前節

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「さらば先ず洞穴《ほらあな》に入って、和主《おぬし》の腹の中を聴こう」と言いつつ、ウノキは先きに立って山頂を下り、其中腹の老松の根方、土が崩れて自然洞穴に成って居る中に入り、其所で松明《たいまつ》を本《もと》にして、予《かね》て貯えたる枯枝を燃した。併し焚火の影は強く外には漏れぬ。

 其代り洞の中は、一面に真紅《まつか》に成った。ウノキの白髪までがそれに染って、表に濡れたのが血の様に輝いて見えて居る。

「わしは、自分の種族《なかま》の者が皆滅亡して了おうとも、少しも厭《いと》わぬ。わし一人助かればそれで好いと思って居まするぞ」

 とカンニャックは語り出した。

「それが和主の腹の中か」と妖婆ウノキも流石《さすが》に驚いて問掛けた。

「偽りは御座らぬ。これが真実!」

「それは又如何して?」

「わしは種族《なかま》の者から平常《へいぜい》嫌われて居る」

「それは平常好《よ》い事を為《せ》ぬからじゃ」

「嫌われるから好い事を為ぬ……好い事を為《せ》ぬから嫌われる……」

「和主は大酋長《おおがしら》センゾックの身内では無いか」

「されば順当なれば、娘のネカッタの婿養子とも成るべき者。それが誰にも嫌われて居る。悪しき病 (52) の有る事を、皆知って居るからであろうが。それや、これやで、わしは嫌われた。ネカッタの婿養子には、ヌマンベが成るであろう。此無念を晴す為には、どんな事でも仕まするぞ」

「好し。好し。其覚悟ならば語るに足りる。さらば此方からも腹の中打明けよう。全く大和男子《やまとおのこ》等の妾《わし》は手引……今までも度々内通したが、今方はヌマンベの行く事を火振りの合図で向うに知らした。既《も》う手配り出来て憎き若者は、氷の様な刀で首斬られて居るであろう」

「やれ嬉しや」

「間もなく大軍三十余隻の船に乗りて川尻の方より押寄せ来り、鉄《かね》の鏃《やじり》、鉄の刀、方《かた》ッ端《はし》からコロボックルの種族《なかま》を殺し尽そう! 其中で、一人、生捕りにして、和主の手柄に、贈物として遣わそうで……」

「それは、あの、ネカッタを?」

「おほほほほほほ」

 妖婆は高らかに笑い出した。

「愚かや!」と突然、洞穴の入口に大声が響いた。

「やッ」と驚いてカンニャックは振向く額の真向《まっこう》。一撃! 石剣《せつけん》の閃《ひらめ》き!

 血は颯《さつ》と真黒に散った。

 妖婆も驚いて、逃出そとした。

 洞《ほら》の入口に石剣持って立閉《たちふさ》がるは、大酋長のセンゾック。其後には環石《かんせき》の柄《え》を握《にぎ》ったタツクリの翁《おきな》。


52) 悪しき病。下総古作貝塚より発見の人骨に、悪しき病の有った痕跡を留めて居るので、その時代に既に亡国病の有った事を証明するという論者もあるが、余はその発見当時(明治二十六七年?)の発掘法を、幼稚ならずと云い切る事が出来ぬ。その人骨は近世のが混入したのではないかと疑って居る。しかしそれは想像に過ぎぬ。それを打破るだけの研究結果を持たぬ故、やはり亡国病の有った事として置く。
 

22」へ続く

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