以下の文章は、キーリ氏の Index to Materials on Japan's Early Palaeolithic Hoax サイトに掲載された
"How Fabrication of Two Early Palaeolithic Sites Has Damaged All of Japanese Archaeology" http://www.t-net.ne.jp/~keally/Hoax/how.html)の翻訳である(註9典拠略)。一部、訳者の判断を訳注の形で挿入し、末尾に訳者としてのコメントを追加した。 …00.12.24
関連文献
「今度は考古学のスキャンダル」(キーリ 2000.11.17.)
「プレクロビス論争との比較」(キーリ 2001.1.10.)

いかに2カ所の前期旧石器遺跡の偽造が
日本考古学全体にダメージを与えたか

© C.T.Keally 2000年12月14日
チャールズ・T・キーリ

前期中期旧石器をめぐる長い論争、及び最近生じた捏造スキャンダルに関して、立場を異にする多くの考古学研究者に意見を聞いてみた。提出されていた資料に好意的だった人々は、今でも多くの前期中期旧石器資料が有効であり、いずれ立証されるだろうと考えているようだ。一方、これまで批判してきた人々は、それらの資料の有効性が、現時点で100%否定されたものと受け取っている。いずれの立場にも共通しているのは、たとえ部分的にでも、相手の見解が正しい可能性を、全く認めようとしないことである[コメント01]。また、決着をつけるためには、何らかの確固とした科学的証明が必要だということに気付いていないようであり、現にそうした証拠は未だ提出されていない[コメント02]。

現在知られている全ての状況証拠(註1)の90%は、藤村新一氏及び特定の宮城県の研究者達(註2)の発見した前期中期旧石器に対して否定的である。しかし、仮に部分的にでも正しい資料が存在していたとしても、なぜ、今年(2000年)の僅か2遺跡の偽造発覚が、その他の(彼等の調査してきた33カ所の)前期中期旧石器遺跡への疑惑に直結してしまったのか、問われるべきである。これはつまり、日本考古学全体に問題があることを示している。

前期中期旧石器の発見は、日本にとって重大な問題である。中国の北京人(北京原人)や藍田人(藍田原人[コメント03])などと同年代のヒト属が日本列島にいた証拠になってしまう。そのような重大な発見ならば、他の考古学研究者によって検証されるべきだったし、公的な財政支援を与え、批判(註3)に耐える研究をすすめるよう当局は指示すべきだった[コメント04]。実際には、文化庁(註4)、文部省(註5)、日本考古学協会(註6)、指導的な考古学者達(註7)は、支援も検証もせず、ただ発見の知らせを受け入れ、博物館で展示し(註8)、教科書掲載を容認してしまった。まさに度し難いほどの注意不足であった。

前期旧石器遺跡から、石器埋納遺構や両面調整尖頭器や着柄痕のある石器など(註9)が発見され始めた時点で、政府機関、考古学協会や指導的な考古学者達は、アクション(行動)を起こすべきだった。これらの資料は、日本列島のホモエレクトス(原人)が、世界のどのホモエレクトスに較べても、認知能力及び道具を使う能力において、かけ離れて高度だったことを意味してしまう。人類進化に関する我々の認識を改める可能性があったのだ。
しかし、これらの重大な資料が提出されてから数年が経過しても、指導的立場の考古学者、研究機関、政府機関の誰もが、これらをそのまま受け入れ、何の検証作業も要求しなかった。かくも重大な意味を持つ発見に対して、学界や関連機関の示した無作為かつ無条件の受容は、日本のような先進国では信じ難いことである。今や、彼等の能力そのものが問われている。

偽造の責めは、第一義的には藤村氏個人が負う。彼は目撃されており、彼自身は単独の行為と主張している。マスコミも「発見」や「最古」といった強調や誇張の点で、幾ばくかの責任があることを認めている。藤村氏と共同で調査していた宮城県の特定の研究者達が、遺物の埋込みに気付かなかったことについても批判がある。
しかし指導的立場の考古学者や研究機関にこそ、真の責任がある。発見を受け入れる前に、支援を与えたり、検証を要求することもせず、一部の研究者からの批判(註3)に対して注意を払うこともなかった。特定の個人やグループに焦点をあてていても、スキャンダルが起こった真の理由は分らないし、再検証の結末も弁明できないだろう。同様な事件の防止対策も覚束ない。
14年前の批判[訳注:1986年の批判…註3]が無視されていなければ、真の前期中期旧石器を、我々は既に手にしていたかもしれない。2遺跡の偽造が、それら2遺跡を越えた影響を与えることもなかっただろう。

仮に多くの前期中期旧石器が本物だったということになったとしても、日本考古学界は、科学的な無力をさらけ出してしまったことになり、大いに傷付いてしまった。仮に、20年間にわたる33遺跡のペテンだったということになると、日本考古学は、進歩し、熟練した世界の考古学の仲間と認めてもらうために、これから長く苦しい戦いを要求されることになるだろう。
例えば、日本の縄文研究と直接接することのない人々は、日本の縄文研究を、いかに評価したらいいのだろう。全くもって非学問的で、覚束ない仕事をしてきた前期中期旧石器研究は、日本の考古学の他の分野も全て、同様の研究レベルだったのではないかという疑いを抱かせる。日本以外の国では、日本の考古学の成果を一切信用しなくなるかもしれない。一次資料を直接入手するか、何かよい検証手段を持つならば、話は別かもしれないが。

日本の考古学者は、今回のスキャンダルが彼等全体の上に及ぼした強烈なダメージを正しく認識し、過去の研究の正当性に加え、今後日本で行なわれる考古学的調査が全て立派なものであることを、何らかの形で保証する必要がある。実際のところ日本考古学の多くは、非常に高度なものであり、前期中期旧石器研究に関する注意を怠ってきたことで、責めを負わされるのは残念なことである。


註1
批判と疑惑の要点は以下のようなものである。
註2
梶原 洋氏(東北福祉大学)、鎌田俊昭氏(研究者・僧侶)、藤村新一氏(アマチュア考古学者)、その他あまり知られていない研究者。岡村道雄氏(現在、文化庁)は、[訳注修正]1987年まで彼等の同僚であった。皆かつて石器文化談話会のメンバーであり、[訳注修正]後に梶原・鎌田・藤村氏は東北旧石器文化研究所を設立した。
註3
小田静夫・C. T. キーリ,1986,宮城県の旧石器及び「前期旧石器」時代研究批判,『人類学雑誌』94-3,日本人類学会,東京,pp.325−361.
註4
岡村道雄氏(文化庁)は、最近の著書(『縄文の生活誌』日本の歴史01巻,講談社,東京,2000.10.24)の中で、上高森等の遺跡について、全く疑問の余地がないかのように、言及している[訳注:講談社は2000年12月21日に同書の回収を決定した]。
註5
文部省は、上高森遺跡の埋納遺構を、教科書検定にパスさせている。しかしいわゆる「Rape of Nanking」や「comfort women」については、確固たる証拠が無いとして、容認していない。
註6
上高森などの前期中期旧石器遺跡は、日本考古学協会の総会や大会で、全く疑問にさらされることなく、発表されてきた。『日本考古学年報』においても同様である。上高森遺跡の埋納遺構は、1995年版(No.48,pp.472-476)でフルに報告されている。
註7
日本の指導的な考古学者達の多くは、長年にわたり、新聞・テレビ・その他の媒体において、前期中期旧石器に好意的な発言を繰り返してきた。ここでは、特定の個人を批判することのないよう、名をあげない[コメント05]。
註8
佐倉市にある国立歴史民俗博物館には、上高森遺跡が展示されていた。[訳注:文化庁主催の新発見考古速報展が、全国巡回展として実施されていたことも大きいとされる。前期中期旧石器が市民権を獲得した原動力だった]
註9
重要な発見物について、以下に詳説 典拠文献:略

▼訳者からのコメント

コメント01
真正な資料が少しでも含まれていた可能性を、現時点で100%否定することは誰にもできないだろう。しかし要は、藤村氏が少しでも関わった全ての遺跡・遺物が信用されなくなったことを、認めるかどうかである。少なくとも、学問的な資料として、それらは一旦無効になってしまった。そこを出発点にすることが、批判サイドの共通見解ではないだろうか。行政的対応に加え[埼玉県記者発表資料]、学問的検討の、長いプロセスが進められるだろうことは認められるが、検証作業の前提となるものについては、メタセオリ的な検討が不可欠ではなかろうか(12月24日付けの10団体声明を見ても、その危惧を深くした)。

コメント02
理化学的分析についてはコメントできないが、個々の遺跡資料について、考古学的検討や報告であれば、既に用意されているものもあるし、いずれ徐々に公開されていくと思われる。無論、日本考古学の置かれた危機を克服するという問題は、別である。

コメント03
藍田(Lantian)人は陝西省(Shensi)藍田の2カ所の遺跡で1963年〜1964年に発見されたホモエレクトス。いずれも女性、更新世前期と中期に属する資料とされている(60万〜110万年前?)。

コメント04
一般論として、行政当局が、学術的な問題に直接介入することはないと思われる。訳者としても、そのような介入は歓迎しない(学説と権力の癒着を危惧するからである…実際、新発見考古速報展を見ても、専門家を抱えているはずの文化庁が間接的に果していた役割については、大きな疑問が呈されている)。しかし、いわゆる「科学政策」が先進国にとって不可欠であることも認められる(モード論をベースにして欲しいが)。確かに、前期中期旧石器問題が、一種の真空状態に置かれ(あるいは裸の王様状態)、一人歩きしていたことは事実である。それに対して誰がアクションを起こすべきだったのか、という問に答えることは、我々の責務に違いない。そうした場を設けるというスタンスでなら、政策的介入があってしかるべきだったかもしれない。

コメント05
個人的な反省の言は(必要だし、大事なことだ)が、それ以上に重視したいのは、なぜ多くの考古学者が、有名無名を問わず、資料の怪しさを疑いもしなかったのか、その構造的原因を考えることではなかろうか。

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