02.1.1
●本稿は、C.T.キーリ氏の「土と前期旧石器捏造」(2001.11.30)に刺戟されて書いたものである。
●本稿は、一般論と個別論がないまぜになっている。事情に詳しくない方には読みづらいかもしれないが、執筆にかかるコストを低くするため、ご容赦願いたい。

パラダイム論:共約不可能性

パラダイムとは、(パラダイムにとって規範となる)業績の集合であるという。ならば、(新たな)前期旧石器はパラダイムだったと措定できるかもしれない(参考リソース末尾)。一方、1970年代には確立しつつあった後期旧石器(学)は、パラダイムとして差し支えないだろう。「新たな前期旧石器」は石器埋込みという低次元の行為がもとだったし、様々な欠陥からしてパラダイムというにはおこがましい、と思われるかもしれないが、形式的には十分にパラダイムの資格はあった(と仮定してみよう)。単に常識が欠如していたから、という可能性もあるが、その証明はここでは措く。

異なるパラダイム間には共約不可能性(incommensurability)があるという(通約不可能性ともいう)。相互不信の上品な表現のようにも聞こえるが、別に(原理的には)人間不信とは関わり無い。科学理論的に、古いパラダイムでは、新しいパラダイムは解けない、ということらしい。問題は、同一の観察結果(報告)に対して、新たなパラダイムに乗るか、古いパラダイムに留まるかの違いは、どこにあったのか、だろう。答えはまだ見つからないけれど、普通は、「願望」と「基礎知識の差」、及び「経験(した遺跡)」の差によるのだろう。キーリ氏の指摘は、「基礎知識の差(あるいは科学的思考の落差)」が看過できない、ということだと思う(キーリ氏指摘の、後期旧石器・縄文に関わる異常な報告はその一例である)。普通、その種の欠陥があれば、パラダイムもどきは疑似科学になってしまう。

キーリ氏の指摘のコアは、次の二点である(ここでは、筆者の解説を加えてまとめた… なお、最初にこれらの問題を指摘したのは1981〜1983年頃の小田氏)。

1)「新たな前期旧石器遺跡」では遺物がほぼ水平に出土したと報告されていた。知られている後期旧石器時代以降の遺跡では、層序の乱れが全く観察できないのに、同一母岩の剥片が数十cm(最大1m位)上下の幅を以て出土するのが通例である。同一母岩でそうなのだから、同一文化層も同様だと考えられる。ロームはレス(風成層)であるから、ごくゆっくりと徐々に堆積する(あるいは再堆積する)。土層の構成物質も、遺物も、深度が地表に近い間は特に、自然の作用で常に上下移動し、結果的に堆積層の中に分散していく(参考:拙稿「ローム中の生活面」)。だから、前期旧石器といえども、ローム層中の出土であれば、同様に上下に分散して出土すると予測される。無論、給源火山の近傍で一回の噴出物でパックされてしまえば、ポンペイや黒井峯(榛名山の一回の噴出物で覆われていた)のようなことになる。しかし、「新たな前期旧石器遺跡」でそのようなイベント(地質学的事件)があったという証明はされていなかった(次項は、一回性ではあるが、出土状況と矛盾する話)。

2)ある「新たな前期旧石器遺跡」では、火砕流の中から遺物が出土した例があった。地質学的には、火砕流と結論される十分な理由があったし(ガスが抜けている)、実際そのように学界発表されていた。一方、ある土壌学者達が、違う見解を発表していた。後者の意見は、推進派の考古学者達にとって極めて有利と感じられたに違いない。

もちろん、この種の議論は、(あえてプロパーな石器論以外で探すと)例えば石材の問題でも同様だった。ありそうな石材ではなく、地域にはありそうもない石材が使われていても、解釈は自由になされた。

一般に、別のパラダイムに乗った側は、それに合う証拠(説明)を探す。旧パラダイムの側は合わない証拠(説明)を探す。合う証拠と合わない証拠があれば、まだ結論を出すには早い、と考える人が多くなる(と雑駁に考えてしまうことの妥当性は、別に問われるべきである…これも複雑な問題なので、ここでは措く)。どちらのパラダイムも、相手を全否定できないから、論争自体の決着はつかない。旧パラダイムの側は、論拠を改める積極的な理由は、ある訳もないので、そこに留まる。ただし、「新たな前期旧石器遺跡」側は、多様な証拠が追加される中、異論の存在は承知しつつも、最早決着はついたものと、早々に宣言してしまった。これはさすがに拙速のそしりを免れない。拙速という点では、パラダイムの左右に関わらず、学者のやることでは無かったといえる。1986批判(「宮城県の旧石器及び「前期旧石器」時代研究批判」)の末尾も、この主旨で括られている。なぜマスコミに早々と結論的に公表するのかと。おそらく、拙速宣言の先頭にいたのは、ごく少数の研究者である。賛同者は、先頭車両には乗っていなかった。以後、問題は科学者集団の闘争というより、社会的ファクター、政治的ファクターの問題に広がっていた。ここでは、その問題は措く。

知識の全体論 (holism) によれば、仮説の正否を決める決定的実験は、そもそも不可能であるという。部分否定で、全体否定は出来ない(第一、納得しない)。反証によって「パラダイム」を覆すことは(現実的には)出来ない。観察は何らかの理論をベースにして初めて解釈できるから(観察の理論負荷性)、理論ベースが違えば、観察結果の解釈も異なることになり、相互理解はそもそも不可能なことになってしまう。共約不可能性である。ちなみに、共約不可能性は便利な概念で、現代世界で生じている現象に皆適用できる(日常茶飯事だ…戦争も含めて)。ただ、それだけでは、相互理解できない、で終わってしまう(難点だ)。

普通は、旧パラダイムで理解できない、異常(extraordinary)ないし変則(anomaly)な観察結果が蓄積することが期待される。多少の異常は、旧パラダイムで解釈できる。その点は、1986批判が強調したところである。異常な観察結果が蓄積され、それらの諸結果が「群」として整合性を持ち、旧パラダイムも包含する共通の説明が可能な時、(それを支持する科学者集団によって)新パラダイムへの移行が決定づけられるのだろう。しかし、「新たな前期旧石器遺跡」資料が、「群」として整合性を持っていたかどうかは、全く怪しい。この点は、十分に批判のポイントになる(最大のポイントかもしれない)。異常な観察結果の後には、さらに別の異常な観察結果が増えただけだった(最後は小屋や墓までいってしまった)。

無論、新たなパラダイムに乗るだけの、合理的理由があったかどうかは、問われるところである。この点については、推進派からは当初から示されている(今でも変わらない)。その点は、おそらく共通の基盤といえるだろう。もちろん、批判派はその点からして反対なのだが、事は石器論である(例えば斜軸尖頭器)。だから、最もプロパーな基盤のはずである。ただ、竹岡氏や角張氏の視座は、石器論のパラダイムからして異なるから、実際には共通の基盤を作り直す作業は、まだ始まったばかりなのだ。

共約不可能性はパラドックスだし、一つの考え方である。どのパラダイムも、パラダイムであることでは等価だという考え方には(心の底からは)同意できない。そもそも基礎的な知識や常識感覚から疑われている事態では、はっきりと「疑似科学」(ないし「病的科学」)であった可能性を考慮に入れるべきだ(無論その検討はごく慎重になされるべきである)。パラダイム(もう一つの規範科学…another normal science)であるためには、生成的な理論的コアが必要だと思われる(例えば斜軸尖頭器から埋納遺構は導出されない…それぞれ全く異質な理論的解釈が必要になる…規範に収束していかない)。オーパーツのコレクションをパラダイムと呼ぶのには抵抗がある(ただし、全ての関連資料がオーパーツのレベルだったかどうかは、事前には分らなかった)。

一つの可能性としては、(逆に)パラダイムを確立することだったのかもしれない。論争の隙間にこそ、変則的なパラダイムが生ずる場所があったかもしれないからだ(これは発覚直後から指摘されている)。旧石器時代をめぐる総合的なアプローチ(学習すべき業績範囲の合意)が確立されていれば、もう少し事態は明晰性を保って終始していたのかもしれない。

トリック(いわゆる「捏造」)の問題は、マイナーな部分でしかない。むしろ学者の方が、トリックに引っ掛かりやすいものらしい。一定の条件が満たされれば、それでOKと考えやすいらしい。異常な観察結果に対して、まず懐疑的であるのも、(一方の)学者の特徴ではあるけれど。


・参考リソース(一例):現代哲学史の概括
・興味深い参考リソース(一例):クーンの科学論入門

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