アメリカにおけるクロビス/プレクロビス論争と
日本の前期旧石器論争:アプローチの比較
© C.T.Keally 2001年1月10日
チャールズ・T・キーリ
筆者は過去15年程、アメリカにおけるプレクロビス論争に強い関心を払い、観察を続けてきた。この論争は、日本の前期旧石器論争と非常によく似ているところがある。それゆえ日本における研究のあり方を考える上で、参考になるところは大きいと思われる。
プレクロビス論争については、『ナショナルジオグラフィック』の最近の記事「最初のアメリカンを探し求めて」(Parfit 2000)で概要が紹介されており、お薦めである。日本の前期旧石器論争と比較すると、実に興味深いものがある。
プレクロビス論争において進行中の学問的・科学的な研究レベルは、日本の前期旧石器論争に比べると、成熟した大人と子供くらいの差がある。野球でいえばメジャーリーガーと、砂場遊びに興じる子供を比較するようなものである。ナショナルジオグラフィックの記事は、彼我の差をいやになるほど思い知らせてくれる。世界的なレベルは遥か彼方にある。
プレクロビスの研究は極めて学際的である。また高度に科学的だし、アカデミックなものである。出版物や大会は、意図的に議論の両サイド(あらゆる立場の人)から寄稿や発表をあおいでいる。様々な立場から、多くの考古学者やグループが独自の研究を進めている。批判は、ごく通常的に、パブリックなものとして行なわれている。しばしば過熱するし、時として醜いものとなることもある。しかし批判に対しては、正面から答えが返ってくる。批判への解答を見い出すために、莫大な時間・労力・資金が費やされることも厭わない。プレクロビス論争をめぐるこうした傾向は、日本の前期旧石器論争では、大いに欠落している類いのものである。
彼我の違いを明確にするには、ナショナルジオグラフィックの記事を引用した方がいいだろう。クロビス/プレクロビス論争に関わる研究者達は以下のように感じている。
- 論争はエキサイティングだし、有益なものである
- 殆どの意見は、推論に基づいている
- 「問う」ことが当り前であり、懐疑的探究心が求められている
- ソリッドな科学的証拠が求められている
- 議論はパブリックに、かつ熱心に行なわれるものである。
- 新たな証拠や論証が得られれば、それまでの考えを改めることが可能だし、改めるべきだと考えている。
- 批判されることを(むしろ)楽しむものとされている。
こうした考え方や以下に示す引用は、日本の前期旧石器論争には決してあてはまらないものである。
論争はエキサイティングだし、有益なものである
- 新たなデータが溢れんばかりに追加され、初期アメリカンに関する研究は、エキサイティングな混沌に陥る(p. 41)
- 「混沌としている」が、豊穣なるカオスであり、そのミックスの中から新たな見解が生れている(p. 53)
- 提出された証拠は(中略)、決着がつくようなものではないが、エキサイティングであり続ける(p. 60)
- 初期アメリカンに関する研究は、今や科学上の騒乱状態(scientific turmoil)になりつつある(p. 67)
殆どの意見は、推論に基づいている
- 無論、これらの全てが推論である。アメリカ大陸に最初に来た人類が(アラスカ南東部の)海岸線のあたりを経由したという確固たる証拠は、決して存在しないのである(p. 44)
- 確実性を求める者は、大変な苦境に陥る(p. 44)
- ...旧説は疑わしいものとなってしまうが、他の説も充分に確立されるには至らない(p. 44)
「問う」ことが当り前である
- 今や、懐疑の時代である。(視野を広く持って)あまねく「問う」探究心が求められている(p. 44)
- おつむの程度が、深刻な問題になっている...(p. 45)
- ...問題ある理論に対する、一つの論証(p. 46)
- しかし、他の研究者達は同意しない(p. 53)
- これらの多様化する意見...(p. 53)
- 「我々は信奉者なのだ。精密なる科学には成り得ていない。我々はそんなふりをすべきでない。全てが、解釈に任せられている。」(カナダ人女性考古学者の言:p. 53)
- きわどい論点に関して、とうてい賛意は得られそうもない(p. 53)
科学的証拠が求められている
- 何十年もの間、(クロビスよりも)古い人類に関する証明を求める試みは、考古理学(archaeological science)の厳密な検証によって否定されてきた(p. 48)
- 「いかに物事の解釈を誤りやすいものか、君は知ることになる」(C. ヴァンス・ヘインズ:p. 52)
- 集団間の関係を見い出すため、何千もの骨の計測結果が統計的に分析された(p. 58)
- 推論は充分に行なわれてきた。しかし決定的な科学的証拠となるべき基本的な一次資料が ... 無いのだ(p. 65)
- その他の、期待を抱かせるような、... しかし検証されていない理論(p. 60)
- 「考古学の大いなる失敗の一つは、似ている物があったら、それらは共通の由来を持っている、という観念に繰り返し陥ることである。しかしそうした相似は、時を変え、所を変えて、繰り返し現れるものである」(ローレンス・ガイ・ストラウス:p. 61)
- ...か細い証拠に基づく、強固に主張される結論(p. 61)
議論白熱はいつものこと
- (分子生物学や言語学の成果を含む)これらの全ての理論に対して否定論は喧(かまびす)しい(p. 49)
- (遺物と年代測定された資料の共伴性、年代の混じり、撹乱、その他)といった不確かさに関する議論は、公開されており、しかも激しい(p. 51)
- モンテ・ベルデ[チリ南部の遺跡:訳註]資料に対する容赦ない批判...(p. 51)
- 論評に対しては直ちに、反論の意見と、支持する意見の両方が集まる(p. 51)
- 考古学者の中には...(提出される学説に対して)声高に嘲笑する者がいる(p. 61)
考えを改める
- モンテ・ベルデ遺跡資料を是認していた者の一人、ある優れた地質学者が、是認を撤回した(p. 51)
- めざましい新説に対しては、とにかく用心深い考古学者もいる...(pp. 51-52)
批判を享受する
- 我々(デニス・スタンフォード、スミス・オソニアン、ブルース・ブラッドベリ)の所には、我々の間違いを証明しようと、大勢の優秀な院生達が入学してくる(p. 61)
関連リソース
※その他の関連リソース・参考文献については、原文参照 (随時追加されます)
本稿での引用文献
- Parfit, Michael (photographs by Kenneth Garrett). 2000. Hunt for the First Americans. National Geographic (December), pp. 40-67.
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