前節

20

20

 老巫女ウノキ自ら神通力《じんつうりき》と称して居る。何んでも透視し得ぬ事は無い。知ろうと思えば必ず知る事が出来ると揚言《ようげん》して居る。それ程の者が悪漢カンニャックの讒言《ざんげん》には迷わされて、一図に勇者ヌマンベを憎み立った。

 ウノキは元来コロボックルの種族《なかま》では無い。アイヌ女子《めのこ》と大和男子《やまとおのこ》との問に産れた混血児なのである。けれども、それを包んで居る。

 それで内密に大和民族と交際して居て、その開けたる知識を受け継いでは、無智のコロボックルを鷲かして居る。脅かして居る。恐れさして居る。然うして尊敬を払わして居る。

 此頃では川向うの大和民族に内通して、密かに其手先と成って、コロボックルの内情を探索して居るのである。

 水行《みずぎょう》を取ると称し、暗夜に川の中に入る事がある。それは中洲の芦の蔭で、敵人と密談をして来るのである。

 又亀甲山《きっこうやま》に登りて暗夜松明《たいまつ》を打振るのは、火の光で向岸に信号をするのである。

 今宵ヌマンベの家の後に隠れて、勇者の挙動を窺って居たウノキは、いよいよ彼が単身敵船を奪いに出立《しゅったつ》すると見て、急いで亀甲山に駈登った。

  霙は今し降り歇《や》んで居る。信号するのは此時とばかり、洞穴の中に隠したる発火器に松の根の割裂いたのを取り出して、火を点した。

 ウノキの発火法 (51) は他と異なって居る。普通の者は檜木《ひのき》の台に檜木の棒を立て、それを一人が上から石で押える。一人は紐で棒をギリギリと揉込《もみこ》む様に動かして、木と木との摩擦で発火させるのだが、ウノキは大和民族の伝授を受けて、燧石《ひうちいし》を打合せ、硫黄《いおう》の附いた枯草に火を写すので、此法を知って居る事も、ウノキが尊敬される一理由とは成って居る。

 一本は日に啣《くわ》え、二本は左右の手に持て、山頂に屹《きつ》と立った。

 一点上に、二点下に、二点上に、一点下に。或は三点一列にするなんど、皆それは前以て打合せてある信号の法。

 勇者一人、船を奪いに、今此方《こちら》を出発したという事を、川の向うの見張りの者に知らせて、之で好しと独微笑《ひとりほほえ》み、三本の火を一束《ひとたば》にして、洞穴の中に入らんとする処へ、松の立木の後から、突然出て来た一人、「巫女殿!」と声を掛けた。

 吃驚《びっくり》したウノキは、松明を突付けて、

「何者じゃよ」と鋭く問うた。

「カンニャックじゃ」と言いつつ、火の前に立った。

「おう、カンニヤックか。何しに来た? 妾《わし》の行《ぎょう》をする処を、何故見に来居った?」と怒りの声。

「行? 巫女殿が行をせられるなら、わしは決して見には来ぬ」とカンニャックは妙に言廻した。

「なに、行なれば見には来ぬと……行で無うて何んであろう」

「火を振るのが行? 初めの間《うち》は然《そ》う思うたが、如何やら敵に合図する様なので……」

「敵に合図? 敵に合図、何んで仕よう。霙《みぞれ》の降る夜にわざわざ和主《おぬし》は、此所まで戯《ざ》れ言《ごと》いいに来居ったのか」

「巫女殿! 其様に勃気《むき》に成られな。さなきだに其方の眼の光は恐ろしい。それで睨《にら》まれては、わしの体が縮んで了う」

「睨まいでか! 言うに事を欠いで、敵へ合図とは何事じゃぞ。次第に由っては神罰を、立地《たちどころ》に下し呉れん」

「神罰立地に……それならば問いましょう。それ程神罰が覿面《てきめん》なら、何故あのヌマンベを立地には殺されぬじゃ」

「むむ、それは少し仔細有って、今宵まで延して置いたが……既《も》う今夜という今夜はな」

「敵に火を振って合図したので、一人で出掛けたヌマンベは、多くの敵に囲まれて、殺され様《よう》。なれども、それは神罰では御座らぬぞ」

「何を! 何を証拠に合図とぬかすぞ」

「まア待たッしゃれ。睨《にら》まれな。顔を和《やわ》らげられえ……わしの眼も満更《まんざら》遠目が利かぬでも無い。其方が火を振ると同じ様に、川の向うの遠洲《とおす》のあたりで、火を振るのを能《よ》く見て取った」

「あの見たか? あの火を……」

「此方で振るのと同じ様に……」

「それ知られては……」

「まア待たッしやれ。わしは、お前に附いても好い。味方を売って敵方に成っても好い」

「何んじゃ?」

「わしの腹の中を、先ず聴いて下されえ」


51) 発火法については、先輩既に説がある。遺物の石器中、凹み石というのがある。蜂の巣石或いは雨垂石と称するが、それは石面に小孔が多く穿たれて居る。それで燧木の頭部を押さえたとしてある。この方法はグリィンランド及アリューシャ島の原地人に於て行われてもいるが、この石器については疑問がないでもない。同じ孔の附いて居るので、とても一人二人では持上げられぬ程の大石があるのを見ると、燧木を押えたとのみ考えられない。燧石は、石鏃の原料として到る処に発見される。硫黄は又容易に得られる品ゆえ、これをも用いたろうとは余の想像である。
 

21」へ続く

前節