捏造問題の関連で訂正対象となった日本考古学年報50の関連記述(→会告)。なお、これらは動向紹介を目的とした文章のごく一部であり、問題の部分だけ抽出したものである。年報で関連するのは、31 (1978年度版、1980年発行)から52 (1999年度版、2001年発行)まであるのだが、とりあえず50を掲載。


日本考古学年報50(1997年度版)

1999年7月1日発行

部 1997年度の日本考古学界

4 旧石器時代研究の動向

 中期旧石器段階の遺跡である山形県尾花沢市袖原遺跡出土剥片と宮城県色麻町中島山遺跡出土のスクレーパーが約40km離れて遠距離接合した。総じて中期旧石器時代の遺跡の遺物の出土量は少なく、多いと言われている袖原遺跡においても約100点である。このような遺物の僅少な遺跡どうしでの石器の遠距離接合は、製作の場と需要の場の空間距離とその範囲を示唆するばかりでなく、日本の中期旧石器遺跡の性格の一面を反映しているとは言えないであろうか。ここでは少数の人々が基地的な遺跡は設けずに日常的に往来できる距離すなわち40kmを頻繁に移動し、少数の石器を地点地点に残していくような様子が浮かんでくる。

II部 各都道府県の動向

3 岩手県

 1995年から継続調査を実施している岩泉町瓢箪穴遺跡(第3次調査)では、人類化石は発見されなかったが旧石器時代中期に属するA区18層から両刃スクレイパー1点、両面加工小型尖頭器1点、E区6層から斜軸尖頭器1点、サイドスクレイパー2点、小型尖頭器1点、二次加工剥片1点、剥片1点が出土している。後期旧石器から中期旧石器時代の間に7枚の文化層を確認しており、さらに古い文化層の調査に期待される。

6 山形県

 尾花沢市袖原3遺跡では第4次調査が行なわれた。約100m2が調査され袖原第一軽石層の下の第21層上面から4カ所のまとまりとして篦状の石器、スクレイパー、小型尖頭器、楔形石器、鋸歯縁石器等30点が、さらに32層から径1.5mのまとまりに篦状の石器、鋸歯縁石器、スクレイパー等12点の合計42点の石器が検出された。本遺跡では1993年からこれまで4次にわたる調査が実施され、火山灰層中から前期〜中期旧石器にわたる約50万年前〜10万年前までの8枚の生活面と201点の石器が検出されている。特に注目されるのは袖原3遺跡の10万年前の地層から出土した石器と宮城県色麻町中島山遺跡で同様の地層から出土したスクレーパーが接合したことである。これまで遺跡間接合は理論的には想定できても天文学的確率とされてきたが、両遺跡は直線距離で30km離れており接合は奇跡とされた。奥羽山脈を越えた集団の移動を実証する希有の発見である。両遺跡の石器群の中にはこのほかにも接合はしないものの、明らかに同一の石から割られたと思われる石器が数点存在すると報告されている(文献17)。

7 福島県

 郡山女子大学短期大学部考古学研究室によって二本松市原セ笠張遺跡第3次調査が行なわれた。1次(1995年)・2次(1996年)の調査で確認された第1〜第3文化層のうちの、第3文化層の拡張とその下位石器群の存在有無の確認が目的であった。その結果、第3文化層の下に2層の石器群が確認された。そのうち第4文化層からは硬質頁岩・安山岩・流紋岩製の小型両面加工石器、ナイフ状石器、ヘラ状の両面加工石器、スクレイパー、石核が14点出土した。またその下層約80cmから流紋岩製の石核が1点検出され、第5文化層とされた。このうち、第4文化層の石器群の中の小型両面加工石器は宮城県上高森遺跡・高森遺跡出土のものに類似することが指摘され、約30〜40万年前のものとしている。

10 群馬県

 また旧石器研究者の関谷 晃は、高山村中山の中山峠遺跡で下部ローム層の中から斜軸尖頭器4点を発見した。

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