている。そしてそれが精神病院で演じられるという点を除けば、何も狂気の要素を見つけることはできない。人が現代芸術に対してどのような態度を取ろうとも、この場合はそれは、明確にその資格がある。狂った精神の病的な妄想は、これらのゆがんだ、奇妙な幻想的映像の中に、最高度にまで高められた表現を見出している。世界は狂人の頭の中では違った様相を呈し、彼の幻想の人物たちが、部分的には幽霊のような形を取っているように、彼らがその中で動いている環境も、奇怪な相貌を呈する。三角形の窓やドアがある歪んだ部屋、非現実的に曲がりくねった家、こぶのような横町……。ハンドルングは人をハラハラさせ、多くのシーンは直接的に人の心を魅惑し、息づまるような効果をそなえている。例えば殺人のシーン。その場合取っ組み合っている人物たちの影しか見えない(ついでながらそれは、技術的にもすばらしく成功した映像である)。あるいは狂人の花嫁の夢の体験。その中で彼女は夢遊病者に取り押さえられ、めまいするほど狭い道を、屋根越しに引っさらわれて行く。精神病院の中庭の最終場面も、非常に印象深い効果を示す。そこでは狂人は狂乱の発作を起こし、拘禁服で抑えられる。フリッツ・フェーエルはこの狂人を、すばらしい身振り演技で演じている。一般に共演者全員と演技の出来映えはまったく抜群である。カリガリ博士の幻想的な扮装をしたヴェルナー・クラウス、それはそう簡単には真似のできないような逸品である。クラウスと並んで、まったく不気味な印象を与える夢遊病者に扮した、コンラート・ファイトの悪魔的な類型。神経質な人なら、そのために夢の中でうなされるかもしれない。狂人の花嫁は、やさしい美しさをそなえたリル・ダーゴヴァーが扮している。あまり重要な役でも、ルドルフ・レッティンガーと、有名な詩人であり朗読者であるハンス・ハインツ・トゥヴァルドフスキーは、すばらしい。ローベルト・ヴィーネは、いつものように手馴れた監督ぶりを見せ、画家ヴァルム、ライマン、レーリヒと一緒に、輝かしい写真による描写に支えられて、強い印象を生み出している。「デークラ」映画会社はこの最新作品によって、映画芸術がまだ行き詰まってはおらず、さらに発展する新らしい、未知の可能性に向かって開かれていることを証明した。
 「この映画の飛躍を作り出すものは、新鮮さ、思い切った大胆さの雰囲気、不意打ちの魅力など、あらゆる要因が協力して発揮された根源的エネルギーである。熱病の夢が、使い古されていない、まったく新らしい手段によって、意識的に芸術圏内に組み入れられる。凶暴な時代に封切られたこの映画は、まるで熱病夢の効果を発揮する。暗い街路、かなたから響いてくる命令調の号令、どこかからの街頭演説家の甲高い叫びーーそして背景には、街の中央の地区が深い闇から浮かびあがり、急進的な扇動者たちによって占領され、銃の破裂音、一連の兵隊、屋上からの射撃、手榴弾……。
 詩の痕跡がこの映画の中にある。このカリガリ博士は、E・T・A・ホフマンの夢を実現している。彼は故郷も目的もない神秘的な男で、いつもそこにいて、人間に悪魔の麻薬をすすめる。ある決定した意志のないデモンであり、ひとつひとつの身振りに何か不可解な正体不明なものがあり、ひとつひとつお辞儀をしながら上衣のポケットに眠っている毒薬に横目を使っている。そして妖怪的な幽霊に、純粋な獣性が具体化されている。月夜彷徨患者の夢遊病的な正確さ、あらゆる芸術概念を越えた彼岸、ただ、手があり、ただ行為があり、ただひと突きがあるだけだ。監督ローベルト・ヴィーネは、人物を、構成の枠に精神的に適合するようにつとめている。すなわち、心理のない人物、動機を感じられない行動者、単純に激動する力であっても、その歯車が頭脳のなかに見えない人間にしている。
 ヴィーネは、彼の協力者たちが提供した技術的に構成された世界の中に有機的な材料を組み込む努力を払っている。彼は、俳優の有機的な形体を、いわば建築の形式部分のごとく作用する仮面で現わすところまでは、やらなかった。したがって、ちがった原理によって構成された2つの世界が衝突している。有機的なものが、数学的に形成されたものと接触してその統一は不可能にみえるのである。ヴィーネの演出は、この分裂のきびしさを和らげ画家的なニュアンスを見出して、場面の気分でバランスをとっている。
 この気分に基づいて画家たちは、造形している。表現主義の装飾的効果が、非常に正確に感じとられている」(『表現主義の演劇・映画』河出書房、320ページ以下)。
◇ロッテ・H・アイスナー:『表現主義映画芸術の誕生』――「表現主義文学において、きれぎれの言い回しや気ままな文法的倒置として表されている、きわめた激しいコントラストへの傾向や、薄明や神秘の重い影を憧れるドイツ人の生まれつきの性向は、新しい映画芸術においてその理想的な表現を見い出すに違いなかった。動揺や不安が呼び出した幻影は、映画では半ばは夢幻的な姿で、半ばは具体的なリアリティを帯びて、蘇ってくる。感情を分解しようとする精神分析の試み、すべての心理学に敵意を抱く表現主義的世界観の熱狂が、あらゆる時代の中でもっとも混沌としたこの時代において、ロマン主義の幽霊の世界の決して完全には忘れられていなかった神秘主義と出会う。そこでのちになって、表現主義的な様式意思がすでに過去のものとなった時に、全く二流であることが判明する映画監督・例えばローベルト・ヴィーネのケースがそれである・が、実に力強い性質の映画を作るということが、起こりうる。・業務に精通した賢明なプロデューサーであるエーリヒ・ポマーは、台本作者たちが、アルフレート・クービンを映画のセットの作成のために獲得したいという意図を持っていたと語っている。クービンならきっと、ゴヤ風の映像を誕生させたであろう。 あの危険な深淵性を免れて、別の方法で、今日表現主義映画に内在している、幻覚を生じさせる同じ強烈さに達したことであろう。クービンはヤノヴィッツと同じく、あの神秘的なゴーレムの町、プラハの出身だった。そしてヤノヴィッツのように彼は、不気味な中間世界の恐怖を知っていた。・生を取り巻く夢魔のデモーニッシュな創造者であるクービンに、『カリガリ』の装置を考案することが許されなかったのは、残念である。いずれにしてもカール・マイヤーの芸術がすで尋常でないものという刻印を与えていたこの映画のスタイルにとって、印象深い表現主義の装置は決定的であった。しかもローベルト・ヴィーネの演出より遙に決定的であった! 当時萌芽の中に圧殺された革命の反動を感ずることのできたドイツ、経済状態がたいていの人々の精神状態と同様に不安定に見えたドイツにおいては、様式の実験や大胆な革新には全く好都合な雰囲気があった」。

1920.2.27
『輪舞――一つの成り行き Der Reigen』
リヒャルト・オザヴァルト Richard Oswald監督、シナリオ:リヒャルト・オズヴァルト(アルトゥール・シュニッツラーの小説『輪舞』による)、撮影:カール・ホフマン、アクセル・グラートクヤーエル
【キャスト】アスタ・ニールゼン Asta Nielsen(エレナ)、コンラート・ファイトConrad Veidt(ペーター・カルヴァン)、エドゥワルト・フォン・ヴィンターシュタインEduard von Winterstein(アルベルト・ペータース)、テオドール・ロース Theodor Loos(フリッツ・ペータース)、イルゼ・フォン・タッソー=リント Ilse von Tasso Lind(母)、ローニ・ネスト Loni Nest(子供)など。
【あらすじ】エレーナは早くから無軌道になった娘だった。継母は彼女を家から追い出してしまった。というのは彼女があるピアノ教師に惚れてしまったが、彼は結婚相手としては貧しすぎたからだった。彼女はそのピアノ教師の友人を通じて、ペーター・カルヴァンと知り合う。彼は彼女の愛人となり、彼女をキャバレーの歌手にしようとする。そこで彼女はカルヴァンから自由になるために、ある上流階級の家の家庭教師になる。その家の主人が彼女に近づき、妻が死んだ後に彼女と結婚する。するとエレーナは自分の義理の兄弟、アルベルト・ペータースに惚れ込み、彼のほうも彼女を求める。ペーター・カルヴァンが再び姿を現し、恐喝して脅しをかける。そしてエレーナと自分とのかつての関係と彼女のこれまでの遍歴を暴露する。ペータースは彼女を家から追い出す。エレーナは今度は、カルヴァンと一緒に、とある低俗な酒場に登場する。そしてカルヴァンの企んだ陰謀で、兄弟喧嘩になる。するとアルベルト・ペータースは興奮のあまり、卒中の発作を起こして倒れる。エレーナはペーター・カルヴァンを射殺し、自分も毒をあおぐ。やはり彼女を愛しているフリッツ・ペータースがやって来たときには、時すでに遅く、彼女を助けることはできない。
【映画評】◇「デア・フィルム」誌、1920年第10号――「……内容だけでなく、人物像も類型的である。風の中の葦のような女、女たらし、裏切られて夫、不幸な恋人。凡百の新作の中からこの映画を際立たせているのは、オスヴァルトのすぐれた監督の下で、演技が十分な成果を挙げたからである。まだどうやら「駄目」にはなっていない主役のアスタ・ニールゼンに、オスヴァルトは新たな光彩を放つ機会を与えた。またコンラート・ファイトからは辛辣なウイットを引き出したが、それはファイトの形姿に新しいニュアンスを添えたものだった。またヴィンターシュタインの紋切り型の演技を人間性豊かなものに高め、ロースには日常のありふれた体験を、悲劇的な状況にまで盛り上げさせた。映像と装置も、俳優陣の演技同様、すばらしかった」。
◇「キネマトグラフ」誌、1920年第686号――「……ありふれた劇映画。それ以上のものではない。リヒャルト・オスヴァルトにはもっと良い作品があるし、何年も年月を経て、再び過去の冥土から姿を現したアスタ・ニールゼンも、期待はずれだった…。もっとも演技は一貫してすばらしかった。コンラート・ファイトはいつものように抜群で、落ちぶれた音楽家の役に、真の生命を吹き込んでいる。あまり有り難くない役柄のエードゥワルト・フォン・ヴィンターシュタインとテオドール・ロースも、最善を尽くしている。子役の小さなローニ・ネストも、驚くべきものがある」。
【解説】女を追う男たちが次々にたどるプロセスを描いたシュニッツラーのドラマに基づく映画。

1920.3月
『黄色の死 Der gelbe Tod』第二部
カール・ヴィルヘルム監督、撮影:アクセル・グラートクヤーエル
【キャスト】エルンスト・ドイッチュ、マルガレーテ・シェーン、グスタフ・アドルフ・ゼムラー、グイド・ヘルツフェルト、ハンネ・ブリンクマン、オルガ・リンブルク、エンデルリー・レビウス、ルドルフ・クライン=ローデン。

1920.3.9(日本封切り1921.12)
『白黒姉妹 Kohlhiesels Töchter』
エルンスト・ルビッチュ Ernst Lubitsch(→1920年3月12日)監督、シナリオ:ハンス・クレーリ Hanns Kräly、エルンスト・ルビッチュE. Lubitsch、撮影:テオドール・シュパールクール
【キャスト】ヘニー・ポルテン、Henny Porten(二役:グレーテル/リーゼル)、エミール・ヤニングス Emil Jannings(ペーター・クサヴェル)、グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム Gustav von Wangenheim(パウル・ゼップル)、ヤーコプ・ティートケ Jacob Thiedtke(マティアス・コールヒーゼル)
【あらすじ】宿屋の主人マティアス・コールヒーゼルには、二人の娘がいる。姉のリーゼルはおよそ見栄えのしない、ガミガミ屋のぐず女である。妹のグレーテルは反対に人好きのする、魅惑的な、みずみずしい女性である。若者たちはみんなグレーテルの尻を追っかけるが、特にたくましいクサヴェルと控えめなゼップルは、彼女に熱心に求愛する。
 そしてクサヴェルとグレーテルはひそかに思いを交わす。しかし父親のマティアスは農民の風習に従って、姉娘が先に結婚した後でなければ、グレーテルの結婚を許そうとしない。リーゼルの嫌らしい頑固さを考えると、結婚など永久にできないかもしれない。いささか頭の弱いクサヴェルに対して、ゼップルはまずリーゼルに求婚するがいい、そうすれば間違いなくグレーテルを獲得できると説得し、うまうまと成功する。
 クサヴェルはゼップルの忠告に従って、突然リーゼルに求婚する。結婚してから彼女の人付き合いの悪さを理由に離婚し、次にグレーテルを妻にしようというつもりである。いろいろと面倒な結婚の準備の後、結婚式がおこなわれる。それからクサヴェルはじゃじゃ馬馴らしを開始し、まず家の家具を全部窓から放り出してしまう。さらにリーゼルを叱りとばし、それから次々に似たような手荒な行為をする。すると意外なことに、リーゼルは羊のようにおとなしくなり、すっかり可愛らしくなって、理想的な妻に変身する。そしてクサヴェルの愛を求めて、女性らしく身を飾り始める。クサヴェルも今はすっかりリーゼルのほうが良くなり、もう離婚しようとは思わなくなる。こうして二人はすっかり似合いの夫婦になってしまったので、ゼップルはグレーテルと一緒になり、万事目出度しとなる。
【解説】ヘニー・ポルテンが二役を演じたこの農民喜劇について、エルンスト・ルビッチュはこう言っている。「私がドイツ作ったあらゆる喜劇映画の中で、一番人気があったのは、『白黒姉妹』だった。それは「じゃじゃ馬馴らし」をバイエルンの山地に移植したものに他ならなかった。それは典型的にドイツ的な出来事だった」。確かにそれはドイツ的な、いささかぎこちないユーモアの喜劇であり、少々強引だった。
 『白黒姉妹』の舞台は雪の中である。というのはルビッチュがウインタースポーツに熱中していたからだった。それに年に四本乃至五本というハードな製作スケジュールをこなしながら、同時にスキー休暇も取るという二律背反を解決するためには、時折撮影の仕事をウインタースポーツの可能は所でやる他はなかった。そこでルビッチュには雪の映画がたくさんあることになった。『リュージュのナイト』、『白黒姉妹』、『雪のロメオとユリア』、『山猫リュシカ』などなど。
 そしてルビッチュはそうした背景を様式的に使いこなす手練の点では、追随を許さなかった。例えば控えめなゼップルがモミの木の梢の下に渡した板の上に座って、遙か下の遠くに立っているクサヴェルと親しい対話を交わす場面がそれである。この並んで立つ二本のモミの木は、天までとどくほど高く、しかもてっぺんまですっかりむき出しである。たまたまそこに聳えていた木であるにしても、まるでそれは一個の様式的なセットとして、その風景の中に植えられたかのような印象を与える。
 あるいは結婚式の後のダンスの場面。ダンス・フロアの大がかりなセットは、あらゆるニュアンスの素晴らしい濃淡の照明に照らし出されている。その様式化された舞台を、エミール・ヤニングス扮する新婚のペーターが、錯乱したように凶暴に円を描きながら、彼のじゃじゃ馬新婦をポルカで引きずり回す。彼は周囲に立って見物している人が驚いて後ずさりしていく真ん中へ、足を踏みならしながら突進して行く。農民の踊りが、観客の視覚も聴覚も麻痺してしまうほどに激しく振り付けられ、様式化さされている。
 だがこうした典型的にドイツ的なコメディーにおいてすら、ヒロインがいわばドッペルゲンガー(二重人格)であることは、注目に値する。それはヘニー・ポルテンが二役を演ずることによる、単なる喜劇的効果などではない。『分身』、『プラーグの大学生』以来、ドイツ映画の本質的特徴とも言うべき「引き裂かれた二つの魂」という設定が、コメディーにおいてすら踏襲されているのである。二つの魂を持っているのは、『分身』のハラース博士や『プラーグの大学生』のバルドゥインといった男性だけではない。女性ももまた二つの魂に引き裂かれているのである。そこには当時のドイツの集団的無意識に根ざした、深いコンプレックスがある。さればこそヘニー・ポルテンの二役が、喜劇的効果以上の印象を与えるのである。喜劇映画ですら魂の亀裂を基盤としているところに、業の深さがあると言える。
 そのためかどうかは別として、この素材はドイツでは成功間違いないテーマと評価され、再三にわたって再映画化された。1930年にはハンス・ベーレント監督で、すでに四十歳になっていたヘニー・ポルテンが、またもやヒロインを演じた。1943年には、クルト・ホフマン監督、ヘリー・フィンケンツェラー主演、1955年には、ゲーザ・フォン・ボルヴァリ監督、ドリス・キルヒナー主演、そして1962年にも、アクセル・フォン・アンベッサー監督、リーゼロッテ・プルファー主演でリメイクされた。

1920.3.12
『雪のロメオとユリア Romeo und Julia im Schnee』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:ハンス・クレーリ、エルンスト・ルビッチュ、撮影:テオドール・シュパールクール
【キャスト】ヤーコプ・ティートケ、ロッテ・ノイマン、グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム、ヨゼフィーネ・ドーラ、ユリウス・ファルケンシュタイン
【解説】愛し合うことを許されない二人が意志を通すコメディー

1920.4.16
『ゴルデンハルの夜 Die Nacht auf Goldenhall』
コンラート・ファイト監督、シナリオ:マルガレーテ・リンダウ=シュルツ、ヘルマン・フェルナー、音楽:パウル・クルシュ
【キャスト】コンラート・ファイト、グシー・ホル、エスター・ハーガン、ハインリヒ・ペール

1920.4.30
『アッカー街の娘 Das Ma*dchen aus der Ackerstrasse』
ラインホルト・シュンツェル監督、シナリオ:ボビー・E・リュトゲ、アルツェン・フォン・チェレピー(エルンスト・フリードリヒの小説による)、撮影:クルト・クラント
【キャスト】オットー・ゲビュール、リリー・フロール、ラインホルト・シュンツェル
【解説】大都市ドラマ。

1920.5.12
全国映画法(REICHSLICHTSPIELGESETZ)公布
【解説】すべての映画は公開前に映画検閲局(Prufstelle)で許可を受けねばならないという規定。施設はベルリンとミュンヒェンに設置。ライヒの内務省の下部組織(年代記38)

1920.7.8
『せむしの男と踊り子 Der Bucklige und die Tänzerin』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:カール・マイヤー(彼の『緑の接吻』という草稿による)、撮影:カール・フロイント、装置:ローベルト・ネパッハ
【キャスト】ザッシャ・グーラ(ギーナ:踊り子)、ヨーン・ゴットウト(ジェームズ・ウィルトン:せむしの男)、パウル・ビーンスフェルト(スミス:金持ちの独身男)、アンナ・フォン・パーレン(スミスの母親)、アンリ・ペータース=アルノルツ(パーシー男爵)、ベラ・ポリーニ(踊り子)
【あらすじ}嫉妬と復讐の物語。貧困とせむしの体に打ちのめされていたジェームズ・ウィルトンが、あらゆる種類の富と神秘的な美容の霊液を携えて、ジャワ島旅行から戻って来る。そして踊り子のギーナと出会うが、彼女は年輩の愛人スミスと仲違いしていた。そこでウイルトンは彼女にその霊液を与える。ギーナはスミスと和解し、彼と婚約する。だが霊液を使い切ってしまったので、彼女はせむしに霊液をもっと与えてくれと頼む。嫉妬に駆られたウイルトンは、新しい霊液に毒の粉を混ぜる。それは彼女の唇に触れた者は誰でも死んでしまう毒だった。そのためスミスは奇妙な痙攣を起こして死んだ。ギーナは疑念を抱いた。彼女の次の愛人パーシー男爵にも中毒の症状が現れたとき、彼女は急いでウィルトンのところへ行く。するとギーナに対して情熱の虜になっていたせむしは、彼女から無理に唇を奪い、それから解毒剤で毒を中和しようとする。しかしギーナは彼の手からさっと瓶を奪い取り、愛人のところへ急ぐ。ウィルトンは死ぬ。

1920.8.26(日本封切り1923.2.8)
『ジェキル博士とハイド氏(ヤヌスの頭)Januskopf』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:ハンス・ヤノヴィッツ(ルイス・スティーヴンソンの小説『ジェキル博士とハイド氏』による、撮影:カール・フロイントカール・ホフマン
【キャスト】コンラート・ファイト、マルガレーテ・シュレーゲル、ヴィリー・カイザー=ハイル、ベーラ・ルゴジ、マルガレーテ・クップファー、グスタフ・ボッツ、ヤーロ・フュルト、マグヌス・シュティフター、マルガ・ロイター、ランザ・ルドルフ、ダニー・ギュンター
【解説】現実の周辺での悲劇(ベルリンの「マルモルハウス」で封切り)クラカウアーp79

1920.12.14(日本封切り1924.12.5)
『寵姫ズムルンSumurun』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:ハンス・クレーリ Hans Kräly、エルンスト・ルビッチュ Lubitsch(フリードリヒ・フレクザのオリエンタル風パントマイムによる)、撮影:テオドール・シュパールクール、技術指導:クルト・シュヴァネック、美術:クルト・リヒター。製作 :ウニオン=ウーファ
【キャスト】ポーラ・ネグリ Pola Negri(踊り子)、イエニー・ハレスクヴィスト Jenny Hallesqvist(ズライカ)、アウト・エゲデ・ニッセン Aud Egede Nissen(ハイデー)、パウル・ヴェーゲナー Paul Wegener(老族長)、ハリー・リートケ Harry Liedtke(ヌラルディン)、カール・クレーヴィング Carl Clewing(若い族長)、エルンスト・ルビッチュ Ernst Lubitsch(せむし)、マルガレーテ・クップファー Margarete Kupfer(老婦人)、ヤーコプ・ティートケ Jacob Tiedtke(宦官)、パウル・ビーンスフェルト Paul Bienfeldt(アクメッド)、パウル・グレーツ Paul Graetz(召使い)、マックス・クローネルト Max Kronert(召使い)
【あらすじ】場所は9世紀のバグダッド。旅興業の一団が町へやって来る。舞姫(ポーラ・ネグリ)、せむしの道化師(エルンスト・ルビッチュ)、老婆(マルガレーテ・クップファー)といった面々である。せむしは踊り子を愛しているが、舞姫は彼の嫉妬心をかき立てて、面白がっているだけである。そして舞姫は、老族長(パウル・ヴェーゲナー)のために新しい舞姫ズムルンを探している奴隷商人アクメド(パウル・ビーンスフェルト)の後について行く。現在の寵姫ズムルン(イェニ・ハッセルクヴィスト)は、若い織物商人ヌル・アル・ディン(ハリー・リートケ)を愛しているので、族長から自由になりたいと望んで、奴隷商人のアクメドに、新しい寵姫探しを頼んだのである。
 ところが舞姫がまだ族長の宮殿に着かないうちに、族長の息子(カール・クレーヴィンク)と出会ってしまう。族長に息子は一目見てすぐにこの舞姫に惚れ込み、ヌル・アル・ディンを通じて、彼女に高価な贈り物をする。しかし舞姫はこの贈り物より、それを持参したヌル・アル・ディンの方に関心を示す。だが彼は言い寄った彼女から逃れ、それによってせむしから感謝される。一方老族長は、寵姫のズムルンに不貞の疑いをかけ、死刑の判決を下す。すると族長の息子が、ズムルンに言い寄ったのは自分だったが、彼女は自分をはねつけたと誓言して、彼女を救う。
 ところが老族長は舞姫の踊りを見ると、すっかり気に入ってしまい、彼女を新しい寵姫にしてしまう。彼女を失って絶望したせむしは、丸薬を飲んで仮死状態に陥る。老婆が彼を見つけて、その「死骸」を袋に詰め込む。それをヌル・アル・ディンの雇い人たちが、何か金目のものが入っているものと思いこんで、盗んでいってしまう。この袋はヌル・アル・ディンの倉庫から、老族長のための大きな納品と一緒に、宮殿に運び込まれる。更にもう一つ別の箱には、ヌル・アル・ディン自身がひそんでいる。
 老族長が夜、眠り込んでしまうと、彼の息子が今や父の寵姫となった舞姫のところへ忍んでくる。二人が抱擁し、愛し合っていると、その現場を押さえた老族長は、怒り狂って二人を殺してしまう。それを仮死状態から目覚めたせむしが、なすすべもなく眺めている。そのすぐ後で老族長は、今度はズムルンとヌル・アル・ディンが抱き合っているいるのを見つけて、愕然とする。彼はヌル・アル・ディンを襲って、殺そうとする。その瞬間、背後からせむしのあいくちが彼を刺す。せむしは愛する舞姫の殺害に復讐したのである。暴君は死んだ。ズムルンとヌル・アル・ディンは、永遠に結ばれる。一方せむしは宮殿の門を開いて、ハレムの女性たちを解放し、自らは再び放浪の旅芸人の生活に戻っていく。
【解説】アラブの族長とバザールのエキゾシズムの世界での踊り子の物語(ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り)。
 この映画は、1910年に当時ドラマ演出の帝王だったマックス・ラインハルトが、ベルリンの「カンマーシュピーレ」で創始したパントマイム・バレー「ズムルン」に基づいて製作された。バレーのほうは「騒々しく、風格のない、ダラダラした見世物と酷評されたにもかかわらず、観客には大受けに受けて大成功をおさめ、国の内外でしばしば模倣上演された。繰り返された上演の配役には、せむしに扮したルビッチュも入っていた。さらにラインハルトの演出は、それを正確に模倣しようとする内外の劇場からの要望で、舞台そのままに撮影された。それゆえS・クラカウアーが、「1910年夏に、ラインハルトのパントマイム『ズムルン』が映画化されたが、それは2000メートルの長さにわたって、元の舞台での上演の正確な複製を与えることによって、観客を退屈させた」と述べているのは、いささか的はずれである。
 ところでポーランドのワルシャワの大劇場での上演では、アポローニア・カルペッツが舞姫に扮して、熱狂的な喝采を浴びた。彼女に注目したラインハルトは、彼女をベルリンに呼んで、自分のオリジナルの舞台に登場させた。そしてこのポーランド女性は、ドイツではポーラ・ネグリという名で大スターとなった。つまりこの映画は、舞台の「ズムルン」での二人のスターが、一人が監督兼俳優として、一人は魅惑的な舞姫として、舞台をスクリーンに移した映画だった。元来醜男だったルビッチュが俳優を志願したとき、二枚目役は無理だと、最初から、釘をさされていた。そして与えられた一番の大役が、「ズムルン」のこのせむし男だった。ルビッチュとしては因縁があったわけである。
 一方映画女優となったポーラ・ネグリは、ルビッチュ映画に起用されたことで、スターとなった。『カルメン』(1918)、『呪いの眼』(1918)、『パッション』(1919)にも主演して、すっかり人気女優となった。その結果彼女は、1923年にルビッチュ共々アメリカに招かれ、ハリウッドでもスターとして大いにもてはやされた。
 映画自体はもちろんラインハルトの舞台を基礎としているが、ルビッチュのコスチューム・プレイ風の味付けによって、ニヒルな気分の漂うものとなり、当時の観客の心をとらえた。ラインハルトからルビッチュは、「おどけた着想、色彩豊かな大舞踏、光りの技巧、官能を喜ばせる法外な幻想的シーンの氾濫などへの偏愛」を受け継いだ。しかし完全な映画作家だったルビッチュは、映画的直感と魅惑力を具えた彼独自の視線で、人物や画像を捉えた。ヘルベルト・イエーリングは「ベルゼンクーリール」紙に、こう書いた。「ルビッチュは動きや移行を強化し、エスカレートさせ、そして個々の流れを中断する。大群集のうごめく姿。そこでは彼は完璧であり、あふれるばかりの乱費と即興がある。個々の点ではルビッチュは、喜劇映画監督としてきわめて着想に富んでいる。彼が宦官や召使いや奴隷女を映像的に処理するときには、まことに機敏であり、その映像は楽しい」。
 実際この映画の核心は、ショーとしての面白さであり、その点では今日でも色あせてはいない。思想的な意味となると、問うだけ野暮というものであるが、S・クラカウアーは真正面からこう言っている。「ルビッチュの映画の真の意義をうかがわせる一つのヒントが、『寵姫ズムルン』の中で、ルビッチュがせむしを演じている事実のうちに与えられている。当時の彼としては、彼自身が一役買って出演するのは、まったく例外的なことであった。族長を刺し殺して、ハレムの女たちをすべて解放したあとで、せむしは、大殺戮の場面から盛り場の見世物小屋へ帰って来る。〈彼はまた踊ったり跳ねたりしなければならない。民衆は笑いを求めているから〉と、ウーファの解説書は述べている。恐怖を冗談にまぎらわせてしまう手品師を自分と同一化することによって、ルビッチュは、彼も一役買って創り出したこの流行が、冷笑とメロドラマ的な感傷性の配合から発しているという印象を、無意識のうちに深めている。メロドラマの味付けは、映像に含まれたこのシニシズムの口当たりを良くするのに役立っている。その根源をなしているのは、世の中の出来事に対する虚無的な観点である。それは、ルビッチュの映画やその亜流が、貪欲な支配者を殺してしまうばかりではなく、人生において価値を持つすべてを代表する若い恋人たちをも破滅させてしまうような、きびしい結末与えていることからも知ることができる」。
【エピソード】「ルビッチュは数年来、もう芝居をやっていない。彼は店員モーリッツも、もう演じていない。何と言ってもルビッチュは、それを演じるにはもう少々歳を取りすぎている。ということはとにかくおいても、ウーファの監督がこの役をまだ演じ続けるのは、実際問題としても、まずいことでもあろう。彼はもちろんまだ30歳にはなっていなかったが、しかしもう若者でもない。彼はもう太った紳士で、いつも太い葉巻を吸っている。彼は今や大監督である。
 彼は俳優がどのように演じなくてはならないかを、自ら示してみせる術を、誰にもひけを取らないほど良く心得ている。それをやって見せるとき、彼は稀にみるほどの変身の才能を持っていた。だというのに、彼は何故また自分で演じないのか? 俳優たちに演じ方を毎日やって見せている彼が、何故大観衆に、また何かをやって見せようとしないのか?そこで彼は、せむしの男の役を演じる。そしてそれは失敗だった。
 どのように役を演じなければならないかを良く知っている彼、俳優からあらゆる余計なものを取り除く彼が、自分自身からはまったく何物も取り去らず、まったく何も除去しようとしない。彼は思う存分暴れる。彼は一人の嫉妬深いせむし男を演じる。彼は眼をぎょろぎょろさせる。彼は手真似で話す。彼は撮影装置の中を走り回る。彼の俳優たちは、それをけげんな面もちで観察する。偉大な小男ルビッチュは、彼らに禁じていることを自分は全部やっていることが、一体わからないのだろうか? 彼は無節制に、まさに厚かましく誇張して演じていることが? 彼はとにかく、映写室でフィルムを見るのだ!しかし、彼はおそらく、他の俳優を見るようには、自分を見ることことはしないのだろう。彼はポーラ・ネグリにこう言う。〈僕はぜひまた映画に出よう……本当は僕には、そのほうが監督をするより面白いんだ!〉
 ネグリは仰天してルビッチュを見つめる。エルンスト・ルビッチュはあらゆる時代を通じて最大の映画監督だと、彼女は確信している――この確信を彼女は、30年経ってもなお抱き続けていた――。彼は、一人の俳優の中に何がひそんでいるか、その俳優自身よりもよく知っている。ただ自分に対してだけは、彼はいつも無批判なのた。ルビッチュは続けて言う。〈ねえ、本当は僕はいつも俳優でいたいと思っていたんだ。本当にそうなんだ。監督するのは面白い。確かに僕はそれが好きだ。しかし、自分で演じる、これはまったく別物だからね!〉
 ベルリン第一の「ウーファパラスト・アム・ツォー」での封切りは、すべての人々にとって大成功である。とりわけエルンスト・ルビッチュが、観客からアンコールを受ける。俳優たちは互いに顔を見合わせる。信じられるか? 一体観客にはわからないのか? 観客が、あのような田舎臭い、大げさな演技にだまされるとしたら、全身全霊を傾けて演技することに、まだ意味があるのだろうか? 〈ルビッチュ! ルビッチュ!〉と、人々は叫ぶ。そして何度も何度も、ポーラ・ネグリとハリー・リートケが、カーテンの前へ現れる。ルビッチュは脇に立っている。〈さあ、出て行けよ、君たち!〉と、彼は言う。だがリートケが言う。〈だけど、彼らはあんたを呼んでいるんだ!〉 ルビッチュは真っ青である。〈君たちにそう思えるだけさ〉。だが観客は叫んでいる。〈ルビッチュ!ルビッチュ!〉〈一体あんたには、あれが聞こえないの?〉と、ネグリが彼を呼ぶ。〈あなたは一緒に出なければいけないわ〉。だがルビッチュはつぶやく。〈僕はその気はない…それは無意味だ…〉。そして突然、彼は怒りを爆発させる。〈君たちは一体、僕がどんなにひどかったか、わからないのかね?〉
 カーテンの後ろで彼は沈黙している。〈ルビッチュ!ルビッチュ!〉と、観客は熱狂して呼ぶ。ルビッチュは惨めな気持ちである。〈なるほど、僕の俳優たちはこうだったのか〉。彼は額の汗を拭う。そして彼は、二度と役を演じようとはしなかった」(クルト・リース『ドイツ映画の偉大な時代』)。

1920.9.2(日本封切り1922.10.20)
『ゲニーネ Genuine』
ローベルト・ヴィーネ監督、シナリオ:カール・マイヤー、撮影:ヴィリー・ハーマイスター
【キャスト】フェルン・アンドラ、エルンスト・グローナウ、ハラルト・パウルゼン
【解説】奇妙な家に閉じこめられた女の悲劇。『カリガリ』の監督の映画ということで注目されたが、期待はずれ。クラカウアーp98

1920.9.3
『エカチェリーナ女帝 Katharina die Grosse』
ラインホルト・シュンツェル監督、シナリオ:ボビー・E・リュトゲ、ラインホルト・シュンツェル、撮影:カール・フロイント
【キャスト】ルディー・ヘーフリヒ、ゲルトルート・デ・ラルスキー、ラインホルト・シュンツェル、イルカ・グリューニング、ルーツィエ・ヘーフリヒ
【解説】ロシア女帝の物語。

1920.9.24
『夕―夜―朝 Abend... Nacht... Morgen』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:ルドルフ・シュナイダー=ミュンヘン、撮影:オイゲン・ハム
【キャスト】ブルーノ・ツィーナー(チェストン)、ゲルトルート・ヴェルカー(モード:花柳界の高級娼婦)、コンラート・ファイト(ブリルバーン・彼女の弟)、カール・フォン・バラ(プリンス:賭事好き)、オットー・ゲビュール(ウオード:探偵)
【解説】ムルナウ監督の探偵映画。

1920.10.13
『サラメアの審判官 Der Richter von Zalamea』
ルートヴィヒ・ベルガー監督、シナリオ:ルートヴィヒ・ベルガー(スペインの劇作家カルデロンの戯曲による)、撮影:アドルフ・オットー・ヴァイツェンベルク、装置:ヘルマン・ヴァルム、エルンスト・マイファース
【キャスト】アルベルト・シュタインリュック(ペドロ・クレスポ)、リル・ダーゴヴァー(イザベル)、ハインリヒ・ヴィッテ(ドン・アルヴァロ)、アグネス・シュトラウプ(キスパ)、エルンスト・ロートムント(レボレド)、ロータル・ミューテル(ファン)、エリーザベト・ホルン(イネス)、マックス・シュレック(ドン・メンド)、エルンスト・レーガル(軍曹)、ヘルマン・ファレンティン(ドン・ローペ将軍)
【あらすじ】ドン・アルヴァロ大尉が農夫ペドロ・クレスポの家に宿営する。クレスポは自分の娘イザベルと姪のアルヴァロを上の階に隠す。だがドン・アルヴァロはイザベルを盗み見る。そして彼女の部屋に侵入しようとするが、クレスポと彼の息子に妨げられる。ドン・ローペ将軍は大尉にクレスポの家から立ち退かせ、夜が明けたらザラメアを立ち去るよう命ずる。アルヴァロはしかしイザベルを誘拐して、強姦する。クレスポがザラメアの裁判官に選出される。アルヴァロがイザベルと結婚することを拒んだとき、クレスポは彼を逮捕する。ドン・ローペ将軍はアルヴァロを軍法会議の審判に委ねさせたいと希望する。するとクレスポは村落の集会所の扉を開かせる。そこにはアルヴァロが絞殺されている。ファンが彼を裁いたのだった。国王はクレスポが正しい行動を取ったと決定する。そして改めて彼を終身の審判官に任命する。イザベルは修道院に入る。ファンは将軍の許に勤務する。国王が平民の名誉を守ってくれた。

1920.10.29(日本封切り1923.10.23)
『巨人ゴーレム DER GOLEM, WIE ER IN DIE WELT KAM』
カール・ベーゼ、パウル・ヴェーゲナー共同監督、シナリオ:パウル・ヴェーゲナー、ヘンリック・ガレーン、撮影:カール・フロイント、装置:ハンス・ペルツィヒ、製作:ウニオン映画社
【キャスト】パウル・ヴェーゲナー Paul Wegener(ゴーレム)、アルベルト・シュタインリュックAlbert Steinrück(ラビ・レーフ)、リュダ・ザルモノヴァ Lyda Salmonova(彼の娘ミリアム)、エルンスト・ドイッチュ Ernst Deutsch(レーフの学僕)、ハンス・シュトゥルム Hanns Sturm(老ラビ)、オットー・ゲビュール Otto Gebühr(皇帝)、ロータル・ミューテル Lothal Müthel(フロリアン伯爵〈ユンカー〉)、ローニ・ネスト Loni Nest(小さな少女)、マックス・クローネルト Max Kronert、ドーレ・ペッツォルト Dore Paetzold、グレタ・シュレーダー Greta Schröder
【あらすじ】16世紀のプラハの町のユダヤ人居住区の精神的指導者であるラビ(律法学者)のレーフは、今しきりに星辰を観察している。彼は言う。「星によれば間もなく、大きな災いがわれわれユダヤ人の身に降り掛かろうとしている」。そしてまさに皇帝がユダヤ人に対する布告を発しようとしていた。「ユダヤ人に対して申し立てられた数多くの告訴に鑑みて、朕は居住区のユダヤ人を遅滞なく国外に追放することを命ずる」。
 ラビのレーフは「我らを救うためには、あの恐ろしい大魔王アスタロトの口から、ぜひとも土で作られた人間ゴーレムに、新しい生命を吹き込む呪文を聞き出さねばならぬ」と言う。そこへ皇帝の使者のフロリアン伯爵が、ユダヤ人居住区の長老に伴われてやって来る。レーフが星を占って、二度も皇帝を災厄から守った自分のために、皇帝への内々の言上を頼む。レーフの娘ミルヤムの美しさにすっかり参った伯爵は、あっさり頼みを引き受ける。戻ってきた彼は、「そちの長年の功績に免じて、特に目通りを許す。その折り、そちの魔法をもう一度見せるよう命ずる」という、皇帝に手紙を持って来る。
 その間にレーフは大魔王アスタロトを呼び出し、恐ろしい生命を与える言葉を聞く。そしてその指示に従って、粘土像の胸に魔法の呪文を書いた護符を置くと、巨人ゴーレムは目を覚ます。そして巨大な力を備えた召使いとして、レーフに仕える。バラ祭りの日となり、レーフはゴーレムを連れて宮殿に出かける。フロリアン伯爵はミルヤムに、「君のお父上がお城に着いたら、僕はこっそり抜け出して君の家に行く。目印に君の部屋の窓にランプを灯して置いてもらいたい」という手紙を届ける。宮殿ではレーフが皇帝や廷臣にゴーレムを紹介し、みな驚きの目を見張る。フロリアンは城を抜け出し、ミルヤムの手引きでその部屋に隠れる。
 皇帝から魔法を見せよと求められたレーフは、「私達の遠い祖先の行列をご覧に入れます。私達の民族を、より良く理解して頂きたいためです。その代わり、どなたも声を立てたり、笑ったりしてはなりません」と言って、荒れ野を行くユダヤ人の幻を見せる。最後に永遠のユダヤ人アハスファエルスが登場すると、宮廷は警告を忘れて哄笑に包まれる。すると幻が消え、壁が振動し、梁が落ちる。そして大広間の天井が抜けてみんな押しつぶされそうになる。皇帝が「早く助けてくれ、さすればそちの民を手厚く保護致すであろう」と叫ぶと、レーフはゴーレムに命じて天井を支えさせる。皇帝は感謝してユダヤ人の追放を取り消す。
 喜んだレーフは急いで帰宅し、「皇帝が我らの民族の保護を約束された。喜びの角笛を鳴らし、わが同胞を眠りから起こすがよい」と告げた。そして「ゴーレムよ、お前の使命は終わりを告げた。お前は再び土塊に戻らねばならぬ」と言って、ゴーレムの胸の五芒星を外す。ゴーレムは再び粘土像に帰る。レーフの学僕はミルヤムの部屋を叩き、「お嬢さん、お起きなさい。一緒に集会場に行きましょう」と誘う。ところが中からフロリアン伯爵の声が聞こえる。嫉妬に狂った学僕は粘土像に五芒星を当てて、ゴーレムの生命を再び蘇らせる。そして「ミルヤムの部屋に誰かが忍び込んでいる。お前が行って追い払うのだ」と命ずる。
 だが再度蘇生したゴーレムはコントロールが効かない。戸を破って部屋に入ったゴーレムはフロリアンを掴まえると、家の塔の上から投げ落として殺してしまい、家に火を付けて燃え上がらせた上、ミルヤムの髪の毛を掴んで、外へ連れ出してしまう。シナゴーグで感謝の祈りを捧げていた人々が、「火事だ!」の叫びで外へ出てみると、火はユダヤ人居住区に襲いかかっている。群衆はレーフに、「どうか私たちを救って下さい。炎を消す呪文を唱えて下さい」と懇願する。レーフは願い通り火を鎮める。他方ゴーレムはユダヤ人居住区を囲む崖の下に行き、そこに気絶したミルヤムを横たえる。そして居住区の正門に向かって行って、それを破壊する。門の前で遊んでいた子供達は驚いて逃げて行くが、取り残された可愛い女の子は、ゴーレムに近づいてリンゴを差し出す。ゴーレムが彼女を抱き上げると、彼女はゴーレムの胸の五芒星に目を付けて、全く無邪気にそれを外してしまう。ゴーレムは巨体を前後に揺るがせ、女の子は彼の腕から滑り落ちる。それからゴーレムは仰向けにばったり倒れる。
 集会所から帰ったレーフは「ゴーレムはどこだ」と探し回り、それが元の粘土に戻っているのを見つけて、神に感謝する。「今日、三度まで我らの民をお救い下されたエホバの神に感謝の祈りを捧げまつらん」
【解説】二番目のゴーレム、ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り(ハンス・ペルツィ ヒとクルト・リヒターがテンペルホーフのウーファ・ゲレンデに、中世のプラハを作った。ユダヤ人伝説がドイツ・ロマン派と幻想的なものについてのヴェーゲナーのヴィジョンを生み出した)
 カバラの秘法によって生命を吹き込まれる粘土像ゴーレムのユダヤ伝説は、今世紀ではまず1908年に、当時有力だった劇作家アルトゥール・ホーリチャーによって劇化されて上演された。文学史からも消えてしまったホーリチャーのこの「ゴーレム」劇は、グスタフ・マイリンクの小説「ゴーレム」と、ヴェーゲナーとヘンリック・ガレーンの映画『ゴーレム』を生み出す触媒となった。小説と映画はどちらも1914年に同時に作られたが、相互にまったく関係がなかった。しかしまったく別種類の作品ではあっても、それは伝説を現代化して蘇生させた点では、同じ意義を持っている。マイリンクの小説は、当時のプラハを舞台としている。そして一人称に語り手は、夢の中で宝石彫刻師アタナジウス・ペルナートとなるが、ペルナートはまたゴーレムと一致する。それは「ユダヤの伝説と、テレパシーやオカルティズムに関する当時の報道、プラハのアンダーグラウンドや地方的物語といったものの切れ端で、多彩に織り成された、無比の紛糾劇である」。したがってそれは、伝説のゴーレム物語とは違った種類の作品だと言える。
 他方すでに1913年製作の映画『プラーグの大学生』によって、プラハのユダヤ人ゲットーの環境や伝説に親しんでいたパウル・ヴェーゲナーは、この彼の最初のゴーレム映画で、16世紀のラビ・レーフとゴーレムとの物語を題材にしようとした。しかしプロデューサーが異議を唱え、経済的理由から、「現代的な」ドラマを求められた。その結果出来上がった映画は、プラハのユダヤ人居住区で掘削の仕事をしていた労働者が、巨大な粘土像を発見し、古物商のところへ持って行くという、現代物に変更されてしまった(1936年にフランスのジュリアン・デュヴィヴィエが、そのトーキー版を作った)。それはいわば、1920年の『ゴーレム』映画の、一種の後日物語である。
 こうして後日物語の後に、1920年に、いわば前日物語が作られることになったわけであるが、この方がずっと深みのある作品となった。前作では現代に置き換えられたミルヤムとフロリアンの密通劇が前面に出て、メロドラマ調が濃厚だったが、今度ははっきりと想像力の世界が物語になった。「不気味なもの」と「非現実的なもの」の力、『プラーグの大学生』で示された中世のプラハの町の雰囲気の魅力が、新らたな形で再構成された。なぜならこの映画のプラハの町は、『プラーグの大学生』のように、実際の町のロケではなく、表現主義の建築家として有名なハンス・ペルチヒの作ったセットだったからである。直線のほとんどない、斜線と曲線とぎざぎざの角という、まるで表現主義のモデルのような線によって構成された、この「虚構」の中世のメルヘン世界は、ドイツのサイレント映画のセットの模範となった。
 パウル・ヴェーゲナーは封切りの前に、こう説明した。私の友人、建築家のペルチヒが構成したのは、プラハではない。それは一つの町の詩、一つの夢、ゴーレムというテーマへの建築学的なパラフレーズである。この横町や広場は、何ら現実的なものを想起させるものではない。それはゴーレムが呼吸している雰囲気を作ろうとするものである」。そして建築による詩としての映画のこのヴィジョンは、この映画によって実に見事に実現されたので、ヘルベルト・イエーリングはこう批評した――「パウル・ヴェーゲナーは『ゴーレム』の監督として、身振り演技的なものと具象的なものとの間の均衡を発見した。ハンス・ペルチヒは彼のために、プラハのゲットーを完全に作り上げた。そしてそれによって俳優を創造的にする背景を作った。ヴェーゲナーとペルチヒは、自然のあらゆる偶然性を排除した、厳密に構成された映像だけが、映画にとって未来を持つことを証明した。実際の町、実際の風景の撮影は、美しく、興味深いであろう。俳優をも場景のセットに組み込む有機的感覚は、特定の映画のために作られた、厳密に律動化された映像だけを許容することができる。新らしい『ゴーレム』がこのことを『カリガリ』の後に、『ゲヌイーネ』の後に確認したことは、決定的だった。ヴェーゲナーはドイツ映画のために、他の誰よりも以上のことをした。『ゴーレム』は中世の物語に打ち勝って、その雰囲気を与えた最初の映画である」。もっとも今日ではこの映画は、ペルチヒのセットをも含めて、単に表現主義的なものとは見なされていない。ユーゲントシュティールの要素も指摘されている。ペルチヒとスペインの建築家アントニオ・ガウディとの親近性も指摘されている。いずれにしてもこの映画が、画期的なものだったことは間違いない。
【映画のセットと建築家】第一次世界大戦の疲弊のために、本当の建築の依頼を受けることができなくなったドイツの建築家は、少なくとも建築に関係があるように見えるメディアに関心を抱いた。その際映画はさまざまな理由で、興味ある分野だった。一つには映画が「民衆」を捉えていたことである。民衆との触れあいを求める者は、革命的建築家も含めて、映画を無視できなかった。そしてパウル・ヴェーゲナーのような映画人の誘いを受け入れて、映画と造形とグラフィックと文学との間をつなぐ輪を作ろうとする、一種の文化革新の運動が生まれた。それにはペーター・ベーレンスやブルーノ・タウトといったドイツ工作連盟のメンバーも含まれていた。
 そしてブルーノ・タウトすら、映画を自分のユートピア的なガラス文化を吹き込むためめの媒体として使うことを考えたこともあった。しかし映画との関係を実りあるものにしたのは、ハンス・ペルチヒのほうだった。『ゴーレム』はその成果である。ペルチヒはベルリンのテンペルホーフの野原に、補強したしっくいで作った一つの町全体をセットした。ゲットーを囲む城壁、泉、そして54軒の家。曲がりくねった路地の家々の突き出した出窓、傾いた切り妻、中世さながらの部屋部屋ーーその幾つかはペルチヒがベルリンに作った「大劇場」の流儀によって、鍾乳石風の意匠で飾られていた。カタツムリの殻のように重なって、ぐるぐる回りながら上昇するスパイラル的階段、ひどくもつれ、デフォルメっされた細部は、俳優がいなくても、それ自身言語を語っていた。ペルチヒは、「建物がユダヤなまりでしゃべった」と言った。
 このコーナーにも秘密が潜んでいるように見えた。同時にそれはアクションのためにデザインされた構築物だった。つまり重なり合ったファサード、異様な通路、突然の高低の変化、階段、踊り場、高台といったセットは、運動を誘うものだった。だが『ゴーレム』における空間の扱い方は、カンバスの背景という手法から連想される『カリガリ』の手法とは、まったく異なっている。『ゴーレム』のセットは完全に三次元であるが、『カリガリ』が国際的に『ゴーレム』より有名になったため、人々は三次元のほうが例外であると信じた。しかし『カリガリ』の監督ローベルト・ヴィーネ自身が、『罪と罰(ラスコルニコフ)』においては、三次元のセットに立ち返っている。つまり問題は二次元か三次元にあるのではない。『カリガリ』の場合も、『ゴーレム』の場合も、それが幻想性の豊かな空間を創出することに成功していることが、重要なのである。
 その結果としてセットはサイレント映画ならではの、特別に際立った役割を果たすことになった。つまりセットは俳優と対等になり、欠如している言語の代わりに、メタファーとしての役割を引き受けることになったのである。『ゴーレム』のセットは、そうしたメタフォリックな空間の典型と見ることができる。

1920.12月
『スキーの驚異 Das Wunder des Schneeschuhs』
アルノルト・ファンク監督、撮影:ゼップ・アルガイヤー、アルノルト・ファンク
【キャスト】ハンネス・シュナイダー、エルンスト・バーダー、ゼップ・アルガイヤー、アルノルト・ファンク、ベルンハルト・ヴィリンガー。
【解説】アルノルト・ファンク独特の山岳映画の誕生を記念するファンク最初の長尺作品。

1920.12.14(日本封切り1923.4.27)
『デセプション(アン・ブーリン)Anna Boleyn』
エルンスト・ルビッチュ Ernst Lubitsch監督、シナリオ:フレート・オルビング Fred Orbingことノルベルト・ファルク Norbert Falk、ハンス・クレーリ Hans Kräly、撮影:テオドール・シュパールクール
【キャスト】ヘニー・ポルテン Henny Porten(アン・ブーリン)、エミール・ヤニングス Emil Jannings(ヘンリー八世)、パウル・ハルトマン Paul Hartmann(ヘンリー・ノリス卿)、ルートヴィヒ・ハルタウ Ludwig Hartau(ノーフォーク公爵)、アウド・エーイエゼ・ニッセン Aud Egede Nissen(女官ジェーン・シーモア)、ヘートヴィヒ・パウリ Hedwig Pauly(王妃キャサリン)、ヒルデ・ミュラー Hilde Müller(王女メアリー)、マリア・ライゼンホーファー Maria Reisenhofer(レディ・ラフォード)、フェルディナント・フォン・アルテン Ferdinand von Alten(マーク・スミートン)、アドルフ・クライン Adolf Klein(ウルジ枢機卿)、パウル・ビーンスフェルト Paul Biensfeldt(宮廷道化師)、ヴィルヘルム・ディーゲルマン Wilhelm Diegelmann(カンペッジョ枢機卿)、フリードリヒ・キューネ Friedrich Kuhne(クレイマー大司教)、カール・プラーテン Karl Platen(医師Arzt)、エルリング・ハンゾン Erling Hanson(パーシィ伯爵)、ゾフィー・パガイSophie Pagay(乳幼児看護婦)、ヨーゼフ・クライン Josef Klein(ウイリアム・キングストン卿)
【あらすじ】英国王ヘンリー八世は道楽者で大食漢、女に眼がなかった。ノーフォーク公爵の姪アン・ブーリンは、ヘンリー・ノリス卿と愛し合っていたが、ある日、偶然ヘンリー八世の目にとまる。一目でアンが気に入った王は、以来機会がある毎に、自分の恋情を示すようになる。アンは応じなかったが、恋人のノリス卿が王とアンの関係を邪推して彼女を疎んじたので、やむを得ず王の求愛に応じる。
 しかしヘンリー八世にはすでに王妃キャサリンと王女メアリーがいた。アンと結婚するため王妃キャサリンを離婚した王は、それを認めないローマ法王に反抗して、アングリカン・チャーチを創設して、自らその首長にとなった。そしてウエストミンスター寺院で、王はアンと華やかな結婚式を挙げた。式に向かう二人を見に集まって、歓呼する群衆の波。
 こうしてアンは王妃となったが、幸福は長続きしなかった。王には男子がいなかったので、世継ぎの王子を生むことが期待されていた。アンの懐妊を喜んだ王は、生まれたのが女子だったため、すっかり失望してしまう。そこへ女官のジェーン・シーモアがアンに対抗するように姿を現し、王の寵はアンを離れてジェーンに移っていく。さらに比武で重傷を負ったノリス卿とアンとの道ならぬ関係を誹謗する声が王の耳に達した。怒った王はアンをロンドン塔に幽閉して、裁判にかけさせる。ノリス卿は彼女の無実を証言するする前に死ぬ。彼女は叔父であるノーフォーク公を長として開かれて法廷は、彼女に不貞の罪で死刑の判決を下す。こうして槿花一朝の夢ののち、アンは断頭台の露と消える。
【解説】エルンスト・ルビッチュは第一次世界大戦前は、軽妙なドタバタ喜劇映画のコメディアンとして人気を博していた。ところが大戦後は、敗戦と飢餓の中で苦しい生活を送っていたドイツ国民に、豪華絢爛たる夢を贈ることで成功をねらったウーファ映画社のダーフィトゾンに起用されて、超特作『パッション』を製作することになった。それはフランス革命を背景に、フランス王の寵姫デュバリー夫人の栄華と没落を描いた歴史物の豪華映画だった。当時としては破天荒な数のエキストラと豪華な衣裳やセットを使って製作されたこの作品は、国内だけでなく国外でも大ヒットした。ねらいが当たったダーフィトゾンは、柳の下のどじょうをねらって、フランス王の宮廷をイギリス王の宮廷に変えて、もう一本歴史物の超特作を製作することを、ルビッチュに持ちかけた。こうして出来上がったのが『デセプション』だった。ルビッチュはさらに1921年に『ファラオの恋』を製作しており、これが一般にルビッチュの歴史劇三部作と呼ばれている。
 この三作品では、ルイ15世、ヘンリー八世、ファラオを演じた主演男優は、エミール・ヤニングス一人だったが、主演女優はいずれも違っていた。デュバリー夫人を演じた妖艶なポーラ・ネグリは、スターとして日の出の勢いだった。そこで『デセプション』のアン・ブーリンには、ヘニー・ポルテンが起用され、いわばイギリスという違った舞台で、ポーラ・ネグリのデュバリー夫人と競うことになったのだった。
 ルビッチュは『パッション』をしのぐ大掛かりなセットをこしらえ、「850万マルクを費やして、ヘンリー八世の性生活を精細に描写し、宮廷の陰謀、ロンドン塔、二千人のエキストラ、その他幾つかの歴史上のエピソードなどを織り込んだ華やかな背景によって、それを飾り立てた」。そして『パッション』と違って、「与えられた史実をあまり歪めることなく、歴史を専制君主の私生活の欲望の断崖のように見せることができた。ここでも、やはり、専制君主の欲望が優しい愛情をめちゃめちゃにしてしまう。――雇われた騎士がアン・ブーリンの愛人を殺す。そして最後には、彼女みずから断頭台にのぼってゆく。凄惨な雰囲気を強めるために、拷問のエピソードが挿入されてくるが、それをある昔の批評家は、〈中世の恐怖と無情な死の刑罪の簡潔な表現〉であると呼んだ」。
 一般に批評家は、『パッション』と『デセプション』を比較した場合、『パッション』のほうに軍配を挙げる。しかしヤニングスはフランス王よりイギリス王のほうがぴったりしていた。そして豪華な衣裳と洗練された映像の構成の点では、『デセプション』はまkとに目を奪うものがあった。良くも悪くも、そこにこの映画の眼目があった。ロッテ・アイスナーは『デモーニッシュなスクリーン』の中で、こう書いている。「ルビッチュにとっては歴史は、その時代の豪華な衣裳で映画を撮るための絶好の機会以外の何物でもない。絹、ビロード、豊かな刺繍が、以前既製服店員だったルビッチュの肥えた目を、有頂天にしたのである。その上この生まれつきのショーマンは時代劇において、センチメンタルな恋愛物語を、メロドラマ風の群集の動きや、ねじ曲げられた歴史的事件と混ぜ合わせる結構な可能性を感じた」。つまり有名な戴冠式の行列の場の群集シーンも、こうした可能性を最大限に発揮させるために設定された目玉だったのである。
 それゆえ『パッション』あるいは『デセプション』は、旧敵国の英仏をひそかに誹謗するものだという、封切り当時の国外の反応は、ルビッチュに関する限り、およそ的はずれだったと言える。この問題については、イェルツィ・テルプリッツがその『映画史』の中で、こう書いている。「真実は中間にある。〈ウニオン・ウーファ〉社が映画『パッション』を企画したとき、チーフのパウル・ダーフィトゾンは、この映画が全世界で上映されることを、つまりフランスや戦時中反ドイツ同盟に属していた他の国々でも上映されることを、計算に入れていた。この予想は当たった。ウーファ社の金融ボスである仏頂面のアルフレート・フーゲンベルクは、この映画を巧妙な反仏プロパガンダと評価した。そしてフランスがすでに不利な光りを当てられているときに、どうしてイギリスをも同じように扱っていけいないわけがあろう。こうしてチューダー王朝の生活を扱った映画『デセプション』を撮るというアイデアが生まれた」。
【エピソード】「二千人のエキストラは、二千人の失業者である。今は良い時代ではない。敗戦のもたらした結果は、誰の目にも明らかである。人々は空腹で、職がない。その結果賃金は安い。二度とウーファは、このような安いエキストラ使うことは決してないだろう。そしてルビッチュは彼らを、ますますたくさん必要とする。戴冠式の行列のために彼は、ヤニングスとヘニー・ポルテンに歓呼をおくる五千人もの男女を要求する。戴冠式の行列は壮大な見物なので、ウーファの宣伝担当者は、政府のメンバーを数人、この撮影を見物するよう招待した。大臣らは、よくあるように少々遅れ、こちらは到着を待たなくてはならない。やっと紳士方が見物席に座った。そこでルビッチュは開始の合図をおくる。ところが行列は動かない。何が起こったのか? 失業者たちは、大臣たちに気がついたのだった。これが彼らには、まさしくデモ行進に理想的な機会だと思われた。戴冠式の行列を組む代わりに、彼らは槍を構えて、政府に向かって進む。ヤニングスとヘニー・ポルテンに向かって歓呼する代わりに、彼らは政府のメンバー向かって口笛を吹いて、ヤジをとばす。それからシュプレヒコール、「仕事をよこせ!仕事をよこせ!」
 政府の紳士方は、それを違う風に考えた。彼らは見物席からあたふたと逃げ去る。その後すぐ、彼らを乗せて、車がスタートする音が聞こえる。もう行ってしまった。他の人々も去ってしまった。ルビッチュと彼の助手たち、ヤニングスとヘニー・ポルテンの裳裾を持っている八人の小姓たち。だたヘニー・ポルテンは動けないので、逃げられない。彼女の着ている服は、たいへん重い金襴緞子でできている。それは彼女自身よりも重い。彼女は八人のお小姓たちなしには、一歩も歩けない。そこで彼女は立ちつくしている。〈民衆〉は彼女に向かって殺到するだろうか? 彼女は膝ががくがくする。ぐるりと怒った顔が取り囲み、こぶしが威嚇的に振り上げられる。彼女は目を閉じる。見てはいけない!そのとき、数本の手が彼女の肩に置かれる。〈怖がらんで、ヘニー。あんたには何もせん。あんたは可愛い、ちっちゃな女の子だ!〉。傭兵に扮した何人かが、地面から彼女の裳裾を持ち上げたので、ヘニー・ポルテンはようやくのことで、自分の楽屋へたどり着くことができた」(クルト・リース:『ドイツ映画の偉大な時代』)。
 映画は「ベルリン・新聞連盟」の慈善興行として、ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」でプレミアがおこなわれ、平土間には多くの貴顕が列席した。最後にアン・ブーリンの首が転がる場面でエンドとなった(年代記38)。

1920.12.25
『さまよえる像 Das wandernde Bild(「雪の中の聖母」Madonna im Schnee)』
フリッツ・ラング監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ、フリッツ・ラング、撮影:グイド・ゼーバー
【キャスト】ミア・マイ(イルムガルト・ヴァンデルハイト)、ハンス・マール(双子の兄弟ゲオルク/ヨーン)、ルドルフ・クライン=ローデン[クライン=ロッゲ](ヴィル・ブラント:双子の兄弟の従兄弟)、ロニ・ネスト、ハリー・フランク
【解説】ヨーンは双子の兄弟のために愛する女性から身を引いて、山地の孤独の中に隠棲する。ある日彼は通りすがりに聖母像を見て、聖母の像が動き出したときに戻って来ると誓う。そののち聖母の像は雪崩のために流される。その同じ雪崩の中でイルムガルトは迷子を救う。人々は聖母自身がこと奇跡を生じさせたのだと思う。ヨーンはさまよえる聖母の像のところ戻る契機を見る。ベルリンの「タウエンティーンパラスト」で封切り。

1921
1921(日本封切り1923.6.4)
『無名の怪傑 Der Mann ohne Namen』
ゲオルク・ヤコービ監督、レクラム:フィルムレキシコンp173

1921
『マノン・レスコー Manon Lescaut』
フリードリヒ・ツェルニーク監督、シナリオ:ベアーテ・シャッハ、カール・グルーネ(アベ・プレヴォーの小説による)、装置:アルトゥール・ギュンター
【キャスト】リュア・マラ(マノン・レスコー)、アルマ・グリューンケ(マノンの母親)、ヴァルター・ゲーベル(マノンの兄弟)、エドヴィン・シェーファー(ティベルジュ)、リヒャルト・ゲオルク、ユリウス・ブラント。

1921
『山との戦いで Im Kampf mit dem Berge』
アルノルト・ファンク監督、シナリオ:アルノルト・ファンク、撮影:ゼップ・アルガイヤー
【解説】記録映画。

1921.1.21
『夜のプロムナード Gang in die Nacht』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:カール・マイヤー(デンマークのハリエット・ブロッホの映画台本(『勝利者』)の自由な脚色、撮影:マックス・ルッツェ
【キャスト】オーラフ・フェンス(アイギル・ベルネ教授)、エルナ・モレナ(彼の婚約者ヘレーネ)、コンラート・ファイト(盲目の画家)、グドルン・ブルーン・シュテッフェンセン(リリー、踊り子)、クレメンティーネ・プレスナー。
【あらすじ】婚約者ヘレーネを連れて、とあるキャバレーに入ったとき、ベルネ教授は、足を怪我した称している踊り子リリーのところへ呼ばれる。彼女はもうかなり前から、この医師の注意を自分に向けさせようとしていた。そして彼女はベルネをだまして、誘惑することに成功する。彼はヘレーネを捨てて、リリーと結婚し、彼女と一緒にある漁村に引っ込む。散歩の途中で二人は、たびたび一人の若い盲目の画家に出会う。ベルネは手術をすれば、彼の眼を治すことができると思う。そして手術が成功したのち、快復させるために彼を自分の家に迎える。ヘレーネが重い病気にかかっていると聞くと、彼は彼女のところへ急ぐが、しかし家に入れてはもらえない。帰途に彼はリリーとあの若い画家に出会うが、二人はすでに親密な愛情で結ばれていることがわかる。そこでベルネはリリーと別れて、町へ戻る。ある日リリーは、もう有名な眼科医になっていたベルネを訪ね、再び失明した画家を助けてくれるよう頼む。しかしベルネはリリーに、彼女がもういないという状態なら、画家の治療をして治してやろうと、冷酷に言い放つ。だが彼がわれに帰ったとき、リリーはもう姿を消していた。リリーに向かって投げつけた言葉を思い出した彼は、悪い予感を抱いて彼女のところへ急ぐ。しかしもう遅かった。恋人を救うために、リリーは自ら命を絶っていた。そして盲目の画家はベルネの助けをことわった。リリー無しでは、彼には人生はもう何の価値もないからだった。そしてベルネも翌朝、自分の書き物机に突っ伏して死んでいるのが見つかった。
【解説】踊り子の誘惑に屈して妻を捨てた眼科医が、目の見えない画家に踊り子を取られ、再び失明した画家の手術を拒んで二人を死に追いやり、自分も死ぬというこの悲劇は、『せむしの男と踊り子』の後の、ムルナウと脚本家カール・マイヤーとの、二番目の共同作品である。それはヴィリー・ハースが作品評でも言うように、外的現実を内的ヴィジョンに変容させて、内面的なリズム感で裏打ちした作品となっている。そして表現主義から〈室内劇映画〉へ移行したドイツ映画の萌芽をも読みとることができる。抑制された演技にもかかわらず、強い緊張感に満ちた映像は、一般にムルナウがのちに傑出した監督になることを、すでに示唆していると評価されている。
 もっともそれは過大評価であって、この作品は内容的には通俗的な月並みでしかなく、形式的にはサイレント映画特有の、取って付けたようなパトスにはまり込んでいるという酷評もある。しかしそうした酷評すら、自然描写のもたらすリズムの力強さは認めている。明暗の強烈なコントラストから生ずる映像美はすばらしい。
 主役のオーラフ・フェンスについては、「デア・フィルム」誌が当時、「彼の抑制された表現手法は注目に値する」と賞賛していた。しかしこれもサイレント映画時代に特有の演技の型に過ぎないという評価もある。ともかくこの映画は、評価が甚だしく割れている作品である。
【映画評】1920年12月14日付け「フィルムクーリール」誌――「……この映画を見て、どんな印象が残ったか? 実にすばらしく音楽的なものが残った。愛し始めた一人の男と一人の女が互いに向き合って、お茶を飲むとき、そして二人がなごやかな部屋の空気の中で、ガス灯の許で深く甘く呼吸し、その間外では雨が降り、風が吹いているときがそうである。あるいは彼がその後で、彼女の手にキスするとき、そして彼女が後ろにもたれ、震えながら腕を広げるときがそうである。あるいはもう一人の女性、捨てられた許嫁が、花模様のソファに横になっているとき、疲れ、病んで、まったくあきらめて大変静かに、そして許嫁に関する些細な記事が載っている小さな新聞の短信を、繰り返し枕の下から取り出すときがそうである。あるいは目の見える男が盲目の男の側を通り過ぎ、大声で「僕は君の奥さんを殺した!」と叫ぶときーーしかし盲目の男は、悲しみのために凍り付いてしまった顔つきで、そこにじっと立ちつくしている…。ここではわれわれは著作家の芸術がどこで終わり、監督のそれがどこで始まり、俳優たちのそれがどこで始まるのか、それはわからない。すべてが入り混じって映像を生育したのだ。すべてが互いに混じり合っている。すべてが完成していて、他の表現はできはしない。カール・マイヤーが書いたスリプトはーー一つの文芸作品である……彼が追い立てるように、息を切らせて、二様の意味を暗示しながら、急いで一節を駆け抜けていく技量は、信じがたいものがある……。ムルナウの演出は? 実際、映画の才能について語るときには、われわれはどこでも、ムルナウのそれを考えていたと言ってよい…」(ヴィリー・ハース)。

1921.2.3
『戦う心 Ka*mpfende Herzen(女をめぐる四人 Die Vier um die Frau)』
フリッツ・ラング監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ、フリッツ・ラング(R・E・ヴァンローのドラマによる)、撮影:オットー・カントゥレック、装置:エルンスト・マイヴェルス、ハンス・ヤコービ
【キャスト】カローラ・トレレ(フロレンス・イケム夫人)、ルートヴィヒ・ハルタウ(ハリー・イケム氏:故買人)、ヘルマン・ベトヒャー(フロレンス・イケム夫人の父親)、アントン・エトホーファー(ヴェルナー・クラフト:フロレンスのかつての婚約者/ウイリアム・クラフト:彼のきょうだい)、ルドルフ・クライン=ロッゲ(アプトン:盗品収受罪を犯している者)、ローベルト・フォルスター=ラリナガ(モーニエ)、リリー:ローラー(第一の侍女)、ハリー・フランク(ボビー)、レオンハルト・ハスケル/パウル・レーコップ(二人のやくざ)、ゴットフリート・フッペルツ(給仕長)、ハンス・リュプシュッツ(ならず者)、リーザ・フォン・マルトン(マルゴット)、エーリカ・ウンルー(売春婦)、パウル・モルガン(ならず者)、エドガー・パウリ(目立たない人)、ゲルハルト・リッターバント(新聞売りの少年)

1921.2.9(日本封切り1922.12.3)
『女ハムレット Hamlet』
スヴェン・ガツェ(Svend Gace)、ハインツ・シャル(Heinz Schall)監督、シナリオ:エルヴィン・ゲパルト(シェイクスピアではなく、ノルウエーの伝説による)、撮影:クルト・クラント、アクセル・グラートクヤーエル
【キャスト】アスタ・ニールゼン、パウル・コンラート、マティルデ・グブラント、リリー・ヤコブソン
【解説】家庭劇。アスタ・ニールセンがハムレットを演じた映画プレミア(批評はよそよそしく「愚者のための映画」と酷評したが、しかし大成功だった)(年代記40)

1921.4.7
『フォーゲレット城 Schloss Vogelöd』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:カール・マイヤー(ルドルフ・シュトラッツの同名の小説による)、撮影:フリッツ・アルノ・ヴァーグナー
【キャスト】アルノルト・コルフ(フォーゲレット城の城主フォン・フォーゲルシュライ)、ルル・キューザー=コルフ(ツェンタ、彼の妻)、ロータル・メーネルト(ヨハン・エッチュ伯爵)、パウル・ハルトマン(ペーター・パウル・エッチュ伯爵)、パウル・ビルト(ザッフェルシュテット男爵)、オルガ・チェホヴァ(ザッフェルシュテット男爵夫人)、ヘルマン・ファレンティン(退職地方裁判所判事)、ユリウス・ファルケンシュタイン(気の小さい紳士)、ゲオルク・ツァヴァツキー(見習いコック)、ローベルト・レフラー(家令)、ヴィクトル・ブリュートナー(ファラムント神父)、ヴァルター・クルト・クレー(召使い)、ローニ・ネスト(子供)
【あらすじ】フォーゲレット城で狩猟の会が催される。だが雨の多い10月の天気のために、まだ遠出ができない。思いがけずヨハン・エッチュ伯爵が城に姿を現す。ザッフェルシュテット男爵夫人も夫と一緒に来ることになっているので、城主は伯爵に出発するよう勧めてみるが、無駄である。男爵夫人は、エッチュ伯爵の殺された兄弟の夫人だったのである。エッチュ伯爵には、自分の兄を殺したのではないかという疑いがかけられている。出会いを避けるために、男爵夫人は到着後、すぐに出発しようとする。彼女の最初の夫の遠い縁者であるファラムント神父も来ることを聞いて、はじめて彼女は留まる決心をする。神父を知っている者は誰もいない。真相を究明しようと思っているエッチュ伯爵は、ファラムント神父に変装して現れる。男爵夫人は彼に告解をしょうとする。彼女はまず彼に、ペーター・パウルとの結婚生活について語る。パウルはある旅行から帰って来ると、まったく人が変わってしまっていた。彼は自分の全財産を貧しい人たちに分配しようとし、そのため彼の兄と口論になった。ここで彼女は話を中断し、翌日になってから先を話そうとする。夜、彼女が神父を呼ばせると、彼は姿を消している。狩猟の一行が出発する際、彼女はエッチュ伯爵を責めて、彼が兄弟のパウルを殺したのだと言う。ファラムント神父が姿を消したことを、退職地方裁判所判事は、エッチュ伯爵と関係があるとする。しかし神父が再び姿を現し、男爵夫人は告解を続ける。それを聞くと、神父は仮装を取って、エッチュ伯爵として正体を現わし、男爵夫人がにせのファラムント神父である彼に打ち明けたことを、男爵に告げる。男爵は、必ずしも彼女が無関係とは言えない不幸な資産状況のために、ペーター・パウル伯爵を射殺したのだった。男爵は自殺する。その時、本当のファラムント神父が、ローマから到着する。
【解説】この作品は当時ドイツで広く読まれていた通俗的な「ベルリナー・イルストリールテ」誌に掲載されたのち、「ウルシュタイン・ブック」の一冊として、巨大な部数を売ったルドルフ・シュトラッツの小説を映画化したものだった。ということはムルナウがその精巧な映画言語によって、彼自身の里程標でもあり、映画史上の古典の位置を占めるような作品を作るための原作としては、いささか貧弱な小説だったということである。
 しかし『ノスフェラトゥ』を作ることになるムルナウは、さしたることもないこのスリラー小説から「無気味なもの」が迫ってくる雰囲気を汲み取ることに成功している。それにしてもムルナウは、この映画を僅か16日間で撮り上げたのだから、驚きである。シャルル・ジャミューはこの映画について、こう書いている。「この作品は、ムルナウ監督が、、まったく外面的なファンタジー(『ジェキル博士とハイド氏』)、自然主義的なドラマ(『せむしと踊り子』)、探偵映画(『夕方…夜…朝』)、そして室内劇(『マリッツァ』)といった気楽な因習的作風に背を向けた、最初の映画であるように見える。そのためには現在へ向けての転換があった。
 時は1911年である。ムルナウの世界が形を成してきた。ドイツの反革命によって動揺させられたこのサロンの屈折した雰囲気は、私には、まったく別の対決の口実となっているように思える。装置は、情熱を抑えられた諸人物が動き回る心象風景の、モデルとしての役を果たしている」。実際、ヘルマン・ヴァルムの作成したフォーゲレット城のセットは、雰囲気を出すのに大変役立っている。
 さらにカール・マイヤーのシナリオも、そうした気分をあらかじめ細部に至るまで定着させている。例えば「告白」というシーンは、その典型である。ヴィリー・ハースは「フィルム・クーリール」誌に、こう書いている。「この映画には、〈告白〉というタイトルのシーンがある。〈巨大な、天井の高いホールに、愛のために人殺しをした殺人者が、その恋人と一緒にいる。二人はまったく動かない。まるで彫刻のように)ーー映画が始まって以来、このような場面が示されたことは稀である」。
 「さらに言えば、ムルナウの様式の中で独特なのは、本来の行為そのものとはあまりつながりを持っていないグロテスクなシーンが、とことどころに挿入されることである。城の台所でボーイはつまみ食いをしたために、コックに平手打ちをくらう。するとボーイはその夜、自分が台所にいてファラムント神父から、つまみ食いをするための鍵をもらい、鍵の中に指を入れるたびにコックの頬をひっぱたく、という夢を見る。もうひとつのシーンでは、けづめのついた手が窓から部屋に入ってきて、自分を雨の中に連れ出そうとする悪夢に悩まされる城主の場合である。これらのシーンをフロイディズムの影響と指摘するのは易しいが、ムルナウの場合、ただそれだけでないのは、それらのグロテスクなシーンがいわゆる現実の時間とないまぜになってしまって、ひとつの世界をつくりだしてしまう天与の才能のあることである」(『ドイツ表現派映画回顧上映第4・5期パンフレット』、5ページ)。 この結婚の秘密暴露の悲劇は、ベルリンの「マルモルハウス」で封切られた。
【映画評】1921年「キネマトグラフ」第739号――「……他ならぬ心的なものを表現し、外面的なセンセーションを放棄することに、F・W・ムルナウの演出が成功したこと、それがこの映画の特別な強みである。演出はさまざまな気分とまったく調子が合っている。太陽と雨と嵐を伴った外面の雰囲気は、常に城の住人たちの間を支配している気分を再現し、城そのものと同じように、きわめて微妙な心の動きを媒介している。そして城は明るく照らし出された正面によって、時には楽しんでいる一行を、時には夜の闇を照らしているたった二つの窓によって、心配が重くのしかかっている時間を示唆する。ここでは、すばらしい効果を発揮する新らしい表現手段が発見されている。日が照っている時に出発し、その後すぐ土砂降りの雨の中を帰って来る狩猟の一行の映像は、実にすばらしかった……。城の内部の空間は控えめな華やかさと気品のある映像を示しているが、特に構成上においてそうだった。そして一般的に映画全体が、映像においても演技においても、映画のどんなまやかしの輝きをも避けている……」。

1921.4.12(日本封切り1925,1.30)
『山猫ルシカ Die Bergkatze』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:ハンス・クレーリ、エルンスト・ルビッチュ、撮影:テオドール・シュパールクール
【キャスト】ポーラ・ネグリ(リュシカ:盗賊団首領の娘)、パウル・ハイデマン(アレクシス中尉)、ヴィクトル・ヤンゾン(要塞司令官)、エディット・メラー(リリー:司令官の娘)、ヴィルヘルム・ディーゲルマン(クラウディウス:盗賊団の首領)、パウル・ビーンスフェルト(ダフコ:盗賊団の一味)、エルヴィン・コップ(トリポ:盗賊団の一味)、パウル・グレーツ(ツォファノ・盗賊団の一味)、マックス・クローネルト(マジリオ:盗賊団の一味)、ヘルマン・ティミヒ(ペポ:盗賊団の一味)、マルガ・ケーラー
【あらすじ】プフィフカナイロの牧歌的な山地にあるトッセンシュタイン要塞では、司令官が厳しい規律で兵士たちを締め上げている。早朝に彼は兵士たちを鼓舞するが、彼が背を向けるや否や、兵士たちはみんな寝床に戻ってしまう。そうした要塞へ有名な女たらしアレクシス中尉が転任して来る。司令官の娘リリーはそれを聞いて憧れ、父親は大いに心配になる。一方この山の奥にはクラウディウスを首領とする、ダフコ、トリポ、ツォファノ、マジリオ、ペポといった山賊の一味がいて、あたりの平和を乱している。首領の娘リュシカは、そうした山賊たちの間で、まるで女王のように振る舞っている。
 さてアレクシス中尉は要塞へ赴任する途中、この山賊の一味に襲われ、身ぐるみ剥がれてしまう。しかし中尉は自分を裸にしたリュシカに惚れ込む。やっと要塞に辿り着いた中尉は、要塞に忍び込んできたリュシカを引き留めて、接吻する。リリーはその場面を鍵穴を通して見てしまい、すっかり度を失う。リュシカは身を引かざるを得ない。
 娘のリュシカが夢中になっているのを見た父のクラウディウスは、娘の幻想を冷やすために、彼女を手下のペポと結婚させようとする。他方要塞司令官の娘リリーはアレクシス中尉と結婚することになる。それを聞いたリュシカはもう一度要塞に忍び込む。アレクシス中尉もリリーとの結婚を嫌い、気持ちはリュシカのほうに傾いている。リリーはすっかり絶望してしまう。そうしたリリーの姿を見たリュシカは、心を動かされて、自分がそもそも中尉にふさわしい女ではないことを悟る。そこで彼女は中尉に向かって、わざと下品な振る舞いをしてみせる。驚愕した中尉は穏やかなリリーの方へ、すっかり心を移す。リュシカは山賊のペポのところへ戻って行く。
【解説】当時の喜劇映画の第一人者ルビッチュが、スター女優のポーラ・ネグリを再びヒロインに起用して撮影したこの映画は、唖然とさせるような舞台装置、四角い普通の形がむしろ例外であるような、異様な場面の撮影の仕方によって、風刺喜劇映画というには余りに前衛的な作品となっていた。ルドルフ・クルツはその著『表現主義と映画』の中で、こう言っている。「ドイツで最初の首尾一貫した様式的映画が、逆説的な話であるが、エルンスト・ルビッチュによって演出されたことは、注目に値する。ハンス・クレーリのスクリプトによる『山猫リュシカ』がそれである。この喜劇を意図的に、実生活から遠い幻想的グロテスク様式を目指して演出するというのが、ルビッチュがわれわれにしばしば表明した意図だった。画家のエルンスト・シュテルンは、ルビッチュの提案を、首尾一貫した表現に移し替えた。フォルムはパロディー化されたバルカン地方の環境から写し取られ、すべてが巨大に歪められ、大げさに膨らまされた。表現はリアルな現実の彼方を志向し、建造物はバルカン的華美、東方の風習を目標とするアイロニーを先取りしている」。
 映画のために一つの様式を作り出すという創造的決意によって、ルビッチュはあらかじめ、すでに決まった映像面のサイズを打ち破ろうとした。四角のスクリーン上に、映像を同じように描くのは無意味だと言わんばかりに、彼はスクリーンを、自分の映像の内容にふさわしいフォルムとサイズに合うように切断した。
 その結果として、丸い面や斜めの面、細い水平の面や垂直の面が生み出された。丸い面、キスしている口のような形の面、房で飾られた縁やギザギザ縁の面が踊った。以前にはそれと似たものは何もなかった。のちには遙かに大胆な実験がおこなわれたが、風刺的バーレスクのために、このように極端な様式化が試みられたことは稀であり、それだけ一層この映画は注目に値する。
 しかしその様式化が、映画の興行的成功の妨げとなった。表現主義とユーゲントシュティールとオリエント風のメルヘン的華麗さを幻想的に混合したセットでは、真っ直ぐな線は回避され、すべてが曲がりくねり、植物のように蔓延する渦巻き模様に解消する。現実からの完全な乖離は、ハッピーエンドの無い結末や徹底した軍人のカリカチュア化と相俟って、当時の喜劇映画の常識を越えたものだった。当然ルビッチュ映画を見に来る観客のセンスに合うはずはなかった。
 しかし後年のハリウッドでのルビッチュ映画との関連で見れば、この映画が茶化している軍隊の不条理性の暴露は、のちには一層奔放に開花することになるルビッチュの風刺性が持つ特徴を、すでに萌芽において示している。それは朝の点呼のためにラッパを吹く兵士の場面で始まる。彼は右手にラッパを持ち、左手にソーセージを持ち、吹くのと食べるのを交互におこなうのである。その間に起床ラッパに何の反応も示さずに眠っている兵士たちのカットが挿入される。たった一人の兵士が起き上がるが、彼は放尿したのち、またベッドにもぐり込んでしまう。とうとう画面一杯に大きな頭が現れ、「俺がいなければ何一つうまく行かんのだ!」と吼えながら、兵士たちをベッドから叩き出す。それから太った司令官に率いられて練兵場を行進する兵士たちをとらえるカメラは、兵営の訓練の果てしもないナンセンスさ加減を映し出す。そして司令官自身も、私生活においては妻と娘に奴隷のように扱われる、臆病な恐妻亭主でしかない。
 つまり誰もがお互い同士、やましい気持ちを持たずに笑い合うことのできる、ルビッチュの笑いの魅力がそこにある。だが1921年のドイツの観客は、まだそのような笑いに、心の準備ができていなかった。ルビッチュ自身、後になってからこう言っている。「この映画には、私の他の映画よりも多くの創造力と、風刺的な映像の機知が潜んでいたにもかかわらず、まったくの不評だった。それは戦後すぐ封切られた。そしてドイツの観客は、軍国主義や戦争を茶化す映画を喜ぶような気分ではなかった」。

1921.4.27
『作品1』
ヴァルター・ルットマン監督
【解説】光と色彩と幾何学的図形のリズムといった抽象映画

1921.5.5(日本封切り1924.6.26)
『怪傑ダントン Danton』
ディミトリ・ブコヴェツキー Dmitri Buchowetzki監督、シナリオ:ディミトリ・ブコヴェツキー、カール・マイヤー(ゲオルク・ビューヒナーのドラマ『ダントンの死』による)、撮影:アールパード・ヴィラーグ、装置:ハンス・ドライヤー
【キャスト】エミール・ヤニングス(ダントン)、ヴェルナー・クラウス(ロベスピエール)、ヨーゼフ:ルーニッチュ(カミーユ・デムラン)、フェルディナント・フォン・アルテン(一人の貴族)、エードゥヴァルト・フォン・ヴィンターシュタイン(ヴェスターマン将軍)、シャルロッテ・アンデル(リュシーユ・デムラン)、マリー・デルシャフト(娼婦)、ヒルデ・ヴェルナー(バベット)、フーゴ・デーブリーン(アンリオット)、フリードリヒ・キューネ(フーキエ=タンヴィル)、ローベルト・ショルツ(サン・ジュスト)、アルベルト・フローラート(扇動者)、エルゼ・ローレンツ。
【解説】歴史ドラマ。ロベスピエールがダントンを罠にかける。革命裁判所での最終弁論で、すでに逮捕されたダントンが彼を告発した者たちを告発する。民衆は彼に歓呼する。ロベスピエールは急いで彼を連行させ、ギロチンにかけさせる。
 S・クラカウアーは歴史を歪曲した点では、『パッション(マダム・デュバリー)』以上だと非難した(年代記45)

1921.5.27
『破片 Scherben』
ループー・ピック監督、シナリオ:カール・マイヤー、ループー・ピック(ゲルハルト・ハウプトマンの小説『踏切番ティール』による)、撮影:フリードリヒ・ヴァインマン
【キャスト】ベルナー・クラウス(踏切番)、ヘルミーネ・シュトラマン・ヴィット(彼の妻)、エディット・ポスカ(娘)、パウル・オットー(鉄道監督官)
【あらすじ】家族が昼食のためにテーブルの周りに集まったとき、踏切番は電報で、鉄道監督官がやって来るという知らせを受け取る。突風で窓が引き裂かれるように開き、窓ガラスを割る。娘がガラスの破片を前掛けに拾い集める。翌日、監督官が到着する。そして娘が階段を掃除しているとき、監督官が降りてきて娘と出会う。ほんの一瞬二人は見つめ合う。田舎娘はたちまち町から来た粋な男に惚れ込む。夜、彼は娘の部屋に忍んで行く。踏切番はいつものように自分の勤務に就き、自分が管轄する線路区間を、冬の寒い夜中に歩いて見て回る。家では母親が目を覚まし、物音に気づいて追って行くと、それは監督官の部屋から聞こえてくるように思えた。娘の部屋のベッドが空なのを見つけた後、彼女は斧で扉を破って監督官の部屋に入る。そしてそこに娘がいるのを見つける。彼女はその男の行為を非難するが、彼はそれを冷たく退ける。絶望した母親は、道端の十字架像の前に行き、すがりついて慰めを求める。監督官は気を失った娘を抱いて、彼女の部屋へ運んで行く。
 翌朝、目覚まし時計が鳴ったとき、家の中はまったく静まりかえっている。娘は目を覚まし、台所で朝の支度に取りかかる。踏切番は勤務から戻り、妻のベッドが空になっているのを見つける。娘の顔は、夜中に何が起こったかを物語っている。彼は戸外の森の中を捜し回り、雪の中で凍え死んでいる妻を見つける。彼は妻の死体を家へ運ぶ。監督官はその悲劇に対して、肩をすくめるだけである。踏切番は妻の遺体をそりに乗せて、墓地へ運ぶ。その間に娘は監督官に、自分を一緒に連れていってくれと懇願するが、彼は冷たくそれを拒む。取り乱して帰宅した父親に、娘は男に犯されたことを告げる。父親は監督官に釈明を求めるが、彼の高慢な態度に腹を立てて逆上し、我を忘れて彼を殺してしまう。
 それから彼はカンテラを掴み、駅のない線路上で列車を止めて、こう言う。「私は人殺しだ」。
【解説】ベルリンの「モーツァルト・ホール」で封切られた、このリーゼンゲビルゲ地方の家族悲劇映画は。字幕は最後の「私は人殺しだICH BIN EIN MÖRDER」だけである。つまりそれは映像自体に語らせようとする、いわゆる無字幕叙法と言われるドイツ・サイレント映画の傑作の一つである。そして同時にほとんど戸外ロケの無い、「室内劇映画」の誕生を意味する点で、エポックメーキングな作品だった。著名な映画史家ロッテ・アイスナーは、その著『デモーニッシュなスクリーン』の中で、こう書いている。
 「ループー・ピックが彼の映画『破片』によって生み出した室内劇映画は、とりわけ心理劇映画である。それはとりわけ、日常的な環境の中で動き回っている少数の人間に、焦点を当てることに限定している。そして単純化するために、時、場所、筋の統一という構成に基礎を置いてる。したがってピックはあらゆる表現主義の諸原則と、意識的に対立する。なぜなら表現主義者たちは周知のように、説明の心理学、あらゆる個人的、小市民的悲劇、あらゆる一身上の心理分析を、繰り返し呪詛しているからである」。
 そうした心理の表現を字幕無しに達成するために、ピックは多くのシンボルを使った。映画のタイトルがすでに象徴的である。ピックは映画の始めと終わりに「破片」の山を示すことで、それを示唆している。あるいはモールス電信機が監督官の到着を告げるとき、嵐が窓を破る。そして突風が平和な部屋の中を吹き過ぎる。あるいは監督官は母親の死体を見たのち、自分の部屋に行って手を洗う。こうしたやり方で筋の推移が甚だしく単純化され、いわば「典型」に還元される。
 もっとも象徴的手法のすべてが成功しているわけではない。S・クラカウアーはこう書いている。「確かに多くの物体が、ただ安っぽい象徴の目的で提示されているように見える。『破片』の中に繰り返し現れる、こわれたコップのクローズアップは、運命に直面したときの、人間の意図のもろさを表示する以外の目的は持っていない。それはそれ自身としては、何の意味もない。しかしこうした明白な失敗は、堅実な成果を生みだしたのと同じ源泉から――つまりマイヤーの物体に対する情熱から――生じたものである。映画のために物体の領域を征服することによって、彼は画面の語る言葉を恒久的に豊かにしたのである。この征服は、字幕をすべて抹殺しようとする彼の努力と相俟って、真に映画的な語法のための道を開いたものであった」。
【映画評】◇「デア・フィルム」誌――「……踏切番のように、重みに押しつぶされて歩くヴェルナー・クラウス。芝居は破片のように砕ける彼の一家の幸福をめぐって進行する。『カリガリ博士』の脚本家カール・マイヤーは、この「五日間のドラマ」に対し、奇妙なまでに陰鬱なシナリオを書いた。ループー・ピックは、彼のいつもの繊細さで監督した。画面の中へ突入して来る蒸気機関車のクローズアップや、娘の純潔の復讐をしに行く父親の、暗い運命のように迫って来て脅かす影など、個々には忘れがたい重さで人の心に作用する箇所がある。他はあまりに徹底的に字幕を放棄してしまったために、理解できないままである。母親が死んだあとで、娘は監督官から何を望むのか? もう一度愛してくれと、彼にお情けを乞うのか? 説明を読んではじめて、不気味なこの家から、自分を一緒に連れて行ってくれと彼に頼んでいるのだということがわかる。エディット・ポスカ以上に大きな才能をもってしても、この課題は処理できなかっただろう。彼女はずっと何の感銘も与えずにいたわけではない。反対に彼女は、生彩のない冷たい姿勢から高まって、震えおののく人間性の深みに達する。しかし空虚さの残滓が、救いようもない停滞した姿勢の残滓が、その後ろに淀んでいる。ことによると字幕というものは、通例多くのものを、見逃させてしまうということになるのかもしれない。というのは見て取るということに関しては、字幕のほうがずっと鋭いものだからである。父親役のヴェルナー・クラウスは、鈍感で無知な義務の奴隷として、すべてを承知しつつ止まることなく、復讐に向かって重い足取りで歩いて行く。それを演ずるクラウスは迫力があり、一つの自然力である。パウル・オットーの監督官は、その演技上の価値の点で、必ずしも一様ではない。老踏切番の視線を前にして、彼の手から煙草が滑り落ちる場面はすばらしい。ヘルミーネ・シュトラスマン・ヴィットの母親役は、飾り気のない姿を呈示している。きわめて美しく、すばらしい鮮明さを持った映像と、多分避けることのできなかった生硬な映像とが、混じり合っていた。A・F」。
◇「キネマトグラフ」1921年第746号――「……身振りのよる表現能力を持った数少ない俳優たちの助けを借り、風景の点ではすばらしく適切な背景をうまく選んだことに支えられて、素朴で感動的な映画の筋立てを、字幕による説明無しにスクリーン上に投影するという実験は、余すところなく成功した……」。

19219.9(日本封切り1925.4.17)
『名花サッフォー Sappho』
ディミトリ・ブコヴェツキー監督、シナリオ:ディミトリ・ブコヴェツキー、撮影:アールパード・フィラフ、装置:ローベルト・ネパッハ
【キャスト】ポーラ・ネグリ、ヨハネス・リーマン、アルフレート・アーベル、アルベルト・シュタインリュック、ヘルガ・モランダー、オットー・トレプトウ、エルザ・ヴァーグナー、エリノール・ギュント
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1921.9.19
『ハゲタカのヴァリ Die Geier-Wally』
エーヴァルト・アンドレ・デュポン監督、シナリオ:エーヴァルト・アンドレ・デュポン(ヴィルヘルミーネ・フォン・ヒレルンの小説による)、撮影:アールパード・ヴィラーグ、カール・ハッセルマン
【キャスト】ヘニー・ポルテン、ヴィルヘルム・ディーテルレ、アルベルト・シュタインリュック、オイゲン・クレッパー。
【解説】間違った高慢と虚栄と真の愛をめぐる郷土映画。ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り(→ナチ時代の1940年8月13日、ハンス・シュタインホフ監督、ハイデマリー・ハットハイヤー主演のリメイク封切り)。

1921.10.7(日本封切り1923.3.30)
『死滅の谷 Der müde Tod Ein deutsches Volkslied』
フリッツ・ラング Fritz Lang監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ Thea von Harbou、撮影:フリッツ・アルノ・ヴァーグナー(ヴェネチア、オリエント、中国の部)、エーリヒ・ニッチュマン、ヘルマン・ザールフランク(古ドイツの部)、装置:ローベルト・ヘルルト、ヴァルター・レーリヒ、ヘルマン・ヴァルム。製作:デークラ=ビオスコープ社。
【キャスト】リル・ダーゴヴァー Lil Dagover(若い少女)、ベルンハルト・ゲッケ Bernhard Goetzke(死神)、ヴァルター・ヤンセン(恋人同士)、ハンス・シュテルンベルク(市長)、エルンスト・リュッケルト(聖職者)、マックス・アーダルベルト(公証人)、エーリヒ・パプスト(教師)、パウル・レーコップ(寺男)、エドガー・クリッチュ(医師)、ヘルマン・ピハ(仕立屋)、ゲオルク・ヨーン(乞食)、マリア・ヴィスマール(老婆)、アロイジア・レーネルト(母親)
◇オリエントの部:リル・ダーゴヴァー(ゾベイデ)、ヴァルター・ヤンセン(フランク人)、ベルンハルト・ゲツケ(庭師:エル・モト)、ルドルフ・クライン=ロッゲ(イスラム教の托鉢僧)、エドヴァルト・フォン・ヴィンターシュタイン(カリフ)、エーリヒ・ウンルー(アイシャ)
◇ヴェネチアの部: リル・ダーゴヴァー(フィアメッタ)、ルドルフ・クライン=ロッゲ(ジロラーモ)、ルイス・ブロディ(ムーア人)、リーナ・パウルゼン(乳母)。
◇中国の部:ヴァルター・ヤンセン(リャン)、ベルンハルト・ゲツケ(弓術家)、パウル・ビーンスフェルト(アヒ、魔術師)、カール・フスツァール(皇帝)、マックス・アーダルベルト(大蔵大臣)、ノイマン=シューラー(刑吏)
【あらすじ】18世紀はじめ、ある古いドイツの町へ、愛し合っている若い男女がやって来る。途中で一人の見知らぬ男が馬車に乗り込んできて、二人をじろじろ眺める。のちに二人は目的地の旅館で、再びこの男に出会う。彼は町の有力者たちにとっても、不気味な人物である。しばらく前に彼は町に現れ、墓地の近くの土地を買い入れ、その土地の周りにドアも窓もない高い壁をめぐらしたのである。
 さて旅館に泊まった娘が子供達と遊んで目をそらしている間に、恋人の若者はあの男に連れ去られてしまう。絶望した彼女は恋人を捜して壁のところへ来て、気を失う。ある薬剤師が彼女を見つけて、家へ連れて帰る。そこで彼女はある本の中に「愛は死よりも強し」という文章を読む。そして毒杯を飲もうとする。
 だが唇をコップに触れようとした瞬間、彼女は突然あの巨大な壁の前にいる。そこには入口が一つある。彼女はそこを通り、長い階段を上がっていくと、一番上にあの見知らぬ男が待っている。それは死神だった。彼女は彼に自分の恋人を返してくれと頼むと、死神は彼女を大きなろうそくで一杯の巨大な会堂に連れていく。ろうそくはいずれも一人の人間の代わりだった。死神は「私は人間の苦しみを一緒に見ているのに疲れた。私は私の職業を憎んでいる」と言い、彼女にチラチラ揺らいでいる三本のろうそくを示す。それは死期の迫っている三人の若者の生命のろうそくだった。
 彼らも彼女の恋人同様、若い娘に愛されていた。死神は彼女に、この三本の中の一本を燃え尽きないよう守ることができたら、彼女の恋人の生命は助かるだろうと言う。こうして三つの物語が始まる。
 第一のろうそくの物語では、彼女は9世紀のバグダッドの町のカリフの娘ゾベイデとなり、若いフランク人を愛している。彼女が異教徒と関係していることが露見すると、そのフランク人は逮捕される。絶望的にゾベイデは彼の生命を救おうと試みる。カリフは庭師のエル・モトに命じて、彼を生き埋めにさせる。ゾベイデがやって来たときは、すでに遅すぎた。彼女はエル・モトの顔を知っていた。それは死神だった。
 第二のろうそくの物語では、彼女は14世紀のヴェネチアの娘フィアメッタである。彼女は若いフランチェスコを愛しているが、しかし意地の悪い老ジロラーモと婚約している。ジロラーモは彼女に、「私はあなたが私を憎んでいることを知っている。しかし結婚すればあなたは、私を愛することを学ぶだろう」と言う。そしてジロラーモがフランチェスコの命を狙っていることがわかったので、フィアメッタは忠実なムーア人をそそのかして、彼女と一緒にジロラーモをわなにかけ、毒を塗った剣で殺そうと企てる。だがジロラーモはその陰謀を見破り、フランチェスコが毒を塗った剣の犠牲になるように、ことを運ぶ。 古代中国で演じられる第三のろうそくの物語では、彼女は魔術師アヒの娘ティアオチェンである。そして助手のリャンに恋している。魔術師が宮廷でその魔術を演じた時、皇帝はティアオチェンに興味を示す。しかし優しくしても、力尽くでも、彼女は応じない。皇帝を怒らせたティアオチェンは、とうとうリャンと共に象に乗って逃げ出す。皇帝の派遣した軍隊はしかし追いつけない。そこで皇帝は、アヒが贈った魔法の馬を弓術家に与え、生死にかかわらず彼女を連れ帰るよう命ずる。
 死神の顔をした弓術家は天空を駆け、一瞬にして二人に追いつく。そこでティアオチェンは父から習った魔術を使って彫刻に変身し、リャンを虎に変える。弓術家は虎を倒す。彫像の頬から血の涙が流れる。こうして三本のろうそくの火は消えてしまう。
 しかしどうしても恋人を取り返したい彼女は、もう一度死神の慈悲を懇願する。そこで死神は彼女に最後の機会を与える。もし彼女が他の人間の命を持ってきたら、喜んで彼女の恋人の命を返してやろうというのである。ここで束の間の夢が終わる。
 老薬剤師が彼女の口から毒杯をさっと奪い去ってしまう。そして彼は自分はもう人生に厭き果てていると口を滑らす。そこで喜んだ彼女があなたの命を私の恋人のために犠牲にしてくれないかと頼むと、彼は怒って彼女を叩き出してしまう。疲れ果てた乞食も、病院にいるよぼよぼの老婆達も、犠牲になってくれないかと尋ねると、まっぴらだと断る。
 その時病院に火事が起きる。入院患者が逃げてしまってから、赤ん坊が一人取り残されていることがわかる。母親の悲しみに打たれた彼女は、炎の中に飛び込んでいく。彼女が赤ん坊を抱き上げた瞬間、死神が約束通り手を伸ばして、この命を取ろうとする。しかし彼女は約束を破る。自分の恋人の命をあがなうのを止めて、赤ん坊を窓の外に差しだし、母親に手渡してやる。焼け落ちる建物の燃え上がる火の真ん中で、死神は彼女を死んだ恋人のところへ導いていく。そして二人を性の緑の岡の上へ解放する。
【解説】1921年10月7日に、ベルリンの映画館「U.T.クーアフュルステンダム」と「モーツァルト・ザール」で封切られた、この「愛は死より強いかどうかについての物語」は、映像という新らしい媒体を通じて、神話と通俗的ハンドルングを合体させ、言語表現とは異なる位相に「現代の神話」を提起した映画だった( 年代記45)。そしてそれはフリッツ・ラングが、サイレント時代のドイツ映画界を代表する監督の一人としての名声を確立するのに、決定的な意味を持った最初の作品だった。そこにはロマンティックな気分と同時に、宿命観が支配している。その両義性のために、一般にはこの映画の結末は、S・クラカウアーをはじめ、多くの人々によって、「永遠に一つとなった二人の魂は、花咲く丘を越えて昇天して行く」と解釈されている。フリッツ・ラングの映像の力は、まさにそうした両義的解釈を許すアンビヴァレンスの中にある。すでに「疲れた死神」という原題名がアイロニカルである。人間の運命を死によって中断するという役目に「疲れた」死神は、二人の恋人を天国で結ばせることにしたのか、それともそうした役目を放棄して、緑なす生の野に解放したのか、どちらなのだろうか?
 フリッツ・ラングは第一次世界大戦に将校として出征し、負傷して野戦病院で、もっぱら死を扱ったシナリオを書き始めた。こうした体験をした同世代の著作家たちの多くが書いたのは、平和主義的・表現主義的な絶叫だった。しかしフリッツ・ラングは最初からフリッツ・ラングだった。彼は映画を作るとは、一つの神話を作ることだといいうことを知っていた。新らしい諸経験は彼の場合、古い神話学の中に入り込み、それそ革新する力を与えた。
 彼はずっと死と少女の問題を扱ってきた。つまり『死滅の谷』は、何も第一次世界大戦の前線体験によって、突如として出来上がった作品ではない。ラファエロが自分のマドンナ像を模索して、さまざまな画像を残したように、フリッツ・ラングも自分のテーマをさまざまに展開するプロセスを辿っていたのである。第一次世界大戦の経験は、きわめて単純だったテーマの処理の仕方を、遙かに豊にするのに役立った。それゆえこの映画を価値あるものにしているのは、基本的には同じ「死と乙女」のテーマではなくて、詩的な映像によって喚起される気分の多様な色調である。ルイス・ブニュエルは、フリッツ・ラングの『死滅の谷』が彼に対して、映画の詩的表現力への目を開かせてくれたと、述べている。ヘルベルト・イエーリングは、フリッツ・ラングはこの映画によって、映画のために抒情的バラードというジャンルを発見したと述べた。この映画の宿命観を政治的無関心に通ずるものとしたS・クラカウアーでさえ、「『死滅の谷』の比喩的表現が保った長い生命力は、すべてが移動できない手回しのカメラで処理せねばならず、さらに夜間撮影はまだ不可能だったことを考えると、それだけ一層驚嘆に値する。これらの映像のヴィジョンは、きわめて正確なので、時として、実在のものではないかという錯覚を起こさせるほどである。『蘇生させられたスケッチ』とも言うべきベニスのエピソードは、純粋なルネサンス精神を蘇らせ、例えば、カーニヴァルの行列やスタンダールやニーチェ流の、輝かしく残忍な南国の情熱を発散する、華やかな闘鶏の場面を通じて、それを見せてくれる。中国のエピソードには、まか不可思議な離れ業が溢れている。ダグラス・フェアバンクスが、この場面の魔法の馬や、リリパットの軍隊や飛ぶ絨毯に刺激されて、同じような魔法のトリックを使ったスペクタクル・レビュー『バグダッドの盗賊』を作ったことは、よく知られている」と賞賛している。エピソードだけではなく、本筋のハンドルングも、きわめて印象的である。ドイツの小さな町の古風なたたずまいと死神の館の重々しい雰囲気、そして何よりも、あの巨大な壁の圧倒的な迫力。その点では『カリガリ』のセットを作ったヴァルター・レーリヒ、ヘルマン・ヴァルム、ローベルト・ヘルルトのトリオの手に成るセットの絶妙な光りの効果が、大きな威力を発揮している。彼らはここでも『カリガリ』の場合と同様に、すぐれた仕事をしたと言える。
 映像が印象深いのに比べて、映画が示唆している神話学のほうは、はなはだ曖昧である。ドイツ的な宿命観と漠然としたカトリック的神秘主義の混合は、形而上学としては通俗的である。しかしフリッツ・ラングとテア・フォン・ハルブゥ夫妻の個人的性癖とも言うべき、こうした通俗的神話学は、はなはだ怪しげなものであるにもかかわらず、映像言語としてはかえった効果的だった。映像表現は叙事詩や楽劇とは違った神話を幻想的な美しいヴィジョンに変容することに成功したのである。
【エピソード】フリッツ・ラングの特色。彼は映画を監督するのではない。彼は新らしい世界を創造するのである。それには金がかかる。そのお金を食うのは大掛かりなセットではなく、果てしもなくゆっくりと、果てしもなく念入りに仕事するフリッツ・ラングである。彼は一つのシーンを10回、あるいは20回も撮影する。しかし何もかも彼の気に入らない。すべてはもっと良く、もっと完全なものにできるはずだ。彼の協力者たちは、じきに挫折しそうになる。しかし彼らは陰で悪口を言っても、やはりフリッツ・ラングに驚嘆しているのだ。彼は独特の人間である。彼は他の監督たちとはまるで違っている。彼はエルンスト・ルビッチュのように演劇出身ではない。彼はジョー・マイのように、商売には興味がない。彼は自分の幻想に生命を吹き込もうとする。何物も彼が想像しているものと違ってはならない。
 彼は憑かれている。彼は妥協しない。驚くべきことは、彼が光りの取り扱いを心得ていることである。人間が突然立ち現れたり、灯りがいわば無から取り出されたりする様子。夜のベニスが出てくる様子――小さな路地、あるいは運河の雑踏を映し出すことによってではない。ルビッチュであればそうしたかもしれない。さりとてサン・マルコ広場をそっくり作ることによってではない。ジョー・マイだったらそうしたかもしれない? そうではなく、水に沈む数段の石段によってである。一本のせまい運河の中に消えていくゴンドラによってである。
 フリッツ・ラングは夜も寝ずに考えたトリックを使うが、それはのちに常識となる。例えば、中国でのエピソードの中に、恋人たちの逃走場面がある。恋人たちは象に乗って逃げようとする。皇帝は射手に、彼らに追いつけと命ずる。射手は馬に乗り、雲を突き抜けて走る。そして死の矢が男を刺し貫く……。すべてこうしたことは、当時は新らしく、センセーショナルだった。しかしフリッツ・ラングにとって、センセーショナルな効果をあげることは、まったく問題ではない。彼は何を望んでいるのか? 彼は最大にして最高の緊張度のあるストーリーを語りたいのである。彼は自分の登場人物たちが、スクリーンを越えて観客の中へ入って行くのを望んでいる。彼は彼らが観客の心を、息つくこともできなくなるほど捉えてしまうことを望んでいる。『カリガリ博士』と同様、主演女優は再び美しいリル・ダーゴヴァーである。死神を演じるのは、俳優ベルンハルト・ゲツケである。彼はこれ以後、フリッツ・ラング映画には必ず出演するようになる。
 この映画はベルリンで封切られたときには、それほど成功はしない。あるベルリンの新聞の批評の見出しに曰く、「退屈な死神!」。パリではもちろんこの映画はセンセーションになる。「真にドイツ的」と、パリの批評家たちは評するーーつまり、「深遠」で「芸術的」だというのだ。そうするとドイツでも成功する。この成功は何年もの間続く。33年後、1954年に、この映画はベルリンの「デルフォイパラスト」でもう一度上映される。テア・フォン・ハルブゥが前置きを話す。映画館を去るとき、彼女は足を滑らせる。数日後、彼女は子の転倒が原因で死ぬ。これが、「疲れた死神」を扱った、大いに論議を呼んだ映画の本当の終わりだった。

1921.10.20(日本封切り1923.6.29)
『恋のネルゾン Lady Hamilton』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:リヒャルト・オズヴァルト(ハインリヒ・フォルラート・シューマッハーの小説による)、撮影:カール・ホフマン
【キャスト】リアーネ・ハイト、コンラート・ファイト、ヴェルナー・クラウス、ラインホルト・シュンツェル
【解説】英国海軍の英雄ネルソンの愛人の物語、彼女はネルゾンの死後ひどい困窮に陥る。

1921.10.22
『インドの墓標 Das indische Grabmal』
ジョー・マイ監督、シナリオ、テア・フォン・ハルブ、フリッツ・ラング、撮影:ヴェルナー・ブランデス
【キャスト】オーラフ・フェンス、ミア・マイ、コンラート・ファイト、エルナ・モレナ、リア・デ・プティ
【解説】モニュメンタルなエキゾシズムの冒険映画。ベルリンのヴォルタースドルフにマイは神殿都市を建設させた。2000ないし2400万マルクがこのスペクタクル映画のために費やされたと言われている。第一部『ヨガ行者の使命 Die Sendung des Yoghi』はベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り。第二部『エシャナプールの虎 Der Tiger von Eschanapur』は11月19日に、「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り。

1921.10.21
『トルグス――火元 Verlogene Moral (Brandherd)』
ハンス・コーベ監督、シナリオ:カール・マイヤー(ある古いアイスランドのバラードによる)、撮影:カール・フロイント、装置:ローベルト・ネパッハ
【キャスト】オイゲン・クレッパー(棺桶職人トルグス)、ヘルミーネ・シュトラスマン=ヴィット(産婆グロアー:彼の母親)、アデーレ・ザントロック(ミス・トゥーリド:旅館主)、ゲルト・フリッケ(ヨン:彼女の甥)、フェルディナント・グレーゴリ(クナル・エッゲルト:彼の後見人)、ケーテ・リヒター(グードルーン:彼の娘)、マリーヤ・ライコ(アンナ:女中)、W・ハルム(クリスチャン:管理人)
【あらすじ】アイルランドのある農場の虚弱な跡継ぎヨンは、意志の強い叔母のミス・トゥーリドに育てられる。彼は女中のアンナを愛しており、彼女は彼の子をみごもっている。ミス・トゥーリドはアンナを追い出す。そしてヨンは学校へ行かされる。アンナは棺桶職人トルグスと彼の母親で産婆のグロアーのところに、避難所を見つける。ヨンは彼の後見人の娘グードルーンと無理矢理結婚させられる。アンナは子供を産むが、ミス・トゥーリドはヨンの代わりに、自分が育てるつもりなので、彼女から子供取り上げる。アンナはヨンからの便りを待っているが、無駄である。ヨンのための婚礼が始まったとき、アンナは重い産褥熱で寝ている。トルグスはアンナを愛するようになっており、彼女の最後の時に、側にいてやる。トルグスは死んだアンナを、結婚式場へ運ぶ。ヨンは憎しみに駆られて叔母に跳びかかり、彼女を絞め殺す。
【作品評】「デア・フィルム」誌、1921年第11号――『火元』「ツェンタウル映画」の新しい5巻物の農民劇は、厳格な芸術作品と通俗的な効果との間で、中庸を取ろうと試みて、成功している。馬鹿な職人が死んだ女中を棺に入れて、贈り物として農場相続人の結婚式の場に運ぶという、ハンドルングのクライマックスは、疑いもなく強い印象を残すが、それにもかかわらずこの映画は、観客に奇妙に悲しい感情を抱かせる。叔母のきびしい訓育の下で、愛してもいない娘と結婚し、棺を前にしてはじめて、自分を苦しめた叔母を絞め殺すこの農場相続人、愛する男と別れさせられても、自分の子供を取られることを拒む女中、彼らはみんな、木彫りのきびしさを感じさせる強固な性格によって、効果を発揮している。
 ハンス・コーベの演出も、大体においてこのスタイルを堅持している。しかしそれと同時に、幾分表現主義的な余韻を示してはいても、必ずしも一様というわけではない。演技は全体として最後まですばらしかった。女中役のマリーヤ・ライコは、始めのうちはシナリオが求めているほどには、必ずしも人の心を明るくする演技はしていない。農場相続人の未熟な少年らしさを、ゲルト・フリッケは風采でも演技でも、すばらしく表現していた。アデーレ・ザントロック、フェルディナント・グレーゴリ、オイゲン・クレッパーは、彼らの演ずる人物像に、独自の生命を与えた。画面は概して良好であるが、照明効果の処理の欠陥が、即物的な映像の場合には、障害となっている。A・F。

1921.12.11
『裏梯子――室内劇映画 Hintertreppe--Ein Film-Kammer-Spiel』
レオポルト・イエスナー Leopold Jessner監督、シナリオ:カール・マイヤー、撮影:カール・ハッセルマン、セット構成と美術:パウル・レーニ、製作:フロリア映画とヘニー・ポルテン映画 Henny-Porten-Film
【キャスト】ヘニー・ポルテン Henny Porten(女中)、ヴィルヘルム・ディーテルレ Wilhelm Dieterle(彼女の婚約者)、フリッツ・コルトナー Fritz Kortner(郵便配達)。
【あらすじ】ある中産階級の家庭に雇われている娘が、人夫として外国で働いているボーイ・フレンドの手紙を待ち焦がれている。毎日彼女は郵便配達に尋ねる。彼はその娘にひそかな情熱を抱いている。彼は彼女の悲しみを和らげるために、にせの手紙を作り、それを人夫からの手紙として渡す。感謝の気持ちから彼女は、ポンチ飲料のつぼを彼の地下の住居に持って行く。一方建物の表の方では、彼女の主人の一家がパーティを開いている。彼女は郵便配達が書き物をしているのを見つけ、ふざけて彼からその紙を取り上げる。筆跡から彼女は、それが今朝受け取った手紙の書き手だということを知る。これまでの手紙を書いたのは、彼女のボーイ・フレンドではない。郵便配達が彼女への愛情から、これらの手紙を偽造したのだということが、彼女にわかる。見捨てられた気持ちで彼女は、まだ彼女のことを気に掛けてくれる唯一の人間に心を向け、夕食の招待を受け入れる。しかし行方不明の男の思いでのほうが、ずっと強い。心も重く彼女は、郵便配達のところを去る。通りで見知らぬ男が待っている。それは彼女のボーイ・フレンドだとわかる。彼は彼女にいつも手紙を書いたと、誓って断言する。郵便配達が手紙を横取りしたのに違いない。人夫は郵便配達を追求する。娘はドアのところに戻って行き、口論を立ち聞きする。彼女は助けを呼ぶ。郵便配達は人夫を、手斧で打ち殺してしまった。近所の人々がドアを破り開けて、人夫は死に、郵便配達は狂った目つきをして、まだ斧を握ったまま手を痙攣させているのを見つめる。主人一家はスキャンダルだと、娘を家から追い出す。彼女は好奇の眼差しを向けている人々の側を通り過ぎて、階段を上っていき、家の屋根から深い下へ身を投げる。
【解説】これは脚本家カール・マイヤーの「室内劇映画」三部作、『破片』、『裏梯子』、『除夜の悲劇』の真ん中に位置する作品で、ドイツ・サイレント映画のスター、ポルテン主演の傑作であるにもかかわらず、当時の批評は否定的だった。封切られたのは1921年12月11日であるが、これについてクルト・ピントゥスは、「ターゲブーフ」誌上で、こう書いている。「この日付はドイツ映画史に朱筆で書き込まれるであろう。ことによるとこの映画は、まだ数年早すぎたかもしれない。これは三人しか登場せず、大都市の家というただ一つの場所しか持たない映画である。美しいだけでなく、大胆な作品である。作家、俳優、画家そして音楽家が、映画においてこれほど友愛をもって連帯したことが、かつてあったかどうか、わからぬほどである。これまで映画で見た中でもっとも人間的な映画。イエスナーはこれまでのどんな映画監督より以上に、ヘニー・ポルテンを使いこなした。次の逢い引きへの希望や独居の絶望を表現している彼女の料理や掃除は、きわめて力強い身振り表現の力を具えている。あらゆる千編一律さは消え失せ、すべての動きが生気に溢れている。郵便配達を演じるのはコルトナー氏である。まったくゆっくりとした動き。その緩慢さは合図に似ている。注意せよ、自分のしていることは意味深いことだ。イエスナーは建物に生命を吹き込んだ。表現主義? 否、心理主義。パウル・レーニのセットの裏庭は幻想的に作られ、照らし出されていて、人気がなく、悲哀に満ち、雨の中に見捨てられている。百もの好奇心に満ちた窓は隠れているが、突然追求者の百もの頭で占められる。良いものが勝利するなら、この映画は世界中に広まるに違いない。それは輸出向けに作られたからではなく、半ダースの人々の献身的な共同作業だからである」。
 この映画を作ったレオポルト・イエスナーは、当時ベルリンの国立劇場の監督として、多くの場合フリッツ・コルトナーを主役として、古典を表現主義風に大胆な演出をすることで、演劇史上に輝かしい足跡を残した演劇人である。この映画はそうした経歴を持つイエスナーが、舞台経験を生かして作った最初の映画である。しかし彼は他には1923年に、アスタ・ニールゼンを使って、ヴァーデキントの戯曲をカール・マイヤーが脚色した『地霊』を作っただけなので、彼の映画として問題にされるのは、この『裏梯子』だけである。そして彼は、カール・マイヤーによる表現主義的なシナリオを演出したが、当時のお批評家の注目を引いたのは、この映画が表現主義的ではないということだった。例えばアルフレート・ケルは「ベルリナー・ターゲブラット」紙上で、「この映画は表現主義とな何の関係もない。むしろ心理的に透徹した傑作である」と、賞賛した。逆説的に言えば、この映画は表現主義無しには考えることのできない、非表現主義的作品である。ルドルフ・クルツにとっては、これは20年代前半の注目に値するすべてのドイツ映画の、共通の特徴である。彼は『表現主義と映画』の中で、こう言っている。「監督が純然たる娯楽を越えた志向を示しているところでは、どこででも表現主義的要素を指摘することができる。イエスナーの『裏梯子』には、横丁での二人だけの恋愛の瞬間を示すシーンがある。セットは確かに表現主義ではない。しかしそれは表現主義無しには考えられない。映像空間を脈絡のない、勝手気ままな面に分割している光りの配分の仕方は、その由来を否定していない。そしてイエスナーは演出において、表現主義的な場景構成の諸形式を映画に移すような演出の仕方を、目に見えるものにしようとした。身振りの心理的表現は切りつめられて、力強い、節約された仕草となっている。彼はすべてを完全に響かせる代わりに、示唆的に仕事をしている」。
【映画評】◇「デア・フィルム」誌、1921年第51号――「レオポルト・イエスナーのこの最初の映画は、演劇の舞台で彼の力のこもった演出を見ていた人々みんなが、今か今かと待っていたものである。脚本家のカール・マイヤー自身が、これを「室内劇」と呼んでいる。全体としてはそうした劇の、幾分わざとらしいスタイルに調子を合わせているこの映画は、しかし時折、他ならぬそうした様式化されたものから免れているときに、奇妙に人のこころを捉える……。イエスナーの演出によって、全体が高尚で、現実から離れ、奇妙に高められた領域に運び込まれる。セット主任としてのパウル・レーニは、造形的な構図とタッチの逸品を作りだした。生命の無い物体が、押しつけがましい象徴作用無しに果たしている、独特の意味を持った役割は注目に値する。目覚まし時計、鈴、呼び鈴のひも。台所の日常的な仕事までが、映像を補佐するものとなている。
 配役:女中役のヘニー・ポルテン、郵便配達の役はフリッツ・コルトナー、人夫役はヴィルヘルム・ディーテルレ。女中の演技はポルテンの成熟した能力のすべての魅力を示しているが、しかし一貫して全力を傾けているわけではない。フリッツ・コルトナーは彼の役の、引きつったように沈み込んでいく感じを、時折悩ましいほど硬直した感じにまでエスカレートさせる。ディーテルレはあまり重きをなしていない。ついでのようにザッと脇役を処理する扱い方は、例えば一つのシーンで、ドアのガラス越しに見えるお客たちを、市民階級のよそよそしさを、不気味なまでの正確さで処理する扱い方……」。
◇クラカウアー『カリガリからヒトラーへ』(1958)――「……カール・マイヤーの映画では、心理の動きが極端に単純化されて、ありありと浮かび上がっている。それぞれある特殊な本能を体現している数人の登場人物が、厳密に構成された筋の運びの中へ組み込まれている。外国の批評家たちは、この単純さを不自然で貧弱だと批判したが、ドイツの批評家たちの多くは、長い間豪華映画ばかり辛抱させられて、あきあきしていたので、これらの映画を、人間の魂の深さそのものを見せてくれる「室内劇」であると賞賛した……」。

1922
1922
『作品1O pus 1』
ヴァルター・ルットマン監督
【解説】レントゲン写真を想わせる斑点のダイナミックな配列による抽象映画。

1922(日本封切り1923.10.12)
『シャロレー伯爵 Der Graf von Charolais』
【解説】クラカウアーp112

1922.1.31(日本封切り:第一、二部1928.5.18)
『ライン悲愴曲 Fridericus Rex(フリデリークス・レックス)』
アルツェン・フォン・チェレピー監督、シナリオ:ハンス・ベーレント、アルツェン・フォン・チェレピー(ヴァルター・フォン・モーロの小説『フリデリークス』による)、撮影:グイド・ゼーバー、エルンスト・リュトゲンス
【キャスト】オットー・ゲビュール主演
【解説】フリードリヒ大王の生涯を映画化した通俗映画、ベルリンで封切られ、敗戦と革命・反革命の余塵がくすぶっている中でのプロイセン讃美の映画をめぐって論争は激しく、暴力沙汰にまでなった。右翼は君主制への讃歌に歓呼した。第三部・第四部封切りは1923年3月31日。

1922.2.2(日本封切り1922.11.3)
『伯爵令嬢 Fräulein Julie』
フェーリクス・バッシュ監督、シナリオ:マックス・ユンク、ユリウス・ウルギス(アウグスト・ストリンドベリにドラマによる)、撮影:ユリウス・バルティヒ、装置:ローベルト・ヘルルト、ヴァルター・レーリヒ
【キャスト】アスタ・ニールゼン(ジュリー)、ヴィルヘルム・ディーテルレ(ジャン)、アルノルト・コルフ(伯爵)、リーナ・ロッセン(伯爵夫人)、ケーテ・ドルシュ、オーラフ・シュトルム、エルンスト・グローナウ、ゲオルク・シュネル。
【あらすじ】めちゃくちゃになった結婚から生まれたジュリーは、母の伯爵夫人によって、男の子のように育てられる。愛した人との結婚で失望した経験から、伯爵夫人は娘に、決して男の奴隷女にはならないことを誓わせる。それから彼女は館に火をつけ、その中で焼死する。ジュリーはその後、燃えさかる館から彼女を救い出してくれた召使いのジャンに惚れ込む。彼は彼女を誘惑し、それから残酷な人物に変身する。ジュリーは動脈を切り開いて、事査察する。(クラカウアーp108)

1922.2.21(日本封切り1923.5.18)
『ファラオの恋 Das Weib des Pharao』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:ノルベルト・ファルク、ハンス・クレーリ、撮影:テオドール・シュパールクール、アルフレート・ハンゼン、装置:エルンスト・シュテルン、アリ・フーベルト、エルネ・メッツナー、音楽:エドゥアルト・キュネッケ
【キャスト】エミール・ヤニングス(ファラオ:アメネス)、アルベルト・バッサーマン(ゾーティス)、ハリー・リートケ(ラムフィス)、パウル・ヴェーゲナー(ザムラク)、ダグニー・ゼルヴェス(テオニス)、リュダ・ザルモノヴァ(マケダ)、フリードリヒ・キューネ(祭司長)、パウル・ビーンスフェルト(メノン)、エルザ・ヴァーグナー、マディー・クリスチャンス
【あらすじ】(エジプト、エチオピア、ヌビアとギリシャとの間の戦争と平和)。
 エチオピアの王ザムラクは、エジプトのファラオのアメネスを公式訪問し、同盟締結を提案し、娘のマケダを妃として提供することを申し出る。マケダの女召使いでギリシャ人のテオニスは、エジプトの神殿宝物倉建築技師ゾーティスの息子のラムフィスに恋している。そしてラムフィスが警告したにもかかわらず、夜ひそかに、死をもって禁じられている宝物庫に忍び込む。二人は捕らえれて、ファラオの前に引き出される。するとファラオは忽ちエチオピアから来た花嫁を忘れて、ただただテオニスを妻にしたいと望む。テオニスはラムフィスの命を救うために、それを承知せざるを得ない。彼女はエジプトの王妃となる。エチオピアの王ザムラクは侮辱されたと感じ、エジプトに宣戦布告する。アメネスは戦場に赴く前に、ラムフィスへの想いから、彼に永遠の貞節を誓おうとしないテオニスを、宝物庫に閉じこめさせる。そしてただ一人宝物庫への秘密の通路を知っている建築技師ゾーティスの眼をくり抜かせる。
 エチオピアとエジプトの軍勢は砂漠で遭遇する。エジプト軍は打ち破られ、逃げ出さざるを得ない。ファラオのアメネスは戦死したと告げられる。敗北したエジプト軍をラムフィスが再組織し、エチオピア軍に勝利する。そして盲目にされた父親によって、閉じこめられた恋人テオニスのところへ導かれる。アメネスを暴君として憎んでいた民衆はラムフィスを歓呼して迎える。テオニスは勝利赫々たる英雄ラムフィスを、自分の新しい夫であり、エジプト人のファラオであると宣言する。しかし戦闘で負傷し、死んだと思われていたアメネスが戻って来る。彼は妻と王冠を取り返そうとする。ラムフィスは、アメネスがテオニスを断念するならば、王冠を断念すると言う。アメネスはそれを受け入れる。しかし失望した民衆はラムフィスとテオニスを石で打ち殺す。アメネスの王座回復も、彼が死んだために挫折する。

1922.2.23
『刻印された者たち Die Gezeichneten』
カール・テオドール・ドライヤー監督、シナリオ:カール・テオドール・ドライヤー(アーゲ・マーデルングの小説による)、撮影:フリードリヒ・ヴァインマン
【キャスト】ポリナ・ピヒョヴスカヤ、ウラディーミル・ガイダロフ、ヨハンネス・マイヤー、トルライフ・ライス
【解説】革命前のロシアにおけるユダヤ人迫害。デンマークのドライヤー監督がドイツの映画会社のために製作した最初の映画。

1922.3.4
『ノスフェラトゥー・恐怖のシンフォニー Nosferatu--Eine Symphonie des Grauens 』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ F.W. Murnau監督、シナリオ:ヘンリック・ガレーン Henrik Galeen(ブラム・ストーカー原作の『吸血鬼ドラキュラ』(創元推理文庫、平井呈一訳)による)、撮影:フリッツ・アルノー・ヴァーグナー、製作:デークラ・ビオスコープ社
【キャスト】マックス・シュレック(オルロック伯爵――ノスフェラトゥ)、グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム Gustav von Wangenheim(トーマス・フッター)、グレタ・シュレーダー(エレン、彼の妻)、ヨーン・ゴットウト(バルヴァー教授)、グスタフ・ボッツ(ジーファース:町医)、アレクサンダー・グラーナハ(クノック:家屋周旋屋)、ゲオルク・H・シュネル(ハーリング)、ルート・ランツホフ(アニー:彼の妻)、ヴォルフガング・ハインツ(水夫1)、アルベルト・ヴェノール(水夫2)、ギド・ヘルツフェルト(亭主)、ハーディ・フォン・フランソワ(病院の医師)。
【あらすじ】ブレーメンで妻エレンと幸福な結婚生活を送っているフッターは、風変わりな家屋周旋屋クノックのところの従業員である。ある日、彼はノスファラトゥと称される神秘的なオルロック伯爵のところへ、売買契約を結ぶために派遣される。「あなたはそれで多少の金を稼げる。それにはもちろん少々苦労が要る…少々の汗とひょっとすると少々の血も」。フッターは奇妙な胸騒ぎがするが、しかし結局旅の喜びには勝てない。彼は若い妻を共通の友人に託して、旅に出る。
 だが旅の途中でもうフッターは、奇妙な幽霊の出現に出会う。ドランシルヴァニア地方の住民たちは、この無知な旅行者に、「幻の国」に用心するよう警告する。
 ベッドで彼は吸血鬼と幽霊についての本を見つける。彼はその数行を読む。それから迷信じみた馬鹿げた内容をただ笑い飛ばす。翌朝、彼はしかしその本を旅行カバンにしまいこむ。宿の亭主の警告は、彼に旅の継続を思いとどまらせることはできない。しかし道の半ばで御者はそれ以上先へ行くことを拒む。
 やむを得ずフッターがしばらく徒歩で行くと、奇妙な扮装の御者が鞭を振るっている黒い馬車がガタピシとやって来る。それに乗ると馬車は猛烈なスピードでオルロック伯爵の城に彼を運んで行く。城の門は驚いているフッターの眼前で、幽霊の手によってのように、全部ひとりでに開き、陰気な伯爵が彼を出迎える。伯爵の姿は馬車の御者と似ている。それから彼はオルロック伯爵の挨拶を受け、もてなしを受ける。食事のとき彼が指を切ると、伯爵は彼の血を吸おうとする:彼はノスフェラトゥ、吸血鬼だった。
 伯爵はフッターの妻の絵を見て、売りに出ている家がちょうどフッターの家の真向かいだということを知ると、躊躇無しに購入の契約を結ぶ。その夜伯爵がフッターの部屋に来て、彼の首から血を吸う。その時ブレーメンの家にいる妻のエレンが、悪夢にうなされて目を覚まし、夫の名を呼ぶ。彼女の叫び声は吸血鬼ノスフェラトゥに迫り、彼は自分の犠牲者を手放す他はない。
 翌朝フッターは自分が寝室に閉じこめられているのを発見する。フッターが窓から下の中庭を見ると、車に汚れた土を一杯に詰めた棺桶を積み込んでいる。積み終わると伯爵は一番上の棺桶に横たわり、車は幽霊の手に導かれたように、そこから駆け去る。フッターは窓から逃げだし、恐怖に動転して故郷への帰途に就く。
 彼は熱に浮かされて人事不省になるが、慈悲深い人たちが疲れ果てた彼を見つけ、看護して元気を取り戻してやる。ノスフェラトゥは棺桶を船に載せて出航する。だが船中にネズミが走り回っていて、乗組員は次々に死に追いやられる。回復したフッターはブレーメンへ急ぐが、一人船に残ったノスフェラトゥのほうが先に着いている。同じ時、ブレーメンではヴァン・ヘルジング博士が自然の秘密と人間生活との奇妙な対応について講義している。
 ノスファラトゥがやって来ると共に、ブレーメンの町にペストが流行る。後を追ってきたフッターも、ようやくブレーメンに着く。妻のエレンは彼の手荷物の中に吸血鬼の本を見つけ、どんなことが起きたかを知る。 その本には、清らかな心を持った女性なら吸血鬼に夜明けの最初のニワトリの鳴き声に気づくのを忘れさせ、吸血鬼が寝床にしている汚れた土の棺桶のところへ、夜明け前に戻れないようにすることができると、書いてあった。エレンは身を犠牲にして吸血鬼を呼び寄せようと決心する。
 そしてノスフェラトゥが自分の窓に向き合った家に入ったのを見たエレンは、この怪物を招待して自分のところへ来させ、彼に首を差し出す。ノスフェラトゥが夢中で血を吸っているうちに日が昇る。ブレーメンにはノスフェラトゥの狂気の家来クノックがいて、禁固室に入れられていたが、彼は日の出に気づいて「ご主人、ご主人、気を付けて!」と警告する。しかし間に合わない。朝日が射して吸血鬼の身体を崩壊させ、塵に戻す。教授を連れて急いでエレンのところへ来たフッターは、息も絶え絶えの妻を見つける。だがを ノスフェラトゥの影が消え失せると、妻の病気は奇跡のように消える。そしてノスフェラトゥの家来も親分と同じ時に死ぬ。
【解説】この映画のシナリオは、『プラーグの大学生』、『巨人ゴーレム』や『妖花アラウネ』といった、ドイツ怪奇幻想映画の傑作のシナリオや監督に関与したヘンリック・ガレーンが、ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』を下敷きにして書いたものだった。それはまさに、アングロ・サクソン系の恐怖文学とドイツ系の幻想文学を統合して、「映画」という新しい媒体に移し、映画というジャンルがそうした性質の表現にきわめて適した媒体であることを示した作品だった。その意味ではこの映画は、今日まで延々と製作され続けている世界の怪奇幻想映画の源流の一つとなった、記念すべき作品と位置づけることができる。同時にそれは監督ムルナウが、1920年代ドイツ・サイレント映画の巨匠の一人にのし上がる過程で、『フォーゲレット城』に続いて発表した、彼としても重要な位置を占める作品である。
 「ドラキュラ」だけでなく一般に吸血鬼は、主としてイギリス・アメリカ映画のお気に入りのテーマで、ほとんど枚挙に暇がないほどの盛況振りで、玉石混淆も甚だしかった。にもかかわらず英米で、このムルナウの『ノスフェラトゥ』をしのぐ作品が生まれたとは言い難い。ヴェルナー・ヘルツォーク監督によるリメイクも、ムルナウの傑作を忠実になぞった作品である。もっとも英米系の「吸血鬼」映画には、ほとんどマニア的なファンが多い。例えば季刊「映画宝庫」No.11の「ドラキュラ雑学写真事典」などは、、そうした傾向を代表している。ただ通俗的な吸血鬼映画が、イギリス・アメリカで大衆の圧倒的支持を受けてきたことは間違いない。
 ムルナウの『ノスフェラトゥ』に関しては、ドイツ映画の黎明期にいち早く「キーノ・ブーフ」を編集して、映画の未来を示唆したクルト・ピントゥスが、この映画の幻想美を特に賞賛して、こう述べている。「コントラストとして抒情的な要素と春の朝のような情緒が、きわめて晴朗な印章を与える。ムルナウはこの映画で若い人々だけを使った。それが彼の映画に、柔らかさと叙情性を与えている」。そうした意味では、ムルナウは吸血鬼を題材としながらも、通り一遍の怪物映画とは異なる次元の作品を生み出したと言える。
 ドイツ表現主義映画についての卓越した論考『デモーニッシュなスクリーン』を書いたロッテ・アイスナーは、その中でムルナウについて、こう書いている。「ドイツ映画最大の映画監督フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウの映画の構成は、決して単なる装飾的様式化を意図したものではない。彼はドイツ映画全体の中で、もっとも圧倒的で、もっとも痛烈なイメージを創造した人物である。彼は芸術史の訓練を受けていた。フリッツ・ラングが有名な絵画を忠実に再生しようと意図したのに対して、ムルナウはそうした絵画について自分が持っている記憶を彫琢し、それを自分個人のヴィジョンに変換する。ムルナウは自分自身から逃れようと意図していたので、フリッツ・ラングのように、芸術的な一貫性によって、自分自身を表現することをしなかった。しかし彼の映画のすべては、彼の内的コンプレックスの記号となっている。つまり彼の映画は、彼が絶望的に無縁な存在に留まっている世界に対しての、彼自身の内部での闘いの記号となっている。最後の映画『タブー』においてだけ、彼は平和と若干の幸福を見出したように見える」。
【映画評】◇ルドルフ・クルツ『表現主義と映画』(1926)――「……ヤニングスを使った『最後の人』で、はっきりと様式化された傑作を創造したムルナウは、ことによるとまだ意識的な表現主義ではないが、その形式に近づいているように見える諸要素によって、彼の吸血鬼映画『ノスフェラトゥ』の中で、心の雰囲気の醸し出す不気味な印象を創り出そうと試みた。ヘンリック・ガレーンがしっかりしたシナリオで構成したこの恐怖に満ちた冒険においては、ネズミやペスト船や、吸血鬼どもや、丸天井の広間や、稲妻のように走る馬に引かれた黒い荷馬車などによって生み出される重なり合った幻想が、相互に作用し合ってデモーニッシュな効果をあげているが、それは始めから自然主義的描写を避けていた。ムルナウは非現実的性格を強調し、趣のあるヴィジョンを作ることを目指して演出した。そして自然のままのフォルムででて与えることのできない、あの恐怖の効果を達成した……」。
◇1922年9月11日付けの「フィルム・クーリール」誌――「……彼の幻想的なノスフェラトゥ映画は、名人芸によってセンセーションを巻き起こした。その名人芸によってここでは、生きた映像の無言の言語が、その迫力から誰も逃れることのできないような力を振るっていた……。どんな場合でもムルナウの映画では、われわれはきわめて強烈な個性に関わることになる。だからと言って、目的のためには手段を選ばぬ野心家と関わっているのではない。まったく明白に座礁してしまい、まとも先へ進めなくなっているドイツ映画を、どうやったら救うことができるかについて頭を痛めている、思索する人と関わっているのである。彼は一つならぬ点で、われわれの映画の世界の枠をはみ出す。映画人の間で薄い金髪のフリースランド人の姿に出会うことが、すでに異例である。彼はいわば、「映画の国の寡黙な人」の一人に数えることができる(フリッツ・オリムスキー)。
なお、『ノスフェラトゥ(吸血鬼)』のトリックを駆使した装置は、アルビン・グラウが作った。

1922.3.8(日本封切り1926.4.30)
『燃ゆる大地 Der brennende Acker』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブとヴィリー・ハース、アルトゥール・ローゼン、撮影:フリッツ・アルノー・ヴァーグナー
【キャスト】ヴェルナー・クラウス、オイゲン・クレッパー、ウラディーミル・ガイダロフ、リア・デ・プッティ。
【解説】相続した土地から石油が出るという予想で起きた野心と物欲の農民家庭の室内劇。それは自殺と放火のすさまじい葛藤に発展するが、悲劇の結末はいささかの幸福で終わる。争いは兄弟がまったく正反対の世界観を持っていること、農民と貴族との間の社会的立場の調停や資本主義的問題がからんでくることで、作品を時代を特徴づけるものたらしめている。

1922.4.27(日本封切り1923.5.1一部二部短縮版)
『ドクトル・マブゼ DR, MABUSE, DER SPIELER』第一部:「大賭博師・時代の映像 Der grose Spieler. Ein Bild der Zeit」
フリッツ・ラング監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ Thea von Harbou(ノルベルト・ジャックの小説による)撮影: カール・ホフマン、美術:シュタール・ウーラハ(第一部撮影中に死去)、オットー・フンテ、エーリヒ・ケッテルフート(第二部)、カール・フォルブレヒト(第二部)、製作:デークラ・ビオスコープ社
【キャスト】ルドルフ・クライン=ロッゲ Rudolf Klein-Rogge(マブゼ博士)、ベルンハルト・ゲッケ Bernhard Goetzke(ヴェンク検事)、アルフレート・アーベル(トルト伯爵)、アウト・エーイェゼ・ニッセン Aud Egede Nissen(カラ・カロッツァ、踊り子)、ゲルトルト・ヴェルカー(トルト伯爵夫人)、パウル・リヒター(エドガー・フル、百万長者の息子)、ロベルト・フォルスター=ラリナガ(シュペリ、秘書)、ハンス・アーダルベルト・フォン・シュレットウ(ゲオルク、マブゼ博士の運転手)、ゲオルク・ヨーン(ペシュ)、カール・フサール(ハヴァシュ)、グレーテ・ベルガー(フィフィ、女中)、ユリウス・ファルケンシュタイン(カルステン、ヴェンクの友人)、リュディア・パチュヒナ(ロシア婦人)、ユリウス・E.ヘルマン(シュラム)、カール・プラーテン(トルト伯爵の召使い)、アニタ・ベルバー(踊り子)、パウル・ビーンスフェルト(ピストルを持った男)、ユリウス・ブラント、アウグステ・ブラッシュ=グレーフェンベルク、アデーレ・ザントロック、マックス・アーダルベルト、グスタフ・ボッツ、ハインリヒ・ゴート、レオンハルト・ハスケル、エルナー・ヒュプシュ、ゴットフリート・フッペルツ、ハンス・ユンカーマン、アドルフ・クライン、エーリヒ・パプスト、エドガー・パウリ、ハンス・シュテルンベルク、オーラフ・シュトルム、エーリヒ・ヴァルター
【あらすじ】◇第T部「大賭博師・時代の映像」――マブゼ博士は大変成功した精神分析学者として、社会に知られている。だが彼は二重生活を送っており、数多くの仮面の下で、催眠術の能力を利用して、犯罪的なやり方で財産と権力の拡大に努めている。 
 ちょうど今彼は、スイスとオランダの間でコーヒーの取引に関する経済協定交渉が行われていることを知った。彼は列車の中でその使者を殺させ、協定書を盗ませる。さらに電気工事人に偽装した共犯者からの報告で、両国の交渉が成功したことをマブゼは知る。そこで彼は真面目な実業家の仮面の下に、取引所に行く。そして秘書のシュペリに命じて、協定書を入れた書類鞄が、取引所の開く半時間後にスイス領事館に手渡されるようにする。マブゼが取引所に入ると、協定書の記録が消えたという知らせが来て、株価は870から120に下がる。マブゼは買う。すると記録が見つかったという知らせが来て、相場は980に上がる。マブゼは売って、一財産作る。
 夕方彼は精神分析によって人間の頭脳が受ける影響について、講演する。その間に彼は行商人に扮して、貧民街にある彼の偽札工場を督励したり、銀行家フーゴー・バリングに扮して、「フォリ・ベルジェール」を訪れたりする。そこには踊り子カラ・カロッツァが登場するが、彼女はマブゼの忠実な共犯者である。彼女は次の犠牲者として、大金持ちの工場主の息子エドガー・フルに、マブゼの注意を向けさせる。マブゼは催眠術を使って、フルを自分と一緒にヴァリエテから連れ出し、トランプクラブ「174」に案内する。そして催眠状態のフルを大敗させ、15万マルクという大金を、翌日ホテル・エクセルシオールのフーゴー・バリングの部屋に持ってくるように言う。
 翌日フルがホテルに負債を払いに行くと、そこで彼はカロッツァに出会う。たちまち彼女に魅惑されたフルは、彼女に言い寄り、彼女は指令されたとおりそれを受け入れる。数日後フルが家でカロッツァを待っていると、フォン・ヴェンク検事が訪ねて来る。検事は「フルさん、私はあなたが今日から警察の直接の保護の下にあることを告げるために来ました」と言う。彼は更に6週間前からいかさま賭博の被害を受けたという訴えが当局に寄せられており、あなたがなぞめいたバリング氏に賭けで大敗したと聞いたので、協力を頼みに来たのですと言う。相手はどうやら同一人物らしいとも言う。
 検事が立ち去ると、マブゼに強制されてカロッツァがやって来る。そして検事の名刺を見つけると、そんな危険なつき合いはしないようにと警告する。ヴェンクは友人のカルステンと一緒に「シュラム・グリル」に行って食事をしそこで捜査を続ける。彼はレストランの裏部屋で、トルト伯爵夫人に出会う。彼女は賭博者の間では、「不活動分子」として知られていた。彼女自身は賭博に加わらなかったからである。彼女は美術収集家の夫に退屈して、賭博場の 雰囲気を愛していたのである。そこでヴェンクは彼女を説得して、未知の大物の捜査に協力させる。
 その間にマブゼは新たに白髪の老人に変装して、隣の賭博台に座り、ロシア婦人とその5万ドルの真珠のネックレスを賭けて勝負し、いつものトリックで、それを自分のものとする。一方ヴェンク検事はカロッツァから、秘密の賭博クラブのリストを手に入れる。そこで彼は仮面を付けて、まずはじめにマブゼが入った「アンダルシア」の店を訪れる。そしてエキゾチックな印象を与える老人を、怪しいとにらむ。マブゼはヴェンクに催眠術をかけようとするが、はじめて抵抗にぶつかる。マブゼはヴェンクの仮装を見抜き、自動車で逃げ出す。そしてマブゼの仲間がヴェンクを引き止めようとするが、ヴェンクはマブゼの跡を追って、ホテル・エクセルシオールまで行く。しかしマブゼは給仕に化けて姿をくらます。
 マブゼは今やフルとヴェンクを片づけようとする。彼の指令でカラ・カロッツァはフルの家に行き、新しい賭博クラブ「プチ・カジノ」の開店に招く。その際マブゼの手紙を落として、気づかずに帰る。ヴェンクはカロッツァが疑念を抱かないように、無邪気に振る舞うようにとフルにすすめ、私があなたの前にそこに行くから、何の危険もないと安心させる。賭博が始まったところでヴェンクは警察に電話をかけ、手入れをさせる。しかし混乱の中でマブゼの一味はフルを射殺してしまう。カラ・カロッツァが逮捕される。
 さてトルト伯爵夫人はある心霊術のサークルで、有名な精神科医マブゼ博士に出会い、彼を翌日のトルト邸でのパーティに招待する。ヴェンクはトルト伯爵夫人を訪れ、その協力を乞う。「あなたは賭博クラブで一緒にあげられたかのように、自発的にカロッツァの独房に入って下さい。私はあなたが、カロッツァに口を割らせることに成功すると確信しています」と言う。あらゆる時代でもっとも危険な犯罪人の一人の手がかりを掴むためですと言われて、遂にトルト夫人は承知し、警察の留置所に入る。そしてカロッツァに「殺人が行われたとき、あなたは近くにいたの」と探りを入れると、カロッツァは夫人の演技を見破ってしまう。そこで夫人はフルがマブゼに殺されたことを告げるが、カロッツァは「マブゼは偉大な人間であり、自分を愛している。このただ一人の人を裏切ることはできない」と言う。伯爵夫人は「ごめんなさい、カロッツァさん、私はあなたが彼を愛していることを知りませんでした」と謝り、それ以上探り出すことを止める。
 次にトルト邸でパーティが開かれる。マブゼ博士も来る。彼は伯爵に催眠術をかけ、カード遊びでお客達にいかさまを仕掛け、しかも見破られてしまうように仕向ける。招待した主人がいかさまをしたというので、スキャンダルになり、パーティは吹っ飛んでしまう。マブゼは混乱を利用して、彼女を連れだし、自分の家の以前カラ・カロッツァがいた部屋に閉じこめる。
【解説】第一次世界大戦後の世相の記録と不気味な独裁者マブゼ像の創造。ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り。

1922.5.26
『ドクトル・マブゼ DR, MABUSE, DER SPIELER』第二部:「地獄・われわれの時代の人間をめぐる劇 Inferno-Ein Spiel um Menschen unserer Zeit」
【あらすじ】◇第U部「地獄・われわれの時代の人間をめぐる劇」――すっかり取り乱したトルト伯爵はヴェンク検事を訪れて、「私はいかさま賭博をやってしまいました。私より強い何かに強いられてそうしたのです」と告白し、こうしたケースを任せることのできる老練な精神科医を知らないかと尋ねる。そのとき居合わせた客の中で、夫妻にとって始めての客はマブゼ博士だけだったことを聞いたヴェンクは、マブゼ博士に診察を求めるように勧める。
 一方マブゼは伯爵夫人を手込めにしようとしている。そこへ伯爵から電話がかかって、」診察を求められる。マブゼは翌日の11時に訪れると答える。翌日伯爵を訪ねたマブゼは、大変面白いケースなので治療を引き受けましょうと約束するが、条件があると言う。「あなたは私が治療をしている間、家を出ることも、人に会うこともしてはなりません」。そこで伯爵はその指示通りに、召使いに「私や夫人のことを尋ねられたら、しばらく旅に出ていますと言え」と命ずる。ヴェンクから電話がかかり、召使いは命じられたとおり「ご夫妻は旅行中です」と答える。ヴェンクは不思議に思ったが、伯爵夫妻の危険な状態には気づかない。彼はカロッツァを女囚刑務所に送って、ますます厳しく尋問する。彼女が口を割りそうになったと知ったマブゼは、看守として刑務所に潜り込ませている手下を通じて、カロッツァに毒のアンプルを送る。
 カロッツァはおとなしくそれを飲んで死ぬ。他方マブゼの子分の一人ペシュも、ヴェンクを事務所ごと吹き飛ばそうとして失敗し、逮捕される。するとマブゼは左翼アジテーターに変装して労働者酒場に行き、逮捕された革命の殉教者を移送中に奪還しようとアジる。
しかし奪還が成功すると、マブゼは手下の一人にペシュを射殺させ、秘密が漏れるのを防ぐ。
 そうしておいてマブゼはトルト伯爵夫人を脅迫する。「私はこの町とこの国を去るつもりです。私は貴方が私に同行したいかどうか聞きに来たのです」。そして伯爵夫人が彼にものになることを拒んで、「私は夫のところへ行くのです」と言うと、マブゼは「今あなたはあなたのご主人に死刑の判決を下したのです」と言う。そして伯爵に向かっては「あなたの夫人はあなたを精神病院へ送ろうとしています。あなたの人生はおしまいです」と吹き込む。絶望した伯爵は錯乱してしまい、とうとうかみそりで喉を切って自殺してしまう。
 伯爵の死を知ったヴェンクは伯爵邸を訪れ、召使いに伯爵はどこにいるかと聞く。召使いは「あの不幸な賭博の夜以来、私は伯爵夫人にあっていません」と答える。このなぞめいた事件を捜査するためにヴェンクが事務所に帰ると、マブゼ博士が待っている。そしてトルト伯爵の死は魔術師ザンドル・ヴェルトマンの催眠術の影響だと説き、ヴェルトマンの実験の興業を訪れて、自分の目で確かめるようにと勧める。
 実験の晩に訪れたヴェンクは、ヴェルトマン、実はマブゼに誘導された舞台に上がる。そして彼が口にした「TSI-NAN FU」という呪文から、ヴェルトマンがマブゼであることを見抜くが、今度はマブゼの催眠術にかかってしまう。封をした封筒の中に書かれているとおりに、「観客席を離れて、戸口の前に止まっている車に乗り、フルスピードでベルク街を経て、シュタインブルック・メリオールへ」走ったヴェンクは、そこで危うく墜死しそうになる。だが彼は部下に、自分から目を離すなと頼んでいたので、間一髪のところで部下に救われる。
 ヴェンクはマブゼの家を包囲させる。脱出できないと知ったマブゼは、激しく抵抗して撃ち合う。ヴェンクは電話でマブゼを呼び出し、抵抗を止めるよう説得するが、マブゼは「私は自分が」国家の中の国家だと感じている。私が欲しいなら、私を連れにくるがいい」と拒否する。そして「トルト伯爵夫人が私の家にいることに注意せよ」と言う。夫人の命が危険だと知ったヴェンクは、軍隊の出動を求める。軍隊が突入すると、マブゼは伯爵夫人を連れて逃げようとするが、夫人は抵抗してマブゼから逃れる。マブゼは地下のトンネルを通って、偽札工場に逃げ込む。だがその工場の鍵を見つけたヴェンクは、マブゼがそこへ逃亡したと推測し、部下と共に工場に急行する。マブゼは工場の入口の鍵を持っていなかったので、外へ出られない。
 とうとう彼は気が狂ってしまい、彼の犠牲となったフル、カラ・カロッツァ、トルト伯爵、ペシュの亡霊を相手に賭博をする。彼は負ける。ヴェンクが工場に踏み込んだとき、彼はそこに完全に狂ってしまった男、「かつてマブゼ博士だった男」を発見しただけだった。
【解説】『死滅の谷』に続くフリッツ・ラング監督の、このサスペンスに富んだメロドラマは、『死滅の谷』以上に直接当時の異常な世相の空気を呼吸している。今日から見ればそうした背景は、すべてこの急迫したリズムの万華鏡という形式を生み出すのに役立っただけであるが、時代の渦中にあった観客は、直接的な体験との照応に戦慄したであろう。フリッツ・ラングとハルブのねらいも、そこにあったわけで、観客の反応は二人の思うつぼだった。そこでフリッツ・ラング自身、のちにこの映画を「ドキュメンタリー映画」だと称している。もちろん現実の再現という意味においてではなく、当時のドイツ人が本能的に感じていた一種の脅威が、マブゼという一人の人物像に具現されているちう意味で、時代状況のドキュメンタリーだったというのである。確かに同時代の観客にとっては、映像化されたさまざまな要素が、そうした脅威の可視的な記号だった。俳優の表現豊かな演技、全能の悪という仮象、光りと闇の不気味は交錯、収拾のつかなくなった時代の精神を視覚化している表現主義的装置――そうした道具立ての効果は満点だった。当時のカタログはこう書いている。「戦争と革命とによって掃き寄せられ、踏みつけられた人間は、欲望から享楽へ、享楽から欲望へと急ぐことによって、苦悩に満ちた過酷な年月に復讐している」。
 映画だけではない。ノルベルト・ジャックの原作にもすでに、そうした時代の気分が横溢していた。「戦争の帰結は想像力を沈静させず、むしろそれをかき立てた。何十万人という者たちが、次第に無為の生活に馴れてしまっていた。人生はこの何年間を通じて、生死をめぐる宝くじ的ギャンブル以外のものではなくなっていた。頭脳と心情は一か八かに馴れてしまっていた」。つまり当時のドイツ人の心情は、サスペンスに富んだニヒルなメロドラマにぴったりの状況にあった。
 もっともノルベルト・ジャックの原作は、必ずしもそうした性質の作品ではなかった。もそフリッツ・ラングとテア・フォン・ハルブが、それを独特の疑似神話的メロドラマに仕立て上げなかったとすれば、とうの昔に忘却されていたことだろう。原作の主人公は、悪のカリスマ的存在とは似てもつかない小市民に過ぎない。敵役のヴェンク検事も型通りの能吏で、反動的心情の人物である。小説の舞台も世界的大都市ベルリンではなくて、田舎のミュンヘンである。ただエロチックな描写は、作家ハンス・ハインツ・エーヴァースが、当時のドイツ娯楽文学に導入した通俗表現主義の淫猥なスタイルを踏襲することで、時代の傾向を示していた。
 このように映画のほうが原作よりも遙かに時代の感情に添っていたが、表現主義の詩をリードしたクルト・ピントゥスは、それについて次のように評価している。「私のように通例(通俗的な)『ウルシュタイン・ブック』シリーズの作品を読まない者は(それゆえノルベルト・ジャックの小説を知らずにウーファ・パラスト映画棺に来る者は)、映画『ドクトル・マブゼ』によって、三つのセンセーションを体験することができる。第一に、刺激的な犯罪事件を見る。つまり運命と人間を操ることが人生の必要事であるような、巨大なスケールの狂信的な犯罪者を見ることができる。第二に、カール・ホフマンの並外れて巧みな、よく鍛えれた、(私は敢えてこう言いたいが)きわめて芸術的な写真によって、目が幻惑され、うっとりさせられる。例えば夜の街路を通る市電で、暗闇から光りが疾駆し、揺れ、燃えるシーン。悪漢の脅かすような影が、予告するように画面に入ってくるシーン。それはこれまで見たことのない写真技法の革新である。そして第三に、監督のフリッツ・ラングが、狂気じみたわれわれの時代を、特徴的なタイプと環境に濃縮しようと努めていることである。ノルベルト・ジャックの小説が犯罪者マブゼの像を、より多く示しているのに、自らが不安定な存在であるラングは、発明の才、機知、そして映像構成によって、素早いテンポで時代像を繰り広げようとしている。ジャックの小説における以上に、この映画の人物像は精巧に作り上げられて、一つの型になっている。そしてすべての型の人物像が、荒れ狂い、混乱し、腐敗した時代から生み出され、再びこの世界の中に溶け込む。例えば自分の上品な環境から、絶望的にアヴァンチュールを求めている貴族の女性を見てもらいたい。あるいは表現主義で充満した自宅の死んだような部屋で、道楽気分で芸術のドグマにふけっている、無為の優柔不断な男、黒魔術の犯罪者に奴隷のように服している踊り子を見てもらいたい。それからフリッツ・ラング監督は、最近の年月が過度の興奮、堕落、センセーション、投機という形でわれわれにもたらしたすべてのものを、圧縮しようとし始める。科学的に熟慮された犯罪、乱高下する相場騒ぎ。エキセントリックな賭博クラブ、催眠術、コカイン、放蕩児が逃避する怪しげな酒場、精神的にも性的に隷属的な、ひ弱な人間。良心の無いのが当然であるような、あの拠り所を失った人々」。クルト・ピントゥスの批評自体が、時代の空気そのものの表現である。
 表現主義は時代のシンボルだった。フリッツ・ラングは映画の中で、「表現主義をどう思うか」という問に対して、マブゼにこう答えさせている。「表現主義は遊戯です。しかしそれがどうしていけないのでしょう。今日ではすべてが遊戯です!」つまりこの映画はすべてが遊戯になってしまった世界をテーマとしている。遊戯(賭博)する人としてのマブゼ博士は、遊戯について明瞭な見解を示す。「愛などはありません。欲望があるだけです! 幸福などはありません。権力への意志があるだけです!」
 しかし実際にはこの映画では、「権力への意志」がマブゼの動機とはなっていない。後になればなるほど、遊戯(賭博)そのものが自己目的となり、操作すること自体の快楽にふけっている。労働者をアジって手下を奪還させるとき、彼の犠牲者の生死をもてあそぶとき、彼は操作の名人芸によって賦与された権力を楽しんでいる。この映画の奇妙な面白さは、まさにそこにある。もしマブゼが「権力への意志」を仮借無く発揮する悪魔的な人物像に過ぎないとしたら、この映画は不気味でデモーニッシュなものとなったであろう。マブゼが手段を目的と混同することによって、彼の超人的構想の非人間性が、憫笑すべき人間的なものに変わる。それがこの映画を享受できるものにしている。あるいはフリッツ・ラング自身が、そうした面白さを享受していたのかもしれない。
 いずれにしても封切りのプログラムが言うように、「このマブゼ博士は1910年には存在しえなかったであろうし、おそらく1930年にはもはや存在しえないであろう。われわれはそう思いたい。しかし1922年の今は、彼は時代に生き写しの肖像なのである」。「ちなみにこれは、これまでに撮影された最初の本当のギャング映画である。この後10年を経てようやくハリウッドが、人間が車に押しつぶされたり、犯罪者が窓から機関銃で撃ったりする映画を、無数に作るのである。そして、これらの映画がヨーロッパへ来ると、人々は言う。〈アメリカの典型だ!〉そしてフリッツ・ラングがそういう映画を10年も前にドイツで作ったこと、彼の映画と同じように幻想的で、途方もなく非現実的なベルリンで作ったことを、とっくに忘れてしまっている」(『ドイツ映画の偉大な時代』)。
 この映画の第一部と第二部は、相互に補い合う関係にある。したがって連続映画のように、二回にわけて上映するのが、もっとも似つかわしいやり方だった。しかしアメリカでは二部を一部に短縮して上映したために、それでなくても多岐に渡るこの映画は、いささか理解しにくいものになった。日本での封切りも短縮版だった。それがこの映画の評価を混乱させる結果となった。にもかかわらず映画は成功した。そのためフリッツ・ラング自身が1933年に二番目の「マブゼ」を作っただけでなく、1960年にも『マブゼ博士の千の眼』を作った。1962年には、33年の『マブゼ』がヴェルナー・クリンガーによって再映画化され、「マブゼ博士」は「吸血鬼ドラキュラ」のように、一つの型としての人間像の位置を占めるようになった。今後も混乱期を象徴する人間像として生き続けるであろう。
【映画評】◇「ベルリンのローラント」、1922年5月4日――「この映画の成功の理由はそのプロットにではなく、エピソード的なディテールにある。全体としての事件の連鎖にではなく、一つの時代を生き生きと表現している個々の事件にある。それはリズムとスピードによって、スタイルと雰囲気によって結びつけられている。ここには舞踏と犯罪、賭博の情熱とコカイン常用、ジャズと警察の手入れの濃縮がある。戦後の重要な徴候で一つとして欠けているものはない。株式取引所、策略、オカルトのいかさま、売春と飽食、密輸、催眠術、表現主義、暴力、そして殺人!
 非人間的な人間のこのデモーニッシュな行動は、何の目的も、何のロジックもないーーすべてが遊戯である。だが他の人々が賭博を楽しんでいるのに、マブゼ博士は人間の生命、人間の運命をもてあそんでいる」(「ベルリナー・イルストリールテ」)。
 「この映画は現在を、仮借無く映し出された現代史を示している。ノルベルト・ジャックの小説はテア・フォン・ハルブによって、巧みに改作された。しかしヴェーデキント的な光りが、不協和でヒステリックな戦後期の間続いている消耗性の死の舞踏の上に、グロテスクな非リアリティの、青光りする白熱を投げかけるように燃やされたのは、まったくフリッツ・ラングの演出のおかげである。彼の手による写真によって、これまで聞いたこともないような表現力が達成されたことは、驚くべきことである」。
◇「キネマトグラフ」、1922年5月7日――「このマブゼ博士は、われわれの時代の一種の理想像である。彼は粗野なやり方をする過去のギャングの王とは違う。彼が博士であるのは、偶然ではない。そして彼は自分のアカデミックな教育で得た知的な力のすべてを、彼の巨人的な計画を実現するために投入した」
◇「B・Z」紙――「登場した人物像がわれわれの時代にとって典型的であるだけでなく、彼らの生活の仕方と彼らの置かれている環境も特徴的である。そりゆえ映画の情景面、そのセット――建築家シュタール・ウラッハとオットー・フンテの驚くべき成果――が、重要な意味を持つ」。

1922.10.6
『ルクレチア・ボルジア Lucrezia Borgia』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:リヒャルト・オズヴァルト(物語やハリー・シェフの小説、ブルカルドゥス司教の日記の記述やグレゴロヴィウスなどを素材として、自由に脚色)、撮影:カール・フロイント、カール・フォス、カール・ドレーフス、フレデリック・フーグルザント、装置:ローベルト・ネパッハ、ボート・ヘーファー
【キャスト】リアーネ・ハイト(ルクレチア・ボルジア)、コンラート・ファイト(チェーザレ・ボルジア)、アルベルト・バッサーマン(ロドリゴ・ボルジア:法王アレクサンドル6世)、パウル・ヴェーゲナー(ミケレット)、ハインリヒ・ゲオルゲ(セバスティアーノ)、ロタール・ミューテル(ジュアン・ボルジア)、ケーテ・ヴァルデック・オズヴァルト(ナオミ)、アルフォンス・フリューラント(アルフォンソ・フォン・アラゴン)、アレクサンダー・」グラーナハ(囚人)、ヴィルヘルム・ディーテルレ(ジョヴェンニ・スフォルツァ)、リューダ・ザルモノヴァ(ディアボラ:虎調教師の女)、アニタ・ベルバー等
【解説】ローマ法王アレクサンダー六世の娘ルクレチア・ボルジアの生涯を扱った歴史物映画。
【あらすじ】法王アレクサンドル6世は自分の二人の甥、チェーザレとジュアン、そして姪のルクレチアに非常に愛着している。彼はローマ中が噂しているチェーザレの悪行を信じようとしない。しかしジュアンが殺されたとき、殺したのはチェーザレだと知り、彼に追放を申し渡さざるを得ない。ルクレチアはジョヴェンニ・スフォルツァと結婚してはいるが、それは政略的理由からであって、愛情からではなかった。チェーザレはルクレチアにその情熱で強引に迫って、彼女を悩ます。そして彼と彼女との間を邪魔する者は誰でも、死ぬ運命にある。だがルクレチアは、ジョヴェンニが死ぬことを望まない。そこで彼女は彼の逃亡を助ける。彼女は彼と離婚させられる。
 二番目に彼女の夫となったのはアルフォンソ・フォン・アラゴンだったが、彼女は彼を何にもまして愛するようになる。そこでチェーザレは彼を殺させる。ルクレチアは復讐を決意し、ジョヴェンニ・スフォルツァの城、ペザーロへ急ぐ。チェーザレの犠牲にされる次の男は、当然彼だろうと察したからだった。ジョヴェンニ・スフォルツァのほうも、今でもルクレチアを愛していた。彼女は「あなたがチェーザレを殺してくれたら、私はあなたに愛を捧げましょう」と約束する。
 ジョヴェンニ・スフォルツァはチェーザレの雇った傭兵の攻撃を撃退してしまった後で、チェーザレとの決闘の準備をする。そして憎み合っている二人の仇敵同士は、その決闘で互いに相手を死に追いやってしまう。セバスティアーノが死んだ主人の亡骸をペザーロ城から運び出し、城にはルクレチアだけが一人取り残される。
【映画評】◇「デア・フィルム」誌、1922年第44号――「……演技の点ではこの映画は、圧倒的にすばらしい。観客にもっとも強い印象を与えるのは、法王アレクサンドル6世に扮したバッサーマンである。やけっぱちの愛情の持ち主としてのチェーザレを演じるコンラート・ファイトも、同様にすぐれた演技を大いに見せているが、時折その演技全体を統一するラインを見失うのが残念である。ジュアン・ボルジアに扮したロタール・ミューテルは、顕著な気品が備わっており、また著しくメランコリックである。そしてディーテルレのスフォルツァは、しばしば彼と対照的である。女優陣について言うべきことは、あまりない。リアーネ・ハイトは時折、そしてアニタ・ベルバーは二、三カ所、良く撮れた場面があるが、それも男優たちの演技の立派な出来映えには、遠く及ばない……」。
◇「キネマトグラフ」誌、1922年第828号――「……オズヴァルトは疑いなく、考えられる限りもっとも豪華で、もっとも見事は手段を駆使して仕事をした。また彼は、豪華で立派な作品を作るために、どんな箇所でもけちつかず、何一つおろそかにしなかったので、この作品は技術的な面では、映画のあらゆる可能性を汲み尽くしている。途方もなく壮麗な舞台装置、選り抜かれた最高の俳優たち、繰り広げられる衣裳や小道具の華麗さ、豊かな想像力が考案したセットや補助手段ーーそうしたすべてが一緒になって、圧倒的に美しい、立派な映像を作り出している……」。

1922.10.6
『ヴァニナ――絞首台の結婚 Vanina--Die Galgenhochzeit』
アルトゥール・フォン・ゲールラハ監督、シナリオ:カール・マイヤー(スタンダールの小説『ヴァニナ・ヴァニニ』による)、撮影:フレデリック・フーゲルザング、装置:ヴァルター・ライマン
【キャスト】パウル・ヴェーゲナー(トリノの総督)、アスタ・ニールゼン(ヴァニナ)、パウル・ハルトマン(オクターヴィオ)、ベルンハルト・ゲツケ(司祭)、ラウール・ランゲ(絞刑吏)、ヴィクトル・ブルム(副官)。
【あらすじ】暴君的な総督である父親のドラマ。トリノで反乱が勃発する。しかしそれは支配者の総督によって、残酷に打ち破られる。総督の娘ヴァニナは、反乱の指導者と結婚することによって、その命を救おうとする。総督は結婚を認める。しかしそれから新しい義理の息子を絞首刑にさせる。というのは国家理性は愛に優先することを、印象的に示そうとしたからだった。

1922.11.13(日本封切り1924.3.7)
『ファントム Phantom』
フリードリヒ・ムルナウ監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ。H・H・トヴァルドフスキー(ゲルハルト・ハウプトマンの同名の小説による)、撮影:アクセル・グラートクヤーエル、装置:ヘルマン・ヴァルム、エーリヒ・チェルヴォンスキー、音楽:レオ・シュピース
【キャスト】アルフレート・アーベル(ローレンツ・ルボタ:都市文書官)、フリーダ・リヒャルト(彼の母親)、アウド・エゲデ・ニッセン(メラニー、彼の姉妹)、H・H・トヴァルドフスキー(フーゴ、弟)、カール・エトリンガー(製本工のマイスター)、リル・ダーゴヴァー(マリー、彼の娘)、グレーテ・ベルガー(シュヴァーベ夫人:質屋)、アントン・エトホーファー(ヴィゴチンスキー)、イルカ・グリューニング(男爵夫人)、リア・デ・プティ(彼女の娘メリッタとヴェロニカ・ハルラン)、アドルフ・クライン(鉄器商ハルラン)、オルガ・エンゲル(彼の妻)、ハインリヒ・ヴィッテ(用務員)
【あらすじ】都市文書官と詩人の愛の幻想の物語。
 ローレンツ・ルボタは都市文書官である。彼は母親ときょうだいの世話をしている。彼は夢想家で、たくさん読書し、詩を書いている。彼は裕福な鉄器商の娘ヴェロニカ・ハルランを愛しているが、高嶺の花である。だが製本工のマイスターが彼の詩のために出版社が見つけてやろうと約束してくれたことに勇気づけられて、彼は自分がもう大詩人になったような気になる。そこで彼は自分のキャリアを飾り立てるために、質屋を営んでいる叔母のシュヴァーベ夫人から、お金を借りる。それから彼は鉄器商のところに行って、恋いこがれているヴェロニカに求婚する。しかし気でも狂っているのかと、放り出される。ワイン酒場で彼はメリッタに出会う。彼女はヴェロニカ・ハルランに瓜二つであるように見える。そこで彼は彼女のためにお金をたくさん遣い、それで自分の恋のファントムを忘れようとする。そのお金を彼は叔母からもらっていた。ヴィゴチンスキーという悪者が彼を説得して。叔母のシュヴァーベ夫人のところに押し入ることを計画する。押し入ったとき、二人は思いがけず夫人と出会い、ヴィゴチンスキーは夫人を殺してしまう。二人は逮捕され、刑務所でローレンツ・ルボタはやっと現実に目覚める。釈放されると彼は、ずっと彼に対して誠を示していた、製本工の娘マリーと結婚する。
【解説】映画はゲルハルト・ハウプトマン60歳の誕生日を記念して(→1922年11月15日、60歳誕生日)、ブレスラウでプレミア上映され、一週間後ベルリンで記念上映された。劇評の大御所アルフレート・ケルが挨拶した。

1922.12.3
『朝から夜中まで Von Morgen bis Mitternacht』
カール・ハインツ・マルティン K.H.Martin監督、シナリオ:ヘルベルト・ユトケ、カール・ハインツ・マルティン(ゲオルク・カイザーのドラマによる)、撮影:カール・ホフマン、装置:アルベルト・ネパッハ
【キャスト】エルンスト・ドイッチュ(出納係)、エルナ・モレナ(彼の妻)、ローマ・バーン(見知らぬ女性)、ハンス・ハインリヒ・フォン・トヴァルドフスキー、フリーダ・リヒャルト、エルザ・ヴァーグナー、エーベルハルト・ヴレーデ、ロー・ハイム、フーゴ・デーブリーン、ロッテ・シュタインとマリー・ツィンマーマン・バレー
【あらすじ】腹を空かせ、髭も剃らず、物欲しそうな目つきで、出納係が銀行のカウンターに座っている。他方では大儲けした太鼓腹が、人生を享受している。その背後には、やつれた娘と貧困に働き疲れた母親と長患いの祖母をかかえた、出納係のみじめな生活がある。不変の、永遠に同じ臭い。出納係の頭に火花が走る。彼は銀行の金を着服し、姿を消す。家族は雷に打たれたように驚愕し、警察が彼の行方を追う。出納係はしかし豪奢な生活を求めて巡礼する。悪徳、娼婦、光り輝く世界の中を、今や出納係はりゅうとした身なりで歩き回り、「六日間自転車競走」のギャンブルに、金を湯水のように浪費する。そして楽しい熱狂的な夜を体験しようとするが、華麗な生活は彼の心魂をむしばみ、女たちの姿はしゃれこうべとなる。深淵の縁で彼は自分の影にむち打たれて、彼は救世軍慈善マシーンのところへ急ぐ。その夜中、釣り電灯の中に死神が現れて、どこかを指し示す。だが出納係には死神がどこを指しているのかわからない。警察の手が迫る。追いつめられた彼は、遂にブローニング拳銃で、「その返事を自分の胸のシャツの中に打ち込む」。彼は腕をひろげて、くずおれて死ぬ。「朝から夜中まで」のドラマは終わる。
【解説】映画は日本でだけ上映された。

1923
1923(日本封切り1924.7.4)
『黄金狂乱 Alles für Geld』
ラインホルト・シュンツェル監督、シナリオ:ハンス・クレーリ、ルドルフ・シュトラッツ、撮影:アルフレート・ハンゼン、ルートヴィヒ・リッペルト
【キャスト】エミール・ヤニングス(S. I. ルップ)、ヘルマン・ティミヒ(フレート・ルップ)、ダグニー・ゼルヴェス(アスタ)、ヘルベルト・ヴィンターシュタイン(フォン・ラール夫人)、ヴァルター・リラ(ヘンリー・フォン・ラウフェン)、クルト・ゲッツ(エールハルト)、マリア・カムラデーク(シシー)、パウル・ビーンスフェルト、フェリー・ジークラ、ウルリヒ・ベタック、エルンスト・シュタール=ナーハバウアー、ハインリヒ・シュロート、ラインホルト・シュンツェル、マックス・クローネルト
【解説】大金持ちの工業家S.I.ラップは留まるところを知らない貪欲で、いつも業務のことを念頭に置いている。だが彼は私生活ではつまずく。彼の息子で有名なレーサーのフレートが、父親に責任があると思わせる事情で、事故死する。父親は法廷に立たされる。そして無罪にはなったが、病気の母親を看病するのに必要なお金を工面する目的だけで彼と結婚した妻のアスタは、彼と離婚する。(クラカウアーp131n)

1923(日本封切り1924.6.27)
『エクスプロージョン Explosion』
カール・グルーネ監督、撮影:カール・ハッセルマン
【キャスト】リアーネ・ハイト、オイゲン・クレッパー、カール・デ・フォークト(クラカウアー249n)

1923(日本封切り1924.11.14)
『思ひ出 Alt-Heidelbeg』
ハンス・ベーレント監督、シナリオ:ハンス・ベーレント(ヴィルヘルム・マイヤー=フェルスターのドラマによる)、撮影:グイド・ゼーバー
【キャスト】パウル・ハルトマン(カール・ハインツ:皇太子)、エーファ・マイ(ケティー)、ヴェルナー・クラウス(ユットナー博士)、オイゲン・グルク、フリッツ・ヴェントハウゼン、ヴィクトル・コラーニ
【あらすじ】小国分立時代の昔のドイツを舞台に、ハイデルベルク大学に留学して青春を謳歌していた王子が、父王の死で留学を打ちきり、帰国して王位を継ぎ、満たされない日々を過ごすうちに、懐旧の念に駆られてもう一度思い出のハイデルベルクを訪ねるが、すでに浅春の夢の跡は消え失せていた。
【解説】センチメンタルな通俗ドラマとして非常な人気を博したので、再三再四にわたって映画化された。 

1923(日本封切り1924.3.7)
『化石騎士 Der Steinerne Reiter--Eine Filmballade』
フリッツ・ヴェントハウゼン監督、シナリオ:フリッツ・ヴェントハウゼン(テア・フォン・ハルブのアイデアによる)、撮影:カール・ホフマン
【キャスト】ルドルフ・クライン=ロッゲ、(山の主)、ルーツィエ・マンハイム(羊飼い女)、グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム(狩人)、フリッツ・カンパース、ゲオルク・ヨーン、エミーリア・ウンダ、グレーテ・ベルガー、ヴィルヘルム・ディーゲルマン
【あらすじ】「山の主」は強大な力を持つ暴君として、農民たちを搾取している。農民たちは立ち上がるが、「山の主の兵隊に打ち破られる。そこで羊飼い女が城に忍び込んで、彼を刺し殺そうとする。ところが「山の主」が高潔な人だと知って、彼女は彼に惚れ込む。そして農民たちが城に押し寄せて来ると、彼を助けて逃がそうとする。「自分だけ幸福であるよりは、彼と共に呪われることを!」と彼女は言う。すると雷が二人の上に落ち、二人は化石と化す。(クラカウアーp112)

1923
『エンガディンの狐狩り Fuchsjagd im Engadin』
アルノルト・ファンク監督
【解説】ファンクの「山岳映画」のはしり。(クラカウアーp112)

1923(日本封切り1925.5.29)
『灼熱の情炎 Die Flamme』
エルンスト・ルビッチュ監督、シナリオ:ハンス・クレーリ(ハンス・ミュラーの劇作による)、撮影:テオドール・シュパールクール、アルフレート・ハンゼン
【キャスト】ポーラ・ネグリ(イヴェット)、ヘルマン・ティミヒ(アンドレ)、アルフレート・アーベル(ラウール)、ヒルデ・ヴェルナー(ルイーズ)、フリーダ・リヒャルト(マリー・ヴァザル)、ヤーコプ・ティートケ(ブルジョア)、マックス・アーダルベルト(ジャーナリスト)、フェルディナント・フォン・アルテン(社交紳士)、イエニー・マルバ(アンドレの母親)
【解説】舞台を前世紀のパリにとった、無邪気な若い作曲家と、清純な魂を持っている娼婦との恋愛物語。作曲家は娼婦の許に走ったものの、自分のブルジョア的抑制心を捨てることができない。そのため彼の新生活は面倒なものとなり、後悔した彼は娼婦の許から逃げ出し、厳格ではあるが愛している母親のところへ戻る。

1923. ?
『美容院のミステリー Mysterien eines Friseursalons』

1923.2.1
『一杯の水 Ein Glas Wasser』
ルートヴィヒ・ベルガー監督、シナリオ:ルートヴィヒ・ベルガー、アドルフ・ランツ(ユージューヌ・スクリブの喜劇による)、撮影:ギュンター・クランプ、エーリヒ・ヴァシュネック
【キャスト】マディ・クリスチャンス(アンナ:王妃)、ヘルガ・トーマス(アビガイル)、ハンス・ブラウゼヴェッター(ジョン・ウイリアム・メサム)、ルーツィエ・ヘーフリヒ(マールバラ公爵妃)、ルドルフ・リットナー(ヘンリー・ボリングブローク卿)、フーゴ・デーブリーン(トムウッド)、ハンス・ヴァスマン(リチャード・スコット卿)、ブルーノ・デカルリ(トーシィ侯爵)、マックス・ギュルストルフ(トンプソン)
【あらすじ】英国宮廷での恋愛をめぐる陰謀喜劇。スペイン継承戦争時代のロンドン。アン女王の二人の重要な補佐役はまったく反対の目的を代表している。ボリングブローク卿はフランスと和平を結ぶことを欲し、マールバラ公妃はそれを望まず、そのためフランス公使に謁見を許すのを、繰り返し妨げようとする。宮廷にジョン・ウイリアム・メサムという名の若い男がやって来たが、女王はやがて彼に大変好意を示すようになる。そのため彼はたちまちの中に「モード・ジャーナル」の朗読者に昇進する。マールバラ公妃もメサムに秋波を送る。そしてとうとう女王の若い女官のアビガイルまでが、激しくメサムに恋着する。この錯綜したライバル関係を見抜き、それを自分の目的のために利用することを心得ているのは、ボリングブローク卿ただ一人である。彼は大変スリルの富んだ遊戯に乗りだし、ライバル関係を平和におさめただけでなく、メサムとアビガイルのための幸せをも計ってやった。

1923.2.22
『地霊 Erdgeist』
レオポルト・イエスナー監督、シナリオ:カール・マイヤー(ヴェーデキントの最初の『ルル』劇による)、撮影:アクセル・グラートクヤーエル
【キャスト】アスタ・ニールゼン、アルベルト・バッサーマン、ルドルフ・フォルスター、アレクサンダー・グラーナハ、ハインリヒ・ゲオルゲ
【解説】五人の男の間に立つ欲望に支配された女の物語、三人が死ぬ。

1923.2.26
『宝物――金と恋をめぐる古いドラマ Der Schatz--Ein altes Spiel um Gold und Liebe』
G・W・パプスト監督、シナリオ:G・W・パプスト、ヴィリー・ヘニングズ(ルドルフ・ハンス・バルチュの物語による)、撮影:オットー・トーバー、装置:ローベルト・ヘルルト、ヴァルター・レーリヒ、音楽:マックス・ドイッチュ
【キャスト】アルベルト・シュタインリュック(バルタザール)、ルーツェ・マンハイム(ベアトリッツ)、イルカ・グリューニング(アンナ)、ヴェルナー・クラウス(ヨーン・スヴェテレンツ)、ハンス・ブラウゼヴェッター(アルノー)
【あらすじ】鋳鐘師バルタザールは妻のアンナ、娘のベアトリッツ、それに助手のヨーンと一緒に、あるオーストリアの森の縁にある古い家に住んでいる。うわさによれば、その家の基礎壁の下に、トルコ戦争時代の宝物が埋められている。そこでヨーンはひそかにその宝物を発見しようとする。若い金細工師アルノーがやって来て、ベアトリッツに懸想する。そして彼が宝物を発見する。アンナとヨーンは、邪魔なアルノーを始末しようとするが、貪欲からお互い同士で争い始める。そしてアルノーとベアトリッツが外出している間に、欲張ったヨーンは夢中になって、家の基礎を一層深く掘り下げる。そのためとうとう家が倒壊し、住んでいた者はみな、その下に埋まってしまう。外出していて命拾いしたアルノーとベアトリッツは、新しい生活を始めるために、そこを立ち去る。

1923.3.21
『パガニーニ Paganini』
ハインツ・ゴルトベルク監督、シナリオ:ハインツ・ゴルトベルク(パウル・バイヤーのモティーフによる)、撮影:シュテファン・ローラント
【キャスト】コンラート・ファイト、エーファ・マイ、グレータ・シュレーダー。
【解説】天才的ヴァイオリニスト、パガニーニの恋愛物語。

1923.3.31
『ライン悲愴曲 Fidericus Rex』(第三部・第四部)
アルツェン・フォン・チェレピー監督
【キャスト】オットー・ゲビュール、エルナ・モレナ、エドゥワルト・フォン・ヴィンターシュタイン
【解説】第一部・第二部は1922年1月31日上映。

1923.5.25
『シュペッサルトの旅籠屋 Das Wirtshaus im Spessart』
【解説】ヴィルヘルム・ハウフのメルヘン『冷たい心』による映画、ベルリン・クーアフュルステンダムの映画館「アルハンブラ」で封切り。1957年にリメイクされた。

1923.6.12
『路傍の人 Der Mensch am Wege』
ヴィルヘルム・ディーテルレ監督、シナリオ:ヴィルヘルム・ディーテルレ(レオ・トルストイの物語による)、撮影:ヴィリー・ハーマイスター
【キャスト】ハインリヒ・ゲオルゲ、アレクサンダー・グラーナハ、ヴィルヘルム・ディーゲルマン、エミーリエ・ウンダ、マレーネ・ディートリヒ
【解説】殺人の嫌疑をかけられる靴屋をめぐる村落劇。ディーテルレ最初の監督作品で、マレーネ・ディートリヒが踊り子としてデビュー。

1923.8.24
『ヴィルヘルム・テル Wilhelm Tell』
ルドルフ・ドゥオルスキー監督、シナリオ:ヴィリー・ラート(フリードリヒ・シラー原作のドラマによる)
【キャスト】コンラート・ファイト、ケーテ・ハーク、オットー・ゲビュール、エードゥワルト・フォン・ヴィンターシュタイン、エルナ・モレナ・
【解説】ベルリンの映画館「マルモルハウス」で、教育映画として封切り。

1923.8.31
『春の目覚め Frühlings Erwachen』
L・コルム、J・フレック監督、シナリオ:(フランク・ヴェーデキントの原作による)
【キャスト】ヘルタ・ミュラー、J・エップ
【解説】ベルリンの映画館「アルハンブラ」で封切り

1923.8.31
『ブッデンブローク家の人々 Die Buddenbrooks』
ゲルハルト・ランプレヒト監督、シナリオ:アルフレート・フェケーテ、ルイーゼ・ハイルボルン=ケルビッツ(トーマス・マンの小説のモティーフによる)、撮影:エーリヒ・ヴァシュネック、ヘルベルト・シュテファン
【キャスト】ペーター・エッサー、アルフレート・アーベル、ヒルデガルト・イムホフ、マディー・クリスチャンス
【解説】トーマス・マンの作品の最初の映画化。ベルリンの「タウエンティーンパラスト」で封切り。

1923.9.27
『お母さん、あなたの子供が呼んでいる Mutter、Dein Kind ruft』
【解説】シュテファン・ツヴァイクの小説『漏らしたくなる秘密 Das brennenes Geheimnis』による映画、ベルリンの「マルモルハウス」で封切り

1923.10.16
『戦く影――夜の幻覚 SCHATTEN---Eine nächtliche Halluzination』
アルトゥ ール・ロビゾン監督、シナリオ:ルドルフ・シュナイダー、アルトゥール・ロビゾン(アルビン・グラウのアイデアによる)、撮影:フリッツ・アルノー・ヴァーグナー、音楽:エルンスト・リーゲ、装置と衣裳:アルビン・グラウ
【キャスト】フリッツ・コルトナー(夫)、ルート・ヴァイヤー(妻)、グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム(愛人)、アレクサンダー・グラーナハ(影絵芝居師)、フリッツ・ラスプ(召使い)、リリー・ヘルダー(女中)、マックス・ギュルストルフ、オイゲン・レックス、フェルディナント・フォン・アルテン(情人たち)
【あらすじ】(ある病理学者が妄想の嫉妬にかられる物語)。田舎の豪壮な屋敷。夕暮れの薄明の中で、一人の男が中庭から、上の階の窓辺で屋敷の主人と主婦が抱擁している姿を見る。その少し後で、彼は食事に招待されてお客たちが到着するのを見る。屋敷の中に入ると、われわれはお客たちと主人側の人間を、一層近くから知ることになる。つまり夫妻は主婦の愛人たちとさらに三人の賛美者たちを迎えている。夫はこみ上げてくる嫉妬の念に駆られて、愛人たちが自分の妻の回りで言い寄り、妻と踊る姿を眼で追う。見知らぬ観察者は玄関のところに姿を現して、自分を旅の影絵芝居師だと自己紹介する。影絵芝居師がやって見せた何か曰くありげな芸に驚き、混乱しながらも、屋敷の主人は影絵芝居を実演させるために、彼を招じ入れた。食事の後お客たちはサロンに集まった。しかし影絵芝居の実演されている間、彼らは上の空だった。エロスのへの期待が完全に彼らの心を占めていた。すると影絵芝居師は彼らに催眠術をかけて、誰も彼もが無意識の欲望を自由に楽しんでいるという幻想を抱かせた。夫は愛人と抱擁している妻を掴まえ、嫉妬に狂って召使いに妻をくびきにつながせ、四人の情人たちに、妻を剣で刺し貫くか、それとも自ら死を感受するか、選択を迫った。情人たちは無力な彼の妻を処刑した。すると夫はすすり泣きながらくず折れた。情人たちはしかし彼を容赦せず、自分たちに強制された行動の償いとして、彼を窓から放り投げた。彼は転落して死んだ。影絵芝居師はお客たちに、この恐るべきドラマを、彼らのフラストレーションからきた衝動の実現として体験させてから、彼らを再び正気に帰らせた。
 そして今やすべての緊張感は消え去った。主婦は今や愛らしく誠実で、従順な妻に変身していた。今はもう嫉妬する理由の無くなった夫は、影絵芝居師にたっぷり報酬を与えた。情人たちはは館を去り、影絵芝居師もそれに続いた。館の主人と彼の妻は愛情のこもった抱擁をしながら、立ち去って行くお客たちを、窓から見送った。
【解説】ベルリンの「ノレンドルフ劇場」で封切られたこの作品は、アルビン・グラウのアイデアとセットによる、表現主義の典型と言える映画だった。

1923.10.23
『悪魔祓い Austreibung』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ(カール・ハウプトマンの劇作による)、撮影:カール・フロイント
【キャスト】カール・ゲッツ(シュタイヤー:父親)、イルカ・グリューニング(シュタイヤー:母親)、オイゲン・クレッパー(シュタイヤー:息子)、ルーツィエ・マンハイム(アンネ)、アウド・エゲで・ニッセン(ルドミーラ)、ヴィルヘルム・ディーテルレ(ラウアー:狩人)、ローベルト・レフラー(牧師)、エミーリエ・クルツ(お針子)、ヤーコプ・ティートケ
【あらすじ】うらさびしい農場で農夫のシュタイヤーは、老いた両親と最初の結婚で生まれた娘アンネと暮らしている。彼は美しく若いルドミーラと再婚するが、ルドミーラの目的は彼の金だった。彼女はすぐに若い狩人のラウアーと通じる。そして愛人と一層近づくために、夫のシュタイヤーを説得して、下の村の料理屋を買わせる。彼は承知して、農場を売り払う。だが彼はすぐに企みに気づいて、ラウアーを打ち殺す。
【解説】ベルリン・クーアフュルステンダムの「ウーファ劇場」で封切り。

1923.10.29
『律法 Das alte Gesetz』
E.A.デュポン監督、シナリオ:パウル・レーノ(ハインリヒ・ラウベの回想記による)、撮影:テオドール・シュパールクール
【キャスト】ヘニー・ポルテン、エルンスト・ドイッチュ、ヴェルナー・クラウス、アヴロム・モレフスキー
【解説】父の意志に反して、俳優になるためにゲットーを去ったラビの息子が、旅回りの一座からヴィーンの「ブルク劇場」の俳優となり、父とも和解する物語。

1923.10.29(日本封切り1925.1.28)
『罪と罰 Raskolnikow』
ローベルト・ヴィーネ監督、シナリオ:ローベルト・ヴィーネ(フョードル・ドストエフスキーの小説『罪と罰』による)、撮影:ヴィリー・ゴルトベルガー、装置:アンドレイ・アンドレイエフ
【キャスト】グリゴリー・フマラ(ラスコルニコフ)、ミヒャエル・タルシャノフ(マルメラドフ)、マリア・ゲルマノヴァ(マルメラドフの妻)、パーヴェル・パヴロフ(予審判事)、マリア・クルシャノフスカヤ(ソーニャ)、ヴェラ・トーマ(アリョーナ)
【あらすじ】心理的犯罪映画。学生のラスコルニコフは質屋のアリョーナの店で、強盗殺人の罪を犯した。その際アリョーナの妹に出会ったた、彼女も殺した。しばらく経ってから彼は愛している娘にそれを告白した。それはアル中で堕落した役人とそのために気違いになった母親との娘ソーニャだった。事件の解明を委託された予審判事はラスコルニコフを疑った。しかし宗教的狂信家として、首をくくって罪の償いをしようとした学生は、すっかり回復しているように見えた。しかしソーニャが彼の心を動かして、自分の罪を認め、その償いを自分に課する気持ちにさせた。

1923.11.5
『インリ(キリストの一生)I.N.R.I.』
ローベルト・ヴィーネ監督、シナリオ:ローベルト・ヴィーネ、撮影:アクセル・グラートクヤーエル、ルートヴィヒ・リッペルト、ライマー・クンツェ
【キャスト】グリゴーリ・クマラ、ヘニー・ポルテン、アスタ・ニールゼン、ヴェルナー・クラウス
【解説】聖書によるモニュメンタル映画。2000人のエキストラが祈った。そこに山が作られた。(年代記54)

1923.11.6
『愛の悲劇 Trago*die der Liebe』
ジョー・マイ監督、シナリオ:レオ・ビリンスキー、アドルフ・ランツ、撮影:ゾーフス・ヴァンゲーエ、カール・プラーテン
【キャスト】ミア・マイ、エミール・ヤニングス、イダ・ヴスト。
解説:フランス貴族世界の犯罪探偵物語。

1923.11.29(日本封切り1925.9.18)
『蠱惑の街――ある夜の映画 Die Strasse --Der Film einer Nacht』
カール・グルーネ監督、シナリオ:カール・グルーネ、ユリウス・ウルギス(カール・マイヤーの構想による)、撮影:カール・ハッセルマン、装置:カール・ゲルゲ
【キャスト】オイゲン・クレッパー(男)、ルーツィエ・ヘーフリヒ(彼の妻)、アウド・エゲデ・ニッセン(娼婦)、レオンハルト・ハスケル(田舎者)、アントン・エトホーフェー(娼婦のヒモ)、マックス・シュレック(盲人)、ハンス・トラウトナーと子供ザッシャ
【あらすじ】ある夜堅実な銀行出納係 が妻のところを去って「街」に出るが、翌朝後悔して戻って来るという、自由を夢見ても結局は日常の生活に適応する話。
 街路は朝から晩まで、自分の部屋の天井に影のように映っているのを見ている一人の小市民の心を誘う。自分の部屋にはかび臭い雰囲気が支配している。街路のヴィジョンが、飾り立てたあらゆる種類の素晴らしいもので誘惑する。それを求める衝動に駆り立てられて、しがない小市民の俗物は、息の詰まる家の小世界を出て、魔術的な街路へ踏み出す。そこには、カール・グルーネの映像のトリック技術が生み出した、ダダイズム的な大都市生活のヴィジョン、ラウール・ハウスマンが活性化したヴィジョンが支配している。
 小市民の俗物はそこへ急ぐ。街角に娼婦が立っている。その娼婦に誘われて彼は、ダダ的インフレ様式で飾られたダンス酒場に連れ込む。そこで彼は彼女の「友だち」と称する二人に男に紹介される。一人はその女のヒモ。もう一人はその相棒である。彼らが俗物を、トランプのいかさま賭博で、ペテンにかけようとしているところへ、紙幣でふくらんだ札入れを無邪気に見せびらかしながら、一人の田舎者がやって来て、仲間に加わる。悪者は俗物からも田舎者からも、すっかりむしり取ろうする。そして最後の土壇場で、悪者は田舎者を殺してしまい、それから娼婦をおとりにして、豪華なサロンから出てきた俗物が殺人者と思われるように企む。警察に連行された俗物は途方に暮れてしまい、無実を訴えることすら思いつかない。一人独房に入れられた彼は絶望して、ネクタイをもぎ取り、それで首を吊ろうとする。しかし真犯人が自白したため、彼は釈放される。彼は暁の街路をよろめき歩く。人影もなく、風に吹かれて紙屑が時折がさごそと動いているだけである。家に戻った彼が居間に入ると、彼の妻は暖めたスープをそっとテーブルの上に置く。男は今や、ずっと続くスープも含めて、喜んで家庭の管理に従う気になる。幸運な偶然が自分を救ってくれたと感謝している彼は、もう街の誘惑に誘われることはない。
【解説】街路を混沌が渦巻く外の世界、家庭を安穏の場とする「街路映画」の典型。(年代記54)

1923.12.5
『失われた靴 Der verlorene Schuh』
ルートヴィヒ・ベルガー監督、シナリオ:ルートヴィヒ・ベルガー(メルヘン「灰かぶり」とE・T・A・ホフマンとブレンターノのモティーフによる)、撮影:ギュンター・クランプ、オットー・ベッカー、装置:ルドルフ・バンベルガー、マリア・ヴィレンツ、音楽:グイド・バギール
【キャスト】ヘルガ・トーマス(マリー)、パウル・ハルトマン(アンゼルム・フランツ)、マディ・クリスチャンス(ヴィオランテ)、オルガ・チェホヴァ(エステラ)、ヘルマン・ティミヒ(シュタイス=シュトレスリング男爵)、レオンハルト・ハスケル(侯爵:ハバクック二十六世)、エミーリエ・クルツ(アロイジア王女)、パウラ・コンラート・シュレンター(アナスターシャ王女)、ヴェルナー・ホルマン(エーケルマン伯爵)、ルーツィエ・ヘーフリヒ(ベンラート伯爵夫人)、マックス・ギュルストルフ(クコリ男爵)、フリーダ・リヒャルト(代母)、ゲオルク・ヨーン(ヨン)、ゲルハルト・アイゾイルト
【あらすじ】
 ある男やもめが二度目の結婚をした。しかし二度目の妻は性悪で、一度目の結婚で生まれた彼の子供にとっては、つらい時期の始まりだった。というのは善良な父親は弱々しく、その子供を継母から十分に守ってやれなかったからだった。そこで父親と子供はその苦悩を静かに心の中にしまい込んだ。しかしこの苦悩の内心の静けさは、驚異の世界に通じる道の入口だった。墓地の母親の墓のところで代母が待っていた。代母はひそかに、手にしっかりと糸を握っていて、それでさまざまな網を紡いでいたが、その網はさまざまな試練や魔術的な教えに満ちていて、それを克服すると、苦難と苦悩が終わって、幸福への扉がおのずと跳ね上がるのだった。
【解説】メルヘン映画。

1924
1924(日本封切り1925.9.28)
『焔の中の女 Die Frau im Feuer』
【解説】クラカウアーp131n

1924(日本封切り1925.7.7)
『阿修羅王 Helena』(第一部『ヘレナの略奪 Der Raub der Helena』、第二部『トロヤの没落 Der Untergang Trojas』
マンフレート・ノア監督、シナリオ:ハンス・キューザー、撮影:ギュスターヴ・プライス、エーヴァルト・ダウプ
【キャスト】エディ・ダルクレア(ヘレナ)、ウラジーミル・ガイダロフ(パリス)、ハナ・ラルフ、アデーレ・ザントロック、アルベルト・シュタインリュック、カール・デ・フォークト、アルベルト・バッサーマン
【解説】ギリシャ神話を題材としたモニュメンタルな歴史劇映画。(クラカウアー131n)

1924(日本封切り1925.12.4)
『鬘(かつら)Die Perücke』
ベルトルト・フィーアテル監督、シナリオ:ベルトルト・フィーアテル、撮影:ヒャルマール・レルスキー
【キャスト】オットー・ゲビュール、イエニー・ハッセルクヴィスト、ヘンリー・スチュアート、カール・プラーテン、フレート・ゼルバ=ゲーベル、ヤーロ・フュルト、リリアン・イエルネフェルト
【解説】ある役人がかつらの助けて、王侯の生活に入ることを夢見るが、まず美しい女性にだまされた挙げ句、狂気だとされて、とうとう自殺する物語。(クラカウアーp127)

1924(日本封切り1926.2.26)
『愛は輝くアラベラ譚 Arabella』
カール・グルーネ監督、シナリオ:ハンス・キューザー、撮影:カール・ハッセルマン、装置:カール・ゲルゲ、エルネ・メッツナー
【キャスト】メー・マーシュ(アラベラ)、アルフォンス・フリーランド、フリッツ・ラスプ、ヤーコプ・ティートケ、フリッツ・カンパース。
【あらすじ】競馬馬の物語。馬は厄介な状況の中で死から救われたサーカスの踊り子の名にちなんで、アラベラと呼ばれていた。競馬のレースで数々の勝利を遂げたアラベラはしかし、老いて忘れられ、メリーゴウラウンドの馬に落ちぶれ、さらに辻馬車を引かされることになるが、最後に心優しい慈善家に救われる。
【解説】クラカウアー参照。

1924(日本封切り1927.5.6)
『芸術と手術――ある芸術家の苦難の道 Orlacs Hände』
ローベルト・ヴィーネ監督、シナリオ:ルートヴィヒ・ネルツ(モーリス・ルナールの同名の小説による)、撮影:ハンス・アンドロシン、美術:シュテファン・ヴェセリ、製作:パン映画株式会社
【キャスト】コンラート・ファイト(パウル・オルラク:ピアニスト)、アレクサンドラ・ゾリナ(イヴォンヌ:オルラクの妻)、フリッツ・コルトナー(エウゼビオ・ネラ)、フリッツ・シュトラスニ(パウル・オルラクの父)、パウル・アスコーナス(老オルラクの召使い)、カルメン・カルテリエリ(レギーネ)等
【あらすじ】イヴォンヌとパウル・オルラクは幸福な夫婦である。パウルが演奏旅行から帰って来るので、二人ともその時を待ちかねている。イヴォンヌがパウルを駅に迎えに行こうとすると、大列車事故が起こる。その際パウルは重傷を負ったので、病院では、完全に砕けてしまった彼の手を、処刑されたばかりの殺人犯ヴァセールの手を移植して、取り替えようと試みる。オルラクは自分の手についての真実を聞くと、気も狂わんばかりになる。彼はもう妻に触れようとせず、ピアノも弾かない。オルラク家は苦境に陥る。絶望したイヴォンヌは、かつて息子とその妻を追い出した老オルラクに会いに行く。だがイヴォンヌは何の助力も得られない。彼女はパウルに、彼の父のところへ行くように頼む。出掛けていったパウルは、父が刺し殺されて死んでいるのを発見する。警察は凶器が、殺人犯ヴァセールの短刀であることに気づく。以前の看護人エウゼビオ・ネラは、オルラクを恐喝する。というのは老オルラクが刺し殺された短刀にヴェセリの指紋があり、ヴァセールの手は今では、オルラクの手だからである。警察は今や、パウルが殺人を犯したのだと疑う。彼は無実を主張し、ネラが自分を恐喝したことを話す。ネラがパウルからもっとたくさんの金をせびり取ろうとしたとき、警察は彼女をわなにかける。彼女は恐喝は認めるが、殺人は認めず、それをやったのはパウルだと言う。レギーネはイヴォンヌに、ネラとの関係を告白する。警察官の前で彼女は、ネラに不利な証言をする。無実の罪で処刑されたヴァセールの手に帰せられていた殺人と、オルラクの父親に対する殺人は、今やネラが犯したものだったことが判明する。
【映画評】◇「キネマトグラフ」第922号――「……これは全く間然するところのない作品である。シナリオ、演出、演技、撮影、セット、いずれも申し分ない。犯罪者の手を持ったオルラクに扮したコンラート・ファイトは、とうてい凌駕しがたいほどの恐怖に満ちたシンフォニーを奏でている。彼は同じメロディーのヴァリエーションを、百くらいも奏でるが、だからといって観客の神経に退屈な思いをさせるようなことはない。オルラクの妻に扮した相手役のゾリナ嬢は、ひどくすらりとしたファイトのノッポの姿と調和させるためには、もっと軽快に見える外見が望ましかっただろう……」。
◇1925年2月2日付け「フィルム・クーリール」誌――「……まったく徹底して独創的なのは、彼の手の演技である。手の雄弁だけで、心のドラマを展開することが可能である。ファイトはドイツ映画の数少ない選り抜きの人間表現者の一人である……」。
◇1925年2月3日付け「八時夕刊」――「……ファイトは不幸な人間のぞっとするような姿を、神経の細かい芸術家的技量で実現することに成功した。人物像を明確にする点で、ファイトの圧倒的にすぐれた技量は、テーマの持つあらゆる可能性を引き出す……」。
【解説】クラカウアーp157n参照

1924.1.3(日本封切り1927.11.25)
『除夜の悲劇 Sylvester--Tragödie einer Nacht』
ループー・ピック監督、シナリオ:カール・マイヤー、撮影:カール・ハッセルマン、グイド・ゼーバー、装置:ローベルト・A・ディートリヒ、クラウス・リヒター、音楽:クラウス・プリングスハイム
【キャスト】オイゲン・クレッーパー(喫茶店主)、エディット・ポスカ(妻)、フリーダ・リヒャルト(母)、ルドルフ・ブリューマー(酔っぱらい)、カール・ハルバッヒャー、ユリウス・E・ヘルマン
【あらすじ】年末、人々は大晦日を祝っているが、ある喫茶店では、母親と妻との間の嫉妬の争いに、板挟みとなった亭主が、絶望して死に救いを求める。
【解説】「ドイツ映画が絶対的映画芸術にこれほど近づいたことはない」(ヘルベルト・イエーリング)。

1924.1.7
『大公爵の財政 Die Finanzen des Grossherzogs』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ(フランク・ヘラーの小説による)、撮影:カール・フロイント、フランツ・プラーナー、装置:ローフス・グリーゼ、エーリヒ・チェルヴォンスキー
【キャスト】マディ・クリスチャンス(オルガ:大公妃)、ハリー・リートケ(大公:ラモン)、ローベルト・ショルツ(オルガの兄弟)、アルフレート・アーベル(フィリップ・コリンズ)、アドルフェ・エンゲルス(ドン・エステバン・パケンコ)、ヘルマン・ファレンティン(ビンツァー氏/ベッカー)、ユリウス・ファルケンシュタイン(イザークス:銀行家)、グウイド・ヘルツフェルト(マルコヴィッツ)、イルカ・グリューニング(アウグスティーネ)、ヴァルター・リラ(ルイ・フェルナンデス)、ハンス・ヘルマン=シャウフース(せむしの陰謀家)、ゲオルク・アウグスト・コッホ(危険な陰謀家)。
【あらすじ】オペレッタの町での恋愛と陰謀と革命。
 絶望的なほど巨額を負債を背負ったミニ国家の若い支配者ラモン大公は、財政建て直しの目的でおこなった外国旅行で、ロシア貴族の大公妃オルガと知り合う。二人とも互いに大詐欺師だと思っているが、しかしそれは二人のラブの妨げにはならない。オルガは彼女の兄が彼女を嫌いな男を結婚させようとしているので、苦境に陥る。大公のほうは、臣下が国家財政の危機に直面して反乱を企てたので、苦境に陥る。二人は互いに助け合って苦境を乗り切る。そして立ち直った国は輝かしい支配者夫妻を迎えた。

1924.2.10(日本封切り1924.10.3)
『結婚哲学 The Marigge Circle』
【解説】エルンスト・ルビッチュ監督(→1928年9月10日参照)の渡米作品。まだ素朴だったアメリカにソフィスティケートされた男女関係の映像で、「ルビッチュ・タッチ」の名を高めた映画。

1924.2.14(日本封切り1924.3.20)
『ニーベルンゲン Die Nibelungen』(第一部『ジークフリート Siegfried』)
フリッツ・ラング監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ Thea von Harbou、撮影:カール・ホフマン、ギュンター・リッタウ、ヴァルター・ルットマン、アニメーション:「鷹の夢」担当、美術:オットー・フンテ、エーリヒ・ケッテルフート、カール・フォルブレヒト、衣装:パウル・ゲルト・グデリアン、エンネ・ヴィルコム、ハインリヒ・ウムラウフ(フン族の衣装、甲冑、武具担当)、音楽:ゴットフリート・フッペルツ、製作:デークラ・ビオスコープ社
【キャスト】パウル・リヒター Paul Richter(ジークフリート)、マルガレーテ・シェーン Margarete Schön(クリエムヒルト)、ハナ・ラルフ Hanna Ralph(ブルーンヒルデ)、ハンス・アーダルベルト・シュレットウ Hans Adalbert Schlettow(ハーゲン・フォン・トロンイェ)、ルドルフ・クライン=ロッゲ Rudolf Klein-Rogge(エッツェル王)、テオドール・ロース Theodor Loos(グンテル王)、ルトルート・アルノルト(ウーテ母后)、ハンス・カール・ミュラー(ゲールノート)、エルヴィン・ビンスヴァンガー(ギーゼルヘル)、ベルンハルト・ゲッケ(フォルカー・フォン・アルツァイ)、ハルディ・フォン・フランソワ(ダンクヴァルト)、ゲオルク・ヨ−ン(鍛冶屋のミーメ/侏儒王アルベリヒ/ブラオデル)、フリーダ・リヒャルト(ルーネの乙女)、ルドルフ・リットナー(リューディガー・フォン・ベヒラルン)、ゲオルク・ユロフスキー(神官)、イリス・ローベルツ(小姓)、フーベルト・ハインリヒ(ヴェルベル)、フリッツ・アルベルティ(ディートリヒ・フォン・ベルン)、ゲオルク・アウグスト・コッホ(ヒルデブラント)
【あらすじ】第一部:『ジークフリート』
 ネーデルラント王ジークムントは公子ジークフリートを、稀代の名剣を鍛えることを学ばせるために、鍛冶の誉れ高いニーベルはイムの族長ミーメの住む、深い森の奥の洞穴に送った。日夜剣を鍛える仕事にいそしんだジークフリートは、いつしかたくましい若者に育った。今や彼はミーメに別れを告げ、白馬にまたがって、噂に聞く美姫クリエムヒルトの住むブルグントのグンテル王の宮廷を訪ねるために出発する。やがてヴォルムスの深い谷にたどり着いたジークフリートは、毒煙を吹く巨大な火竜に道を阻まれる。
 彼は激しい戦いの後、名剣バルムンクを振るって竜を殺す。ほとばしった血を唇に当てると、不思議にも囀る鳥の声が理解できた。「血を浴びたまえ、竜の血を、鎧の如く身を守り、刃も通らぬ身となし給え」。ジークフリートは喜んで裸になり、血を浴びたが、その時菩提樹の葉が一枚彼の背中に落ちかかる。その場所だけが不死身のジークフリートの弱点となる。
 さてライン川に近いブルグントの国のヴォルムスの城では、クリエムヒルトが兄のグンテル王、ウーテ母后、そして謀臣ハーゲン・フォン・トロンイェ等と共に、遍歴の楽人フォルカーの語る物語を聞く。それは勇士ジークフリートが火竜を退治した上、諸国で武技を競って勝ち、今や12人の家臣を率いていることから、霧の国に住むニーベルンゲン族の侏儒王アルベリヒが彼を殺そうとしたのをこらしめ、ニーベルンゲン族の計り知れないほどの宝と、アルベリヒの隠れ蓑を手に入れたという物語だった。
 その時城壁の彼方から角笛の音が響き、12名の家臣を連れたジークフリートの到着を告げる。彼は歓迎され、クリエムヒルトを妃に迎えたいと申し出る。クリエムヒルトもジークフリートを憎からず思うが、夢の中で二羽のワシが手飼いのタカを襲って殺したことに不安を感じて、ウーテ母后に打ち明ける。グンテル王はハーゲンの言によって、兼ねてから慕っているアイスランドの女王ブルンヒルトを妃に迎えるための手助けをしてくれるならという条件で、妹のクリエムヒルトをジークフリートに与えることを承知する。ジークフリートはクリエムヒルトの捧げる盃によって、王に誓う。そして王のお供をしてアイスランドに行く。
 アイスランドに君臨する猛く美しい乙女ブルンヒルトはグンテル王に武技試合を挑むが、隠れ蓑を付けたジークフリートに助けられたグンテル王は、遂に彼女を屈服させる。王は彼女をヴォルムスに連れてくる。そして宮殿でグンテルとブルンヒルト、ジークフリートとクリエムヒルトの、二つの結婚式が華やかに挙行される。グンテル王は再び隠れ蓑を着たジークフリートの助けを借りて、「虜囚とはなるが妃とはならぬ」というブルンヒルトを、名実共に妃とする。他方ジークフリートはクリエムヒルトと幸福な初夜の後で、隠れ蓑の秘密と、さらに身体の傷つく場所の秘密を打ち明ける。
 それを知ったクリエムヒルトはブルンヒルトと張り合ったとき、大変思い上がった言辞を弄する。怒ったブルンヒルトは自分の敗北の真因を感づき、復讐のためハーゲン・フォン・トロンイェに近づく。ハーゲンはジークフリートの名声がグンテル王を凌ぐようになったのを憂慮していたので、王の暗黙の了解のもとに、ジークフリートの殺害を計画する。そして夫を気遣うクリエムヒルトの心配を逆用し、ジークフリートを守るためと称して、彼の身体の急所を聞き出す。
……
 狩猟たけなわとなり、ジークフリートは渇きを癒すために水を飲む。その機会をうかがっていたハーゲンは、ジークフリートの弱点を狙い、そこを投げ槍で刺す貫いて殺す。
 ジークフリートの遺体は炬火をかざした一隊に守られて城に運ばれる。グンテル王がブルンヒルトに復讐の成功を告げると、彼女は王をさげすむように見る。ハーゲンがジークフリートの遺体に近づくと、傷口から血が噴き出す。それを見たクリエムヒルトはハーゲンに対する疑念が確認されたと思い、グンテル王にハーゲンを罪せよと迫るが、王は「ハーゲンは余の忠臣じゃ」とはねつける。他の兄弟ゲールノートやギーゼルヘルや他の家臣達も、誰一人としてクリエムヒルトの味方ではなかった。彼女は恨みを一身に抱いてむせび泣き、復讐の念を心に抱く。ブルンヒルトはジークフリートに寄せた想いと復讐を遂げた思いの愛憎の中で、自ら死に就く。

1924.4.26(日本封切り1925.9.4)
『ニーベルンゲン Die Nibelungen』(第二部『クリエムヒルトの復讐 Kriemhilds Rache』)
【あらすじ】第二部:『クリエムヒルトの復讐』
 身内に裏切られたクリエムヒルトは、ジークフリートがヴァルムスに運ばせたニーベルンゲンの宝の助けで、新しい味方を獲得しようと試みる。ハーゲンは宝を横取りして、それをライン川に沈め、その場所を誰にも教えない。クリエムヒルトは一層激しく復讐を誓う。
 すると遠いフン族の国からリューディガー・フォン・ベヒラルンがやって来て、彼の王エッツェルのためにクリエムヒルトに求婚する。ハーゲンが諫止したにもかかわらず、グンテル王はその求婚を承知する。クリエムヒルトはリューディガーについて行くが、ジークフリートの墓から手に一杯の土を携えて行く。そしてエッツェルが彼女の敵への復讐を助けることを誓ったので、エッツェルと結婚する。間もなく彼女は男の子を産む。エッツェルとクリエムヒルトはブルグントの一族をフン族の宮廷に招待する。クリエムヒルトの意図を見抜いたハーゲンは再び諫止したが、グンテル王と家臣達は招待を受ける。
 エッツェルの宮廷ではブルグントの賓客を迎えるために、盛大な宴会が開催される。クリエムヒルトはエッツェルを説き伏せて、ハーゲンを殺させようとする。しかしエッツェルは」妻に誓ったにもかかわらず、客が接待を受ける権利の方をより神聖視する。だが王の広間で祝宴が行われている間に、フン族とブルグント族の従者達が楽しんでいる地下の洞穴では、クリエムヒルトが火を付けた挑発のために、二つの党派の間に血なまぐさい対立が起こる。
 フン族がブルグント族の従者達を殺戮して、それから王の広間に侵入する。降って沸いた騒ぎの中でハーゲンは、エッツェルとクリエムヒルトの子供を殺す。今やフン族の王も復讐を誓う。ブルグントの一族は広間の中に立てこもり、フン族によって包囲される。クリエムヒルトはブルグントの一族に、もしハーゲンを引き渡せば和解に応じようと伝える。そんなことをするよりは一族が皆死んだ方がましだと、拒否される。そして火を放たれた広間は、炎に包まれる。クリエムヒルトの兄弟達は他のブルグントの貴族達と一緒に、次々に殺される。最後まで生き延びたグンテル王とハーゲンは、くびきにつながれてクリエムヒルトの前に引き出される。彼女はグンテルを殺させ、ハーゲンがニーベルンゲンの宝を沈めた場所を言おうとしないので、彼を自ら殺す。そしてクリエムヒルトも、彼女に最後まで忠実だったヒルデブラントによって殺される。彼は彼女がフン族にもたらした災厄に驚愕して、遂にクリエムヒルトへの忠誠を捨てたのである。エッツェルは彼女の死体を抱いて、燃える宮殿に入っていき、瓦礫の中に自ら埋まる。こうして一大悲劇は幕を閉じる。
【解説】『死滅の谷』、『ドクトル・マブゼ』の次にフリッツ・ラングが取り上げたのは、ゲルマンの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』だった。ラングの名を世界的に有名にしたこの映画は、しかし英雄叙事詩の映画化ではなかった。それは伝説を元にして書いたテア・フォン・ハルブの、通俗的に現代化された新しい神話の映像化だった。「巨大なテーマを好んだテア・フォン・ハルブは、古い資料によって自由に台本を構成し、それに現代的な意味を染み込ませようと意図した。こうして北欧神話は、プリミティヴな情熱に囚われた伝説上の人物を描く、陰鬱な物語となってしまった」。
 この現代化されたキッチュとしてのニーベルンゲン物語は、フリッツ・ラングの映像によって、映画的には傑作となった。ここに「映画」という媒体の奇妙な性格がある。「キッチュ」を土台とした傑作ーー当然「物語」としての「英雄叙事詩」と違って、映画はアイロニカルな二重性を持つこととなった。ラング自身の言うところでは、この映画で彼が意図したのは、四つの異なった世界を描くことだった。ブルグント王国の「爛熟した文化」、若いジークフリートの「幽霊じみた妖精のような」世界、ブルンヒルトのアイスランドの「青ざめ、凍りついた空気」、そして「アジア人」エッツェルの世界である。そしてその世界のイメージを表現するために、アイスランドとヴォルムスには、極度に装飾的に様式化されたセットを使った。その結果オットー・フンテらの作った巨大なセットがスクリーンを支配し、人間の群像までが様式化された。これがこの映画の達成したユニークな成果であり、それをめぐる多様な解釈は、すべてこの「様式化」に対する意味づけである。例えばロッテ・アイスナーは著書『フリッツ・ラング』の中で、こう書いている。
 「アーケードや壁がんが幅をきかせ、人物像は実際に、それに合わせて、その枠の中にはめ込まれている。人物像はしばしば装置の一部となる。例えば兵士の列は前景の柱に似ており、みな同じ幾何学的な飾りを身につけている。そしてこの肉体の柵の背後を、王や英雄たちの行列が、ゆっくりと大伽藍に近づいていく。ラングはここで兵士たちを、ブルグント一族の絶対的な力を象徴するために使っている」。衣裳をも含めて人物像がシンメトリカルな建築的構図の中へ、完全に幾何学的に装飾化された結果生じた、まことに壮大な記念碑的映像は、それに合致する限り、あらゆる解釈を許す。それ以上の意味はない。だからと言って無制約ではない。テア・フォン・ハルブ自身がつけたモットー、「ドイツ国民のために」という、国家主義的解釈や、クラカウアーの与えた人間的なものに対する装飾的なものの完全な勝利、権威主義に屈服する装飾としての大衆という解釈、あるいは神話に対するアイロニーと嘲笑という今日流の解釈ーーそうした多様な解釈の根底にある現代の諸潮流の葛藤、ハルブーラングはそれに対する彼らの感覚を、このように印象的に様式化したのである。
 だが封切り当時のドイツでは題材が題材なだけに、そうした様式化の精巧さを評価するよりは、もっぱら愛国主義的使命を担った映画として賞賛する声が、圧倒的だった。例えば「フィルムヴォッヘ」誌はこう書いている。
「かつてニーベルンゲンの歌を広い世界に広めるために、フィーデルを奏でた吟遊詩人、ファルカー・フォン・アルツァイのように、今日フリッツ・ラングは世界の眼に、予感に満ちた過去の暗い胎内に休んでいたものを示すために、映画という沈黙の弦を取った。彼はドイツの英雄叙事詩を蘇生させる。敗戦国民がその尚武の英雄たちのために、世界が今日までまだほとんど見たことのないような叙事詩を、映像で創作するーーこれは一つの偉業である! フリッツ・ラングがそれを作った。そして一民族全体が彼を助ける。一民族全体。なぜならフリッツ・ラングがこの民族のもっとも内奥の心を掴んでいるからである……われわれは再び英雄を必要としている!」
 このような民族主義的な態度は、今日では流行らない。だからと言ってそれを時代遅れと片づけるだけでは済まない。第二次世界大戦後と違って、ナショナリズムはまだプラスの価値イメージを失っていなかった。そういう時代だったのだということを、認識する必要がある。
 それゆえこの映画の封切りの時、ちょうど『王の日々』というフリードリヒ大王を扱った本を出版したばかりだったブルーノ・フランクが、ポツダムの守備隊教会の墓所を訪れた。そしてフリードリヒ大王の墓に、巨大なリボンをつけた巨大な花輪捧げられているのを見た。リボンには「ニーベルンゲン映画の封切りに当たって、フリッツ・ラング」と記されていた。実際にはこの花輪を捧げたのは、テア・フォン・ハルブだったと推測されている。何しろ多幸症的生活を送っていた通俗的台本作成の名手ハルブは、肉欲的で陶酔的な傾向と同じくらい、民族的で荘重な傾向を好んでいたのだから。それゆえフリッツ・ラングーテア・フォン・ハルブのコンビは、ラング映画の複合構造の魅惑力といかがわしさとの両方を、生み出す独特の混合存在だった。ハルブは1933年のヒトラーの政権獲得以前に、すでにファシズムに傾いていた。そのためヒトラーのドイツを逃れるラングは、ハルブと離婚することになるが、それまではこの奇妙にねじれた二人三脚は、ヴァイマル時代のドイツ映画を代表する作品を作り続けていく。アルフレート・ポルガーは映画『ニーベルンゲン』を、「誠実のために不実を犯す古代ゲルマンの風習に対する荘重な雅歌」と呼んだが、それはそのままラングーハルブのコンビの性格規定でもある。 
 べルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り。第二部では、第一部の装飾的秩序は、底無しの混沌に変わり、結末の大虐殺は45分も続く。

1924.2.26
『カルロスとエリーザベト Carlos und Elisabeth』
リヒャルト・オズヴァルト監督、シナリオ:リヒャルト・オズヴァルト、撮影:カール・ハッセルマン、カール・プート、カール・ファス、テオドール・シュパールクール
【キャスト】コンラート・ファイト、オイゲン・クレッパー、アウド・エゲデ・ニッセン、ヴィルヘルム・ディーテルレ
【解説】「君主の悲劇」。フリードリヒ・シラーのドラマ『ドン・カルロス』のヴァリエーション

1924.5.10
『アルプス征服 Der Berg des Schicksals』
アルノルト・ファンク監督、シナリオ:アルノルト・ファンク、撮影:アルノルト・ファンク、ハンス・シュネーベルガー、ゼップ・アルガイヤー等
【キャスト】ハンネス・シュナイダー、エルナ・モレナ、フリーダ・リヒャルト、ルイス・トレンカー
【解説】アルプスでの恋愛ドラマ。

1924.6.16(日本封切り1926.5.7)
『闇の力 Die Macht der Finsternis』
コンラート・ヴィーネ監督、シナリオ:ロ−ベルト・ヴィーネ(レフ・トルストイの原作による)
【キャスト】「モスクワ芸術座」のメンバー
【解説】ベルリンの「モーツァルト・ホール」で封切り。クラカウアーp108

1924.9.26
『ミヒャエル Michael』
カール・テオドール・ドライヤー監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ、カール・テオドール・ドライヤー(ヘルマン・バングの小説『ミカエル』による)、撮影:カール・フロイント、ルドルフ・マテー
【キャスト】ヴァルター・スレザーク(ミヒャエル)、ベンヤミン・クリステンゼン(クロード・ツォーレト)、ノラ・グレーゴア(ルチア・ザミコフ侯爵夫人)、アレクサンダー・マルスキー(アーデルスクヨイト)、グレーテ・モスハイム(彼の妻)、ローベルト・ガリソン(チャールズ・スウイット)、マックス・アウツインガー
【あらすじ】断念の物語。有名で金持ちの画家クロード・ツォーレトは、彼の気に入りのモデルの若者ミヒャエルを養子にする。すっかり零落したが、美しいザミコフ侯爵夫人がツォーレトに描いてもらい、ミヒャエルを誘惑する。ツォーレトは、友人のジャーナリストのスウイットが彼の目を開かせてくれるまで、それに気づかなかった。今や彼はミヒャエルの態度に絶望し、また妻の不貞の相手を決闘で殺した友人アーデルスクヨイトの運命に悲嘆して、不治の重病になる。そして死ぬ前にもう一度ミヒャエルに会いたいという彼の願いもかなえられない。にもかかわらず彼はミヒャエルを、単独相続人に指定する。

1924.11.5
『対角線交響楽 Diagonal Sinfonie』
【解説】ヴィキング・エッゲリングの先駆的な抽象映画。

1924.11.7
『ダネリ伯爵夫人 Gräfin Danelli』
ゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト監督、シナリオ:ハンス・キューザー、撮影:グイド・ゼーバー
【キャスト】ヘニー・ポルテン、、パウル・ハンゼン、フリードリヒ・カイスラー、エーベルハルト・ライトホフ、フェルディナント・フォン・アルテン、ランテルメ・ドゥレル、カール・エトリンガー
【解説】ベルリンの映画館「プリムスパラスト」で封切り。

1924.11.13(日本封切り1925.9.25)
『裏街の怪老窟 Wachsfigurenkabinett』
パウル・レーニ監督、シナリオ:ヘンリック・ガレーン、撮影:ヘルマール・レルスキ、装置:パウル・レーニ、エルンスト・シュテルン、フリッツ・マウリシャート、製作:ネプトゥン・フィルム
【キャスト】エミール・ヤニングス(ハールン・アル・ラシッド)、コンラート・ファイト(イワン雷帝)、ヴェルナー・クラウス(切り裂きジャック)、ヴィルヘルム・ディーテルレ(夢見る詩人/アサド/花婿)、ヨーン・ゴットウト(蝋人形館の持ち主)、オルガ・ペライェフ(彼の娘/ツアラ/花嫁)、エルンスト・レーガル、ゲオルク・ヨーン
【あらすじ】(詩人が作り出す蝋人形館の恐怖の人物像の物語の映像化)。
 ある町の定期市に、一人の若い詩人がやって来て、「展示場の宣伝文書を書ける人物を求む」という広告に眼をとめる。彼は早速その蝋人形の見世物小屋に行く。そこにはハールーン・アル・ラシッドやイワン雷帝や切り裂きジャックや魔術師リナルド・リナルディーニなどの蝋人形が、ずらりと並んでいる。蝋人形館の持ち主は若い詩人に、それらの蝋人形についての物語を書くよう依頼する。蝋人形館の持ち主の美しい娘エーファが、彼の想いをかき立て、筆をスムーズに滑らせる。彼はハールーン・アル・ラシッドの蝋人形の片腕が取れたのにかこつけて、まず最初にハールーン・アル・ラシッドが片腕を失った物語を書く。
 バグダッドのカリフ、ハールーン・アル・ラシッドは、大変ロマンチックな支配者で、退屈を嫌って、毎日違った女性を寵愛している。だがその女性の誰一人として、パン屋のアサドの妻、ツァラほどに美しい者はいない。ある日カリフが大臣とチェスをしていて負けると、パン屋の煙がそれを嘲っているように見える。怒ったカリフは大臣に、パン屋を殺せと命じる。だがパン屋の妻ツァラの美貌にとろかされた大臣は、アサドを殺さずに帰ってきて、そのことをカリフに告げる。
 話を聞くと淫蕩なカリフは、変装してツァラを誘惑しに出掛ける。一方パン屋のアサドは、着るものも無いと訴えるツァラに、カリフの宮殿に忍び込んで、どんな願いでもかなえてくれるカリフの魔法の指輪を、盗んできてやると約束して出掛ける。その留守にカリフはツァラの所に忍び込んで、彼女を誘惑し、有名な王の指輪を見せびらかす。宮殿に忍び込んだアサドは、カリフが身代わりに寝床に置いた蝋人形を刺し、その腕を切って偽の指輪を奪う。しかし番兵に見つかってしまい、やっとの思いで家に逃げ帰る。
 カリフに言い寄られているところへ、アサドが帰ってきたことに気づいたツァラは、カリフをパン焼き釜の中へ隠す。アサドは「おれはカリフを殺してきた」と言って、魔法の指輪を見せる。そこへ番兵たちがやって来て、カリフ殺しの罪で、アサドを逮捕する。しかしツァラはアサドが持ち帰った腕から指輪を取り、「私は殺されたカリフが、ここに生きて姿を現すことを願う」と言う。するとカリフがパン焼き釜の中から姿を現す。ツァラはすぐにまた、「そして私は、私の愛するアサドがカリフのパン焼きになることを願う」と言う。カリフがそれを許可し、二人は目出度くカリフの宮殿に入る。
 第二の物語はロシアのイワン雷帝と扱う。今日もこの暴君はクレムリン宮殿の地下に降りて行き、毒を盛られた犠牲者の断末魔の苦悶を眺めて、ほくそ笑んでいる。彼の気に入りの玩具は、砂の落ちることで犠牲者の最後の時を刻む砂時計である。この砂時計に名前を書き込まれると、それは次の犠牲者を意味する。ところが毒の調剤師は雷帝が自分も殺すのではないかという恐れを抱いた。彼はそれを防ぐために、逆に砂時計に雷帝の名前を記そうと考える。同行した占星術師にそのことを警告された雷帝は、ひどく不安になる。
 翌日一人の貴族がクレムリン宮殿にやって来て、彼の娘の結婚式に、雷帝も出席して欲しいと頼む。用心深いイワンは、花嫁の父親と衣裳を交換して出掛ける。途中で暗殺団が襲ってきて、花嫁の父親を雷帝だと思って殺す。イワンは「皇帝は死よりも強い」と言って、結婚式に赴く。そして混乱を利用して花嫁をさらい、花婿を拘引して、拷問室に送らせる。さらわれた花嫁はクレムリン宮殿に連れ込まれる。彼女は皇帝の手を逃れて、地下室へ行く。そこでは彼女の花婿が拷問されている。雷帝が彼女の後を追って来る。
 その時占星術師が雷帝に、「あなたは毒を盛られた」と叫ぶ。驚いた雷帝が、「あとどれくらい生きられるか」と聞くと、占星術師は「砂の最後の粒が底に落ちるまで」と答えて、雷帝の名前を記した砂時計を示す。毒を盛られたと信じ込んだ雷帝は、気が狂ってしまう。そして生涯の最後の日まで、砂時計を休みなくひっくり返し続ける。
 第三の切り裂きジャックの物語をどうするか、あれこれと考えているうちに、若い詩人は疲れて眠り込んでしまう。夢の中で彼は、蝋人形館の持ち主の娘と愛し合う。突然二人は切り裂きジャックに襲われる。そしてどんなに逃げても、切り裂きジャックはどこまでも二人を追ってくる。恐怖のクライマックスで、若い詩人は眠りから目覚める。側には夢の中での恋人エーファがいて、二人は本当に愛し始める。
【解説】この映画は封切りの際には、1イワン雷帝の物語、2切り裂きジャックの物語、3ハールーン・アル・ラシッドの物語の順で上映された。しかしすぐに順序が変えられ、そのほうがずっと効果的であることがわかった。以来その順序で上映されている。元来パウル・レーニは美術監督として優れた仕事をしてきただけに、この作品はセット、照明のいずれの面から見ても、最後の真正の表現主義映画の一つである。彼は意識的に、人物像やハンドルンクの示唆する気分を、セットやカメラのパースペクティヴを通じて表現することを目指した。例えばイワン雷帝の残虐性は、締め付けるような建物の圧迫感や、人間を装飾の一部に還元するような処理法によって、切り裂きジャックの幽霊じみた不気味さは、動く光りとフォルムで構成されたような形姿によって表現されている。しかしこうした表現主義特有の手法は、第一次世界大戦後のアナーキーな世相の中でこそ、効果を発揮したが、あまりに誇張されたどぎつさは、次第に違和感を与えるようになり、ドイツ映画の表現主義は、この作品を最後として、主流からはずれていくことになる。当時フランク・ヴァルシャウアーは、「世界舞台(ヴェルトビューネ)」誌で、こう批評していた。
 「『裏街の怪老窟』を監督している画家のパウル・レーニは、芸術家の特技を断念するような気はなく、独自の性格を持った空間や事物を創造した。彼はそれをきわめて巧みに、そして目的に適った根拠付けをもっておこなったので、すばらしい効果を達成した。三つの物語の各々は、独自の調子で演じられる。コンラート・ファイトがイワン雷帝に扮した第一の物語は、バラード風に不気味で、夢幻的に壮麗である。第二の物語は亡霊のように通り過ぎて行く。第三の物語はバーレスク風の喜劇である。ここではエミール・ヤニングスは、千一夜物語の楽しいパロディーから生み出された、ひどく太った、巨大なひげを持った、ひどく滑稽なメルヘンのカリフである。
 パウル・レーニ監督が画家であるといいうことは、映像の技術的構成にきわめて有利に働いている。彼はカメラの可能性を利用し尽くすことを心得ている。例えば独自に変化し、生命のある映像を生み出すようなアングル、ただ彼の映像はしばしば複雑過ぎて、見通しがきかない。常に単純明快に、僅かの要素で構成すべきだということが、わが国では簡単に忘れ去られてしまう」。
 今日歴史的に回顧してみると、同じくヘンリック・ガレーンがシナリオ・ライターとして構想した、二年前の『ノスフェラトゥ』が、国際的な恐怖映画の先駆的作品と見なされているように、この映画は恐怖コメディー映画というジャンルの先駆的作品である。そしてパウル・レーニ自身『裏街の怪老窟』の成功によって、ハリウッドに招かれ、そこで1927年、同じくこのジャンルの古典的作品『猫とカナリヤ』を作った。そして1929年に44歳で死ぬまで、さらに三本のスリラー映画、『笑う男』『シナの鸚鵡』『最後の警告』を作った。
 同時にこの映画は、当時作られたドイツ映画と密接な関係を持っている。ハールーン・アル・ラシッドの物語は、ルビッチュの『寵姫ズムルン』などをきっかけとして、数年前ドイツで流行したアラビア物というジャンルを、当てこすった風刺であった。イワン雷帝も切り裂きジャックも、独自の人物像ではない。切り裂きジャックは20年代ドイツのメロドラマ映画の、ほとんどスタンダードな人物像で、のちにパプストの『パンドラの箱』で、極め付きの形姿となる。
 この作品の出来映えが一様でないことは、昔から指摘されていたが、それは製作条件の悪さのせいでもあった。それについて主役のヴィルヘルム・ディーテルレは、後年こう書いている。「パウル・レーニは『裏街の怪老窟』の監督であると同時に、装置家だった。彼はこの映画では大変不運だった。というのはこの企画のスポンサーとなったのは、何とかいうロシア人だったが、金が無くなってしまった。最後のエピソードは、やっとのことででっち上げることができた、辛うじて映画を売りに出した。それは本当に嘆かわしいことだった。なぜならもう数週間、あるいはもう数千マルクあれば、遙かに良い映画が作れただろうからである。にもかかわらずこの映画は、かなり大きな成功を収めた。おそらくこの種のものとしては最後であろう。観客の大部分は、表現主義など問題にしなかった。人々は単に面白いストーリーを求めた。ドイツには山や花、俗悪で感傷的な事柄を盛り込んだ、一連の郷土映画があった。こうした映画は成功し、モダンな様式の映画のお株を奪っていた。『裏街の怪老窟』のような作品ですら、決して問題無しに、一般観客の拍手を受けたわけではないのである。一つの物語のセットとカメラワークは、それぞれ独特であるが、第一の物語でのフリッツ・マウリシャートのセットの魅力と、第二の物語のパウル・レーニのセットの印象は、競い合っている。第三の物語では、脅迫的な不気味な雰囲気を醸し出しているカメラワークが目立っている。なおこの映画ではエミール・ヤニングス、コンラート・ファイト、ヴェルナー・クラウスという、当時のドイツ映画界の三大名優が競演しているが、これも希有のことだった。
【映画評】ルドルフ・クルツ『表現主義映画』――「繰り返し確認されねばならないことは、表現主義ではスタイルへの絵画的意志が、容易に感情的な表現の充実を捉えるということである。〈蝋人形の箱〉の作者、パウル・レーニはこの関係を非常に敏感に体験した。
 〈蝋人形の箱〉で表現主義的であるものは、この態度の必然から生まれているのではなく、何よりも表現方法である。レーニは大胆明確に自然物を、面と線の演出において、映画の気分を先取りするような形式に改造する。彼はいろいろな形式を膨らませる。彼はいろいろな形式を消滅させる。東洋の部では彼は、それをきわめて奇態な、面白い方法で唐草模様化し、またロシアの部では、「ビザンチン的に堂々と、滑らかに解きほぐしている。そして微妙な指先で、運動のエネルギーを感じ取り、切り裂きジャック的枠とプロフィルを与える不気味なシーンの連続のうちに、表現主義的装飾の感じ取っている。表現主義的形成の要素が、フィルムのいたるところに浮かび上がってはいても、この仕事の内部では、ただ最後の部分についてしか言うことはない。この非常に短いラストの結びは、正確なコンポジションと、装飾的、演技的な演出の明快さを持っており、表現主義映画の短い歴史の中で、その重要な地位を占めていると言ってよい。……無造作に自然な形は捨てられ、結びつけられた自由な面と線とが、まったく表現主義的で、壁と肉体、前進と湾曲とに具体化されている。常にただ、爆発しようという力が現れ、空間におけるきわめて激動的な美術設計の凶暴さであり、貪欲であり、階段が目まいする飛翔である。
 レニは、この明快に統制された美術設計を、いわば光線で装飾した。千の光線から濾過された光線は空間に熱病の夢をつくり出し、すべてのカーブを区別し、中絶された線を走らせ、背景のない深さをうみ出し、斜めの壁に暗部の魅力を出し、それが高く伸びるがごとく見える。装置の技術的な可能性が固定され、相互に入りこみ、または重ね合わされて撮影されていて、空間におけるいろんな形状の運動価値が因習的な束縛から解放されていて、形而上学的な領域にまで高められている。これほど正確に手段と材料が強烈に装飾的な意志に従属しているからこそ、大衆は、この非常に速い、微妙なシーンを多大の喝采をもって受け入れたのだ。表現主義は、それが手段を心理的目的に従属させることによって、この成果をなしとげた」(「表現主義の演劇・映画』、河出書房、332ページ以下)。

1924.11.24(日本封切り1931.4.15)
『ニュー Nju--Eine unverstandene Frau』
パウル・ツィンナー監督、シナリオ:パウル・ツィンナー(オシップ・デュモフの劇作による)、撮影:アクセル・グラートクヤーエル、ライマール・クンツェ、装置:パウル・リート、ゴットリープ・ヘッシュ、キャスト:エリーザベト・ベルクナー(ニュー)、エミール・ヤニングス(夫)、コンラート・ファイト(愛人)、ミーゴ・バルト(ベビーシッター)、ニルス・エトヴァル(子供)、マルガレーテ・クッパー、カール・プラーテン、マックス・クローネルト
【あらすじ】善良ではあるが、ありふれた成功者と結婚し、何となく愛情に飢えているニューは、繊細な感覚の外国人作家と知り合い、そそのかされて夫や子供を捨てて、その男の部屋に移る。その部屋は彼女には、自分の家庭と比べて楽園ように見える。しかししばらくするその外国人は彼女に厭きてしまい、夫と子供の許に帰るようにとすすめる。しかしニューはやるせなさに、身投げして命を絶つほうを選ぶ。

1924.12.23(日本封切り1926.1.28)
『最後の人 Der letzte Mann』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:カール・マイヤーCarl Mayer、撮影:カール・フロイント、 美術:ローベルト・ヘルルト、ヴァルター・レーリヒ、製作:ウーファ映画社
【キャスト】エミール・ヤニングス Emil Jannings(ドアマン)、マリー・デルシャフト(彼の姪)、マックス・ヒラー(花婿)、エミーリエ・クルツ(叔母)、ゲオルク・ヨーン(夜警)、ハンス・ウンターキルヒャー(支配人)他。
【あらすじ】ホテル・アトランティクの前に金モールのついた制服を着た、年取ったドアマンが立っており、お客からも従業員からも等しく一目置かれている。彼の制服は、仕事を終えた後に彼が帰っていく裏庭のひどく陰気な世界に、光輝をもたらす。あるひどい悪天候の時、重いトランクを下ろすのに、彼の力ではもう役に立たなくなっていた。それを見た支配人は、彼のポストをもっと若い力のある男に譲るよう命じ、長年の誠実な仕事ぶりのため、彼を解雇はせず、トイレの番人の仕事をを与えることに決める。老人の誇りはうち砕かれた。彼に金モールの制服を脱がせる支配人の前に、彼はすっかり取り乱して立っている。その時彼は、翌日開かれることになっている姪の結婚式のことを思い出す。そこで誰の目にも留まらぬうちに、彼は脱がされた自分の制服の入っている戸棚の鍵をそっと取る。それから打ちひしがれて、彼に新しい仕事を割り当てる女中頭の後から、よろめきながらついて行く。
 夜になって彼はホテルに戻り、脱がされた制服を盗み出す。というのは家で婚礼の祝宴の時に、誰にも異変に気づいて欲しくないからである。祝宴の席でしたたか酔っぱらった彼は、今でもみんなから尊敬されているドアマンだという自己欺瞞に浸る。しかし朝になって彼は、再び自分の惨めさを意識する。夕方帰宅の際に着るために、彼は制服を駅の手荷物扱い所に預ける。ところが叔母が彼に親切をするつもりで、小鉢に暖かい食事を入れて、ホテルのドアの所へ持って行くが、そこにいる新しい顔の男を見て、びっくり仰天する。そしてトイレに行くように言われて、新しい状況を悟り、嫌悪の情を抱いて逃げ出す。夕方老人が制服姿でそっと裏庭を越えていくと、みんなが彼を嘲りの目でじろじろ見る。もうみんな知っている。家族は彼に出ていけと言う。夜、彼はホテルへ制服を返しに行く。年取った夜警だけが、彼に対して友情を保っており、彼を慰める。
 しかし運命は変わる。ある独り身の金持ちのお客が彼の腕の中で死に、自分にとって「最後の人」に遺産を残すということにしてあったので、彼には金持ちの財産が遺産として入ったのである。彼は自分に親切だった夜警と一緒に、勤めていたホテルで祝宴を張る。そして一台の辻馬車がこの二人の年取った友人を、もっと美しい未来へ運んで行く。
【解説】豪華ホテルのドアマンが老いたためにトイレの番人に格下げされ、自慢の制服を脱がされて絶望するというこの無字幕叙法の傑について、ヴィリー・ハースは「ここから、今日から、キネマトフラフィーの新しい時代が始まる」と書いた。ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り。
【映画評】◇1925年1月6日付けの「映画週間」誌――「……徹底的に学び直さなくてはならない。映画には演劇の法則がそのまま当てはまり、その法則を視覚的表現能力の役に立てることは、監督や作家や俳優たちやカメラマンの才能に任されているのだと確信していた者は、12月23日以来、ドイツに視覚上の姿勢のみに依存し、動きから出てきて、印象を伝達するのに完全に納得させるものを持った視覚的力へと導く、映画芸術そのものが存在しているということを知った。ことによるとこの12月23日は、映画芸術一般の誕生日である。そしてこれまで起こったことはすべて、この偉業の単なる段階に過ぎなかったのである……」。
◇1924年12月24日付けヘルベルト・イエーリングの批評――「……『最後の人』はドイツの最優秀映画なので、インターナショナルである。それはアメリカのものが、アメリカの最優秀映画であればインターナショナルであるのと同じである。カール・マイヤーは、自分が監督ではないのに、監督として、あるいはカメラマンとしてシナリオを書く、唯一の映画シナリオライターである。他ならぬこの実際的な感情移入の能力が、ことによると時折、あまりに文学的に、あるいはあまりに根本的に強調され過ぎたかもしれない。マイヤーの発展にとって重要なシナリオは、ことによると映画のことを予見した文士と、実際的なことを表現した映画人との間の、相克があったかもしれない……。シナリオライターとしてのカール・マイヤーと、監督としてのムルナウとが、共に一つの全体を構成していることは、『追放』以後明瞭になった。この作品で、両者の提携の価値が証明された。ムルナウは何とすばらしく動きを扱っていることだろう。ドアマンと一緒に移動するカメラは、彼から遠ざかったり、彼に近づいたりして、入れ替わる顔や人物を、何とすばらしく反対方向へ揺れ動くアクションとして扱っていることだろう。そしてそのアクションの中では、長さも照明のアクセントも、テンポの終わり具合も、すべてよく考え尽くされていたーーこれは完全無欠の傑作であり、カメラマンのフロイントは、それに抜群の腕で参与している…」。

1924.12.29
『酔いどれ女 Bacchantin』
ルートヴィヒ・ガングホーファー原作、
【キャスト】オルガ・チエホヴァ、パウル・ヴェスターマイヤー

1925
1925
『恋の炎 Liebesfeuer』
P・L・シュタイン監督
【解説】クラカウアー215n

1925(日本封切り1927.4.27)
『宇宙の驚異 Wunder der Schöpfung』
【解説】クラカウアー、156

1925(日本封切り1928.5.25)
『恋は盲目 Liebe macht blind』
【解説】パリを舞台とした恋愛映画。

1925(日本封切り1928.4.21)
『野鴨 Die Wildente』
ループー・ピック監督、シナリオ:F・カールセン、ループー・ピック(ヘンリック・イプセンのドラマによる)、撮影:カール・デリウス
【キャスト】ヴェルナー・クラウス、ルチー・ヘーフリヒ

1925.2.11(日本封切り1926.10.1)
『王城秘史 Zur Chronik von Grieshuus』
アルトゥール・フォン・ゲルラハ監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ(テオドール・シュトルムの小説による)、撮影:フリッツ・アルノー・ヴァーグナー、カール・ドレーフス、エーリヒ・ニッチュマン、装置:ローベルト・ヘルルト、ヴァルター・レーリヒ、ハンス・ペルツィヒ
【キャスト】パウル・ハルトマン(ヒンリッヒ)、ルドルフ・フォルスター(デートレフ)、リル・ダーゴヴァー(グレタ)、アルトゥール・クラウスネック(グリースフースの領主)、ゲルトルート・ヴェルカー(オルラミュンデ)、ルドルフ・リッター(オーヴェ・ハイケン)、ハンス・ペーター・ペーターハンス(ロルフ)、ゲルトルート・アルノルト、ヨーゼフ・ペーターハンス
【あらすじ】(二人の兄弟が王城の相続をめぐって争う物語。不吉な中世伝説の雰囲気が漂う)。
 グリースフースの領主が亡くなったのち、彼の二人の息子の間で苛烈な相続争いが起きる。相続人のヒンリッヒは父の意志に反して、つまらぬ下僕の娘グレタと結婚していた。しかし家族の中の異端者だった弟のデートレフは、貴族の娘オルラミュンデと結婚していた。そこで彼は相続の権利を主張して争った。対決が続いているうちに、グレタはデートレフに脅かされていると感じて、虚脱状態に陥り、子供を産んだ際に死んでしまった。ヒンリッヒは弟のデートレフに罠を仕掛け、決闘で彼を殺してしまう。しかし彼はグレタの死に驚愕し、また弟を殺してしまったことに苛まれて、グリースフースの城を去って、旅に出る。その間彼の小さな息子ロルフは、女中に育てられる。ヒンリッヒは八年後に戻って来て、はじめて息子ロルフに会う。彼はちょうど良いときに帰った来たのでうある。というのはオルラミュンデがロルフを誘い出して養子にし、それによってグリースフースを自分のものにしようとしていたからだった。こうして父と息子はやっとグリースフースの主となることができた。

1925.3.3
『結婚詐欺師 Heiratsschwindler』
カール・ベーゼ監督
【キャスト】ケーテ・ハーク、ローザ・ヴァレッティ

1925.3.16(日本封切り1926.10.22)
『美と力への道 Wege zu Kraft und Schönheit --Ein Film uber moderne Körperkultur』
監督:ヴィルヘルム・プラーガー。シナリオ:ヴィルヘルム・プラーガー。芸術・学術顧問:アウグスト・ケスター博士、アルトゥーア・カンプ教授、フリッツ・クリムシュ教授、カール・エビングハウス教授。撮影:フリードリヒ・ヴァイマン、オイゲン・フリヒ、フリードリヒ・パウルマン、マックス・ブリンク、クルト・ノイベルト、ヤーコプ・シャッツォー、エーリヒ・シュテッカー。装置:ハンス・ゾーンレ、オットー・エルトマン。音楽:ジューゼッペ・ベッツェ、製作:ウーファ映画文化映画部
【キャスト】プロイセン体育大学、リズム・音楽・体育のためのヘレラウ・スクール(ダルクローズ)、ローエラント舞踊学校、ボーデ・スクール、アンナ・ケルマン舞踏・体育スクール、マリー・ウイグマン舞踊グループ、ラバン・スクール、その他あらゆるスポーツ分野の世界記録保持者、受賞者、男女のダンサー(ニディ・イムペコーフェン、タマラ・カルサヴィーナ等)、「ローマの公衆浴場」のシーンにヘルタ・フォン・ヴァルター、レニ・リーフェンシュタール、エーファ・リーベンベルク
【解説】ベルリン最大の映画館「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」でプラーガー監督のウーファ文化映画封切り。「民衆教化的Volksbildend」という評点(プレディカート)を与えられた。
 体操選手や舞踊家を呼び集めてプラーガーは、ヌーディズム運動から霊感を得た映画を製作した。その中には当時に世界的な賞賛を受けていたロシアのバレリーナのカルサヴィーナもいたし、ドイツで盛んな「ノイエ・タンツ」の人気者、ニディ・イムペコーフェンもいた。それは古典古代のギリシャの体育場やローマの公衆浴場(リーフェンシュタールの出演シーン)から、現代のスポーツ・シーン、律動的体操や舞踏に至るまでの肉体の修練を描き、非エロティシズム的ヌードの、均整の取れた力強い人間の姿を理想化した。それは「技巧的なポーズや非現実的なセットを使って、古代の有名な「健全なる身体に健全なる精神が宿って欲しい」というモットーの映像化を目指した。そのメッセージは古典古代の精神による現代のドイツの若者の肉体の再生であり、その目的に沿った形姿を精確に呈示した。
その含意を洞察したフランク・ヴァルシャウアーは、四月二十八日付の「世界舞台」誌に論評を載せ、「『美と力への道』は[軍人大統領]ヒンデンブルクに、国民皆兵に通ずるかもしれないと心配されているのは、まことにもっともである。なぜならこの素晴らしい、きわめて教育的なスポーツ映画は、残念ながら他のすべてを、単に新しい軍国主義への準備と見せかねない最終場面を持っているからである。……」と書いた。「古典古代の精神による現代ドイツの若者の肉体の再生」ーー1936年のベルリン・オリンピックは、ナチ以前の準備段階ですでに、そうした志向を伏線としていた。

1925.4.24
『画家とモデル Der Maler und sein Modell』
【解説】パリとピレネー山地で撮影された独仏合作映画、ベルリンのクーアフュルステンダムで封切り

1925.5.3
「絶対映画」上映
【解説】ベルリン銀座クーアフュルステンダムの「ウーファ・テアーター」で、図形及び動きだけの「絶対映画」が満員の観客を集めて上映。プログラムにはヴィキング・エッゲリング、ルットマン、フェルナン・レジェ 、ルネ・クレール、ヒルシュフェルト- マック、ハンス・リヒターの実験映画が載っていた。

1925.5.12
『活佛 Lebende Buddhas』
パウル・ヴェーゲナー監督、シナリオ:パウル・ヴェーゲナー、ハンス・シュトゥルム、撮影:グイト・ゼーバー、ライマール・クンツェ、装置:ハンス・ペルツィヒ、ボート・ヘーファー
【キャスト】パウル・ヴェーゲナー、アスタ・ニールゼン、ケーテ・ハーク、グレゴリー・フマラ
【解説】二人の英国の教授がチベット仏教の跡をたどる。

1925.5.18(日本封切り1928.9.28)
『喜びなき街 Die freudlose Gasse』
ゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト監督、シナリオ:ヴィリー・ハース(Willy Haas)[フーゴ・ベッタウアーの小説『喜びなき街』による)、撮影:グイト・ゼーバー、クルト・エルテル、装置:ハンス・ゾーンレ、オットー・エルドマン、製作:ゾーファ映画
【キャスト】グレタ・ガルボ Greta Garbo(グレーテ・ルムフォルト)、ヤーロ・フルト Jaro Furt(ルムフォルト宮中顧問官)、ローニ・ネスト(マリアンドル・ルムフォルト)、アスタ・ニールセン(マリア・レヒナー)、ヴェルナー・クラウス(肉屋)、イアンル・ハンソン(デーヴィス中尉)、マックス・コールハーゼ(マリアの父親)、ジルヴィア・トルフ(マリアの母親)、カール・エトリンガー(ローゼノフ)、イルカ・グリューニング(ローゼノフ夫人)、アグネス・エステルハーツィ(レギナ・ローゼノフ)、アレクサンダー・ムルスキー(ライト博士)、タマラ・トルストイ(リア・ライト)、ローベルト・ガリソン(ドン・アルフォンス・カネス)、ヘンリー・スチュアート(エゴン・シュティルナー)、マリオ・クスミヒ(アーヴィング大佐)、ヴァレスカ・ゲルト(グライファー夫人)、トルストイ伯爵夫人(ヘンリエッテ嬢)、エオドナ・マルクシュタイン(メルケル夫人)、ヘルタ・フォン・ヴァルター(イルゼ)、グリーゴリ・フマラ(給仕)、ラスカトフ(トレーヴィッチュ)、クラフト=ラッシヒ、オットー・ラインヴィルト
【あらすじ】(第一次世界大戦後のインフレ時代のヴィーンの街のエピソード)
 第一次世界大戦後、敗戦の町ヴィーンはひどいインフレに襲われた。中産階級も旧帝国の高官も旧オーストリアの都市貴族も、等しく破局的インフレに押し流されて、苦しんでいた。それでも彼らは昔の体面を保つことに汲々としていた。しかし家の中では絶望と飢えに脅かされていた。しかし他方では、過酷な現実を好機として、世間一般の窮境を利用して、逆に利益を得た新しい成金階級も現れていた。その中でも、以前ビーリッツで洋服屋だったローゼノフは、今は中央ヨーロッパ銀行の支配人として、飛ぶ鳥落とし勢いだった。彼は個人的には非の打ち所のない善良な人物だったが、商売人としては海千山千だった。そして当時は街路でも喫茶店でも、至る所で投機的な取引がおこなわれていた。没落する旧高級官僚層の典型であるヨーゼフ・ルムフォルト宮中顧問官までが、そうした一般の投機熱のとりことなっていた。
 彼は自発的に退職し、補償金を工業株に投資したが、それは間違いなく倒産するような企業だった。そして他ならぬローゼノフがそれに目をつけ、あるアルゼンチン人と組んで、株を買い占め、その企業を整理した。ルムフォルトは持ち金をすべて失っただけでなく、その上差額の補填までしなくてはならなかった。そしてかつては裕福だった地区全体が、貧困化した。ルムフォルトの住んでいたメルヒオール横丁も、その一つだった。
 今やこの街は横暴な肉屋と洋服屋のグライファー夫人が羽振りを利かす街だった。寒い冬を前にして、住民が飢えと凍死を免れることができるかどうかは、彼らが品物を売ってくれるかどうかにかかっていた。だが彼らはそうした権力の座を、きわめて悪辣に利用し尽くした。肉屋は肉を餌にして女をあさった。グライファー夫人も綺麗な女の子には、喜んで掛け売りしたが、それには思惑があった。彼女の仕事場の後ろには小さなサロンがあり、そこで彼女は逢い引きの斡旋をしていたのだった。心身共に飢えていたこの地区の若い娘たちは、この偽りの輝きの誘惑に次々に屈した。
 没落して堕落した人々の乱れと、不品行な成金たちのとどまるところを知らない享楽。そうした淀んだ雰囲気の中で、突然、得体の知れない恐ろしい殺人事件が起きた。この街の小さな、いかがわしい旅館で、ローゼノフ・コンツエルンの法律顧問の妻で、浮き名を流していたリア・ライトが殺されているのが見つかったのである。嫌疑はコンツエルンの銀行員エゴン・シュティルナーに向けられた。彼は彼女と大変親密な関係を結んでいたからだった。彼は逮捕され、否認したにもかかわらず、懲役刑に処された。
 一方ルムフォルト顧問官の家は、悲惨な状態だった。顧問官はすっかり打ちのめされていた。家族の中では、美しい娘のグレーテだけが、ただ一人けなげにも、苦境を切り抜けようと懸命になっていた。救いの神はアメリカの救世軍の将校デーヴィスが、間借り人になってくれたことだった。彼はドルで支払った。それはすっかり落ちぶれてしまった家族にとっては、大変な恩恵だった。しかし身分意識に凝り固まったルムフォルト顧問官は、この人好きのする若者を、祖国を破滅させた敵としか見なかった。衝突また衝突。あきれ果てたデーヴィスは、その間にグレーテを愛するようになってはいたが、ある日とうとう出ていってしまった。
 困り果てたグレーテは、グライファー夫人に頼るほかなかった。彼女は信用で買い、さらに金を借りた。するとグライファー夫人は本性をむき出し、売春の取り持ちをして、彼女を破滅に追い込もうとした。そうした中で例の殺人事件が思わぬ展開を遂げて、解決した。娼婦のマリアが自分から出頭して、自分が殺したと自白したのだった。善良ではあるが軽率な彼女は、以前エゴンの情婦だった。そこでリアとエゴンがふざけ合っているのを見た彼女は、リアのせいで自分は捨てられたのだと思いこみ、ひそかにリアを殺して、嫌疑がエゴンにかかるように仕向けたのdった。
 グレーテも同じように転落しかねなかったが、彼女を依然として愛し続け、あらゆる反証にもかかわらず、彼女を信じ続けていたデーヴィスが、彼女を救った。そして二人は結ばれた。その間に警察はグライファー夫人の家の怪しげな状況に目をつけた。他方肉屋に対する街の住人たちの憎悪は、絶望的な行為となって爆発した。貞操を犠牲にして自分と子供の露命をつないでいた哀れな母親の一人が、彼を刺し殺したのである。
【解説】アメリカでスターとなるグレタ・ガルボ初出演。
 表現主義の波が退潮して、世相を客観的に見る新しい傾向の時代となったとき、次の主潮となる傾向は、いわゆる「新即物主義」だった。その中で他の監督と一味違った存在として注目されたのが、パプストだった。彼は街をデモーニッシュな運命の場所と見る表現主義の街路映画とは違った視点から街を見た。つまり「一人の人間の偶然な生活ではなく、典型的な生活を展望する映画」の時代の口火を切った。それがこの『喜びなき街』であり、彼はそれによって、「リーダー的なドイツのリアリズム監督」という名声を博することになった。だが彼のリアリズムは、ロマン的・メロドラマ的傾向を、様式的に否認するものではなかった。「真の生はきわめてロマン的である」というのが、彼の考えだった。
 だが彼が「特異な」リアリズム監督と称されるのは、そうした信念によってではない。あくまでも映画表現の特異性よってである。この映画はドキュメンタリーではなかった。パプストはスタジオに「喜びなき街」を作った。そしてそれを巧みな照明の効果で、表情豊かな映像として捉えた。そうした手法によって、彼は大戦後のヴィーンという、特定の社会の状況を描いた。ただし彼の捉えたリアリティには、明白な彼の嗜好があった。セッックスである。「彼の作品では売春窟は、常数としての意味を持っていた」。
 その際彼は女性に対する特別に鋭い感覚によって、きわめてアトラクティヴな映像表現を生み出した。この映画においては、グレタ・ガルボがデビューし、アスタ・ニールゼンが娼婦役で登場し、前衛的表現舞踊の元祖ヴァレスカ・ゲルトが、売春斡旋役で登場し、まことに効果的な印象を与えている。また『イエスタ・ベルヌリ』のベルリン封切りのために、映画監督マウリッツ・スティルレルが連れてきた無名のグレタ・ガルボを見て、パプストは直ちにガルボーニールセンの組み合わせを直感したのだった。無垢の妖精としてのガルボの登場である。一方ニールセンは金持ちの老実業家の情婦役を、痛切と言ってよい表現力で演じた。装身具や絹の衣裳で極楽鳥のように飾り立てたこの娼婦の目には、恐ろしいほどの空虚さがただよっている。そしてすべてを破壊する内的衝動に駆り立てられたかのように、彼女の以前の愛人の新しい恋人を殺す。それから彼女は外面的装飾を投げ捨てて、彼女のパトロンの足元にひれ伏す。これほど裸形の真実が映像化されたことは、まだなかった。アド・キルーは「性とそれが同時代の社会的コンテクストの中で持つ独自の価値は、パプストの主要なテーマであり、彼はジョージ・グロスのスケッチに影響されて、彼の人物像の仮面を剥ぎ取り、彼らのきわめて怪しげな官能を暴露する」と述べている。
 パプストのリアリズムは普遍的なものではない。しかし限定された枠内では、テーマは分裂していたにもかかわらず、暴露的は仮借無さを示していた。もっとも有名なのは、誰しも言うとおり、肉屋の店の前に並んだ、やつれ果てた女たちの長い列の前で、ものすごく大きな犬を連れた獰猛な肉屋が、冷酷に店を閉じる場面である。パプストのこうした場景描写のすさまじさは、常に一貫した彼の特色であり、彼の社会的分析の持つ価値である。乏しい光りに照らされた街路や暗い部屋と、反対に贅沢なホテルのぎらつくような光りのコントラストが生み出す、際立った即物性ーーそれは彼の仮借ない性の暴露と同一の嗜好に由来するものだった。その意味では、「自分の店の前に行列している女の客たちの足を、半地下室の窓から眺めている肉屋の欲情に歪んだ顔こそ、この映画の感覚的現実を、完全に明らかにするものである」。

1925.5.19
『海賊ピエトロ Pietro,der Korsar』
アルトゥール・ロビゾン、シナリオ:アルトゥール・ロビゾン(ヴィルヘルム・ヘーゲラーの小説による)、撮影:フリッツ・アルノー・ヴァーグナー、ルドルフ・マテ、装置:アルビン・グラウ
【キャスト】アウド・エゲゲ・ニッセン、パウル・リヒター、ルドルフ・クライン=ロッゲ
【解説】海賊の間でのラブと嫉妬の物語

1925.6.26
『映画の中の映画 Der Film im Film』
フリードリヒ・ポルゲス監督、シナリオ:フリードリヒ・ポルゲス、シュテファン・ローラント
【解説】フリッツ・ラング、パウル・レーニ、E・A・デュポン監督等の映像記録をまじえた、映画の発展についての教育映画。

1925.8.29(日本封切り1926.12.10)
『第五階級 Die Verrufenen--der fünfte Stand』
ゲルハルト・ランプレヒト Gerhard Lamprecht監督、シナリオ:ルイーゼ・ハイルボルン=ケルビッツ、ゲルハルト・ランプレヒト(ベルリン下町情緒を描いた画家ハインリヒ・ツィレにちなんだツィレ(Zille)の体験による)、撮影:カール・ハッセルマン、装置:オットー・モルデンハウアー
【キャスト】ベルンハルト・ゲツケ(ローベルト・クラーマー)、アウド・エゲデ・ニッセン(エンマ)、エドゥワルト・ロートハウザー(写真師)、マディ・クリスチャンス(ゲルダ)、アルトゥール・ベルゲン(技師)、フリーダ・リヒャルト(マルガレーテ・クッパー、パウル・ビルト、ゲオルク・ヨーン
【あらすじ】許嫁をかばうために、偽証の罪を犯した技師のローベルト・クラーマーが、刑務所から出所した。家に帰ると、父親は「ムショ入りしたような奴には、わしの家に居場所はない」と言って、追い出してしまう。許嫁も彼を拒む。落ちぶれたローベルトは浮浪者施設に入る。仕事にあぶれた寄る辺無い浮浪者は、酒場で誕生日を祝っても、「おめでとう、だけど長生きしろとは言わないよ」と挨拶される始末である。
 絶望したローベルトは自殺を企てるが、心優しい売春婦エンマに止められる。彼はエンマのところへ避難し、仕事を見つける。体面を重んずる身内は、ローベルトがどこにいるかを知ると、恥じて、彼をアメリカへ行かせようとする。かつての許嫁がその使いにやって来る。彼のエンマの憤慨して、彼女を追い返す。
 しかし突然ローベルトとエンマとの間は引き裂かれる。エンマの兄がぐうたらで、ローベルトと一緒に服役していたが、新しい事件を起こし、それにエンマも引き込んだため、兄と姉二人は逃亡することになる。
 ローベルトはベルリンに出て、一介の労働者として働く。ある日ローベルトに幸運が訪れる。工場の機械が故障して止まってしまい、機械を修理できるデュッセルドルフに電話したり、大騒ぎになってしまう。経営者は注文に間に合わせるため、機械をすぐにでも動かしたい。するとローベルトが修理を買って出て、成功する。経営者が彼が技師だったっことを知ると、家に呼んで娘に紹介する。ローベルトは過去を語り、「再び上昇したいという絶望的な意志だけが、私にこの筆舌に尽くしがたい悲しい生活を堪え忍ばせたのです」と言う。経営者は彼を管理職に引き上げる。
 一年が過ぎ去る。エンマは死の床に就いている。そして死ぬ前にもう一度彼に会いたいと言う。彼女は言う。「私はたくさんの男に抱かれはしたにしても、それでもローベルトを愛しているのです」。やっとローベルトがやって来る。彼女はローベルトに抱かれて死ぬ。
 「貧困と悲惨、悪徳とアルコールが、人々を第五階級と呼ばれるものにする」というのが、このツィレ映画の結論だった。
【解説】この映画は「ツィレ映画」と称される作品の代表である。ハインリヒ・ツィレはベルリンの郷土画家で、「ミリュー」と呼ばれるベルリンの貧民地区を、独特の哀愁をこめた筆致で描くことに専念していた。美術史上では問題になる画家ではないが、ベルリンのいわば下町情緒の権化とも言うべき存在で、生粋のベルリン子には、理屈無しに訴えかけるものを持っている。そして「彼の描いた栄養不良の子供たち、労働者、売春婦、みすぼらしい裏庭の手回しオルガン弾き、のらくら時間を空費している惨めな女と、得体の知れない連中の姿は、ドイツ人たちに大いに人気を博した」。
 このツィレの「ミリュー」を映画化しようとする動向が、1925年頃から盛んになった。当時はまだ新人監督だったランプレヒトは、その先鞭をつけて成功し、揺るぎない地歩を獲得した。彼はツィレから、本当にあった話を聞く。それによってシナリオを書いた。ツィレはそれを読んで感激し、撮影に立ち会った。ランプレヒトが気にかけたのは、すべてをできる限り本物にすることだった。そこで彼のアシスタントたちは、ルンペンの夜間収容所、飲み屋、シュレージエン駅の暗い道などを、しらみつぶしに探し回った。そこでとうとうスタジオの中に、売春婦やヒモや飲んだくれが、うようよすることとなった。ランプレヒトは本当のブランデーを出す本当の酒場、主人公が自分の誕生日を祝う酒場を建てさせた。
 そのようにして『第五階級』は出来上がった。それは無慈悲な映画だった。しかし美しい映画だった。まさにドイツ版「下町の人情」物語だった。主人公を救ったエンマは、出世した主人公に捨てられても、文句は言わない。そして死の床に駆けつけた主人公のローベルトの腕に抱かれて死ぬ。まさに涙のメロドラマそのものである。それゆえ徹底した革新的視点に立つS・クラカウアーは、こう批判した。
「この筋の下敷きになっている公式は、二つの要素の混合である。一方で映画製作者は、プロレタリアートの苦難について、同じことをくどくど繰り返すことによって。社会的問題に取り組んでいる振りをする。他方で一人の特別な労働者(本当は全然その階級の人間ではない)に、幸運な昇進の機会を与えることによって、社会的問題を回避する。こうして観客を〈体制〉に密着させるのである。多分階級の差異も結局のところ、流動的なものなのだということを、この物語はほのめかす」。
 確かに社会批判としてはこの映画は、まったく問題に真剣に取り組む姿勢を欠いている。
ツィレ映画の視点は、あくまで当時のベルリンの下町の、歴史的に固有の雰囲気が醸し出す、情緒的な面に基礎を置くもので、階級闘争の視点ではない。その代わりそこには、ベルリン子が彼らの方言で言うようなもののすべてがある。つまりツィレの「ミリユー」が見事に映像化されている。階級的視点と交錯するこの情緒的な面は、「その時」「その場」で生きる人にとっては、一番心に訴える面である。それがどんなものであるかを感じ取るのには、この映画は打ってつけである。
 映画のプロは当時、ランプレヒトがツィレ映画を作ろうとしていると聞いたとき、頭を振った。当時の常識では、映画館でそんなものを見たがる者は、いるはずがなかった。そんな状況を忘れるためにこそ、人々は映画を見に行くのだ。だがそう考えた人は、ツィレ映画の本質を取り違えていたのである。「貧困と悲惨」という事実そのものが、主題ではないのだった。原題は「除け者たち」である。つまりエキストラとして雇われた売春婦やヒモやアル中たちに、そのものずばりの標題を与えたのだった。それはツィレの意に反した標題だった。そこで彼は「われわれはみんなこうなんだ」という署名を付けたプラカードをスケッチした。激論ののち、映画は『除け者たち(第五階級)』という、二重タイトルで公開されることになった。プレミア・ショーは大成功で、列席したツィレに拍手喝采が贈られ、熱狂した観客に妨げられて、長い間彼は映画館から出ることができなかった。【監督略歴】大学で美術史と演劇史を学ぶかたわら、演劇の訓練を受け、映画のシナリオを書いていた。すぐに映画監督となり、トーマス・マンの作品の最初の映画化、『ブッデンブローク家の人々』を作った。それに続いて『第五階級』を製作した、映画監督としての地位を確立した。1931年、エーリヒ・ケストナーの少年物の傑作『エミールと探偵たち』の映画化、『少年探偵団』を作ったが、これは彼のもっとも有名な作品である。『黒騎士』(1932)、『深紅の恋』(1933)、『ボヴァリー夫人』(1937)といった二流作品を幾つか作ったのち、第二次世界大戦後、最後の重要作品『ベルリンの何処かで』(1946)を製作した。それはツィレ映画の流れを引く作品だった。彼はまた膨大な映画関係の参考品を収拾して、「ドイツ・キネマテーク」の基礎を作り、自ら所長となった。そして彼自身も映画史家として、『ドイツ・サイレント映画1903−1931』という、膨大なカタログを完成した。以来このカタログは、この時期のドイツ映画の、スタンダードな目録と評価されている。

1925.9.17
「ウーファ週間ニュース UFA-WOCEHNSCHAU」の最初の上映
【解説】ドイリヒ週間ニュースとメスター週間ニュース(MESTER-WOCHE)が合併して出来た「ウーファ週間ニュース」の最初の号上映。きわめてさまざまな出来事を知らせた。

1925.10.22
『テクサスの農場主 Der Farmer aus Texas』
ジョー・マイ監督、シナリオ:ジョー・マイ、ロルフ・E・ヴァンロー(ゲオルク・カイザーの喜劇『コルポルタージュ』による)、撮影:カール・ドレーフス、アントニオ・フレンゲリ、装置:パウル・レーニ
【キャスト】リリアン・ハル=デーヴィス、ヴィリー・フリッチュ、マディ・クリスチャンス
【解説】身分違いでしっくりいかない結婚の物語。

1925.10.23
『アジアの灯火 Die Leuchte Asiens』
フランツ・オステン監督、シナリオ:ニランヤン・パル、撮影:ヴィリー・キールマイヤー、ヨーゼフ・ヴィルシング
【解説】愛と諦念をめぐるゴータマ・ブッダの闘いの物語。独・印共同製作映画。

1925.11.16(日本封切り1927.5.20)
『ヴァリエテ Variete』
エーヴァルト・アンドレ・デュポン Ewald Andre Dupont監督、シナリオ:レオ・ビリンスキー、エーヴァルト・アンドレ・デュポン。(フェーリクス・ホレンダーの小説『シュテファン・フラーの誓い』による)、撮影:カール・フロイント、装置:オスカー・フリードリヒ・ヴェルンドルフ、製作:ウーファ映画社
【キャスト】エミール・ヤニングス Emil Jannings(「ボス」・フラー)、リア・デ・プティ Lya de Putti(ベルタ=マリー)、ウオーウイック・ウォード(アルティネリ)、マリー・デルシャフト(フラーの妻)、ゲオルク・ヨーン(水夫)、クルト・ゲロン(港湾労働者)、チャールズ・リンカーン(俳優)、アリス・ヘヒ、パウル・レーコップ並びにコドナス・トリオ「三人空中ブランコ」と道化師ラステリ
【あらすじ】(妖艶な女性の魔力に溺れ、間男を殺すサーカス芸人の物語。
 「ボス」フラーはもう刑務所に入ってから10年になる。彼の妻は恩赦を得ようと努力する。フラーはこれまで、刑務所入りをする羽目になった罪に対する自分の気持ちを、一度も語ろうとしなかった。だが今彼は刑務所長にその物語を語る。
 かつて空中ブランコ曲芸師だったフラーは、パートナーの女房が老いたために引退し、今は見せ物小屋の持ち主として、やっと女房子供を養っている。ところがある日、ハンブルクの遊技場で、彼は身よりのないエキゾチックな美少女、ベルタ=マリーと知り合う。そして妻の反対を押し切って、自分のショーに出演させるために引き取る。だが間もなく彼は彼女の妖しい魅力に、すっかり首っ丈になる。そしてすっかり所帯やつれして、皮膚のたるんだ古女房を捨てて、ベルタ=マリーと一緒にベルリンに行く。
 そこで彼はブランコ曲芸師のアルティネリに雇われ、少女を加えて三人で、ヨ−ロッパ最大のヴァライエティ劇場「ヴィンターガルテン」に、新しい番組で出演する。トリオは成功する。だがプレーボーイのアルティネリが、ベルタ=マリーの尻を追いかける。彼女のほうも年が若く、ハンサムなアルティネリのほうに引かれ、ある春の祭りの時に接吻を交わしているところを見とがめられる。うわさ話が飛び交い、曲芸のパートナー達は、寝取られたフラーをからかう。フラーもそれに気づき、すっかりベルタにのめり込んでいたので、逆上して怒りに我を忘れる。
 そして曲芸の公演の時に、アルティネリを転落させてしまおうという衝動に駆られるが、その時はやっとその気持ちを抑える。その代わり彼はアルティネリを罠にかけ、不義の現場を押さえる。彼はアルティネリに果たし合いを強制し、刺し殺す。それから彼は警察に出頭する。裁判官は彼に無期懲役を宣告する。
 こうして服役してから10年経った彼は、今始めて、そうした犯行の背景を物語ったのだった。事情が判明した彼は仮釈放される。
【解説】この映画はE・A・デュポン監督の代表作であり、ほとんど唯一の成功作であるだけでなく、サーカス芸人を扱った映画として、多くの類似作品を尻目に、追随を許さない迫力を持っている。フェーリクス・ホレンダー原作の『シュテファン・フラーの誓い』は、1912年にはすでにヴィゴ・ラルソン監督・主演によって、また1919年にはラインハルト・ブルック監督、アントン・エトホーファー、ハニー・ヴェイセ主演によって、原作通りのタイトルで映画化されていたが、フェーリクス・ホレンダーという、ヴァリエテやカバレットの大立物の作品が、本当に適任の映画監督を見出したのは、やはりデュポンにおいてであった。
 それはジャーナリストとして出発したデュポンが、ヴァガボンド的に一年間ふらりとヴァリエテの監督を勤め、その経験を巧みに生かしたシナリオを作ったかれである。ヴァリエテの監督をやったために、彼はお金のほうは大損したが、ベルリンへ戻ったとき、それを聞いたウーファ映画社から、「ヴァリエテ映画を作ってみませんか?」と、もちかけられることになった。その結果、ヴァリエテの書き割りの背後で演じられる芸が、それまでになかったほど精彩を放った形で映像化され、俗受け映画であるにもかかわらず、絶賛を博すことになったのだった。
 それには『最後の人』の名カメラマン、カール・フロイントのすぐれた撮影技術が、大いに貢献した。実際に当時ベルリン第一のヴァリエテ「ヴィンターガルテン」に出演していた「コドナス・トリオ」の、目隠し3回転宙返りを撮影した、緊迫した映像のリアリティは、それ以後のどんなヴァリエテ映画をも凌いでいた。彼らは主演名優ヤニングスの代役を演じたわけであるが、大変すらりとした体格で、ヤニングスに少しも似ていなかった。にもかかわらず映像のイリュージョンの力は、非常に強力だったので、吹き替えによるごまかしが、観客の注意を引くことはなかった。それゆえS・クラカウアーはこう言っている。
 「デュポンは改革者ではなかったが、再帰縦横の応用家であった。『最後の人』のカメラマンであったかール・フロントの協力のもとに、デュポンは第一次大戦戦後期の表現主義の手法を、現実主義的なドーズ案の緊迫した状況に応用したのであった」。
 ベルリンのヴァリエテ劇場「ヴィンターガルテンWintergarten」の場面で、空中ブランコの妙技が披露された。ヘルベルト・イエーリングが「監督、写真、演技の勝利」と讃えた。
【映画評】◇「断片語」久保直方――「……本誌前月号にムルナウのことをかいて、『最後の人』を僕の見た映画の中の第1等として置いたら、その号の出るに先立って、高名な『ヴァリエテ』が封切られ、しかも諸評はいずれも最上級の言葉に満ちているので、之ははや妙な破目になったわいと恐る恐るのぞいてみたら、幸にしてだが不幸にしてだか、僕の持っているものさしではかったところによると、やはり『最後の人』の方がよほどまさっていたので、ほっと安心した次第である。
 何も敢て異を立てるわけではないが、『ヴァリエテ』には『最後の人』ほど完成味はないように思う。あの軽業が危かしいと同じく、この映画そのものも可成危い芸当をしているのではないだろうか。いい所を数え立てれば色々いえるが、立役は多いのだから、僕は一つ端役に廻って置こうと思う。ひどくいい所もあれば不満なところもある。均らされていない。という点で、僕は『キーン』と同じ様な感じを受けた。全体に味の少ししつこいのもいやだった。喧伝されていたヤニングスの演技も、ぼくは「現代服を着たオセロ」といいたい。『最後の人』のポータのようなユニークなものではない。
 内容も『最後の人』ほど着実でしみじみしたところがない。何もしみじみするばかりがいいわけでないし、或は僕一個の好みなのだろうか、とにかくあの『最後の人』の『年老いたるが故に職を奪われてそのため…』というような気持にくらべて、『ヴァリエテ』の、自分では妻子を捨てて置きながら、さてその若い女がどうしたといって、ひきがえるのように面をふくらしてにらみつけた揚句何の反省もなく(!)男を殺してしまえという気持ちは、僕には可成強すぎる。
 アメリカ人はあのポータが『制服』などということにああ執着するのに同感できぬらしい。しかしあまり『制服』ということの外面ばかりにとらわれている考ではなかろうか? 僕は思うに、あれは人間の虚栄というものの象徴とも見るべきもので、ああいう境遇のポータだったから『制服』であったので、あれがもしアメリカの紳士であり淑女であったら、それはただ別な形をとってあらわれたすぎぬのではなかろうか。そして恐らくもっと程度がひどいのではあるまいか。とにかく僕はあの境遇にあっての『制服』に対するあのあこがれには、充分同感できる。のみならずあのポータは単なる虚栄ばかりでなく、家族のものに対する顧慮と云う様なものも含まれた可哀いい弱さなのではあるまいか。勿論こう云う弱さはアメリカ人にはないかもしれない。
 『最後の人』の事をもう一つ。――あのハピ・エンディングが蛇足と云うような説も以前大分あったようだが、僕はそうは思わない。温くいたわる心から出たのでいいとか、アメリカにも見せようとしたのだろうとか、云えることは勿論だが、形から云ってもあれは随分ハイカラな気取りで面白いと思う。夜番の燈を円光のように浴びて聖者の如くうづくまるポータの姿で絞ってしまっては、あまりセンティメンタル過ぎる。そこで頭を働かしてぐっとすましてああしたのではあるまいか。そう云う点で、あのやや誇張した味も決して不調和でない。とにかく凡百のアメリカ映画のハピ・エンディングとは質のちがうものではあるまいか。」(「映画評論」第3巻第1号)

1925.12.17
『硫黄マッチを持った少女 Das Mädchen mit den Schwefelhölzer』
【解説】ウーファ・トーンフィルムの第一回作品、技術的欠陥のため、失敗。

1925.12.18(日本封切り1929.5.16)
『ワルツの夢 Ein Walzertraum』
ルートヴィヒ・ベルガー監督、シナリオ:ローベルト・リープマン、ノルベルト・ファルク(ハンス・ミュラー小説『女王の夫君ヌックス』とフェリックス・デルマン、レオポルト・ヤコブソン、オスカー・シュトラウスのオペレッタ『ワルツの夢』による)、撮影:ヴェルナー・ブランデス、装置:ルドルフ・バンベルガー、音楽:エルネ・ラペー(オスカー・シュトラウスによる)
【キャスト】マディ・クリスチャンス(プリンセス・アリックス)、ヴィリー・フリッチュ(ヌックスと称するニコラウス・プライン伯爵)、ヤーコプ・ティートケ(エーベルハルト二十三世公)、カール・ベッカーザクス(プリンス・ペーター=フランツ)、ユリウス・ファルケンシュタイン(ロックホフ・フォン・ホフロック)、マティルデ・ズシン(コケリッツ嬢)、リュディア・ポトチナ(シュテフィ)、クセニア・デスニ(フランツィ・シュタイングルーバー)
【あらすじ】「ヌックス」ことプライン伯爵はヴィーンの新酒祭のときに、プリンセス・アリックス・フォン・グランゼントゥルンを誘惑する。アリックスは本来プリンツ・フランツ=ペーターと結婚させられることになっているが、そんなことは彼にはとんでもない話だった。彼は新酒酒場の女性楽長フランツィ・シュタイングルーバーのところに、慰安を求めた。そんなこととは知らず、アリックスはこのフランツィを音楽教師として雇った。というのは彼女はヴィーン音楽の知識で、夫にもっと気に入ってもらいたかったからだった。だがフランツィは、ヌックスが実は彼のアリックスしか愛していないということに、気づいた。そして彼女がプリンスと結婚するなどというのは、「ワルツの夢」に過ぎないと知った。

1926
1926(日本封切り1927.7.21)
『怪巡洋艦エムデン Kreuzer Emden』

1926
『戯れに恋はすまじ Man spielt nicht mit der Liebe』
ゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト監督

1926.1.25(日本封切り1927.11.11)
『タルチュフ Tartuff』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:カール・マイヤー(モリエールの同名の喜劇による)、装置:ローベルト・ヘルルト、ヴァルター・レーリヒ、製作:ウーファ映画
【キャスト】エミール・ヤニングス(タルチュフ)、ヴェルナー・ クラウス(オルゴン)、リル・ダーゴヴァー(エルミール:彼の妻)、ルーツィエ・ヘーフリヒ(ドリーヌ)、ヘルマン・ピハ(枠物語の中のおじ)、アンドレ・マトーニ(甥)、ローザ・ヴァレッティ(家政婦)
【解説】シナリオライターのカール・マイヤーはモリエールのコメディーに枠物語をつけた。映画の中の映画。
【あらすじ】年取った叔父は、殊勝ぶった家政婦から、不十分な世話しかしてもらえない。彼女が彼のために骨を折るのは、ただ彼の死後、相続財産を手に入れるためである。この目的の達するために、彼女は叔父に甥のことを悪く言い、まんまと彼を廃嫡させる。今や家に入ることを禁じられた甥は、叔父を家政婦の悪賢い罠から救い出すために、他のやり方で家にうまく入り込もうと決心する。彼は見世物師に変装し、移動映画館でタルチュフ氏の物語を上映する。オルゴンは信仰心の厚い男であるタルチュフと知り合う。タルチュフは悪徳お堕落を非難し、救いを得るために全財産を貧しい人々に遺贈するように、オルゴンをそそのかす。オルゴンは崇拝するようにと、オルゴンをそそのかす。オルゴンは崇拝するタルチュフを、自分の家へ連れて行く。しかしエルミール夫人も娘のドリーヌも、タルチュフ氏の「高徳」を納得しようとしない。オルゴンが貧しい人々のために遺言書を作成し、タルチュフにその人たちのために、管理してもらおうとする財産の名義の書き換えをしようとしたとき、エルミール夫人は、夫にその友人の悪意を確実にわからせる方法を考え出す。タルチュフとのラブシーンを彼女は準備し、それをオルゴンにカーテンの陰に隠れて目撃させようというのである。
 タルチュフはオルゴンを見つけ、これは罠だと信じる。オルゴンは友人の礼儀正しさをすっかり信じこみ、引き上げて行って、遺言書を最終的に完成しようとする。その時ドリーヌが彼をさえぎる。そして今はエルミールと二人きりだと思っているタルチュフが、妻に近づいて不道徳な申し出をするのを、鍵穴越しに見るようにオルゴンを強いる。今やオルゴンは納得し、悪い友人を家から追い出す。映画上映ののち、家政婦はついうっかり自分の意中を漏らしてしまう。彼女は袋の中に、甥は毒薬の瓶を見つける。彼女は年取った主人の飲み物に、その瓶から毎日数滴づつ入れていたのだった。若者は自分の仮装を取り、この悪者の正体をあばく。叔父は家政婦を家から追い出す。
【解説】ロッテ・アイスナーによって、彼女の著書『ムルナウ』の中に引用された、カール・マイヤーのシナリオの指示は、次のようである。
全景 かの邪悪な人物/その人物はいやらしくだんだんとドアの方へ後退して行く。
   今、その人物は立っている。
拡大 二足の靴を見ている
最大限 昔の貴人のように、すっとそこに立つ。
    そして今!
拡大  その足が靴の片一方をほうり出す/怒り狂って。
    そして今その人は聞く
【映画評】◇ロッテ・アイスナー『デモーニッシュなスクリーン』――「……ムルナウのこの映画において、驚嘆に値するのは、衣裳と周囲の調和である。時折タルチュフの黒い苦行僧の衣裳が、なめらから遠景から際立って見えてくる。あるいはこの風景の前に、黒っぽいレースによって形を与えられたサテンの服が、鈍く光る。高いところから下がっていて、襞をたっぷり取ってあるカーテンのビロードの輝きの前で、ベッドカバーの金銀細工が浮き出て見え、部屋着の柔らかさを効果的に見せている。そしてそうした香気のすべてが、なお一層はっきりするのは、タルチュフを演ずるヤニングスの田舎臭いがさつさが、突然それを破り、レースのついたベッドの上で、不作法にのびをするときである……」。
◇「映画技術と映画産業」1926年第4号――「……彼はフランス喜劇のハンドルングを、エピソード的なところはすべて無視し、本質的な要素は過度に強調して、映画的にそして現代的な効果を持つように改造してしまっている。彼は全体を包む粋を作ったが、そのために全体が決定的にむずかしくなり、直線的な彼のリズムに、悪い影響を与えてしまったようだ……しかしここでそうしたことに関心を示すのは、二の次にすべきである。というのは最終的効果の点では不確かなこの処理の仕方は、前もって意識した、実験的性格を持っていたらしいからである。彼はーー劇映画においてはじめて非常に明瞭にーー一つの傾向を、あるいは作者によっては、はっきり述べられた教訓を、ラジカルに強調すべきだった。したがって彼は、映画芸術作品の主観的な可能性をも、はっきりと強調すべきだった。それはカール・マイヤーの創作から、次第にはっきり読み取れる、無条件に尊重に価する一つの意図である……」。
◇「キネマトグラフ」1926年第989号――「……根本的主題しか残されていない。この作品は、いわばカール・マイヤーの映画であるかのように、フランスの詩人の理念に従って自由に、映像そのものとして見るのがよい。先取りして言えば、これは俗受けする映画ではなく、流行歌的作品でもなく、商業映画でもなく、おそらく全く独特な形を与えられた芸術作品である。ほとんど身勝手な作り方と言いたいくらいである。いわば古典的ドラマを現代様式に翻訳したものであり、構成、舞台装置、解釈が、まったく現代的なのである……」。

1926.2.15
『マノン・レスコー Manon Lescaut』
アルトゥール・ロビソン監督、シナリオ:アルトゥール・ロビソン(アベ・プレヴォーの小説による)、撮影:テオドール・シュパールクール、装置:パウル・レーニ、音楽:エルネ・ラペー
【キャスト】リア・デ・プティ(マノン・レスコー)、ウラディーミル・ダイダノフ(デ・グリュー)、エドゥアルト・ロートハウザー(デ・グリュー元帥)、フーベルト・フォン・マイヤーリンク(ブリ)、フリーダ・リヒャルトとエミーリエ・クルツ(マノンの叔母たち)、リュダ・ポテチナ(シュザンヌ)、テオドール・ロース(ティベルジュ)、ジークフリート・アルノー(レスコー)、トルーデ・ヘスターベルク(クレール)、マレーネ・ディートリヒ(ミシュリーヌ)
【あらすじ】修道院に入れられることになっていた田舎の小娘が、その美しさのために、徴税請負人と若い貴族デ・グリューを魅惑し、パリに連れて行かれる。しかしそこで老侯爵の愛人になることを強制される。やっとデ・グリューのところへ戻り、彼と大きな幸福を体験する。それも束の間、落ちぶれて流刑となる。最後に自由を得て、愛人の手に抱かれて死ぬ。
【解説】フリードリヒ・ツェルニークが1921年に、妻のリュア・マラをヒロインに起用して撮った最初の映画化は、惨めな失敗に終わった。この二度目の映画化はドラマ的には強烈だったが、しかしヒロインのマノンの火と燃える激しい情熱は欠けていた。

1926.3.10
『フローレンスのヴァイオリン弾き Der Geiger von Florenz』
パウル・ツィンナー監督、シナリオ:パウル・ツィンナー、撮影:アドルフ・シュラーズィ、アールパード・ヴィラーグ
【キャスト】コンラート・ファイト、ノラ・グレーゴア、エリーザベト・ベルクナー、ヴァルター・リラ
【解説】ボーイッシュな娘が画家に恋をする。

1926.3.22
『シェレンベルク兄弟 Die Brüder Schellenberg』
カール・グルーネ監督、シナリオ:ヴィリー・ハース、カール・グルーネ(ベルンハルト・ケラーマンの小説による)、撮影:カール・ハッセルマン、装置:カール・ゲオルゲ、クルト・カーレ、製作:ウーファ映画社
【キャスト】コンラート・ファイト(ヴェンツエル・シェレンベルクとミヒャエル・シェレンベルク兄弟の二役)、リル・ダーゴヴァー(エスター・ラウフアイゼン)、ヘンリー・ド・フリース(老ラウフアイゼン)、リアーネ・ハイト(イェニー・フロリアン)、ヴェルナー・フュッテラー(ゲオルク・ヴァイデンバッハ)、ブルーノ・カストナー(カチンスキー)、ユリウス・ファルケンシュタイン(エスターの第一の崇拝者)、ヴィルヘルム・ベンドウ(エスターの第二の崇拝者)、エーリヒ・カイザー(エスターの第三の崇拝者)、パウル・モルガン(闇屋)、ヤーロ・フュルト(高利貸し)、フリーダ・リヒャルト(零落した未亡人)
【あらすじ】(偶然出会った二人の女性をめぐる、二人の兄弟のドラマ)。
 老ラウフアイゼンは爆薬工場の所有者である。シェレンベルク兄弟は彼のところに雇われており、ヴェンツエルのほうは秘書として、ミヒャエルのほうは主任技師として働いている。ある日、爆発で200人の労働者が死ぬ。しかしラウフアイゼンは遺族や負傷者に、何の同情も示さない。それを見たシェレンベルク兄弟は辞職を願い出る。ラウフアイゼンから多くのことを学び取っていたヴェンツエルは、株式投機をやってみる。そしてたちまちのうちに彼は相当の財産を作り上げる。それに対してミヒャエルのほうは、ただただ人を助けよう、もうどんな破壊の道具も開発しないようにしようと、自分に誓う。そして人間の悲惨を和らげるために、彼は失業者たちのための団地を作る。
 ヴェンツエルはある競売のときに、美しいイェニー・フロリアンと知り合う。彼女は爆発の時重傷を負った労働者、ゲオルク・ヴァイデンバッハの婚約者だった。ヴェンツエルは彼女を自分の愛人にし、女優にして後援する。しかしすぐに彼女に厭きてしまう。彼はかつての雇い主の娘エスターに心を向け、彼女のエキゾチックな美しさに魅了される。だがエスターのほうは山師のカチンスキーを愛していた。エスターはしかし自分の愛人の手形偽造によって財政困難に陥る。するとヴェンツエルは、彼女が自分と結婚することを条件として、援助を申し出る。エスターは同意する。イェニーは絶望して、窓から飛び降りる。ミヒャエルは重病の女性を自分の家に引き取って看護する。ヴェンツエルの結婚は不幸な結果となる。エスターはこれからもずっと、自分はカチンスキーの愛人のままだろうと、悟らされる。結婚が失敗となって激しい怒りに駆られたヴェンツエルは、妻を絞め殺してしまう。それから狂気に陥って、妻の死体の側にくずおれる。ゲオルクとイェニーは再び互いに認め合う。ミヒャエルの団地で、二人は幸福な未来に向かって進む。
【映画評】「デア・フィルム」誌1926年第13号――「……描写はコンラート・ファイトの圧倒的な印象の影になってしまっている。彼はこの二人の兄弟を完全に演じ分けており、態度、身ぶり、物真似、目つきまで、全然別になっている。彼は「理想家」と「金銭亡者」のイメージを、特徴的に、しかも個性的に創出して、それをきわめて強烈に表現している。この成果は、コンラート・ファイトがこれまでに演じた役の中でも、おそらくもっとも成熟したものである。彼が両方の人物の姿で画面に現れるシーンは、技術的に興味深く、素人をびっくりさせた……」。

1926.3.24(日本封切り1928.4.6)
『心の不思議 Geheimnisse einer Seele』
ゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト(Pabst)監督
【キャスト】ヴェルナー・クラウス主演
【解説】心的生活の映像はカメラマンのグイド・ゼーバーにとっても挑発だった。

1926.4.1
『人間てんやわんや Menschen untereinander』
ゲルハルト・ランプレヒト監督、シナリオ:ルイーゼ・ハイルボルン=ケルビッツ、エドゥワルト・ロートハウザー、ゲルハルト・ランプレヒト、撮影:カール・ハッセルマン、装置:オットー・モルデンハウアー
【キャスト】アルフレート・アーベル、アウド・エゲデ・ニッセン、パウル・ビルト、エルザ・ヴァーグナー、ケーテ・ハーク
【解説】ベルリンの安アパートでのさまざまな運命。

1926.4.15
『プリンセス・トゥルララ』
フリードリヒ・シェーンフェルダー監督
【キャスト】リリアン・ハーヴェイ、ハリー・ハルム
【解説】ベルリンの映画館「アルハンブラ」で封切り。

1926.4.29(日本封切り1959.2.21)
ロシア映画『戦艦ポチョムキン Panzerkreuzer Potemkin』
【解説】エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』がベルリンのアポロ劇場で海外初公開。午後にはプロイセン首相、ベルリン警視総監が映画を見て、上映を承認。しかし目的意識的な挑発の後、映画は7月12日に禁止。7月末改作した版で再開。『ポチョムキン』討論はヴァイマル共和国の文化政治的中心部分だった。プロレタリア群集映画とモンタージュ理論参照(『ベルリン・』p328)。1927年のツェルニーク監督の『織工』にも影響を与えた。

1926.5.2
『アクメド王子の冒険 Die Abenteuer des Prinzen Achmed』
ロッテ・ライニガー監督、協力:ヴァルター・ルットマン、ベルトルト・バルトシュ、アレクサンダー・カルダン。
【解説】アラジンのランプ、カリフの娘、魔法の島の女支配者等の物語で構成した、最初の長編影絵芝居トリック映画。

1926.9.6
『庶出の子供たち Die Unehelichen--Eine Kindertragödie』
ゲルハルト・ランプレヒト監督、シナリオ:ルイーゼ・ハイルボルン=ケルビッツ、ゲルハルト・ランプレヒト(「児童搾取・虐待防止連盟」の公式素材に基づく)、撮影:カール・ハッセルマン、装置:オットー・モルデンハウアー
【キャスト】ラルフ・ルートヴィヒ(ペーター)、アルフレート・グロッサー(パウレ)、ベルンハルト・ゲツケ(ローレンツ)、マルゴット・ミッシュ(ロッテ)、フェー・ヴァクスムート(フリーダ)、マルガレーテ・クッパー(ツィールケ夫人)、エドゥワルト・ロートハウザー、ケーテ・ハーク、パウル・ビルト、エルゼ・ヴァーグナー
【あらすじ】無情な親の許で苦しめられている貧困な環境の子供たちをめぐるドラマ。
 ペーター、パウレ、ロッテ、フリーダはいずれも私生児で、しかも母に育ててもらえない不幸な子供たちである。その中の一人パウレは、すでに悪の泥沼に落ち込んでいて、粗暴な父と自堕落な母との遺伝を背負った道を辿っている。他の三人は飲んだくれの養い親の、無慈悲な手に急き立てられながら、けわしい人生を送っている。
 養母のツィールケ夫人は三人の養い子を、結構な収入源としか見ていた。13歳のペーターは街へ稼ぎに行かなくてはならない。6歳ののか弱い女の子ロッテも、だらしない女ツィールケのために、石炭運びまでしなくてはならない。すばらしい日曜日、他の人々は楽しく一日を過ごしているというのに。4歳のフリーダは石炭箱の前でいつも空腹をかかえて過ごしている。三人の子供たちの唯一の喜びは、フリーダの親友、「ムッキー」という名のウサギである。だが酔っぱらったツィールケは、ウサギが飼われている箱を、窓から中庭へ投げ落とした。怒りに我を忘れたペーターはツィールケに跳びかかるが、死ぬほどぶちのめされる。近隣の人々が割って入って、「もう一度あんたが子供たちをなぐったら、警察に訴えるよ」と脅す。そしてペーターは遅れないように足を引きずりながら学校へ行く。翌日彼はロッテと一緒に、ゴミ捨て場にウサギの墓を掘る。11月の氷雨が二人をずぶぬれにする。そしてその夜ロッテが熱を出す。「医者を呼んでこなくては」と言われても、ツィールケは「明日には良くなるよ」と、取り合わない。だが少しも回復せず、金曜日になってやっと呼ばれた医者は、「何故もっと早く呼ばなかったのか、もう手遅れかもしれない」と言う。結局ロッテは医者の手の中で死ぬ。その間にやっと警察は、ツィールケの子供虐待に目を向ける。「まだ間に合ううちに他の子供たちが他のところへ行けるようにしてやらなくては」。ツィールケは養育権を取り上げられて、法廷に召喚される。フリーダは児童保護連盟の世話で、親切な水車屋の女房に引き取られて、田舎へ行く。病院に送られたペーターも、その後、金持ちの婦人に引き取られる。そして「生まれてはじめて、誕生日を祝ってもらう」ことになる。
 こうしてペーターの運命も好転したように見えた。だが彼は突然の幸福が信じられず、思いはいつも、昔のみすぼらしい住居とロッテの墓に向かう。ある日、彼の懸念が現実となる。川船の船頭だった彼の父親が、手伝いをさせようと彼を養子にしたのだった。「法律によれば、父親は私生児に対する要求権はない」と抗議されると、彼は「俺はこの子を養子にしたのだ」と言って、子供の法的代理人であるという裁判所の証明書を示す。ベルリン都心の簡裁で決定が下る。「私はもうお前を助けられない。元気でね、ペーター」と、金持ちの婦人は別れを告げる。新しいホームで、ペーターは父親の仕事を手伝わされる。「もう出来ないよ」と言っても、「何言うか、すぐ馴れる」と怒られる。だがある晩、船頭のテーブルの上に火酒の瓶があるのを見たペーターは、いつも酔っぱらっていたツィールケの姿を思い出し、不安に駆られて、はしけから逃げ出す。そして20キロ以上も走って、あの親切な婦人の家に辿り着く。
 父親は翌日すぐペーターの逃亡を警察に届ける。法律は再びペーターを父に引き渡すよう命ずる。「私たちは従わねばならない。私はお前を自分で父親のところへ連れ戻すと約束しました」。そして「お前はここにいるのだ」と父親に言われたペーターは、船の昇降口の階段を駆けのぼって、水の中に飛び込む。だが騒ぎを見ていた川船の若い連中が、彼を助け上げる。ペーターの救いは?
【解説】基本的にはこの映画でも、ランプレヒト監督の姿勢は、『第五階級』の場合と同じである。ただ同じ「ツィレ映画」と言っても、彼はもう一歩先に進んだ。つまりここでは彼は、徹底的に子供の立場に立っている。ドイツで私生児の子供だけが主役の映画が作られたのは、これがはじめてだった。この「子供の悲劇」(『娼婦の悲劇』と通底している)では、大人は完全に脇役である。
 『第五階級』の場合と同じく、この映画のリアリティを保証しているのは、素人俳優と環境映像との力である。ペーター役のラルフ・ルートヴィヒを除く他の子供たちは、全くの素人である。もちろんそれは珍しいことではない。要はランプレヒトが、子供の心の苦悩を、巧みに演じさせることに成功したことである。この映画の価値はそこにある。
 「児童搾取・虐待防止連盟の公的素材に基づく」スクリプトを書いたのは、『第五階級』のスクリプトを書いたルイーゼ・ハイルボルン=ケルビッツである。ベルリン下町の児童を主義にした映画と言えば、エーリヒ・ケストナーの『エミールと探偵たち』を映画化した『少年探偵団』が有名であるが、同じベルリンの子供を扱いながら、その対極にある「子供の悲劇」を描き出したこの映画は、もっと知られてよい作品である。

1926.10.1
『女の十字軍(歓迎されざる子供たち)Kreuzzug des Weibes』
マルティン・ベルガー監督、シナリオ:ドージオ・コフラー、マルティン・ベルガー、撮影:ゾーフス・ヴァンゲーエ、A・O・ヴァイツェンベルク
【キャスト】コンラート・ファイト、マリー・デルシャフト、ヴェルナー・クラウス、ハリー・リートケ
【解説】非合法の妊娠中絶を禁止する刑法第218条に反対する傾向映画。

1926.10.14(日本封切り1928.3.1)
『ファウスト Faust』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督、シナリオ:ハンス・キューザー。(J、W、ゲーテ、クリストファー・マーロー、並びに古いファウスト伝説によったルートヴィヒ・ベルガーのシナリオ『失われたパラダイス』を使用)。撮影:カール・ホフマン、美術:ローベルト・ヘルルト、ヴァルター・レーリヒ、製作:ウーファ映画社
【キャスト】ゲスタ・エルクマン Gosta Erkmann(ファウスト)、エミール・ヤニングス Janinngs(メフィスト)、カミラ・ホルン Camilla Horn(グレーチヒェン)、フリーダ・リヒャルト(グレーチヒェンの母)、ヴィルヘルム・ディーテルレ Wilhelm Dieterle(ヴァレンティン)、イヴェット・ジルベール Yvette Guilbert(マルテ・シュヴェルトライン)、ヴェルナー・フュッテラー(大天使)、エーリク・バークレ(パルマ公)、ハナ・ラルフ(パルマ公妃)、ロタール・ミューテル(修道僧)他
【あらすじ】メフィストは世界の支配権を手に入れようと努める。大天使ガブリエルとの争いで、彼はどんな人間にも道を踏み外させて破滅へ導くことができると、主張する。ガブリエルは彼と賭をし、メフィストは人間達を、神へと導く道から離させることには成功しないという方に賭ける。ファウストによってメフィストはその力を試すことになる。まずメフィストはある国をペストで苦しめる。老学者のファウストは、彼に一生懸命助けを求めて嘆く人々を前に、為すすべもなく立っている。もし神が彼を助けてくれないなら、もしかすると悪魔が助けてくれるかもしれないと、ファウストは月光の中の十字路のところで、悪魔を呼び出す。しかし人々は彼の背後の地獄を恐れているので、悪魔の名をもってしても、 ファウストはペストを癒すことはできない。絶望した彼はそこで毒酒に逃げ道を求める。するとメフィルトが彼に永遠の若さの姿を出して誘惑し、その上彼にこの世のすべての宝を与えることを約束する。ただし一日だけである。ファウストは同意する。
 そして彼はメフィストのマントに乗って、風を切ってパルマへ飛ぶ。そこではちょうど結婚式が行われている。メフィストは公爵を殺し、他方ファウストは美しい公妃をさらう。だが試しの日は終わる。ファウストは情事を十分に堪能するために、期日の延長を切に望み、メフィストに魂を売り渡す。悪魔は今や彼を情事から情事へとけしかけ、彼に現世の宝を堪能させる。しかしファウストは故郷を恋しがる。彼の望みをメフィストはすべて満たさねばならない。故郷の町に戻ったファウストは、教会の入口の前でグレーチヒェンに出会い、彼女の清純さに心を打たれる。その時ちょうど彼女の兄のヴァレンティンが、兵役を終わって帰ってきている。メフィストはグレーチヒェンの箱の中に、魔法で金の鎖を入れておく。それを彼女はあばさんのマルテ・シュヴェルトラインのところに持って行ってしまう。ファウストは、子供達と遊んでいるグレーチヒェンの仲間に入り、他方メフィストはシュヴェルトライン夫人に言い寄って、誘惑のてくだを試す。ファウストはグレーチヒェンに愛を告白する。そして夜、彼は彼女の部屋に忍び込む。メフィストは飲み屋でヴァレンティンを挑発し、彼を殺す。母親はグレーチヒェンの部屋に見知らぬ男がいる現場を見つけて、悲嘆のあまり死んでしまう。ファウストとメフィストは逃げる。
 グレーチヒェンはさらし者にされ、追い出される。彼女は寒い冬空の下で子供を産むが、人々は門戸を閉めて、彼女に何の助けも与えない。彼女は子供を雪の吹き溜まりの中に寝かせる。傭兵達が母親と死んだ子供を見つける。グレーチヒェンは裁判に掛けられ、火あぶりの刑を申し渡される。助けを求める彼女の声はファウストに届き、メフィストは彼にもう一度奉仕しなくてはならない。だがファウストは悲しみ以外何ものも生み出さない永遠の若さを呪う。そこでメフィストは彼に年取った姿を返す。
 こうして一人の老人に返ったファウストは、グレーチヒェンに赦しを乞うために、よろめきながら彼女の刑場に歩いていく。死の瞬間、彼女は今の自分の恋人の姿を認識する。メフィストのほうはこれで、自分が世界の支配権を手に入れたと信じる。ファウストに人倫の道を踏み外させることに成功したからである。しかし天使ガブリエルは彼に対して、天国への道を閉ざす。なぜなら今や真に清いものとなったファウストとグレーチヒェンの愛情が、悪魔の目論見をすべて破壊してしまったからである。
【解説】ゲーテの『ファウスト』ではなく、民間伝承による作品で、トリック技術を駆使した。グレーチヒェン役のカミラ・ホルンの新鮮な魅力が光った。祝典プレミアの招待客の中にはヴィルヘルム・マルクス首相、シュトレーゼマン外相、ライヒスバンク総裁シャハト、マックス・ラインハルト、エーリッヒ・クライバー、レオポルト・イエスナーがいた。(『ベルリン・』p366)
【映画評】「映画週間」1926年第44号――「ドイツの封切りは、選り抜きの観客を前にして、「ウーファ・パラスト・アム・ツオー」で開催された――相当の拍手喝采が得られた――アメリカに旅行中だった共演者全員に代わって、カミラ・ホルンが感謝の意を表した……。まず第一にカミラ・ホルンは観客を失望させなかった――、しぐさにはしとやかな振る舞いが見られ、まったく内気で、芽生え始めたばかりの憧れと拒否とを表現した彼女グレートヒェンは、さまざまな手練を驚くほど巧みにマスターした、すばらしい出来映えである、――彼女はことによると全アンサンブルの中で、この映画の中で誠実で明瞭な人間性をになった、唯一の存在だったかもしれない。本当の心臓の血が、この姿の中に脈打っている。そこで彼女はファウスト伝説に、根本的にはそれほど重要でない要素を付加しているだけであるが、女性の存在一般の宿命的なものを中心に据えている文学作品よりも、われわれに一層独自の感銘を与えてくれた。そうしたすべてをカミラ・ホルンは、あっぱれな集中力で担った。彼女はこの映画の中で、まさに人間である。――メフィスト役のヤニングス、ほとんど名人芸に近いふざけ方をする彼の手練のわざ、すべてが十分に考えられ、意図され、仕上げられている。彼は舞台から来た俳優ではあるが、彼のメフィストはもはや民衆本に根ざしてはいない。まったく愛すべき詐欺師で、芝居の最初と最後でだけ、お人好しの役柄から抜け出て、肩にツ翼をつけた、まったく卑劣な奴になる。――ファウストゥス博士役のグスタ・エクマン。老人としてとしては生彩がないが、若い博士としては好ましく魅力的がある、――奴隷になった悪魔に対しては、主人の地位を厳しく強調するユンカーのような気質。他のすべての俳優たちも立派で、すばらしく、見事である。監督ムルナウは何事もゆるがせにせず、スタッフを熱心に調教し、絶え間なく芝居を叩き込んだ。映像はピカピカ光るように綺麗で、多くの点で技術的に抜群である。例えば、ドイツからアルプスを越えてパルマ行く、メフィストとファウストの飛行の、巧みにつないだ映像――上からのパースペクティヴはすばらしい。飛行の高さの変化、イタリアの平地への下降も見事である。そしてパルマの館での「奇妙な客たち」の出現は、まったく驚異である。この映画は、こうした無条件のメルヘンに接しているところに、もっとも美しい箇所ともっとも尊重すべき長所がある。そしてそうした箇所は、限りない拍手を送るだけの価値がある。異議、あるいは疑念を抱かせる点は、テーマの演劇論的な扱い方では成功しているものの、この作品の超自然的なものを、論理的かつ倫理的に形作り、利用し尽くそうとするドラマトゥルギーである(Ickes)」。

1926.10.28
『十マルク紙幣の冒険 Die Abenteuer eines Zehnmarkscheins』
ベルトルト・フィーアテル監督、シナリオ:ベーラ・バラージュ、撮影:ヘルマール・レルスキー、ローベルト・バーベルスケ
【キャスト】アグネス・ミュラー、オスカー・ホモルカ、ヴァルター・フランク、ヴェルナー・フュッテラー
【解説】「十マルク紙幣が次々に別の人間に渡っていく、気まぐれな旅を記録したたくさんのエピソードで構成されている。この紙幣の案内で、映像は年月の迷路の中をうねり歩き、さもなければ何の関係もない人物たちを取り上げ、工場、夜の酒場、質屋、インフレ利得者の音楽サロン、職業紹介所、ばた屋の巣、病院といった場所を一瞥する。バラーzュ自身の言葉によれば、筋はあたかも「さまざまな運命の接合点を、劇的に結びつけながら、人生という織物の中を横切っていく糸を追っている」かのようである」(S・クラカウアー)。ベルリン・クーアフュルステンダムの映画館「ウーファ劇場」で封切り

1926.11.2
『無用の人間たち Uberflüssige Menschen』
アレクサンダー・ラズムニー監督、シナリオ:アレクサンダー・ラズムニー(アントン・チェホフの小説による)、撮影:オットー・カントゥレック、カール・アッテンベルガー、装置:アンドレイ・アンドレイエフ
【キャスト】オイゲン・クレッパー、カミラ・フォン・ホライ、ハインリヒ・ゲオルゲ、アルベルト・シュタインリュック
【解説】ロシアの小都市でのさまざまな運命。ドイツ・ソ連間の最初の共同製作作品。

1926.11.10
『貞節なズザンネ Die keusche Susanne』
【キャスト】リリアン・ハーヴェイ、ヴィリー・フリッチュ
【解説】ベルリンの映画館「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切られ、大成功。

1926.12.17(日本封切り1928.9.28)
『聖山 Der heilige Berg』
アルノルト・ファンク Arnold Fank監督、シナリオ:アルノルト・ファンク、撮影:ゼップ・アルガーヤー Sepp Allgeier、ハンス・シュネーベルガー Hans Schneeberger、アルノルト・ファンク、ヘルマール・レルスキ、アルベルト・ベーニッツ、装置:レオポルト・ブロンダー Leopold Blonder、カール・ベーム karl Bohm、音楽:エトムント・マイゼル Edmund Meisel
【キャスト】レニ・リーフェンシュタール Leni Riefenstahl(ディオティーマ)、エルンスト・ペーターゼン Ernst Petersen(フランツ・ヴィーゴ)、ルイス・トレンカー Luis Trenker(ローベルト:アルピニスト)、フリーダ・リヒャルト Frida Richard、フリードリヒ・シュナイダー Friedrich Schneider、ハンネス・シュナイダー Hannes Schneider
【あらすじ】(二人の山男が一人の女を争うメロドラマ)。
 アルピニストのローベルトと学生のフランツは友人である。二人はある日一緒に、劇場でディオティーマのダンスを見て魅せられる。フランツは胸の花を彼女に与え、代わりにスカーフをもらう。彼女はローベルトを訪ね、山への憧れを語り、彼は彼女が自分を愛していると思う。ローベルトはスキーのコンテストにも参加せず、危険な冬の登山を目指す。そしてそしてフランツを誘う。雪の中で二人は立ち往生し、フランツは麓へ戻ろうと言う。「なぜ」という問いに彼は「ディオティーマが僕を待っているだろう」からと答える。それを聞いてローベルトは、友人がライヴァルだったことを知って逆上し、衝動的に詰め寄る。あとじさりしたヴィーゴは転落する。ローベルトは必死になって二人を繋いでいるザイルを保持し続ける。下界ではディオティーマが舞台で踊っているところへ、母親が来て、ローベルトたちが夕食までに帰るというメモを残したまま、まだ下山していないと告げる。捜索隊が出発する。ローベルトは一晩中ザイルを保持しているが、明け方捜索隊が現れた時、幻覚でもうろうとなり、ディオティーマの姿を見て体を動かす。そして転落するヴィーゴを飛び越して、彼も深淵に落ちる。麓に帰った捜索隊の一人がディオティーマを訪ねて、二人の死を告げる。彼女は帰郷し、思い出に生きる。
【解説】山岳場面の映像と、幻覚場面の氷の宮殿が売り物。

1927
1927
『ニュルンベルクのマイスター Der Meister von Nurnberg』
ルートヴィヒ・ベルガー監督

1927(日本封切り1928.8.7)
『三つの愛 Manege』
【解説】クラカウアーp144

1927
『愉しき葡萄山 Der frohliche Weinberg』
【解説】クラカウアーp144

1927(日本封切り1928.6.15)
『ラスター Laster der Menscheit』
【キャスト】アスタ・ニールゼン

1927(日本封切り1929.2.28)
『リーベ Liebe』

1927
『王妃ルイーゼ Konigin Luise』
(第一部『Die Jugend der Konigin Luise』、第二部『:Konigin Luise』?)
カール・グルーネ監督

1927(日本封切り1928.9.6)
『サンライズ Sunrise(Sonennaufgang)』
R・F:W・ムルナウ監督、シナリオ:カール・マイヤー(ヘルマン・ズーデルマンの小説『ティルジットへの旅』による)、撮影:チャールズ・ロージャー、カール・シュトルス
【キャスト】ジョージ・オブライアンジャネット・ゲイナー、マーガレット・リヴィングストン、ボージル・ロージンブ
【解説】ムルナウのハリウッド作品。

1927.1.10(日本封切り1929.4.3)
『メトロポリス Metropolis』
フリッツ・.ラング監督、シナリオ、フリッツ・ラング、テア・フォン・ハルブ、撮影:カール・フロイント、ギュンター・リッタウ、(特殊撮影)オイゲン・シュフタン、装置:オットー・フンテ、エーリヒ・ケッテルフート、カール・フォルブレヒト、衣装:エンネ・ヴィルコム、音楽:ゴットフリート・フッペルツ、製作:ウーファ映画社
【キャスト】ブリギッテ・ヘルム Brigitte Helm(マリア/人造人間)、グスタフ・フレーリヒ Gustav Frohlich(フレーダー・フレーダーゼン)、アルフレート・アーベル(ヨー・フレーダーゼン)、ルドルフ・クライン=ロッゲ Rudolf Klein-Rogge(ロートヴァング)、フリッツ・ラスプ(やせた男)、テオドール・ロース(ヨザファート/ヨーゼフ)、エルヴィン・ビスヴァンガー(ナンバー11811)、ハインリヒ・ゲオルゲ(グロート)、オーラフ・シュトルム(ヤン)、ハンス・レオ・ライヒ(マリヌス)、ハインリヒ・ゴート(司会役)、マルガレーテ・ランナー(自動車の女性)、マックス・ディーツェ、ゲオルク・ヨーン、ヴァルター・キューレ、アルトゥール・ラインハルト、エルヴィン・プフーター(労働者たち)、グレーテ・ベルガー、オリ・ベーハイム、エレン・フライ、リザ・グレイ、ローゼ・リヒテンシュタイン、ヘレーネ・ヴァイゲル(女子労働者たち)
【あらすじ】(上の町に住む上層階級と下の地下世界で奴隷のように使役される労働者の機械文明時代の大都市イメージを背景に、魔女に煽動されて機械を破壊し、地下の町を水浸しにする労働者と、息子の命が危うくなって改心する上の町のボス、「手」と「頭」が和解して終わるドラマ)。
 メトロポリスは未来の都市である。それは地上と地下の二つの都市から成る。労働者の町は地下の町である。そこには巨大な機械が据えられ、労働者たちが牢獄の囚人のように働かされている。更にその下に彼らの住居がある。地上にはメトロポリスの支配者やその子供達の楽園がある。ヨー・フレーダーゼンが、その全能の支配者である。楽園には「息子達のクラブ」があり、あらゆる楽しみに満ちている。そこでの第一人者はフレーダーゼンの息子フレーダーである。
 ある日彼は、地下の世界からたくさんの子供達を連れて、地上の世界にやって来たマリアに出会う。彼女は子供達に地上の世界の贅沢な生活を示して、「ご覧なさい、これもあんた達の兄弟よ」と叫ぶ。フレーダーはマリアを見て、深く心を打たれる。そして彼女について地下の世界に行く。そこで彼ははじめてメトロポリスの暗黒面を見る。労働者が作業中に事故で、犬のように惨めに倒れていったのである。彼にはメトロポリスが、たえず犠牲の人間を呑み込むモロク神のように見えた。彼は父の所に帰り、その事故のことを語る。だが父は「そういう事故は避けられないのだ」と冷然と言い放ち、「何故私の息子に機械室に入ることを許しんだ」と、部下を叱りつける。そして「地下にいたのは私達の町を建設した手でした。彼らがいつか貴方に歯向かったら、どうするんですか」という息子の警告には、笑うだけだった。
 そこへ中央管理室の職長グロートがやって来て、不審な紙片を見つけたと言って、それを手渡す。それについてフレーダーゼンは、秘書から何の報告も受けていなかったことを怒った。そして秘書をクビにする。フレーダーは自殺しようとする秘書を救い、父の家を去る。フレーダーゼンは監視人に後をつけさせる。今やフレーダーは労働者街に行き、彼らを助けようとする。一方フレーダーゼンは町の真ん中にある天才的な発明家ロートヴァングのところに行き、不審は紙片の意味を解明してくれと頼む。ロートヴァングはそれが、メトロポリスの地下の地下墓地の案内図だと説明する。それから彼は労働者の代わりをするロボット開発の実験の進み具合を示す。更に彼は、「地下のあそこで、どんなことが労働者たちをそんなに引きつけているのだ」といぶかるフレーダーゼンを案内して、地下墓地を見通せる場所に、彼を連れていく。
 そこでは労働者たちの秘密の集会が開かれていた。中にはフレーダーもいた。集まった労働者たちに、マリアが新しい確信を与えるために、バベルの塔の話をする。塔の建設を比喩として、彼女は「計画する精神と作る手の間に、仲介者がいなくてはなりません。それは心です」と言う。労働者たちが「われわれの仲介者はどこにいるのか」と尋ねると、マリアは「お待ちなさい、その人はきっと来ます」と答える。
 集会が終わった後に、フレーダーはマリアのところに行き、彼女に愛を告白する。彼女も彼に愛情を抱き、二人は翌日聖堂で会う約束をする。一方フレーダーゼンはロートヴァングに、「君のロボットにこの娘の姿を取らせろ」と言い、それを労働者たちのところへ送り込んで、攪乱してやると話す。ロートヴァングはマリアをさらって、自分の家に監禁する。
 翌日マリアが逢い引きの場所に来なかったので、フレーダーは彼女を探し回る。とうとうロートヴァングの家から、「助けて」という声が聞こえる。フレーダーはマリアを救いに行くが、逆にロートヴァングに掴まえられてしまう。ロートヴァングはそれからマリアをモデルにしたロボットを作り上げる。労働者たちを暴力的に叩きのめす口実を求めていたフレーダーゼンは、マリアに生き写しのロボットを労働者たちのところへ送り込んで、扇動させる。ロボットのマリアは労働者たちに「あんた達の仲介者は決して来ないでしょう。と言い、メトロポリスの支配者に抗して、すべてを破壊するように挑発する。フレーダーは労働者たちに、あれはロボットだと言って説得しようとするが、あべこべにロボットのマリアに中傷されて、労働者たちのリンチを辛うじて逃れる。
 労働者たちは機械を壊し始める。職長のグロートは、彼に任されている中枢機械を破壊から救おうとするが、無駄である。労働者たちは中枢機械が壊れると、自分たちの子供達が残っている地下の町が、洪水に襲われることを知らない。地下の町に洪水が迫る。ロートヴァングのところからやっと逃げ出した本当のマリアとフレーダーが、あわやというところで水門を閉じて、子供達を溺死から救う。労働者たちは真相を知ると、怒ってロボットのマリアを火あぶりにする。燃える炎の中で、不気味な姿となったロボットを見て、労働者達は「魔女だ!」と叫ぶ。
 自分のロボットが破壊されたことに激怒したロートヴァングは、本当のマリアを聖堂で捉える。フレーダーがマリアを助けようとして後を追うと、ロートヴァングは彼女を聖堂の塔の上に引きずり上げる。そして塔の上の目もくらむような高所で、今はすっかり狂ってしまったロートヴァングとフレーダーが、一騎打ちを演じる。フレーダーが落ちそうになると、傲慢な父のフレーダーゼンも遂に我を折って、ひざまずいて「息子を助けてくれ」と祈る。遂にフレーダーが勝ち、ロートヴァングは転落死する。
 ラストはフレーダーゼンがフレーダーとマリアの間に立っているところへ、職長を先頭にした労働者たちが近づく。フレーダーにうながされて、父は職長のグロートと握手する。マリアは此の同盟を祝福する。「心が結びつけるときだけ、人々の間に平和と理解がもたらされる」。
【解説】映画技術的には傑作だったが、「ウーファ」社は、カットし、短縮し、切り刻んだ。にもかわわらず国際的成功は得られず、5300万マルクの制作費投資は引き合わなかった。
 そしてこの映画は封切られて当初から、技術的なすばらしさに対する絶賛と、滑稽なほど通俗的な「愛の仲介者」イデオロギーに対する悪評という、アンビヴァレントな評価を受けてきた。しかし今日から見れば、当時の時代状況そのものがアンビヴァレントだった。そして1920年代顕在化した大衆文化的状況が、人々の意識にはアメリカニズムと感じられたアメリカとすれば、『メトロポリス』はまさしくそうした意識の映像化そのものだった。フリッツ・ラングはアメリカへ行ったのだった。この旅で彼に衝撃的な印象を与えたのは、ニューヨーク入港の際の印象だった。突然海中から浮かび上がって来る摩天楼、何千という窓がキラキラと光っている巨大な建物。これを映画にしなくては、とラングは考えた。今日われわれにとっても、当然の日常的光景となった現代都市に「メトロポリス」的状況が、歴史上はじめてその姿を現したのがアメリカだった。「アメリカニズム」とはそうした現実に対して与えられた名称である。フリッツ・ラングはこの幻想的な大都市を映像化することによって、時代の社会的・文化的核心を示唆したのだった。表面上安定期に入り、新しい産業資本主義の繁栄を満喫している時代状況の中で、巨大産業の抽象的合理性と大衆社会との間の軋轢を、美的に形象化する映画が作られたのは、まことにタイミングのよい出来事だった。
 この映画についてジークフリート・クラカウアーは、こう言う。「ここで重要なのは筋ではなく、筋が進展する中に示される表面的な付け足しの方が、圧倒的な効果を発揮することである。……大ボスのオフィス、バベルの塔建設の幻想、機械や群集の配置、こうしたものすべてが、大げさに飾り立てるフリッツ・ラングの好みを示している。…もっぱら装飾に対する関心からラングは、下の町の洪水を逃れようと絶望的な試みをしている群集を、装飾的な型に構成するほど極端に走る。映画技法的には比類を絶した成功であるこの洪水のシーンが、人間的見地からは恐るべき失敗である……」。実際「ラングのような芸術家は、本当に人間的な情緒の流露と、その装飾的パターンとの間の対立を見逃すことはでできなかった。それにもかかわらず彼は、こうしたパターンを最後の最後まで保ち続ける。すなわち、労働者たちは厳密に対称的なくさび形の行列を作って進み、大寺院の正面階段の上に立っている実業家の方を目指している」。
 すべてを飲み尽くす装飾的機構の持つ本質的意味の表現として、『メトロポリス』は象徴的な意味を持っていた。そしてクラカウアーだけでなく、他にもそれを感得した者がいた。旧ソ連時代に西欧を独自の目線で見ていたイリア・エレンブルクである。彼は『これが映画だ――夢の工場』の中で、こう語っている。
 「新聞は『メトロポリス』にウーファが六百万馬克を注ぎ込んだことを大々的に報道した。なる程、メトロは『ベン・ハー』のためにそじょ3倍の投資をした。が、アメリカとは違う。ヨーロッパ人には『メトロポリス』は浪費を意味した。何たる映画だ。幻想的未来の大都市。巨大は起重機。地下の世界。数千の俳優。ユートピアだ。詩だ。……新聞、ビラ、ポスターが一斉にこの映画を絶賛する。二つの都市。上層都市と下層都市。ウーファ劇場へ急ぎなさい。……それを今再び諸君は体験するであろう。しかもブリギッテの瞳と六百万馬克のセットに飾られた美しい夢物語として。――封切館での興行が済むや否や全国一斉に上映されるであろう。彼等はほんの先日反乱を起こしたばかりである。彼等は愚劣な扇動家の演説に、耳を傾けたのだうけなかったのだ。彼等は僅かばかしのパンを鱈腹食うことを唯一の希望としたからいけなかったのだ。
 この映画を見れば、重大なことは殉教者の少女の瞳と、その少女の選んだ仲介者の美しさとにあることが彼等のも得心されるだろう。そして、彼等は、上層都市の住民が差し伸べた手を、よろこびを以て握り返すであろう。これは素晴らしい映画だ。これは極めて教育的だ。ウーファはそのためにはあらゆる金銭上の犠牲を惜しまなかった」(岩崎訳、往来社、230ページ以下)。
 未来都市の景観を先取りした『メトロポリス』は、今日見ても映像は新鮮である。それだけにフリッツ・ラングが見たニューヨークの摩天楼は、当然あのエンパイヤステート・ビルのような超高層だろうという、無意識的な思い込みがある。錯覚である。彼がアメリカへ行った時は、高層建築熱はまだ最盛期ではなかった。ニューヨークでの絶頂期は1928年だった。エンパイヤステート・ビルの完成は、もっと遅れて1931年だった。したがって『メトロポリス』の摩天楼は、まったくラングの想像力の産物なのである。

1927.2.25
『私の叔母さん――あんたの叔母さん』
カール・フレーリヒ監督
【キャスト】へニー・ポルテン
【解説】ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り。本当のコメディーの楽しみ。

1927.4.14
『街の悲劇 Dirnentragödie』
ブルーノ・ラーン監督、シナリオ:ルート・ゲッツ、レオ・ヘラー(ヴィルヘルム・ブラウンの同名のドラマによる)、装置:カール・ルートヴィヒ・キルムゼ
【キャスト】アスタ・ニールゼン(アウグステ:娼婦)、ヒルデ・イェニングス(クラリッサ:若い娼婦)、オスカー・ホモルカ、ヴェルナー・ピッチャウ(フェリックス:学生)、ヘートヴィヒ・パウリ=ヴィンターシュタイン、オットー・ックローンブルガー等
【あらすじ】(老い行く売春婦の悲劇を描いた社会派映画)。
 アウグステはもうかなりの歳の、やつれた娼婦である。クラリッサの方はまだ若く、可愛らしい。学生のフェリックスは生意気盛りの青二才である。ブルジョア生活の退屈さに厭きた彼は、両親に反抗している。今日も「また酔ってるね、フェリックス」と叱られると、彼は「僕は自由が欲しいんだ」と叫んで、家を飛び出す。「空腹になれば、きっとまた戻って来る」と思った両親の思惑ははずれて、二日経っても、フェリックスからは何の音沙汰もない。空腹のまま酔って町をふらつき廻っているフェリックスは、たまたま自分の縄張りを歩いていたアウグステにぶつかる。「僕は両親と喧嘩したんだ。二度と戻らない」と言うフェリックスを、アウグステは自分の部屋に連れて行く。そして「好きなだけここに居なさい」と言う。感謝したフェリックスは、アウグステにへばりついて離れない。そしてアウグステは愚かにも、彼は自分を愛していると信じ込み、これまでのヒモを追い出してしまう。そして彼女は彼にふさわしい人間になるために、貯金をはたいて、お菓子屋の店を買い取ろうとする。頭金を払って、残りは一年以内にと交渉している間に、ヒモノアントンはフェリックスに、クラリッサを紹介する。彼は若いクラリッサに心を移す。「僕は両親のところへ戻る。その時には君をここから連れ出してやる」と、心変わりした彼は言う。「だってあんたはアウグステのものじゃない」と言われても、もう彼は老いた娼婦などには興味がない。アウグステは彼に「私のところに留まって」と懇願するが、フェリックスは冷たく「僕にはその気はない。僕はもう行かなくちゃ」と答える。
 絶望したアウグステはクラリッサに、「私に彼を返して」と頼む。しかしクラリッサは「彼が私を気に入ったからと意って、私にはどうしようもないでしょう。私は若いんです」と、取り合ってくれない。アウグステは深く心を傷つけられる。しかし彼女を一番悲しませたのは、自分の惨めさよりは、むしろフェリックスがクラリッサと一緒に暮らせば、彼の未来が駄目になるだろうという見通しだった。絶望したアウグステはアントンをそそのかして、クラリッサを殺させる。
 フェリックスは両親のところへ戻り、自分の頭を母親の膝に埋めて言う。「お母さん、僕のせいで人殺しが起きてしまった」。そして悔恨に暮れる。新聞はこう報ずる。「娼婦の悲劇。44歳の娼婦アウグステ・グローネルトは、殺人教唆のかどで逮捕されようとした時、自ら命を絶った」。「可哀想なアウグステ」と、同じ身の上の者たちは悲しみ、「ここにいる私たちはみんな、何時かこんな最期を遂げる」のだと嘆く。しかしアウグステが住んでいたみすぼらしいアパートのドアの上には、早くも「貸部屋」という掲示が出ていた。非情に。
【解説】第一次世界大戦前後に全盛期を迎えたデンマーク出身の大女優アスタ・ニールゼンは、盛りを過ぎてからは、泣かせる老け役の比類のない身振り演技で、新しい境地を開いていた。1923年の『転落』では、刑務所に入っている恋人を15年間待ち続けている間に、すっかり老けて落ちぶれた女優が、出所する恋人を門の前で待っていたのに、彼が自分を見分けることができないのを見て、自分の老いを悟り、そっと身を引く演技で、喝采をはくした。
 この『街の悲劇』では、社会のくずである娼婦の犠牲的な愛情の悲劇を、絶妙の演技で印象づけている。精神的に未熟な若者と献身的な老娼婦という、ドイツ版「椿姫」の特徴は、それが「街路」を舞台としている点にある。19世紀の首都パリの椿姫は、まだサロン的雰囲気のヒロインだったとすれば、20世紀の椿姫のサロンは街頭でしかあり得なかった。20世紀の「メトロポリス」は、無名の大衆の街だからである。「街路映画」――それは中産階級の人間が、不定形の大衆の群がる都会の街路という誘惑に引かれて、自分の単調な日常生活の狭い室内世界を抜け出すという型の映画に対して、ジークフリート・クラカウアーが与えた名称である。それはカール・グルーネ監督が1923年に製作した『街路(邦訳題名『蠱惑の街』)や、ループー・ピック監督『除夜の悲劇』に始まり、1925年の『喜びなき街』、そしてこの『街の悲劇』などを経て、1930年頃まで続く、ドイツ映画特有のジャンルである。混沌として都会のジャングルから、ブルジョア社会が喪失した美徳を保持している場所まで、「街路」が当時の世相による独特の相貌を示し、そこから生起する意味の変化は、まさに「時代」そのものを語っていた。
 いずれにしても根無し草の大都市大衆社会を、「街路」によって映像化する手法が、この時期には流行の手法となっていた。ポール・ローサは『街の悲劇』について、こう述べている。「徹頭徹尾あらゆるものが街路に引き戻された。ペーヴメントの上を急ぐ足。客を引く足。街路の暗い隅と角。見張っている街灯の明かり」。大都市大衆社会においては、街路こそが主役である。それゆえラーン監督の映画は「犬の目の高さで撮影された出来事によって始まる。すなわち、男の足が女の足を追う。歩道に沿って、それから階段を上り、さらに部屋の中へ入って行く」。人間は「街路を歩く足」に還元されてしまう。
【アスタ・ニールゼン略歴】1883年、デンマークのコペンハーゲンに生まれ、はじめは舞台で名を成したが、1911年、最初の夫で終生のマネージャーだった演出家のウアバン・ガーヅと一緒に、『断崖』を作った。続く『熱い血』(1911)などによって、北欧映画界最初の世界的映画スターとなった。彼女は魅力に引かれ、その未来を確信したパウル・ダーフィトゾンが、彼女を法外な条件でドイツへ招いた。彼女の表情豊かな黒い眼と身ぶり演技のうまさは、第一次世界大戦中、フランス兵にもドイツ兵にも、異常な人気を呼んだので、兵士たちは塹壕を彼女の写真で飾り立てたほどだった。そして1920年代末に至るまで、彼女はドイツでもっとも人気の高い女優の一人だった。「ドイツの映画世界は、サイレント時代にアスタ・ニールゼンが創造した人物像がなければ、遙かに貧しいものだったであろう」。もっとも有名なのは、『伯爵令嬢』(1922)、『INRI』(1924)、『ヘッダ・ガーブレル』(1925)のような、悲劇的な女性像の演技である。『喜びなき街』(1925)では、『街の悲劇』と同じく、売春婦を演じた。映画がトーキーになってからは、彼女の映画生命も終わりを告げたが、1932年、唯一のトーキー映画『秋の女性』を作った。ナチが政権を取ると、彼女はドイツを去って、デンマークに帰った。

1927.5.14
『織工 Die Weber』
フリードリヒ・ツェ ルニーク監督,シナリオ:ファニー・カールゼン、ヴィリー・ハース(ゲルハルト・ハウプトマンの同名の自然主義社会劇による)、撮影:フレデリック・フーゲルザング、フリードリヒ・ヴァインマン、装置:アンドレい・アンドレイエフ(ジョージ・グロスの協力[仮面のスケッチと字幕タイトルの文字]の許に)、音楽:ヴィリー・シュミット=ゲントナー
【キャスト】パウル・ヴェーゲナー(ドライシガー:工場主)、ヴィルヘルム・ディーテルレ(モーリッツ・イェーガー)、ダグニ・ゼルヴェス(ルイーゼ・ヒルゼ)、テオドール・ロース(パン屋)、ヴァレスカ・シュトック(ドライシガー夫人)、ヘルマン・ピハ(バウメルト)、ヘルタ・フォン・ヴァルター(エンマ・バウメルト)、カミラ・フォン・ホライ(ベルタ・バウメルト)、アルトウール・クラウスネック(老ヒルゼ)、ハンス・ハインリヒ・フォン・トヴァルドフスキー(ゴットリープ・ヒルゼ)、ゲオルク・ヨーン(アンゾルゲ)、ゲオルク・ブルクハルト(キッテルハウス:牧師)、ユリウス・ブラント、エミール・リント、ハンス・シュテルンベルク、エミール・ビロン、ヴィリー・クルスチンスキー、ゲオルク・ガルツ
【あらすじ】(19世紀シュレージエンでの職工ストライキを扱ったドラマ)。
 工場主ドライシガーの家の前には、仕上げた織物を引き渡すために、たくさんの織工たちが列を作って行列している。だが工場主に雇われている職員のパイファーは性悪で、けちをつけては、労働者たちの労賃をごまかそうとした。彼は毎度リンネルの品質が悪いと言って、労賃の半分すら支払おうとしなかった。しかし職工たちは空腹のあまり消耗し切っていて、無感動になっており、運命だと不当な仕打ちを甘受していた。ただ一人若い職工が抵抗し、彼はパイファーと衝突した。そこでパイファーは工場主のドライシガーを連れてきた。ドライシガーはその若い職工をクビにし、怖じ気づいた人々に、競争に勝てないので、労賃を半分に下げなくてはならないと言う。新しい工場はもっと早く、もっと安く生産しているというのである。職工たちは激昂したが、しかし気落ちしてしまった。
 そこへモーリッツ・イェーガーが、ベルリンでの軍隊勤務から戻って来た。彼は軍隊では将校の従卒として勤務していたが、故郷の友人たちが、あまりにひどくうらぶれた惨めな暮らしをしていることに、驚愕した。彼は自分の力を貸そうと約束する。そして「団結は人を強くする」と訴えた。このスローガンの下に、彼は蜂起を組織した。職工たちは
棍棒で武装して、工場主ドライシガの家の前に集まり、シュプレヒコールで彼に反抗するスローガンを叫んだ。ドライシガーはリーダーのモーリッツ・イェーガーを、染色工の徒弟たちに捕らえさせて、監禁した。激昂した群集はドライシガーの家の前に集まって、居座った。そして警官がイェーガーを刑務所に護送しようとしたとき、彼等は殺到してイェーガーを解放した。それから警鐘が打ち鳴らされた。町から町へと蜂起の知らせが広まった。国中の職工たちが集合して、工場主たちの家に向かって行進した。そして工場労働者たちと連帯して、機械を打ち壊した。軍隊が急行して来て、無差別に発砲したが、労働者たちは道路の鋪石で勇敢に防戦した。そのため軍隊は取りあえずは撤退せざるを得なくなった。
 蜂起は結局は鎮圧されるにしても、抑圧に抗して立ち上がった職工たちの奮起は、大きな警鐘となった。
【解説】映像はエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』の影響を受けている。

1927.6.3
『最高学年生の恋 Primanerliebe』
ローベルト・ラント監督、シナリオ:アルフレート・シロカウアー、クルト・ヴェッセ、撮影:ヴィリー・ゴルトベルガー
【キャスト】フリッツ・コルトナー、アグネス・シュトラウプ、ヴォルフガング・ツィルツァー、グレーテ・モスハイム
【解説】ある高校生の心理ドラマ。

1927.8.20(日本封切り30.7.17)
『ホーゼ Die Hose』
ハンス・ベーレント監督、原作カール・シュテルンハイムの喜劇による
【キャスト】イェニー・ユーゴ、ヴェルナー・クラウス、ルドルフ・フォルスター、ファイト・ハーラン
【解説】教会でズボンがずり落ちてしまうことをめぐる社会風刺。

1927.9.19
『世界の果て Am Rande der Welt』
カール・グルーネ監督、シナリオ:カール・グルーネ、ハンス・ブレンネルト、撮影:フリッツ・アルノー・ヴァーグナー
【キャスト】アルベルト・シュタインリュック、ブリギッテ・ヘルム、ヴィルヘルム・ディーテルレ、マックス・シュレック

1927.9.23(日本封切り1928.11.29)
『伯林大都会交響楽 Berlin.Die Sinfonie der Grossstadt』
ヴァルター・.ルットマン監督、シナリオ:ヴァルター・ルットマン、カール・フロイント(カール・マイヤーのアイデアによる)、撮影:カール・フロイント、ライマール・クンツェ、ローベルト・バーベルスケ、ラーズロ・シェファー。
【あらすじ】(晩春の平日のベルリン一日「横断面」の記録)。
 まず揺れ動く水紋が抽象的な水の線にかわり、それが鉄道線路象徴している直線と交わると、場面は夜明けのベルリン郊外。急行列車がばく進する。「ベルリン、15キロ」という標識が目的地を指示している。線路、鉄橋、踏切番小屋、シグナルが後へ、後へと飛び過ぎる。線路築堤のわきに家屋や工場が現れる。窓はまだ閉ざされている。ようやく徐行した列車はスピードを落として終着の「アンハルト駅」に近づく。プラットホームを覆う駅の大アーチが見えてきて、列車は静かに滑り込む。しかしまだ町は眠りの中にある。塔時計が早朝5時を示している。薄もやの中にがらんとした街路。汚い排水溝の縁と新古の家のファサード。一切れの紙が街路上を舞う。犬を連れた夜番、猫、家路に就く夜遊び人、パトロールする二人の警官。一人の男が広告柱に貼り付けている。
 そして目覚めた町の活動がゆっくりと始まる。車庫の扉が開き、列車が出て行く。最初の市電と郊外高速電車、地下鉄、乗り合いバスがラッシュアワーの開始を知らせ、次第に交通が激しくなる。一群の雄牛が畜殺場に駆り立てられる。一隊の兵士たちが行進して演習地に向かう。動き出した人波が手回しオルガン弾きの脇を通り過ぎる。工場の門が開き、従業員がせかせかと入っていく。クランクが解除され、車輪が回転し始める。仕事が始まる。主婦は窓に寝具を置き、学童は学校に向かう。郵便配達が郵便物を携えて、局を出る。 8時には理髪店、金細工店、モード服飾店が店を開く。管理職が車で仕事に行く。列車が到着する。グルーネヴァルトの森では乗馬を走らせる者たち。事務所では棚や出納帳が開かれる。市外電話交換局の仕事はハイスピード。
人だかり。警官が殴り合いに割って入る。動物園では白熊があくびしている。マネキンが試し着。エレガントな御婦人がショーウインドを眺めてぶらつく。売春婦が商売している。結婚式をあげたペアが教会から出てくる。大きな階段の前に楽隊。ヒンデンブルクが姿を現す。赤旗を立ててデモ行進する一団と熱弁を振るう弁士。救世軍の女性兵士が貧者のために募金している。華美な葬式自動車が墓地に向かう。巨大な人形の走る広告。乞食が煙草の吸い殻を集めている。ベルリンの昼間紙の呼び売り。
 12時。建築労働者がパンをパクついている。動物園のライオンが肉片を呑み込んでいる。ビアスタンドで、豪華ホテルで、ソーセージスタンドで、みなせかせかと口に運んでいる。一人の男がベンチの上で昼寝している。そうして昼休みは終わる。
 モーターが再びうなりをあげる。みな再び活動し始める。そしてもう夕刊の印刷が始まり、荷造りされ、発送される。また人だかり。女が一人橋から水に飛び込んだ。突然の嵐。驟雨。消防自動車が街路を飛ばして行く。そして働く一日の終わり。終業。
 あらゆる種類の娯楽とスポーツの催し物への参加が、一日を締めくくる。五時のお茶。夕暮れが忍び寄る。愛人同士のペアが公園を散歩する。ヴァンゼー湖畔。灯火が点く。映画のスクリーンではチャップリンが足を上げている。劇場ではダンサー、俳優、歌手が出番を待っている。幕が上がる。娯楽産業が活動開始。ヴァライエテ劇場「ヴィンターガルテン」、「スカラ」。そしてオペラ。しかし街路では労働者が市電の路線を修理している。ラストは花火。そして次第に闇に包まれていく大都会ベルリンの上に、放送塔からの光が輝く。
【解説】一都市の24時間の実験的記録映画で、「横断面映画」として注目された。急行列車がベルリンの「アンハルルト駅」に向かってばく進する最初の映像が、「スピード時代」を象徴して日本で大きな反響を呼んだ。

1927.10.13
『女の目覚め Das Erwachen des Weibes』
フレッド・ザウアー監督、シナリオ:ヴァルター・ヴァッサーマン、フレッド・ザウアー、撮影:ヴィリー・ゴルトベルガー
【キャスト】ヘルマン・ファレンティン、グレーテ・モスハイム、ヴォルフガング・ツィルツァー
【解説】家屋所有者の息子と門番の娘との恋をめぐる、ベルリンの賃貸アパートでのドラマ。

1927.10.14(日本封切り1929.6.23)
『世界大戦 Der Weltkrieg』第一部
【解説】ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で、ドキュメンタリーを使用した映画封切り(第二部封切りは1928年2月9日)。クラカウアーp159

1927.12.6(日本封切り1928.6.22)
『懐かしの巴里 Die Liebe der Jeanne Ney』
ゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト監督、シナリオ:イリヤ・エレンブルク、ラディスラウス・ウアイダ(イリヤ・エレンブルクの同名の小説による)、撮影:フリッツ・アルノー・ヴァーグナー、ローベルト・ラッハ、装置:オットー・フンテ、ヴィクトル・トリーファス、製作:ウーファ映画社
【キャスト】エディット・ジュアンヌ(ジャンヌ・ネイ)、ブリギッテ・ヘルム(ガブリエル・ネイ:彼女の盲目の従妹)、ウーノ・ヘニング(アンドレアス・ラボフ)、フリッツ・ラスプ(カリビエフ)、アドルフ・エドガー・リヒヨ(レイモン・ネイ)、ハンス・ヤーライ(ポワトラ)、ジークフリート・アルノー(ガストン)、ヘルタ・フォン・ヴァルター(マルゴ)、ウラジーミル・ソコロフ(ザハルキエヴィッチ)、ジャック・トレヴァー(ウォーレス・ジャック)。
【あらすじ】(ロシア革命時代のクリミアで恋いに落ちたフランス娘とロシアの革命家が、パリで恐喝される)。
 フランスのジャーナリスト、アンドレ・ネイは、ロシア革命によって混乱しているロシアに、政治的オブザーヴァーとして滞在している。娘のジャンヌ・ネイはも父親と一緒にやって来たが、二人は騒然たるモスクワを離れて、南のクリミアへ行く。
 アンドレはオポチュニストの山師カリビエフから、ボルシェヴィキの特務機関員の一人アンドレアス・ラボフという青年は、モスクワでジャンヌと愛し合っていた間柄だった。ジャンヌは、彼がそうした政治的問題にかかわっている人間だとは、全く知らなかった。だがアンドレアス・ラボフも加わっているボルシェヴィキたちは、アンドレを追って、その手に落ちた特務機関員のリストを奪い返そうとする。そしてアンドレを殺してしまう。
 取り残されたジャンヌは、赤軍が勝利を得た後、アンドレアスの計らいで、フランスへ送還されることになる。雨の港でアンドレアスに別れを告げたジャンヌは、フランス行きの汽船に乗ってパリへ戻る。父を殺されたジャンヌは、それは政治上の殺害だったのだからと、アンドレアスを許していた。
 パリに着いたジャンヌは、私立探偵事務所を開いている叔父レイモン・ネイの世話を受け、そこでタイピストとして働くことになる。叔父には天使のように無垢の盲目の娘、ガブリエルがいる。しばらくしてからカリビエフと更にアンドレアスが、パリに姿を現す。カリビエフは白軍の特務機関員だったが、ジャンヌの尻を追い、うまい金儲けの可能性を求めて、やって来たのだった。彼は富豪だと自称しているレイモンに近づく。そして拒むことを知らぬガブリエルに目をつけ、レイモンの金を目当てに、彼女に求婚する。だが迂闊にもべろべろに酔っぱらったとき、バーの女給のマルゴに、自分はまずガブリエルと結婚し、それから殺すつもりだと話してしまう。マルゴはガブリエルに警告する。
 他方アンドレアスはソヴィエト特務機関の特別任務を帯びて、パリに派遣されて来た。ジャンヌはこうして思いがけずアンドレアスと再会し、短い幸福の日々を過ごすことになる。だが間もなく破局がやって来る。金持ちのアメリカ人が高価なダイヤモンドを紛失する。私立探偵はそれを探し出す。それを知ったカリビエフは探偵事務所に侵入して、それを盗もうとする。そしてレイモンに盗みの現場を押さえられる。すると彼はレイモンを絞殺して、逃走する。更にカリビエフは犯行現場に残した間接証拠によって、殺害の嫌疑がアンドレアスに向けられるようにする。一方アンドレアスは、叔父に追い出されてしまっていたジャンヌと、ホテルで一夜を過ごしている。そしてツーロン軍港で、フランス海軍の反乱をアジるという任務を帯びて、出発しようとした時、殺人の嫌疑で逮捕される。
 ジャンヌは恋人のアリバイを立証しようと、必死に努力する。二人のいたホテルで、彼女はカリビエフが売春婦と一緒にいるのを見かけていたので、彼女は何とかカリビエフに証言を求めようとする。カリビエフは彼女が、彼に身をまかせるという条件で、彼女の願いを容れる。だが幸いジャンヌは、カリビエフのところで、問題のダイヤモンドを発見する。それによって叔父を殺害したのはカリビエフだということが判明し、彼は逮捕される。ジャンヌとアンドレアスは、手を取り合って教会の祭壇の前にひざまずく。
【解説】この映画の結末は、エレンブルクによる元の台本では、ジャンヌがアンドレアスを救うことができず、二人が破滅する悲劇となるはずだった。だが結末が変えられたのは、単にハッピーエンドにするためでは決してなかった。それはウーファ映画社側と監督パプストと、当時はまだ無名の作家だったエレンブルクとの間の、複雑な三角関係を反映するものだった。そもそも革命のロシアとパリという二つの場所を舞台とする映画が作られたということが、すでに大変興味深い時事性の所産だったと言える。
 パプスト自身がすでに、アンビヴァレントな特異なリアリズムの監督だった。彼が映画を作り始めたのは1923年からだった。したがって第一次世界大戦後の第一期ドイツ映画の傾向である表現主義が、終わろうとしていた時点からの出発だった。表現主義的熱狂とは無関係だったのである。彼は最初から「民衆芸術連盟」に所属し、批判的リアリズムを根幹とする映画の可能性を模索していたので、激動の時代と社会とを描くという、彼の得意とする二つのテーマを統合した作品を取り上げようとしたのは、当然の成り行きだった。
 他方右翼的経済人の大立物フーゲンベルクの傘下に入ったウーファが、パプストに共産主義作家エレンブルクの小説を映画化させた理由は、当時の時代状況を抜きにしては理解できない。まず1926年4月に、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』が、ベルリンで海外初公開され、センセーションを巻き起こしたことを知る必要がある。映画史上最高傑作の一つに数えられたこの映画の公開は、ロシア映画ブームのきっかけとなった。「革命芸術」が観客に深い感銘を与えたわけであるが、同時にそれは、いわゆる「モンタージュ」技法によって、映画製作のプリンシプルに甚大な影響を与えた。そしてパプストはすでに、第一次世界大戦末期のキール軍港での水兵反乱をテーマとした映画を作るという計画をもてあそんでいた。それゆえ彼はもちろん、『ポチョムキン』をはじめとするロシア映画から、テーマ的にも技法的にも、激しい衝撃を受けた映画監督の一人だった。そしてフーゲンベルク傘下のウーファですら、さまざまな次元の意味を内包したロシア映画ブームにあやかりたいと考えたのだった。
 さらにタイミング良く1926年4月24日、ベルリンで独ソ友好条約が調印された。それは当時のソ連のチチエリン外務人民委員が、ロカルノ条約によってドイツが西側に傾くのを牽制しようと意図したことと、ドイツ外相シュトレーゼマンにも思惑があった結果招じた妥協だった。それは極右の側にすら、悪魔とも何とか一緒にやって行けるという感情を抱かせることになった。ドイツ国防軍がロシアで赤軍と協力して、英仏側の許さない軍事実験をひそかに進めていたという事態も、呉越同舟的感情を強化していた。つまり東西の狭間にあるというドイツの中間的地位が、社会や文化の傾向にも微妙な両義的な影を投じていた。それゆえボルシェヴィキの物語を映画化するというウーファ映画社のいかがわしい意図は、リアルポリティーク的路線から出たものだった。
 そのうえ、いささかのイデオロギー的懸念も、『ポチョムキン』的精神の素材によって、世界的ヒットをねらうという商業主義的思惑の前には、吹き飛んでしまった。ただパプスト自身が語っているように、ウーファ社は革命ロシア的精神を骨抜きにするために、映画を「ハリウッド的様式」で演出するようにと指示した。この映画のアンビヴァレントな混合的性格を強化するウーファのこうした姿勢については、エレンブルク自身がこう語っている。
 「ヘルツフェルデから私に手紙が来た。『ウーファ』が『ジャンヌ・ネイの恋』を映画化したがっている、監督は優秀な映画監督の一人ゲオルク・パプストがやるだろう、というのだ。私は戦後の荒廃を描いた彼の映画『喜びなき街』を知っていた。この映画は好きだったから、私は『ウーファ』の申し出を喜んだ。パプストは、私の小説の筋を、白軍と〈緑軍〉との闘い、労働者代表ソヴィエトの会議、革命裁判所、秘密印刷所、といった絵画的なシーンで飾ることにした。……第3のシーンは、白軍将校たちの酒宴の場面である。パプストはこのシーン撮影のため、かつてデニキン軍の将校だった連中を招いた。……エキストラたちにうまく演じてもらいため、パプストは彼らにまた呼出しをかけることを約束したーー1週間したら今度は赤衛兵をやってもらうが、衣裳は『ウーファ』が交付するから、と。貧乏なエキストラたちは大喜びだった。かつての白軍将校たちが、喜んでボリシェヴィキ役をやろうとしているのだ……意識を眠りこませ、何百万の人々を白痴化する映画を流れ作業でつくる〈夢の工場〉がどんなものか私にわかった。1927年一年間に、『浜辺の恋』、『雪の中の恋』、『ベティー・ピーターソンの恋』、『恋と盗み』、『恋と死』……『恋と金』、『遠慮抜きの恋』、『刑吏の恋』、『ラスプーチンの恋』を観客はみることができた。それにもう一つ、『ジャンヌ・ネイの恋』という変り種が加えられたわけだ」(『わが回想』)。
 だが1924年に「ベルリナー・ベルゼン・クーリール」紙の連載小説として現われ、広く読まれたエレンブルクの作品の中でも、トップのベストセラーとなった原作は、エレンブルク自身は「革命時代のロマンチシズムに対する捧げ物」と称しているが、それ自体ガセンチメンタルな恋の物語とボルシエヴィキと白軍の陰謀で味付けした、サスペンスに富んだ犯罪物語の「混合物」であって、ウーファの二重の思惑と基本的に合致する作品であった。
 もちろんウーファ社による原作の変更は、その「混合物」すらねじ曲げるものだった。小説ではジャンヌ・ネイは本当にカリビエフに身を任せた。しかしその犠牲は無駄だった。アンドレアスは殺人罪で処刑される。それゆえエレンブルクは「小説の魂は圧殺された」と抗議した。確かにその通りであるが、その代わり映画は原作のセンチメンタリズムを排し、いわゆる「不偏不党」の中立性によって、時にはサディスチックなまでに冷酷なリアリズムとなっている。だがパプストのリアリズムは目的ではなく、手段である。それはメロドラマを排除するものではない。ウーファ社の思惑とエレンブルクの混合性に、更にパプストの特異な二重性が重なって、この映画はアンビヴァレントな複合のモデル作品のようになってしまった。「仮借ない率直さのために独特であるというよりは、むしろ社会の病的状態の症候の洞察の点で独特であるような」『喜びなき街』を凌駕するものすごいリアリズムといかがわしさとの共存である。
 「パプストはここで本当の戸外撮影を固執しただけでなく、俳優にもクールな表現をさせる。良い例は、ジャンヌ・ネイがクリミアを去る際の、アンドレアスとの別れの場面である。二人は沛然たる豪雨の中で、荒れ果てた廃墟の真ん中に立っている。そして抱き合おうとするが、彼らの間を通って押し合いへし合いしながら波止場へ向かう人の群れに隔てられる。この場面はまったく即物的な単純さで撮影されていて、そこに悲劇的な宿命論のトーンを与えるような試みはなされない。しかしこのリアリズムは、映画の一つのアスペクトでしかない。パプストの初期の創作の典型的な混合の中で、表現主義的な要素が室内劇のシンボリズムが内包しているいかがわしさは、時代のいかがわしさでもある。それゆえ時代のトーンに触れるという意味では、パプストのいかがわしいリアリズムは逆説的な真実を語っている。一般に評価され、また彼独自の「物凄い」リアリティも、決してメロドラマ性から切り離されたものではなく、同義性を構成する不可分の要素と見るべきであろう。そして「E・A・デュポンは彼の『ヴァリエテ』において、リアルに描く意図で、至るところにカメラを出没させる手法を採用したにしても、彼の構成する世界は現実の客観的反映というよりは、むしろ現実の様式化されたイメージであった。彼の先駆者と違ってパプストは、現実の生活の偶然の形態を撮影するために、カメラを移動させる。『懐かし巴里』は、ならず者のカリビエフの特徴を描写する場面で始まる。すなわち、彼の靴の先からカメラは脚に沿って、撒き散らされた新聞紙へと滑って行き、テーブルの上の煙草の吸い殻を写し、吸い殻の一つをより分けている彼の手を追い、顔を綿密に眺め、最後にカリビエフがソファに横たわっている、ホテルの汚れた部屋の一部を取り囲む。……彼はほんの取るに足らぬ印象を捕らえるためにも、微細な映像の切れはしを活用する。そしてそのような切れはしを融合させて、繊細な組織に作り上げ、そこに密接に関連した総体としての現実を写し出す」。パプスト自身は自分のこうした手法を、こう説明している。「どのショットもある一つの動きの上に構成されている。ワン・カットの終りでは誰かが動いている。続くカットの始めでは、その動きが継続される」。つまり映像的リアリティを表現するのに、パプストは互いに衝突し合うモンタージュの衝撃の効果を利用するロシアのスタイルと反対に、ハンドルングの完全な流動性を追求したのである。絶えず変化する映像の与えるリアルな印象が、『懐かしの巴里』で達成したパプストのリアリズムの根源である。

1927.12.20
『大いなる跳躍 Der grosse Sprung』
アルノルト・ファンク監督、シナリオ:アルノルト・ファンク、撮影:ゼップ・アルガイヤー、ハンス・シュネーベルガー、アルベルト・ベーニッツ、リヒャルト・アングスト、装置:エーリヒ・チェルヴォンスキー。音楽:ヴェルナー・R、ハイマン
【キャスト】レニ・リーフェンシュタール、ハンス・シュネーベルガー、ルイス・トレンカー、パウル・グレーツ
【解説】あるアルプスの山羊の番人の女性がストレスを病んでいる大都市のあるマネージャーに、スキーを教えるたわいのないコメディー。

1927.12.22
『プロイセンの王妃ルイーゼ Königin Luise』
カール・グルーネ監督、シナリオ:ルートヴィヒ・ベルガー、撮影:アールパード・ヴィラーグ
【キャスト】マディー・クリスチャンス、ハンス・アーダルベルト・フォン・シュレットー
【解説】ルイーゼ王妃の若い頃。

1928
1928(日本封切り1930.11.21)
『伯林の処女 Die Dame mit der Maske』
ハンス・リヒター監督
【解説】リヒター監督がインフレ下の生活断片を描いた実験映画『H−インフレーション H-Inflation』の一部。

1928(日本封切り1930.3.6)
『ハンガリアン・ラプソディー Ungarische Rhapsodie』
ハンス・シュヴァルツ監督
【解説】クラカウアーp197

1928
『自由旅行 Freie Fahrt』
エルネ・メッツナー監督
【解説】メッツナーが社会民主党のために製作した宣伝映画。二部の短い異なった部分で構成されている。第一部はロシア映画の模範に従って構成された、ヴィルヘルム皇帝時代の労働者の苦境と、社会民主党の組織結成についてのドキュメンタリー的モンタージュ、第二部は当時の党活動に捧げられ、映画による党のプロパガンダだった。
(クラカウアーS191)

1928
『ザンクト・パウリのカルメン Die Carmen von St-Pauli』
【解説】クラカウアーp162

1928.1.3
『老フリッツ Der Alte Fritz』
ゲルハルト・ランプレヒト監督
【キャスト】オットー・ゲビュール
【解説】1月24日がフリードリヒ・大王の誕生日。1月20日映画『老フリッツ』第二部、ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り

1928.1.25(日本封切り1929.5.1)
『妖花アラウネ Alraune』
ヘンリック・ガレーン監督、ハンス・ハインツ・エーヴァース(→1932年10月14日、小説『ホルスト・ヴェッセル』)の小説による
【キャスト】ブリギッテ・ヘルム、パウル・ヴェーゲナー
【あらすじ】医学オペラの教授が絞首刑になった罪人の精子を使って売春婦を孕ませ、生まれた妖しい美しさを持った娘アラウネが男を破滅させ、遂に自分を作り出した教授も破滅させる。

1928.2.1
『シンダーハンネス Schinderhannes』
クルト・ベルンハルト監督、シナリオ:クルト・ベルンハルト、カール・ツックマイヤー(カール・ツックマイヤーの小説による)、撮影:ギュンター・クランプ
【キャスト】ハンス・シュトゥーヴェ、フリーダ・リヒャルト、ブルーノ・ツィーナー、アルベルト・シュタインリュック、リシー・アルナ、フリッツ・ラスプ
【解説】1803年に処刑されたライン地方の盗賊団の首領の物語。

1928.2.4
『映画と人生、バーバラ・ラ・マル』刊行
【解説】アルノルト・ブロンネンの小説『映画と人生、バーバラ・ラ・マル』、ベルリンのローヴォールト書店から刊行

1928.2.7
チャップリン『サーカス』
【解説】ベルリンの「カピトル」映画館でドイツ封切り。大成功で、初日の上映後、ベルリン西区の中心「ヴィルヘルム皇帝記念教会」やクーアフュルステンダム周辺大混雑で、交通渋滞、新聞各紙絶賛。

1928.2.9
『世界大戦 Der Weltkrieg』第二部
【解説】ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で、ドキュメンタリーを使用した映画封切り(第一部封切りは1927年10月14日)。

1928.3.14(日本封切り1969.12.27)
ロシア映画『十月 Oktyabri』
エイゼンシュテイン監督

1928.3.22(日本封切り1930.3.26)
『スピオーネ Spione』
フリッツ・ラング監督、シナリオ:フリッツ・ラング、テア・フォン・ハルブ(テア・フォン・ハルブの小説『スピオーネ Spione』による)、撮影:フリッツ・アルノー・ヴァーグナー、装置:オットー・フンテ、カール・フォルブレヒト、音楽:ヴァルナー・リヒャルト・ハイマン、製作:ウーファ映画社
【キャスト】ルドルフ・クライン=ロッゲ(ハギI/マブゼ)、ゲルダ・マウルス Gerda Maurus(ソーニャ)、ヴィリー・フリッチュ Willy Fritsch(ドナルド・トレメーン、探偵ナンバー326)、パウル・ヘルビガー Paul Hörbiger(フランツ)、ループー・ピック Lupu Pick(松本)、リエン・ダイヤース(キティ)、ルイーズ・ラルフ(モリール)、クレイグホール・シェリー(ジェーソン)、ヘルタ・フォン・ヴァルター(レディー・レスレーン)、フリッツ・ラスプ(イエルジック大佐)、ユーリウス・ファルケンシュタイン(ホテル支配人)、ゲオルク・ヨーン(機関手)、パウル・レーコップフ(シュトロルヒ)、ヘルマン・ヴァレンティン、グレーテ・ベルガー
【あらすじ】(あらゆる交通・通信手段をフルに使用したスパイ・スリラー映画。日本の海軍士官の松本の腹切り場面が話題)。
 あるスパイ組織が政府の秘密を探るために、大使館を襲ったり、重要な機密書類を盗んだり、公安官を殺したりする。こうした状況の中で、間近に迫ったスペインとの秘密協定の安全を守るために、内務大臣が防諜部長のバートン・ジェーソンに、もっと良くその職務を果たすようにと迫る。ジェーソンは国際的なスパイ組織の親玉を探知しようと苦心してきたが、その努力はこれまでの所、数人の有能な情報員を失っただけだった。
 そこで今度は一番すぐれた情報員のドナルド・トレメーン(探偵ナンバー326)が、この仕事に当てられることになる。他方、問題のスパイ組織の親玉のハギは、世間には大銀行家として通っていたが、トレメーンに対抗させるために、トップ女性スパイのソーニャを当てた。トレメーンとソーニャが出会うと、二人はすぐに愛し合うようになった。そこでソーニャはハギに、自分の役目を解いてくれるように頼む。しかしハギは許さない。絶対にトレメーンを拒んで、スペインとの秘密協定の場所と日時をキャッチし、すべての重要な記録を入手するように命ずる。
 やむなくソーニャは、トレメーンを裏切らずに使命を達成しようと努力する。だがトレメーンを愛している弱みのために、彼女はハギをしばしばいらだたせる。そしてトレメーンはとうとう日本の外交官で情報員の松本から、ソーニャがスパイであることを聞き知る。一方松本自身は、ハギのもう一人の女情報員キティの術中に陥る。彼女は彼を誘惑し、彼から秘密書類を盗み取る。何が起きたかを知った松本は、切腹する。キティは書類をボスのハギに渡し、褒美として本来ソーニャに与えられることなっていた真珠をもらう。ハギ自身は、この世界で一番強力な男になるという、年来の夢の実現が間近くなったので、すっかり有頂天になる。
 彼はソーニャが最後の使命を果たしたら、静かに暮らさせてやろうと言い、きわめて重要な書類を外国へ運ぶよう命ずる。ソーニャはハギが、トレメーンをもう邪魔しないとう条件で、これに応じる。ハギはその条件を容れるが、それから冷然と、トレメーンの生命にかかわるような計画をたてる。
 他方トレメーンは、書類が盗まれてしまったにもかかわらず、当面の協定締結を何とか安全におこなわさせるために、防諜部長のジェーソンと一緒に、絶望的な努力を続ける。彼らはネモという名前で、あるヴァライエティ劇場に、道化役として出演している彼らの情報員の一人を訪ねる。ネモはは協定締結を守るための秘密活動を請け合う。ハギはトレメーンが汽車で旅行するのをねらって、彼の乗っている寝台車を、トンネルの中で切り離し、後続の列車と衝突させて殺してしまおうとする。
 しかしちょうど外国へ保養旅行に出掛けようとしたソーニャは、窓越しに向かい側の列車にトレメーンがいるのを見て驚く。列車は発車し、彼女はその最後の車両の番号33133を見送る。衝突することになるのは、彼女の乗った汽車である。トンネルに入ると、ハギの部下のモリールと列車のボーイが連結器をはずし、トレメーンの乗った寝台車は逆戻りして止まる。廊下に出てトンネルをのぞき込んたトレメーンは、列車が突進して来るのを見て、驚いて後ずさりする。そして衝突。
 車両番号33133がトンネルの中で事故に会ったことを知ったソーニャは、トンネル内を急いで行く。瓦礫の山から手が一本突き出ているのを見て、ソーニャは愕然とするが、更に突然敵の情報員に自分のこめかみにピストルを突きつけられて、悲鳴をあげる。だが次の瞬間、突き出ていた手がこの悪漢の足を掴んで倒す。トレメーンは生きていたのだった。
 それからトレメーンとジェーソンは遂に、半身不随のような銀行頭取のハギが、実はシパイ組織のボスではないかと疑う。他方スパイ組織の中枢となっている銀行では、探偵ナンバー326が生きていること、ソーニャが裏切ったことを知る。そこでハギはソーニャをさらって来させて、銀行に監禁する。警察が銀行に急行し、ハギの秘密の部屋を捜す。ハギはソーニャを脅迫し、銀行をガスで吹き飛ばすと言う。トレメーンは危ういところでソーニャを救うことができたが、ハギは逃げてしまう。
 ハギを追った警察は、道化役のネモがハギに他ならないことを発見する。ネモの出演しているヴァライエティ劇場に警察が踏み込むと、今はもう最後と観念したネモは、「バンドマスター、音楽を!」と叫び、まるでそれがミューカルの山場であるように見せかけて、舞台上で自殺する。何も知らない観客が拍手している間に、幕が下ろされる。
【解説】『スピオーネ』はフリッツ・ラングの映画の中では、あまり知られていない作品だった。一つには当時世界に配給されたのが、短縮版だったため、『ドクトル・マブゼ』の場合と同様、重要な点が理解されなかったためでもあった。二つには、その前に作られて『メトロポリス』が商業的に失敗したため、ラングがそれを取り返すため、スパイ映画というような際物のセンセーショナリズムに落ちたと見られてためである。更にラング自身が認めている通り、スパイ組織は当時ロンドンにあったソヴィエト通商代表部に擬されており、クライン=ロッゲ演ずるハギの扮装は、トロツキーに似せてあったため、反ソ・スパイ物という偏見で作られた作品と見なされ、俗悪センセーショナリズムの烙印を押されてしまったためでもある。
 ところが1978年のニューヨーク映画祭で、ファスビンダー、トリュフォー、シャブロルといった、当時の新人映画作家の作品と並べてこの作品が上映されると、大反響を呼んで、『マブゼ』、『ニーベルンゲン』、『メトロポリス』以上という評価を受けることになった。それはエンノ・パタラスの復元作業によって、完全版の上映が可能になったためである。それゆえジークフリート・クラカウアーのように、この作品を「空虚なセンセーションが実質的意味を啓示するかのような見せかけを与えたりしなければ、アルフレッド・ヒッチコックのスリラー映画の真の先駆者たり得たであろう」と評価すべきか、「フィルム・コメント」誌のエリオット・ステインのように、「ラングの最良の映画の一つ、したがって世界で一番良い映画の一つ」と評価すべきは、ラングとハルブの映画の持つ特異なキッチュ性を、どこまで重んずるかにかかっている。
 だが少なくとも、こうは言える。「007スパイ・シリーズ」はおろか、ヒッチコックすら、恐怖の絶頂から驚くべき喜劇へ急転するラングの腕前を凌駕するのは、容易ではないだろう、と。
【映画評】「シュピオーネ」合評(高原富士郎/安田清夫/浅岡吉男/佐々木富美男/槇本冬雄/赤石修三)――
高原 これから「シュピオーネ」の合評をやります。先ず原作、脚色から。
浅岡 あれはアメリカで編輯したものだ。
高原 大戦後の各国の紛乱の乗じた国際間の秘密を探ろうとする間諜団の活動を描いたもの、それがロマンスを交えて割合現実的に扱われてる。
安田 そう云うところを掴んだのは、ハルボウのロマンティズムと相俟って面白い。
槇本 ハルボウの作品としては今までのものよりも幾分現実的なところがあった。
高原 複雑な筋を巧みにスピードをもって纏め上げたハルボウの老巧さは敬服に価する。
浅岡 初めの方で人物の出し方が混乱してrがあれはアメリカで編集したせいだろう。
安田 監督フリッツ・ラングは手法に於て初期の作品「ドクトル・マブゼ」の味を見せた。殊に最後の大活劇のスピードとタイトルの出し方に於てそれを見せた。
赤石 新しい題材を使ってつ割合には古典ものの味が出すぎてる。然しそれがそう甚しく気にならないところはハルボウの功績と云えようか。
高原 日本の風俗などに関する考証は今までのものに比して遙かによく行届いている。
佐々木 殊にあの腹切の場面は圧巻だね。
高原 列車の衝突の場面、銀行内の最後の格闘の場面が良い。全体として重々しいドイツものに比して遙かにスリルとサスペンスとスピードをもってる。
安田 ワグナーのカメラはオットー・フンテのセットと相俟って効果的だ。
赤石 汽車の衝突の場面のカメラ・アングルなど殊に優れてる。
槇本 ハギに扮するルドルフ・クラインロッゲは昔からラングと協力して、ラングの気質をのみ込んでよく動いている。
赤石 ハギははまり役だ。
高原 松本博士を演るルプ・ピックは、彼自身名監督だけあって、武士道精神をもった日本人の味をよく出している。
安田 ピックはドイツ映画芸術家保護協会の会長だ。
佐々木 ゲルダ・マウルスはラングに見出された未来ある女優だ。
浅岡 其の他の俳優もラングの名指導によって皆良いね。
赤石 全体として、ラングものとしては非常に興味本位の一般受けのする作品だ。
高原 鹿も従来と同じく舞台の大きい作品でラングの他の作品に比して消して劣るものではない。殊に従来と変ってスピードをもっている。(『映画評論』、昭和5年3月号)

1928.4.21
『邪道 Abwege』
G・W・パプスト監督、シナリオ:アドルフ・ランツ、ラディスラフ・ヴァイダ、撮影:テオドール・シュパールクール
【キャスト】ブリギッテ・ヘルム、グスタフ・ディースル、ジャック・トレヴァー、ヘルタ・フォン・ヴァルター
【解説】結婚生活に退屈し、他の男たちを愛し始めるが、とうとう彼女の夫も夫としての義務に目覚めるドラマ。

1928.7.14
『午前の幽霊 Vormittagsspuk』
ハンス・リヒターの実験映画
【解説】アニメーション、コラージュ、逆廻しなどをまじえたエチュード。ヒンデミットとミヨーが共演している。

1928.8.3
『逃避 Zuflucht』
カール・フレーリヒ監督
【キャスト】ヘニー・ポルテン、フランツ・レーデラー、マルガレーテ・クッパー
【解説】幻滅した革命家の心理劇。

1928.8.29(日本封切り1930.4.2)
『帰郷 Heimkehr』
ジョー・マイ監督、レオンハルト・フランクの小説『カールとアンナ』による
【キャスト】ラルス・ハンゾン、ディータ・パルロ、グスタフ・フレーリヒ
【解説】ベルリンの「グロリア・パラスト」で封切り。シベリアで捕虜生活を送っていた二人の友人の一人が逃亡に成功する。残された一人がようやく帰国したとき、自分の妻が先に帰った友人のものになったことを知る。『西部戦線異常なし』などの戦争文学の第二のブームと重なった映画。日本公開では何でもない場面が検閲でカットされた。

1928.9月
アメリカ映画『ジャズ・シンガー The Jazz Singer』
アラン・クロスランド Alan Crosland監督、アル・ジョルソン主演
【解説】世界最初のトーキー映画ベルリン封切り。

1928.9.10
アメリカ映画『懐かしのハイデルベルクの学生プリンス The student prince in Old Heidelberg』
【解説】マイヤーフェルスターのセンチメンタルなドラマ『アルト・ハイデルベルク(懐かしのハイデルベルク)』による、ルビッチュ監督のアメリカ映画封切り

1928.9.16
『宙返りLooping the Loop』
アルトゥール・ロビソン監督、ウーファ映画
【キャスト】ヴェルナー・クラウス、イェニー・ユーゴ Jenny Jugo
【解説】エーリヒ・メンデルゾーンがクーアフュルステンダムに建てた複合「ヴォーガ」建築の中の映画館「ウニヴェルズムDas Univerusum」(1763席)開業し、プレミアに上映された。サーカスの雰囲気の中でのメロドラマ。

1928.10.8
「トーキー映画株式会社」設立
「アー・エー・ゲーAEG」社と「ジーメンス Siemens」社が「トーキー映画株式会社 KLANGDILM GMBH」を設立。資本金は300万マルク。

1928.10.24
『つながれた性 Geschlecht in Fesseln』
ヴィルヘルム・ディーテルレ監督、シナリオ:ヘルベルト・ユトケ、ゲオルク・C・クラーレン、撮影:ヴァルター・ローベルト・ラッハ
【キャスト】ヴィルヘルム・ディーテルレ、マリー・ヨーンゾン、グンナル・トルネス
【解説】囚人たちの性的幻想と嫉妬からくる妄想イメージ。

1928.12.3(日本封切り1929.5.22)
『マッターホーン Der Kampf ums Matterhorn』
マリオ・ボナール、ヌンツィオ・マラソンマ監督、シナリオ:アルノルト・ファンク(カール・ヘンゼルの小説による)、撮影:ゼップ・アルガイヤー、ヴィリー・ヴィンターシュタイン
【キャスト】ルイス・トレンカー、ハンネス・シュナイダー、エルンスト・ペーターゼン

1928.12.14
『人類の進化 Natur und Liebe』
【解説】ウーファの文化映画で、性生活の場面と人類の誕生と発展の壮大な場面とを結合(クラカウアーS149)

1929
1929
『恋――生命の危険に注意 Achtung, Liebe--Lebensgefahr』
エルネ・メッツナー監督
【解説】記録映画、(クラカウアー201n)

1929
『春の目覚め Fruhlings Erwachen』
リヒャルト・オズヴァルト監督

1929
『夜はわれわれのもの Die Nacht gehört uns』
カール・フレーリヒ監督
【解説】クラカウアーp216

1929
『ベルリンの市場 Markt in Berlin』
ヴィルフリート・バッセ監督、製作:バッセ映画
【あらすじ】「大都市ベルリンには、単に速いテンポと往来が支配しているだけではない。ベルリン西区のもっともにぎやかな営みの中にすら、牧歌的な小都市生活が息づいている。ヴィッテンベルク広場の週市」というタイトルで始まる。
 場景は空っぽのヴィッテンベルク広場から始まる。それから二人の人物が登場し、テントやスタンドの建設が始まる。その長たらしい手順を圧縮するために、ストップモーション・カメラが使用される。屋台が一杯に並んだ広場は、活気づいてくる。粋な繁華街の広場が、タイトルに言う通り、牧歌的な田舎町の雰囲気に変わる。
 カメラは広場をめぐる家々で、人々が起き出す情景の描写に移る。寝具を干すカット、石鹸をつけて髭を剃ろうとしている男、シャッターが上がり、店が開かれる。朝の活動の開始である。
 市が始まる。小太りした女の姿をカメラが追う。肉屋の屋台、締められてぶら下げられたニワトリや、生きたままのニワトリ、卵も台の上に載っている。カメラは次々に屋台を捉えていく。値切っている主婦たち、がっしりした市場の女たち、止まっている二台の馬車、大人の手に掴まったり、遊んだりしている子供たり、葡萄の山、ソーセージを売っている男、市場の情景が実に色彩豊かに映し出される。
花々の展示。花は市場の重要な点景である。花を持った老婆たち、若い女が花を買う。のらくらと、あるいはセカセカと通行人が一杯に詰まった買い物かごを持って往来する。買った品物を入れた籠や袋を、タクシー乗リ場まで市場の物売りに持参させる女、電車の乗る女、見回るお巡り。市場は今が盛りである。
 やがて市場は終わりに近づく。潮が引くように雑踏がおさまり、閑散としてくる。台の取り片付けが始まり、水をかけて掃除をし始める。日よけをたたんで、屋台を取り外す。そしてカメラは撒き散らされたくずを写す。ごみをあさって拾い集めた物を、袋に入れて持ち去る老婆。広場は再び元の姿にかえる。清掃人がごみを掃き集めて、車に載せる。水を撒いて街路の清掃が始まる。映画はきれいになった石畳が、次第に乾いていくクローズアップで終わる。広場の牧歌的情景は消え失せる。
【解説】このサイレント映画は、ベルリン西部の中心「ヴィルヘルム皇帝記念教会堂」から延びる繁華街、タウエンツィーン街の終点にあるこの広場で、週一回開かれる「市」の模様を撮影したドキュメンタリー映画である。
 それ以上でもそれ以下でもない。何の科白もない、いわば何の変哲もないこの映画が、映画史上のリアリズム問題との関連で、特別な位置を与えられているのは、この時期のドイツでドキュメンタリー映画の新生面が開かれ、この映画もまさにそうしたものとして、きわめて新鮮な印象を与えたからである。
 大都会の生活をドキュメンタリー・ショットの組み合わせで描き出す、当時のいわゆる「横断面映画」は、ロシアのジガ・ヴェルトフが『これがロシアだ』で始めた、新しいドキュメンタリーの手法に刺激されて始まったものだった。ブルジョア的手法を排して、「その場でとらえた」要素だけで構成したヴェルトフの「映画眼」という手法は、ドイツではヴァルター・ルットマンによって、ドイツの新しい現実である「大都市」の街頭風景を捉える手法として応用された。革命によって出現した新しいプロレタリア社会と捉えるヴェルトフの姿勢と、サラリーマン中間層の肥大によって出現した大都市大衆社会を捉えるルットマンの姿勢との違いは、両者が眼を向けた新しい現実の違いに、正確に対応している。『ベルリンの市場』は、ルットマンのドキュメンタリーに見られる「構成」を排して、ヴィッテンベルク広場というただ一つの場所の時間的推移を、何の注釈もなしに展開している点で、当時の芸術傾向だった「新即物主義」的態度を、更に徹底させている。『デモーニッシュなスクリーン』の著者ロッテ・アイスナーは、こう批評している。
「ヴィルフリート・バッセの『ヴィッテンベルク広場の市場』には、新しい客観主義がもったいぶったところなしに表現されている。ルットマンは『伯林ー大都会交響楽』において、自分のインプレッションのために、さまざまな印象の渦を混合し、交響楽的な下地から際立たせるためのシンボルを必要としたが、バッセはそうしたルットマン風のカメラトリックなどは、全然必要としない。バッセの映像は束の間のもの、ただそこにあることの偶然性を描く。ここでは何一つとして解釈はされず、何一つとして絵画的に描かれてはいない。それは大変稀な表現である」。
 僅か15分の短編ではあるが、1920年代のもっとも印象深い無声記録映画の一つである。

1929
『人生はかくの如し So ist das Leben』
カール・ユングハンス Carl Junghans監督、シナリオ:カール・ユングハンス、装置:エルンスト・マイヴァース
【キャスト】ヴェーラ・バラノフスカヤ、テオドール・ピシュチェク、マーニャ・ツェニセク=ピシュチェク、ハインリヒ・プラハタ、エディット・レーデラー、ウーリ・トリデンスカヤ、ヴァレスカ・ゲルト等
【あらすじ】プラハの町の貧民街に、一人の洗濯女が絶望的な生活を送っている。同じ境遇の隣人たちの生活も似たようなものである。給料日の今日、金を受け取るのが一番大事なことである。金が入ると男たちは安酒場で酒を飲む。石炭商のところに勤めている彼女の夫は、いつものことだが、土曜日にはもう週の稼ぎを飲みつぶしてしまう。彼女の娘はマニキュア師をして稼いでいるが、とても暮らしの足しにはならない。そこで彼女は下着類の洗濯女として、これも僅かの稼ぎで、何とか家族を養っていこうと苦労している。今日も夫の給料日に、毎度の情けない悲喜劇が繰り返されたのち、彼女は疲れて死んだように寝てしまう。
 明ければ日曜日、だが彼女は他の人々のように、河畔で楽しく遊んだり、休んだりしているわけにはいかない。洗濯物を草原に広げて乾かしながら、しばしの休みを取るのだ。彼女の顔に浮かんだほっとした微笑も、急な雨模様に慌てて洗濯物を取り入れる騒ぎに、たちまち曇ってしまう。そしてプラハの有名なカレル橋を、足を引きずりながら、洗濯物を入れた車を引いて行く彼女の姿は、哀愁に満ちている。
 明ければ飲んだくれの亭主にとっては、「二日酔いでけだるい月曜日、怠慢は悪徳の始まり」である。石炭商の店では、人夫が石炭をスコップでかき上げている。だがずる休みをした彼女の夫は、一生懸命洗濯に精を出す彼女を尻目に、平気で遅刻する。そして仕事をうるさく監視する親方に石炭をぶっかけられる。そして結局クビになってしまう。しかし彼は稼いだ金はいつもみんな自分の飲み代と女に使っているので、女房の洗濯女は夫がクビになったことに気づかない。間の悪いことに、マニキュア師の娘も、マニキュアをしに来て思わせぶりな振る舞いをするプレイボーイどもの行動を我慢しようとしなかったために、父親と同様クビになってしまったのだった。今やすべての重荷が、女房の洗濯女の肩にのしかかってきた。
 そして彼女は忙しさのあまり、自分の誕生日が来たことなど、思い出しもしない。しかし近所の人たちのほうが、それをよく知っていた。大いにもてなしてもらうつもりでいたのだ。ところが彼女がもてなしの準備に追われているすきに、ぐうたら亭主は財布を捜し出して、彼女が部屋代のために取っておいたお金をくすねて、安酒場に出掛けて行き、給仕女といちゃつきながら、有り金をすっかり飲んでしまう。そうとは知らない彼女は、できる限り豪華にテーブルをととのえ、隣近所の人たちを呼んで祝宴を開いた。祝いの歌を受けた彼女の眼には、涙が浮かぶ。「与えるは取るよりも幸いなり」。久しぶりにダンスをする彼女の顔は、いささかの人生の喜びに輝く。他方ぐうたら亭主のほうも、酒場で女を抱いて踊っている。そして酔っぱらって、酒瓶を一本ぶら下げて帰って来る。はっと気づいた彼女は、急いで隠しておいた財布を取り出してみる。そして金が無くなっているのを知って、泣き崩れる彼女の哀れな姿。
 だが「弱り目にたたり目」である。翌日、台所で酒瓶を探し出して飲んでいる亭主に、帰ってきた彼女は遂に食ってかかる。すると亭主は逆上して、皿を次々に床に叩きつけて、こわし始める。長い間堪え忍んできた彼女は、遂に怒りを爆発させ、酒瓶を振りかざして夫に迫り、とうとう夫を追い出してしまう。彼はふてくされて、女のところへ行ってしまう。彼女は娘を抱きしめて泣く。
 「神は愛する者をこらしめる」。洗濯に精を出している彼女の部屋へ、隣の小さな子供がやって来て、鞠遊びをしているうちに、窓から落ちそうになる。それを助けようとした彼女は、熱湯を入れた大きな洗濯桶を、あわててひっくり返し、大火傷をしてしまう。叫び声を聞いた隣近所の人たちが助けに来て、彼女を寝床に運ぶ。そして女と一緒に寝ていた彼女の夫を探して、連れ戻す。医者が去った後、ぐうたら亭主はやっと死の床の妻に寄り添う。だが今更看病しても無駄である。時を告げる役をする時計の骸骨が、死の時を告げる。夫はただ死んだ妻の目を閉じてやることが出来ただけである。
 「幸いなるかな貧しき者、天国はその人のものなり」。人々は行列を作って埋葬に行く。神父のお経、棺が穴に下ろされ、夫が土をかける。すべて型通りである。埋葬が済んだ後、参列者は貧民街の安酒場に行って、コーヒーとお菓子で、葬儀の宴を開く。改めて涙に暮れる老婆の顔には、過労と心労が刻み込まれている。洗濯女の死の原因も、ぐうたら亭主のせいでもなければ、愛人の子供を宿してしまった娘のせいでも、熱湯のせいでもない。本当の原因は彼女の人生そのものだった。だがベートーベンの葬送行進曲がピアノで奏でられる中を、支払いを済ませて立ち去って行く参列の隣人たちは、何百万人という無名の死者の一人である彼女こそ、「英雄」の葬送にふさわしかったことを感じていた。
【解説】トーキー時代に乗り遅れて、プラハで封切り後、ようやくベルリンで公開されたこの サイレント映画は、チェコの中でもドイツ人居住者が多かったズデーテン地方出身のカール・ユングハンス監督が製作した、ドイツ・チェコ合作映画で、プラハの貧民街を舞台としている。左翼のドイツのジャーナリストだったユングハンスは、この洗濯女の悲劇を映画化しようとする企図に、ドイツでは何の支持も得られなかった。しかし彼の企てに、有名なチェコの俳優テオドル・ビシュチェクが関心を示し、彼のために4万マルクを調達してくれた。こうして1920年代プラハの労働者階級の生活を、もっともリアルに描いた映画が誕生した。ユングハンスが1925年にシナリオを書き上げた時には、舞台は本当はドイツのドレスデンに設定されていたのだから、舞台がプラハに移ったのは、まったくビシュチェクの誘いに応じた結果である。
 ユングハンスの伝えるところでは、最初「プロメトイス映画」社が4万マルク出すことになっていたが、その際階級闘争的なスローガンを付けた「肯定的」な結末にすることを希望し、彼がそれを拒むとキャンセルしてしまった。「階級闘争にとって積極的な結末」というのは、当時の左翼の固定観念だった。キャンセルされたおかげでこの映画は、今日見てももったぶったところのないリアリズムで、深い感銘を与えてくれる。そこに描き出された日常生活は、詩的に美化されてもいないし、アジテーション用に悪用されてもいない。
 出演俳優は、ビシュチェクが無報酬で出演したのにならった。主役のヴェラ・バラノフスカヤは、プドフキンの『母』(1926)の主役を演じた俳優である。撮影は1929年に、数週間で完成していた。しかし配給業者が見つからなかった。ウーファ映画社がやっと引き受けて、1930年5月にやっと公開された時には、もうトーキー時代が始まっていた。観客はサイレント映画には関心を示さず、この映画はその犠牲となって、ほとんど知られないままになってしまった。その意味でこの映画は、チェコ・サイレント映画の白鳥の歌だった。同時にそれはプラハのプロダクションの、芸術的成熟を証明するものだった。また1920年代末のドイツ映画の傾向、ベルリン下町情緒の画家ツィレにちなんだ「ツィレ映画」との、密接な関係も読み取ることができる。ただ舞台がチェコのプラハに移されたために、ユングハンスが最後に残った120メートルのフィルムを使って、僅か3時間で撮ったプラハの貧民街のロケーションは、今日の観客に、1920年代プラハの街の、独特のローカル・カラーを湛えた雰囲気を伝えてくれている。
 映画のクライマックスは、洗濯女の誕生日の祝いの場面と、埋葬の済んだ後の貧しい会食の場面である。誕生日の祝いという見せかけの幸福が、かえって主人公の生活の貧しさを、白日の下に暴露する。にもかかわらずパラノフスカヤが演ずる洗濯女の姿は、静かな品位を湛えている。パラノフスカのすぐれた演技の力である。しかしロッテ・アイスナーは『母』での演技ほどには買っていない。彼女は「シチュエーションがあまりに絵画的である。人生は絶対にかくの如くではない」と、否定的に評価している。
 カール・ユングハンスはこの映画以外には、重要な作品は何も作らなかった。そしてナチ時代にアメリカに亡命した。1964年に彼は、この映画のサウンド版を作ったが、音楽と音を少し入れただけである。

1929.1月はじめ
ロシア映画『アジアの嵐 Potomak Tchings-Khan』
【解説】ロシアのプドフキン監督出席の下で、ベルリンで上映。

1929.1.7
『奥様、お手にキッスを Ihre Hand,Madame』
ローベルト・ラント監督、
【解説】ハリー・リートケのファン向け映画、ベルリンの「タウエンツィーンパラスト」で封切り。ヒット曲を当て込んだ際物映画。(「ベルリン3」p113)

1929.1.18
『第三学年生の戦い Der Kampf der Tertia』
【解説】迷子の猫を捕らえて皆殺しにするのを妨害しよう企てた学校仲間の少年たちの、ホメーロス的な救援戦争を描いた作品で、そこには思春期の情緒に対する物わかりのよい理解が示されている。迷い猫を殺す街の少年たちを扱って、若者問題を浮き彫りにした。(S・クラカウアーs159)

1929.2.9(日本封切り1930.2.13)
『パンドラの箱 Die Büchse der Pandora』
ゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト監督、シナリオ:ラディスラフ・ウァイダ(フランク・ヴェーデキントの戯曲『地霊』(1895)と『パンドラの箱』(1929)による、撮影:グンター・クランプフ、装置:アンドレイ・アンドレイエフ、ゴットリープ・ヘッシュ、製作:ネロ映画
【キャスト】ルイーズ・ブルックス(ルル)、フリッツ・コルトナー(シェーン博士)、フランツ・レーデラー(アルヴァ・シェーン)、カール・ゲッツGoetz(シゴルヒ)、アリス・ロベール(ゲシュヴィッツ伯爵夫人)、クラフト・ラッシュ(ロドリゴ・クヴァスト)、グスタフ・ディーゼルGustav Diesel(切り裂きジャック)、デージィ・ドーラ(シェーン博士の婚約者)、ミヒャエル・フォン・ネフリンスキー(カスティーピアーニ侯爵)、ジークフリート・アルノ
【あらすじ】ヒロインのルルは生まれた場所も素性も不明の、大変セクシーではあるが、男達をみな破滅させる魔性の女である。今は新聞社主で、あるレヴュー劇場の共同出資者のシェーン博士が、彼女を愛人にしている。彼女はあるエレガントなアパートに住んでいるが、集金人に金を払っているところへ、かつての養父シゴルヒが訪ねてくる。彼はルルが物心ついた頃から、彼女の保護者であり、師匠だった。彼女は彼を部屋に入れ、再会を楽しむ。シゴルヒは彼女がシェーンの愛人になっていることを、穏やかに非難し、ショーガールだった昔に戻るようにと忠告する。そしてそれにはちょうど良いパートナーがおり、もう下の通りで待っているという。その力自慢の男ロドリゴは、「大掛かりなヴァライエティ・ショーで、彼女と一緒にステージに立つことを希望している」のである。
 ところがそこへ思いがけずシェーンがルルを訪ねてくる。シゴルヒは姿を隠す。シェーンはルルに、自分は内務大臣の娘と婚約したと打ち明け、別れ話を持ち出す。しかしルルは承知せず、改めて彼を誘惑する。シェーンが出ていくとシゴルヒは、通りで待っているロドリゴに、上がってくるようにと言う。ロドリゴはルルに、自分がどんなに強いかを示す。ルルは笑いながら彼の筋肉の力を賛美する。
 一方シェーンの家では息子が作曲家のアルヴァと、コスチューム・デザイナーの若い伯爵夫人ゲシュヴィッツが、新しいレヴューを作る仕事をしている。するとルルがやってきて、ロドリゴと一緒にヴァライエティ・ショーに出演するのだと、誇らしげに話す。その際ルルがアルヴァに特別に懇ろな好意を示すと、父のシェーン博士とルルにレスビアン的な愛情を抱いている伯爵夫人とが、嫉妬する。ルルが行ってしまうと。アルヴァは父に、なぜ退屈な大臣の娘の代わりに、ルルと結婚しないのかと尋ねる。シェーンは息子に「男はあんな女とは結婚しない。それは自殺行為だ」と答える。彼はアルヴァに、ルルと関わるなと警告する。そしてルルがロドリゴと一緒に出演する計画を話すと、シェーンはアルヴァとゲシュヴィッツが作っている新しいレヴューに、二人で出るように勧める。
 レヴューの初演の時、シェーンは舞台裏で、彼の劇場のメンバーを自分の若い婚約者に紹介する。ルルはそれを屈辱だと感じて、舞台に出ることを拒む。楽屋でシェーンは、ルルの考えを変えさせようとする。ルルはその機会を利用して彼を誘惑する。そこへシェーンの婚約者がやって来る。ルルは誇らしげに舞台に出て、婚約者は惨めな気持ちでそっぽを向く。大臣の娘との結婚はご破算になり、その代わりにシェーンはルルと結婚する他はなくなる。
 結婚式のレセプションでの一番陽気な客は、シゴルヒとロドリゴである。だが結婚したからといって、ルルは貞淑になったりはしない。彼女はゲシュヴィッツ伯爵夫人と大変親密に踊ってみせる。シェーンとお客達は憤慨する。夜遅く酔っぱらったシゴルヒとロドリゴがルルと一緒に新婚のベッドを花で飾っているところへ、アルヴァがやってくる。そして彼も彼女の虜となる。シェーンが寝室に入ってきた時にちょうど、アルヴァがルルに愛を告白しようとしていた。シェーンはシゴルヒとロドリゴにピストルを突きつけて、家から追い出す。寝室に帰ってみると、眠り込んだアルヴァの頭をルルが膝に載せている。アルヴァが行ってしまった後で、シェーンはルルにピストルを渡し、自殺を強要する。そして「お前はあらゆる人間に、禍しかもたらさない」、愛想が尽きたと言う。争いになり、ルルは「死んでしまえ、それが私たち二人を救う唯一の道よ」と、シェーンに向かってピストルを発射する。シェーンはルルにしがみつくが、くずおれて倒れる。そして介抱するアルヴァに、「気を付けろ、次はお前だぞ」と叫んで、死ぬ。
 ルルは法廷に引き出される。だがシゴルヒやアルヴァは、彼女をかばう。そして「この不幸な女性は人殺しではありません。彼女は潔白なのですから、釈放されなくてはなりません」と言う。それに対して検事は「ギリシャの神々は女性ーーパンドラを作りました。彼女は美しく、刺激的でした。しかし神々は彼女に、この世のあらゆる悪を封じ込めた小箱を与えました。この不注意な女がそれを開き、災厄がわれわれに襲いかかったのです。私は死刑を求刑します」と言う。しかしルルは彼女の魅力で裁判官や検事をも惑わし、判決は殺人罪で5年の懲役ということになる。
 判決が下されている間に、ルルの友人達は火災報知機を鳴らす。そして混乱に紛れて、ルルを脱出させる。アルヴァ、シゴルヒ、ロドリゴそしてゲシュヴィッツは、彼女と一緒にパリに逃げる。だが途中汽車の中で、ひもで少女売買業者カスティ・ピアーニ侯爵が、彼らの写真入りの新聞記事から、彼らの正体を暴く。彼はアルヴァに財産の大部分を提供させて、沈黙をあがなわせる。そして彼はルル一行を、ある港町の、賭博場に改造された船に連れていく。ここでも災難が重なる。アルヴァはいかさま賭博で捕まる。ルルはロドリゴに迫られ、代用品としてゲシュヴィッツを彼にゆだねる。しかしゲシュヴィッツは彼に身を任せようとはせず、彼を殺してしまう。カスティ=ピラーニはルルを、エジプトのカフェの所有者にダンサーとして売り飛ばす。だが此の騒ぎは、警察が賭博船に手入れをしたことで終わりを告げる。男装して這々の体で逃げ出したルルは、シゴルヒ、アルヴァと共に、ボートでロンドンに高飛びする。
 ロンドンでの生活は、落ちぶれて屋根裏部屋で暮らす惨めな生活である。そしてパンも買えないほど窮迫したルルは、遂に身を売る。クリスマスの夜彼女は街角に立つ。そこには救世軍が貧しい人々のために世話をしている。そして「ロンドンの女性への注意」という掲示も出ている。「若い女性が四人殺されているので、婦女子はすべて、保護なしに夜は外出しないよう注意されたい」。そこへ霧の中から憂鬱な男の姿が現れる。救世軍の女性が彼に、クリスマスのヤドリギの枝を与える。彼は売春婦を殺して全身を切り裂いた、悪名高い切り裂きジャックだった。客を捜していたルルは、彼の手を取って家に連れ込む。「金はない」と言ったにもかかわらず、彼女は「気に入ったから」と、彼を誘ったのである。部屋の中で二人は抱擁する。するとジャックの目は、テーブルの上の燃えている蝋燭の側にあるナイフを見つける。ジャックの表情が変わり、ナイフを取ってルルを刺す。救世軍がクリスマスの歌を歌いながら、夜の霧の中を行進して行く。ジャックは暗闇の中に姿を消す。そして救世軍の行進を見物している人波の中で、アルヴァがすする泣いている。
【解説】(ヒロインに扮したルイーズ・ブルックスの奇跡として知られている)。
 この映画の基礎となっているのは、フランク・ヴェーデキントのドラマ『地霊』と『パンドラの箱』である。しかし実際にはそれは、パプストによって、映像そのものはきわめて冷酷なリアリズムではあるが、全体としては荒唐無稽な異常な作品に作り替えられている。スクリーン上には厳密に計算されたリズムで、シゴルヒ、シェーン博士、ゲシュヴィッツ伯爵夫人の顔が繰り返し現れ、その間にルルの熱病のような生活が映し出される。
 パプストはきわめて特異なリアリズム映画の監督である。『喜びなき街』(1925)、『懐かしの巴里ージャンヌ・ネイの恋』(1927)においては、一応まだ社会派的リアリズムの枠が保持されていたが、1929年の『パンドラの箱』と『倫楽の女の日記』に至って、はっきりと彼のリアリズムの特質である、異常なセックスの歪みの暴露に走った。そのあくの強さのために今日に至るまで、賛否両論にわかれた評価がなされている。しかしロッテ・アイスナーは『パンドラの箱』を、パプストの映画製作の頂点であるとして、ほとんど不安を感じさせるほどに豊かに変化する、この作品の雰囲気を指摘している。
 そしてそうした特異な映像を可能にしたのが、ヒロインに扮したアメリカ女優ルイーズ・ブルックスの不気味なまでに微妙な陰影の与える印象である。封切り当時の観客は、それを演技力の不足としか見なかったが、元来二流の映画女優に過ぎなかったブルックスから、「ルイーズ・ブルックスの奇跡」と呼ばれる不思議な味を引き出したところに、パプストのパプストたるゆえんがあった。
 ついでながらこの映画は、「ネロ映画」会社を作ったネーベンツァールが製作した最後のサイレント映画だった。トーキー時代に入った「ネロ映画」社は黄金時代を迎えるが、『パンドラの箱』のような映画はもう作らなかった。
【監督略歴】1887年にオーストリアに生まれ、はじめは舞台俳優兼演出家として、ヨーロッパとアメリカを回っていた。第一次世界大戦後ベルリンに出て、映画に転じ、1923年、ヴェルナー・クラウス主演の映画『財宝』を作った。しかし彼が非情なリアリズムの映像とメロドラマ調を兼ね備えた特異なスタイルを確立するのは、『喜びなき街』(1925)からである。このスタイルは『懐かしの巴里』において完成し、以後『パンドラの箱』、『綸落の女の日記』の異常な暴露映画、『心の不思議』(1927)の先駆的精神分析映画、『西部戦線1918年』(1930)の荒涼たる戦場風景の衝撃的反戦映画、メロドラマ的傾向と暴露的傾向の交錯する『三文オペラ』(1931)、友愛の平和主義を歌い上げた『炭坑』(1931)と、きわめて多彩な傑作を残した。
 しかし1932年には、そうした政治的高揚から一転して、逃避主義的な『アトランティード』を作り、ナチ時代にフランス、アメリカに逃れてからは凡作しか作らなかった。そして1939年にヴィーンに移り、『喜劇役者』(1941)、『パラケルスス』(1943)、『ローベルト・コッホ』(1939)などを作った。第二次世界大戦後はユダヤ人迫害を扱った『審判』(1948)によって、ヴェニス映画祭最優秀監督賞を得た。

1929.2.14
『生ける屍 Das lebende Leichnam』
トルストイ原作、フョォードル・オツェップ監督

1929.2.16
『灼熱の心 Das Brennende Herz』
ルートヴィヒ・ベルガー監督
【解説】ベルリンの映画館「ウーファ・パラスト・アム・ツォ ー」で封切り。

1929.3.7
『令嬢エルゼ Fräulein Else』
アルトゥール・シュニッツラー原作、パウル・ツィンナー監督、シナリオ:パウル・ツィンナー(アルトゥール・シュニッツラーの小説による)、撮影:カール・フロイント
【キャスト】エリーザベト・ベルクナー、アルベルト・バッサーマン、アルベルト・シュタインリュック
【解説】父の負債を助けようとして、そのために破滅する美しい娘の悲劇。

1929.3.11(日本封切り1930.1.25)
『アスファルト Asphalt』
ジョー・マイ監督
【キャスト】Gustav Frohlich、Betty Amann
【解説】警官が宝石泥棒の女に誘惑され、殺人の嫌疑を受ける。メロドラマとしての通俗物語り。アスファルトの舗道が中心モチーフとなった新しい街路映画。

1929.3.12(日本封切り1931.3.13)
『世界のメロディー Melodie der Welt』
ヴァルター・ルットマン監督
【解説】ドイツ最初の長編トーキー映画。交響楽としての船旅。

1929.3.15
『ヴァルデンブルクの飢え Hunger in Waldenburg』
ピール・ユッツィ監督、シナリオ:レオ・ラーニア(ホルメス・ツィンマーマンと無名の男女の労働者たちの関与)
【解説】職工夫妻の息子が失業し、町に出ても幸せを見いだせない状況についての、ドキュメンタリー的劇映画。

1929.4.3
『できごとPolizeibericht Überfall』
【解説】エルネ・メッツナーの短編映画、映画検閲部で禁止。その理由は「映像で犯罪の表現が自己目的」。劇化された新聞の小記事として傑作。

1929.4.15(日本封切り1930.9.17)
『ニーナ・ペトロヴナ Die wunderbare Lüge der Nina Petrowna』
ハンス・シュヴァルツ監督、シナリオ:ハンス・クレーリ、撮影:カール・ホフマン
【キャスト】ブリギッテ・ヘルム、フランツ・レーデラー、ヴァルヴィック・ヴァルト
【解説】危うい恋愛が恐喝と死に終わるメロドラマ。

1929.4.28
『兄弟 Brüder』
ヴェルナー・ホッホマン監督、シナリオ:ヴェルナー・ホッホマン、撮影:グスタフ・ベルガー
【キャスト】素人俳優たち。
【解説】1896年のハンブルクでの港湾労働者のストライキで、一人は労働者、一人は警官という兄弟が敵対する物語。

1929.4.28
『憧れの女性 Die Frau、nach der man sich sehnt』
クルト・ベルンハルト監督、シナリオ:ラディスラフ・ワイダ(マックス・ブロートの小説のモティーフによる)、撮影:クルト・クラント、ハンス・シャイプ、装置:ローベルト・ネパッハ
【キャスト】マレーネ・ディートリヒ、フリッツ・コルトナー、ウーノ・ヘニング
【解説】魅惑的な女性をめぐる心理劇的推理ドラマ映画。

1929.5月
日本映画『十字路』
衣笠貞之助監督
【解説】ベルリンで『ヨシワラの影 Im Schatten des Yoshiwara』のタイトルで公開。 日本映画初の海外公開。

1929.6.3
『シンギング・フール THE SINGING FOOL』
【キャスト】アル・ジョルスン
【解説】トーキー第二作、映画館「グロリア・パラスト」で封切り。「サニー・ボーイの歌」が主題歌。(ベルリン、p141)

1929.8.30
『スタンブールの囚人 Strafling von Stanbul』
グスタフ・ウチッキ監督
【キャスト】ハインリヒ・ゲオルゲ、パウル・ヘルビガー、ヴィリー・フォルスト、トルーデ・ヘスターベルク
【解説】ベルリンの映画館「ウーファ・ウニヴェルズム」で封切り

1929.9.13
『極北の呼び声 Der Ruf des Nordens』
ルイス・トレンカー監督
【解説】ベルリンの映画館「ウニヴェルズム」で封切り、山岳映画。

1929.10.8
『春のざわめき Fruhlingsrauschen』
ヴィルヘルム・ディーテルレ監督・主演
【解説】ベルリンの映画館「ティタニア=パラスト」での映画封切り。

1929.10.10
『街路の向こう側 Jenseits der Strase』
レオ・ミラー監督、シナリオ:ヤン・フェートケ、ヴィリー・デル、撮影:フリーデル・ベーン=グルント
【キャスト】リシー・アルナ、パウル・レーコップ、フリッツ・ゲンショー、ジークフリート・アルノ
【解説】港の環境の中での日常生活の悲劇。失業問題を扱った初期の作品。ハンブルクの町の美しいロケ撮影を含む。

1929.10.14(日本封切り30.4.24)
『淪落の女の日記Tagebuch einer Verlorenen』
ゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト監督、シナリオ:ルドルフ・レオンハルト(マルガレーテ・ベーメの小説『淪落の女の日記』による)、撮影:ゼップ・アルガイヤー、装置:エルネ・メッツナー、エミール・ハスラー、製作:パプスト映画
【キャスト】ルイーズ・ブルックス Louise Brooks(テューミアン)、アンドレ・ロアンヌ(オスドルフ伯爵)、フリッツ・ラスプ Fritz Rasp(マイネルト:誘惑者)、アンドレアス・エンゲルマン Andrews Engelmann(教護院長)、ヴァレスカ・ゲルト Valeska Gert(教護院長夫人)、ヨーゼフ・ロヴェンスキー(ヘニング)、ヴェーラ・パヴロヴァ(フリーダ伯母)、フランツィスカ・キンツ(メータ)、アルノルト・コルフ(老伯爵)、エディット・マインハルト(エリカ)、ジークフリート・アルノー(客)、クルト・ゲロン(ヴィタリス博士)、ジビレ・シュミッツ(エリーザベト:家政婦)、M・カサスカヤ、シュペーディ・シュリヒター、ジルヴィア・トルフ、エンマ・ヴィーダ、ミヒャエル・フォン・ネフリンスキー、ヤーロ・フュルト、ハンス・カスパリウス
【あらすじ】やもめになった薬剤師のヘニングは、家政婦のエリーザベトを解雇する。多分彼女が、薬局助手のマイネルトに誘惑されたからである。ポルノ葉書の収集に一生懸命になっているマイネルトは、16歳になる主人の娘テューミアンに言い寄る。彼女は次第にそれに応ずるようになる。
 さてテューミアンは堅信礼を受けることになる。この儀式は、明らかにヘニングに非常な影響力を持っている親戚全部がにぎやかに参加して、祝われることになる。その時テューミアンは叔母の一人から、日記をプレゼントされる。日記はやがて彼女の一番大切な宝物となる。彼女の崇拝者である若いオスドルフ伯爵は、オスドルフ家の紋章入りのロケットをプレゼントする。だが華やいだお祝いの雰囲気は、エリーザベトの死体が運び込まれたために、突然中断される。解雇された家政婦は自殺したのである。テューミアンだけがこの自殺に愕然として、失神する。
 その日の夕方彼女は、たえずしつこく迫ったくるマイネルトに根負けして、とうとう逢い引きを承知する。そしてマイネルトは彼女を誘惑する。その結果彼女は妊娠し、子供ができる。父親のヘニングはその間に新しい家政婦を雇い、間もなく結婚することになっていた。テューミアンの妊娠に仰天した親戚とメータは、ヘニングを説得して、生まれた子供を助産婦にあずけ、テューミアンは教護院に入れる決心をさせる。
 教護院に収容された少女たちは、院長夫妻の倒錯的でサディスチックなしごきを甘受させられている。食事のときや起床のとき、院長夫人は銅鑼を叩いて指揮する。そのヒステリックなテンポに合わせて、少女たちは奇妙な体操をさせられる。テューミアンは最初から、この非人間的な支配に反抗する。彼女は同じ苦しみを味わっているエリカと仲良しになる。院長夫人がある晩共同寝室で、テューミアンの日記を取り上げようとした時、鬱積していた少女たちの怒りが爆発する。混乱の中でテューミアンとエリカは、教護院から脱走することに成功する。
 エリカはテューミアンを崇拝しているオスドルフ伯爵のところに逃げ込む。テューミアン自分の生んだ子供を探しに行く。だが子供が死んだことを知ると、彼女はほっとする。テューミアンとエリカとオスドルフ伯爵は、あるペンションで再会するが、そこは本当は高級売春宿である。彼女は誘惑されるが、それをむしろ喜ぶ。最初は客から金を取ることを拒むが、結局彼女はそこが気に入って、やがて嫌とも思わなくなった役割を引き受ける。だがある日、彼女はナイトクラブで、予期しない再会をする。父親のヘニングと彼の新しい妻メータ、そしてマイネルトが来ていたのである。彼らは今や「淪落の女」となった彼女が、花柳界の男女の真ん中にいる姿を見つける。しかし押し合いへし合いの中で、父と娘は挨拶することも、言葉を交わすこともせずに別れる。娘の堕落に絶望した父親は死ぬ。薬局はマイネルトのものとなる。しかし財産の大部分は、テューミアンに遺産として残される。
 彼女にお金が入ったと知ると、オスドルフ伯爵は再びテューミアンに興味を示す。だが父親の薬局を訪ねたテューミアンは、メータと彼女の二人の子供が、ヘニングの取った処置で、すっかり貧乏になったのを知ると、自分に残された遺産を腹違いの妹たちに与えてしまう。テューミアンとの結婚を計画していたオスドルフ伯爵は、それを知ると、すっかり失望して、自殺してしまう。
 葬式の時彼女は、親戚やマイネルトの偽善的なお悔やみの言葉に吐き気を催すが、オスドルフ伯爵の伯父の老オスドルフ伯爵のねんごろな哀悼の仕方には感動する。そしてまず彼の女友達となり、次いで愛人、結局妻となる。こうしてオスドルフ伯爵夫人となったテューミアンは、上流社会の貴婦人として、身分にふさわしいさまざまな義務を果たすことになる。そして教護を必要とする少女たちの世話をする委員会のメンバーとなる。
 そこで彼女はある日、自分がかつて収容されていた教護院を視察しに行く。院長は彼女が誰であるかに気づいたが、知らぬ顔をしている。そして再び教護院に逆戻りしてきたエリカを、委員会のお歴々に、道徳的に堕落したの特別に悪質な礼として紹介する。するとテューミアンは昔の友に味方し、仰天している貴婦人たちを前にして、このような教護院とこのような扱いを許している社会の残酷さと偽善性を告発する。最後に老伯爵は、「もう少し愛があれば、誰もこんな所に落ち込んだりはしないのだ」と言う。
【解説】多くの場面が売春宿で演じられたので、映画検閲部にとっては事例となり、カットされて、855メートルがカットされて失われた。
 この作品はパプストが『パンドラの箱』に続いて、アメリカの女優ルイーズ・ブルックスを使って撮った二つ目の映画である。これについてブルックス自身、『ハリウッドのルル』の中で、こう書いている。「パプストは『パンドラの箱』で切り裂きジャックの役にグスタフ・ディーセルを配したが、同じように直接的な倒錯性によって、彼は『淪落の女の日記』の中のみだらな薬局の助手には、フリッツ・ラスプを連れてきた。ディーセルとラスプはこの二つの映画の中で、私にとって美と性的魅力を持っていた唯一の俳優だった。切り裂きジャックのシーンを演出するパプストのやり方は、まったく単純だった。それは単に情愛のこもった情事でしかなかった。ディーセルが蝋燭の光りにぴかっと光るナイフを卓上に見る恐ろしい瞬間になるまでは。これに反して、私を人の心をそそるテューミアンの役に使った『淪落の女の日記』の中での誘惑のシーンを、彼はバレーとして構想した。そしてそれを「無邪気な」若い少女とすれっからしの好色漢との間の、一連の無言の接触場面とように演出した。彼がフリッツ・ラスプを選んだのは、ラスプがカリカチュアに近い人物像を演ずることのできる演技力を持っていたためだけではなく、彼の身体の力と優美さのためでもあった。彼に抱擁されて私が気を失うとき、彼は私が絹のネグルジエの重さしかないかのように、軽々と持ち上げ、ベッドに運んだ」。
 ところでよく知られているように、ルイーズ・ブルックスはクララ・ボウに代表される当時のハリウッドの「フラッパー」女優の一人だった。1920年代アメリカの女性の新しい風俗を代表する断髪のフラッパーたちは、1929年の大恐慌まで、小説『紳士は金髪がお好き』や映画『セブン・チャンス』など、アメリカ大衆文化の絶好の対象となっていた。しかしブルックスはこの映画で、そうした「フラッパー」を越える魅力を発揮する存在となった。「ルイーズ・ブルックスの奇跡」と言われる所以である。
 断髪のボーイッシュな、変装した少年のような新しい女性というだけなら、アメリカだけでなく、ドイツの映画・演劇の世界でも、すでjにエリーザベト・ベルクナーが登場し、新しい型の女性として、「われわれの時代最大の女優」と騒がれていた。しかしベルクナーはあくまでも可憐だった。それに対してルイーズ・ブルックスは無垢ではあるが、特異な存在だった。
 そうしたブルックスを使って、パプストは『淪落の女の日記』においても、両義的な映像を提起した。歪んだ悪徳の世界に対するシニカルな姿勢と性の赤裸々な暴露である。それは同じ題材によるリヒャルト・オズワルト監督の『淪落の女の日記』には、見られない性質である。オズワルトはドイツ映画史上では、いわゆる性教育映画の元祖として貶められているが、むしろ腕の良い職人的映画人として、この題材を「ドラマチックな力に満ちた、ほとんど詩的な体験」と評されるメロドラマに仕立て上げていた。第一次世界大戦終結の直前、1918年10月29日に封切られたこの作品では、エルナ・モレナがテューミアンに扮し、、ラインホルト・シュンツェルのオスドルフ伯爵、ヴェルナー・クラウスのマイネルト、そして映画に始めてデビューしたコンラート・ファイトがユリウス博士に扮していた。彼らは映画俳優としての腕を磨いている途中だったとはいえ、原作の映画化としては、この方が自然だった。
 パプストの映画化は1929年という転機の時期を所産として、むしろアンチ・メロドラマとなっている。子供の死を知っても、テューミアンは嘆き悲しんだりはしない。ほっとして微笑する。売春窟に避難所を求めても、良心の痛みはない。昂然として悪徳に身をまかせる。メロドラマに普通のモラルなど、彼女には何の意味もない。本来の結末では彼女は、あらゆるブルジョア的因習に背を向けて、自ら売春窟の女主人になるはずだった。この「本当の結末」は検閲によって抹殺された。
 パプストの社会批判がいわゆるプチブル・ラジカリズムに過ぎないかどうかは問うところではない。映像がすべてである。ブルジョア道徳を体現した教護院の歪んだ姿を暴露し、逆に売春窟を肯定するアナーキズム的モラルを対置するという構成が、衝撃力を持っているかどうかが問題である。パプストの映画に対して必ずしも肯定的な見方をしていないジークフリート・クラカウアーも、この作品の特異性は認識していた。「パプストは中産階級的環境の不道徳性を繰り返して強調するので、売春窟はその反対にまるで保養地のように見える。見たところ自分の社会批評の含みうる可能性無頓着に、パプストは退廃そのものを念入りに展開する。彼が退廃とサディズムとの間の親近性をよく知っていたことは、テューミアンが送り込まれる教護院の異常なエピソードが示している。プドフキンのようにパプストは、一定の社会的コンテクストの中で、セックスが演じる役割に気づいている」。
 ヴァレスカ・ゲルトの扮する教護院長夫人が、まるで倒錯した化け物であるのに、売春窟の女将がパンションの善良なホステスのように見える理由が、ここにある。ルイーズ・ブルックスは、倒錯的抑圧の中にあって、ナイーヴな輝きを失わない。それは元来パプストのイメージの中にあり、、二重性を持ったテューミアン像を表現するための性格形成だった。ナチ時代と第二次世界大戦を経た今日では、社会的事象の中で占める性的なものの意味は、十分に認識されている。しかしそうした時代の開始を告げる1929年という時点では、こうした認識はまだ成熟していなかった。荒削りではあるがパプストが示唆した方向は、単に「ルイーズ・ブルックスの奇跡」としてではなく、今日の目で再評価する必要があろう。
 ついでながら教護院長夫人のヴァレスカ・ゲルトは、第一次世界大戦後のドイツで、売春婦の生態を赤裸々に暴露することでブルジョア社会を批判する表現舞踊の創始者として、衝撃を与えた存在だった。その彼女にパプストは、逆に要教護少女を虐待するサディズム的少女性を演じさせたわけである。更にエリーザベトを演じたジビレ。シュミッツは、この年エルネ・メッツナーの『できごと』と、この映画とによってデビューし、1932年、C・T・ドライヤーの『吸血鬼』でレオーヌ役を演じて、大いに注目された。しかし彼女は「ついていなかった」。活躍したのがナチ時代だったため、戦後はすっかり忘れ去られ、酒に溺れて自殺した。「ニュー・ジャーマン・シネマ」の旗手ファスビンダーは、彼女をモデルにして、忘れ去られて破滅する往年の大女優の物語『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』を作った。、

1929.10.15(日本封切り1931.1.7)
『月世界の女 Frau im Mond』
フリッツ・ラング監督、シナリオ:テア・フォン・ハルブ(彼女自身の小説による)、撮影:クルト・クーラント、オスカー・フィッシンガー、オットー・カントレック、特殊効果:コンスタンティン・チェットヴェリコフ、芸術・学術顧問:グスタフ・ヴォルフ教授、ヨーゼフ・ダニロヴァッツ、ヘルマン・オーベルト教授(ロケットに関して)、装置:エミール・ハスラー、オットー・フンテ、カール・フォルブレヒト、製作:ウーファ映画社
【キャスト】クラウス・ポール(ゲオルク・マンフェルト教授)、ヴィリー・フリッチュ(ヴォルフ・ヘリウス)、グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム(ハンス・ヴィデッガー:技師)、ゲルダ・マウルス(フリーデ・ヴェルテン:天文学の学生)、グストル・シュタルク=グステッテンバウアー(グスタフ)、フリッツ・ラスプ(当時ヴァルト・トゥルナーと称していた男)、ティラ・デュリュ/ヘルマン・ファレンティン/マックス・ツィルツァー/マームート・テルヤ・バイ/ボルヴィン・ヴァルト/(頭脳と小切手を持つ五人、マルガレーテ・クッパー(ヒッポルト夫人:ヘリウス宅の家政婦)、マックス・マクスミリアン(グロートヤン:ヘリウスの運転手)、アレクサ・フォン・ポテンブスキー(スミレ売り)、ゲルハルト・ダマン(職工長)、ハインリヒ・ゴート(3階の間借り人)、カール・プラーテン(マイクの男)、アルフテート・ロレット、エドガー・パウリ(二人の奴ら)、ねずみ・ヨゼフィーネ。
【解説】ウーファ・パラスト・アム・ツォ ーのファサードは宣伝部チーフのルーディ・フェルトによって輝かしくイリュミネーションされ、動くロケットで装飾された。ラングを二人のロケット専門家ヘリマン・オーベルトとヴィリー・ライがアドヴァイス。
ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォー」で封切り。クラカウアー155

1929.10.22(日本封切り1930.2.14)
『死の銀嶺 Die weisse Hölle vom Piz Palu』
アルノルト・ファンク、ゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト監督、シナリオ:アルノルト・ファンク、ラディスラウス・ワイダ、撮影:ゼップ・アルガイヤー、リヒャルト・アングスト、ハンス・シュネーベルガー、装置:エルネ・メッツナー、音楽:ヴィリー・シュミット=ゲントナー。製作:H・R・ゾーカル映画
【キャスト】グスタフ・ディースル(ヨハネス・クラフト博士)、レニ・リーフェンシュタール(マリア)、エルンスト・ペーターゼン(カール・シュテルン)、オットー・シュプリング(クリスチャン・クルッカー、山岳ガイド)、エルンスト・ウーデト(飛行士)
【あらすじ】ピツ・パリュ山の山腹、海抜2977メートルにある、登山者のための避難小屋に、二人のカップル、カール・シュテルン(エルンスト・ペーターゼン)とマリア(レニ・リーフェンシュタール)が、ハネムーンにピツ・パリュに登りたい思って来ている。二人がテーブルにロウソクを立て、カールが「今日は君の誕生日だ、マリア、そして僕等のピツ・パリュへ登るハネームンの日だ」言って、マリアを抱きしめているところへ、入口の戸が開いて不気味な男が入ってくる。それは数年前ピツ・パリュに登った際、ガイドのクリスチャンの警告を無視して無理な登山をし、愛する婚約者を深いクレバスに転落させて死に至らしめたヨハネス・クラフト博士(グスタフ・ディースル)だった。それ以来彼は彼女の亡骸を探して、毎年彼女の死の日に山に登って来るのだった。それが今年は、たまたま山小屋でマリアとカールのカップルに出会ったのである。クラフトの沈鬱な姿に胸を打たれたマリアは、カールがコーヒーを沸かすための水を求めて小屋の外に出たとき、クラフトに「私はあなたのことを聞き、あなたの気持ちを理解しました。遭難がどんな風に起きたのか、話してください」と願う。
 クラフトはそれに答えて、雪崩に呑み込まれた婚約者を救おうと、必死にクレバスを降下したが、ザイルが終わりになっても底知れぬ深淵が続き、頭を抱えて身もだえする他はなかったと語って、小屋の外に出ていく。そこへカールが連れと一緒に戻ってきて、彼女に「これがクリスチャン君(オットー・シュプリング)だ、ピツ・パリュの一番のガイドだ」と紹介する。クリスチャンは「明日は荒れ模様だ、私は村にやって来た学生達に明日は登山を控えるよう警告した、君にも警告しておく」と言う。
 翌朝早く起きたクラフト博士は紙片に「一年間トライした後で私は、北壁を今日確実に征服できると感じている、自分一人で」と書いて出掛けようとする。だがカールも出てきて「待ってくれ、私もあんたと一緒に行く」と言う。そして紙片に「親愛はマリア、僕はクラフト博士と一緒に北壁を征服しに行く、僕にはできる」と書き、クラフトの名前の下に自分の名前を書き加えて、悪天候の中を山頂目指して出発する。間もなく目を覚ましたマリアはそれを見て、紙片に自分の名前を書き足し、スキーで二人の後を追う。追いついた彼女にカールは「ピツ・パリュは女性のための山ではない、特に北壁は」と戒めるが、マリアは言うことをきかず、三人で登り始める。
 だが天候が悪化し、彼らは雪崩に巻き込まれ、クラフト博士は脚を折ってしまう。その姿を学生達が双眼鏡で見つけ、「クラフト博士が遭難している、彼らは山の一番危険な場所にいる」と、救援に向かう。しかし彼らも大雪崩に巻き込まれて転落する。かろうじて岩棚に這い上がったクラフトはマリアお負傷したカールを抱えて、麓に向かって救いを求めて、「ヤッホー」と叫び続ける。その叫びを聞いたクリスチャンは急いで山を登る。他方谷間の村でも教会の鐘が鳴らされ、クラフト博士一行と学生達を探して、夜道を救援隊が出発する。
 だが岩棚では、怪我をしているカールが横殴りの氷雪をまともに受けて、すっかり頭がおかしくなり、マリアはとうとう彼をザイルで縛ってしまう。夜が明けると、曲乗り飛行士のウーデトが飛行機で偵察して、彼らの居場所を探しに来る。山腹を縫って彼らを捜索しているウーデトの飛行機を見つけたクラフトとマリアは、歓声をあげる。ウーデトはパラシュートで食料を落とすが、谷間に落ちてしまう。もう一度旋回して二人の姿を確認した彼は、山腹を登っている救援隊にパラシュートを落とし、「私は彼らを発見した。しかし彼らに食料を届けることは不可能」と知らせる。ウーデトのメモを見て元気づけられた救援隊を、さらにクリスチャンが激励する。
 しかし岩棚では縛られたカールが、氷柱のように立ちつくしている。マリアがクラフト博士に「カールが凍死しかけている」と叫ぶ。するとクラフトは自分のヤッケ脱いでカールに着せ、マリアには自分の帽子をかぶせる。下界の村では村人が教会に集まって、遭難者の無事を祈っている。遂に救援隊がたどり着き、マリアを担ぎ下ろす。教会の鐘が鳴り、村人が「彼らが帰って来た」と集まってくる。「二人が助かって山小屋に着いた」
 気がついたマリアが隣に寝ているカールの姿を見て、「それで……ヨハネス博士は」と尋ねる。するとクリスチャンが博士の書き置きを見せる。それには「親愛なクリスチャン、私を見つけようとはしないでくれーー他の者を救ってくれ。私は婚約者と山と一緒になる」と書かれていた。二人は永久に一緒になったーーピツ・パリュの地獄で。
【解説】ベルリンの「ウーファ・パラスト・アム・ツォ ー」で封切り。レニ・リーフェンシュタールが出演し、ウーデットの曲乗り飛行が評判となり、「芸術的に価値有り」の評点(プレディカート)を得た。

1929.10.28
『アトランティック Atlantic』
E.A.デュポン監督、シナリオ:E.A.デュポン監督、撮影:チャールズ・ロシャー
【キャスト】フリッツ・コルトナー、エルザ・ヴァーグナー、ルーツィエ・マンハイム、フランツ・レーデラー
【解説】英独共同トーキー映画。処女航海で沈没した英国豪華客船「タイタニック」号をモデルにした作品。

1929.11.13
『毒ガス Giftgas』
【解説】ベルリンの映画館「マルモルハウス」で、ペーター・マルティン・ランペル原作の、映画として封切り

1929.11.22
『君を愛した Dich hab'ich geliebt』
【解説】ベルリンの映画館「カピトル」で、ドイツ最初の完全トーキー映画封切り。

1929.12.16(日本封切り1930.11.21)
『悲歌(心のメロディー)Melodie des Herzens』
ハンス・シュヴァルツ監督、シナリオ:ハンス・スツェーケリ、撮影:ギュンター・リッタウ、ハンス・シュネーベルガー、音楽:ヴェルナー・リヒャルト・ハイマン
【キャスト】ディータ・パルロ Dita Parlo、ヴィリー・フリッチュ Willy Fritsch
【解説】の音楽付きのメロドラマ。ウーファ最初の長編トーキー映画プレミア。ドイツ語版、英語版、フランス語版、ハンガリー語版が製作された。

1929.12.19
『夜は私たちのもの Die Nacht gehört uns』
カール・フレーリヒ監督
【キャスト】ハンス・アルバース、シャルロッテ・アンデル
【解説】ドイツで三番目の、そしてはじめて芸術的に成功したトーキー映画。

1929.12.30
『クラウス小母さんの幸福 Mutter Krausens Fahrt ins Glück』
ピール・ユッツィ監督、シナリオ:ヤン・フェートケ、ヴィリー・デル(ハインリヒ・ツィレの物語による)、撮影:ピール・ユッツィ、装置:ローベルト・シャルフェンベルク、カール・ハーカー、音楽:パウル・デッサウ、製作:プロメテウス映画
【キャスト】アレクサンドラ・シュミット(クラウゼ小母さん)、ホルメス・ツィンマーマン(パウル)、イルゼ・トラウトショルト(エルナ)、ゲルハルト・ビーネルト(間借り人)、ヴェラ・ザハロワ(売春婦)、フリードリヒ・グナス(マックス)、フェー・ヴァックスムート(子供)
【あらすじ】(1929年8月9日で没後一年となる画家ハインリヒ・ツイレが描いたベルリン下町の環境を会批判的に映像化した映画)。
 すでに成人した二人の子供エルナとパウルと一緒に、ベルリン北区の貧民街ウェディングの、裏庭に面した住居で生活しているクラウゼ小母さんは、更に居間と台所を素性のはっきりしない間借り人と、その妻の売春婦、幼い女の子供と、共同で使っている。そして新聞配達をして生計を支えている。息子のパウルと娘のエルナはどちらの失業中である。
 エルナは階級意識に目覚めた道路工夫のマックスと親しい。そこで彼女はマックスと一緒にプールに行こうとしている。そこでクラウゼ小母さんはやむを得ずパウルに、明日、エルナの代わりに新聞の配達を手伝ってくれと頼む。パウルは集めた金を新聞社の出張所に渡さず、全部飲んでしまう。クラウゼ小母さんは彼が酒場で、ベロベロに酔っぱらっているのを見つける。彼女は無くなった20マルクを取り返そうとするが、駄目である。
 パウルはもはや家へ帰る勇気がない。こっそり階段に姿を現し、母親が来ると逃げていってしまう。ところで間借り人のほうは、恋人をまともな人間にしょうとして、結婚式をおこなう。だがダンスのとき、彼は前からの習慣通りエルナに馴れ馴れしくする。そのため彼とマックスとの間に争いが起こる。とうとう間借り人は「俺はお前よりも前に、もうこの女に手をつけていたんだ」と叫ぶ。「それは本当か」というマックスの問に対して、エルナは恥じてただ目を伏せるだけなので、マックスは吐き気を催して、立ち去ってしまう。間借り人も転居すると告げる。
 窮したクラウゼ小母さんは台所の戸棚から、亡夫の肖像入りのブローチを取りだし、質屋に持って行く。しかしほんの数グロッシェンにしかならない。彼女は新聞の出張所でお金の精算をしなくてはならない。しかし勘定が合わないので、午後までにお金を持って来なければ、クビにして告発すると脅かされる。彼女は金策に駆け回るが、無駄である。間借り人も「懐がすっからかん」なので、助けられない。しかし彼は階段のところでパウルに出会う。彼はパウルを説得して、一緒に質屋に押し込み強盗に行き、それで母親を助けてやろうじゃないかと、けしかける。
 他方エルナは間借り人の妻の売春婦に影響されて、「女に可能なやり方で」母親を助けようとするが、最後の瞬間に踏みとどまって、自分を金で買おうとしてプレーボーイの魔手から逃げ出す。
 エルナはマックスのところへ走って行くが、彼はいない。隣の女からマックスはデモに行ったと聞かされた彼女は、通りに出ていき、マックスを見つけて、一緒にデモに加わる。そしてマックスの部屋で、二人は和解する。二人は「労働者演劇連盟のガーデンパーティ」に行って踊り、帰ってきてから母親に、自分たちは結婚したいと告げる。
 他方パウルは間借り人と一緒に質屋に押し入り、店主と格闘して、ピストルを暴発する。警官が通りでそれを聞きつけて、駆けつける。間借り人は逮捕されるが、パウルはその前に逃げてしまう。そしてすっかり興奮した様子で、台所にいる母親のところへ姿を現す。息子が戻って来てくれたと、クラウゼ小母さんは天にも昇る気持ちで、彼を迎える。しかしすぐに警察がやって来て、息子を逮捕して行く。
 すっかり気落ちしたクラウゼ小母さんは、これまでの生活の仕方と同じように、まるで儀式のように念入りに、「幸福への死出の旅路」への準備をする。そして一番良い服を着て、最後のコーヒーをわかし、それから自動ガス装置に2グロッシェン入れて、栓を開く。そしてもう眠っている娼婦の幼い子供を、一緒に道連れにする。「お前のような哀れな子は、この世で何を失うものがあろう?」
 マックスとエルナは一緒にパーティから帰ってきた時には、もう消防隊が来ていた。マックスは泣き崩れるエルナを慰めながら、立ち去る。最後に二人はもう一度デモに出て行く。
【解説】1925年にウーファ映画社は「パルファメト協定」を結び、ハリウッドのアメリカ資本の傘下に入った。同じ年にヴィリー・ミュンツェンベルクは、「プロメテウス映画社」を設立した。それはウーファと反対に、ソヴィエトと結ぶものだった。その結果ベルリンは、国際的な映画の角逐場となった。プロメテウス映画社は、共産党の国会議員で青年インターのリーダーだったミュンツェンベルクが設立した多くの企業の一つだった。そしてプロメテウス社はソヴィエト映画のドイツへの輸入もおこなったが、その中にはドイツの映画市場で勝利を得た結果、世界に広まった『戦艦ポチョムキン』や『アジアの嵐』もあった。
 そしてその『戦艦ポチョムキン』のドイツ語版作成に力を尽くしたのが、『クラウゼ小母さんの幸福』を監督したピール・ユッツィだった。それは当時のドイツの映画規定によって、『戦艦ポチョムキン』等への輸入割当の見返りとして製作されたものだった。それには画家のケーテ・コルヴィッツ、ハンス・バルシェクや、ハインリヒ・ツィレの友人で「国際労働者救援組織」(IAH)の一員だった画家オットー・ナーゲル等の支援を受けた。
ベルリン下町の風俗を貧しい人々の立場から描いた郷土画家ツィレは、長くベルリン市民に親しまれているが、この映画はそのツィレの描いたベルリン下町の「ミリユー」を舞台として、意図的にツィレの志向に従った映画である。しかし当時のいわゆる「ツィレ映画」は、プロレタリア文化の陣営だけてなく、ブルジョア文化の陣営でも流行になっていた。ベルリン北区の貧民街「ウェディング」の世界の物語を、幸いにして自分はそこへ落ち込まずにすんだベルリン市民が楽しんで見たのだった。その結果「ツィレ映画」は確実な商売となり、『第五階級』(1925)や『底辺の人々』(1926)などが作られていた。そして「プロメテウス映画社」製作のこの映画は、そうしたブルジョア的「ツィレ映画」とは著しく異なる、正真正銘の「ツィレ映画」となった。しかしツィレの絵自体は、ブルジョアジー対プロレタリアートという対立図式に沿うものではなかった。それゆえツィレの最後の誕生日に語られてアイデアに基づく台本は、基本的にはメロドラマだった。だが当時の「ツィレ映画」の基盤の複合的性格のために、映像のメッセーゾは一義的ではない。それにもかかわらず当時の評価はイデオロギーが優先して、型通りの批評がおこなわれた。例えば1930年の「赤旗」は、こう批評している。「エルナはより良い生活のために戦う革命的労働者階級の戦列に加わる。映画は明瞭にこう問いかける。諸君貧民たちは何を望むか、ガス栓かそれとも闘いか」。
 これに対してジークフリート・クラカウアーは、こう批判している。「問題はマックスの幸福が、クラウゼ小母さんの幸福観にまさるかどうかである。彼女の自殺に力点が置かれていることから引き出すことのできる結論は、ただ一つである。すなわち、この映画は社会主義的な要求や希望を推進するよりは、むしろメランコリックにそれを聞き届けることを意図しているのである」。さらに同じ1929年に作られた、同じテーマの映画『人生はかくの如し』の監督カール・ユングハンスは、その映画の企画を「プロメテウス社」に持ち込んだが、デモの場面が無いことを理由に、ことわられたと語っている。クラウゼ小母さんの自殺の後に、デモ行進の足のシーンが付け加えられているのは、まさにその要望に添ったものだったが、それが加わったからと言って、映画全体の意味がその場面に収斂されうるかどうかは、問題である。その点については、そもそも「ツィレ映画」は、そのような一義的意味づけを基盤とする映画ではないと言うことがでいよう。
 むしろこの映画の価値は、当時の他の大都市映画同様、貧民街「ウェディング」の「ミリユー」のルポルタージュ映像としての「真正性」にある。つまりツィレ的ミリユーの映像的定着に成功している点にある。これがツィレ記念映画となったのは、不思議ではない。
なおこの映画に出演したのは、いずれも本当のウェディングの住民の素人か、あるいは左翼の演劇のグループのメンバーだった。パウルを演じたホルメス・ツィンマーマンは、かなり前からピール・ユッツィの協力者であって、ユッツィが1928年に作った『われらの日毎のパンーーヴァルデンブルクの飢え』にも出演した。イルゼ・トラウトショルトとフリードリヒ・グナスは、ゲルハルト・ビーネルト同様、ピスカートル舞台から左翼演劇運動に加わっていた。ヴェラ・ザハロワは、画家オットー・ディックスのモデルとして働いていた。いずれにしてもこの映画は、極度に少ない製作費のために、出演者の犠牲的奉仕によって、辛うじて撮影を終了することができた。