捏造問題の関連で訂正対象となった日本考古学年報49の関連記述(→会告)。本巻の「旧石器時代研究の動向」だけは他の執筆者とはスタンスが異なり、当時としては注目される。群馬県の項は(内容上明らかに問題があるので)、ここで独自に追加したものである。全ての引用箇所は、動向紹介を目的とした文章のごく一部であり、関連部分だけ抽出したものである。ちなみに年報で関連するのは、31 (1978年度版、1980年発行)から52 (1999年度版、2001年発行)まで。→年報50


日本考古学年報49(1996年度版)

1998年7月1日発行

部 1996年度の日本考古学界

4 旧石器時代研究の動向

所謂「前期旧石器時代」
 東北地方を中心に、前期旧石器時代という時代区分法と名称が頻繁に用いられ、本誌においても当項の記事などで、前期及び中期旧石器時代が用いられてきている。しかし、この呼称に関しては評者の従前からの考え方(阿部祥人1990「日本最古の石器文化を求めて」『争点 日本の歴史』新人物往来社)がいまだに少しも変わらないのと、列島の南北を介して大陸のものと比較の上で定義・呼称すべきこのクラスの明確な年代値は、いまだに本州北方でしか得られていない、という理由で、本稿では所謂という意味で用いる。
 これに該当する年代の研究では、前述の数多い研究会の一つ、「東北日本の旧石器文化を語る会」の仙台で開催された第10回大会での"講演"、及び"話題提供"「東北日本の前・中期旧石器時代研究の現状」(同会予稿集)が当年度の動向をよく示している。講演は、芹沢長介と早田 勉によって、それぞれ研究の流れと、石器出土層の主にテフラによる年代決定に関する内容で行なわれた。
 前者では特に、前年、年代の古さと円形にまとまった出土状態で大きな話題を集めた上高森遺跡出土の「ハンドアックス」資料にふれ、又その他クリーヴァー等に関しても、そうした用語を当てることが、妥当ではないという警告が述べられた。これを受けてか、その後の発表では、以前あれ程とびかっていた「ハンドアックス」という呼称が完全に聞こえなくなったのは、非常に印象に残った。評者もかねがね、ヨーロッパや西アジアの前期や中期旧石器時代の石器用語を日本の発見物に安易に当てて用いる方法には、少なからず危惧の念を抱いていた。したがって、こうした警告とそれに対する反応は、きわめて健全な動向であると感じた。
 また、我国における「前期旧石器時代」の研究の年代決定に、大きく貢献し続けている、早田の講演の後半では、遺跡の土中に含まれるネザサのプラントオパール分析の方法とその結果の解釈に力点がおかれた。これは、従来のテフラの重鉱物分析やそれらの各種理化学年代測定値に加えて、古環境の復元をかねた新たな年代推定法を指向していくものと理解した。つまり、より広範に、しかも驚異的な古さを示していく「前期旧石器時代」の包含層に対して、複合的な分析とその結果をからませようとするものであろう。これもこの年代の遺跡・遺物の研究に関する新たな注目すべき動きであろう。
 次に行われた"話題提供"では、宮城・岩手・山形・福島に加えて新たに群馬県における「前・中期旧石器時代」の発見が報じられた。東北の4県での遺跡発見数と年代値の拡がりには、これまでにまして目をみはるべきものがあるが、さらに群馬県での発見(加生西遺跡)は、かつて芹沢らが押し進めた北関東での「前期旧石器時代」研究とその分布域が重なってきているため、研究史の整理をも含めた分析が望まれる。
 その他、この年代値に関連する資料にふれた論文が『神奈川考古』32誌上に2編発表されている(砂田佳弘「座散乱木時代の剥片剥離工程」、白石浩之「中期旧石器時代終末から後期旧石器時代にかけての石器群に対する新視点」)。

II部 各都道府県の動向

3 岩手県

(1行略)
 岩泉町瓢箪穴遺跡は、東北福祉大学他によって調査され、7〜8万年前と推定される斜軸尖頭器や5万年以前の層からマシジミの貝殻、2万5千年前と推定される局部磨製石斧[Web註]などが出土した。これまでの調査で、旧石器時代中期から後期にかけて5面以上の生活面が確認されているが、さらに下層により古い段階の生活面も予想されている。
(2行略)
 3洞穴とも北上山地に所在する石灰岩質の洞穴であり、今後の調査により旧石器時代人骨の発見が期待される。

4 宮城県

(4行略)
 青葉山遺跡E地点は、後期・中期旧石器時代の石器が理化学的年代測定の実施されたテフラと上下関係をもって層位的に出土し、青葉山遺跡ではこれまでの成果を総合すると前期1・中期1・後期2の全4時期の文化層が確認された。今回発見された石器は、中期(蔵王川崎テフラ)層直下から斜軸尖頭器・スクレイパー・剥片など6点、後期の石刃・スクレイパーなど17点である。富沢遺跡第98・99次は、旧石器時代相当層までの調査により樹木・針葉樹の葉・枝・球果などを含む腐植層が確認され、富沢遺跡保存館と同様の森林跡の広がりが確認された。東北歴史資料館による分布調査は、昨年度からの継続で行われており、今年度は新発見はなかったが、昨年度調査の河南町関ノ入遺跡より採集の石器4点が3〜10万年前の旧石器時代中期の尖頭器3点と剥片1点であることがわかった。県北東部からの旧石器の発見は初めてで、旧石器文化の広がりが本地域でも確認された。また、東北旧石器文化研究所による分布調査等により、岩出山町高間館遺跡で、両刃礫器・片刃礫器・スクレイパー・剥片など前期の石器7点、同町安沢東遺跡で、斜軸尖頭器・剥片など中期の石器3点、築館町蟹沢北遺跡で、スクレイパー・剥片など前期の石器3点が発見されている。

6 山形県

 1993年・1994年に引き続いて尾花沢市袖原3遺跡の第3次調査が行なわれた。調査は袖原遺跡調査団(団長 芹沢長介)が尾花沢市の後援で実施したもので、3回の調査で篦状の両面加工石器、クリーヴァー状石器、斜軸尖頭器等約100点以上の石器が出土し、30万年を大きく遡るものから10万年前の前・中期旧石器時代の6枚の文化層が確認された。調査の成果として、第1〜5文化層にみられる両面加工石器のアフリカ・中近東などの石器群との関連の可能性、両面加工石器と小型石器との共伴、石器の二次加工率にみる利用石材の採集地からの距離の影響が指摘された。また石材の供給地に近い立地にもかかわらず、剥片剥離作業の痕跡が見られず、多様な石材が残されていることから、宮城県内の当該期遺跡と同様の、石材環境に左右されない生活システムの存在が推定されている(文献21)。 (以下は後期遺跡の記述)

7 福島県

 二本松市原セ笠張遺跡の調査が、郡山女子大学短期大学部考古学研究室によって第2次調査が行なわれた。この遺跡は層位的に3枚の前・中期の石器時代の石器群が確認されている。この層位から上層石器群・中層石器群・下層石器群と仮称している。本年度の調査では、中層石器群から小型両面加工石器・ナイフ状石器・船型石器・へら状を呈した両面加工石器・スクレイパー・剥片・石核が出土し、火山灰の検討から約13万年前と推定されている。さらに、下層石器群から3点のスクレイパー・へら状の石器・剥片が出土し、中層石器群から約1m下位で発見されており、阿武隈川上・中流域で最古の石器群と考えられている。 (以下は後期遺跡の記述)

10 群馬県

(上略)前橋市在住の関谷 晃氏は、北群馬郡子持村中郷加生から斜軸尖頭器、スクレイパーなど4点を発見した。本資料は八幡軽石層(約4万1千年前)以前で、石器出土の上層には大山倉吉軽石層(約5万年前)が微量に検出されていること、東北地方の旧石器資料との比較により約7万年前と推定、県内最古としている。

Web註:この局部磨製石斧は石灰華も付着しており、真正なものである。

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