ローム中の生活面

テフラとローム

 いわゆるローム層は、火山灰が降り積もったもの、という理解はできません。ローム層の起源は確かにテフラ(火山から噴出する砕屑物の総称…成分や粒度を問わない…パミスもスコリアも含まれる)に違いありませんが、その堆積様式は、給源火山の近傍で見られるテフラとは全く異なるのです。一般にローム層は(谷地形で継続した水流の影響下で形成される場合を除けば)、レス、即ち風成層なのです。一旦降灰した後、風化したり乾燥した火山灰が砂塵として舞い上げられ(その高度は、それ程高いものではないでしょう…ローム層の厚さは、関東地方では西の台地程厚く…つまり給源に近い程厚く残っている…移動距離がそれ程遠距離とは考えられないことを意味します)、再堆積し、定着した状態こそ、ローム層の正体です。それゆえに、ローム層中に層理は発達しないのです。レス説は、群馬大の早川氏が提唱しています(群馬大学早川研究室)。日本列島は降水量の多いところですが、地中に浸み込む水の存在もロームにはかなり影響しているはずです。

 いわゆるブラックバンド(黒色帯)は、形成メカニズムは完全には解明されていないと思いますが、基本的には植物(主に草本類)の繁茂に由来する腐植分が多いためだと言われています。それが正しいとしても、植物の生育には地域や地形差が大きく関与するので、ブラックバンドを広範囲の層対比(編年上の基準)に用いる場合は注意が必要だと言われています。

 火山の近傍で見られるテフラは、特に玄武岩質の成層火山の場合、一回の噴火(ごく短期間に終わる)で基底にスコリアや粗粒火山灰が堆積し、遅れて細粒火山灰が堆積し(噴火プロセス上の理由と、軽い故に滞空時間が長いため)、噴火が休止している期間に植物が繁茂して表面の風化や黒色化が進む、というサイクルを構成しています。つまりある厚さのテフラが、噴火の機会にごく短期間で堆積し終わってしまうわけです。ローム層のように、堆積が徐々に進行し続けるものではありません。火山の噴火様式は火山毎に異なりますが、例えば伊豆大島では、こうしたサイクルが何十回も繰りかえされている様子がよく分ります(発掘調査区で見事に観察されます)。

 ローム層中に、時として明瞭なテフラ(最初の降灰時の原型をとどめた)が見られることがあります。武蔵野台地でははっきりしないスコリア(当然、富士山起源です)が、相模野台地では明瞭に層として見られることがあります。こうした明瞭な層はロームとはいえません。原型としてのテフラの様相をよく残しています。AT(姶良Tnパミス)も給源(姶良カルデラ、鹿児島県)に近づくと、もっと明瞭な層として見られるようになります。

ローム層中の生活面

 ロームが火山の近傍で見られるテフラとは性質の異なる「レス」であるとすると(移動距離は短いとしても)、そこに一定の厚さの噴火サイクルの単位が存在しないことが分ります。つまりローム層中の生活面は、どのレベルでもありうるのです。生活面と生活面の間に無遺物層が挟在するというパラダイムは、成り立たないのです。これは、火山の近傍で見られる噴火サイクルを残したテフラ中なら、成り立つ話なのですが。

 ローム層中に、元々生活面が存在したことは、自明です。どの時点であれ、地面が概ね水平に存在することは自明ですから。ただ、関東ローム(基本的に氷河期の堆積です)最上部層の立川ローム中の遺物は、同一時点に形成された同じ文化に属する遺物群が、かなり上下に幅を持って出土します。地層の観察では、違う層に属するのに、実は埋没当時は同じ平面に存在した遺物と考えられるのです。これは凍上作用や各種の周氷河現象、あるいは動植物の影響によって、遺物が上下に移動したものと結論されています。文化層と出土層は、必ずしも一致しないのです(というよりも、文化層が一段抽象度の高い概念になっているのです)。従って、遺構としての生活面は、現在観察できるものとしては存在しえないことが分ります。調査中の中途段階の、どこかの露出面が、かつての生活面であったという認識は、成り立たないのです。もっと、確率論的といってもいいくらい、ある範囲に分散した概念になってしまっています。

01.1.22


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